シャットアウト

和名:シャットアウト

英名:Shut Out

1939年生

栗毛

父:エクワポイズ

母:グースエッグ

母父:シクル

名馬アルサブと米国三冠競走で好勝負を演じ、ケンタッキーダービーとベルモントSを制した、米国の歴史的名馬エクワポイズが遺した最高傑作

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績40戦16勝2着6回3着4回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州グリーンツリースタッドにおいて、ヘレン・ジュリア・ヘイ・ホイットニー夫人により生産・所有された。中国(清王朝)に対する門戸開放政策を推し進めた米国の有名な政治家ジョン・ミルトン・ヘイ氏の娘であるホイットニー夫人は米国の名馬産一族ホイットニーファミリーの1人ウィリアム・ペイン・ホイットニー氏の未亡人であり、かつて名馬トゥエンティグランドを生産・所有した事でも知られていた。父エクワポイズはホイットニー一族が送り出した米国の歴史的名馬、母グースエッグもホイットニー夫人の生産・所有馬でスピナウェイSを勝った名牝であり、本馬は同い年のデヴィルダイヴァーやアンフィシアターと同様、牧場関係者から多大な期待を寄せられていた。

なお、父エクワポイズは本馬が産まれる前年に4世代の産駒を残して早世しており、本馬は父の最終世代であった。毛色は父と同じ栗毛だが、父のような黒っぽい栗毛ではなく、白っぽい栗毛であった。しかし、身体的な特徴は父によく似ており、やや柔軟さに欠ける点はあったものの、体格が大きく、脚は長く、完成度が高い馬体を有していた。グリーンツリースタッドの専属調教師サー・ジョン・M・ゲイヴァー師の管理馬となり、2歳時にデビューすると早い段階からその能力を発揮した。

競走生活(2・3歳時)

まずはデビュー戦を順当に勝ち上がり、次走の一般競走も勝利した。サラトガスペシャルS(D6F)では同厩馬アンフィシアターの2着に敗れたが、続いて出たグランドユニオンホテルS(D6F)では、アンフィシアター、サンフォードSを勝ってきたデヴィルダイヴァーの同厩馬2頭や、リクエステッドといった同世代トップクラスの馬達を一網打尽にして勝利した。しかし続くホープフルS(D6.5F)では、デヴィルダイヴァーとアンフィシアターの同厩馬2頭に屈して、デヴィルダイヴァーの3着に敗退。10月に出走したアーズリーH(D8F70Y)でもフェアコールの3着に敗れるなど、2歳時は勝ち切れないレースが目立った。2歳時の成績は9戦3勝だった。

3歳時はブルーグラスS(D9F)から始動して2着ブレスミー以下に快勝し、ケンタッキーダービーの有力候補として名乗りを上げた。

そして迎えたケンタッキーダービー(D10F)では、前走フェニックスHで前年の米国三冠馬ワーラウェイを2着に破ってきたデヴィルダイヴァー、2歳シーズン後半に急上昇してフューチュリティS・シャンペンS・ウォルデンSなど10連勝して米最優秀2歳牡馬に選ばれていたアルサブ、カウディンS・フラミンゴS・ウッドメモリアルSを勝ってきたリクエステッド、アーカンソーダービーを勝ってきたウィズリガーズ、27年前のケンタッキーダービーを勝った名牝リグレットの孫であるファーストフィドル、ウッドメモリアルSで3着してきた後のカーターH勝ち馬アパッチ、ダービートライアルSを勝ってきたヴァルディナオーファンなどが主な対戦相手となった。本馬はデヴィルダイヴァーとのカップリングで単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。ちょうど第二次世界大戦中だったため、観客席には軍人の姿が多く見受けられた。本馬とデヴィルダイヴァーの主戦はいずれもエディ・アーキャロ騎手であったが、アーキャロ騎手がデヴィルダイヴァーを選んだため、本馬にはウェイン・D・ライト騎手が騎乗した。レースでは本馬は先行策を採り、直線に入ってから抜け出すと、追い込んできた2着アルサブに2馬身1/4差、3着ヴァルディナオーファンにはさらに頭差をつけて優勝した。なお、デヴィルダイヴァーは6着に終わった。

次走のプリークネスS(D9.5F)では、レース直前にアルサブの勝利を予言するビラが撒かれた影響もあってアルサブが1番人気に支持され、本馬とデヴィルダイヴァーのカップリングは2番人気での出走となった。レースでは前走同様ライト騎手を鞍上に先行策を採るが直線で失速し、後方から追い込んで優勝したアルサブの5着に終わった。なお、デヴィルダイヴァーは8着に惨敗している。その後はベルモントパーク競馬場ダート9ハロンのハンデ競走に出走。このレースには3歳年上の名馬シャルドンの姿もあったが、完全に全盛期を過ぎていたシャルドンを5馬身差の2着に切り捨てて勝利した。

そしてベルモントS(D12F)に出走した。このレースでは不振続きのデヴィルダイヴァーが回避したため、本馬の鞍上にはアーキャロ騎手が戻ってきた。このレースでもアルサブに1番人気を譲り、2番人気での出走となった。やはり本馬は先行策を採り、直線早めに先頭に立つと、前走と異なり失速することなく、追い込んできた2着アルサブに2馬身差をつけて優勝した。

その後はドワイヤーS(D9F)に向かったが、コースレコードで走ったヴァルディナオーファンの2着に敗退。しかし続いて出たアーリントンクラシックS(D10F)では、今度はヴァルディナオーファンを2着に下して、2分01秒4のレースレコードを計時して勝利した。その後に出走したトラヴァーズS(D10F)では130ポンドが課せられたが勝利した。さらにヤンキーH(D9.5F)では1分55秒4のコースレコードを計時して、ヴァルディナオーファン以下に完勝。

3歳時の成績は12戦8勝で、通常であれば米最優秀3歳牡馬の受賞は確実とも言える好成績であったが、この年はシーズン後半に調子を上げ、米国三冠馬ワーラウェイとのマッチレースも制したアルサブの印象の方が強く、同タイトルはアルサブに奪われた。

競走生活(4・5歳時)

4歳時も現役を続けたが、シーズン序盤は不調で、メトロポリタンH(D8F)でデヴィルダイヴァーの8着に終わるなど振るわなかった。それでも7月のサラトガH(D10F)で、コースレコードで走ったプリンスキロの3着に入った辺りから徐々に調子を取り戻し、ウィルソンS(D8F)では1分36秒4のレースレコードを計時して、ファーストフィドルやアパッチ以下に快勝した。さらにピムリコスペシャルS(D9.5F)では、カウディンS・ピーターパンS・アーリントンクラシックSを勝ってきたスライドルールやフェアリーマンハーストといった3歳馬勢の挑戦を退けて勝利。エッジメアH(D9F)ではアパッチの2着に敗れたが、ウッドメモリアルS・ジョッキークラブ金杯・ピムリコスペシャルS・サバーバンHなどを勝っていた1歳年上の強豪マーケットワイズ(デヴィルダイヴァーと並んでこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれている)には先着した。さらにローレルS(D8F70Y)ではウィズリガーズを2着に退けて勝利。その後はワシントンH(D9.5F)でアンチクライマックスの3着、リグスH(D9.5F)でサンアゲイン(名馬ソードダンサーの父方の祖父)の2着などして、4歳時を17戦5勝の成績で終えた。

5歳時も現役を続けたが、ベルモントパーク競馬場ダート6ハロンのハンデ競走で3着に敗れるなどこの年は2戦未勝利に終わり、そのまま現役を引退した。ちなみにかつての好敵手アルサブも4歳以降はまともにレースを使うことが出来ず、本馬が3着した上記ハンデ競走で4着に敗れたのを最後に引退している。

馬名は英語で「相手を零敗させる事・完封勝利」の意味で、母グースエッグ(Goose Egg)の馬名が英語のスラングで「(競技の)零点」を意味する事からの連想であると推察される。

血統

Equipoise Pennant Peter Pan Commando Domino
Emma C.
Cinderella Hermit
Mazurka
Royal Rose Royal Hampton Hampton
Princess
Belle Rose Beaudesert
Monte Rosa
Swinging Broomstick Ben Brush Bramble
Roseville
Elf Galliard
Sylvabelle
Balancoire Meddler St. Gatien
Busybody
Ballantrae Ayrshire
Abeyance
Goose Egg Chicle Spearmint Carbine Musket
Mersey
Maid of the Mint Minting
Warble
Lady Hamburg Hamburg Hanover
Lady Reel
Lady Frivoles St. Simon
Gay Duchess
Oval Fair Play Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
Olympia Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Orienta Henry of Navarre
Ortegal

エクワポイズは当馬の項を参照。

母グースエッグは現役成績19戦6勝、スピナウェイSを勝ち、テストSで2着している。しかし本馬以外に活躍馬を産むことは無く、本馬が2歳時の1941年に14歳で他界している。グースエッグの半妹ロビンズエッグ(父ワイルドエア)の子にオムレツ【サンタマルガリータ招待H】がいる他、グースエッグの半姉アリーナ(父セントジェームズ)の牝系子孫からは、ミスワキ【サラマンドル賞(仏GⅠ)】、マニラ【BCターフ(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・アーリントンミリオン(米GⅠ)】、ステートリードン【セクレタリアトS(米GⅠ)・ハリウッドダービー(米GⅠ)】、ラコヴィア【サンタラリ賞(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)】、亜首位種牡馬10回のサザンヘイローホワイトマズル【伊ダービー(伊GⅠ)】、スターボロー【ジャンプラ賞(仏GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】、アルムタワケル【ドバイワールドC(首GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)】、ジェネラルチャレンジ【サンタアニタダービー(米GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)・サンタアニタH(米GⅠ)】、トゥブーグ【サラマンドル賞(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)】、ヴードゥーダンサー【ガーデンシティBCH(米GⅠ)・ダイアナH(米GⅠ)】、バリンガリー【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・加国際S(加GⅠ)】、シングルタリー【BCマイル(米GⅠ)】、ジェネラルクォーターズ【ブルーグラスS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)】、ミッドシップマン【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・デルマーフューチュリティ(米GⅠ)】、セントニコラスアビー【BCターフ(米GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)3回・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】、イヴニングジュエル【アッシュランドS(米GⅠ)・デルマーオークス(米GⅠ)】、シークレットサークル【BCスプリント(米GⅠ)・ドバイゴールデンシャヒーン(首GⅠ)】、エイシンヒカリ【香港C(香GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】など多くの活躍馬が出ている。→牝系:F16号族②

母父シクルはシャンペンS・ブルックリンダービーなどの勝ち馬。種牡馬としては名牝マザーグースなどを出し、1929年の北米首位種牡馬となっている。繁殖牝馬の父としても優秀で62頭のステークスウイナーを出し、1942年には本馬の活躍により北米母父首位種牡馬に輝いた。シクルの父スペアミントは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のグリーンツリースタッドで種牡馬になった。種牡馬としてはまずまずの成功といったところだった。1964年に25歳で他界し、遺体はグリーンツリースタッド(現在のゲインズウェイファーム)に埋葬された。本馬の血は母の父として送り出したマンノウォーS勝ち馬ジアックスや、名種牡馬エクスクルシヴネイティヴ(米国三冠馬アファームドなどの父)などを経由して後世に受け継がれている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1946

One Hitter

ピムリコスペシャル・ホイットニーS・サバーバンH・モンマスH・マンハッタンH・マサチューセッツH

1946

Slam Bang

サンフォードS

1948

Hall of Fame

アーリントンクラシックS・アメリカンダービー

1949

Closed Door

ユナイテッドネーションズH・サルヴェイターマイルH

1950

Social Outcast

ホイットニーH・ギャラントフォックスH・ジョンBキャンベルH・マンハッタンH・サンセットH・トレントンH

1951

Evening Out

スカイラヴィルS・スピナウェイS・メイトロンS・モンマスオークス

1955

Shut Up

ポルトマイヨ賞

1957

Evening Glow

ソロリティS

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