和名:ベイロナルド |
英名:Bay Ronald |
1893年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ハンプトン |
母:ブラックダッチェス |
母父:ガリアード |
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競走馬としては大競走制覇に縁が無かったが種牡馬として成功して父ハンプトンの直系を発展させる功労馬となる |
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競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績26戦5勝2着1回3着2回 |
誕生からデビュー前まで
英国レイボーングランジスタッドにおいて生産された。父は当時既に種牡馬として成功していたハンプトンだったが、誕生した本馬は小柄な馬で、当歳時のドンカスターセールにおいて500ギニーでも買い手がつかなかった。結局500ギニーより安い500ポンドの値段で、レオナルド・ブラッシー卿の代理人トム・ジェニングス・ジュニア氏(英国三冠馬グラディアトゥールの管理調教師だったトム・ジェニングス師の息子)により購入された。
競走生活(2・3歳時)
デビューしたのは2歳時で、この年5戦したが3着が1回あるだけで、残りは全て着外という結果だった。3歳時には未勝利馬の身で英ダービー(T12F29Y)に挑んだ。レースでは最後の直線で先頭に立ち、残り2ハロン地点まで粘ったが、ここから力尽き、コヴェントリーS・リッチモンドSの勝ち馬パーシモン、英2000ギニー・ミドルパークプレート・デューハーストプレートの勝ち馬セントフラスキンの大激闘から離されて、パーシモンの5着に敗退。アスコットダービー(T12F)では、コンロイの3着。秋のジョッキークラブS(T14F)では、英セントレジャーを勝ってきたパーシモン、前年の英ダービー・英セントレジャーの勝ち馬サーヴィスト、前年のジョッキークラブS・英チャンピオンSの勝ち馬で英2000ギニー2着のラヴェーノなどに歯が立たず、パーシモンの着外に敗れた。
その後にニューマーケット競馬場で出走したライムキルンS(T8F)では、単勝オッズ11倍の伏兵扱いだったが、2着となった3歳牝馬アヴィリオンに1馬身差、3着となったプリンスオブウェールズS2着馬バルサモにはさらに2馬身差をつけて勝利を収め、ここでようやく初勝利を挙げた。
さらにロウザーS(T12F)に出走。ここでは、アヴィリオン、モールコームSの勝ち馬で英セントレジャー3着のランピオンなどが対戦相手となった。単勝オッズ9倍で出走した本馬の斤量は107ポンドで、同世代の牝馬アヴィリオンの115ポンドより8ポンド、同世代の牡馬ランピオンの113ポンドより6ポンド軽かった。それでも2着アヴィリオンに3馬身差、3着ランピオンにはさらに4馬身差をつけて勝ったとなれば、斤量差が無くても本馬が勝っていたと思えるほどの内容だった。3歳時の成績は8戦2勝となった。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月のシティ&サバーバンH(T10F)で、バルサモの半馬身差2着と惜敗。しかし斤量は本馬のほうがバルサモより3ポンド重く、本馬がハンデを与える側になっていた。なお、本馬から3馬身差の3着には一昨年の英オークス馬で英1000ギニー2着のラセイジェスが入っている。ラセイジェスの斤量は本馬より8ポンド重かったが、英国クラシック競走の勝ち馬に対抗できる実力を身につけてきていた事は立証できた。
6月にはハードウィックS(T12F)に出走した。シティ&サバーバンHで本馬が背負っていた斤量は105ポンドだったが、今回は133ポンドが課せられた。しかし本馬の実力は既に認められており、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。レースでは、この単勝オッズでも高く思えるほどの圧倒的な実力差を見せつけ、31ポンドのハンデを与えた3歳牝馬ロウリーに10馬身差、28ポンドのハンデを与えた3歳牡馬エヌエヌにはさらに6馬身差をつけて圧勝した。
その後はエクリプスS(T10F)に出走して、アスコット金杯を勝ってきたパーシモン、ニューS・ジュライS・英シャンペンS・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬でミドルパークプレート・英2000ギニー・英ダービーでは全て後の英国三冠馬ガルティモアの2着に入っていた3歳馬ヴェラスケスと対決。斤量はパーシモンが142ポンド、本馬が139ポンド、ヴェラスケスが130ポンドと設定された。結果はパーシモンが2着ヴェラスケスに2馬身差をつけて勝利を収め、本馬はヴェラスケスからさらに4馬身差の3着に敗退。これが現役最後のレースとなったパーシモンには結局全く敵わなかった。
秋には英チャンピオンS(T10F)に出走したが、9ポンドのハンデを与えたヴェラスケスの2馬身差2着に敗退。4歳時の成績は結局6戦1勝だった。
競走生活(5歳時)
5歳時には前年に勝ち損なったシティ&サバーバンH(T10F)に出走。このレースには、豪州でメルボルンC・ヴィクトリアダービー・アスコットヴェイルS・AJCプレートを勝って英国に移籍してきたニューヘイブンという強敵の姿があった。斤量110ポンドの本馬は、120ポンドのニューヘイブンから10ポンドのハンデを貰った。この斤量差を活かした本馬が、ニューヘイブンを2馬身差の2着に抑えて勝利した。
6月に出走したエプソム金杯(T12F・現コロネーションC)では、ニューヘイブンに加えて、ケンブリッジシャーH・リンカンシャーH・ドンカスターC・コンセイユミュニシパル賞の勝ち馬でアスコット金杯ではパーシモンの2着だったウインクフィールズプライドが出走してきた。斤量は3頭とも全く同じ132ポンドであり、ハンデ無しのガチンコ勝負となった。結果は本馬が2着ニューヘイブンに2馬身差、3着ウインクフィールズプライドにはさらに4馬身差をつける完勝を収め、古馬勢ではトップクラスの実力を有する事を証明した。
そのためにアスコット金杯(T20F)では期待を集めたが、ラクープ2回・グラディアトゥール賞を勝って臨んできた仏国調教馬のエルフ、リヴァプールオータムC・チェスターC・アスコットゴールドヴァーズの勝ち馬ザラッシュなどに屈して、エルフの着外に敗れた。この翌日には前年に大差勝ちしたハードウィックS(T12F)に出走したが、28ポンドのハンデを与えた3歳牡馬カラーに3馬身差をつけられて2着に敗れた。秋は英チャンピオンS(T10F)で、この年のエクリプスSを勝っていたヴェラスケスと対戦。しかし結果はヴェラスケスが2連覇を飾り、本馬は1馬身差の2着に敗れた。ロウザーS(T12F)では、この年の英2000ギニー3着馬ニヌス、この年の英ダービー・プリンスオブウェールズS・エクリプスSで2着していたバットの2頭に敗れて、ニヌスの3着。ジョッキークラブC(T18F35Y)では、シザレウィッチHの勝ち馬マーマン(後にアスコット金杯・グッドウッドCを勝っている)、ザラッシュの2頭に屈して、マーマンの3着に敗退。5歳時7戦2勝の成績で競走馬を引退した。
父のハンプトンは現役時代に主として長距離戦で活躍したが、本馬は12ハロンが距離の限界で、それを超える距離では活躍できなかった。
血統
Hampton | Lord Clifden | Newminster | Touchstone | Camel |
Banter | ||||
Beeswing | Doctor Syntax | |||
Ardrossan Mare | ||||
The Slave | Melbourne | Humphrey Clinker | ||
Cervantes Mare | ||||
Volley | Voltaire | |||
Martha Lynn | ||||
Lady Langden | Kettledrum | Rataplan | The Baron | |
Pocahontas | ||||
Hybla | The Provost | |||
Otisina | ||||
Haricot | Lanercost | Liverpool | ||
Otis | ||||
Queen Mary | Gladiator | |||
Plenipotentiary Mare | ||||
Black Duchess | Galliard | Galopin | Vedette | Voltigeur |
Mrs. Ridgway | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | |||
Merope | ||||
Mavis | Macaroni | Sweetmeat | ||
Jocose | ||||
Merlette | The Baron | |||
Cuckoo | ||||
Black Corrie | Sterling | Oxford | Birdcatcher | |
Honey Dear | ||||
Whisper | Flatcatcher | |||
Silence | ||||
Wild Dayrell Mare | Wild Dayrell | Ion | ||
Ellen Middleton | ||||
Lady Lurewell | Hornsea | |||
Dirce |
父ハンプトンは当馬の項を参照。
母ブラックダッチェスは繁殖牝馬として8頭の産駒を産み、その全てが勝ち上がっている。本馬の半姉ブラックチェリー(父ベンディゴ)の子にはチェリーラス【英1000ギニー・英オークス・セントジェームズパレスS・ナッソーS】、ブラックアロー【コヴェントリーS・セントジェームズパレスS】、孫には大種牡馬ブランドフォード【プリンセスオブウェールズS】がいる。
ブラックチェリーの牝系子孫には、ナイトホーク【英セントレジャー】、サンチャリオット【英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・ミドルパークS】、シャーラック【ベルモントS・ブルーグラスS】、フィロン【カルロスペレグリーニ大賞2回・亜ジョッキークラブ大賞・ブラジル大賞】、エルセンタウロ【カルロスペレグリーニ大賞・オノール大賞】、サンタクロース【英ダービー・愛ダービー・愛2000ギニー】、カロ【仏2000ギニー・イスパーン賞・ガネー賞(仏GⅠ)】、シャーラスタニ【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)】、ゴールデンフェザント【ジャパンC(日GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)】、ルアー【BCマイル(米GⅠ)2回・シーザーズ国際H(米GⅠ)】、日本で走ったアスカ(エイコウザン)【川崎記念・皐月賞でシンザンの2着】、コンサートボーイ【帝王賞】などがいる。
本馬の半妹ブラックベルベット(父ヴェレス)の孫にはミスタースポンジ【ジェロームH】、曾孫にはグランドスラム【アーリントンワシントンフューチュリティ】、玄孫世代以降には、アームド【ピムリコスペシャル・ワイドナーH2回・サバーバンH】、ファビウス【プリークネスS】、ボウプリンス【トラヴァーズS・アメリカンダービー】、トリプルベンド【サンタアニタH・サンフェルナンドS・ヴォスバーグS】、名種牡馬リローンチ、ハイランドブレイド【パンアメリカンS(米GⅠ)・ブルックリンH(米GⅠ)・マールボロC招待H(米GⅠ)】、ルビアノ【NYRAマイルH(米GⅠ)・カーターH(米GⅠ)・ヴォスバーグS(米GⅠ)】、フォーンチャッター【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅠ)】、タピット【ウッドメモリアルS(米GⅠ)】、サマーバード【ベルモントS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F3号族②
母父ガリアードはガロピン産駒で、英2000ギニー・プリンスオブウェールズS・チェスターフィールドSを勝っている。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は1899年から英国プレストンファームにおいて種牡馬入りした。英国クラシック競走などの主要競走を勝てなかった現役成績から、種牡馬生活初期はあまり期待されていなかった。毎年集まる繁殖牝馬の数は20頭未満であり、しかもその質も低かった。しかし初年度産駒からサンダウンパークプロデュースSやウッドコートSを勝ったブラッシーズメリーマンを、2年目産駒からロウス記念Sを勝ったワイルドオーツなど7頭の勝ち馬を、3年目産駒からも6頭の勝ち馬を出した。種牡馬入り当初は25ギニーだった種付け料は100ギニーまで上昇した。
2年目産駒のマクドナルドが1904年に仏国のロワイヤルオーク賞を勝った事もあり、1905年に本馬は仏国に5千ポンドで輸出されていったが、残された産駒の中からダークロナルド(6年目産駒)、ベイヤード(7年目産駒)という2頭の名馬を出し、父ハンプトンの最良の後継種牡馬となった。
本馬自身は12ハロンを超える距離では活躍できなかったが、産駒は長距離を平気でこなした。本馬は仏国でもロワイヤルオーク賞やカドラン賞などを勝ったコンブールなどの活躍馬を出したが、コンブールが産まれる前年の1907年5月に14歳で惜しくも早世した。しかし、ダークロナルドとベイヤードの2頭が後継種牡馬として活躍してサイアーラインを伸ばし、また、牝駒ロンドがテディの母となったため、後世に大きな影響力を残した。あと、本馬の血を受け継ぐ馬は性格や能力が馬術競技や障害競走に向いていたため、この分野においても多くの活躍馬が出た。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1900 |
Tarquato Tasso |
ロワイヤルオーク賞 |
1901 |
Macdonald |
ロワイヤルオーク賞・ボイアール賞・ユジェーヌアダム賞・コンセイユミュニシパル賞 |
1904 |
Rousay |
エボアH |
1905 |
プリンセスオブウェールズS・ロイヤルハントC |
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1906 |
デューハーストS・ミドルパークS・エクリプスS・英セントレジャー・アスコット金杯・英チャンピオンS・ニューS・リッチモンドS・プリンスオブウェールズS・チェスターヴァーズ |
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1906 |
Fidia |
ミラノ大賞 |
1908 |
Combourg |
ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ノアイユ賞・グレフュール賞 |
1908 |
La Becasse |
ペネロープ賞 |