和名:トリリオン |
英名:Trillion |
1974年生 |
牝 |
黒鹿 |
父:ヘイルトゥリーズン |
母:マーガレッテン |
母父:タルヤー |
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娘である「鉄の女」トリプティクも顔負けの頑健さで世界各国のGⅠ競走で善戦し、現在世界有数の名牝系の祖ともなる |
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競走成績:3~5歳時に仏英独米加で走り通算成績32戦9勝2着14回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
ヴェイグリーノーブルやダリアの馬主として知られるテキサス州の石油業者ネルソン・バンカー・ハント氏により、彼がケンタッキー州に所有するブルーグラスファームにおいて生産された。ハント氏と彼の長年の友人であるエドワード・L・スティーブンソン氏の共同所有馬となり、仏国モーリス・ジルベール調教師に預けられた。
競走生活(3歳時)
デビューは遅く、3歳3月にサンクルー競馬場で行われたレースだった。主戦となるジェラルド・デュブロウク騎手を鞍上にデビュー戦で勝ち上がると、5月にロンシャン競馬場で出走したテュイルリー賞(T2400m)を5馬身差で圧勝した。そして仏オークス(仏GⅠ・T2100m)に駒を進めたが、生涯無敗の仏1000ギニー・サンタラリ賞の勝ち馬マデリアに敗れて惜しくも頭差の2着だった。それでも後にポモーヌ賞を勝つ3着馬ファビュラスジェーン(アラジの祖母)には2馬身半差をつけており、今後の飛躍が期待できる内容だった。次走のミネルヴ賞(仏GⅢ・T2400m)では、2着ベロネールに6馬身差をつける圧勝でグループ競走重賞初勝利を挙げた。
そして秋はヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)に出走したが、ここではクリテリウムデプーリッシュ・ノネット賞の勝ち馬カミシア、ヨークシャーオークス2着馬ロイヤルハイブ、ファビュラスジェーン達に屈して、勝ったカミシアから3馬身半差の6着に敗れた。しかし次走のロワイヤリユー賞(仏GⅢ・T2500m)では、2着ペアルメに4馬身差をつけて圧勝。さらに牡馬相手のロワイヤルオーク賞(仏GⅠ・T3100m)に挑戦して、グレフュール賞を勝っていた牡馬レックスマグナの1馬身半差2着と健闘。この年の英オークス馬で、英セントレジャーでもこの年の凱旋門賞馬アレッジドを2着に破って勝っていたダンファームリンを半馬身差の3着に抑えた。3歳時の成績は7戦4勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時は主戦に英国の名手レスター・ピゴット騎手を迎えた。まずは4月のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)から始動したが、前年のコンセイユドパリ賞の勝ち馬でムーランドロンシャン賞2着の牡馬モンシニョールの短首差2着に惜敗した。しかし次走のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、モンシニョールを3馬身差の2着に、伊グランクリテリウム・伊ダービー・ミラノ大賞を勝っていた伊国の名馬サーラッドをさらに3/4馬身差の3着に下してGⅠ競走の勝ち馬となった。
続くジャンドショードネイ賞(仏GⅡ・T2400m)では、ヴィシー大賞の勝ち馬ガダニーニ、ドーヴィル大賞の勝ち馬ドムアラリックとのゴール前の大接戦に屈して、ガダニーニの首差3着に惜敗。次走のドラール賞(仏GⅡ・T1950m)では、アルクール賞で本馬から2馬身半差の3着だったダリュー賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬カーホワイトを首差の2着に、モンシニョールをさらに3/4馬身差の3着に抑えて勝利した。そしてイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)に参戦したが、今度はカーホワイトに2馬身差をつけられて2着に敗れた。次走のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)では、ガダニーニの1馬身差2着に敗退。引き続き出走したキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、リュパン賞と仏ダービーを連勝してきたアカマス、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたイルドブルボン、英ダービー2着・愛ダービー3着のハワイアンサウンド、オカール賞・ハードウィックSの勝ち馬モンコントゥール、ダンファームリンなどとの対戦となった。しかし結果は勝ったイルドブルボンから21馬身差をつけられて着外に敗れた(2位入線のアカマスが後に薬物検査に引っ掛かって失格となったが、本馬にはほぼ無関係だった)。
その後はフォワ賞(仏GⅢ・T2200m)に出走して、モンシニョールやドムアラリックと対戦。2着モンシニョールに2馬身差をつけて勝利を収め、そして凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に参戦した。対戦相手は、前年の凱旋門賞を筆頭にガリニュールS・グレートヴォルティジュールS・ロイヤルホイップS2回・プランスドランジュ賞を勝ち、敗戦は英セントレジャーでダンファームリンの2着に敗れたのみというアレッジド、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSから直行してきたアカマス、仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞の勝ち馬で英オークス2着のダンシングメイド、ユジェーヌアダム賞・ギシュ賞・ニエル賞の勝ち馬ゲイメセン、オカール賞の勝ち馬で仏ダービー2着のフレールバジル、英セントレジャーを勝ってきたジュリオマリナー、バリモスSの勝ち馬で愛ダービー2着のエクスダイレクトリー、モンシニョール、ガダニーニ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで繰り上がって3着となっていたモンコントゥール、パリ大賞の勝ち馬ガリアニなどだった。ピゴット騎手がアレッジドに騎乗したため、本馬にはハント氏が米国から呼び寄せた名手ウィリアム・シューメーカー騎手が騎乗した。本馬は馬群の後方につけ、直線に入ってからスパートをかけた。そして3番手から抜け出していたアレッジドに迫ったのだが、影を踏むことは出来ず、2連覇を達成したアレッジドに2馬身差をつけられて2着に敗れた。
なかなか2つ目のGⅠ競走タイトルに手が届かない本馬は、独国に移動してオイロパ賞(独GⅠ・T2400m)に参戦。必勝を期したはずだが、アデン、エヴリ大賞の勝ち馬ティップモスの2頭の牡馬に屈して、アデンの2馬身半差3着に敗れた。
その僅か13日後には米国アケダクト競馬場に姿を現し、シューメーカー騎手を鞍上に、創設2年目のターフクラシック招待S(T12F)に出走した。しかし、マンノウォーS・ダイアナH・オペラ賞・ロワイヨモン賞などを勝っていた仏国からの移籍馬ワヤ、ボーリンググリーンH・タイダルH・エッジミアHなどの勝ち馬でマンノウォーS2着のティラーの2頭に屈して、ワヤの首差3着と惜敗した。続いてワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)にも参戦したが、ターフクラシック招待Sで屈した相手2頭と、加国際S・レキシントンH・セクレタリアトS・ローレンスリアライゼーションS・ロングブランチS・レオナルドリチャーズSを勝っていたこの年のエクリプス賞最優秀芝馬マックディアーミダに屈して、勝ったマックディアーミダから4馬身半差の4着に敗れた。4歳時の成績は12戦3勝だったが、それでもこの年の仏最優秀古馬牝馬に選出された。
競走生活(5歳前半)
5歳時は前年同様にアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)から始動した。前年の凱旋門賞で本馬から2馬身3/4差の4着に入っていたフレールバジル、伊2000ギニー馬ファトゥサエル、愛2000ギニー2着馬ストロングゲイルなどが出走してきたが、本馬が2着ファトゥサエルに2馬身差をつけて勝利した。続いてガネー賞(仏GⅠ・T2100m)で連覇を狙ったが、前走で本馬から3馬身差の3着だったフレールバジルの1馬身半差2着に敗れて連覇は成らなかった。その後はドラール賞(仏GⅡ・T1950m)に出走。前走ガネー賞で本馬から6馬身差の3着だったコンデ賞の勝ち馬ペヴェロを2馬身半差の2着に破って、この競走は2連覇を果たした。次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、仏2000ギニー・モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウムを勝っていた仏国最強マイラーのアイリッシュリヴァーと対決。しかし勝ったアイリッシュリヴァーから5馬身差をつけられて3位入線。しかも進路妨害で5着に降着となってしまった。
次走のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)では、長らく主戦を務めてきたピゴット騎手からアラン・ルクー騎手に鞍上が交代した。しかし前年の凱旋門賞で8着に終わっていたゲイメセン、ロイヤルロッジS・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬エラマナムーといった面々に全く届かず、勝ったゲイメセンから10馬身半差の7着に敗れた。次走のゴントービロン賞(仏GⅢ・T2000m)では、ダフニ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬で仏1000ギニー・ユジェーヌアダム賞2着のラスティカロに2馬身差をつけられて2着に敗退。フォア賞(仏GⅢ・T2400m)では、3着ゲイメセンには半馬身先着するが、ガネー賞やドラール賞で相手にしなかったペヴェロに足元を掬われて1馬身半差の2着に敗退。そのまま凱旋門賞に向かうのではなく、フォア賞の翌週のプランスドランジュ賞(仏GⅢ・T2000m)に出走。しかしこの年の英ダービーとエクリプスSでいずれも3着だったコートノルマンディ賞の勝ち馬ノーザンベイビーには頭差先着するが、ラスティカロの半馬身差2着に敗退した。
そしてそれから3週間後の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・ベンソン&ヘッジズ金杯とGⅠ競走4勝を含む6連勝中のトロイ、仏1000ギニー・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞・ヴァントー賞の勝ち馬で仏オークス2着のスリートロイカス、前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS勝利後にコロネーションC・ジェフリーフリアSを勝っていたイルドブルボン、仏ダービー・リュパン賞・サンロマン賞・コンデ賞・ギシュ賞の勝ち馬トップヴィル、ロシェット賞・グレフュール賞・オカール賞・ニエル賞の勝ち馬で仏ダービー2着のルマルモ、米国から遠征してきたサンルイレイS2回・ユナイテッドネーションズH2回の勝ち馬ノーブルダンサー、ペヴェロ、ノーザンベイビー、プリンスオブウェールズSの勝ち馬クリムゾンボウ、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬ノーブルセイント、バーデン大賞・ジャンドショードネイ賞の勝ち馬ヴァルーア、フォルス賞・リス賞の勝ち馬でニエル賞2着のファビュラスダンサーなどが対戦相手となった。ここでは、過去4戦で騎乗したルクー騎手からピゴット騎手に鞍上が戻っていた。レースでは馬群の後方につけ、直線に入ってから追い上げてきた。しかし突き抜けるだけの脚は無く、ゴール前でノーザンベイビーを捕らえるのが精一杯で、スリートロイカス、ルマルモ、トロイ、ペヴェロの4頭に届かず、勝ったスリートロイカスから8馬身1/4差の5着に敗れた。
競走生活(5歳後半)
すぐさま大西洋を渡った本馬は、凱旋門賞の僅か14日後に加国のウッドバイン競馬場で行われた加国際S(加GⅠ・T13F)に、シューメーカー騎手を鞍上に参戦した。しかし、エルカミノリアルS・ルイジアナダービー・アーカンソーダービー・セクレタリアトS・ローレンスリアライゼーションSとGⅡ競走を5勝しながらもプリークネスS・ベルモントSで2着、ケンタッキーダービー3着だったゴールデンアクトが悲願のGⅠ競走初勝利を果たし、本馬は首差の2着に惜敗した。
その僅か6日後にはアケダクト競馬場に飛び、この年にGⅠ競走に昇格したターフクラシック招待S(米GⅠ・T12F)に登場。前年の同競走で本馬を破った後にサンタバーバラH・トップフライトH・ベルデイムSとGⅠ競走3勝を挙げていたこの年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬ワヤとの再戦となった。結果は6着ワヤには先着したものの、ゴール前の3頭横一線の接戦に僅かに後れを取り、ガルフストリームパークH・マンノウォーS・パンアメリカンH・ディキシーH・ハイアリアターフC・アーリントンHの勝ち馬ボウルゲームの首差2着に敗れた(本馬から首差の3着はセネカH・ブライトンビーチHの勝ち馬で前走マンノウォーS2着のネイティヴクーリエだった)。
すると今度は米国西海岸のサンタアニタパーク競馬場に飛び、前走から8日後のオークツリー招待S(米GⅠ・T12F)に出走。ここでは、スワップスS・シルヴァースクリーンH・パターソンH・ラトガーズHの勝ち馬バルデス、カールトンFバークHを勝ってきたシルヴァーイーウル、ノーフォークSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のバルザックとの対戦となった。結果はバルザックが勝ち、本馬は1馬身3/4差の2着に敗退した。
その後はすぐに米国東海岸に戻り、前走から6日後のワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)に出走した。加国際CSSから直行してきたゴールデンアクト、いずれもターフクラシックSから直行してきたボウルゲーム、ネイティヴクーリエ、ワヤの3頭、凱旋門賞2着から直行してきたルマルモなどが対戦相手となった。結果はボウルゲームが勝ち、3/4馬身差の2着に敗れた本馬は、僅か22日間でGⅠ競走に4戦出走して全て2着となってしまった。
このワシントンDC国際Sを最後に、5歳時13戦2勝の成績で競走馬を引退。遂にGⅠ競走タイトルは4歳時に勝ったガネー賞のみとなってしまった。この年GⅠ競走未勝利の本馬だったが、勝ち切れないまでもGⅠ競走で好走を続けた事が評価されて、米国の年度表彰エクリプス賞においてこの年から新設された最優秀芝牝馬の初代選出馬となった(前年までは牡牝の区別なく最優秀芝馬というタイトルだった。なお、最優秀芝牡馬の初代選出馬はボウルゲームである)。また、2年連続で仏最優秀古馬牝馬も受賞している。
競走馬としての評価
本馬は競走馬時代にGⅠ競走に17回出走したが、勝ったのは1度のみで2着が10回もあった(3着は1回のみ)。これだけ見ると単なる善戦馬だが、本馬が出走したGⅠ競走のうち牝馬限定戦は2戦のみで、他は全て牡馬との戦いであった事には留意しなければならない。しかも、陣営の本馬に対する酷使ぶりは壮絶(特に5歳後半)で、後に“鉄の女”と評された本馬の娘トリプティクも顔負けの過密日程だったが、それを全て好走した本馬の実力は相当なものである。もし、もっときちんとした使われ方をしていれば、もっと多くのGⅠ競走を勝てたのではないだろうか。
なお、本馬を酷使させた張本人である馬主のハント氏は、この時期に世界中の銀を独占しており、1か月間に推定2~4億ドルの利益を得ていた金の亡者であったが、本馬が競走馬を引退した翌年にシルバーサーズデー(銀の木曜日)と呼ばれる銀の大暴落が起こり、裁判費用その他が嵩んだこともあって、数年後に見事に破産した。なお、本馬の馬名は「百京(“京”は数の単位で、1京は1兆の1万倍)」という意味で、いかにも億万長者だったハント氏らしい命名である。
血統
Hail to Reason | Turn-to | Royal Charger | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Sun Princess | Solario | |||
Mumtaz Begum | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | Craig an Eran | ||
Plucky Liege | ||||
Lavendula | Pharos | |||
Sweet Lavender | ||||
Nothirdchance | Blue Swords | Blue Larkspur | Black Servant | |
Blossom Time | ||||
Flaming Swords | Man o'War | |||
Exalted | ||||
Galla Colors | Sir Gallahad | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Rouge et Noir | St. Germans | |||
Baton Rouge | ||||
Margarethen | Tulyar | Tehran | Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | ||||
Stafaralla | Solario | |||
Mirawala | ||||
Neocracy | Nearco | Pharos | ||
Nogara | ||||
Harina | Blandford | |||
Athasi | ||||
Russ-Marie | Nasrullah | Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Marguery | Sir Gallahad | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Marguerite | Celt | |||
Fairy Ray |
父ヘイルトゥリーズンは当馬の項を参照。
母マーガレッテンは競走馬としては2~6歳時に米国で走り、モデスティH・ビヴァリーH2回・マーゲートH・インディアンメイドHを勝ち、ニューヨークH・メイトロンH・マーゲートHで2着するなど、64戦16勝2着5回3着8回の成績を挙げた。本馬の頑健さは母親譲りであると思われる。本馬の全姉マーグレイビン【カルヴァドス賞(仏GⅢ)】の曾孫に日本で走ったクロカミ【京王杯オータムH(GⅢ)・府中牝馬S(GⅢ)】、マヤノモーリス【東海桜花賞】が、本馬の半姉プリ(父ヴェイグリーノーブル)の孫に本邦輸入種牡馬インイクストリーミス【ギシュ賞(仏GⅢ)・ロンポワン賞(仏GⅢ)】、ジュヴェニア【マルセルブサック賞(仏GⅠ)】、曾孫にブリッシュラック【安田記念(GⅠ)・チャンピオンズマイル(香GⅠ)・香港金杯・香港スチュワーズC】が、本馬の全妹ヘイルマギーの子にサボナ【カリフォルニアンS(米GⅠ)】、孫に日本で走ったカーネギーダイアン【青葉賞(GⅢ)】、曾孫にランドシーア【仏2000ギニー(仏GⅠ)・キーンランドターフマイルS(米GⅠ)】が、本馬の半妹ドフザダービー(父マスターダービー)の子にウエディングブーケ【パークS(愛GⅢ)・モンロヴィアH(米GⅢ)】、ジェネラス【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)】、日本で走ったオースミタイクーン【マイラーズC(GⅡ)・セントウルS(GⅢ)】、イマジン【英オークス(英GⅠ)・愛1000ギニー(愛GⅠ)・パークS(愛GⅢ)】、孫にホレーショネルソン【ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)】、日本で走ったマチカネオーラ【中京記念(GⅢ)】、曾孫にムーンライトクラウド【モーリスドギース賞(仏GⅠ)3回・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】、日本で走っているディーマジェスティ【皐月賞(GⅠ)】がいる。
マーガレッテンの半妹レディマルグリィ(父ティムタム)の子にパルテ【サニースロープS(米GⅢ)】、孫にレースザワイルドウインド【サンタマリアH(米GⅠ)】、曾孫にキングシャルルマーニュ【モーリスドギース賞(仏GⅠ)】、玄孫にアルバータスマキシマス【ドンH(米GⅠ)・BCダートマイル】、デアデヴィル【シャンペンS(米GⅠ)】、ヒアカムズベン【フォアゴーS(米GⅠ)】が、マーガレッテンの半妹ティムマリー(父ティムタム)の子にライフズホープ【ジャージーダービー(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・ネイティヴダイヴァーH(米GⅡ)・イリノイダービー(米GⅢ)】、曾孫にアリトルキス【フライトS(豪GⅠ)・クイーンズランドオークス(豪GⅠ)】、 ロザリンド【アッシュランドS(米GⅠ)】、玄孫世代以降にシェイムカ【クールモアクラシック(豪GⅠ)・TJスミスS(豪GⅠ)・オールエイジドS(豪GⅠ)】、レベルライダー【ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)・サウスオーストラリアンダービー(豪GⅠ)】、エイブルワン【チャンピオンズマイル(香GⅠ)2回・香港マイル(香GⅠ)】などがいる。マーガレッテンの祖母マルグリィは米国三冠馬ギャラントフォックスの11歳年下の全妹。母系は英1000ギニー馬にして根幹繁殖牝馬セントマルゲリートの流れで、本馬の父ヘイルトゥリーズンもこの牝系の出身である。→牝系:F4号族④
母父タルヤーは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、ハント氏が所有する生まれ故郷のブルーグラスファームで繁殖入りした。産駒は4頭おり、全て牝馬である。7歳時に産んだ初子のトレヴィラ(父リファール)は不出走。8歳時に産んだ2番子のトリプティク(父リヴァーマン)は41戦14勝。マルセルブサック賞(仏GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)2回・マッチメイカー国際S(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・ラクープ(仏GⅢ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)に勝利を収め、母が1つしか勝てなかったGⅠ競走を9勝もした(詳細は当馬の項を参照)。9歳時に産んだ3番子のバーガー(父リヴァーマン)は7戦2勝、ヴァントー賞(仏GⅢ)を勝利した。その後はしばらく産駒がおらず、1987年、13歳時に4番子のトリプルクローヌ(父リヴァーマン)を産んだ。しかし本馬はトリプルクローヌを出産した直後に合併症のため他界した。トリプルクローヌは2戦未勝利に終わった。なお、ハント氏が破産申請したのは本馬の死の翌年1988年である。
後世に与えた影響
本馬の牝駒4頭のうち最も競走馬として活躍したトリプティクは初子を産む前の1989年に不慮の事故で他界した。しかし他3頭の牝駒は全て後継繁殖牝馬として成功を収め、本馬の牝系を大きく発展させた。
トレヴィラの子にはトレブル【サンタラリ賞(仏GⅠ)】、孫にはタマリスク【スプリントC(英GⅠ)】、ターキッシュ【ヴァレディクトリーS(加GⅢ)】、曾孫にはトレヴ【凱旋門賞(仏GⅠ)2回・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)2回・サンクルー大賞(仏GⅠ)・コリーダ賞(仏GⅡ)】、ハイカリプソ【パークヒルS(英GⅡ)・リリーラントリーS(英GⅢ)】、日本で走ったトリリオンカット【朝日チャレンジC(GⅢ)】が出ている。
バーガーの子にはバヤ【グロット賞(仏GⅢ)】、ナレイティヴ 【カルロダレッシオ賞(伊GⅡ)・ドバイシティオブゴールド(首GⅢ)】、孫にはバースストーン【オマール賞(仏GⅢ)】、レヴェニュー【リッチモンドS(英GⅡ)】、タウキート【ザメトロポリタン(豪GⅠ)・コーフィールドC(豪GⅠ)】、曾孫には日本で走ったセレン【大井記念・東京記念・京成盃グランドマイラーズ・勝島王冠】、フリオーソ【全日本2歳優駿(GⅠ)・ジャパンダートダービー(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)2回・川崎記念(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)・ダイオライト記念(GⅡ)2回・日本テレビ盃(GⅡ)】、トーセンルーチェ【大井金盃2回・大井記念】、コンプリート【赤松杯】が出ている。
トリプルクローヌの孫にはアモラマ 【デルマーオークス(米GⅠ)・ジョンCメイビーH(米GⅠ)・マイチャーマーH(米GⅢ)】、曾孫にはアンペール【オカール賞(仏GⅡ)】、オデリズ【ジャンロマネ賞(仏GⅠ)・フランツギュンターフォンガートナーゲダシュトニスレネン(独GⅢ)】が出ている。
トレヴを筆頭に、この数年は本馬の牝系出身馬の活躍が目立っており、今や世界的名牝系となりつつある。