イエローゴッド

和名:イエローゴッド

英名:Yellow God

1967年生

栗毛

父:レッドゴッド

母:サリーディーンズ

母父:ファンフェア

日本で3頭のクラシックホースを出し一世を風靡したレッドゴッド直子のスピード型種牡馬

競走成績:2・3歳時に英仏で走り通算成績12戦5勝2着4回3着3回

誕生からデビュー前まで

レッドゴッドが種牡馬生活の後半を過ごした英国ミルフォードスタッドの生産馬で、1歳時のセリでデビッド・ロビンソン氏により5600ギニーで購入され、P・デイビー調教師に預けられた。

競走生活

2歳時にグッドウッド競馬場で行われたニューハムSでデビューして2着。次走のダックスフォードS(T6F)を3馬身差で勝ち上がった。3戦目のジムクラックS(T6F)では単勝オッズ4.5倍の2番人気に推されると、後にジュライS・ミドルパークS・ジュライC・ナンソープSなどを勝って名短距離馬として活躍するハンターコムを2馬身差の2着に従えて逃げ切り勝利。次走のインペリアルプロデュースS(T6F)も、6ポンドのハンデを与えた2着レッドヴェルベットに1馬身差で逃げ切った。しかしミドルパークS(T6F)ではハンターコムに短頭差敗れて2着だった。続くコーンウォリスS(T5F)でも、ハンターコム、後のデュークオブヨークS勝ち馬ザブライアンスタンの2頭に後れを取って、ハンターコムの3/4馬身差3着に敗れてしまい、2歳時の成績は6戦3勝となった。

3歳時は英2000ギニーを目指して、ケンプトンパーク競馬場で行われた2000ギニートライアルS(T7F)から始動。後にムーランドロンシャン賞を勝ちエクリプスSでブリガディアジェラードの1馬身差2着するゴールドロッドを3馬身差の2着に下して快勝し、本番へと駒を進めた。しかし本番の英2000ギニー(T8F)で本馬を待ち受けていたのは後に歴史的名馬となるニジンスキーだった。本馬は先行して粘り込みを図るも、残り2ハロン地点でニジンスキーに捕らえられて2馬身半差の2着に敗れた(3着ロワソレイユにはさらに2馬身半差をつけていたから、同世代にニジンスキーのような怪物がいなければ本馬が勝っていた可能性が高い)。

その血統から短距離馬と考えられていた本馬は英ダービーには元々登録が無く、この後はマイル戦を求めて仏国に渡った。渡仏初戦のパレロワイヤル賞(T1400m)では、4歳馬プリンスドギャルを首差2着に退けて勝利。次走のポルトマイヨ賞(T1600m)では、愛2000ギニーとオブザーヴァー金杯で2着していたグレートヘロンの半馬身差2着だった。ジャックルマロワ賞(T1600m)では、独国調教馬プリアモスの1馬身半差3着と好走した。その後英国に戻ってウィルズマイル(T8F)に出走するも、英1000ギニー・チェヴァリーパークS・コロネーションS・サセックスSを勝っていた同世代の名牝ハンブルデューティーの6馬身差3着に終わり、現役を引退した。好走しているとは言え、マイル戦では結局4戦全敗であり、競走実績だけからすると短距離馬だったようである。

血統

Red God Nasrullah Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Spring Run Menow Pharamond Phalaris
Selene
Alcibiades Supremus
Regal Roman
Boola Brook Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Brookdale Peter Pan
Sweepaway
Sally Deans Fun Fair Fair Trial Fairway Phalaris
Scapa Flow
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
Humoresque Walter Gay Captain Cuttle
William's Pride
Bar Sinister Bachelor's Double
Armorial Ensign
Cora Deans Coronach Hurry On Marcovil
Tout Suite
Wet Kiss Tredennis
Soligena
Jennie Deans Buchan Sunstar
Hamoaze
Eleanor M. Orby
Vain Glory

レッドゴッドは当馬の項を参照。

母サリーディーンズは2勝馬(不出走馬とする資料もある)で、母としては本馬の全兄で、種牡馬としてアベイドロンシャン賞・ナンソープS・キングジョージSなどを制したサンフォードラッドを出した、セントアルフェイジ【2着キングジョージS】なども産んでいる。サリーディーンズの牝系子孫からは、本馬の半姉ガスカ(父ジルドレ)の孫にシャーポ【ジュライC(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・スプリントCS(英GⅡ)3回・テンプルS(英GⅢ)・サンジョルジュ賞(仏GⅢ)】、全姉レドワの曾孫にゴービトウィーン【パシフィッククラシックS(米GⅠ)・ヴァージニアダービー(米GⅡ)・パームビーチS(米GⅢ)・フェイエットS(米GⅢ)】などが出ており、今世紀にも続いている。→牝系:F9号族①

母父ファンフェアはフェアトライアルの直子で、現役成績は17戦6勝、ケンブリッジシャーHの勝ち馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国ハリウッドラススタッドで種牡馬入りした。愛国で3年間種牡馬生活を送った後、日本の伊達秀和氏(アローエクスプレスの馬主で、後にサンシャイン牧場を創設する)が結成したヴィミー会という種牡馬シンジケートにより4億5千万円で購入されて日本に輸入され、1974年から日高軽種馬農協荻伏種馬場で種牡馬供用された。日本に輸入された2年後の1976年に欧州に残してきたネビオロやパンパポールなどの産駒が活躍し、この年の英愛2歳首位種牡馬になっている。翌1977年にはネビオロが英2000ギニーを、パンパポールが愛2000ギニーを制する活躍を見せた。日本でも初年度産駒のファンタストが1978年の皐月賞を勝ち、1981年にはブロケードが桜花賞を、カツトップエースが皐月賞と東京優駿を制し、合計3頭のクラシックホースを出す成功を収めた。これで種牡馬としての名声を高めたはずだが、産駒の出来にはばらつきが大きかったようで、その後の種牡馬成績は今ひとつだった。本馬は1994年に種牡馬を引退したとする資料が殆どだが、1990年に他界したとする資料もあり、晩年の状況ははっきりしない。余談だが、現役時代に何度か対戦したハンターコムも本馬より数年遅れて日本に種牡馬として輸入され、皐月賞馬ダイナコスモスを出すなど活躍しているが、種牡馬としての活躍時期がずれていたため、種牡馬としても競走馬時代同様に直接対決したという雰囲気はなかった。本馬の産駒は仕上がりが早く、持続力あるスピードが武器で、重馬場やダートもこなせるパワーも有していた。母父としてはヤエノムテキ、祖母の父としてはプリモディーネを出した。

日本での代表産駒カツトップエースは韓国に輸出、もう1頭の牡馬の代表産駒ファンタストは現役中に急死と、日本では後継種牡馬を残せなかったが、愛国に残してきたネビオロとパンパポールが父系を繋ぎ、今も欧州に僅かに直系が残っている。ネビオロはスーパーレイティヴ【フライングチルダースS(英GⅡ)】を出し、スーパーレイティヴはコルナド【メルフィンク銀行賞(独GⅠ)】を出した。また、パンパポールはパンパバード【ロンポワン賞(仏GⅢ)】を出し、パンパバードは凱旋門賞馬スボティカを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1973

Heaven Knows

アールオブセフトンS(英GⅢ)

1974

Don

セントジェームズパレスS(英GⅡ)・ロッキンジS(英GⅡ)

1974

Nebbiolo

英2000ギニー(英GⅠ)・ジムクラックS(英GⅡ)

1974

Pampapaul

愛2000ギニー(愛GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅡ)

1975

サクラゴッド

スプリンターズS

1975

ファンタスト

皐月賞・弥生賞

1978

カツトップエース

皐月賞・東京優駿

1978

ブロケード

桜花賞・桜花賞トライアル四歳牝馬特別・牝馬東京タイムズ杯・スプリンターズS

1979

レイクルイーズ

関東盃(大井)・東京盃(大井)

1983

カツダイナミック

中山牝馬S(GⅢ)

1983

ハーディゴッド

新潟記念(GⅢ)

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