オールアロング

和名:オールアロング

英名:All Along

1979年生

鹿毛

父:ターゴワイス

母:アグジッタ

母父:ヴューマノワール

凱旋門賞・ロスマンズ国際S・ターフクラシックS・ワシントンDC国際Sと4連勝して芝専門馬として史上初めてエクリプス賞年度代表馬に選ばれた世界的名牝

競走成績:2~5歳時に仏英日加米で走り通算成績21戦9勝2着4回3着2回

誕生からデビュー前まで

仏国の画商で馬主でもあったダニエル・ウィルデンシュタイン氏によって生産・所有された仏国産馬で、仏国パトリック・ビアンコーヌ調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳11月にアミアン競馬場で行われたドルノイ賞(T1700m)でデビューして、ターベリシマと1着同着ながら初戦で勝ち上がった。2歳時はこの1戦のみで終え、3歳時は2月にサンクルー競馬場で行われたミルスカ賞(T2000m)から始動した。結果は2着ザラテアに4馬身差をつける圧勝だった。次走のペネロープ賞(仏GⅢ・T2100m)でも2着パラダイスに4馬身差をつけて圧勝し、仏国3歳牝馬の中心的存在と目された。

しかし1番人気に推されたサンタラリ賞(仏GⅠ・T2000m)では、ヴァントー賞を勝ってきたハーバーの4馬身差2着と完敗。その2週間後には渡英して英オークス(英GⅠ・T12F)に出走した。しかし、英1000ギニー2着馬タイムチャーター、フレッドダーリンSの勝ち馬スライトリーデンジャラス(ウォーニングコマンダーインチーフ兄弟の母)、ムシドラSの勝ち馬ラストフェザー、アワーシフ(ラムタラの祖母)などに後れを取り、タイムチャーターの5馬身3/4差6着に敗れた。

すぐに帰国した本馬は、英オークスの8日後には仏オークス(仏GⅠ・T2100m)に出たが、ハーバー、ヴァントー賞3着馬アキーダ、ペネロープ賞で本馬の2着に敗れた後にクレオパトル賞を勝っていたパラダイスなどに後れを取り、ハーバーの5馬身3/4差5着に敗れた。

翌7月のモーリスドニュイユ賞(仏GⅡ・T2500m)では、後に日本で種牡馬入りするノーアテンションを半馬身差の2着に抑えて勝利した。次走は2か月後のヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)となった。ここでは本領を発揮し、2着アキーダに1馬身半差、3着となった伊グランクリテリウム・マルレ賞などの勝ち馬グリースにはさらに頭差をつけて優勝した。

続いて凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走。この年の凱旋門賞は、仏ダービー・愛ダービー・ベンソン&ヘッジズ金杯・ジョーマクグラス記念SとGⅠ競走4勝の3歳馬アサートが単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持されていたが、2番人気以下は混戦模様で、ニエル賞を勝ってきたクリテリウムドサンクルー勝ち馬ボンサン、アスコット金杯2回・ロワイヤルオーク賞・ガリニュールS・ヨークシャーC2回・グッドウッドC・ジェフリーフリアS2回などグループ競走13勝の欧州調教馬最多タイ記録を保持していた名長距離馬アルドロス、ハーバー、仏ダービー・ガネー賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞2着のビカラ、アキーダ、前年のヴェルメイユ賞・ターフクラシックSの勝ち馬で凱旋門賞3着のエイプリルラン、ヨークシャーオークスを勝ってきたアワーシフ、ドーヴィル大賞を勝ってきたリアルシャダイ、ノーアテンションなどがひしめき合っていた。本馬は8番人気で、前走で負かしたアキーダ(6番人気)より人気薄だった。結果はアキーダが勝ち、本馬はアキーダから21馬身差の15着と惨敗した。

その後は招待を受けたために来日して第2回ジャパンC(T2400m)に出走した。前年の第1回ジャパンCとは異なり、この年は欧米の有力馬の招待に成功しており、本馬だけでなく、サンルイレイS2回・サンフアンカピストラーノH・ハリウッド招待H2回・オークツリー招待H3回・サンタアニタH2回・ジョッキークラブ金杯と米国GⅠ競走11勝のジョンヘンリー、凱旋門賞4着の後にターフクラシックS・ワシントンDC国際Sをいずれも圧勝してきたエイプリルランも参戦していた。他にも、前年のジャパンCで2着していた加国調教馬フロストキング、新ダービー・ローズヒルギニーを勝っていたオセアニア代表のアイルオブマン、セクレタリアトS・ニッカーボッカーHの勝ち馬ハーフアイスト、翌年のジャパンCを制するスタネーラなどの海外馬が出走していた。対する日本馬は、天皇賞秋で2着してきた朝日チャレンジC勝ち馬ヒカリデユール、マイラーズC・高松宮杯・函館記念の勝ち馬カズシゲ、宝塚記念の勝ち馬カツアール、安田記念・七夕賞・牝馬東京タイムズ杯と重賞3連勝中の牝馬スイートネイティブ、東京四歳S・弥生賞・オールカマーの勝ち馬トドロキヒホウが出走していたが、8大競走勝ち馬は1頭もおらず、前年のジャパンCで日本馬勢が完膚無きまでに叩きのめされた事実も相まって、今年も海外馬による決着と目されていた。実績では断然だったジョンヘンリーが貫禄の1番人気に支持され、エイプリルランが2番人気、本馬は3番人気となった。

レースはカズシゲがマイペースで先頭を走るゆったりした流れとなり、三角でジョンヘンリーが上がっていくと他馬も仕掛けて、典型的な上がりの競馬となった。直線に入ってしばらくしてジョンヘンリーが脱落し、スタネーラが先頭に立ったが、本馬が内側からこれをかわして先頭に立った。そこへ外側からハーフアイストとエイプリルランがやって来て、ゴール前ではこの3頭による接戦となったが、ハーフアイストが勝利を収め、本馬が首差2着、エイプリルランがさらに首差3着だった。3歳時はこれが最後の出走で、この年の成績は9戦4勝だった。

競走生活(4歳初期と中期)

4歳時は6月のラクープ(仏GⅢ・T2400m)から始動したが、ポモーヌ賞を勝っていたザラテアの2馬身3/4差3着に敗退。次走のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)では、ミラノ大賞・ジョンポーターS・エヴリ大賞を勝ってきたダイヤモンドショール、ガネー賞・アルクール賞・エヴリ大賞などの勝ち馬ランカストリアン、ザラテアなどの前に完敗を喫し、ダイヤモンドショールの7馬身3/4差7着と大敗した。

夏場は休養し、秋はフォワ賞(仏GⅢ・T2400m)から始動した。このレースには、前年の英オークスを勝った後にサンチャリオットS・英チャンピオンSを勝ち、さらに前走キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでも牡馬を蹴散らして勝ってきたタイムチャーター、5年前のリュパン賞・仏ダービーの勝ち馬でいったんは種牡馬入りするも受精能力の低さから競走馬に復帰させられていたアカマス(アキーダの半兄)、ゴントービロン賞・クインシー賞の勝ち馬グレートサブステンスなどが出走していた。ビアンコーヌ師は、このレースで本馬に初めて騎乗したフレデリック・ヘッド騎手に対して、序盤は抑え気味に進めて末脚勝負をするように指示した。これは先行策が主体だった今までの本馬のレースぶりとは異なっており、作戦転換を図るものだった。ヘッド騎手は指示どおりにレースを進め、直線で猛然と追い上げた結果、勝ったタイムチャーターに3/4馬身差まで迫る2着と好走した。

凱旋門賞(4歳時)

そして前年に引き続き凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。対戦相手は、タイムチャーター、未勝利の身で挑んだ英オークスを12馬身差で圧勝し、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS3着後にヨークシャーオークス・英セントレジャーを勝っていたサンプリンセス、サンクルー大賞勝利後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで2着して前走バーデン大賞を勝ってきたダイヤモンドショール、サンクルー大賞で2着だったランカストリアン、前年のジャパンC4着後に本格化してジョーマクグラス記念S(現・愛チャンピオンS)・プリンスオブウェールズS・ハードウィックS・ブリガディアジェラードSなどを勝っていたスタネーラ、ヴェルメイユ賞・ノネット賞を勝ってきたサンタラリ賞2着馬シャラヤ、前年の凱旋門賞で3着だったアワーシフ、サンクルー大賞3着後にポモーヌ賞・ドーヴィル大賞を勝っていたザラテア、マイル路線から果敢に参戦してきたジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞・アスタルテ賞の勝ち馬ルースエンシャンティ、ニジンスキーS・テトラークS・愛国際Sの勝ち馬サーモンリープ、ニエル賞を勝ってきたサガス、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬シーマーヒックス、アルクール賞・ジャンドショードネイ賞・ドラール賞の勝ち馬でガネー賞3着のウェルシュターム、独ダービー・ベルリン大賞・アラルポカル・独2000ギニー・ウニオンレネン・デュッセルドルフ大賞・ハンザ賞2回などを勝っていた独国最強馬オロフィノ、プランスドランジュ賞を勝ってきたリュパン賞2着馬ラヴリーダンサー、グレフュール賞の勝ち馬ドンパスキーニ、ロワイヨモン賞の勝ち馬マリードリッツ、ダフニ賞・プランスドランジュ賞・ゴントービロン賞などの勝ち馬でジョーマクグラス記念S3着のジェネラルホーム、ダイオメドSの勝ち馬で英チャンピオンS2着のプリマヴォーチェ、前走9着のアカマスなど25頭だった。

タイムチャーターが牝馬ながら堂々の1番人気に支持され、サンプリンセスが2番人気。以下、ダイヤモンドショール、スタネーラ、シャラヤ、アワーシフ、ザラテア、ルースエンシャンティと続き、主戦となるウォルター・スウィンバーン騎手と初コンビを組んだ本馬は、同馬主同厩馬サガスとのカップリングでようやく単勝オッズ18.3倍の9番人気だった。

レースは出走馬26頭のほとんどが団子状態になって進んだが、本馬は前走同様に抑え気味に進んだ。そのために直線に入るまで実況は本馬の名前を呼ぶ事は無かった。直線ではサンプリンセスが先頭に立って逃げ込みを図り、それをタイムチャーターが追いかけていたが、最内からするすると上がってきた本馬が残り30mでサンプリンセスを差し切り、最後は1馬身差をつけて優勝した。

凱旋門賞を牝馬が勝ったのはこれが5年連続(14回目)だった。ちなみにこの年の凱旋門賞は3着ルースエンシャンティ、4着タイムチャーターも牝馬であり、上位4頭を牝馬が占めるという牝馬のための凱旋門賞だった。

競走生活(4歳後期)

本馬は凱旋門賞勝利の9日後に大西洋を渡り、北米大陸に遠征した。そして凱旋門賞から僅か2週間後にロスマンズ国際S(加GⅠ・T13F)に出走。マンノウォーS・ソードダンサーHなどを勝ってきた前年の同競走勝ち馬マジェスティーズプリンス、ラトガーズH・レッドスミスHの勝ち馬で前年の同競走2着馬サンダーパドルズ、凱旋門賞で22着に終わっていたウェルシュタームなどを抑えて1番人気に支持されると、後方からひとまくりで2着サンダーパドルズに2馬身差で快勝した。

さらに13日後のターフクラシックS(米GⅠ・T12F)では、サンダーパドルズ、前走8着のウェルシュタームに加えて、カリフォルニアンS・サンセットH・サンルイレイS・サンフアンカピストラーノ招待H・ハリウッドパーク招待ターフHとGⅠ競走5勝のエリンズアイルという強敵が出現したが、本馬が2着サンダーパドルズに今度は8馬身3/4差をつけて圧勝した。

さらに2週間後のワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)では、前走3着のエリンズアイル、同4着のウェルシュターム、ロスマンズ国際S3着から直行してきたマジェスティーズプリンスなどが対戦相手となったが、本馬が2着ウェルシュタームに3馬身1/4差で快勝。

凱旋門賞から僅か41日の間に、史上初めてロスマンズ国際S・ターフクラシックS・ワシントンDC国際Sという当時北米で最も権威があった芝競走を3連勝した馬となり、ワシントンDC国際Sの優勝賞金15万ドルに加えて100万ドルのボーナスを手にした。

4歳時の成績は7戦4勝で、この年の仏年度代表馬・最優秀古馬牝馬に加えて、エクリプス賞年度代表馬・最優秀芝牝馬を受賞した。1971年のエクリプス賞創設以来、牝馬が年度代表馬に選出されたのは初めて(エクリプス賞創設以前も含めれば1965年のモカシン以来18年ぶり史上7頭目)であり、選出年に1度もダート競走を走らなかった馬が選出されたのも初めてだった(エクリプス賞創設以前も含めて初めて。芝を主戦場としながら年度代表馬に選ばれた馬は過去にフォートマーシー、ジョンヘンリーの2頭がいたが、いずれも選出年にダート競走にも出走している)。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続けたが、復帰が非常に遅れてしまい、前年より5週間開催が早まった9月のターフクラシックS(米GⅠ・T12F)からの始動となった。ここには、前年のワシントンDC国際S3着後にソードダンサーH・マンノウォーSを勝っていたマジェスティーズプリンス、マンハッタンH・ラトガーズH・タイダルH・バーナードバルークHなどを勝っていたウインなどに加えて、かつてジャパンCで対戦したジョンヘンリーの姿もあった。ジョンヘンリーはジャパンCで13着と惨敗した後に一時期不振に陥っていたが、9歳になったこの年になって復活し、ハリウッド招待H・サンセットH・バドワイザーミリオンなどを勝っていた。本馬はジョンヘンリーに1番人気を譲って2番人気での出走となり、結果もジョンヘンリーの4馬身1/4差4着に終わった。

その僅か15日後には欧州で凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に3年連続参戦。主な対戦相手は、仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬ノーザントリック、愛2000ギニー・エクリプスS・愛チャンピオンS・ベレスフォードS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬サドラーズウェルズ、前年の凱旋門賞11着後にコンセイユドパリ賞・フォワ賞を勝ちガネー賞で2着していたサガス、この年もコロネーションCを勝ちエクリプスS2着と活躍していた前年の4着馬タイムチャーター、この年のコロネーションCで2着していた前年の2着馬サンプリンセス、豪州でローズヒルギニー・AJCダービー・クイーンズランドダービー・コックスプレートなどを勝った後に海外に飛び出して前走バーデン大賞を勝っていたストロベリーロード、愛オークス勝ち馬で愛チャンピオンS3着のプリンセスパティ、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬でデューハーストS・愛ダービー2着のレインボークエスト、ノアイユ賞・ユジェーヌアダム賞・ニエル賞の勝ち馬カリエロール、前年の凱旋門賞7着後にアルクール賞・プランスドランジュ賞を勝っていたラヴリーダンサー、オイロパ賞・ミラノ大賞の勝ち馬エスプリデュノール、ベルリン大賞2連覇のアバリなどだった。ノーザントリックが単勝オッズ3.2倍の1番人気、サガスが単勝オッズ4.5倍の2番人気、カリエロールが単勝オッズ10倍の3番人気、本馬とサドラーズウェルズが並んで単勝オッズ13倍の4番人気となった。ここでも得意の後方待機策を採った本馬だったが、生憎の重馬場で切れ味を殺されてしまい、勝ったサガスから8馬身差、2着ノーザントリックからも6馬身差の3着と、今ひとつの結果だった。

その後は米国にとんぼ返りし、凱旋門賞の2週間後にロスマンズ国際S(加GⅠ・T13F)に出走。ジョンヘンリーの姿はなく、ターフクラシックS3着のマジェスティーズプリンス、凱旋門賞で本馬から3/4馬身差の4着だったエスプリデュノール、ラウンドテーブルH・クラークHなどの勝ち馬ジャックスレードなどが主な対戦相手だった。1番人気に支持された本馬だったが、マジェスティーズプリンスの2馬身1/4差4着に敗れた。なお、この年のワシントンDC国際Sはロスマンズ国際Sの前日に施行されていたために本馬は出走しなかった。

その後はハリウッドパーク競馬場に向かい、この年に創設されたBCターフ(米GⅠ・T12F)に参戦した。高額の追加登録料を嫌ったジョンヘンリー陣営が脚部不安を理由として回避したため、主な対戦相手は、マジェスティーズプリンス、凱旋門賞5着後にワシントンDC国際Sで3着していたストロベリーロード、一昨年のケンタッキーダービーを勝った後は迷走が続き、芝路線に活路を見出してサンルイレイS・オークツリー招待Hで2着していたガトデルソル、 仏グランクリテリウム・グロット賞・プシシェ賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のトレジエム、アーリントンH・ケルソHの勝ち馬フーズフォーディナー、ウィリアムヒルフューチュリティSの勝ち馬で英セントレジャー3着のアルファベイティム、ディキシーH・セネカH・ゴールデンハーヴェストHの勝ち馬パーシャンティアラ、コンセイユドパリ賞を勝ってきたラシュカリなどだった。マジェスティーズプリンスが単勝オッズ2.5倍の1番人気、本馬が単勝オッズ4.2倍の2番人気、ストロベリーロードが単勝オッズ6.2倍の3番人気となった。

スタートが切られるとストロベリーロードが逃げを打ち、本馬はそれを見るように先行集団の中を追走。三角で仕掛けるとストロベリーロードを捕らえて先頭で直線を向き、粘り込みを図ったが、外から追い上げてきた単勝オッズ54.4倍の最低人気馬ラシュカリに差されて首差2着に惜敗した。このレースを最後に、5歳時4戦未勝利の成績で競走馬を引退したが、獲得賞金総額は301万8420ドルに達し、当時の世界賞金女王になっている。

血統

ターゴワイス Round Table Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Knight's Daughter Sir Cosmo The Boss
Ayn Hali
Feola Friar Marcus
Aloe
Matriarch Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Lyceum Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Colosseum Ariel
Arena
Agujita Vieux Manoir Brantome Blandford Swynford
Blanche
Vitamine Clarissimus
Viridiflora
Vieille Maison Finglas Bruleur
Fair Simone
Vieille Canaille Zionist
Ficelle
Argosy Coastal Traffic SWE Hyperion Gainsborough
Selene
Rose of England Teddy
Perce-Neige
Prosodie Prince Rose Rose Prince
Indolence
Protein Manna
Brulette

父ターゴワイスはラウンドテーブル産駒で、現役成績は8戦5勝。デビューからエクリプス賞(仏GⅢ)・トーマブリョン賞(仏GⅢ)など4連勝して仏最優秀2歳馬に選ばれたが、英2000ギニー(英GⅠ)ではモンフィスの10着と大敗。その後は3戦1勝止まりで、3歳限りで競走馬を引退している。種牡馬としては当初仏国で供用されて1980年の仏2歳首位種牡馬になったが、本馬の活躍を待たずに1981年からは日本で種牡馬生活を開始した。日本でも1989年の全日本三歳首位種牡馬になり、天皇賞秋を制したレッツゴーターキンを出すなどそれなりの成績を残したが、本馬ほどの大物産駒を他に出すことは出来ずに1992年に他界した。

母アグジッタは現役成績11戦2勝、ロワイヨモン賞の勝ち馬。アグジッタの4代母ブルレットは英オークス・ジョッキークラブC・カドラン賞・グッドウッドCなどを勝った名牝で、その牝系子孫からはヴェイグリーノーブル【凱旋門賞・オブザーヴァー金杯】やディミニュエンド【英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)】が出ているが、いずれも本馬の近親と言うには遠い。本馬の近親には殆ど活躍馬がおらず、本馬の半姉アバラ(父ボールドリック)の子にアールフランセ【ミュゲ賞(仏GⅢ)】がいる程度である。→牝系:F1号族①

母父ヴューマノワールはブラントームの直子で、パリ大賞勝ちなど5戦3勝の成績を残し、1950年の仏最優秀3歳牡馬に選出されている。種牡馬としても仏ダービー馬ヴァルドロワールを出すなど活躍し、1958年の仏首位種牡馬となった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで繁殖入りした。繁殖牝馬としては、ミルリーフクリスダンシングブレーヴリファールヌレイエフリヴァーマンマニラミスワキウッドマン、アティキャスといった種牡馬達との間に合計13頭の子を産んでいる。その中で最も活躍したのは7歳時に産んだ初子の牡駒アロングオール(父ミルリーフ)【グレフュール賞(仏GⅡ)・シェーヌ賞(仏GⅢ)・2着仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】である。しかしその後の産駒達はあまり活躍せず、16歳時に産んだ8番子の牡駒アルナケ(父ミスワキ)がエドゥヴィル賞(仏GⅢ)で2着、ラロシェト賞(仏GⅢ)で3着したのが目立つ程度で、それ以外の11頭のうち1勝馬が2頭、未勝利馬が7頭、不出走馬が2頭という結果だった。1990年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第68位。2003年に繁殖生活も引退し、その後はスリーチムニーズファームで余生を送った。2005年2月に老衰のため26歳で安楽死の措置が執られ、遺体はスリーチムニーズファームに埋葬された。牝系子孫は現在も残っており、日本で繁殖入りした馬もいるが、これといった馬は登場していない。

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