ウィスクブルーム

和名:ウィスクブルーム

英名:Whisk Broom

1907年生

鹿毛

父:ブルームスティック

母:オーディエンス

母父:サーディクソン

米国産馬ながら当初は英国で走ったが芽が出ず米国に戻った後に開花して史上初のニューヨークハンデ三冠馬になる

競走成績:2~6歳時に英米で走り通算成績26戦10勝2着7回

誕生からデビュー前まで

ブルームスティックの所有者だったサミュエル・スミス・ブラウン大佐がケンタッキー州に設立したセニョリータスタッドファーム(現在はケンタッキーホースパークになっている)で誕生した(生産者はクラレンス・マッカイ氏となっている)。しかしブラウン大佐本人は本馬が誕生する2年前の1905年に63歳で死去しており、彼の息子W・ハリー・ブラウン氏が後を継いでいたが、彼には競馬事業を続ける意思は無く、本馬が1歳時の1908年11月に所有する牧場と馬を全て売ってしまった。

本馬を7250ドルで購入したのは、父ブルームスティックが競走馬を引退した後に種牡馬として購入したハリー・ペイン・ホイットニー氏だった。当時の米国競馬界を取り巻いていた反賭博風潮の影響により、ホイットニー氏は米国で本馬をデビューさせる事が出来ず、英国で開業していた米国出身のアンドリュー・ジャック・ジョイナー調教師(ホイットニー氏に対して本馬の購入を薦めた人物でもある)に預けた。

競走生活(英国時代)

2歳8月にサンダウンパーク競馬場で行われたホリデーS(T5F)でデビューしたが4着に敗退。3週間後のプリンスオブウェールズプレート(T5F)で勝ち上がった。その後は英シャンペンS(T5.5F)に出走して、コヴェントリーS勝ち馬アドミラルホーク、ニューS勝ち馬レンベルグ、ネイルゴウといった同世代の強敵と対戦したが、この3頭全てに屈して、ネイルゴウの4着に敗れた。次走のミドルパークプレート(T6F)ではゴール前で非常に粘り強い走りを見せ、3着アドミラルホークには先着したが、レンベルグの首差2着に惜敗。次走のデューハーストプレート(T7F)でもレンベルグの2着に負けてしまった。2歳時の成績は5戦1勝だったが、同世代の2歳馬ではネイルゴウ、レンベルグに次ぐ第3位の評価を得た。

3歳時は4月のクレイヴンS(T8F)から始動したが、ネイルゴウの2着に敗退。次走の英2000ギニー(T8F)では、目の上のたんこぶとも言えるネイルゴウ、レンベルグの2頭に屈して、レンベルグを鼻差抑えて勝ったネイルゴウから2馬身差の3着に敗れた。その後はレンベルグが勝った英ダービーには出走せず、6月のトライアルS(T7.5F)に出走してここでは勝利。しかし続いて出たハードウィックS(T12F)では、新たに出現した同世代の強敵スウィンフォードの6着に敗退。次走のノウズリーディナーS(T10F)も同世代馬ウィルオニキスの頭差2着に敗れた。その後は秋のセレクトS(T8F)に向かい、このレースを4馬身差で勝利。次走のケンブリッジシャーH(T9F)は前年の同競走勝ち馬クリスマスデイジーの4着に敗れた。3歳時の成績は7戦2勝だった。

4歳時は裏路線を進み、まずは4月のヴィクトリアCH(T7F)に出走したが、キングズスタンドプレートの勝ち馬で後にジュライCを2連覇するスパニッシュプリンス(米国顕彰馬プリンセスドリーンの父)の5着に敗れた。次走のサルフォードボローH(T6F)では、2着グレートサプライズに24ポンドのハンデを与えながらも勝利。続くデュークオブケンブリッジH(T8F)では2着だった。その後はエクリプスS(T10F)に参戦して、スウィンフォードやレンベルグに挑戦。しかしやはりこの2頭には敵わず、スウィンフォードの4着に終わった。秋のペリルオブザピークH(T8F)では2着サンスポットに鼻差で勝利を収め、4歳時の成績は5戦2勝となった。

5歳時はひたすら裏路線を進み、まずはグレートジュビリーH(T10F)に出走して2着。次走のヴィクトリアCH(T7F)では128ポンドを背負って勝利。しかし次走のロイヤルハントC(T7.5F)では132ポンドを課せられて6着に終わった。夏場は休養に充て、秋はスネイルウェルS(T5F)に出走して、138ポンドの斤量を克服して勝利。次走のセレクトS(T8F)では前年のケンブリッジシャーH勝ち馬ロングセットの鼻差2着に入ったが、続いて出たケンブリッジシャーH(T9F)はアダムビードの7着に終わり、5歳時の成績は6戦2勝となった。

競走生活(米国時代)

6歳になった本馬は米国の名伯楽サー・ジェームズ・ロウ調教師の元に転厩し、米国に戻ってきた。この当時の米国には既にウィスクブルームという同名の馬(本馬の父ブルームスティックの半妹)がいたので、本馬はウィスクブルームⅡと呼ばれるようになった。

この当時はニューヨーク州の反賭博法律ハート・アグニュー法により、まだ競馬が厳しく制限されていた時期であり、出走できるレースは限られていた。そのため、ロウ師により鍛えられた本馬の移籍初戦は大競走メトロポリタンH(D8F)となった。このレースには本馬と同父で1歳年下のケンタッキーダービー馬メリディアンも参戦していた。馬券の発売は禁止されていたが、ベルモントパーク競馬場には2万5千人の観衆が詰め掛けており、その多くは仲間内で賭けをしていた。ジョー・ノッター騎手が手綱を取る本馬は先行して直線に先頭で入ると、追い上げてきた2着ジーエムミラー(斤量は本馬より26ポンド軽かった)に1馬身差、3着メリディアンにはさらに半馬身差で快勝した。

続くブルックリンH(D10F)では、斤量が前走より10ポンド重い130ポンドとなったが、直線で少しふらつく場面がありながらも、再びジーエムミラーを1馬身半差の2着に破って勝利した。

次走のサバーバンH(D10F)では139ポンドという斤量が課せられたが、ダート10ハロンを2分フラットという全米レコード(それまでのレコードは本馬の父ブルームスティックが9年前のブライトンHで樹立した2分02秒80)で駆け抜けて、27ポンドのハンデを与えた2着ラホールに半馬身差で勝利。これで史上初のニューヨークハンデ三冠馬の栄誉を獲得した(トムフールが2頭目となったのは1953年で、これから40年を待たなければならなかった)。この139ポンドは現在でもニューヨークハンデ三冠競走史上最重量での優勝となっている。また、この勝ちタイムはフォアゴーが1975年のブルックリンHで1分59秒8をマークするまで62年間コースレコードとして残り続けた素晴らしいものだったが、公式記録とは別に独自計時していた人達の時計が全てそれより遅かった事もあり、この斤量でこのタイムはあり得ないとして、後にフォアゴーがこの記録を破るまで議論の的であり続けた。本馬はサバーバンHの1か月後に脚の故障を起こしたため、そのまま競走馬引退となった。この年は3戦のみだったが、後年になって米年度代表馬・米最優秀ハンデ牡馬に選出されている。

血統

Broomstick Ben Brush Bramble Bonnie Scotland Iago
Queen Mary
Ivy Leaf Australian
Bay Flower
Roseville Reform Leamington
Stolen Kisses
Albia Alarm
Elastic
Elf Galliard Galopin Vedette
Flying Duchess
Mavis Macaroni
Merlette
Sylvabelle Bend Or Doncaster
Rouge Rose
St. Editha Kingley Vale
Lady Alice
Audience Sir Dixon Billet Voltigeur Voltaire
Martha Lynn
Calcutta Flatcatcher
Miss Martin
Jaconet Leamington Faugh-a-Ballagh
Pantaloon Mare
Maggie B B Australian
Madeline
Sallie Mcclelland Hindoo Virgil Vandal
Hymenia
Florence Lexington
Weatherwitch
Red and Blue Alarm Eclipse
Maud
Maggie B B Australian
Madeline

ブルームスティックは当馬の項を参照。

母オーディエンスはケンタッキーオークス・テネシーオークス・プロデュースSを制した活躍馬。

本馬の1歳年下の全妹マティニーの牝系子孫はかなり発展しており、トップフライト【メイトロンS・スピナウェイS・ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・エイコーンS・CCAオークス・アラバマS・レディーズH】、ブルーピーター【サプリングS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・ガーデンステートS】、ヴェネティアンウェイ【ケンタッキーダービー・ワシントンパークフューチュリティ】、大繁殖牝馬フォールアスペン、サイクストン【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・伊2000ギニー(伊GⅠ)・ヴィットーリオディカープア賞(伊GⅠ)2回・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)2回・ローマ賞(伊GⅠ)】、コジーン【BCマイル(米GⅠ)】、ティンバーカントリー【プリークネスS(米GⅠ)・BCジュヴェナイル(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、ドバイミレニアム【ドバイワールドC(首GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)】、日本で走ったテイエムオペラオー【皐月賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)2回・宝塚記念(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、ブルーメンブラット【マイルCS(GⅠ)】、レジネッタ【桜花賞(GⅠ)】、アジアエクスプレス【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】と活躍馬がずらりと並ぶ。

本馬の半妹コーヒーカップ(父ウィッチワン)の曾孫には怒涛の追い込みでファンを魅了したシルキーサリヴァン【サンタアニタダービー】がいる。

オーディエンスの母サリーマクレランドはスピナウェイS・アラバマSの勝ち馬。

オーディエンスの半姉フランシスマクレランド(父バミューダ)の牝系子孫に、クルセイダー【ベルモントS・サバーバンH2回・ジョッキークラブ金杯】、ボールドイーグル【ワシントンDC国際S2回・サバーバンH・メトロポリタンH】、ダミスター(トロットスターの父)、フリントシャー【パリ大賞(仏GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)・ソードダンサーS(米GⅠ)】、日本で走ったボンネビルレコード【帝王賞(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)】、ディアドムス【全日本2歳優駿(GⅠ)】などがいる。

オーディエンスの半姉サラトガベル(父ヘンリーオブナヴァル)の牝系子孫に、シアトルソング【サラマンドル賞(仏GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)】、ツイストアフリート【テストS(米GⅠ)・トップフライトH(米GⅠ)】、アンブライドルズソング【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、日本で走ったラプソデー【菊花賞】などがいる。

オーディエンスの全妹マーサゴーマンの牝系子孫に、ダンキューピッド(シーバードの父)、名種牡馬ディキシーランドバンド、ミスオシアーナ【アーリントンワシントンラッシーS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)】、ライフズマジック【BCディスタフ(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】、セイフリーケプト【BCスプリント(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)】、フラットトップ【BCグランドナショナル(米GⅠ)2回】、ニュークリアディベイト【ナンソープS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、ジョシュアツリー【加国際S(加GⅠ)3回】、ドーンアプローチ【英2000ニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】などがいる。→牝系:F4号族③

母父サーディクソンは本馬の祖母サリーマクレランドの従兄弟に当たり、ベルモントS・トラヴァーズS・ウィザーズSの勝ち馬。ベルモントSでは2頭立てながらも15馬身差で圧勝し、エンペラーオブノーフォークと並んで1888年の米最優秀3歳牡馬に選出されている。種牡馬としてもオーディエンスの他に、アジャイル【ケンタッキーダービー】、ブルース【トラヴァーズS・ジェロームH】、ブルーガール【レディーズH・ガゼルH】、ザバタフライズ【ガゼルH・フューチュリティS】、ランニングウォーター【アラバマS・サラトガC】、キルマーノック【ウィザーズS・シャンペンS】など多くの活躍馬を出し、1901年の北米首位種牡馬となった。サーディクソンの父ビレットはヴォルティジュール産駒で、現役時代こそ18戦5勝と目立たなかったが、種牡馬としては成功し1883年の北米首位種牡馬になっている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州ホイットニーファームで種牡馬入りし、26頭のステークスウイナーを出して成功を収めた。特に有名な産駒はアップセットとジョンピーグリアの2頭で、前者はサンフォードSでマンノウォーに唯一の黒星をつけたことで、後者はドワイヤーSでマンノウォーを苦しめたこと知られている。1928年5月に繋養先のホイットニーファームにおいて21歳で他界した。その遺体は同牧場の墓地に埋葬され、3年後に他界した父ブルームスティックもその隣に埋葬されている。1979年に米国競馬の殿堂入りを果たした。本馬の直系は現在では残っていないが、アップセットやジョンピーグリアなどを経由して後世に血は伝えている。母父としてはシービスケットを出した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1917

John P. Grier

クイーンズカウンティH

1917

Upset

サンフォードS

1919

Nedna

アラバマS

1920

Cresta

デモワゼルS

1920

Goshawk

サラトガスペシャルS

1921

Spic and Span

クラークH

1922

Backbone

ウッドメモリアルS

1924

Whiskery

ケンタッキーダービー

1925

Diavolo

ジョッキークラブ金杯・ディキシーH・サラトガC

1925

Victorian

プリークネスS・ウィザーズS・マンハッタンH

1928

Panasette

スカイラヴィルS

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