和名:キンググローリアス |
英名:King Glorious |
1986年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ニーヴァス |
母:グローリアスナタリー |
母父:リフレクティドグローリー |
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対戦機会は無かったが同世代のサンデーサイレンスやイージーゴアの強敵になり得る潜在能力を有していた本邦輸入種牡馬 |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績9戦8勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
米国ニュージャージー州ヘイローファームの生産馬で、ヘイローファーム他数名の共同名義で競走馬となり、サンフランシスコ在住のジェリー・ホーレンドーファー調教師に預けられた。
競走生活(2歳時)
2歳5月にゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたダート4.5ハロンの未勝利戦でデビューすると、51秒0のコースレコードを樹立して、2着コミカルに7馬身差をつけて圧勝した。翌月にはキンダーガーテンS(D5.5F)に出走して、2着となったロブアンプランダー(この2か月後にGⅢ競走バルボアSを勝っている)に10馬身差をつけて圧勝した。翌月のハリウッドジュヴェナイルCSS(GⅡ・D6F)では、主戦となるクリス・マッキャロン騎手とコンビを組み、後にデルマーフューチィリティで2着する同父のブルーホを4馬身差の2着に破って圧勝した。
その後はしばらくレースに出ず(陣営によると理由は熱発であり、他に調子が悪いところは無かったとのこと)、11月のハリウッドプレビューS(GⅢ・D7F)で復帰して、2着パストエイジズに1馬身3/4差で勝利した。さらに翌月にはハリウッドフューチュリティ(GⅠ・D8F)に出走。デルマーフューチュリティ・ホイストザフラッグSの勝ち馬でBCジュヴェナイル4着のミュージックメルシー、ノーフォークSの勝ち馬ホークスター(後にホーリックスが勝ったジャパンCに参戦した事で日本では知られている)といったGⅠ競走勝ち馬達が対戦相手となった上に、本馬にとって初めて経験する不良馬場となった。しかし関係なく、2着ミュージックメルシーに2馬身3/4差をつけて勝利した。
2歳時は5戦全勝の大活躍で、2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)ではエクリプス賞最優秀2歳牡馬イージーゴアの126ポンドに次ぐ125ポンドの評価を受けた。また、同年のカリフォルニア州年度代表馬にも選出された。2歳馬が同タイトルを受賞したのは、1985年のスノーチーフ以来3年ぶり史上4頭目だった。
競走生活(3歳時)
この時点では翌年のケンタッキーダービーの有力候補の1頭だったが、3歳初戦に予定していた1月のエルカミノリアルダービーを回避した直後に、陣営は早々とケンタッキーダービー回避を表明した。直接の理由は右膝の剥離骨折だったが、ハリウッドフューチュリティのゴール前で脚が上がってしまっており、それより長い距離ではおそらく脚が保たないだろうとする意見が多く、陣営も同様の判断を下したようである。
結局ケンタッキーダービーの1週間前に地元ゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたピードモントS(D6F)に出走。ここでは2着ダマスキムに21馬身差をつけるという衝撃の圧勝劇を演じてみせた。
しかし次走のゴールドラッシュS(D9F)では、アヴェンジングフォ−スの1馬身1/4差2着に敗れて初黒星を喫してしまった。マッキャロン騎手がハイペースと見て仕掛けを遅らせたところ、予想外に前が止まらなかったのが敗因だという。
しかし次走のオハイオダービー(GⅡ・D9F)では、後のドワイヤーS勝ち馬ロイダンチヒを4馬身差の2着に破って楽勝。さらに123ポンドのトップハンデながら単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持されたハスケル招待H(GⅠ・D9F)も先行抜け出しの競馬で、3ポンドのハンデを与えたミュージックメルシーを3馬身差の2着に、6ポンドのハンデを与えたフォアランナーS2着馬シャイトムを3着に破って勝利した。しかしラスト1ハロンの走破タイムが13秒8と、ゴール前ではかなり失速しており、この内容では米国三冠競走で激戦を繰り広げたサンデーサイレンスやイージーゴアには敵わないだろうとする意見が多かった。
次走はトラヴァーズSが予定されていた(本馬がデビュー以来常用していたラシックスが禁止されているニューヨーク州におけるレースだったが、陣営は問題ないと主張していた)が、結局故障のため回避し、そのまま3歳時4戦3勝の成績で引退となった。トラヴァーズSを制したイージーゴアとサンデーサイレンスの2頭とは未対戦のまま終わってしまった。それでもこの年の米国3歳馬の中では3~4番手の高い評価を受けている。8~8.5ハロン程度の距離でサンデーサイレンスやイージーゴアと対戦していたら、果たしてどうなっていただろうか。
血統
Naevus | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer | Polynesian |
Geisha | ||||
Raise You | Case Ace | |||
Lady Glory | ||||
Gold Digger | Nashua | Nasrullah | ||
Segula | ||||
Sequence | Count Fleet | |||
Miss Dogwood | ||||
Mudville | ボールドラッド | Bold Ruler | Nasrullah | |
Miss Disco | ||||
Misty Morn | Princequillo | |||
Grey Flight | ||||
Batter Up | Tom Fool | Menow | ||
Gaga | ||||
Striking | War Admiral | |||
Baby League | ||||
Glorious Natalie | Reflected Glory | Jester | Tom Fool | Menow |
Gaga | ||||
Golden Apple | Eight Thirty | |||
Thorn Apple | ||||
Lysistrata | Palestinian | Sun Again | ||
Dolly Whisk | ||||
Jaconda | Belfonds | |||
Jacola | ||||
Blue Eyed Blonde | The Pie King | The Solicitor | Fair Trial | |
Caprifolia | ||||
Whirling Dun | Diligence | |||
Yellow Dun | ||||
Blue-Eyed Barbie | Turk's Delight | Alibhai | ||
Blue Delight | ||||
Smart Barbara | Lodge Night | |||
Wiseasyou |
父ニーヴァスはミスタープロスペクターの直子で、現役成績は8戦2勝。サンヴィンセントS(米GⅡ)で1位入線するも2着に降着になった他、サンタアニタダービー(米GⅠ)で3着しているが、結局ステークス競走の勝ちは無かった。当初はカリフォルニア州で種牡馬入りしていたが、後にテキサス州に移動している。種牡馬としては本馬以外にこれといった活躍馬は出せないまま2005年に25歳で他界している。
母グローリアスナタリーは不出走馬。日本に繁殖牝馬として輸入された本馬の半妹ファデッタ(父ファピアノ)も産んでいるが、それほど牝系子孫は発展しておらず、ファデッタの孫に公営金沢競馬の重賞スプリングCを勝利したヒカルベガがいるくらいである。牝系にもあまり活躍馬はおらず、グローリアスナタリーの曾祖母スマートバーバラがサンタマリアHを勝っているのと、スマートバーバラの曾祖母ウィッチェリーの半姉に1924年の米最優秀2歳牝馬マザーグース【ベルモントフューチュリティS】、半弟に米国三冠馬ギャラントフォックスの好敵手として知られる1929年の米最優秀2歳牡馬ウィッチワン【サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ウィザーズS・ホイットニーS】がいるくらいである。マザーグースは大種牡馬ノーザンダンサーの4代母であるが、ここまで離れると近親とは言えない。→牝系:F2号族①
母父リフレクティドグローリーは現役成績28戦8勝。3歳時にフロリダ州ハイアリアパーク競馬場で行われたバハマズS・エヴァーグレイズS・フラミンゴSの3つのステークス競走を連勝して期待されたが、米国三冠競走には故障のため出走できず、復帰後も3歳始めの勢いを取り戻すことなく引退した。種牡馬としてはプリークネスSの勝ち馬スノーチーフなどを出した。リフレクティドグローリーの父ジェスターはトムフールの直子で、現役成績18戦5勝。主に2歳戦で活躍し、ベルモントフューチュリティS・ナショナルスタリオンSに勝っている。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、3歳11月に日本中央競馬会によって購入され、日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬入りした。初年度の1990年は51頭、2年目は66頭、3年目は64頭、4年目の1993年は68頭の繁殖牝馬を集めた。この1993年にデビューした初年度産駒の出来が良く、ナムラコクオーなどが活躍して、同年の新種牡馬ランキングで1位になったばかりでなく、新種牡馬としては1983年のダンサーズイメージ以来10年ぶりに全日本2歳首位種牡馬も獲得した。そのために人気種牡馬の地位を確立し、5年目は71頭、6年目は82頭、7年目は80頭、8年目は94頭、マックスキャンドゥが牝馬クラシック戦線で活躍した9年目の1998年は自身最高となる97頭の交配数となった。10年目は96頭、11年目は94頭、12年目は85頭、13年目は88頭、14年目の2003年は62頭の繁殖牝馬を集めた。しかしさすがにこの頃から種牡馬人気に陰りが見え始め、15年目の2004年は20頭まで交配数が減少した。16年目は41頭まで回復したが、17年目は19頭、18年目は23頭、19年目は13頭、20年目は5頭、21年目の2010年は7頭まで交配数が減少。この年限りで高齢のため種牡馬を引退して、その後も引き続き静内種馬場で余生を送っている。
本馬は受精率が晩年になってもあまり下がらなかった馬で、20歳時の2006年から2010年までの5年間でも受精率66%だった。21年間の種牡馬生活通算における受精率は76%(ちなみにノーザンテーストの24年間の種牡馬生活通算における受精率は65%)であり、この受精率の良さも本馬の種牡馬人気に貢献したと言える。
産駒に超大物はいないが、仕上がり早く、古馬になっても能力を維持できる馬主孝行タイプが多い。芝も走るがどちらかと言うとダート向きであり、中央競馬における芝限定ランキングよりダート限定ランキングのほうが概ね上位だった(前者は1998年の24位が最高なのに対して、後者は1995年の3位を筆頭に10位以内が計5回、20位以内が計11回)し、中央競馬種牡馬ランキングよりも地方競馬種牡馬ランキングのほうが概ね上位だった(前者は1998年の14位が最高で、後者は2001年の9位が最高。全日本種牡馬ランキングでは1998年の13位が最高だった)。
ナムラコクオーやマックスキャンドゥが人気を背負った東京優駿や優駿牝馬で今ひとつだったため、やはり距離の限界があると評されたが、マックスキャンドゥが9着に敗れた優駿牝馬の翌週に行われた東京優駿でボールドエンペラーが大激走して2着に入ったり、ワンダースピードが名古屋グランプリや東海Sといったダートの長距離重賞で活躍したりしたため、母系次第で距離延長可能との評価も得ている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1991 |
スリーコース |
新春ジュニア(名古屋)・東海クイーンC(名古屋) |
1991 |
セタノキング |
さきたま杯(GⅢ)・さくらんぼ記念(GⅢ)・山形記念樹氷賞(上山)2回・酒田まつり賞(上山)2回・花笠まつり賞(上山)・ラフランス賞(上山) |
1991 |
ナムラコクオー |
NHK杯(GⅡ)・ラジオたんぱ杯三歳S(GⅢ)・シンザン記念(GⅢ)・プロキオンS(GⅢ)・黒潮スプリンターズC(高知)・建依別賞(高知) |
1992 |
トカチローリー |
サラブレッド系三歳優駿(荒尾)・荒尾ダービー(荒尾)・肥後菊賞(荒尾) |
1993 |
グランドレーシング |
こまくさ賞(上山) |
1994 |
エイシンアーバン |
黒潮乙女賞(高知) |
1994 |
カシノジョオー |
ジュニアチャンピオン(佐賀) |
1995 |
ボールドエンペラー |
デイリー杯三歳S(GⅡ) |
1995 |
マックスキャンドゥ |
桜花賞トライアル四歳牝馬特別(GⅡ)・オークストライアル四歳牝馬特別(GⅡ) |
1996 |
キングデール |
サラブレッドチャレンジC(GⅢ) |
1996 |
コンコルド |
ライデンリーダー記念(SPⅠ) |
1997 |
オグリマイケル |
笠松オールカマー(笠松) |
1997 |
セクシーディナー |
ロジータ記念(南関GⅡ)・ファーストレディー賞(南関GⅢ) |
1999 |
キングセイバー |
東京ダービー(南関GⅠ)・クラウンC(南関GⅢ) |
1999 |
グローリアスイモン |
端午賞(北関GⅡ) |
2000 |
チアズファルコン |
ペガサスC(SPⅠ)・駿蹄賞(SPⅠ)・スプリングC(SPⅡ) |
2001 |
ジャガーローズ |
東海クイーンC(SPⅡ) |
2002 |
コスモスパーブ |
尾張名古屋杯(SPⅡ) |
2002 |
ワンダースピード |
名古屋グランプリ(GⅡ)・東海S(GⅡ)・名古屋グランプリ(GⅡ)・アンタレスS(GⅢ)・平安S(GⅢ) |
2003 |
コンテ |
道営記念(H1)・瑞穂賞(H2) |