ウイニングカラーズ

和名:ウイニングカラーズ

英名:Winning Colors

1985年生

芦毛

父:カロ

母:オールレインボーズ

母父:ボールドアワー

ケンタッキーダービーで史上3頭目の牝馬制覇を果たしBCディスタフでは無敗のパーソナルエンスンを脅かした芦毛の快速逃げ馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績19戦8勝2着3回3着1回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州においてエコーヴァレーファームにより生産された。米国の実業家で馬主でもあったユージン・ヴィクター・クライン氏の専属調教師も務めていた米国屈指の名伯楽ダレル・ウェイン・ルーカス師は、1歳7月のキーンランドセールに出品された本馬の好馬体を見て惚れ込み、57万5千ドルで落札した。

クライン氏の所有馬として、ルーカス師の調教を受けた本馬だが、かなり激しい気性の持ち主で、さすがのルーカス師もてこずったという。周囲に他馬がいると気が散るため、調教場に本馬を連れ出すのは必ず他馬に先んじて最初に行われたという。調教でも予定されていた以上に走ろうとするため、ルーカス師は本馬が走るのを無理矢理止めさせる必要があった。本馬がデビューしたのはルーカス師の地元である米国西海岸カリフォルニア州ではなく、米国東海岸ニューヨーク州だった。

競走生活(3歳初期まで)

2歳8月にサラトガ競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦でランディ・ロメロ騎手を鞍上にデビューし、2着エピトム(後にBCジュヴェナイルフィリーズを勝ちエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選出される)に2馬身半差をつけて勝ち上がった。

その後はしばらくレースに出ず、カリフォルニア州に戻って12月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走。主戦となるゲイリー・スティーヴンス騎手を鞍上に、2着フローラルマジック(ナリタトップロードの母)に3馬身半差で勝利を収め、2歳時の成績を2戦2勝とした。

3歳時は1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたラセンティネラS(D8F)から始動して、2着リトルパスワードに6馬身半差をつけて圧勝。次走のラスヴァージネスS(GⅠ・D8F)では、デモワゼルS・ハリウッドスターレットSと既にGⅠ競走2勝を挙げていたグッバイヘイローという強敵との対戦となり、ここではグッバイヘイローの首差2着に敗れた。

しかしサンタアニタオークス(GⅠ・D8.5F)では、2着となったBCジュヴェナイルフィリーズ2着馬ジャンヌジョーンズに8馬身差をつけて圧勝し、グッバイヘイローを3着に破った。

次走は牡馬相手のサンタアニタダービー(GⅠ・D9F)となった。アーリントンワシントンフューチュリティ・カウディンS・ハリウッドフューチュリティ・サプリングS勝ち馬でBCジュヴェナイル3着のテハノ、サンフェリペS・ハリウッドジュヴェナイルCSS・サンヴィンセントSの勝ち馬ミプレフェリード、サンラファエルS勝ち馬ワットアディプロマット、バルボアS・ホイストザフラッグSの勝ち馬でノーフォークS・ハリウッドフューチュリティ・サンフェリペSと3度のGⅠ競走2着があったパーデューキングなどが対戦相手となったが、前走の勝ち方が評価されたのか本馬が1番人気に支持された。結果は本馬が2着ライブリーワンに7馬身半差をつける圧勝を収め、1959年のシルヴァースプーン以来29年ぶり史上3頭目の同競走牝馬制覇を成し遂げた。

ケンタッキーダービー

競馬関係者から「アマゾン」と評されるほどの勝ち方を目の当たりにしたルーカス師は、本馬をケンタッキーダービーに向かわせることを決定した。チャーチルダウンズ競馬場に到着した本馬だが、激しい気性が邪魔をしてなかなか落ち着かなかったため、ルーカス師は当時厩舎の調教助手だったダラス・スチュワート氏に命じて、本馬を本番前日まで10日間毎日運動させた。この運動の間にスチュワート氏は上手く本馬を落ち着かせる事に成功した。

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、ウッドメモリアル招待S・ゴーサムSなど7戦無敗のプライヴェートタームズ、ベルモントフューチュリティS・シャンペンS・サンフォードS・ブリーダーズフューチュリティ・ファウンテンオブユースSなどを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬フォーティナイナー、前走レキシントンSでフォーティナイナーを破ってきた8戦6勝2着2回のリズンスター、フロリダダービー勝ち馬ブライアンズタイム、ウッドメモリアル招待Sでプライヴェートタームズの2着していたスウェイルS勝ち馬シーキングザゴールド、ジムビームS勝ち馬でダービートライアルS2着のキングポスト、ブルーグラスSを勝ってきたグラナカス、タンパベイダービー勝ち馬でフラミンゴS3着のセフィス、アーカンソーダービーを勝ってきたプロパーリアリティ、ライブリーワン、前走7着のパーデューキング、サマーS・グレイSを勝ちBCジュヴェナイルで2着してソヴリン賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたリーガルクラシック、ダービートライアルSを勝ってきたアーリントンワシントンフューチュリティ2着馬ジムズオービット、レベルS2着馬ディンズダンサー、ブルーグラスS2着馬インテンシヴコマンド、アーカンソーダービー3着馬シートレックと計16頭の牡馬及び騙馬が対戦相手となった。その中で本馬はプライヴェートタームズと並んで単勝オッズ4.4倍の1番人気に支持された。

スタートすると即座に先頭を奪った本馬は、当初競りかけるように見えたフォーティナイナーが2番手に控えたために、最初の2ハロン通過が23秒、半マイル通過が46秒8とやや速いペースながらも単騎の逃げに持ち込むことに成功。そのまま16頭の牡馬及び騙馬勢を従えて先頭をひた走った。三角から四角にかけて後続勢が速度を上げてくると、本馬も速度を上げて後続との差を保ったまま直線を向いた。ゴール前ではフォーティナイナーが猛然と追ってきたが、首差凌いで勝利を収め、1915年のリグレット、1980年のジェニュインリスクに続く史上3頭目の牝馬のケンタッキーダービー馬となった。なお、本馬以降にケンタッキーダービーを牝馬が優勝した例は2015年時点では皆無である。また、ルーカス師とスティーヴンス騎手にとってはケンタッキーダービー初勝利となった(ルーカス師はこの後3勝、スティーヴンス騎手もこの後2勝している)。

競走生活(3歳後半)

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、フォーティナイナー、前走3着のリズンスター、同5着のリーガルクラシック、同6着のブライアンズタイム、同7着のプライヴェートタームズ、同8着のセフィスなど、ケンタッキーダービーで本馬の前に膝を屈した牡馬勢が雪辱を期して参戦してきたが、本馬が堂々の1番人気に支持された。

レースでは本馬の隣内枠発走だった2番人気フォーティナイナー鞍上のパット・デイ騎手が手綱をしごいて無理矢理先頭を奪ったため、本馬は仕方なく並ぶように2番手を追走した。人気の2頭が先頭を争っているため、リズンスターを始めとする後続馬勢も置いていかれないように追いかけてきた。半マイルの通過は47秒で前走ケンタッキーダービーと同程度だったが、前走と異なり馬場状態があまり良くなかった事を考慮すると、前走以上のハイペースとなった。三角から四角にかけてリズンスターが内側から前の2頭をかわしにかかり、リズンスターが先頭、本馬とフォーティナイナーが2番手で直線を向いた。フォーティナイナーはあっという間に失速したが、本馬は懸命に前を行くリズンスターに食い下がった。しかし直線半ばでブライアンズタイムに差され、勝ったリズンスターから2馬身半差の3着に敗れた。しかし本馬と先頭を争ったフォーティナイナーは7着に沈んでおり、負けてなお強いと思わせるという内容であった。

続くベルモントS(GⅠ・D12F)にも参戦したが、リズンスターとブライアンズタイムの2頭に1番人気を奪われて3番人気に転落。好スタートから果敢に先頭に立って逃げる本馬。フォーティナイナーが不在だったため当初は単騎逃げに持ち込んでいたが、向こう正面で早々にリズンスターが並びかけてきて、三角手前では2番手に後退。この時点で既に手応えが怪しくなった本馬は、直線に入る前から次々と他馬に抜かれていき、圧勝したリズンスターから42馬身も離された6着最下位に敗れた。

三冠競走の激闘による疲労を癒すために夏場は休養に充て、秋はベルモントパーク競馬場で行われたマスケットS(GⅠ・D8F)から始動した。牝馬限定戦ではあったが、このレースにはフリゼットS・ベルデイムS・シュヴィーH・ヘンプステッドH・ホイットニーHなど10戦無敗の4歳馬パーソナルエンスンという強敵が出走していた。パーソナルエンスンは前走ホイットニーHでGⅠ競走6勝の名馬ガルチを撃破しており、やはり牡馬に負けない実力の持ち主だった。レースでは本馬が先頭を飛ばし、最後方のパーソナルエンスンとの差は一時期10馬身程度まで開いた。しかし向こう正面でパーソナルエンスンが仕掛けると瞬く間に本馬との差が縮まり、直線入り口で並びかけられた。ここから本馬もよく粘ったが、最後は3/4馬身差で屈して2着に敗れた。

次走のスピンスターH(GⅠ・D9F)には、ベルデイムSに向かったパーソナルエンスンは不在であり、本馬が負ける要素はあまり無かったはずなのだが、ヘイルアキャブの4着に敗れた。

次走はチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCディスタフ(GⅠ・D9F)となった。対戦相手は、ベルデイムSを勝って通算成績を12戦無敗としていたパーソナルエンスン、サンタアニタオークスで本馬に敗れた後は牝馬路線に進みケンタッキーオークス・マザーグースS・CCAオークスを勝っていたグッバイヘイロー、フリゼットS・ガゼルHの勝ち馬でラフィアンH・ベルデイムS2着のクラシッククラウン、本馬が2着に敗れたマスケットSの3着馬でラフィアンHを勝ってきたシャムセイ、ヘイルアキャブ、前走スピンスターHで2着していたアッシュランドS勝ち馬ウィラオンザムーヴ、3歳時は順調さを欠いていたエピトムなどだった。パーソナルエンスンが単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、本馬が同厩馬クラシッククラウンとのカップリングで単勝オッズ5倍の2番人気、グッバイヘイローが単勝オッズ6.5倍の3番人気となった。

スタートしてすぐに先頭に立った本馬は、水溜りができるような不良馬場の中を快調に単騎で逃げた。グッバイヘイローを始めとする後続馬勢が三角から四角にかけて迫ってきたが、本馬も速度を上げて後続との差を保ったまま直線を向いた。直線でグッバイヘイローの追撃を必死に凌いでいた本馬だが、グッバイヘイローの外側からやって来たパーソナルエンスンにゴール寸前で差されて鼻差2着に敗れた(グッバイヘイローは本馬から半馬身差の3着で、4着シャムセイはさらに5馬身後方だった)。このレースは歴史的名勝負として名高く、ルーカス師も本馬は過去の経歴の中で最高のレースをしたと評価している。

3歳時の成績は10戦4勝で、シーズン後半は勝ち星が無かった本馬だが、ケンタッキーダービー優勝が評価されて、グッバイヘイローを抑えてエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選出された。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続けた本馬だが、この年は負傷や喉鳴りなどのアクシデントが相次ぎ、全体的に万全の状態で出走する事は出来なかった。まずは4月にハリウッドパーク競馬場で行われたアグリームH(GⅢ・D7F)から始動したが、ダロマの4馬身半差4着に敗退。ベルモントパーク競馬場に場所を移して出走したシュヴィーH(GⅠ・D8.5F)では、勝ったバンカーズレディから22馬身差の7着最下位に沈んだ。

その後、喉鳴りを改善するための手術を受けるために3か月間の休養を経て、8月末にサラトガ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走。さすがにここでは格が違い、2着ロイヤルレクソンに4馬身1/4差で勝利を収め、ケンタッキーダービー以来の勝ち星を挙げた。次走のマスケットS(GⅠ・D8F)では復活が期待されて1番人気に推されたが、チリでGⅠ競走2勝を挙げた後に米国に移籍してサンタモニカH・サンタマリアHを勝っていたミスブリオ、バレリーナSを勝ってきたプロパーエヴィデンス、同世代のエイコーンS勝ち馬アプトスターの3頭に屈して、ミスブリオの9馬身半差4着と完敗。

次走のターフウェイBCS(D8.5F)では、1歳年上のエイコーンS・ブラックアイドスーザンS勝ち馬グリーシャンフライトを2馬身差の2着に抑えて勝利した。しかし次走のアケダクトBCH(D8F)では単勝オッズ1.6倍の1番人気に応えられず、ワコンダの8馬身1/4差4着に大敗した。

それでも前年同様にチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCディスタフ(GⅠ・D9F)には出走した。サンタマルガリータ招待H・アップルブロッサムH・ミレイディH・ヴァニティH・ラフィアンH・スピンスターSとこの年だけでGⅠ競走を6勝していた亜国からの移籍馬バヤコア(単勝オッズ1.7倍)、アッシュランドS・ハリウッドオークスの勝ち馬ゴージャス(単勝オッズ5倍)に次ぐ単勝オッズ6.2倍の3番人気(グッバイヘイローが単勝オッズ9.2倍の4番人気)ではあったが、この年のケンタッキーオークスとニューヨーク牝馬三冠競走を全て制していたオープンマインドとのカップリングであり、オープンマインドと同馬主同厩でなかったらおそらく人気はもっと下だったと思われる。スタートから先頭に立って逃げたが、向こう正面でバヤコアにかわされると、もはや抵抗する力は無く、そのままずるずると後退していき、勝ったバヤコアから24馬身差の9着と惨敗。このレースを最後に4歳時7戦2勝の成績で現役引退となった。

血統

Caro フォルティノ Grey Sovereign Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Kong Baytown
Clang
Ranavalo Relic War Relic
Bridal Colors
Navarra Orsenigo
Nervesa
Chambord Chamossaire Precipitation Hurry On
Double Life
Snowberry Cameronian
Myrobella
Life Hill Solario Gainsborough
Sun Worship
Lady of the Snows Manna
Arctic Night
All Rainbows Bold Hour Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Seven Thirty Mr. Music Balladier
Mata Hari
Time to Dine Jamestown
Dinner Time
Miss Carmie T. V. Lark Indian Hemp Nasrullah
Sabzy
Miss Larksfly Heelfly
Larksnest
Twice Over Ponder Pensive
Miss Rushin
Twosy Bull Lea
Two Bob

カロは当馬の項を参照。

母オールレインボーズは現役成績17戦7勝、マドモアゼルS・ポックエッシングH・ビーセンタニアルページェントSを勝ち、デラウェアオークス(米GⅠ)で3着している。本馬の半姉オールダンス(父ノーザンダンサー)の子には、お馴染みタップダンスシチー【ジャパンC(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・金鯱賞(GⅡ)3回・京都大賞典(GⅡ)・朝日チャレンジC(GⅢ)】がいる。オールレインボーズの半姉には1974年のニューヨーク牝馬三冠馬クリスエヴァート(父スウォーンズサン)【エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・ゴールデンロッドS(米GⅢ)・デモワゼルS(米GⅢ)】がいる。クリスエヴァートの孫にはチーフズクラウン【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ホープフルS(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・マールボロカップ招待H(米GⅠ)】とクラシッククラウン【フリゼットS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)】の兄妹、曾孫にはテーツクリーク【ゲイムリーS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】とサイトシーク【ベルデイムS(米GⅠ)2回・ヒューマナディスタフH(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)2回・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】の姉妹とエトワールモンタント【フォレ賞(仏GⅠ)】、玄孫にはスペシャルデューティ【英1000ギニー(英GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)】がいる。また、オールレインボーズの半姉カーミライズの曾孫には、これまたお馴染みのディープスカイ【東京優駿(GⅠ)・NHKマイルC(GⅠ)】が、半妹バーバラシューアジン(父ドロールロール)の子にはパリスト【イリノイダービー(米GⅢ)】が、半妹ソーシャルコラム(父ヴェイグリーノーブル)の子にはツータイミング【プリンスオブウェールズS(英GⅡ)】が、半妹チャーミーカーミー(父リファール)の子には日本で走ったエイシンナポレオン【サマーC(SPⅡ)】が、半妹アンスチュアート(父リファール)の子にはベイトン【キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)】、曾孫にはエクセレントアート【セントジェームズパレスS(英GⅠ)】が、半妹ミスドザウェッディング(父ブラッシンググルーム)の子にはミスドザストーム【テストS(米GⅠ)・アスタリタS(米GⅡ)】とグリーンミーンズゴー【ヒルプリンスS(米GⅢ)・レキシントンS(米GⅢ)】が、半妹ウィスパーフーデアズ(父グリーンダンサー)の子にはコンフェッショナル【フリゼットS(米GⅠ)】がいるなど、近親には活躍馬が多数いる。

そのためか、オールレインボーズの娘や孫は繁殖牝馬として日本に輸入される事が多く(タップダンスシチーは外国産馬であり、オールダンスは輸入されていない)、例えば本馬の半姉レイズレイン(父レイズアネイティヴ)の牝系子孫からはアプローズフラワー【東北サラブレッド3歳チャンピオン(水沢)・南部駒賞(盛岡)】、アテスト【若駒賞(盛岡)】、アスペクト【若駒賞(盛岡)・知床賞(盛岡)・南部駒賞(水沢)・岩手ダービーダイヤモンドカップ(盛岡)】などが出ている。本馬の半妹ミニファー(父ヌレイエフ)の孫にはインディアンメイデン【モートリー賞(仏GⅢ)】もいる。→牝系:F23号族②

母父ボールドアワーはボールドルーラー直子で、現役成績は31戦11勝、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラナクH・ディスカヴァリーH・グレイラグH・エイモリーLハスケルHの勝ち馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、BCディスタフ直後に行われたキーンランド11月セールにおいて、ゲインズウェイファームにより410万ドルで購入され、同牧場で繁殖入りした。繁殖牝馬としては10頭の子を産んだ。そのうち一番活躍したのは外国産馬として日本で走ったゴールデンカラーズ(父ミスタープロスペクター)で、オープン特別フローラSを勝ち、クイーンC(GⅢ)で2着している。なお、ゴールデンカラーズは母としてキーンランドC(GⅢ)勝ち馬チアフルスマイルを産んでいる。ダンジグカラーズ(父ダンチヒ)も日本で競走馬として走ったが、条件馬止まりだった。また、ミンデンローズ(父ミスタープロスペクター)も繁殖牝馬として日本に輸入されているが、特筆できる産駒は出していない。このように、本馬は繁殖牝馬としてはライバルのパーソナルエンスン、グッバイヘイローほど成功することは出来なかった。2000年に米国競馬の殿堂入りを果たした。2008年2月に疝痛による合併症のため23歳で他界し、遺体はゲインズウェイファームの一部であるグリーンツリーファームに埋葬された。

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