トロイ

和名:トロイ

英名:Troy

1976年生

鹿毛

父:ペティンゴ

母:ラミロ

母父:ホーンビーム

記念すべき第200回の英ダービーを驚異的な末脚で圧勝し、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも制覇する

競走成績:2・3歳時に英愛仏で走り通算成績11戦8勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国バリーマコールスタッドにおいて、資本家のマイケル・ソベル卿と、彼の義理の息子アーノルド・ウェインストック卿の両名により生産・所有された。母ラミロは7番子である本馬を産んですぐに他界してしまい、母がいない子として育った本馬は、幼少期から芯が強く物事に動じることがない馬だった。しかしこれが反応の悪さにも繋がっていたのか、あまりスタート直後の加速力が優れた馬ではなく、その走りは差し追い込みが常套手段だった。本馬が所属したのは、かつてブリガディアジェラードを管理していたディック・ハーン厩舎だった。主戦はウィリー・カーソン騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(3歳初期まで)

2歳の夏にデビューして、初戦となった芝6ハロンの未勝利ステークスは2着。その後にニューマーケット競馬場で出走したプランテーション未勝利ステークス(T7F)では、後にウィリアムヒルフューチュリティSで2着、デューハーストSで3着するウォーミントンを2馬身差の2着に破って勝ち上がった。

7月にグッドウッド競馬場で出走したリステッド競走ヴィンテージS(T7F)では単勝オッズ3倍の1番人気に応えて、3ポンドのハンデを与えた2着エラマナムー(本馬と同じペティンゴ産駒である愛2000ギニー2着馬ピットカーンの息子)に2馬身半差をつけて勝利した。9月にアスコット競馬場で出走したロイヤルロッジS(英GⅡ・T8F)では、エラマナムー、ソラリオSの勝ち馬リファーズウィッシュとの三つ巴の接戦となったが、エラマナムーが勝利を収め、本馬は3/4馬身差の2着だった。

2歳時の成績は4戦2勝2着2回で、グループ競走勝ちは無かったが、エラマナムーと共に翌年の英ダービーの有力候補に挙げられた。

3歳初戦は4月のサンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ・T10F)となった。ここでは、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された本馬と、トゥーオブダイヤモンズの2頭が、3着ドニゴールプリンスを10馬身も引き離す激戦を演じた末に、本馬が首差で勝利を収めた。翌5月にグッドウッド競馬場で出走したリステッド競走プレドミネートS(T11F)では、2着セルジュリファールに7馬身差をつける圧勝を飾った。

英ダービー

そして好調を維持したまま、英ダービー(英GⅠ・T12F)に参戦した。この年の英ダービーは記念の第200回目に当たり、快晴だった事も手伝って、エプソム競馬場には史上最高となる75万人もの観客が詰め掛けた。第200回目の英ダービーに相応しく、この年は非常に強力なメンバー構成となっていた。前哨戦のヒースSを圧勝してきた後のエクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの勝ち馬エラマナムー、2歳時から頑健に走り続けてこの時点で16戦9勝の成績となっていた英2000ギニー・愛ナショナルSの勝ち馬タップオンウッド、英国エリザベスⅡ世女王陛下の生産・所有馬でホワイトローズS・リングフィールドダービートライアルSを勝ってきた本馬の同厩馬ミルフォード、ロイヤルロッジSで本馬から首差の3着だった後にウィリアムヒルフューチュリティSでも3着して3歳になってクレイヴンS・ダンテSを勝ってきたリファーズウィッシュ、ニジンスキーSを勝ってきたノエリノ、愛2000ギニー・アングルシーS・バリモスSの勝ち馬でこの年のエクリプスSを勝つディケンズヒル、チェスターヴァーズを勝ってきたクラカヴァル、ダンテS・ホーリスヒルS2着のハードグリーン、サンダウンクラシックトライアルS2着後にディーSを勝ってきた後のジョーマクグラス記念S2着馬トゥーオブダイヤモンズ、後に日本で種牡馬入りするマンオブビィジョン、コヴェントリーSの勝ち馬レイクシティ、この年の英チャンピオンSを勝つフォルス賞2着馬ノーザンベイビー、後に愛セントレジャー・ロワイヤルオーク賞を勝つニニスキ、ノアイユ賞で2着してきた後の英セントレジャーの勝ち馬サンオブラヴなどが出走してきた。

単勝オッズ5.5倍の1番人気は本馬の好敵手エラマナムーで、本馬が単勝オッズ7倍の2番人気、ホワイトローズSを8馬身差、リングフィールドダービートライアルSを7馬身差で勝っていたミルフォードが3番人気となった。実はレース数日前の段階ではミルフォードが単勝オッズ5倍の1番人気だった。しかしミルフォードの主戦でもあったカーソン騎手が本馬に騎乗することを選択したために人気に変動があったようである。

スタートが切られるとリファーズウィッシュが逃げを打ち、ミルフォードなどの有力馬勢がそれを追走。本馬は馬群の中団後方につけた。タッテナムコーナーを回りながらカーソン騎手が仕掛けたが、馬群の内側を走っていた本馬の反応は悪く、直線入り口ではまだ13番手だった。誰もが本馬の敗北を意識したのだが、カーソン騎手が残り2ハロン半地点で本馬を外側に持ち出すと、まるで矢のようなスピードで追い込んでいった。瞬く間に前を行く馬達を抜き去って残り1ハロン半地点で先頭に立ち、最後は2着ディケンズヒルに7馬身差、3着ノーザンベイビーにはさらに3馬身差をつけて圧勝。満場の観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。この7馬身差という着差は、1925年に8馬身差で勝ったマンナ以来の大きな差であり、本馬以降にこれを上回る着差で勝ったのは、1981年に10馬身差で勝ったシャーガーのみである。

瞬発力に欠けると評されていた本馬だが、この英ダービーで発揮した末脚は「離陸する飛行機」又は「獲物を急襲するチーター」と評された。ソベル卿は「私の20年間の馬産生活における集大成である」として大喜びした。また、鞍上のカーソン騎手にとっては騎手生活18年目にして嬉しい英ダービー初勝利となった(最終的には今回を含めて4勝する)。この2年前にホットグローヴに騎乗して、ザミンストレルの首差2着に惜敗していた彼は、英ダービーに対する思いが非常に強かった。また、ミルフォード(着外)ではなく本馬を選択した自身の相馬眼も証明した形となった。それもあってか、カーソン騎手は本馬を自身が騎乗した最高の馬だとレース後に語った。

競走生活(3歳中期)

それから2週間後には愛ダービー(愛GⅠ・T12F)に出走。対戦相手は、英ダービー2着のディケンズヒル、ロイヤルホイップSを勝ってきた後のハイアリアターフカップH・センチュリーHの勝ち馬ザバート、フォルス賞・リス賞など4戦無敗の仏国調教馬ファビュラスダンサー、後の伊ジョッキークラブ大賞・ハードウィックSの勝ち馬スコーピオ、ニジンスキーS2着・ガリニュールS3着のボヘミアングローブなどだった。レースではハーン師が本馬のために用意したペースメーカー役のリヴァドンが逃げを打ち、単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持されていた本馬はやはり馬群の中団後方を追走した。やがてリヴァドンをかわしてザバートが先頭に立ったのを見たカーソン騎手が仕掛けると、馬群の外側から爆発的な末脚を繰り出した。一気に先行馬勢を飲み込むと、最後は2着ディケンズヒルに4馬身差、3着ボヘミアングローブにはさらに2馬身半差をつけて圧勝した。英ダービーと愛ダービーの連覇は、前年のシャーリーハイツに次いで史上7頭目だった。

次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、英ダービー4着後にキングエドワードⅦ世Sを勝っていたエラマナムーに加えて、そのエラマナムーを前走サンクルー大賞で2着に負かしたユジェーヌアダム賞・ギシュ賞・ニエル賞の勝ち馬ゲイメセン、ポージャデポトリジョス大賞・亜ジョッキークラブ大賞・ナシオナル大賞の亜国三冠競走に加えて、南米最大の競走カルロスペレグリーニ大賞までも勝ってきた“Argentine Quadruple Crown Winner(亜国四冠馬)”テレスコピコが本馬に挑んできた。しかし出走してくれば最大の強敵になると思われていた、コロネーションCを7馬身差で圧勝していた前年の覇者イルドブルボンがウイルス性感染症のために回避していたこともあり、本馬が単勝オッズ1.4倍という圧倒的な1番人気に支持された。

スタートが切られるとロードトゥグローリーが逃げを打ち、テレスコピコがそれを追撃。本馬は3番手のエラマナムーを見るように馬群の中団につけた。直線に入って、ロードトゥグローリーとテレスコピコの脚色が衰え始めると、代わってエラマナムーが先頭に立ったが、本馬は既にその直後まで来ていた。そして直線では前を行くエラマナムーに並びかけて叩き合いに持ち込んだ。そして残り1ハロン地点でエラマナムーを競り落とすと、遅れて追い込んできた2着ゲイメセンに1馬身半差、3着エラマナムーにはさらに3馬身差をつけて勝利を収めた。

英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの3競走を制覇したのは、1970年のニジンスキー、1975年のグランディ、1977年のザミンストレルに次いで2年ぶり史上4頭目だった。

競走生活(3歳後期)

その後はベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F110Y)に向かった。ここでは、英ダービー着外後にプリンスオブウェールズSで2着していたリファーズウィッシュ、プリンスオブウェールズS・コートノルマンディ賞の勝ち馬でエクリプスS2着のクリムゾンボウなどを抑えて、単勝オッズ1.5倍(2倍又は3倍とする資料もある)の1番人気に支持された。しかし今まで12ハロンの距離で圧倒的な強さを誇った本馬も、距離10ハロン強のこのレースではエンジンのかかりが遅く、終始追われっぱなしだった。残り3ハロン地点でも先頭からは10馬身も離されていたが、ここからカーソン騎手が必死に追って、2着クリムゾンボウを3/4馬身差で差し切ってなんとか勝利した。

英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの3競走に加えてベンソン&ヘッジズ金杯も制覇した馬は、ベンソン&ヘッジズ金杯が英国際Sと名を変えた現在になっても本馬以外に登場していない。

次走が現役最後のレースとなる凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。リュパン賞・仏ダービー・サンロマン賞・コンデ賞・ギシュ賞の勝ち馬トップヴィル、ロシェット賞・グレフュール賞・オカール賞・ニエル賞の勝ち馬で仏ダービー2着のルマルモ、仏1000ギニー・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞・ヴァントー賞の勝ち馬で仏オークス2着のスリートロイカス、愛ダービー7着後にニエル賞で2着していたファビュラスダンサー、病み上がりのセプテンバーSで2着してきたイルドブルボン、前年の凱旋門賞でアレッジドの2着していたガネー賞・ドラール賞2回・アルクール賞・ミネルヴ賞・ロワイヤリュー賞・フォワ賞の勝ち馬トリリオン、ロベールパパン賞・クリテリウムデプーリッシュ・マルレ賞・ノネット賞の勝ち馬でモルニ賞・サンタラリ賞2着のピタシア、コンデ賞・フォワ賞の勝ち馬でガネー賞3着のペヴェロ、クリムゾンボウ、サンルイレイS2回・ユナイテッドネーションズH2回・タイダルH・ブーゲンヴィリアH・ハイアリアターフカップH・カナディアンターフH・パンアメリカンSを勝って米国から遠征してきたノーブルダンサー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで着外に終わっていたテレスコピコ、英ダービー3着後にエクリプスSでも3着してコートノルマンディ賞を勝ってきたノーザンベイビー、ジョーマクグラス記念Sで2着してきたトゥーオブダイヤモンズなどが大本命の本馬に挑んできた。レースは複数出走していたペースメーカー役の馬達やクリムゾンボウが先頭を引っ張り、本馬は例によって馬群の中団後方からレースを進めた。しかしベンソン&ヘッジズ金杯の疲労が尾を引いたのか直線で伸びきれずに、スリートロイカス、ルマルモの2頭に届かずに、勝ったスリートロイカスから4馬身差、2着ルマルモから1馬身差の3着に終わった。

引退レースを勝利で飾ることは出来なかったが、それでも3歳時7戦6勝の成績で、この年の英年度代表馬に選出されている。

競走馬としての評価

本馬を管理したハーン師は、かつて自分が手掛けたブリガディアジェラードを差し置いて、自身が調教した最高の馬として本馬の名を挙げている。英ダービーにおける強さはシーバードに匹敵するものであると評されており、ニジンスキーやミルリーフといった歴史的名馬と比べても遜色ない名馬であるという評価も受けた。

馬名は古代ギリシアの詩人ホメロスの作品「イーリアス」に登場する古代都市の名前である。

血統

Petingo Petition Fair Trial Fairway Phalaris
Scapa Flow
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
Art Paper Artist's Proof Gainsborough
Clear Evidence 
Quire Fairy King
Queen Carbine
Alcazar Alycidon Donatello Blenheim
Delleana
Aurora Hyperion
Rose Red
Quarterdeck Nearco Pharos
Nogara
Poker Chip The Recorder
Straight Sequence
La Milo Hornbeam Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Thicket Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Thorn Wood Bois Roussel
Point Duty
Pin Prick Pinza Chanteur Chateau Bouscaut
La Diva
Pasqua Donatello
Pasca
Miss Winston Royal Charger Nearco
Sun Princess
East Wantleye Foxlaw
Tetrill

父ペティンゴは現役成績9戦6勝。ギリシアの海運業者マルコス・レモス氏(後にペブルスの生産者になる)の所有馬として走り、ジムクラックS・ミドルパークS・クレイヴンS・セントジェームズパレスS・サセックスSなど英国の主要マイル・短距離戦を勝った名馬。英2000ギニーは惜しくもサーアイヴァーの2着だった。種牡馬としても1972年の仏国2歳首位種牡馬となり、1974年の英愛種牡馬ランキングで2位に入る成功を収めたが、本馬が誕生する1か月前に心疾患のために惜しくも11歳で早世してしまった。死後の1979年には本馬の活躍により英愛首位種牡馬となっている。ペティンゴの父ペティションはプティトエトワールの項を参照。

母ラミロは現役成績9戦4勝。本馬の半兄アドメタス(父リフォーム)【ワシントンDC国際S(米GⅠ)・モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)・エヴリ大賞(仏GⅡ)・プリンスオブウェールズS(英GⅡ)】、半兄タリー(父テューダーメロディ)【ホワイトローズS(英GⅢ)】も産んだ名繁殖牝馬だが、前述のとおり本馬を産んですぐに他界している。近親の活躍馬には乏しく、100年以上遡っても特筆できる馬がほとんど出てこない貧弱な牝系であり、ラミロは突然変異的に出現した名繁殖牝馬であると言える。→牝系:F1号族⑦

母父ホーンビームはインターメゾの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、英国エリザベスⅡ世女王陛下のレーシングマネージャーだったポーチェスター卿により、720万ポンド(当時の為替レートで約38億円)という当時史上最高額のシンジケートが組まれ、英国バークシャー州(エリザベスⅡ世女王陛下が週末に過ごす居城ウィンザー城がある)にあるハイクレアスタッドで種牡馬入りした。しかし、1983年5月に急性腹膜炎を発症し、7歳という若さで両親と同じく早世してしまい、遺体はハイクレアスタッドに埋葬された。

残した産駒は4世代128頭のみだった。しかし競走馬になった101頭のうち65頭が勝ち上がり、さらに12頭がステークスウイナーとなった。そのうち、愛オークス馬ヘレンストリート、ヴェルメイユ賞の勝ち馬ワレンスなど5頭がグループ競走を勝っている。1983年には英愛新種牡馬ランキングでトップに立った。直子のトロピュラーが種牡馬として仏ダービー馬ラグマールを出したものの、その後が続かずに本馬の直系はほぼ途絶えている。しかし繁殖牝馬の父としては、ピルサドスキー、ファインモーション、オースストリートクライなど世界各国の名馬を出し、現在も本馬の血の影響力は大きいものがある。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1981

Ilium

ヨークシャーC(英GⅡ)

1981

Trojan Fen

クイーンアンS(英GⅡ)

1982

Helen Street

愛オークス(愛GⅠ)・カルヴァドス賞(仏GⅢ)

1982

Helenetta

チェシャーオークス(英GⅢ)

1982

Walensee

ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)

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