サキー

和名:サキー

英名:Sakhee

1997年生

鹿毛

父:バーリ

母:タワキブ

母父:サドラーズウェルズ

優れた素質を3歳時から見せていたが古馬になって開花し凱旋門賞を史上最大着差タイの6馬身差で圧勝、ダート路線でも実力を発揮する

競走成績:2~5歳時に英仏米首で走り通算成績14戦8勝2着3回3着1回

誕生からデビュー前まで

ドバイのシェイク・ハムダン殿下の馬産団体シャドウェルファームにより米国ケンタッキー州において生産され、ゴドルフィン名義で競走馬となり、英国ジョン・ダンロップ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にレスター競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスで、主戦となるリチャード・ヒルズ騎手を鞍上にデビューした。既に1戦していたソビエトフラッシュという馬と並んで、単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持されたのだが、先行するも残り1ハロン地点で伸びを欠き、勝ったソビエトフラッシュから4馬身差の4着に敗れた。

それでも、翌月にノッティンガム競馬場で出走した芝8ハロンの未勝利ステークスでは、単勝オッズ1.29倍という断然の1番人気に支持された。レースでは先行して残り3ハロン地点で仕掛けると悠々と抜け出し、2着デュシャンに3馬身差をつけて勝ち上がった。

翌月にはサンダウンパーク競馬場でダンシングブレーヴ条件S(T8F)に出走。出走馬5頭全てが単勝オッズ6倍以下という混戦模様の中で、単勝オッズ4倍の2番人気となった。重馬場で行われたレースではスタートから先頭に立ち、そのまま馬群を先導。残り2ハロン地点で、単勝オッズ3.75倍の1番人気に推されていたミケーレマリエスキという馬にかわされて2番手に下がったが、残り1ハロン地点で差し返すと、そのまま引き離し、2着ミケーレマリエスキに3馬身半差をつけて快勝。2歳時を3戦2勝の成績で終えた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月のサンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ・T10F7Y)から始動した。フェイルデンSを勝ってきたポーンブローカーという馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.75倍の2番人気で、この2頭に人気が集まった。不良馬場で行われたレースでは、やはりスタートから先頭に立って馬群を牽引。残り2ハロン地点でポーンブローカーが並びかけてきたが、残り1ハロン地点で突き放し、追いすがるポーンブローカーに1馬身差をつけて勝利した。

次走のダンテS(英GⅡ・T10F85Y)では、本馬と同じゴドルフィンの所属馬でドバイのサイード・ビン・スルール調教師が期待を寄せていたソラリオSの勝ち馬ベストオブザベスツ、2歳時のロイヤルロッジSでベストオブザベスツを2着に破って勝っていたロイヤルキングダム、ポーンブローカー、2歳時のエイコムSで英2000ギニー馬キングズベストの2着した実績があったシャムロックシティの4頭が対戦相手となった。本馬とベストオブザベスツのカップリングが単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持された。前走とは一転して堅良馬場となり、ダンロップ師は、本馬にとって馬場が堅すぎるのではと心配したらしい。レースでは逃げるシャムロックシティをマークするように追走すると、残り2ハロン地点で先頭に立ち、そのまま押し切って2着ポーンブローカーに1馬身1/4差、3着ベストオブザベスツにはさらに3/4馬身差をつけて勝ち、英ダービーの前哨戦で2連勝となった。しかし直線で抜け出した後に、やや走るのを嫌がる仕草を見せて右側によれる場面があり、ダンロップ師は「堅過ぎる馬場を嫌がっていました。もし(英)ダービーも今日と同じくらい堅い馬場だったら心配です」と語った。

この年の英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)は、ダンロップ師が懸念していた堅い馬場となり、直前までダンロップ師は出走回避を検討していたが、自身の厩舎に他の有力3歳馬がいなかった事もあって、本馬の出走を決断した。本命視されていた英2000ギニー馬キングズベストが筋肉痛のために直前になって回避してしまい、ニューマーケットSの勝ち馬ビートホロー、前走のグレフュール賞で1位入線(進路妨害で3着に降着)していたレーシングポストトロフィーの勝ち馬アリストートル、愛ナショナルS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬シンダー、未勝利ステークス・ルイナールシャンパン条件Sを連勝してきた上がり馬ウェルビーイング、グリーナムSの勝ち馬で英2000ギニー3着のバラシアゲスト(仏グランクリテリウムでも1位入線していたが進路妨害で2着に降着)、ベストオブザベスツなどが対戦相手となった。大種牡馬サドラーズウェルズと愛オークス馬ウィームズバイトの間に産まれた良血馬だったビートホローが単勝オッズ4.5倍の1番人気に押し出され、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気、アリストートルが単勝オッズ6倍の3番人気、シンダーとウェルビーイングが並んで単勝オッズ8倍の4番人気となった。

スタートが切られると本馬はベストオブザベスツと共に2番手を追走したが、最初に先頭に立ったキングスクレアが馬群から大きく離れた大外を走り続けてレース半ばで早々に失速したため、本馬とベストオブザベスツの2頭が馬群を引っ張る形でレースが進行した。そのままの態勢で直線に入ると、ベストオブザベスツを置き去りにして抜け出した。残り2ハロン地点ではそのまま押し切って勝利するかに思われたが、後方外側から強烈な末脚を繰り出したシンダーが残り1ハロン過ぎで並びかけてきた。本馬も食らい付いたが最後は1馬身遅れて2着に敗れた。それでも3着ビートホローには5馬身差をつけており、同世代の中では屈指の実力を有することは示した。

次走のエクリプスS(英GⅠ・T10F7Y)では、クイーンアンSを勝ってきたカラニシ、タタソールズ金杯・アールオブセフトンS・ブリガディアジェラードSを勝っていた日本産まれの牝馬シーヴァ、コロネーションCで2着してきたグレートヴォルティジュールS・ドバイシーマクラシックの勝ち馬ファンタスティックライト、セントジェームズパレスS・サラマンドル賞の勝ち馬で英2000ギニー・愛2000ギニー2着のジャイアンツコーズウェイなどが対戦相手となった。ジャイアンツコーズウェイはこの年のカルティエ賞年度代表馬、ファンタスティックライトは翌年のカルティエ賞年度代表馬、カラニシはこの年のカルティエ賞最優秀古馬と、後のタイトルホルダーが集結していたこのレースは、“The clash of the titans(巨人達の衝突)”と評されるほどの豪華メンバーだったが、その中で単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持されたのは本馬であった。レースではスタート直後から先行態勢を取り、サンチャームを先に行かせて道中はジャイアンツコーズウェイと共に2~3番手を追走した。直線に入ると残り3ハロン地点で先頭に立ち、外側から並びかけてきたジャイアンツコーズウェイとの叩き合いとなった。しかし残り1ハロン地点で競り負けて失速し、カラニシとシーヴァにも差されて、勝ったジャイアンツコーズウェイから4馬身1/4差の4着に敗退した。

本馬はこのレース中に脚を負傷しており、この年は以降レースに出ることが出来なかった。年末には膝の剥離骨折のため骨片除去手術も受けた。この年の欧州競馬界は、愛ダービーも勝ったシンダーが凱旋門賞でモンジューなどを蹴散らして勝ち、ビートホローが英ダービーの2週間後にパリ大賞を勝ち(古馬になって米国でさらにGⅠ競走3勝を上乗せ)、ジャイアンツコーズウェイがGⅠ競走を5連勝するなど、本馬と対戦経験がある同世代の馬達が猛威を振るったが、それらに匹敵する実力を有するはずの本馬は3歳後半をほとんど棒に振ってしまったのである。3歳時の成績は4戦2勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳になった本馬は、ドバイのサイード・ビン・スルール厩舎に転厩し、主戦にランフランコ・デットーリ騎手を迎えることになった。

復帰戦は、7月にニューベリー競馬場で行われたリステッド競走スティーヴントンS(T10F6Y)となった。実績的に本馬に太刀打ちできそうな馬は1頭もおらず、約1年ぶりの実戦であっても、本馬が単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。レースでは、バラドニアという馬を先に行かせて2番手を追走。残り2ハロン地点で楽に先頭に立つと、そのまま2着アルドウィッチに3馬身差をつけて快勝した。

続いて英国際S(英GⅠ・T10F85Y)に駒を進めた。ロッキンジS・クイーンアンS・エクリプスSと3連勝中のメディシアン、愛2000ギニー・セントジェームズパレスSの勝ち馬ブラックミナルーシュ、エクリプスS2着・仏ダービー3着のグランデラ(翌年のカルティエ賞最優秀古馬に選出)、デューハーストS・愛国際Sの勝ち馬ディスタントミュージック、ムシドラSの勝ち馬で仏オークス・ナッソーS3着のタイムアウェイといった強力メンバーが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持され、メディシアンが単勝オッズ4倍の2番人気、ブラックミナルーシュが単勝オッズ4.5倍の3番人気、グランデラが単勝オッズ8倍の4番人気となった。

レースでは逃げるダーウィンから3馬身ほど後方を、ディスタントミュージックと共に追走。直線に入って先に抜け出そうとしたディスタントミュージックに残り3ハロン地点で並びかけた。しばらくは2頭が併走していたが、残り2ハロン半地点で本馬がディスタントミュージックを置き去りにして一気に伸び、後はそのまま独走。追い込んで2着となったグランデラに同競走史上2番目に大きな着差となる7馬身差をつけて圧勝した(史上1位の着差は1999年にロイヤルアンセムが記録した8馬身差)。

鞍上のデットーリ騎手は「負けることは無いだろうと思っており、この馬の能力を測るためのテストにしようと考えていましたが、予想以上の強さに衝撃を受けました。(かつて自身が騎乗して同レースを勝った)ホーリングシングスピール以上に強い勝ち方であり、ロイヤルアンセムと比べても遜色無いほど目を見張る勝ち方でした」と自身の愛馬を讃えた。ゴドルフィンのレーシングマネージャーであるサイモン・クリスフォード氏も「10ハロン戦としては私がかつて見た中で最高のパフォーマンスでした」と語った。

その後も10ハロン路線を進んで英チャンピオンSに向かう計画もあったが、デットーリ騎手の希望を汲んだハムダン殿下の判断により、本馬が得意な重馬場になりそうな凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かうことになった。

主な対戦相手は、仏オークス・ヴェルメイユ賞など4戦無敗のアクワレリスト、グレートヴォルティジュールS・英セントレジャーを連勝してきたミラン、英2000ギニーの勝ち馬で英ダービー2着のゴーラン、イスパーン賞2着・ドバイワールドC・プリンスオブウェールズS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS各3着の実績があったトーマブリョン賞・プランスドランジュ賞・マクトゥームチャレンジR3・フォワ賞の勝ち馬ハイトーリ、ヴェルメイユ賞で2着してきたマルレ賞・ノネット賞の勝ち馬ディアミリナ、武豊騎手が騎乗するクリテリウムドサンクルーの勝ち馬サガシティ(凱旋門賞馬サガミックスの半弟)、仏ダービー・ノアイユ賞の勝ち馬アナバーブルー、仏オークス・シャンティ大賞を勝っていた前年の凱旋門賞2着馬エジプトバンド、前年の仏ダービー馬ホールディングコートなどだった。予想どおりの不良馬場になった事もあって、本馬が単勝オッズ3.2倍で堂々の1番人気に支持された。無敗が評価されたアクワレリストが単勝オッズ5.5倍の2番人気、英セントレジャーを5馬身差で圧勝していたミランが単勝オッズ5.8倍の3番人気、前哨戦のニエル賞を勝ってきたゴーランが単勝オッズ8.6倍の4番人気、前哨戦のフォワ賞を勝ってきたハイトーリが単勝オッズ10.3倍の5番人気となった。

スタートが切られると、ミラン陣営が用意したペースメーカー役のサドラーズクリークが先頭に立った。ゴーランは馬群の中団好位、アクワレリストは馬群の中団後方、ミランは後方待機策を採った。一方の本馬はと言うと、外枠発走だった事もあってか、鞍上のデットーリ騎手が無理に先行させずに好位を追走させていた。そして道中でじわじわと位置取りを上げると、直線入り口で先頭に立って押し切りを図った。すぐ後方からゴーランが必死に追ってきたが、その差は縮まるどころか開く一方だった。残り300m地点では既に勝負をほぼ決定付けてしまい、最後は追い上げて2着に入ったアクワレリストに6馬身差をつけて大勝した。

本馬にとって得意な不良馬場となった事も手伝っての圧勝劇ではあったが、6馬身差はリボーシーバードという欧州競馬史上1、2を争う名馬2頭と並ぶ同レース史上最大着差タイであり、この一戦で本馬もまた歴史的名馬として評価される権利を獲得した事になる。クリスフォード氏は「かつてゴドルフィンが所有した馬の中でも彼は最強です。彼は非常にレース慣れしており、直線では脇目も振らず真っ直ぐに走って勝ちました」と語った。鞍上のデットーリ騎手にとってもGⅠ競走100勝目となる記念すべき勝利となった。

続いて米国ベルモントパーク競馬場に向かい、ブリーダーズカップに参戦することとなった。同じゴドルフィン所属のファンタスティックライトがBCターフに出走することになったため、本馬は初ダートとなるBCクラシック(米GⅠ・D10F)に挑戦した。地元米国からの出走馬は、ハリウッド金杯・サラトガBCH・ジョッキークラブ金杯と3連勝中のアプティテュード、前年のBCクラシックでジャイアンツコーズウェイとの叩き合いを制して勝った他にスーパーダービー・サンタアニタH・グッドウッドBCH・サンフェルナンドBCSなども制していた前年のエクリプス賞年度代表馬ティズナウ、ピムリコスペシャルH・ニューオーリンズH・マサチューセッツHなどの勝ち馬インクルード、ジョッキークラブ金杯・ドワイヤーS・ブルックリンH・サバーバンHなどの勝ち馬アルバートザグレート、サンアントニオH・スティーヴンフォスターH・ワシントンパークH・ケンタッキーカップクラシックHの勝ち馬ガイデッドツアー、BCジュヴェナイル・グレイBCSを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬マッチョウノ、翌年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれるオリエンテートなど。欧州からの出走馬は、英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを勝っていた3歳馬ガリレオ、英国際Sで4着だったブラックミナルーシュだった。前走ジョッキークラブ金杯を10馬身差で圧勝してきたアプティテュードが単勝オッズ3.35倍の1番人気、ガリレオが単勝オッズ4.35倍の2番人気、事前の調教で好調を維持していた本馬が単勝オッズ5.8倍の3番人気、連覇を目指すティズナウは2連敗中だった事を割り引かれて単勝オッズ7.9倍の4番人気だった。

この年のBCクラシックが実施される1か月半前に、米国同時多発テロが勃発していた。この事件の最有力容疑者とされる過激派イスラム組織アルカイダは、本馬が所属するゴドルフィンとは無関係だったが、米国内における半イスラム感情は非常に高まっており、ゴドルフィン所属の本馬に対しては随分と冷ややかな視線が注がれていたようである。

再度のテロを警戒して大勢の兵士が競馬場内に動員され、極めて物々しい雰囲気の中でスタートが切られると、オリエンテートが快速を活かして先頭に立ち、アルバートザグレートやティズナウがそれを追走。本馬は5番手のガリレオをマークするように馬群の中団6番手に待機した。ガリレオの手応えが悪いと見ると、すかさず三角から四角にかけて外側を通って位置取りを上げていった。そして、内側のアルバートザグレート、真ん中のティズナウ、外側の本馬が3頭並ぶように直線を向いた。最初は僅かにリードしていたアルバートザグレートが直線半ばで遅れて、最後は本馬とティズナウの叩き合いとなった。一瞬本馬が前に出る場面もあったが、最後はティズナウが差し返して史上初のBCクラシック連覇を果たし、本馬は鼻差の2着に惜敗した。しかし敗れはしたものの、初ダートでこの結果なら合格点と言え、翌年はドバイワールドCを目指すことになる。4歳時の成績は4戦3勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時はドバイワールドCと同じナドアルシバ競馬場ダート2000mで行われる2月の一般競走から始動した。レースでは好位4番手追走から直線で鮮やかに抜け出し、2着アトランティスプリンスに9馬身差で圧勝して格の違いを見せ付けた。

そしてドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に臨んだ。対戦相手は、前哨戦のマクトゥームチャレンジR3を圧勝してきたストリートクライ、やはり前哨戦のマクトゥームチャレンジR2を勝ってきたベストオブザベスツ、亜共和国大賞・エストレージャス大賞クラシックと亜国GⅠ競走2勝のセイミ、オハイオダービー・サンフェルナンドSの勝ち馬ウエスタンプライド、マイルCS南部杯・天皇賞秋・香港C・フェブラリーSとGⅠ競走を4連勝してきたアグネスデジタルと、前年の同競走2着馬でもあるエリザベス女王杯勝ち馬トゥザヴィクトリーの日本馬2頭などだった。英国のブックメーカーのオッズでは、本馬が単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持されており、ストリートクライが単勝オッズ5.5倍の2番人気、アグネスデジタルが単勝オッズ6倍の3番人気だった。

スタートが切られると、ウエスタンプライドが先頭を引っ張り、トゥザヴィクトリーがそれを追走、ベストオブザベスツや本馬などがその後方、ストリートクライは本馬を見るように中団に付けた。最終コーナーで内側を掬ったストリートクライが直線入り口で先頭に立ち、外側を通った本馬がそれを追う展開となった。しかし前を行くストリートクライとの差は縮まらず、直線半ばでは既に勝負が決まってしまった。本馬は大外から追い込んできたセイミにも並ぶ間もなくかわされてしまい、勝ったストリートクライから8馬身半差をつけられた3着に終わった。デットーリ騎手は敗因を乾きすぎた馬場に求めている。

次走はタタソールズ金杯やエクリプスSなどが予定されていたが、調子が上向かなかったために回避。代わりにキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSに出走登録されていたが、馬場状態が堅過ぎるとしてこれも回避。

ようやく出走に漕ぎ着けたのは、8月のゴントービロン賞(仏GⅢ・T2000m)だった。セントサイモンSの勝ち馬でコロネーションC2着のウェルビーイング、イスパーン賞2着馬プッサン、アルクール賞2着馬サンストラッチ、ジャンドショードネイ賞2着馬サングレアル、ユジェーヌアダム賞の勝ち馬キングオブタラなどが出走していたが、斤量面における差も殆ど無く、さらにレースが行われるのは本馬の得意な重馬場であり、この状況下で本馬に敵いそうな馬はいなかった。そのために本馬が単勝オッズ1.2倍という圧倒的1番人気に支持された。しかし久々の実戦だった上に、かつて手術を受けた膝の状態が再び悪化していた事、水疱瘡を発病したデットーリ騎手が騎乗出来なくなったなど、不安材料も山積していた。2年ぶりのコンビとなるヒルズ騎手が騎乗した本馬は、馬群の中団を追走して残り3ハロン地点で仕掛けた。しかし今ひとつ伸びが悪く、先に先頭に立っていたウェルビーイングを捕らえられずに、1馬身差の2着に敗れてしまった。勝ったウェルビーイングは、かつて英ダービーで本馬から12馬身後方の5着でゴールした馬だった。

その後は英チャンピオンSなどが予定されていたが、結局は以降レースに出ることは無く、10月に現役引退が発表された。5歳時の成績は3戦1勝だった。

血統

Bahri Riverman Never Bend Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
River Lady Prince John Princequillo
Not Afraid
Nile Lily Roman
Azalea
Wasnah Nijinsky Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Highest Trump Bold Bidder Bold Ruler
High Bid
Dear April My Babu
Querida
Thawakib Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Tobira Celeste Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Heavenly Body Dark Star Royal Gem
Isolde
Dangerous Dame Nasrullah
Lady Kells

バーリは当馬の項を参照。

母タワキブは現役時代にリブルスデールS(英GⅡ)勝ちなど7戦3勝。タワキブの半兄には本邦輸入種牡馬セレスティアルストーム(父ロベルト)【プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)】がいる他、タワキブの半姉ルヴァギュアラーム(父ヴェイグリーノーブル)の子にリヴァーメモリーズ【加国際S(加GⅠ)・フラワーボウル招待H(米GⅠ)・モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)・ポモーヌ賞(仏GⅡ)・ロワイヨモン賞(仏GⅢ)】、レイズアメモリー【トーマブリョン賞(仏GⅢ)】、玄孫に日本で走っているヤングマンパワー【アーリントンC(GⅢ)】が、タワキブの半姉レーヴスセレステス(父リファール)の孫にプレッシング【ローマ賞(伊GⅠ)・ダルマイヤー大賞(独GⅠ)】、マスタークラフツマン【フェニックスS(愛GⅠ)・ナショナルS(愛GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】などがいる。

タワキブの祖母ヘヴンリーボディーはメイトロンSの勝ち馬で、ヘヴンリーボディーの全姉であるケンタッキーオークス馬ヒドゥンタレントの牝系子孫からは、エクセラー【パリ大賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)】、カポウティ【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅠ)】、ブロードブラッシュ【ウッドメモリアルS(米GⅠ)・メドウランズCH(米GⅠ)・サンタアニタH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】などが登場している。→牝系:F21号族①

母父サドラーズウェルズは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ハムダン殿下が所有する英国シャドウェルスタッドで種牡馬入りした。当初の種牡馬成績はまずまずといったところであったが、ここ数年の成績は芳しくない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2004

Presvis

クイーンエリザベスⅡ世C(香GⅠ)・ドバイデューティーフリー(首GⅠ)・ジェベルハッタ(首GⅡ)・アルラシディヤ(首GⅡ)

2004

Royal Rock

ベンゴーフS(英GⅢ)2回

2004

Sakhee's Secret

ジュライC(英GⅠ)

2004

Samuel

ドンカスターC(英GⅡ)

2008

Nice Danon

ツークンフツレネン(独GⅢ)

2008

Tin Horse

仏2000ギニー(仏GⅠ)・メシドール賞(仏GⅢ)

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