ハードリドン

和名:ハードリドン

英名:Hard Ridden

1955年生

鹿毛

父:ハードソース

母:トートベル

母父:アドミラルドレイク

愛国調教馬として51年ぶりに英ダービーを勝ったファリス直系の名馬は父子3代の本邦輸入種牡馬の初代となる

競走成績:2・3歳時に愛英で走り通算成績5戦2勝2着2回

誕生からデビュー前まで

オリヴァー・ランバート卿により生産された愛国産馬で、1歳時にダブリンで行われたセリに出品され、ヴィクター・サッスーン卿により270ギニーで購買された。サッスーン一族はユダヤ系で、インドで綿花と阿片の生産で財を成し、中国に阿片を大量輸出してアヘン戦争のきっかけを起こした悪徳商人一族だった。しかし英国で産まれたサッスーン家4代当主ヴィクター・サッスーン卿は、第一次世界大戦で勇敢に戦って負傷したために生涯杖が離せなくなり、その後は中国の上海で事業を展開(有名な上海のホテル和平飯店も彼が設立した)し、第二次世界大戦中にはユダヤ人を迫害した独国の同盟国日本から同胞や上海の街を必死に守り続け、戦争終結後は大半の財産を母国英国に譲り渡し、競馬を楽しみながら余生を送っていたという人物だった。彼は購入した本馬を愛国ミック・ロジャース調教師に預けた。主戦は当時既に50歳を過ぎていたチャールズ・ジェームズ・ウィリアム・“チャーリー”・スマーク騎手が務めた。

競走生活

2歳時は愛国フェニックスパーク競馬場で行われた芝5ハロンの未勝利戦で2着しただけの1戦で終わった。3歳時は4月にカラー競馬場で行われたテトラークS(T7F)から始動したが、サープの頭差2着に敗れた。

ところが次走の愛2000ギニー(T8F)では、本馬は隠し持っていた能力を突然発揮。後の愛ダービー馬シンドンを4馬身差の2着に破って圧勝し、初勝利をこの大一番で挙げた。

本馬は続いて英国に移動し、英ダービー(T12F)に参戦。この年の英ダービーは、チェスターヴァーズ・リングフィールドダービートライアルSを連勝して本命視されていたアルサイドが直前になって回避した(理由は筋肉痛だとされているが、何者かが故意によりアルサイドを負傷させた、又は薬物を投与したという陰謀説もある。しかしアルサイドの項に書いたとおり詳細不明である)ために、いきなり混戦模様となっていた。主な対戦相手は、後にロワイヤルオーク賞・ジャンプラ賞・アスコット金杯を勝って日本に種牡馬として輸入されるワラビー、ノアイユ賞を勝ってきたノエロール、クレイヴンS・ダンテSの勝ち馬で後に米国に移籍して活躍するボールドイーグル、ニューマーケットSを勝ってきたゲールシリウス、デューハーストS2着・英2000ギニー3着のナガミ、コヴェントリーSの勝ち馬でデューハーストS3着のアメリゴ、ブルーリバンドトライアルSを勝ってきたマイナーズランプ、前走の愛2000ギニーで本馬の3着だったパディーズポイントなどだった。本馬は前走がフロック視された事と、血統が短距離向きだということで軽視され、単勝オッズ19倍で8番人気の低評価だった。

スタートが切られるとミッドランダーが逃げを打ち、スマーク騎手騎乗の本馬はその少し後方に固まっていた馬群の内側好位につけた。そのままの態勢で直線を向くと、スマーク騎手は僅かに開いた馬群の隙間を逃さずに、本馬をそこに突っ込ませた。そして先に抜け出して先頭に立っていたゲールシリウスを内埒沿いからかわして先頭に立つと、そのまま直線を独走し、2着に入った15番人気馬パディーズポイントに5馬身差をつけて圧勝した。愛国調教馬が英ダービーを勝ったのは1907年のオービー以来51年ぶりだった。鞍上のスマーク騎手にとっては、1934年のウインザーラッド、1936年のマームード、1952年のタルヤーに次ぐ4度目にして最後の英ダービー制覇となった。

その後はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(T12F)に出走して、愛ダービー・英セントレジャー・コロネーションC・エクリプスSを勝っていた1歳年上の名馬バリモスと対戦した。しかし結果は勝ったバリモスから5馬身1/4差の6着に敗退。このレースを最後に、3歳時4戦2勝の成績で現役生活を終えた。

血統

Hard Sauce Ardan Pharis Pharos Phalaris
Scapa Flow
Carissima Clarissimus
Casquetts 
Adargatis Asterus Teddy
Astrella
Helene de Troie Helicon
Lady of Pedigree
Saucy Bella Bellacose Sir Cosmo The Boss
Ayn Hali
Orbella Golden Orb
Mistaken
Marmite Mr. Jinks Tetratema
False Piety
Gentlemen's Relish He
Bonne Bouche
Toute Belle Admiral Drake Craig an Eran Sunstar Sundridge
Doris
Maid of the Mist Cyllene
Sceptre
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Chatelaine Casterari Fiterari Sardanapale
Miss Bachelor
Castleline Son-in-Law
Castelline
Yssel Kircubbin Captivation
Avon Hack
Yvonne Sheen
Phosphine

父ハードソースは通算成績11戦6勝。現役時代は6ハロン以下の短距離戦のみ走り、ジュライC・チャレンジSを勝ち、キングズスタンドS・ジムクラックSで2着している。その産駒は自身と同様に短距離馬が多く、ナンソープS・キングジョージSの勝ち馬ブリープブリープ、愛1000ギニーの勝ち馬ガズパチョ、クイーンアンSの勝ち馬カンディソースなどを輩出したが、日本では持ち込み馬のミスオンワードが桜花賞・優駿牝馬の牝馬二冠を制した他に3200mの天皇賞秋で2着しており、単なる短距離専門種牡馬ではなかったようである。ハードソースの父アルダンは、仏国の歴史的名馬ファリスの直子で、仏ダービー・凱旋門賞・リュパン賞・サンクルー大賞・コロネーションC・ロベールパパン賞・ギシュ賞・グレフュール賞・オカール賞勝ちなど23戦16勝を挙げた一流馬だった。ハードソースが父アルダンに似ずに短距離馬になったのは、母父の系統が超短距離系のザボス系だったためである可能性が高い。

母トートベルは現役時代1戦未勝利。トートベルの半弟にはルブルジョワ(父ヴァトラー)【コンデ賞】が、トートベルの母シャトレーヌの半兄にはヴァトリス【仏チャンピオンハードル・ドートンヌ大賞】がいるが、近親の活躍馬は至って乏しい。→牝系:F16号族③

母父アドミラルドレイクはターントゥの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、1961年から1967年まで愛国で種牡馬供用された。1964年の英愛2歳首位種牡馬になるなど、なかなかの成功を収めたが、やはり短距離血統という評価が拭えず、結局日本に輸出された。日本では既に持ち込み馬のアスカやハードイットが活躍しており、日本における評価は高かったのである。皮肉にも、本馬が日本で種牡馬生活を開始した1968年に産駒のジオラミーアが愛セントレジャーを制し、本馬がやはり単なる短距離専門種牡馬ではなかった事を証明している。日本でも東京優駿の勝ち馬ロングエース、優駿牝馬の勝ち馬リニアクインを筆頭に多くの活躍馬を出して成功した。本馬の活躍を受けて、欧州に残してきた産駒ハーディカヌートが日本に輸入され、さらにハーディカヌートが欧州に残してきた産駒ハードツービートも日本に輸入された。

ハーディカヌートとハードツービート

ハーディカヌートは、タイムフォーム金杯・英シャンペンS・バリモスSと3戦全勝の成績で引退した早熟の短距離馬だったが、種牡馬としてはむしろ長い距離に向いている産駒を多く出した。その代表産駒がハードツービートである。

ハードツービートは1歳時に米国人馬主に920ギニー(当時の為替レートで約100万円)という激安価格で購入された馬だったが、2歳時に仏グランクリテリウム(仏GⅠ)に優勝して仏最優秀2歳牡馬に選ばれた。3歳になっても勢いは衰えず、フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)・リュパン賞(仏GⅠ)を制して大本命で仏ダービー(仏GⅠ)に向かった。しかし仏ダービーの4日前に、日本有数の紳士服及び婦人服メーカーである株式会社オンワード樫山の創業者樫山純三氏(ミスオンワードの馬主でもあり、本馬の血統を評価していたのであろう)により115万ドル(当時の為替レートで約3億7千万円)で購買された。仏ダービーでは鞍上にレスター・ピゴット騎手を配して完勝し、樫山氏は日本人馬主として史上初めて欧州クラシック競走を制した事になった(ただし、地元の新聞では日本人が名誉を金で買ったと批判的な論調も見られた)。その後はニエル賞(仏GⅡ)を勝ち、凱旋門賞(仏GⅠ)に1番人気で登場したがサンサンの8着。翌年も走ったが、凱旋門賞(仏GⅠ)でラインゴールドの3着が目立つ程度と活躍は出来ず、14戦7勝の成績で引退。5歳時から仏国で種牡馬入りし、供用3年後に樫山氏が所有する日本のオンワード牧場に輸入された。仏国では仏オークス・サンクルー大賞を制した名牝デュネットを出したために日本でも期待され、実際にそれなりの活躍は示したが、最後まで大物競走馬を出す事は出来ず、1990年に21歳で他界、直系は残らなかった。

ハードツービートの父ハーディカヌートも日本では牡駒の活躍馬を出せないまま1982年に種牡馬を引退している。そしてハーディカヌートの父である本馬も1981年に26歳で他界した。しかしロングエースの産駒で競走馬としては未勝利だったハクタイユーが、世にも稀な白毛馬だったため種牡馬入りを果たし、ハクタイユーの産駒でいずれも白毛馬だったハクホウクン(現役時代3勝)とハクタイヨー(母がマチカネタンホイザの半姉なので、母系はスターロッチ系)も種牡馬となっており、21世紀になっても細々と本馬の直系は残っている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1961

エイコウザン

川崎記念(川崎)

1962

Hardicanute

タイムフォーム金杯・英シャンペンS・バリモスS

1963

ハードイット

神戸盃・京都盃

1965

Giolla Mear

愛セントレジャー

1966

Hardatit

仏チャンピオンハードル2回

1969

オーナーズダブーン

紅花特別(上山)

1969

ツキカゲオー

出塚記念(新潟)・若草賞(三条)・日本中央競馬会理事長賞典(新潟)・組合設立記念(高知)

1969

ロングエース

東京優駿・弥生賞

1970

スズカハード

金鯱賞

1972

ナラサンザン

京都記念

1972

ニホンピロエイホウ

葵特別(紀三井寺)

1972

ロングホーク

スプリングS・朝日チャレンジC・阪神大賞典・日本経済新春杯・大阪杯

1974

リニアクイン

優駿牝馬・京都金杯

1979

マサヒコボーイ

京都記念・日経新春杯(GⅡ)

1979

ヨロズハピネス

中山金杯

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