和名:アラムシャー |
英名:Alamshar |
2000年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:キーオブラック |
母:アライーダ |
母父:シャーラスタニ |
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愛ダービーでダラカニに生涯唯一の黒星を付け、ハイレベルなキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも完勝した名馬だが日本で種牡馬として苦戦中 |
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競走成績:2・3歳時に愛英で走り通算成績9戦5勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
アガ・カーンⅣ世殿下により生産・所有された愛国産馬で、愛国ジョン・オックス調教師に預けられた。主戦はジョニー・ムルタ騎手で、本馬の全レースに騎乗した。
競走生活(2歳時)
2歳9月に愛国の商業都市リストウェル市にあるリストウェル競馬場で行われた芝8ハロンの未勝利ステークスでデビュー。単勝オッズ5.5倍の3番人気という評価だった。馬群の中団後方につけた本馬は、残り2ハロン地点で仕掛けて残り1ハロン地点で先頭に立ち、そのまま2馬身差で快勝した。
続くベレスフォードS(愛GⅢ・T8F)では、後の英セントレジャー馬ブライアンボル、ザグレートギャツビーという、本馬と幾度も顔を合わせることになる2頭などが対戦相手となり、単勝オッズ8倍の5番人気に留まった。ここでは後方2番手につける追い込み戦法を選択。そしてゴール前で素晴らしい伸びを見せて、好位から抜け出していたブライアンボルを頭差捕らえて勝利した。
2歳時はこの2戦のみで休養入りしたが、ブライアンボルがこの後にレーシングポストトロフィーを勝って英ダービーの有力候補となったこともあり、本馬も将来を嘱目されるようになった。本馬は当初、英ダービーに登録が無かったのだが、アガ・カーンⅣ世殿下は9千ポンドの追加登録料を支払って、本馬を英ダービーに登録した。
競走生活(3歳時)
3歳時は4月のバリサックスS(愛GⅢ・T10F)から始動。このレースには愛国の名門エイダン・パトリック・オブライエン厩舎所属のクリテリウムドサンクルー勝ち馬アルベルトジアコメッティも出走しており、単勝オッズ1.67倍の1番人気だったアルベルトジアコメッティと、単勝オッズ2.25倍の2番人気だった本馬の一騎打ちムードだった。ところがレースではアルベルトジアコメッティのペースメーカー役だったはずのバレストリーニ(単勝オッズ34倍の最低人気)が、道中で後続を10馬身以上引き離す逃げを打ってそのまま勝ってしまった。本馬は直線の追い込み届かず半馬身差の2着に敗れた(アルベルトジアコメッティは本馬から5馬身差の3着)が、ゴール前の猛追は印象的なものであり、英ダービーに向けての期待はむしろ高まったという。
次走のデリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ・T10F)では、ブライアンボルやザグレートギャツビーを抑えて、単勝オッズ1.53倍という断然の1番人気に支持された。スタートからザグレートギャツビーが逃げを打ち、本馬はここでは3番手を追走した。そして残り3ハロン地点で仕掛けてザグレートギャツビーをかわして先頭に立ったが、ゴール前でザグレートギャツビーに差を詰められ、なんとか頭差で勝利するという内容だった。勝ちはしたものの内容的には前走よりむしろ悪く、オックス師は本馬の蹄に出来ていた腫れ物が完治していなかった事を理由に挙げた。
それでも、バリサックスS2着・デリンズタウンスタッドダービートライアルS1着というのは、本馬と同じく所有者がアガ・カーンⅣ世殿下、調教師がオックス師、主戦がムルタ騎手だった3年前の英ダービー馬シンダーと同じであり、本番の英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)では単勝オッズ5倍の2番人気に推された。対戦相手は、単勝オッズ3.75倍の1番人気に支持されていた4戦無敗の英2000ギニー馬リフューズトゥベンド、デリンズタウンスタッドダービートライアルSで3着だったブライアンボル、ディーSを勝ってきたクリスキン、リュパン賞で3着してきたアルベルトジアコメッティ、英2000ギニー3着馬ノーズダンサー、ザグレートギャツビー、チェスターヴァーズを勝ってきたダッチゴールド、ダンテSを勝ってきたマジストレッティ、サンダウンクラシックトライアルSを勝ってきたシールドなどだった。
レースではザグレートギャツビーが逃げを打ち、リフューズトゥベンドやブライアンボルなどがそれを追って先行集団を形成。本馬やクリスキンが馬群の中団につけた。そのままの体勢で直線に入ると、クリスキンが本馬より先に抜け出して先頭のザグレートギャツビーを追撃。そして本馬も外側に持ち出して追い上げていった。しかしクリスキンとザグレートギャツビーの2頭を捕らえることは出来ず、勝ったクリスキンから1馬身差の3着に敗れた。
本馬の次走には愛ダービーが予定され、ここで本馬と同じくアガ・カーンⅣ世殿下の所有馬(ただし所属は仏国アラン・ド・ロワイエ・デュプレ厩舎)である仏ダービー馬ダラカニと直接対決することになった。しかし本馬はレース前に背部筋肉痛を起こしていた。その状態は非常に悪く、真っ直ぐ歩く事も出来ないほどだった。そのために本馬は回避するのではと予測されていたが、カイロプラクティック治療を受けた本馬の状態は改善し、出走に漕ぎ着けた。
この愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、ダラカニが単勝オッズ1.57倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気に推された。この2頭の他にもザグレートギャツビー、ブライアンボル、レーシングポストトロフィー2着馬パワーズコートといった実力馬が顔を連ねた。スタートが切られると、ザグレートギャツビーやブライアンボルを管理するオブライエン師が送り込んできたペースメーカー役のハイカントリーが逃げを打ち、ダラカニが3番手、本馬が5番手の好位につけた。残り2ハロン地点でダラカニが抜け出して先頭に立ったが、そこへ好位から追い上げてきた本馬が並びかけて叩き合いに持ち込んだ。そして本馬が一騎打ちを半馬身差で制して優勝し、ダラカニに生涯唯一の黒星をつけた。
次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、本馬に加えて、英チャンピオンS・ドバイシーマクラシック・英国際S・プリンスオブウェールズSの勝ち馬ネイエフ、英ダービー馬クリスキン、仏ダービー・ドバイシーマクラシックの勝ち馬スラマニ、ジャパンC・イスパーン賞・エクリプスSなどの勝ち馬ファルブラヴ、コロネーションC勝ち馬ウォーサン、英セントレジャー馬ボーリンエリック、英セントレジャー馬ミレナリー、ミラノ大賞勝ち馬リーダーシップ、プリンスオブウェールズS・愛チャンピオンSの勝ち馬グランデラなど、出走馬12頭中10頭がGⅠ競走優勝馬という稀に見るハイレベルなメンバー構成となった。単勝オッズ4倍のネイエフ、単勝オッズ4.5倍のクリスキン、単勝オッズ5.5倍のスラマニ、単勝オッズ7.5倍の本馬、単勝オッズ13倍のファルブラヴの順で人気となり、前年のカルティエ賞最優秀古馬であるグランデラが近走不調とは言え単勝オッズ34倍の11番人気となるほどの混戦模様だった。
スタートが切られると、ネイエフ陣営が送り込んできたペースメーカー役のイズディハムが先頭に立ち、ネイエフやファルブラヴが先行、クリスキンやスラマニは後方待機策を採った。一方の本馬は、積極的にイズディハムを追いかけて2番手につけるという、今までとは異なるレースぶりだった。そして直線に入ると早めに抜け出して後続を引き離した。最後は2着スラマニに3馬身半差をつけて完勝し、快刀乱麻を断つように混戦に決着をつけた。
その後は凱旋門賞出走が期待されたが、アガ・カーンⅣ世殿下がダラカニのみを凱旋門賞に向かわせる事にしたため、本馬は別路線に進むことになった。BCクラシックを目標とするのではとの憶測も流れたが、オックス師は、本馬はダート向きでは無いとしてそれを否定した。
結局本馬の次走は愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)となった。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS5着後に英国際Sを勝ってきたファルブラヴ、前年の英ダービー・愛ダービー・BCターフの勝ち馬ハイシャパラル、愛オークス馬ヴィンテージティプル、ドバイワールドC勝ち馬ムーンバラッド、ヨークシャーオークス2連覇・ナッソーS勝ちのイズリントンといった強豪馬勢が対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持された。ハイシャパラルを管理するオブライエン師が送り込んできたペースメーカー役のフランスが逃げを打ち、ムーンバラッドが2番手、本馬が3番手、ハイシャパラルとファルブラヴが4~5番手につけた。そのままの態勢で直線に入ってきたが、本馬は今ひとつ伸びを欠き、ハイシャパラル、ファルブラヴ、イズリントンの3頭に差されて、ハイシャパラルの2馬身差4着に終わった。
次走は英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)となった。このレース前に本馬が日本中央競馬会に購入されて日本で種牡馬入りする事と、これが引退レースとなる事が発表された。英1000ギニー・コロネーションS・ナッソーSを勝っていたこの年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬ルシアンリズム、ネイエフ、ジャンプラ賞・パリ大賞の勝ち馬ヴェスポン、伊ダービー・伊共和国大統領賞の勝ち馬ラクティ、愛2000ギニー馬インディアンヘイヴンなどを抑えて単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。スタートが切られるとミドルマーチという馬が先頭に立ち、やや出遅れた本馬もミドルマーチを追って先行した。そしてレース中盤でミドルマーチをかわして早くも先頭に立つという積極的な走りを見せた。しかしこの作戦は結果には結び付かず、終盤に失速してラクティの6馬身3/4差6着に敗退し、有終の美を飾る事は出来なかった。
3歳時の成績は7戦3勝だった。アガ・カーンⅣ世殿下は後に自身が所有する最高級のヨットに本馬の名前を付けている。
血統
Key of Luck | Chief's Crown | Danzig | Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | |||
Petitioner | ||||
Six Crowns | Secretariat | Bold Ruler | ||
Somethingroyal | ||||
Chris Evert | Swoon's Son | |||
Miss Carmie | ||||
Balbonella | ゲイメセン | Vaguely Noble | ヴィエナ | |
Noble Lassie | ||||
Gay Missile | Sir Gaylord | |||
Missy Baba | ||||
Bamieres | Riverman | Never Bend | ||
River Lady | ||||
Bergamasque | Kashmir | |||
Bergame | ||||
Alaiyda | シャーラスタニ | Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | ||||
Flaming Page | Bull Page | |||
Flaring Top | ||||
Shademah | Thatch | Forli | ||
Thong | ||||
Shamim | Le Haar | |||
Diamond Drop | ||||
Aliysa | Darshaan | Shirley Heights | Mill Reef | |
Hardiemma | ||||
Delsy | Abdos | |||
Kelty | ||||
Alannya | Relko | Tanerko | ||
Relance | ||||
Nucciolina | Nuccio | |||
Mah Behar |
父キーオブラックはチーフズクラウン産駒で、1996年のカルティエ賞最優秀短距離馬アナバーの半兄に当たる。現役成績は17戦6勝、GⅠ競走ではピムリコスペシャルH(米GⅠ)の2着が最高だったが、アランベール賞(仏GⅢ)を勝ち、第1回ドバイデューティーフリー(当時はグレード格付け無し)を20馬身差で大勝するなど、芝とダートを問わず活躍した。競走馬引退後は米国で種牡馬入りし、2012年に心臓麻痺のため21歳で他界している。種牡馬としてはそれほど成功したとは言えず、本馬が唯一のGⅠ競走勝ち馬である。
母アライーダは現役成績5戦1勝。本馬以外に活躍馬を産んではいないが、本馬の半姉アルバイーダ(父ブリーフトゥルース)の子にはフラワーズオブスプリング【デニーコーデルラヴァラックフィリーズS(愛GⅢ)】が、本馬の半姉アラヤ(父エラマナムー)の子にはアラヤン【レパーズタウン2000ギニートライアル(愛GⅢ)・ムーアズブリッジS(愛GⅢ)】がいる。アライーダの半弟にはデザートストーリー(父グリーンデザート)【ホーリスヒルS(英GⅢ)・クレイヴンS(英GⅢ)】がいる。
アライーダの母アリーサは、愛オークス(愛GⅠ)2着馬で、英オークス(英GⅠ)では1位入線するも、かなり日数が経過した後に禁止薬物検出のため失格となった(繰り上がり優勝したスノーブライドは後にラムタラの母となった)。アリーサの生産・所有者だったアガ・カーンⅣ世殿下はこの失格判定に抗議して、その後5年間に渡り英国競馬に自身の所有馬を出走させようとしなかった。アリーサの5代母マーマハルはムムタズマハルの娘で、マームードの母である。アリーサの全妹アリヤの子にはアランディ【愛セントレジャー(愛GⅠ)・カドラン賞(仏GⅠ)】が、アリーサの従兄弟にはニシャプール【仏2000ギニー(仏GⅠ)】とナシュポア【ロスマンズ国際S(加GⅠ)】が、アリーサの従姉妹キョウエイシラユキの孫には日本で走ったワールドクリーク【東京大賞典(GⅠ)】とスマートファルコン【JBCクラシック(GⅠ)2回・東京大賞典(GⅠ)2回・帝王賞(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)】の兄弟が、アリーサの従姉妹アルカバの孫にはアルボラーダ【英チャンピオンS(英GⅠ)2回】、アルバノヴァ【ドイツ賞(独GⅠ)・ラインラントポカル(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)】、オージールールズ【仏2000ギニー(仏GⅠ)・シャドウェルターフマイルS(米GⅠ)】、クォータームーン【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)】、イエスタデイ【愛1000ギニー(愛GⅠ)】が、曾孫にはアレグレット【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】がおり、なかなかの名門牝系である。→牝系:F9号族③
母父シャーラスタニは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、日本軽種馬協会静内種馬場で種牡馬入りした。初年度こそ65頭の繁殖牝馬を集めたものの、翌2005年は4頭に激減してしまった。そのため同年に愛国ナショナルスタッドにリースされていったん日本を去った。2007年9月に日本に残してきた産駒のバイタリティーがサンライズCで重賞勝ちを記録した影響もあり、その翌月に再度来日して、日本軽種馬協会静内種馬場に戻ってきた。翌年からは日本軽種馬協会七戸種馬場、2013年からは日本軽種馬協会九州種馬場で供用されている。
しかし再来日後も交配数は殆ど伸びず、2008年は7頭、2009年は5頭、2010年は1頭、2011年は0頭、2012年は1頭、2013年は4頭、2014年は1頭という有様であり、種牡馬としては殆ど活動できていない。現在のところ、バイタリティー以外の重賞勝ち馬も出ておらず、かなり苦戦気味である。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
2005 |
バイタリティー |
サンライズC(H3) |