和名:コロナック |
英名:Coronach |
1923年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ハリーオン |
母:ウェットキス |
母父:トレデニス |
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喉鳴りの持病やスタート難などを抱えながら英ダービー・英セントレジャーなど英国の大レースを次々と圧勝した名馬ハリーオンの最高傑作 |
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競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績14戦10勝2着3回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
父ハリーオンの所有者だった初代ウーラヴィントン卿ジェームズ・ブキャナン氏の生産・所有馬。体高は16.2ハンドと、父ハリーオンほどではないが大柄な好馬体の持ち主だった。父と同様にフレッド・ダーリン調教師の元で鍛えられた本馬は、仕上がりが遅かった父とは異なり早い段階から活躍した。
競走生活(2歳時)
2歳7月にソールズベリー競馬場で行われた未勝利プレートでデビューして勝ち上がった。同月にグッドウッド競馬場で出走したロウス記念Sでは馬なりのまま走り、後に英1000ギニーを勝ちチェヴァリーパークSで2着するピリオンを4馬身差の2着に破って完勝。まるで本気を出しているように見えなかったレースぶりに、早くもこの年の英国2歳馬としては最上級の一頭という評判が出た。9月にドンカスター競馬場で出走した英シャンペンS(T6F)ではスタートから先頭に立つと、そのまま後続を寄せ付けることなく、ジュライSの勝ち馬アップルサミーを2馬身差の2着に、チェシャムS・モールコームSの勝ち馬レビューオーダーを3着に破って完勝した。
しかしその後に本馬は咳の症状が出てしまった。いったん回復したと判断されたためにミドルパークプレート(T6F)に出走したが、英シャンペンSで着外に破っていたジムクラックSの勝ち馬レックスに首差敗れて2着に終わった。レースを走り終えて戻ってきた本馬は熱発しており、明らかに体調が悪そうに見えたという。この段階では本馬の咳の症状は風邪と思われていたのだが、実は喘鳴症の兆候であったことが後に判明している。その後のデューハーストプレートには出走せずに、2歳時は4戦3勝の成績で休養入りした。本馬不在のデューハーストプレートはレビューオーダーが勝っている。2歳フリーハンデでは126ポンドという同世代トップタイの評価を得た。
競走生活(3歳時)
3歳時は英2000ギニーを目指して前哨戦のコラムプロデュースSから始動して勝利。そして本番の英2000ギニー(T8F)では、圧倒的な1番人気に支持された。しかしスタートで後手を踏んでしまい、勝った単勝オッズ13.5倍の伏兵コロラドに5馬身差をつけられて2着に敗れ、英国競馬界に衝撃を与えた(アップルサミーが本馬から3馬身差の3着だった)。
次走の英ダービー(T12F)ではコロラドに1番人気を譲り、単勝オッズ6.5倍の2番人気での出走となった。本馬の人気が下がったのは距離不安が囁かれていたためでもあるらしい。レースは土砂降りの中で行われた。英2000ギニーでも本馬に騎乗したジョー・チルズ騎手が手綱を取る本馬は、英2000ギニーとは逆に終始コロラドの前を走り続けた。そしてゴール前では馬なりのまま走り、2着となった後のハードウィックSの勝ち馬ランスゲイに5馬身差、3着コロラドにはさらに短頭差をつけて優勝した。チルズ騎手の得意戦法は差し追い込みであり、スタートから前に行きたがるタイプだった本馬とはミスマッチであると彼は感じていたらしく、英ダービー後に「あの野郎は私を無理矢理引っ張って逃げやがった!」と叫んだという。
その後はセントジェームズパレスS(T8F)に出走し、2着レックスを20馬身もちぎって大圧勝した。さらにエクリプスS(T10F)に駒を進め、単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。そして2着コメディーキングに6馬身差、3着クロスボウにはさらに4馬身差をつけて圧勝。ゴール前で鞍上のチルズ騎手が周囲を見回したが、本馬を脅かすような他馬の影はどこにも無かったという。
その後は英セントレジャー(T14F132Y)に向かい、単勝オッズ1.53倍の1番人気に支持された。しかしまたしてもスタートで後手を踏み、4馬身差ものロスを蒙ってしまった。それでもどんどん前方に進出していき、直線入り口では後続に6馬身差をつけて先頭に立っていた。さすがにゴール前では差を縮められたが、2着となったプリンスオブウェールズSの勝ち馬ケイゾットに2馬身差、3着となったナッソーSの勝ち馬フォリアティにはさらに6馬身差をつけて、3分01秒6のコースレコードを計時して優勝した。3歳時の成績は6戦5勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時も現役を続け、まずはコロネーションC(T12F)に出走。愛2000ギニー・愛ダービーの勝ち馬エンバーゴ、ジョッキークラブSの勝ち馬で次走のアスコット金杯を勝つフォックスローといった実力馬が出走してきたが、本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。そしてレースでもスタートからゴールまで先頭を走り続けて優勝。勝ちタイムは2分34秒0という好タイム(48年後の同レースでバスティノが樹立したレコードタイムが2分33秒31)だったとされている。次走のハードウィックS(T12F)でも12馬身差で圧勝した。
しかし英ダービー3着後にニューベリーサマーC・ロウス記念Sを勝っていた好敵手コロラドとの久々の対戦として期待されたプリンセスオブウェールズS(T12F)では、残り1ハロン地点で失速してしまい、本馬を差し切って勝利したコロラドから8馬身差をつけられて2着に敗れた。実はこの時点で2歳時から兆候が出ていた本馬の喉鳴りは、既に他馬陣営にも公然の秘密として知れ渡るほど悪化していたようで、コロラドを管理していたジョージ・ラムトン調教師はそれを踏まえた上で本馬を倒す作戦を練っていたようである。次走のエクリプスS(T10F)でも、勝ったコロラドから7馬身差をつけられた3着最下位に敗退。このレースを最後に4歳時4戦2勝の成績で競走馬を引退した。最後はコロラドに2連敗したが、敗因の一つが喉鳴りにある事が明らかであったため、本馬の評価を貶める事にはならなかった。
血統
Hurry On | Marcovil | Marco | Barcaldine | Solon |
Ballyroe | ||||
Novitiate | Hermit | |||
Retty | ||||
Lady Villikins | Hagioscope | Speculum | ||
Sophia | ||||
Dinah | Hermit | |||
The Ratcatcher's Daughter | ||||
Tout Suite | Sainfoin | Springfield | St. Albans | |
Viridis | ||||
Sanda | Wenlock | |||
Sandal | ||||
Star | Thurio | Cremorne | ||
Verona | ||||
Meteor | Thunderbolt | |||
Duty | ||||
Wet Kiss | Tredennis | Kendal | Bend Or | Doncaster |
Rouge Rose | ||||
Windermere | Macaroni | |||
Miss Agnes | ||||
St. Marguerite | Hermit | Newminster | ||
Seclusion | ||||
Devotion | Stockwell | |||
Alcestis | ||||
Soligena | Soliman | St. Simon | Galopin | |
St. Angela | ||||
Alibech | Hermit | |||
Musket Mare | ||||
St. Guntheirn | Carbine | Musket | ||
Mersey | ||||
St. Bees | St. Simon | |||
Beatrice |
父ハリーオンは当馬の項を参照。
母ウェットキスは現役時代3勝を挙げ、英オークスでもフィフィネラの4着と好走している。しかし非常に気性に難があった馬であるらしく、その調教は困難を極めたという。本馬はウェットキスの5番子だが、本馬の姉弟に活躍馬はいない。しかし本馬の半姉ミスジーン(父ポマーン)の牝系子孫が発展しており、アントニオカナーレ【ミラノ大賞・伊ジョッキークラブ大賞】、アッピアーニ【伊ダービー・伊共和国大統領賞】、テンパランスヒル【ベルモントS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】、ヴァンランディンガム【サバーバンH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)】、ディスタントミュージック【デューハーストS(英GⅠ)】、アフリカンローズ【スプリントC(英GⅠ)】などが出ている。
ウェットキスの全弟ソルデニスは愛2000ギニーなど26勝を挙げた活躍馬で、ソルデニスの半妹オレナ(父オーピメント)の孫コーンフィールドも愛2000ギニー馬。母系を遡ると、19世紀英国の名牝アリスホーソンの娘レディホーソンへと行きつく。→牝系:F4号族②
母父トレデニスは英1000ギニー馬にして根幹繁殖牝馬のセントマルゲリートがこの世を去る前日に産み落とした最後の子で、競走馬としては3戦未勝利と振るわなかったが、その血統が評価されて種牡馬入りし、英愛で何頭もの大レース勝ち馬を送り出して成功した。トレデニスの父ケンダルはガルティモアの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国ウェストサセックス州にあるラヴィントンスタッドで種牡馬入りした。本馬の名声は仏国や伊国まで届いていたらしく、マルセル・ブサック氏やフェデリコ・テシオ氏は所有する繁殖牝馬を英国に派遣して本馬と交配させ、凱旋門賞2連覇のコリーダや、伊国の大競走を総なめにしたヤコパデルセラヨやニコロデラルカといった活躍馬を生産する事に成功した。ところが肝心の英国内における本馬の種牡馬成績は不振で、1940年に本馬は新国に輸出された。英ダービー馬が新国に輸出されたのは本馬が初めてである。1949年に新国において26歳で他界したという。本馬の直系は南米でしばらく継続したが、現在は途絶えている。しかし伊国で種牡馬としても成功したニコロデラルカが母系に入って存在感を示している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1929 |
Jacopa del Sellaio |
伊グランクリテリウム・伊1000ギニー・伊2000ギニー・伊オークス・伊ダービー |
1930 |
Highlander |
ディーS |
1930 |
Lament |
バルブヴィル賞 |
1930 |
Lochiel |
クレイヴンS |
1932 |
凱旋門賞2回・モルニ賞・仏共和国大統領賞・ベルリン大賞・エドヴィル賞・ハードウィックS |
|
1933 |
Corpach |
サセックスS |
1933 |
Crested Crane |
チャイルドS |
1938 |
Le Corail |
ダリュー賞 |
1938 |
Niccolo Dell'Arca |
伊グランクリテリウム・伊2000ギニー・伊ダービー・イタリア大賞・ミラノ大賞・ベルリン大賞・伊ジョッキークラブ大賞・ローマ賞 |