プリンセスドリーン

和名:プリンセスドリーン

英名:Princess Doreen

1921年生

鹿毛

父:スパニッシュプリンス

母:レディードリーン

母父:オグデン

古馬になっても頑健にハンデ競走を走りまくって北米賞金女王に輝き米国顕彰馬にも選ばれたケンタッキーオークス馬

競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績94戦34勝2着15回3着17回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州の名馬産家ジョン・E・マッデン氏によってハンブルグプレイスファームにおいて生産され、オードリーファームステーブルとモントフォート・ジョーンズ氏名義で競走馬となり、ケイ・スペンス調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳時からかなりのレース数を消化した。ケンタッキー州ラトニア競馬場で出走したフォートトーマスH(D6F)では、後のクラークH・ラトニアダービーの勝ち馬でケンタッキーダービー2着のチホウィーの鼻差2着。メイトロンS(D6F)では、ツリートップ、ネリーモスに続く3着だった。2歳時の成績は13戦5勝2着2回3着1回だった。

翌3歳時はケンタッキーオークス(D9F)で、牡馬相手のプリークネスSを勝ってきたネリーモスと対戦。結果はネリーモス(3位入線)には先着したものの、グライドという馬に先着されて2位入線。しかしグライドが進路妨害で失格となったため、本馬が繰り上がって勝利者となった。CCAオークス(D11F)では、この年のレディーズHを勝つピムリコオークス2着馬リレントレスを2着に破って勝利した。

この後の本馬は牡馬相手のレースを含む一線級で活躍。フォールズシティH(D9F)では牡馬を蹴散らして勝利。レイバーデーH(D10F)では、2着ラヴェーンに8馬身差をつけて圧勝した。コビントンH(D8.5F)では、後のジョッキークラブ金杯の勝ち馬アルタウッドを着外に沈めて勝利した。シカゴスペシャル(D9.5F)では、1分57秒2のコースレコードで走破した牡馬ギブロンの首差2着だった。アラバマS(D10F)では、CCAオークスで3着だったガゼルHの勝ち馬プリシラルレイの2着に敗れた。ガズデンDブライアン記念H(D8F)では、重馬場の中をよく頑張ったものの、牡馬ドナヒーの2着に敗れた。ラトニアオークス(D10F)では、ケンタッキーオークスで繰り上がり3着だったビーファドルが2分02秒4のコースレコードで勝利を収め、本馬は首差2着だった。プリンスジョージフォールH(D9F)では、1分55秒4のコースレコードで走ったドナヒーの2着だった。

10月にはこの年行われた国際競走インターナショナルスペシャルの第3戦(D10F)に唯一の牝馬として参戦。仏国の歴史的名馬エピナード、この年の米年度代表馬に輝くシャンペンS・カーターH・マンハッタンHの勝ち馬サラゼン、トラヴァーズS・マンハッタンH2回・ブルックリンHの勝ち馬リトルチーフ、ベルモントSの勝ち馬マッドプレイ、この年のジョッキークラブ金杯の勝ち馬マイプレイ、クラークHの勝ち馬チルホウィーなどの強豪牡馬勢が相手となり、結果はサラゼンの着外に敗れた。3歳時の成績は18戦8勝2着5回3着1回で、後年になってネリーモスと共に米最優秀3歳牝馬を受賞した。

競走生活(4歳時)

2・3歳時にもハンデ競走に参戦していた本馬だが、古馬になると米国競馬の常としてさらに多くのハンデ競走に出走し、各レースで重い斤量を背負う事となる。しかし4歳時の本馬は重い斤量を物ともせずに、前年を上回るレース数に出走。インディペンデンスH・ガヴァナーボウイーH(D13F)・シンシナティエンクワイアラーHをいずれも129ポンドで勝利した。ガヴァナーボウイーHでは、ローレンスリアライゼーションSの勝ち馬でシャンペンS・トラヴァーズS2着・サバーバンH3着のアガカーン、サラトガC・サラトガHの勝ち馬でピムリコフューチュリティ・ジョッキークラブ金杯3着のマイオウンという前年の同競走2・3着馬を今回も2・3着に破って勝利している。ウエスタンヒルズHでは126ポンドで勝利。オータムHでは133ポンドを課せられたが、それでも勝利した。シンシナティタイムズスターH・コマーシャルトリビューンH(D8F)を130ポンドで勝利すると、コビントンH(D8.5F)ではやはり130ポンドを背負いながらも勝利を収めて2連覇を達成。特に牡馬相手に勝利したガヴァナーボウイーH・オータムH・コビントンHは本馬のベストレースとされている。

サンクスギビングH(D9.5F)では、伯父サーマーティン産駒の牡馬ジョイスモークの2着。シカゴスペシャル(D9.5F)では、前年のコースレコードを0秒8更新するタイムで駆け抜けたマッドプレイの3着だった。ガズデンDブライアン記念H(D8F)では、これまたコースレコードで駆け抜けたサラゼンの3着だった。グレインジャー記念H(D10F)では、牡馬キングナディの3着。フリントストーン記念H(D8F)でも、牡馬ジョンティーディーの3着だった。ピムリコカップH(D18F)では、ヒューロンH・ラトニアCSSの勝ち馬でローレンスリアライゼーションS3着のロックミニスター、同距離のジョッキークラブカップHを2連覇する事になるハローヴィアンの2頭のスタミナ自慢の牡馬に屈して、ロックミニスターの3着だった。エンクワイアラーH(D8.5F)では、牡馬サーピーターの3着だった。ラトニアイノーギュラルH(D8.5F)では、ケンタッキーダービー2着馬キャプテンハルの3着だった。4歳時は25戦11勝2着3回3着8回の成績を残し、後年になってこの年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれた。

競走生活(5・6歳時)

5歳時も前年と同様のペースで走り続けた。さすがに衰えが見えてきたのか、勝ち鞍数は前年より減ったものの、それでもラトニアイノーギュラルH(D8.5F)・サラトガH(D10F)を勝利。不良馬場で行われたサラトガHでは、この年のプリークネスS2着馬ブロンディンを2着に、この年のサバーバンH3着馬で一昨年のジョッキークラブ金杯2着のキングソロモンズシールを3着に、前年まで2年連続米年度代表馬を受賞しこの年も米最優秀ハンデ牡馬騙馬に選ばれるサラゼンを5着に下して勝っている。グレインジャー記念H(D10F)では、前年の同競走の勝ち馬キングナディの2着だったが、前年の同競走で本馬に先着する2着だったキャプテンハルは3着に抑えている。サラトガC(D14F)では、ローレンスリアライゼーションSの勝ち馬でベルモントS・ジョッキークラブ金杯2着のエスピノ、プリークネスSの勝ち馬ディスプレイという2頭のスタミナ豊富な3歳牡馬に屈して、エスピノの3着だった。ピムリコカップH(D18F)では、この年のCCAオークス・ラトニアオークスの勝ち馬で2年後の同競走も勝つこの年の米最優秀3歳牝馬エディスキャベル、ベルモントS・ドワイヤーS・サバーバンH・ジョッキークラブ金杯・リグス記念H・ハヴァードグレイスH・メリーランドH・ヒューロンHを勝ってこの年の米年度代表馬及び米最優秀3歳牡馬に選ばれる後の米国顕彰馬クルセイダーという2頭の3歳馬に敗れて、エディスキャベルの3着だった。5歳時の成績は26戦6勝2着4回3着4回で、後年になって2年連続の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれた。

6歳時も現役を続け、インディペンデンスH・グレーターシカゴHを勝ち、ホテルスタットラーHで2着。リンカーンH(D10F)では、この年のジョッキークラブ金杯・トボガンH・サラトガカップH・ハヴァードグレイスH・マーチャンツ&シチズンズHを勝って米年度代表馬に選ばれるチャンスプレイ(後に北米首位種牡馬2回)が2分05秒2のコースレコードで勝利を収め、本馬は3着だった。他にもオークパークHで3着するなどして、6歳時は12戦4勝2着1回3着3回の成績を残した。この年を最後に競走馬を引退。

獲得賞金総額は17万4745ドルに達し、ミスウッドフォードを抜いて北米賞金女王の座に就いた。2年連続で米最優秀ハンデ牝馬に選ばれた馬は過去に、1889・90年のフィレンツェ、1899・1900年のインプ、1903・04年のガンファイア、1923・24年のチャコレットの例があったが、いずれも米最優秀3歳牝馬は獲得していない。リグレットは1914年の米最優秀2歳牝馬・1915年の米最優秀3歳牝馬(及び米年度代表馬)・1917年の米最優秀ハンデ牝馬を受賞しており、前述のフィレンツェは1887年の米最優秀2歳牝馬を受賞しているが、3年連続で同世代の牝馬の頂点に立った馬は本馬が米国競馬史上初の例である。

血統

Spanish Prince Ugly Minting Lord Lyon Stockwell
Paradigm
Mint Sauce Young Melbourne
Sycee
Wee Agnes Strathconan Newminster
Souvenir
Fair Agnes Dollar
Wild Agnes
Galazora Galeazzo Galopin Vedette
Flying Duchess
Eira Kisber HUN
Aeolia
Hampton Agnes Royal Hampton Hampton
Princess
Jolie Agnes Hermit
Belle Agnes
Lady Doreen Ogden Kilwarlin Arbitrator Solon
True Heart
Hasty Girl Lord Gough
Irritation
Oriole Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Fenella Cambuscan
La Favorite
Lady Sterling Hanover Hindoo Virgil
Florence
Bourbon Belle Bonnie Scotland
Ella D
Aquila Sterling Oxford
Whisper
Eagle Phoenix
Au Revoir

父スパニッシュプリンスは英国産馬で、ジュライC2回・キングズスタンドS・キングジョージS・ロウス記念S・ヴィクトリアCを勝つなど英国短距離路線で活躍した。競走馬を引退後は米国に種牡馬として輸入されていた。遡るとジュライCの勝ち馬アグリーを経てミンティングに行きつく血統。

母レディードリーンは現役成績こそ9戦未勝利と振るわなかったが、全兄に米英で走ったサーマーティン【グレートアメリカンS・サラトガスペシャルS・ナショナルスタリオンS・チャレンジS・コロネーションC】、半弟に史上初の米国三冠馬サーバートン(父スターシュート)【ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・ウィザーズS・ポトマックH・メリーランドH・サラトガH】がいるという優れた血統背景の持ち主だった。→牝系:F9号族①

母父オグデンはザフィンの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は繁殖入りし、8頭の産駒を産んだ。この中で勝ち上がったのは僅か1頭だったが、その1頭であるミスドリーン(父ピラト)はサンタマルガリータ招待Hを勝つなど58戦16勝の成績を残し、母の実力の一端を垣間見せてくれた。本馬は1952年に他界、31歳という高齢だった。1955年に米国調教師協会がデラウェアパーク競馬場において実施した米国歴代強豪牝馬アンケートでは、第8位にランクされた。1982年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

本馬の牝系は、ミスドリーンとその全妹ダッチェスドリーンの子孫が伸び、いずれも21世紀まで繋がっている。ミスドリーンの子孫からはこれといった活躍馬は出ていないが、ダッチェスドリーンの孫にはグレタ【デルマーオークス】、曾孫にはブラウンベス【ラモナH(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)】が出ている。

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