ラヴァマン

和名:ラヴァマン

英名:Lava Man

2001年生

黒鹿

父:スルーシティースルー

母:リルミズレオナルド

母父:ノスタルジアズスター

地元カリフォルニア州内で芝・ダート・オールウェザーを問わずに圧倒的な実力を示しクレーミング競走で取引された馬として史上最高の賞金を稼ぎ出す

競走成績:2~8歳時に米日首で走り通算成績47戦17勝2着8回3着5回

当初はただ同然の安馬だったにも関わらず、最終的に大出世して莫大な賞金を稼ぎ出した馬は古今東西たまに見受けられる。米国ではこうした馬を“Rags to Riches(無一文の状態から大金持ちになる)”と表現する(馬に限らず人間にも頻繁に使用される。筆者が海外の資料を調べるとその代表例として挙げられていた歴史上の人物は、漢の高祖劉邦、ジンギス・カン、豊臣秀吉などである)。ちなみに2007年のベルモントSに勝利した牝馬の名前にはこの表現がそのまま付けられているが、このラグストゥリッチズは1歳時に190万ドルで取引されているから、名が体を現していない。米国競馬界においてこの“Rags to Riches”の代表格として知られているのは、シービスケットジョンヘンリー、そして本馬である。

誕生からデビュー前まで

米国カリフォルニア州サンガーの近郊にあるポピュラーメドウズ牧場において、ロニー・アーターバーン氏と、その友人である獣医のキム・クールマン氏、イヴ・クールマン氏の3名により生産・所有され、調教師でもあったアーターバーン氏により育成された。

馬名はハワイ島で実施されるトライアスロン競走の名前(直訳すると「溶岩男」で、キラウエア火山の溶岩流に由来するようである)であり、トライアスロン競走の選手だったイヴ・クールマン氏の命名による。

大きな身体と長い脚の持ち主で、大跳びで力強く走り、しかもスタミナが豊富で疲労知らずだったから、人間であれば確かにトライアスロン競走に向いていそうな馬だった。しかし競走馬として一番肝心なスピードが決定的に不足しており、デビュー当初の評価は惨憺たるものだった。

競走生活(2歳時)

2歳6月にカリフォルニア州ストックトン町にある小さな競馬場で行われたダート4.5ハロンの未勝利クレーミング競走(売却金額1万2500ドル)で、シーザー・ビソーノ騎手を鞍上にデビューした。このレースはカリフォルニア州で施行されているサラブレッド競走としては最下級のものだった。そして本馬は単勝オッズ36.5倍で9頭立ての8番人気と、最下級競走に出る馬の中でも最低クラスの評価だった。レースではスタートで後手を踏んで最後方を走り、直線である程度は差を縮めるも、勝った単勝オッズ3.3倍の2番人気馬スムーズサティンから3馬身3/4差の4着に敗れた。

このレースにおける本馬のベイヤー指数は27だった。ベイヤー指数の基準は、115以上がチャンピオン級の一流クラス(ちなみに史上最高値は1987年のエクリプス賞最優秀短距離馬グルーヴィが同年のトゥルーノースHで記録した133)、100が一般競走又は下級グレード競走の勝ち負け級、90が2万5千ドルのクレーミング競走の勝ち負け級、80が1万ドルのクレーミング競走の勝ち負け級、57が米国の小規模競馬場で施行される2500ドルのクレーミング競走の勝ち負け級であるとされてらしいから、本馬の27は、アンドリュー・ベイヤー氏の基準で言えば「サラブレッドが走って出す数値ではない」ものだった。

翌月にはカリフォルニア州サンタローザ市の競馬場で行われたダート5ハロンのクレーミング競走(売却金額2万ドル)に出走。前走よりは評価が上がっており、単勝オッズ8.4倍で9頭立て4番人気の評価だった。レースでは馬群の中団4~5番手を進み、四角で仕掛けていったんは2番手まで上がったのだが、ゴール前で着順を1つ下げて、逃げ切って勝った単勝オッズ3.4倍の2番人気馬マウンテンスルーピーから2馬身差の3着に敗れた。

次走は9月にベイメドウズ競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利クレーミング競走(売却金額3万2千ドル)となった。ここでは単勝オッズ11.4倍で8頭立ての5番人気だった。今回は3~4番手の好位を追走したものの、直線に入ると伸びを欠き、先行して勝った単勝オッズ4.2倍の2番人気馬サムシングフィアースから7馬身差の5着に敗れた。なお、過去3戦のクレーミング競走で本馬を買おうという人は現れなかった。

次走は10月のベイメドウズ競馬場ダート8ハロンの未勝利戦となった。ここでは過去3戦で騎乗したビソーノ騎手からフランシスコ・デュラン騎手に乗り代わり、単勝オッズ7.9倍で9頭立て5番人気の評価だった。デビュー4戦目で初めてブリンカーを装着して出走した本馬は、好スタートから3~4番手の好位を追走した。向こう正面で本馬と一緒に好位を走っていた単勝オッズ3.8倍の2番人気馬シャルボニエが先に仕掛けて上がっていくと、本馬もそれを追って上がっていった。そして直線入り口で先頭に立ったシャルボニエを追いかけたのだが、1馬身半届かずに2着に敗れた。

翌11月にはゴールデンゲートフィールズ競馬場でダート8.5ハロンの未勝利戦に出走。ここでは単勝オッズ4.4倍で10頭立ての2番人気と、過去最高の評価を受けた。スタートは前走ほど良くなかったが、すぐに先頭に立って馬群を先導。そのままの態勢で直線に入ると後続を引き離し、2着に追い込んできた単勝オッズ5.1倍の3番人気馬フレンチローストに4馬身差をつけて完勝。これが2歳時最後のレースとなり、この年の成績は5戦1勝だった。

競走生活(3歳前半)

3歳時は1月にゴールデンゲートフィールズ競馬場でダート8ハロンの一般競走に出走。単勝オッズは1.8倍で、初めての1番人気を獲得した。そしてレースでもその期待に応え、2番手追走から直線入り口で先頭に立って後続馬を引き離し、2着に逃げ粘った単勝オッズ3.7倍の2番人気馬ダンシンキャンディに5馬身差をつけて圧勝した。

次走は2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8ハロンのオプショナルクレーミング競走(本馬は売却対象外)となった。そろそろ対戦相手のレベルが上がってくる時期であり、過去3戦で騎乗したデュラン騎手からタイラー・ベイズ騎手に乗り代わった本馬は単勝オッズ7.9倍で7頭立ての3番人気となった。レースでは3~4番手の好位を追走し、そのままの態勢で直線に入ると、逃げる単勝オッズ5.6倍の2番人気馬コージーガイを追撃。しかし差を縮めるどころか差を広げられてしまい、5馬身差をつけられて2着に敗れた。

次走は4月にベイメドウズ競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走で、鞍上はデュラン騎手に戻っていた。初の芝競走ではあったが、英国から移籍してきたキングダムカムという馬(単勝オッズ2倍)に次ぐ2番人気(単勝オッズ2.5倍)に推されたところを見ると、芝適性はあると判断されていたようである。本馬には芝適性がある事は最終的には証明されるのだが、それはかなり先の話であり、ここでは2番手追走から直線で失速して、勝ったキングダムカムから3馬身3/4差の4着に敗れてしまい、まだ芝適性を証明する事は出来なかった。

それから16日後には初のステークス競走となるスノーチーフS(D9F)にベイズ騎手と共に出走した。しかしここでは出走馬中最軽量だったにも関わらず全く評価されず、単勝オッズ58.5倍で8頭立ての7番人気。そしてスタートからゴールまで後方のまま何の見せ場も無く、勝った単勝オッズ2.8倍の1番人気馬ケイローンから10馬身差の8着最下位に沈んだ。

ステークス競走では全く通用しなかった本馬の次走は、5月にベイメドウズ競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走だった。前々走と同じコースでのレースであり、単勝オッズ3.6倍の1番人気に支持された。ここではデュラン騎手とコンビを組むと、6頭立ての3番手を追走し、直線入り口で先頭に立った。しかし勝つと思われたゴール直前で、後方から追い上げてきた単勝オッズ6.5倍の5番人気馬サッカーダンに頭差かわされて2着に敗れた。

次走は6月のベイメドウズ競馬場芝8ハロンの一般競走だった。ここでは後のベイメドウズダービー2着馬タラリス、後のバークリーSの勝ち馬マイクリードとの3強対決ムードであり、チャド・シュヴァネヴェルト騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ2.6倍の1番人気、タラリスが単勝オッズ2.9倍の2番人気、マイクリードが単勝オッズ4.8倍の3番人気となった。スタートが切られるとマイクリードが先行して、ブリンカーを外した本馬とタラリスが3~4番手の好位につけた。そのままの態勢で直線に入ると、やはり3頭による勝負となったが、本馬がゴール前で僅かに出て、2着タラリスに鼻差、3着マイクリードにさらに半馬身差で勝利を収め、芝競走初勝利を挙げた。

競走生活(3歳後半)

次走は7月にデルマー競馬場で行われた芝8.5ハロンのクレーミング競走(売却金額6万2500ドル)となった。本馬と同様に一般競走では勝ち負けできるがステークス競走では通用しない馬が多く出走しており、フランク・アルヴァラード騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ10倍で10頭立て6番人気だった。ここでは最後方待機策を選択したが、直線入り口7番手から馬群を捌ききれず、1位入線した単勝オッズ8.7倍の4番人気馬ウィーオールラヴアレイナ(直線の進路妨害で7着に降着)から6馬身1/4差の6位入線(5着に繰り上がり)だった。

このレースで本馬に買い手は付かなかったが、本馬に注目している人物はいた。それは馬主団体STDレーシングステーブルの代表者ジェイソン・ウッド氏の息子スティーヴ・ケンリー氏だった。ケンタッキー州産馬よりも出走可能なレースが多かったカリフォルニア州産馬を求めて回っていたケンリー氏は、このクレーミング競走で本馬を購入しようとしたが、ある人物に引き止められて今回は見送った。ケンリー氏を引き止めたのは、カリフォルニア州を本拠地として活動していたダグ・オニール調教師だった。オニール師は後に米ブラッドホース誌のインタビューに応じて「6万2500ドルは少し高いと感じました。長所よりも短所のほうが多そうな馬だったので、レースを見てから決めましょうと勧めました」と語っている。実際の本馬の走りを見たケンリー氏とオニール師は、もし本馬が今度クレーミング競走に出てきたら購入しようと決めた。

そして、本馬の次走は8月に前走と同じデルマー競馬場芝8.5ハロンで行われたクレーミング競走(売却金額5万ドル)となった。ケンリー氏とオニール師はかねて決めていた通りに本馬の購入を申し出て、レース前に本馬はSTDレーシングステーブル名義に変わることが確定した。カーウィン・ジョン騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ8.3倍で8頭立て4番人気の評価だった。レースでは序盤こそ先頭から大きく離された馬群の中団につけていたが、向こう正面で進出して先頭に踊り出た。しかし直線に入ったところで単勝オッズ9.9倍の5番人気馬エヴリボディラヴズダッシュイートに差し返されて差を広げられ、4馬身差の2着に敗れた。

これがアーターバーン氏達3名の所有馬として本馬の最後の出走となった。なお、カリフォルニア州産馬は獲得した賞金の15%が生産者のものになるルールがあるらしく、本馬がこの後に稼いだ500万ドル以上の賞金の一部はアーターバーン氏達の懐に入るのだが、金の卵を産む鶏をそれと知らずに売ってしまったアーターバーン氏達の後の心中はいかほどのものだっただろうか。

米ブラッドホース誌の記事によると、アーターバーン氏は本馬が稼いだ賞金の一部が自分の懐に入るたびに後悔の念に苛まされたらしく、本馬が競走馬を引退する報を耳にして、これで気が休まると喜んだという。クレーミング競走で取引されるような馬がこんなに活躍する事例など後にも先にも無かった(宝くじで億万長者になる人は毎年現れるわけから、それより確率が低いとも言える)わけだから、アーターバーン氏の気持ちは理解できるような気はする。かつてシービスケットやジョンヘンリーをみすみす手放してしまった人達も同じ心持ちだったのだろう。

さて、オニール師は自身の管理馬となった本馬をカリフォルニア州のマイナー競馬場フェアプレックスパーク競馬場に向かわせ、9月のポモナダービートライアルS(D8.5F)に出走させた。それほど目立つ対戦相手はいなかったが、本馬の評価は単勝オッズ11.3倍で7頭立ての4番人気といった程度のものだった。しかしこのレースで、オマール・フィゲロア騎手が騎乗する本馬は完璧と言ってよい走りを見せた。好スタートから道中は4番手につけると、四角で位置取りを上げて直線に入ってすぐに先頭を奪取。あとは後続馬を引き離すだけで、2着に逃げ粘った単勝オッズ4.6倍の3番人気馬ラストタイムインタウンに6馬身1/4差をつけて圧勝し、ステークス競走初勝利を挙げた。

本番のポモナダービー(D9F)では、GⅡ競走ラホヤHで2着した実績があったセミロストが単勝オッズ2.6倍の1番人気で、フィゲロア騎手鞍上の本馬は単勝オッズ4.1倍の2番人気だった。レースは各馬の順位が激しく変動する入れ代わりの大きいレースとなったが、結果的には最後方からどんどん順位を上げていったセミロストが直線独走で圧勝し、本馬はかつて屈したことがあるコージーガイに今回も後れを取り、勝ったセミロストから6馬身半差の3着に敗れた。

次走は10月にサンタアニタパーク競馬場で行われたカリフォルニアCクラシックH(D9F)となった。ここでは前年のポモナダービーの勝ち馬エクセスサマーが単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持されており、前年のジャパンCダートをオニール師の管理馬フリートストリートダンサーで制した事で知られるジョン・コート騎手騎乗の本馬は単勝オッズ26.1倍で10頭立ての9番人気だった。レースではエクセスサマーが先頭を引っ張り、本馬と単勝オッズ21.6倍の7番人気馬コージーガイの2頭が2~3番手を追走。向こう正面で早くもエクセスサマーが失速すると、そのまま本馬とコージーガイのマッチレースと化した。後続馬を大きく引き離してこの2頭が直線で激戦を演じたが、コージーガイが勝ち、本馬は3/4馬身差2着だった。斤量はコージーガイのほうが5ポンド重かったから、実力的にはまだコージーガイのほうが確実に上だったが、本馬の実力もかなり向上している事が示された。

翌11月には引き続きコート騎手とコンビを組んでオントラストH(D7.5F)に出走。ここでは単勝オッズ7.1倍で8頭立ての5番人気だった。レースでは3~4番手の好位を追走し、そのまま単勝オッズ3.7倍の2番人気馬アンジヤンロイヤリティと先頭を争いながら直線に入ってきた。しかしゴール前で競り負けて1馬身差の2着に敗れた。それでも3着馬以降は5馬身以上離されていた。

そして12月末、オニール師は本馬をマリブS(米GⅠ・D7F)に出走させた。グレード競走出走経験が無い馬がいきなりGⅠ競走に参戦したわけだから、常識的には評価されそうにないのだが、コート騎手騎乗の本馬は上位人気2頭からは離されながらも単勝オッズ9.9倍で10頭立て3番人気に推された。上位人気2頭とは、前走スポートページHを完勝してきた後のフォアゴーHの勝ち馬マスメディア(単勝オッズ2.2倍)と、スワップスBCSの勝ち馬でプリークネスS2着のロックハードテン(単勝オッズ3.4倍)だった。レースで本馬は1番人気のマスメディアを横目で見るように3~4番手の好位を追走。直線に入るとやや伸びを欠くマスメディアを尻目に末脚を伸ばした。そしてゴール前で先頭に立ったのだが、ここで右側によれて失速したところを最後方から追い込んできたロックハードテンにかわされて半馬身差の2着に敗れた。ロックハードテンより本馬のほうが6ポンド斤量は軽かったが、翌年のサンタアニタHに勝利するロックハードテンと接戦を演じたわけだから、これは誉められるべきレースだった。

3歳時の成績は13戦3勝だったが、今後の飛躍が期待できる内容だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は初めてカリフォルニア州を離れてフロリダ州に向かい、ガルフストリームパーク競馬場で行われたサンシャインミリオンズクラシックS(D9F)に出走した。サンタアニタパーク競馬場とガルフストリームパーク競馬場を所有するマグナエンターテイメント社の提案により2003年に創設され、両競馬場が交代で施行するこのレースはカリフォルニア州産馬とフロリダ州産馬に出走資格が限定されていたためグレード競走に指定される条件を満たしていなかったが、賞金総額は100万ドルであり、並のGⅠ競走を凌駕する高額賞金競走だった。そのために、フォアゴーH・スウェイルS・ダービートライアルSの勝ち馬ミダスアイズ、ホーリーブルSの勝ち馬セカンドオブジューン、ハッチソンS・バッシュフォードマナーS・タンパベイダービーの勝ち馬ライムハウスといった実績馬達が参戦しており、コート騎手騎乗の本馬は単勝オッズ15.1倍で12頭立て8番人気だった。そしてレースでは3番手を先行するも、四角でどんどん後退してしまい、勝った単勝オッズ71.1倍の11番人気馬ミュジックトゥジューから14馬身半差の7着と完敗してしまった。

地元に戻ってきた本馬は、3月のクリスタルウォーターH(T8F)に出走した。ここでは本馬の宿敵コージーガイが単勝オッズ4.1倍の1番人気で、ルネ・ダグラス騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ4.2倍の2番人気だった。しかしレースでは3番手を進んだコージーガイが直線で抜け出して勝ち、4番手を進んだ本馬は直線で伸びきれずに、コージーガイから2馬身1/4差の5着に敗れた。

次走は4月のティズナウS(D7.5F)となった。ここでは単勝オッズ6.1倍の3番人気での出走だった。なお、好敵手コージーガイの姿はここには無かった。コージーガイは病気に罹り、クリスタルウォーターHの後は二度とレースに出る事なく、本馬が大活躍する最中の翌年6月に疝痛で他界してしまうのである。レースでコート騎手鞍上の本馬は馬群の中団から直線入り口で3番手まで上がってくるも、ここから失速して、勝った単勝オッズ6.4倍の4番人気馬アンファールザフラッグ(3か月後のトリプルベンド招待HでGⅠ競走を制覇)から11馬身半差の6着と完敗した。

そこで、オニール師は本馬が長らく外していたブリンカーを再び装着させてみることにした。そして5月のハリウッドパーク競馬場ダート8.5ハロンのオプショナルクレーミング競走に出走させた。

このレースで本馬は10万ドルの売却対象馬となっており、オニール師はこの時点でやや本馬に見切りをつけていた事が伺える(ケンリー氏は本馬を売却対象にする事に反対していたらしい)。実はかつての所有者アーターバーン氏は、もし本馬が再びクレーミング競走に出てきたら買い戻す決意を固めていたらしいのだが、彼はちょうどこの時期に仕事でフロリダ州に行っており、本馬の購入を申し出る事は出来なかった。彼は後に「私にとって最悪のタイミングでした。あれが私にとってのゲームオーバーでした」と語っている。

アーターバーン氏以外に本馬を購入しようとする人はおらず、この時点でまだ本馬が金の卵を産む鶏である事を十分に認識していなかったオニール師は本馬を手放す危機を結果的に回避できた。

ギャラント・ゴメス騎手が騎乗した本馬は3番手の好位を追走し、直線入り口で抜け出すという優等生の競馬で、2着となった単勝オッズ5.4倍の3番人気馬スククザに1馬身半差で勝利。これ以降、本馬がクレーミング競走に出る事は無かった。

そして次走は6月のカリフォルニアンS(米GⅡ・D9F)となった。サンディエゴHの勝ち馬チョクトーネイション、ルイジアナダービー・アーカンソーダービー・スーパーダービー2着・サンタアニタH3着のボレゴ、マーヴィンルロイHを勝ってきたエースブルーなどが出走してきた。チョクトーネイションが単勝オッズ3倍の1番人気、ボレゴが単勝オッズ3.5倍の2番人気、エースブルーが単勝オッズ4.9倍の3番人気と続く一方で、パット・ヴァレンズエラ騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ9.7倍で7頭立て6番人気の評価だった。しかし本馬は既に今までの本馬では無かった。スタートしてすぐに2番手に付けると、逃げるエースブルーを徹底マーク。四角でエースブルーが失速すると代わって先頭に立った。後方からは追ってきたのは単勝オッズ7.9倍の4番人気馬アンジヤンロイヤリティ1頭だけだったが、その追撃を1馬身差で封じて勝利。斤量は本馬が出走馬中最重量タイであり、斤量に恵まれての勝利ではなかった。

そして翌7月のハリウッド金杯(米GⅠ・D10F)に参戦。ここにはサンシャインミリオンズクラシックSで4着だったライムハウスがブルックリンHを勝って参戦してきて、単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持されていた。サンパスカルHの勝ち馬でサンタアニタH2着のコングラッツが単勝オッズ3.9倍の2番人気、本馬が単勝オッズ7倍の3番人気、カリフォルニアンSで4着だったボレゴが単勝オッズ8.5倍の4番人気だった。

スタートが切られると、コングラッツが先頭に立ち、ヴァレンズエラ騎手が手綱を取る本馬は1馬身ほど後方の2番手を追走した。三角で外側からコングラッツに並びかけると、四角で単独先頭に立って直線に突入。後方から追ってくる馬は皆無であり、完全な本馬のワンマンショーとなった。そして2着ボレゴに8馬身3/4差をつけて圧勝し、遂にGⅠ競走勝ち馬に上り詰めた。

斤量は118ポンドの本馬が単独トップハンデであり、それでこの内容であるから、既に他馬との実力差は歴然としており、カリフォルニア州においては本馬が最強馬であるという評価がこの1戦で確立された。2年前のデビュー戦では27しかなかったベイヤー指数は、このレースにおいて120を記録した(普通にGⅠ競走を勝つ程度では110以下の数字しか出ない)。

次走のパシフィッククラシックS(米GⅠ・D10F)では、スティーヴンフォスターH・レーンズエンドS・ワシントンパークH2回・ケンタッキーCクラシックH・ホーソーン金杯の勝ち馬パーフェクトドリフト、スワップスBCSを勝ってきたサーフキャット、カリフォルニアンS5着後にサンディエゴHの2連覇を果たしてきたチョクトーネイション、ボレゴ、前走3着のコングラッツ、カルフォルニアンSで7着だったエースブルー、アラバマS・ラブレアS・サンタモニカH・レディーズシークレットBCHの勝ち馬でサンタアニタH2着のアイランドファッションなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気、パーフェクトドリフトが単勝オッズ5.4倍の2番人気、サーフキャットが単勝オッズ6倍の3番人気となった。ここではスタートで先頭に押し出されて逃げを打つことになった。慣れない逃げ戦法のためか、最初の2ハロンを22秒68、半マイルを45秒90という速いペースで飛ばした。その結果、後方待機馬に有利な展開になってしまい、ゴール前でボレゴとパーフェクトドリフトの2頭に差されて、勝ったボレゴから僅か3/4馬身差の3着に敗れた。しかし本馬から頭差の4着だったチョクトーネイションを含む本馬以外の上位馬は全て追い込み勢であり、内容的には本馬が一番強い走りを見せた。

続いて米国東海岸に遠征し、ジョッキークラブ金杯(米GⅠ・D10F)に参戦した。対戦相手は、トラヴァーズS・レーンズエンドS・ジムダンディSの勝ち馬フラワーアレイ(後に本馬の助力でケンタッキーダービー・プリークネスSを勝利するアイルハヴアナザーの父)、ボレゴ、ペンシルヴァニアダービー・レナードリチャーズS・タンパベイダービーを勝ちハスケル招待Hで2着してきたサンキング、サンヴィンセントS・サンラファエルS・パットオブライエンHの勝ち馬インペリアリズム、サラトガBCHを勝ってきたスワーヴ、オークローンHの勝ち馬グランドリワード、後にカーターHを勝つビショップコートヒルの7頭だった。同馬主同厩だったフラワーアレイとビショップコートヒルのカップリングが単勝オッズ2.5倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.75倍の2番人気、ボレゴが単勝オッズ5.3倍の3番人気となった。スタートが切られるとフラワーアレイとビショップコートヒルの2頭が先頭に立ち、スタートに失敗した本馬は加速して何とか3番手につけた。しかし三角に入ったところで早々に失速。レースは最後方待機策から本馬と入れ代わるように上がってきたボレゴがそのまま独走して圧勝し、本馬はボレゴから45馬身半も離された7着と、見るも無残な大敗を喫してしまった。直線では既に歩くように走っており、6着馬グランドリワードからも30馬身差をつけられていた。

本馬にはブリーダーズカップ登録が無かったのだが、この結果如何によってはジョッキークラブ金杯と同じベルモントパーク競馬場で行われるBCクラシックに追加登録料を支払って出走する腹積もりだったと思われる。しかしこの内容ではBCクラシックどころではなく、出走しなかった。

その代わりに本馬が向かったのは日本のジャパンCダート(日GⅠ・D2100m)だった。オニール師はこの2年前の同競走をフリートストリートダンサーで制覇した実績があった。この年に参戦してきた海外馬は、過去4戦で騎乗したヴァレンズエラ騎手に代わってコーリー・ナカタニ騎手と初コンビを組んだ本馬、メドウランズカップBCSの勝ち馬タップデイ、ウインターヒルSの勝ち馬エキセントリックの3頭だった。対する日本馬は、ジャパンダートダービー・ダービーグランプリ・ユニコーンSを勝っていたカネヒキリ、東海S・ブリーダーズゴールドC・日本テレビ盃を勝っていたサカラート、川崎記念・帝王賞・JBCクラシック・ブリーダーズゴールドC・平安S・アンタレスS・白山大賞典にも勝っていた前年の覇者タイムパラドックス、東京ダービー・東京大賞典を勝ちJBCクラシックで2着していた地方競馬の雄アジュディミツオー、武蔵野Sでカネヒキリを2着に破っていたダービーグランプリ2着馬サンライズバッカス、前年のBCクラシックにも参戦したダービーグランプリ・ダイオライト記念・エルムS2回の勝ち馬パーソナルラッシュ、全日本2歳優駿・ダービーグランプリ・マイルCS南部杯2回と4年連続でGⅠ競走を勝っていたユートピア、川崎記念・フェブラリーS・マイルCS南部杯で2着していたニュージーランドトロフィー・アーリントンC・兵庫ゴールドトロフィーの勝ち馬シーキングザダイヤ、平安Sの勝ち馬でフェブラリーS3着のヒシアトラス、東京大賞典・日本テレビ盃の勝ち馬でダービーグランプリ・JBCクラシック・川崎記念2着のスターキングマンなどだった。カネヒキリが単勝オッズ2.1倍の1番人気、サカラートが単勝オッズ5.3倍の2番人気、タイムパラドックスが単勝オッズ6.3倍の3番人気、アジュディミツオーが単勝オッズ11.2倍の4番人気、サンライズバッカスが単勝オッズ16.9倍の5番人気と上位人気は日本馬勢が占め、海外馬人気最上位の本馬は単勝オッズ17.6倍の6番人気だった。

スタートが切られるとユートピア、アジュディミツオー、シーキングザダイヤが馬群を先導し、本馬は5~6番手の内側好位に付けた。そのままの態勢で直線に入ってきたが、瞬く間に後方馬群に飲み込まれてしまった。レースはカネヒキリが勝ち、本馬は17馬身差の11着と惨敗した。しかしこの着順でも海外馬3頭の中では最先着だった。ジャパンCダートは一昨年にフリートストリートダンサーが海外馬初勝利を挙げ、前年にはハリウッド金杯の勝ち馬トータルインパクトが4着するなど、それなりに国際招待競走としての地位を確立しつつあったが、どうも本馬が惨敗したこの年がターニングポイントだったようで、翌年には海外馬が1頭も参戦しないなど、着実に国際的地位が凋落していき、2014年以降は招待競走ですらもなくなってしまった。

本馬の敗因としてオニール師は左前脚に腫れ物が出来ていた事を挙げたが、それが無くても本馬は多分負けていただろう。理由は日本と米国のダートでは質が違いすぎる事もあるが、もう1つ重要な理由がある。それは後述するとして、4歳時を9戦3勝の成績で終えた本馬は、この年のカリフォルニア州年度代表馬及び最優秀古馬に選出された(これらカリフォルニア州の年度表彰はカリフォルニア州産馬のみが対象である)。なお、ナカタニ騎手は翌年以降も本馬に乗り続け、主戦として固定されることになる。

競走生活(5歳時)

5歳時は、前年7着だったサンシャインミリオンズクラシックS(D9F)から始動した。前年はガルフストリームパーク競馬場における開催だったが、この年は本馬の地元サンタアニタパーク競馬場で施行された。このレースにおける最大の強敵は前年のケンタッキーダービーで5着と健闘していたサンタアニタダービー馬バザーズベイだった。バザーズベイが単勝オッズ3.3倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ3.9倍の2番人気となった。前年の同競走では3番手を先行した本馬は、この年は前3頭から離れた4番手の好位につけた。そして四角で位置取りを上げて、直線入り口で先頭に立つと、追い込んで2着に入った単勝オッズ12.7倍の7番人気馬フーズクライングナウに2馬身1/4差をつけて快勝した(バザーズベイは4着だった)。

次走のサンタアニタH(米GⅠ・D10F)では、サンパスカルH・ストラブSを連勝してきたルイジアナダービー馬ハイリミット、前年のケンタッキーダービー馬ジャコモ、一昨年のBCジュヴェナイルの勝ち馬ウィルコ、サンアントニオHを勝ってきたスペルバインダーなどが対戦相手となった。120ポンドのトップハンデだったハイリミットが単勝オッズ2.6倍の1番人気、同じ120ポンドの本馬が単勝オッズ4.4倍の2番人気、118ポンドのジャコモが単勝オッズ4.9倍の3番人気となった。

レースでは本馬とハイリミットが揃って2番手を先行。向こう正面でハイリミットがいったん先頭に立ったが、それを本馬が速やかにかわして先頭を奪い、そのままハイリミットを引き離していった。そして直線に入ると、後方から追ってきたのは単勝オッズ18.4倍の6番人気馬マグナムのみだった。斤量113ポンドのマグナムは7ポンドの斤量差を活かして着実に迫ってきたが、本馬がその追撃を3/4馬身抑えて勝利した(3着ウィルコはさらに7馬身半後方だった)。

次走は4月にハリウッドパーク競馬場で行われたTVGカーレッドS(T9F)となった。1年前のクリスタルウォーターH以来久々の芝競走だった上に、他馬より2~10ポンド重い124ポンドのトップハンデが課せられたのだが、それでも単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。そしてレースでも2番手追走から三角で先頭に立って後続を引き離し、2着となった単勝オッズ9.4倍の4番人気馬チェルートに5馬身1/4差をつけて、1分44秒26のコースレコードを計時して圧勝。3歳6月の一般競走以来2度目となる芝の勝利を挙げた。

次走は6月のチャールズウィッテンガム記念H(米GⅠ・T10F)となった。ソードダンサー招待S・レッドスミスH・サンルイレイHを勝っていたキングスドラマ、前走イングルウッドHで鼻差2着してきたレッドフォート、仏国でラクープを勝って米国に移籍してイングルウッドHで2着してきたアルティストロワイヤルなどが対戦相手となった。122ポンドの本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、同じく122ポンドのキングスドラマが単勝オッズ4.2倍の2番人気、118ポンドのレッドフォートが単勝オッズ5.9倍の3番人気となった。スタートが切られるとすぐに先頭に立ったのは本馬だった。パシフィッククラシックSで逃げたときとは異なり、今回は最初の2ハロン通過が24秒85、半マイル通過は49秒91と、溜めて逃げることに成功。後方からキングスドラマが上がってきたのを見計らって加速すると、そのまま最後までキングスドラマを寄せ付けず、2馬身差をつけて勝利した。

同一年に米国内における芝とダートの両ジャンルでGⅠ競走を優勝したのは、米国調教馬では1985年のヴァンランディンガム(ダートのサバーバンH・ジョッキークラブ金杯と芝のワシントンDC国際Sを勝ち、その年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれている)以来21年ぶりの快挙だった。

その後は翌月のハリウッド金杯(米GⅠ・D10F)へと向かった。サンタアニタHで本馬の2着した後にオークローンHで2着してローンスターパークHを勝ってきたマグナム、前年のパシフィッククラシックS5着後にホーソーン金杯Hを勝ちBCクラシックで4着と健闘していたスーパーフローリック、スティーヴンフォスターHを勝ってきたシークゴールド、前年のパシフィッククラシックSで10着だったエースブルーの4頭が対戦相手となった。124ポンドの本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気、119ポンドのマグナムが単勝オッズ3倍の2番人気、116ポンドのスーパーフローリックが単勝オッズ7.8倍の3番人気で、2強ムードだった。

スタートが切られるとマグナムが先頭に立ち、スタートで躓いた本馬もすぐに体勢を立て直して、単勝オッズ25.6倍の最低人気馬エースブルーと共に先行。道中でマグナムとエースブルーが交互に先頭に立ったが、本馬は一貫して3番手を追走した。三角手前で本馬が仕掛けて先頭のマグナムに並びかけた。いったんは3番手に下がったエースブルーも四角で再びマグナムとの差を詰めてきた。さらに後方からスーパーフローリックもやって来て、この4頭の戦いが直線で展開された。そして最後には本馬が僅かに前に出て、10ポンドのハンデを与えた2着エースブルーの追撃を鼻差抑えて勝利した。

ハリウッド金杯の2連覇は1966年のネイティヴダイヴァー以来40年ぶり、サンタアニタHとハリウッド金杯の同一年制覇は1979年のアファームド以来27年ぶり、チャールズウィッテンガム記念Hとハリウッド金杯の同一年制覇は1978年のエクセラー以来28年ぶりだった。また、このレースにおける本馬の単勝オッズ1.6倍は、同競走勝利馬としては史上最も低いものだった。

デビュー当初は全く振るわなかったが最強馬にまで上り詰めた点において、本馬は同じ米国西海岸のスターホースだったシービスケットと似通っており、デイリーレーシングフォーム紙のディック・ジェラルディ記者は、「ラヴァマンは最初にハリウッドパーク競馬場に姿を現したスノーチーフSでは単勝オッズ58倍(筆者注:正確には58.5倍)で最下位でしたが、27か月後のハリウッド金杯では単勝オッズ1.6倍で勝ちました。これはシービスケット以来のサクセスストーリーです」と、本馬とシービスケットを重ね合わせて論評した。

次走は前年に勝ち損なったパシフィッククラシックS(米GⅠ・D10F)となった。前走で3着だったスーパーフローリック、同4着だったマグナム、サンタアニタH5着後にサンディエゴHを勝ってきたジャコモ、前年のパシフィッククラシックS2着後にBCクラシックで3着に入っていたパーフェクトドリフト、サンフェリペS・東京シティC・テキサスマイルSの勝ち馬プリーチナッザバー、ハリウッドダービー・マンハッタンHの勝ち馬グッドリワードなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2倍の1番人気、マグナムが単勝オッズ5.5倍の2番人気、ジャコモが単勝オッズ5.8倍の3番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ12.9倍の6番人気馬プリーチナッザバーが先頭に立ち、本馬はそれと並ぶように2番手につけた。そして向こう正面で単独先頭に立つと、そのまま仕掛けて三角と四角を回り、直線でも後続の追撃を寄せ付けず、2着に追い上げてきた単勝オッズ19.7倍の7番人気馬グッドリワードに2馬身半差で勝利した。

これで本馬は、サンタアニタH・ハリウッド金杯・パシフィッククラシックSの3競走を同一年に全て制覇した事になり、これは史上初の快挙であった。

その後は10月のグッドウッドBCH(米GⅡ・D9F)に出走した。対戦相手は、ハリウッドフューチュリティ・サンタアニタダービー・ノーフォークS・サンラファエルS・サンタカタリナSの勝ち馬でケンタッキーダービー・プリークネスS4着のブラザーデレク、前走で3着だったスーパーフローリック、同5着だったジャコモ、同7着だったマグナム、同8着最下位だったプリーチナッザバーなどだった。他馬勢より8~14ポンド重い126ポンドが課せられた本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気、116ポンドのブラザーデレクが単勝オッズ5.4倍の2番人気、117ポンドのスーパーフローリックが単勝オッズ7.2倍の3番人気となった。今回もプリーチナッザバーと本馬が並んで先頭を走る展開となった。そして三角で本馬が単独先頭に立つと、そのままゴールまで駆け抜け、10ポンドのハンデを与えた2着ブラザーデレクに2馬身1/4差で勝利した。

そして、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・D10F)に追加登録料を支払って参戦した。対戦相手は、プリークネスS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯・ジムダンディS・ウィザーズSなど6連勝中のバーナーディニ、ピムリコスペシャルH・サバーバンH・ホイットニーHとGⅠ競走を3連勝中のインヴァソール、本馬が惨敗した前年のジョッキークラブ金杯2着馬であるワシントンパークHの勝ち馬スワーヴ、前年のジョッキークラブ金杯3着馬でこの年はコモンウェルスBCSを勝ちメトロポリタンH・ホイットニーHで2着していたサンキング、前年のジョッキークラブ金杯4着馬でその直後のBCクラシックで2着していたフラワーアレイ、ウッドワードSの勝ち馬プレミアムタップ、アーカンソーダービー馬ローヤーロン、ブラザーデレク、グッドウッドBCHで3着だったジャコモ、パシフィッククラシックSで4着だったパーフェクトドリフト、英2000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世S・愛フェニックスS・愛ナショナルS・レイルウェイSを勝っていた愛国調教馬ジョージワシントン、英チャンピオンS・ドバイデューティーフリー・エクリプスS・セレクトSを勝っていた英国調教馬デビッドジュニアの計12頭だった。バーナーディニが単勝オッズ2.1倍の1番人気、本馬が単勝オッズ7.1倍の2番人気、インヴァソールが単勝オッズ7.7倍の3番人気となった。

スタートが切られるとブラザーデレクが先頭に立ち、ローヤーロンが2番手、本馬が3番手につけた。そして4番手で三角に入ってきたが、ここで外側からバーナーディニにかわされると、そのまま後退。直線ではふらつきながら走り、勝ったインヴァソールから15馬身3/4差の7着と大敗してしまった。

5歳時の成績は8戦7勝(うちGⅠ競走4勝)だったが、BCクラシックの結果が致命的となり、有力視されていたエクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬の座はいずれもインヴァソールに奪われてしまった。それでも、2年連続のカリフォルニア州年度代表馬及び最優秀古馬だけでなくカリフォルニア州最優秀芝馬にも選ばれた。

競走生活(6歳時)

6歳時は、サンシャインミリオンズターフS(T9F)から始動した。このレースは本馬が過去2年連続で出走したサンシャインミリオンズクラシックSと同時に創設された競走で、いわばサンシャインミリオンズクラシックSの芝競走バージョンである。賞金総額は50万ドルと高額だったが、サンシャインミリオンズクラシックSの半分だった。

本馬が何故サンシャインミリオンズクラシックSではなくこちらに出走したのかというと、この2競走はいずれもサンタアニタパーク競馬場とガルフストリームパーク競馬場で交互に行われていたからである。前年はサンタアニタパーク競馬場で施行されたサンシャインミリオンズクラシックSはこの年はガルフストリームパーク競馬場で、前年はガルフストリームパーク競馬場で施行されたこの競走はこの年はサンタアニタパーク競馬場で施行されたのだった。

この時期になると本馬はカリフォルニア州外ではまるで実力を発揮できない事が明確になりつつあり(州外では4戦して全て7着以下。一昨年のジャパンCダートの敗因もこれが一番大きいと筆者は思っている)、陣営は賞金が半分になってでも本馬を地元の競走に出す事を優先させたのだった。

本馬に敵いそうな馬は出走しておらず、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。レースでも3~4番手の好位追走から直線入り口で抜け出すという隙の無い内容で、2着に入った単勝オッズ27.4倍の7番人気馬アイシーアトランティックに2馬身差で快勝した。競馬情報会社ブリスネット・コム社のジョン・ムッチオロ氏は「ラヴァマンは過去20年間に登場したカリフォルニア州産馬で最高の馬でしょう」と書いた。

次走はサンタアニタH(米GⅠ・D10F)となった。サンアントニオHを勝ってきたモレンガオ、本馬が出なかったサンシャインミリオンズクラシックSを勝ってきたマッカンズモヘイヴ、ハリウッドターフCの勝ち馬ボボマン、サンフェルナンドSの勝ち馬オーサムジェム、ケンタッキーカップクラシックSの勝ち馬ボールフォア、マリブS・ストラブSで2着してきたスプリングアットラストなど7頭が対戦相手となった。斤量は本馬が124ポンドで、上記に挙げた他馬勢は全て116ポンドであり、本馬とその他大勢の構図だった。ファンも同感だったようで、本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持され、2番人気のモレンガオは単勝オッズ8.6倍、3番人気のマッカンズモヘイヴは単勝オッズ10.3倍だった。

スタートが切られると単勝オッズ13.8倍の6番人気馬ボールフォアが先頭に立ち、スプリングアットラスト、本馬の順で追走した。そのままの態勢で四角に入ると本馬が満を持して仕掛けて先頭に立った。そのまま押し切りを図ったところに、後方で機を伺っていたモレンガオが襲い掛かってきた。8ポンドの斤量差がある2頭の間隔はどんどん縮まったが、凌ぎ切った本馬が3/4馬身差で勝利を収め、1981年のジョンヘンリー、2003年のミルウォーキーブルー以来4年ぶり史上3頭目の同競走2連覇を果たした。

本馬は続いてドバイに遠征。芝ダート不問の本馬は、ドバイワールドCではなくドバイデューティーフリー(首GⅠ・T1777m)に出走した。主な対戦相手は、ターフクラシックS・ユナイテッドネーションズS・ターフクラシック招待S・ヴァージニアダービーを勝ちセクレタリアトS・ターフクラシックS2着・BCターフ3着の米国芝路線の強豪イングリッシュチャンネル、前年のBCマイル・メイカーズマークマイルS・ファイアークラッカーBCH・レッドバンクSを制してエクリプス賞最優秀芝牡馬を受賞したミエスクズアプルーヴァル、ジャンプラ賞・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬ストーミーリヴァー、プランスドランジュ賞の勝ち馬で仏ダービー2着のベストネーム、豪州のGⅠ競走オーストラリアンCを勝ってきたポンペイルーラー(父は皐月賞馬ジェニュイン)、南アフリカのGⅠ競走フィリーズクラシック・ウーラヴィントン2200の勝ち馬で香港のクイーンエリザベスⅡ世Cも勝っていたイリデセンス、地元ドバイのGⅡ競走アルファフィディフォート2連覇のリンガリ、クイーンメアリーS・ロウザーSの勝ち馬フラッシーウィングズ、そして日本から遠征してきた弥生賞・札幌記念・京都記念の勝ち馬で香港C2着のアドマイヤムーン、皐月賞・天皇賞秋・マイルCS・マイラーズC・毎日王冠・ダービー卿チャレンジトロフィーの勝ち馬でマイルCS2着・有馬記念3着のダイワメジャーの2頭などだった。英国ブックメーカーの評価では、ダイワメジャーとアドマイヤムーンが並んで単勝オッズ6.5倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ8倍の3番人気となっていた。

スタートが切られるとイリデセンスが先頭に立ち、本馬、イングリッシュチャンネル、ダイワメジャーなどがそれを追って先行した。しかし直線に入ると真っ先に失速して馬群に飲み込まれたのは本馬だった。レースは後方から強烈な末脚を繰り出したアドマイヤムーンがGⅠ競走初勝利を飾り、本馬はアドマイヤムーンから実に30馬身も離された16着最下位に沈んだ。この結果により本馬は遠征が駄目だという事が確定されたようで、以降はカリフォルニア州外で出走する事は無かった。

帰国した本馬は改めて調整を受け、6月のチャールズウィッテンガム記念H(米GⅠ・T10F)に出走した。レキシントンS・米国競馬名誉の殿堂博物館S・イングルウッドHを勝ってきたアフターマーケット、サンルイオビスポHの勝ち馬でハリウッドダービー2着のオブリガード、前年の同競走で3着だったレッドフォートなどが対戦相手だった。他馬勢より6~10ポンド重い124ポンドが課せられた本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、118ポンドのアフターマーケットが単勝オッズ3.4倍の2番人気、118ポンドのオブリガードが単勝オッズ8.1倍の3番人気となった。レースではラングフィールドとヴァリアントエフォートの2頭が後続を10馬身近く引き離す大逃げを打った。本馬は3番手だったが、前2頭との差が大きすぎたために事実上先頭に立っているような状態だった。向こう正面で逃げた2頭が失速すると本馬が入れ代わりに先頭に立ち、そのまま直線に入ってきた。しかしここで本馬の1~2馬身後方で徹底マークしていたアフターマーケットに並びかけられて、ゴール前で後れを取って1馬身半差の2着に敗退した。

次走はハリウッド金杯(米GⅠ・AW10F)となった。3連覇がかかるレースだったが、前2年と決定的に違ったのは、この年からダートではなくオールウェザーで施行されるようになった事だった。対戦相手は、サンタアニタH2着後にマーヴィンルロイHを勝ってきたモレンガオ、スキップアウェイHの勝ち馬でクラークH・ドンH3着のエーピーアロー、カリフォルニアンSで3着してきたエーピーエクセレント、前年のサンタアニタHで本馬の3着した次走のドバイワールドCで2着に入っていたウィルコなどだった。124ポンドの本馬が単勝オッズ2.4倍の1番人気、120ポンドのモレンガオが単勝オッズ2.6倍の2番人気、116ポンドのエーピーアローが単勝オッズ6.5倍の3番人気、116ポンドのエーピーエクセレントが単勝オッズ9.7倍の4番人気となった。

スタートが切られるとエーピーエクセレントが先頭に立ち、本馬は少し離れた2番手につけた。そのままの態勢で直線に入ると、本馬がエーピーエクセレントに並びかけて叩き合いが始まった。エーピーエクセレントも8ポンドの斤量差を活かして必死に粘り、さらに後方から本馬より11ポンド軽い113ポンドのビッグブースターも追い上げてきた。しかし本馬が2着エーピーエクセレントに鼻差で競り勝ち、1967年のネイティヴダイヴァー以来40年ぶり史上2頭目の同競走3連覇を達成。

そして、芝・ダート・オールウェザーの3ジャンルでGⅠ競走を制した史上初の米国調教馬となった(本馬以降には1頭も出ていない)。なお、勝ちタイム2分03秒21はコースレコードだった。

この勝利の翌7月、長年本馬の担当厩務員を務めていたノエ・ガルシア氏が、デルマー競馬場の近くで飲酒運転の車に撥ねられるという事故があった。ガルシア氏は一命を取り留めたが左腕を失うという大怪我を負ってしまった(運転手は4年間の刑務所送りとなった)。ガルシア氏は本馬の世話をするどころではなくなってしまい、担当厩務員は変更になった。

そうした混乱の中で、本馬は翌8月のパシフィッククラシックS(米GⅠ・AW10F)に出走した。エーピーエクセレント、前走3着のビッグブースター、サンディエゴHを勝ってきたサンボート、サンタアニタHで8着だったオーサムジェムなどが対戦相手となったが、定量戦という事もあって本馬に敵いそうな馬はおらず、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。ところが勝ったのは単勝オッズ24.4倍の9番人気馬ステューデントカウンシル。3~5番手の好位を追走した本馬は向こう正面で先頭に並びかけるも、そこから伸びずに、ステューデントカウンシルから7馬身差の6着と完敗してしまった。

その後は10月のオークツリーマイルS(米GⅡ・T8F)に向かった。一昨年のパシフィッククラシックS6着後にサンカルロスH・ポトレログランデBCH・マーヴィンルロイHを勝っていたサーフキャット、アメリカンHの勝ち馬アウトオブコントロール、シューメーカーマイルSで2着してきたデルマーダービー馬ゲットファンキーなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気、サーフキャットが単勝オッズ3.4倍の2番人気、アウトオブコントロールが単勝オッズ4.9倍の3番人気となった。しかしレースでは3番手を追走するも向こう正面で最後方まで下がり、勝ったアウトオブコントロールから5馬身差の6着最下位に敗れた。

次走のカリフォルニアCクラシックH(AW9F)では、ブリティッシュコロンビアBCダービーの勝ち馬ケルティックドリーミン、ベイメドウズダービー2着馬ボールドチーフテンなどが主な対戦相手だった。他馬勢より5~10ポンド重い124ポンドのトップハンデの本馬が単勝オッズ2.6倍の1番人気、115ポンドのケルティックドリーミンが単勝オッズ3.2倍の2番人気、119ポンドのボールドチーフテンが単勝オッズ6.9倍の3番人気となった。レースでは2~4番手を先行したが、直線に入ると伸びを欠き、勝ったボールドチーフテンから2馬身半差の6着に敗れた。

こうして本馬は調子を落としたまま6歳時を8戦3勝の成績で終えた。カリフォルニア州年度代表馬の座は逃した(この年デビューながらヴァニティ招待H・イエローリボンS・ミレイディH・クレメントLハーシュHを勝つなど8戦7勝の成績を挙げた4歳牝馬ナショバズキーが受賞)が、3年連続で最優秀古馬には選ばれた。

競走生活(7・8歳時)

7歳時は、左腕を失ったガルシア氏が半年ぶりに本馬の担当厩務員に復帰した。まずは4月のTVGカーレッドS(T9F)から始動した。このレースでは、前年のカリフォルニアCクラシックH2着後にサンシャインミリオンズクラシックS2着・クリスタルウォーターH1着と活躍していたケルティックドリーミンが単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持されており、単勝オッズ2.5倍の2番人気だった本馬は、5歳時のTVGカーレッドSから12戦連続で続いていたカリフォルニア州内の競走1番人気の座から陥落した。レースでは逃げる単勝オッズ10.6倍の4番人気馬エピックパワーを1馬身ほど後方の2番手で追撃。しかし直線入り口で後方から来た単勝オッズ4.5倍の3番人気だったクリスタルウォーターH2着馬ミスターウルヴァリンにかわされ、エピックパワーを捕らえる事も出来ず、勝ったミスターウルヴァリンから2馬身半差の3着に敗れた。

次走は6月のチャールズウィッテンガム記念H(米GⅠ・T10F)となった。エドヴィル賞・サンマルコスSの勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞・ハリウッドターフカップS2着・サンタアニタH3着のシャンゼリゼ、一昨年のチャールズウィッテンガム記念Hでは本馬の5着に敗れたもののその後にクレメントLハーシュ記念ターフCSSでGⅠ競走制覇を果たすなど活躍していたアルティストロワイヤル、ミスターウルヴァリン、ストラブS3着馬モンザンテ、ジェネラスSの勝ち馬ウォーニングゾーンなどが対戦相手となった。119ポンドのシャンゼリゼが単勝オッズ1.8倍の1番人気、117ポンドのアルティストロワイヤルが単勝オッズ4.2倍の2番人気、121ポンドの本馬が単勝オッズ6.2倍の3番人気だった。

本馬の鞍上はジャパンCダート以来ずっと本馬に乗っていたナカタニ騎手から、3歳時のスノーチーフS以来となるベイズ騎手に乗り代わっていた。ベイズ騎手は思い切った作戦に出た。スタートしてすぐに本馬を追いまくり、大逃げ戦法を採ったのである。最大で後続を7~8馬身ほど引き離して逃げ続けた本馬は、直線入り口で後続に並びかけられても良く粘った。しかし最後に力尽きてアルティストロワイヤルとモンザンテの2頭に差され、勝ったアルティストロワイヤルから首差の3着に敗れた。

翌7月のエディリードH(米GⅠ・T9F)では、アメリカンHを勝ってきたワットザスクリプト、モンザンテ、サンルイオビスポH・カールトンFバークHの勝ち馬スプリングハウス、亜国のGⅠ競走ホアキンSデアンチョレーナ大賞・ミゲルAマルティネスデオス大賞を勝った後に米国に移籍してアメリカンHで2着してきたストームミリタリーなどが対戦相手となった。116ポンドのワットザスクリプトが単勝オッズ2.7倍の1番人気、114ポンドのモンザンテが単勝オッズ4倍の2番人気、120ポンドの本馬が単勝オッズ4.6倍の3番人気だった。スタートが切られるとストームミリタリーが逃げを打ち、今回もベイズ騎手が騎乗した本馬は2番手を進んだ。しかし直線に入ると伸びを欠き、直線殿一気で勝ったモンザンテから3馬身半差の6着最下位に終わった。

このレース後のエックス線検査で、両前脚が変形している事が判明。そのために7歳時3戦未勝利の成績でいったん現役引退となった。

その後はオニール厩舎で過ごしていたが、エディリードHから1年2か月が経過した8歳9月になって現役復帰が発表された。

そして12月のサンガブリエルH(米GⅡ・T9F)にベイズ騎手騎乗で出走した。米国に移籍して間もなかったアルクール賞の勝ち馬でガネー賞2着のルプブレトン、マーヴィンHムニスジュニア記念H・ベイメドウズダービーの勝ち馬プラウドインスカイ、ハリウッドダービー3着馬アクラメーション(後にGⅠ競走を5勝して2011年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選出)などが対戦相手となった。ルプブレトンが単勝オッズ2.4倍の1番人気、プラウドインスカイが単勝オッズ2.8倍の2番人気、アクラメーションが単勝オッズ6倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ8.2倍の4番人気だった。好スタートを切った本馬はすぐに先頭に立ち、そのまま先頭を維持して直線に入ってきた。しかし本馬の頑張りはここまでで、直線で他の出走全馬に抜かれて、勝ったプラウドインスカイから6馬身1/4差の7着最下位に敗退。

本馬の現役復帰に対しては懐疑的な意見が多かったが、このレース結果によりそういった声がますます大きくなったため、結局オニール師の試みはこの1戦だけで終わり、翌1月に再度現役引退が発表された。

本馬の獲得賞金総額526万8706ドルは、カリフォルニア州産馬としては、ティズナウベストパルに次いで史上3位である。クレーミング競走で取引された経験がある馬としては、米国競馬史上最高額となっている。

血統

Slew City Slew Seattle Slew Bold Reasoning Boldnesian Bold Ruler
Alanesian
Reason to Earn Hail to Reason
Sailing Home
My Charmer Poker Round Table
Glamour
Fair Charmer Jet Action
Myrtle Charm
Weber City Miss Berkley Prince Rash Prince Prince John
Prompt Impulse
Betrayed Tip-Toe
Pyrrha
Esirnus Sunrise Flight Double Jay
Misty Morn
Water Lady Ambiorix
When in Rome
Li'l Ms. Leonard Nostalgia's Star Nostalgia Silent Screen Prince John
Prayer Bell
The Garden Club Herbager
Fashion Verdict
Aunt Carol Big Spruce Herbager
Silver Sari
Dinky Pinky What a Pleasure
Little Dunce
Pink Native Be a Native Exclusive Native Raise a Native
Exclusive
Poteen Cavan
Lady Lufton
Pink Khal Khalex Khaled
Exquisite
Pinky Jo Rippey
Candia

父スルーシティースルーはシアトルスルー直子で、現役成績42戦11勝。ガルフストリームパークH(米GⅠ)・オークローンH(米GⅠ)・サルヴェイターマイルH(米GⅢ)・カンタベリーバドワイザーBCH・ポリネシアンH・エルクホーンSを勝っている。競走馬引退後はケンタッキー州で種牡馬入りしたが、本馬以外のGⅠ競走勝ち馬は1頭のみで、それほど期待には応えられなかった。

母リルミズレオナルドはカリフォルニア州産馬で、競走馬としては18戦8勝の成績を挙げたが、勝ち星の全てが距離6ハロン以下の下級短距離戦だった。クレーミング競走にも幾度か出走しており、何人かの手を経た後に、本馬の生産者兼所有者兼調教師だったアーターバーン氏の所有馬となっていた。近親にはまるで活躍馬がいないが、本馬の半弟エンリッチド(父ハイブリット)【デルマーマイルH(米GⅡ)】も産んでいるところを見ると、かなり優秀な繁殖牝馬としての素質を持っていたようである。本馬が大活躍する最中の2006年に350万ドルで取引されてフロリダ州アリンデルファームに移動している。リルミズレオナルドの5代母ガロコルシカの半兄にヴィトー【ベルモントS】が、ガロコルシカの母フォーエヴァーの半兄にエターナル【ホープフルS・ブルックリンH】がいるが、いずれも本馬の近親とは言い難い。さらに遡ってもやはり活躍馬の名前は出てこない。→牝系:F8号族②

母父ノスタルジアズスターは現役成績59戦9勝。チャールズHストラブS(米GⅠ)・ホーソーン金杯H(米GⅡ)・ギャラントフォックスH(米GⅡ)・アリバイH(米GⅢ)・サンガブリエルH(米GⅢ)の勝ち馬。ノスタルジアズスターの父ノスタルジアは、ホーソーンジュヴェナイルS(米GⅢ)・リグスH(米GⅢ)勝ちなど48戦7勝。ノスタルジアの父サイレントスクリーンはプリンスジョン産駒で、アーリントンワシントンフューチュリティー・カウディンS・シャンペンS・サラナクH勝ちなど18戦7勝の成績を挙げ、1969年の米最優秀2歳牡馬にも選ばれた。

競走馬引退後

競走馬を完全に引退した本馬はその後もオニール厩舎に残り、現役競走馬の帯同馬としての役割を担う事となった。2012年にオニール厩舎所属のアイルハヴアナザーが米国三冠路線に参戦した時にも本馬はその帯同馬を務め、アイルハヴアナザーのケンタッキーダービー・プリークネスS制覇に重要な役割を果たした。アイルハヴアナザーがベルモントSの直前に故障を起こして、ベルモントSの代わりに引退式に出る羽目になった際にも、本馬はアイルハヴアナザーの横に護衛兵のように付き添っていた。アイルハヴアナザーが日本に種牡馬として旅立った後も本馬はオニール厩舎で相変わらず現役競走馬の帯同馬として活躍している。本馬自身の人気も健在であり、しばしば引退競走馬保護活動のイベントに出演して資金獲得に貢献している。

競走馬を完全に引退してから5年経過しないと米国競馬の殿堂入りの資格を得られないため、今のところ米国競馬殿堂入りの話はないが、将来的には殿堂入りする可能性が高いだろう。と、このように筆者が書いてから間もない2015年5月に本馬の殿堂入りが発表された。同年に一緒に殿堂入りした他2頭(エクストラヒートビリーケリー)は筆者の念頭に無かったが、本馬に関しては予想どおりだった。

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