リヴリア

和名:リヴリア

英名:Rivlia

1982年生

鹿毛

父:リヴァーマン

母:ダリア

母父:ヴェイグリーノーブル

名牝ダリアの息子として米国でGⅠ競走3勝を挙げた後に日本で種牡馬入りするも、初年度産駒が大ブレイクする最中に急逝する

競走成績:2~6歳時に仏米で走り通算成績41戦9勝2着2回3着8回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ブルーグラスファームにおいて、同牧場の所有者だった大富豪ネルソン・バンカー・ハント氏により生産・所有された。父は名種牡馬リヴァーマン、母はハント氏の所有馬として欧米を股にかけて大活躍した世紀の名牝ダリアという良血馬だった。母ダリアも手掛けた仏国モーリス・ジルベール調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月に競走馬デビューし、初戦となったドーヴィル競馬場のレースで3着した後、ロンシャン競馬場で出走したレースで勝ち上がった。3戦目はクリテリウムドサンクルー(仏GⅡ・T2000m)となったが、後の仏ダービー馬ムクターの8着に敗れた。2歳時の成績は3戦1勝だった。

3歳時は5月にメゾンラフィット競馬場で行われたレースから始動したが4着に敗退。次走のリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)でも、仏2000ギニーを勝ってきたノーパスノーセール、ギシュ賞を勝ってきたメタルプレシウなどに屈して、メタルプレシウの7着に敗れた。

その後は裏街道のエスペランス賞(仏GⅢ・T3000m)に出走して、2着ボーボネルに頭差で勝利した。次走のベルトゥー賞(仏GⅢ・T3000m)でもハエランの短頭差2着と好走したが、続いて出走したパリ大賞(仏GⅠ・T3000m)ではシュマイヤの5着に敗れた。

その後本馬は米国チャールズ・ウィッティンガム厩舎に転厩し、主戦場を米国カリフォルニア州に移した。3歳12月にハリウッドパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走に出走して2着バーランドに1馬身差で勝利し、米国初戦を飾った。なお、本馬は米国移籍後も芝のレースのみに出走している。3歳時の成績は6戦2勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は、1月に出走したサンガブリエルH(米GⅢ・T9F)で、やはり仏国から移籍して既にオークツリー招待Hを勝ちワシントンDC国際Sで2着するなど実績を挙げていたヤシュガンの2馬身3/4差3着と健闘。しかしAJCダービー・コックスプレート・バーデン大賞・サンクルー大賞勝ちなど世界各国を飛び回って活躍していた豪州出身の名馬ストロベリーロードとの顔合わせとなった同月のサンマルコスH(米GⅢ・T10F)では、ハリウッドダービー・カールトンFバークHなどの勝ち馬ではあるが既に8歳だったシルヴィーヴィルの13馬身差6着と惨敗した(ストロベリーロードは2着だった)。次走は4月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走となったが、リッチアースの2馬身半差3着に敗退。同月に出たサンハシントH(T10F)では、ファビアニの6馬身3/4差7着に敗れた。それでも5月のカバレロH(T12F)では、2着プライムアセットに半馬身差で勝利した。次走のローリンググリーンH(米GⅢ・T12F)でも同厩馬ヴァルダンスールの2馬身差2着に入った。

次走のサンセットH(米GⅠ・T12F)では、ハリウッドターフカップSを勝っていたゾファニー、ハリウッドパーク招待ターフH・WLマックナイトH2回・ブーゲンヴィリアH2回を勝っていたフライングピジョンに加えて、本馬の1歳年上の半兄である同厩馬ダハールとの対戦となった。ダハールも当初は仏国で走ってリュパン賞を勝った後に米国に移籍して、センチュリーH・サンルイレイS・サンフアンカピストラーノ招待Hを勝つなど米国芝路線のトップホースの1頭として活躍していた。結果はゾファニーが勝ち、ダハールが3/4馬身差の2着と頑張ったのに対して、本馬は兄から11馬身1/4差をつけられた7着と惨敗。最初で最後の兄弟対決は兄に軍配が上がった。

次走はノングレード競走のカンタベリーターフクラシック(T11F)となったが、米国に移籍してきていた仏グランクリテリウム勝ち馬トレジエムの5馬身1/4差5着に敗退。次走のスターズ&ストライプスH(米GⅡ・T9F)では、イクスプローシヴダーリングの8馬身差10着と大敗。タンフォランH(米GⅢ・T9F)でもトゥルースメーカーの10馬身差7着と、冴えない結果が続いた。暮れにサンタアニタパーク競馬場で出た芝9ハロンの一般競走もヘルメスの2馬身1/4差3着に終わり、4歳時は11戦1勝という結果だった。

競走生活(5歳時)

5歳時も当初は振るわず、1月にサンタアニタパーク競馬場で出た芝9ハロンの一般競走では、オーヴァージオーシャンの5馬身3/4差5着。サンルイオビスポH(米GⅡ・T12F)ではルイルグランの6馬身差4着と、連敗スタートだった。

3月にサンタアニタパーク競馬場で出た芝9ハロンの一般競走を、2着シノワズリに1馬身1/4差で制して、前年5月のカバレロH以来久々の勝利を挙げた。次走のサンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ・T14F)では、同厩馬ローズデールの半馬身差3着となり、GⅠ競走で初めて入着した。次走のゴールデンゲートH(米GⅡ・T11F)では、クリス・マッキャロン騎手を鞍上に、エアディスプレイとの接戦を首差で制して、移籍後初のグレード競走勝利を挙げた。

次走のハリウッド招待ターフH(米GⅠ・T12F)でもマッキャロン騎手とコンビを組むと、2着グレートコミュニケーターに4馬身差をつけて、2分24秒2のレースレコードでGⅠ競走初勝利を挙げた。なお、このグレートコミュニケーターという馬は何度もクレーミング競走の出走経験があり、このレースがグレード競走初出走という凡馬だったが、この時期から徐々に実力を蓄えて、本馬の前に何度も立ち塞がる事になる。

次走のサンセットH(米GⅠ・T12F)でもグレートコミュニケーターとの対戦となったが、このレースを制したのは前年のパリ大賞を制した後に米国に移籍してきた同厩馬スウィンクで、本馬は2馬身差の3着、グレートコミュニケーターはさらに1馬身1/4差の4着だった。

次走のアーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)では、前年のBCターフを筆頭にユナイテッドネーションズH2回・ターフクラシックS・シネマH・レキシントンSを勝っていた現役米国最強芝馬マニラ、ハイアリアターフC・レッドスミスH・ボーリンググリーンH・ソードダンサーHと4連勝中だった前年のBCターフ2着馬シアトリカル、スターズ&ストライプスH・エディリードHの勝ち馬で、後に本馬の代表産駒ナリタタイシンの好敵手ビワハヤヒデの父となるシャルードといった面々との対戦となった。ここでは本馬は全く振るわず、勝ったマニラから11馬身差の6着に終わった。

しかし地元カリフォルニア州に戻って出走した次走カールトンFバークH(米GⅠ・T10F)では、ラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に、2着キャプテンヴィガーズに1馬身1/4差で勝利を収めた。続くオークツリー招待S(米GⅠ・T12F)では、前年のオイロパ賞勝ち馬でジャパンC2着のアレミロード、ルイルグランの2頭に後れを取り、アレミロードの3馬身1/4差3着に敗れた。

その後はハリウッドパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に参戦。アーリントンミリオン3着後にターフクラシックS・マンノウォーSを連勝してきたシアトリカル、アレミロード、ルイルグラン、ワシントンDC国際Sでこの年のジャパンC勝ち馬ルグロリューの2着してきたグレートコミュニケーター、サンセットH勝利後にデルマー招待Hも勝っていたスウィンクといった既対戦組に加えて、凱旋門賞をレコード勝ちしてきたトランポリノ、ヨークシャーオークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬ビントパシャ、愛ダービー馬サーハリールイスなどが参戦してきた。シアトリカルとルイルグランのカップリングが単勝オッズ2.8倍の1番人気、トランポリノが単勝オッズ3.6倍の2番人気、本馬とスウィンクのカップリングが単勝オッズ5.2倍の3番人気となった。アーリントンミリオンと異なり地元のレースだったために期待されたのだが、大逃げを打ったグレートコミュニケーターにペースを乱されたのか、好位から伸びずに、勝ったシアトリカルから8馬身半差の9着に敗れた(グレートコミュニケーターは12着だった)。

次走のハリウッドターフC(米GⅠ・T12F)では、BCジュヴェナイル・デルマーフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティSなどを制して一昨年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたタッソーが芝路線に活路を求めて出走していた。しかし勝ったのは単勝オッズ15倍の伏兵ヴィルザク。本馬はヴィルザクとの着差は3馬身ながらも5着に終わり、4着だったグレートコミュニケーターに初めて先着を許した。この年は12戦4勝の成績となったが、それでもGⅠ競走2勝を挙げて飛躍の年になった。

競走生活(6歳時)

6歳時は1月のサンマルコスH(米GⅢ・T10F)から始動したが、結果は勝ち馬から16馬身差をつけられた10着最下位。勝ったのはこれがようやくグレード競走初勝利となったグレートコミュニケーターだった。次走のサンルイオビスポH(米GⅡ・T12F)でもグレートコミュニケーターが勝ち、本馬は10馬身差をつけられて6着に終わった。

次走のサンルイレイS(米GⅠ・T12F)では、グレートコミュニケーター、ヴィルザク、スウィンクなどとの対戦となった。しかしここではマッキャロン騎手騎乗の本馬がグレートコミュニケーターを2馬身1/4差の2着に破って勝ち、2年前の同競走を勝っていた兄ダハールとの兄弟制覇を果たした。

しかし2戦続けての兄弟制覇を狙って出たサンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ・T14F)では、グレートコミュニケーターの8馬身差5着に敗退。次走のハリウッド招待H(米GⅠ・T10F)ではゴール前の大激戦に屈してポリティカルアンビションの3/4馬身差6着に敗れ、3着同着だったグレートコミュニケーターにも先着された。続くゴールデンゲートH(米GⅡ・T11F)でも、グレートコミュニケーターの1馬身1/4差3着に敗退。次走のサンセットH(米GⅠ・T12F)にはグレートコミュニケーターは不在だったが、ロワノルマンドの7馬身1/4差9着と大敗した。

立て直しを図ったのか、この時期にジャネット・ジョンソン厩舎に転厩したのだが、結果は変わらなかった。9月のデルマーH(米GⅡ・T11F)ではソードダンスの7馬身1/4差8着に敗れ、2着となったグレートコミュニケーターにはまたも先着された。オークツリー招待H(米GⅠ・T12F)では仏国から移籍してきたばかりだったナスルエルアラブの5馬身1/4差5着に敗れ、2着となったグレートコミュニケーターにはまた先着された。この年のBCターフは地元カリフォルニア州から遠く離れたケンタッキー州のチャーチルダウンズ競馬場で行われた影響もあってか参戦せず、そのまま6歳時9戦1勝の成績で競走馬を引退した。宿敵グレートコミュニケーターとの対戦成績は本馬の4勝8敗で、グレートコミュニケーターがこの年のBCターフとハリウッドターフCを連勝した事もあり、最終的にはグレートコミュニケーターより本馬の方が下の評価になってしまった(なお、この年のエクリプス賞最優秀芝牡馬はサンシャインフォーエヴァーが受賞しており、グレートコミュニケーターは無冠に終わった)。

血統

Riverman Never Bend Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Lalun Djeddah Djebel
Djezima
Be Faithful Bimelech
Bloodroot
River Lady Prince John Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
Nile Lily Roman Sir Gallahad
Buckup
Azalea Sun Teddy
Coquelicot
Dahlia Vaguely Noble ヴィエナ Aureole Hyperion
Angelola
Turkish Blood Turkhan
Rusk
Noble Lassie Nearco Pharos
Nogara
Belle Sauvage Big Game
Tropical Sun
Charming Alibi Honeys Alibi Alibhai Hyperion
Teresina
Honeymoon Beau Pere
Panoramic
Adorada Hierocles Abjer
Loika
Gilded Wave Gallant Fox
Ondulation

リヴァーマンは当馬の項を参照。

ダリアは当馬の項を参照。→牝系:F13号族②

母父ヴェイグリーノーブルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はすぐに日本に輸入され、翌1989年から早田牧場で種牡馬供用された。交配数はほぼ毎年固定されており、初年度は60頭、2年目も60頭、3年目は58頭、4年目は59頭、5年目の1993年は61頭だった。初年度産駒は1992年にデビューしており、この年のうちにペガサスとナリタタイシンが重賞勝ち馬となった。翌1993年にはナリタタイシンが皐月賞を勝つなど活躍し、本馬に対する期待が高まった。しかし本馬は同年9月に腸捻転のため11歳の若さで急逝し、僅か5世代の産駒しか残せなかった。活躍馬は初年度産駒に集中しており、2世代目以降からは中央競馬の重賞勝ち馬は出ていない。全日本種牡馬ランキングは、ワコーチカコが活躍した1994年と1995年の16位が最高だった。後継種牡馬と目されたナリタタイシンは種牡馬として不振を極め、本馬の血は数少ない自身の牝駒にしか伝えられていない。それでも母父としてはテイエムオーシャンやオリオンザサンクスなどを出し、一定の実績を挙げている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1990

エリモフォーサイト

阪神障害S春

1990

ナリタタイシン

皐月賞(GⅠ)・目黒記念(GⅡ)・ラジオたんぱ杯三歳S(GⅢ)

1990

ペガサス

新潟三歳S(GⅢ)・福島記念(GⅢ)

1990

マイヨジョンヌ

新潟大賞典(GⅢ)2回・福島記念(GⅢ)

1990

ワコーチカコ

京都記念(GⅡ)・エプソムC(GⅢ)・函館記念(GⅢ)・京都金杯(GⅢ)

1992

ランフォータックス

くろゆり賞(SPⅠ)・サマーC(SPⅡ)

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