プレイリーバイユー

和名:プレイリーバイユー

英名:Prairie Bayou

1990年生

栗毛

父:リトルミズーリ

母:ウィフリング

母父:ウェイバリングモナーク

騙馬としては79年ぶりのプリークネスS制覇を果たすも、次走のベルモントSで若き命を散らす

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績12戦7勝2着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において、ロブロリーステーブルにより生産・所有された。ロブロリーステーブルは、米国の事業家ジョン・E・アンソニー氏と妻のメアリー夫人により創設されたアーカンソー州レイクハミルトンに拠点を置く馬産団体で、本馬の祖父でもある1978年のメトロポリタンHの勝ち馬コックスリッジ、1980年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選ばれたベルモントS・トラヴァーズS・ジョッキークラブ金杯・サバーバンHの勝ち馬テンパランスヒル、1985年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれたサバーバンH・ジョッキークラブ金杯・ワシントンDC国際Sの勝ち馬ヴァンランディンガム、本馬の父でもある1986年のブルックリンHの勝ち馬リトルミズーリ、本馬より1歳年上のプリークネスSの勝ち馬パインブラフなどを所有していた。本馬の馬名はバイユー大草原という意味で、これはアーカンソー州にある草原の名前である。アンソニー・レインステドラー調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳10月にキーンランド競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦で、ドナルド・ミラー・ジュニア騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ5.2倍で12頭立ての2番人気に推されたのだが、馬群の中団後方から全く伸びずに、逃げて完勝した単勝オッズ17.8倍の7番人気馬ターンオフザライツから10馬身差をつけられた7着に敗れた。

次走は翌11月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたダート8.5ハロンの未勝利戦だった。ここでは、ユニオンシティという馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されており、ブレント・バートラム騎手騎乗の本馬は単勝オッズ7.6倍の2番人気だった。今回の本馬はスタートから最後方につけると、三角から四角にかけて一気に位置取りを上げていった。そして先行して先に抜け出していたユニオンシティに直線入り口で並びかけると、叩き合いを1馬身半差で制して勝利した。なお、ユニオンシティは後に本馬と米国三冠競走でも顔を合わせることになるのだが、その結末は本馬共々悲劇に終わることとなる。

未勝利戦を勝ち上がった本馬は、それから僅か8日後に同コースで行われた一般競走に出走した。勝ち上がったレースの開催場所や格(通常の未勝利戦か、クレーミング未勝利戦か)などによって斤量設定が異なるレースだったらしく、本馬にはクレーミング未勝利戦を勝ってきた馬より10ポンド重い121ポンドのトップハンデが課せられた。それでも単勝オッズ3.4倍の1番人気に支持されたバートラム騎手騎乗の本馬は、今回も後方待機策を採り、四角ひとまくりで直線入り口では先頭。そのまま押し切って、2着となった単勝オッズ7.8倍の3番人気馬エンチャンティングフューチャーに3馬身差をつけて完勝。とても鮮やかな勝ち方であり、一躍注目馬となった。このレース後に本馬はレインステドラー厩舎からトーマス・ボハナン厩舎に転厩となった。

次走は12月下旬にローレルパーク競馬場で行われたインナーハーバーS(D9F)だった。オームウィルソンジュニア記念Sを勝ってきたクイッケン、リズムS・デュエルサイトSを連勝してきたデパーティングクラウドという2頭のステークスウイナーと共に、ジョン・ヴェラスケス騎手鞍上の本馬には122ポンドのトップハンデが課せられた。本馬が同馬主同厩のオーザンとのカップリングで単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、クイッケンが単勝オッズ3.8倍の2番人気、デパーティングクラウドが単勝オッズ4.4倍の3番人気となった。レースでは相変わらずの後方待機策から四角でまくる得意の戦法を採り、直線入り口では逃げる単勝オッズ11倍の5番人気馬ジョルジオブメキシコに並びかけた。しかしここからジョルジオブメキシコが本馬より9ポンド軽い斤量を利して粘り込みを図り、ゴール直前で僅かに遅れた本馬は鼻差の2着に敗れた。2歳時は4戦2勝の成績だった。

競走生活(3歳初期)

3歳時は1月にアケダクト競馬場で行われたパッパリッチオS(D8F70Y)から始動した。対戦相手は僅か3頭であり、他馬との斤量差も無かったため、主戦となるマイク・スミス騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持された。鞍上が代わっても出走頭数が少なくても、本馬の走りはいつもと変わらず、4頭立ての最後方を追走。そして三角から進出を開始して2番手で直線を向いた。しかしスローペースで逃げていた単勝オッズ4倍の3番人気馬バーツバブリエイターに届かず、1馬身1/4差の2着に敗れた。

次走は前走から僅か9日後に同コースで行われたカウントフリートS(D8F70Y)だった。ここには、デーモンラニヨンS・バートラムFボンガードSを勝っていたオーヴァーザブリンク、インナーハーバーSで本馬を破ったジョルジオブメキシコという2頭のステークスウイナーが出走していた。ステークス競走未勝利の分だけその2頭よりも軽い117ポンドの斤量だった本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、123ポンドのオーヴァーザブリンクが単勝オッズ3.8倍の2番人気、前走の一般競走を勝ってきた117ポンドのスルーズゴールドが単勝オッズ4.9倍の3番人気、121ポンドのジョルジオブメキシコが単勝オッズ6.8倍の4番人気となった。レースでは後方2番手を追走して三角からまくるという、いつもの走りを披露。今回はまくりきって直線入り口で単独先頭に立つと、2着スルーズゴールドに3馬身差、3着ローワーにはさらに5馬身半差をつけて快勝した。

次走は4週間後にアケダクト競馬場で行われたワーラウェイBCS(D8.5F)だった。対戦相手は、前走で負かしたスルーズゴールドやローワー程度であり、他馬より3ポンド斤量が重い本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。今回は単独最後方を走っていたが、向こう正面で早くも仕掛けて2番手に上がり、直線入り口で先頭に立った。後は直線を走り抜くだけで、2着に粘った単勝オッズ25.9倍の最低人気馬ローワーに3馬身差をつけて完勝した。

その後はケンタッキーダービーを目指してケンタッキー州に向かい、ターフウェイパーク競馬場でジムビームS(GⅡ・D9F)に出走した。ここでは、マイナーズマークという馬が本馬の最大のライバルとなった。マイナーズマークは、BCディスタフなど13戦無敗という世紀の名牝パーソナルエンスンの初子であり、父は大種牡馬ミスタープロスペクターという、超の字が何個つくのか分からない良血馬であり、十歩譲って母系は優秀と言えなくもないが父系を見るととても良血とは言えない本馬とは対照的な存在だった。マイナーズマークのほかにも、ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬ワイルドゲイル、ピルグリムSの勝ち馬でヤングアメリカS2着のアワッド(後にアーリントンミリオンなど芝のGⅠ競走を4勝する芝の強豪だが、試しにダート競走に参戦してきていた)などの姿もあり、本馬が今まで出走してきたレースとはやはり対戦相手の格がかなり上昇していた。

しかし単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持されたのは、クリス・マッキャロン騎手とこのレース限定のコンビを組んだ本馬であり、一般競走で2勝目を挙げてきたばかりのマイナーズマークは単勝オッズ4.2倍の2番人気、ワイルドゲイルが単勝オッズ4.9倍の3番人気となった。対戦相手の格が上がっても騎手が乗り代わっても本馬の走りはいつもと変わらず、9頭立ての後方2番手を追走。そして三角から四角にかけて一気に位置取りを上げて、直線入り口では先頭に立っていた。好位を追走していた単勝オッズ28.2倍の6番人気馬プラウデストロメオがここから粘りを見せて本馬に食らいついてきたが、最後まで抜かさせず、2着プラウデストロメオに3/4馬身差、3着マイナーズマークにはさらに2馬身差をつけて勝利。

この敗戦でマイナーズマークはケンタッキーダービーを断念する事になったが、後にコリンS・ジムダンディS・ジョッキークラブ金杯を制して同世代のトップクラスへと駆け上がっていく事になる。しかしマイナーズマークがコリンSを勝利した直後に同じベルモントパーク競馬場において本馬の運命のレースであるベルモントSが実施された事を考えると、なにやら因縁めいて思える部分もある。

それはともかく、これでケンタッキーダービー馬の有力候補として認知された本馬は、本番3週間前のブルーグラスS(GⅡ・D9F)に向かった。前走ジムビームSよりも対戦相手の層が厚くなっており、前走サンフェリペSを快勝してきたコルビー、リズンスターS・ルイジアナダービーなど5戦全勝のディキシーランドヒート、シャンペンSの勝ち馬シーヒーロー、カリフォルニアジュヴェナイルSの勝ち馬リカティルヒル、カウディンSの勝ち馬でフロリダダービー3着のワレンダーなどが出走していた。コルビーが単勝オッズ2.6倍の1番人気、ディキシーランドヒートが単勝オッズ4.5倍の2番人気、本馬が単勝オッズ4.7倍の3番人気、シーヒーローが単勝オッズ8.7倍の4番人気となった。しかしこのレースにおける本馬の走りは実に素晴らしかった。スタートから三角に入るところまではずっと9頭立ての後方2番手の位置取りだったが、三角から四角にかけて猛然と順位を上げると、直線に入ってすぐに先頭を奪取。そのまま押し切って、2着に追い上げてきた単勝オッズ15.9倍の7番人気馬ワレンダーに2馬身差をつけて完勝した。

ケンタッキーダービー

次走はいよいよケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)となった。フロリダダービーの勝ち馬でファウンテンオブユースS2着のブルインザヘザー、サンタアニタダービーの勝ち馬でサンフェリペS2着のパーソナルホープ、ウッドメモリアル招待S・ファウンテンオブユースSの勝ち馬でフロリダダービー2着のストームタワー、アーカンソーダービーを勝ってきたロッカマンド、ケンタッキージョッキークラブS2着馬ミシエロ、パームビーチSの勝ち馬でアーカンソーダービー2着のキッシンクリス、レキシントンS2着のエルバカンなどの他に、本馬が勝利した未勝利戦で2着に敗れたが今年になってサンラファエルS・サンタアニタダービーと連続2着してきたユニオンシティ、ワレンダー、前走4着のシーヒーロー、同7着のコルビー、ジムボームSで5着だったワイルドゲイルといった既対戦馬も顔を見せていた。この中で本馬は単勝オッズ5.4倍の1番人気に支持され、ブルインザヘザーが単勝オッズ6.2倍の2番人気、ユニオンシティが単勝オッズ6.9倍の3番人気、パーソナルホープが単勝オッズ9.2倍の4番人気、ストームタワーが単勝オッズ10倍の6番人気となった(単勝オッズ9.5倍の5番人気はワイルドゲイルなど7頭のカップリング。本来この7頭は1頭ずつだと最低人気クラスなのだが、表示できる人気順に限りがあるためにケンタッキーダービーでは頻繁に起こっていた、人気薄の馬を無関係でも強引にカップリングする方法の対象となっていた)。

スタートが切られるとストームタワーが先頭に立ち、パーソナルホープがそれを追って2番手、3番手集団が少し離れて追走。一方の本馬はやはり後方待機策を選択しており、19頭立ての16番手を追走した。ストームタワーが刻んだペースは、最初の2ハロンが22秒8という、ケンタッキーダービーならではのハイペースとなった。向こう正面で少しペースが落ち着いたため、先頭から最大15馬身以上は離されていた本馬が仕掛けて、三角途中では6番手まで上がってきた。すると、本馬の少し前を走っていたシーヒーローやワイルドゲイルも仕掛けて本馬と共に上がっていった。この中で極めて巧みにインコースを突いたシーヒーローが直線入り口で先頭を奪い、それを2番手追走から粘りを発揮したパーソナルホープ、その外側のワイルドゲイル、さらにその外側の本馬の3頭が追撃。しかしシーヒーローがそのまま押し切って勝利し、本馬は2馬身半差の2着に敗れた。頭差の3着がワイルドゲイル、さらに首差の4着がパーソナルホープという結果となった。勝ったシーヒーローは単勝オッズ13.9倍の9番人気であり、本馬にとってはブルーグラスSで完璧に負かした相手に足元を掬われる結果となった。

プリークネスS

次走はプリークネスS(GⅠ・D9.5F)となった。本馬、シーヒーロー、ワイルドゲイル、パーソナルホープの前走上位4頭が揃って出てきたほかに、前走15着のユニオンシティ、同17着のロッカマンド、同18着のエルバカン、ラファイエットS・ダービートライアルSの勝ち馬だがケンタッキーダービーを回避してここに向かってきたチェロキーラン(翌年にBCスプリントを制してエクリプス賞最優秀短距離馬に選出)なども出走してきた。本馬が単勝オッズ3.2倍の1番人気、パーソナルホープが単勝オッズ4.2倍の2番人気、シーヒーローが単勝オッズ5.3倍の3番人気で、この3頭に人気が集中。4番人気のチェロキーランは単勝オッズ10.4倍だった。

スタートが切られると、前走ではストームタワーにハナを叩かれて2番手につけたパーソナルホープが先頭に立ち、エルバカン、チェロキーランなどがそれを追って先行。一方の本馬は、12頭立ての10番手を進んだ。向こう正面に入ってしばらくしたところで、本馬の直前を走っていたユニオンシティが故障を発生して競走を中止。後退していくユニオンシティと擦れ違った本馬は、その瞬間に加速を開始。三角から四角にかけて馬群の間を縫うようにして駆け上がっていくと、直線に入ってすぐに先頭のチェロキーランに並びかけた。ここから本馬とチェロキーランが少し馬体を離した状態で叩き合いを始め、最後は本馬が半馬身差で優勝。馬主のロブロリーステーブルに、前年のパインブラフに続く2年連続同競走制覇をプレゼントした。

プリークネスSを騙馬が勝ったのは、1914年のホリデー以来79年ぶり史上5頭目だった。このレース翌日のボルチモア・サン紙には、「彼は物静かで頑丈な馬で、競走で良い結果を出すために常に一生懸命走る馬であり、本当のプロフェッショナルです。野球をやらせれば良い捕手になるでしょうし、アメリカンフットボールをやらせれば良いセンターになるでしょう(いずれも運動神経のみならず頭脳や丈夫さも要求されるポジションである)」というボハナン師のコメントが掲載されている。チェロキーランから7馬身差の3着がエルバカン、さらに首差の4着がパーソナルホープと、先行した3頭が2~4着を占め、後方からレースを進めたシーヒーローは、パーソナルホープから3/4馬身差の5着に敗れた。

なお、競走中止となったユニオンシティは、右前脚の骨折と腱断裂により予後不良と診断され、その場で安楽死の措置が執られた。米国三冠競走のレース中に故障した馬がそのまま予後不良となった例は、1959年のベルモントSにおけるブラックヒルズ以来34年間無かった事であり、当時としてはかなり珍しい事であった。

ベルモントS

その珍しい事が立て続けに起ころうとは誰が予想しえただろうか。しかし本馬の次走ベルモントS(GⅠ・D12F)でも同じ悲劇が発生し、今度の悲劇の主人公は本馬となってしまったのである。対戦相手は、チェロキーラン、シーヒーロー、前走8着のワイルドゲイル、ケンタッキーダービー7着から直行してきたキッシンクリス、ウィザーズS2着後にピーターパンSを勝ってきた上がり馬ヴァージニアラピッヅ、3歳になって一般競走を2連勝してピーターパンSで2着してきた上がり馬コロニアルアッフェアー、仏国から遠征してきたクリテリウムドサンクルー3着馬アラントなどだった。本馬が単勝オッズ3.7倍の1番人気、シーヒーローが単勝オッズ4.2倍の2番人気、チェロキーランが単勝オッズ5.2倍の3番人気、ヴァージニアラピッヅが単勝オッズ5.9倍の4番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ64倍の12番人気馬アントリムロードが先頭に立ち、チェロキーランが2番手につけた。一方の本馬は、相も変わらずの後方待機策であり、13頭立ての12番手を走っていた。そして向こう正面に入ったところで、さあこれから進出していくかと思われた次の瞬間、鞍上のスミス騎手は「とても悪い音」を聞いた。左前脚に故障を発生した本馬はバランスを崩してずるずると後退。スミス騎手は落馬してしまい、そのまま競走中止となった(レースはコロニアルアッフェアーが勝利した)。

スミス騎手には怪我は無かったが、本馬の左前脚は種子骨と砲骨が粉砕骨折しており、既に手の施しようがない状態だった。そのため、故障から30分後には予後不良と診断され、そのまま安楽死となった。遺体はケンタッキー州ロングフィールドファームに埋葬された。

ボハナン師によるとレース出走直前には何の異常もなかったようで、所有者のアンソニー氏も絶対に健康体だったと明言しており、故障の原因は不明である。なお、プリークネスSで故障したユニオンシティは、レース前から明らかに体調が悪かったらしく、本馬とユニオンシティのケースは違うと、翌日のフロリダ州オーランド・センチネル紙に載っている。

なお、以下は筆者が事実を淡々と書いただけのものであるが、本馬は2歳10月にデビューしてから9か月足らずの間に13戦を消化しており、出走間隔最大はワーラウェイBCSとジムビームSの間で、その間隔は35日、日本風に言うと中5週間だった。また、ロブロリーステーブルはこの翌年1994年に、代表者のアンソニー氏とメアリー夫人が離婚したために解散してしまった。

それはさておき、3歳時8戦5勝の成績を残した本馬は、この年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬騙馬を受賞した。騙馬がこのタイトルを受賞したのは、1971年のエクリプス賞創設以降では本馬が初めてだった。

血統

Little Missouri Cox's Ridge Best Turn Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Sweet Clementine Swaps
Miz Clementine
Our Martha Ballydonnell Ballyogan
O'Donnell
Corday Carrier Pigeon
Galleon Gold
Win Nona Jacinto Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Cascade Precipitation
Marita
Constance Black On Trust Alibhai
Torch Rose
Perception Count Fleet
Banish Fear
Whiffling Wavering Monarch Majestic Light Majestic Prince Raise a Native
Gay Hostess
Irradiate Ribot
High Voltage
Uncommitted Buckpasser Tom Fool
Busanda
Lady Be Good Better Self
Past Eight
Queen's Gambit Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
So Social Tim Tam Tom Fool
Two Lea
His Duchess Blenheim
Businesslike

父リトルミズーリは本馬と同じくロブロリーステーブルの所有馬として走り、現役成績25戦8勝。ブルックリンH(米GⅠ)・スタイヴァサントH(米GⅡ)を勝ち、メドウランズCH(米GⅠ)で3着している。競走馬引退後はケンタッキー州スペンドスリフトファームで種牡馬入りしていた。本馬以外にはこれといった活躍馬を出せなかったが、それでも2005年に23歳で種牡馬を引退するまで息長く種牡馬生活を続けた。翌2006年に老衰のためこの世を去っている。

リトルミズーリの父コックスリッジはやはりロブロリーステーブルの所有馬として走り、現役成績28戦16勝。メトロポリタンH(米GⅠ)を筆頭に、オークローンH(米GⅡ)・エクセルシオールH(米GⅡ)・ミニッツマンH(米GⅢ)・ディスカヴァリーH(米GⅢ)・スタイヴァサントH(米GⅢ)・クイーンズカウンティH(米GⅢ)・レイザーバックH(米GⅢ)に勝ち、エイモリーLハスケルH(米GⅠ)で2着、ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)で3着した強豪馬。しかし同時代にシアトルスルーアファームドスペクタキュラービッドといった超強豪がおり、この3頭と2年続けて戦ったマールボロCH(米GⅠ)ではいずれも惨敗している。しかし種牡馬としては53頭のステークスウイナーを出してかなりの成功を収めた。114頭のステークスウイナーを出したシアトルスルーにはさすがに質量共に及ばないが、82頭のステークスウイナーを出したアファームドと比べると質では見劣りしないし、47頭のステークスウイナーを出したスペクタキュラービッドと比べると質量共に確実に上である。1998年に繋養先のケンタッキー州クレイボーンファームにおいて24歳で他界した。コックスリッジの父ベストターンはダヴォナデイルの項を参照。

母ウィフリングは、1歳時のキーンランド9月セールにおいて12万ドルで取引されたが、現役成績は9戦1勝に終わった。本馬の死の翌年1994年にロブロリーステーブルが解散すると、キーンランド11月セールに出品され、いったんは破産していたが存続していたカルメットファームにより105万ドルで落札された。同じ1994年7月にデビューした本馬の半弟フリッチは、父がギャラントマンの直系子孫であるアーカンソーダービーの勝ち馬デーモンズビーゴーンというこれまたマイナー種牡馬ながらも、米国競馬名誉の殿堂博物館S(米GⅡ)・ローレンスリアライゼーションH(米GⅢ)・セネカH(米GⅢ)に勝つなど32戦8勝の成績を残した活躍馬となった。サラトガスペシャルS(米GⅡ)とアーカンソーダービー(米GⅡ)で2着するなど、米国三冠競走にも出ようと思えば出られるだけの成績を挙げていたが、結局どれも不出走に終わっている。そんなわけで、カルメットファームに購入された後のウィフリングの繁殖成績にも期待が掛かったが、アンブライドルドやディキシーユニオンなど、リトルミズーリやデーモンズビーゴーンより遥かに実績がある種牡馬と交配されながらも、2005年に老衰のため20歳で他界するまで本馬やフリッチを髣髴とさせるような子を出せなかった。

ウィフリングの母クイーンズギャンビットの全兄にはウォードマカリスター【バーナードバルークH(米GⅢ)】が、クイーンズギャンビットの半姉スノッビッシュネスの孫にはマイビッグボーイ【バーナードバルークH(米GⅠ)】、曾孫にはリアーズプリンセス【ガゼルS(米GⅠ)】、玄孫には日本で走ったフジノコンドル【サラブレッドチャレンジC(GⅢ)・サマーチャンピオン(GⅢ)・新緑賞・マーチC】が、クイーンズギャンビットの半妹で日本に繁殖牝馬として輸入されたロベルトズソシアルの子にはエクセレンスロビン【新潟三歳S(GⅢ)】がいる。クイーンズギャンビットの母ソーソーシャルは、サバーバンHなどを勝った名牝ブサンダの半妹ヒズダッチェスの娘で、名馬バックパサーの従姉妹に当たる。つまり本馬の母系は米国の超名門ラトロワンヌ系であるのだが、星の数ほど活躍馬が出ているラトロワンヌの牝系の中でも、本馬の近親はそれほど発展していない部類に入る。→牝系:F1号族②

母父ウェイバリングモナークはマライアズモンの項を参照。

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