イピトンベ

和名:イピトンベ

英名:Ipi Tombe

1998年生

鹿毛

父:マンシュード

母:カーネットデダンス

母父:ダンスインタイム

異色のジンバブエ産馬ながら南アフリカの女傑として鳴らしドバイデューティーフリーも圧勝して世界中の競馬関係者を驚かせる

競走成績:3・4歳時にジンバブエ・南阿・首・米で走り通算成績14戦12勝2着2回

誕生からデビュー前まで

本馬が産まれたジンバブエ共和国はアフリカ大陸南部にある国である。12世紀頃から王国として栄えたが、第一次世界大戦後に英国の植民地となった。1960年代のローデシア紛争を経て、1980年に独立。それ以降は2015年現在に至るまでロバート・ムガベ大統領(建国当初は首相)が政権を握っている。

本馬はジンバブエサラブレッドブリーダーズ協会の会長であるピーター・J・ムーア氏により、ゴールデンエーカーファームにおいて生産された。この年にジンバブエで生産されたサラブレッドは本馬を含めて468頭だった。

2000年8月、それまで白人との融和政策を進めていたムガベ大統領は方針を変更し、白人所有の大農場を強制収用して黒人農民に分配する「ファスト・トラック」政策を開始した。土地を無理矢理奪われた白人達は国外に逃げ出し、ジンバブエ国内の農業生産性は極端に低下した。その後も外資系企業の株式強制譲渡や国内企業に対する価格統制など経済政策の失態が繰り返されたため極端な物資不足に陥り、世界史上類を見ないハイパーインフレーションが発生した(米国の研究機関によると、2009年にジンバブエドルが発行停止されるまでのインフレ率は897垓%という天文学的な数字だったらしい)。

この経済混乱の中でジンバブエの首都ハラレにおいて行われたセリに出された本馬は、2万ジンバブエドル(インフレ発生前は約3万米ドル相当額だったが、この時点においては既に30米ドル相当額になっていた)の値段で、スティーヴ・トムリンソン氏、デイブ・コールマン氏、ロブ・E・ダベンポート氏、ヘンク・W・ライエナール氏の4名から成るサンマークステーブルにより購入され、ジンバブエのトップ調教師であるノーリン・ピーチ師に預けられた。

競走生活(ジンバブエ・南アフリカ時代)

3歳9月にハラレ近郊にあるボローデール競馬場で行われた芝1000mの未勝利戦で、D・ウィリアムズ騎手を鞍上にデビューした。7番人気の低評価だったが、半馬身差で勝利を収めた。翌月のノービスプレート(T1100m)では1番人気に応えて3馬身差で快勝。12月のシルヴァースリッパー(T1100m)は2着に敗れたが、2週間後のスカイトランスプレート(T1600m)は3馬身3/4差で楽勝した。年明け初戦のロットスプリント(T1200m)では、単勝オッズ2.1倍の2番人気だったが、2着ランボーロワイヤルに4馬身差をつけて圧勝した。

その後、悪化の一途を辿るジンバブエの経済状態を懸念したサンマークステーブルは、隣国南アフリカの投資家22人から成るシンジケートの支援を受けて、本馬を南アフリカに移動させた。ジンバブエのサラブレッド農場が政府の指示により破壊され、数多くの競馬関係者やサラブレッドが虐殺されたり国外に脱出したりして、ジンバブエのサラブレッド競馬が崩壊したのはそれから間もなくのことだった。

南アフリカに移動した本馬はマイク・デ・コック師の管理馬となった。コック師は南アフリカとドバイに厩舎を構えている南アフリカのトップ調教師だった。

3月のトリプルティアラ1600(南GⅠ・T1600m)で移籍初戦を迎えた。ここでは前走で南アフリカの牝馬限定マイルGⅠ競走エンプレスクラブSを勝っていたフェーディングライトが単勝オッズ1.7倍という断然の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ8倍で4番人気の評価だった。レースではフェーディングライト(4着)などには先着したが、先に抜け出した伏兵のクルニコワに3/4馬身届かずに2着と惜敗した。

次走は南アフリカのオークスに相当するフィリーズクラシック(南GⅡ・T1800m)となった。ここでは主戦となるケヴィン・シェイ騎手と初コンビを組み、クルニコワやフェーディングライトなどを抑えて単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された。レースでは残り300m地点で先頭に立つと、2着スペシャルパレードに2馬身3/4差をつけて楽勝した。

さらに南アフリカの1000ギニーに相当するフィリーズギニー(南GⅠ・T1600m)に出走。単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持されると、2着レイニングローゼズに2馬身3/4差で完勝してGⅠ競走初勝利を挙げた。

続いてウーラヴィントンS(南GⅡ・T2000m)に出走。単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に応えて、2着アルマーに2馬身1/4差で快勝した。

さらに南アフリカ最大のレースであるダーバンジュライ(南GⅠ・T2200m)に駒を進めた。このレースにはセージライフカップトライアルを勝ってきたフライトアラート、セージライフカップトライアルの2着馬で、後に南アフリカのGⅠ競走J&BメトロポリタンHを勝つアンガス、南アフリカの有力2歳競走プレミアズチャンピオンS勝ち馬で南アフリカのGⅡ競走グレイヴィル1900を勝ってきたティトラなど、南アフリカを代表する同世代・年上の強豪牡馬勢が顔を揃えていた。フライトアラートが単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ6倍の2番人気となった。不利とされる外枠(18頭立ての15番枠)からスタートしたために後方からの競馬となり、直線入り口でもまだ後方4番手だった。しかし直線で素晴らしい末脚を披露し、最後は2着アンガスを短頭差かわして優勝。ダーバンジュライを勝ったのは、ジンバブエ産馬としては史上初、3歳牝馬としては1956年のスペイブリッジ以来46年ぶりという快挙だった。鞍上のシェイ騎手は興奮して本馬の顔に繰り返しキスをしたが、本馬は興奮する様子も見せずに平然としていたという。

この結果、01/02シーズンの南アフリカ最優秀3歳牝馬のタイトルを獲得した(というように本馬を紹介した資料に書かれていたが、南アフリカの年度表彰エクウス賞においては、01/02シーズンの最優秀3歳牝馬はブライダルパズズという馬になっており、実際のところはあまりはっきりしない)。なお、日本の資料には年度代表馬にも選ばれたと記載されていたが、海外の資料では年度代表馬選考では次点だったとなっており、実際にエクウス賞においてはキーオブディスティニーという馬が01/02シーズンの年度代表馬に選ばれているようである。

本馬の活躍を耳にした米国ケンタッキー州の投資シンジケートであるチームヴァラー国際の代表バリー・アーウィン氏は、サンマークステーブルに対して本馬の権利の一部を購入する事を申し出た。8月に取引は成立し、本馬の権利の半分はケンタッキー州のウインスターファーム、4分の1ずつをサンマークステーブルとチームヴァラー国際が所有する事になった。

競走生活(ドバイ時代)

本馬はその後ドバイミーティングを目標とすることになり、休養も兼ねてドバイにあるコック師の厩舎に移動して越冬した。

翌年2月にナドアルシバ競馬場で行われたリステッド競走アルファヒディフォート(T1600m)でドバイ初戦を迎えた。リステッド競走ではあったが、ギョームドルナノ賞勝ち馬マスターフル、マクトゥームチャレンジR2の2着馬ロイヤルトリストなどが出走しており、対戦相手のレベルはGⅡ競走クラスで、しかも牡馬相手のレースだった。さらにはGⅠ競走勝ち馬である本馬は他の牡馬勢より1kg重い58kgのトップハンデを背負う事になった。しかし結果はコースレコードを1秒3も更新する1分37秒0で走破した本馬が2着ロイヤルトリストに2馬身1/4差で楽勝した。

次走はジェベルハッタ(首GⅢ・T1777m)となった。ここでもヴィンテージS勝ち馬で愛ナショナルS2着のナヒーフ、オーモンドS2連覇のセントエクスペディト、ロイヤルホイップS2着馬サイツオンゴールドといった有力牡馬相手に58kgのトップハンデを背負ったが、1分48秒62のレースレコードで走破して、2着サイツオンゴールドに3馬身3/4差の完勝を収めた。

そして迎えたドバイデューティーフリー(首GⅠ・T1777m)。前哨戦のバージナハールSを6馬身半差で圧勝してきたイムティヤズ、クレイヴンSの勝ち馬キングオブハピネス、伊共和国大統領賞・ミラノ大賞を勝っていた独国調教馬パオリニ、南アフリカのGⅠ競走サウスアフリカンギニー・ケープタイムズフィリーズギニーを勝っていたイヴェンチュエイル、サイツオンゴールド、ジェベルハッタ3着のセントエクスペディト、同7着のナヒーフ、ロイヤルトリスト、アルファヒディフォート6着のマスターフルなどが対戦相手となった。英国ブックメーカーのオッズでは本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、イムティヤズが単勝オッズ5倍の2番人気、キングオブハピネスが単勝オッズ9倍の3番人気、パオリニが単勝オッズ10倍の4番人気と続いた。

スタートが切られるとセントエクスペディトが先頭を引っ張り、本馬は中団やや後方を進んだ。そして直線に入ると大外一気の豪脚を繰り出した。あっという間に先行馬勢を捕らえると最後は2着パオリニに3馬身差をつけてゴール。勝ちタイム1分47秒61はコースレコードだった。その驚くべき強さは世界中の競馬関係者の度肝を抜いた。レース後にパオリニのA・スボリッチ騎手は、外側から本馬に抜かされた時にパオリニが内側によれたのは進路妨害を受けたからだと主張したが、映像では本馬とパオリニは接触しておらず、この主張は却下された。アーウィン氏はこの件について「イピトンベのあまりの速さに風が巻き起こり、その風にパオリニが押されたのではないでしょうか」と述べている。

本馬はドバイで3戦全勝の成績を残し、この年のドバイ年度代表馬に選出された。

競走生活(米国時代)

ドバイデューティーフリーから10日後、本馬は米国に到着し、ウインスターファームの専属調教師であるW・エリオット・ウォルデン調教師の厩舎に入った。

ウォルデン師の調教を受けた本馬は、6月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたローカストグローヴH(米GⅢ・T8.5F)に出走した。鞍上は米国のトップ騎手パット・デイ騎手だった。他馬より6~11ポンド重い123ポンドのトップハンデを背負った本馬だが、フロリダオークス・カーディナルHなどの勝ち馬クイックティップ、ミントジュレップHを勝ってきたキスザデヴィルなどを抑えて、単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された。5頭立てのレースではちょうど真ん中の3番手をロス無く追走。直線に入ると逃げていたキスザデヴィルをゴール前で追い抜き、半馬身差で勝利した。着差は小さかったが、本馬の将来性を考慮した陣営の指示により、デイ騎手は一度も鞭を使っておらず、内容的には完全な楽勝だった。また、ジンバブエ産馬がチャーチルダウンズ競馬場で勝利を挙げたのも史上初の事だった。

その後はこの年からGⅠ競走に昇格したダイアナHを目標としたが、調教中に左前脚を打撲したために回避した。代わりにビヴァリーDSが目標となったが、左前脚の負傷が癒えずに結局これも回避した。その後、ドバイデューティーフリー2連覇を目指すことが表明されたが、左前脚の負傷が完治しなかった(脚首が熱を帯びていたというから、どうやら屈腱炎を発症していたようである)ため、11月に現役引退が発表された。

本馬の引退の報を聞いたコック師は、「彼女は(1999年に55年ぶりの南アフリカ三冠馬となった)ホースチェスナットの牝馬版でした。私達は彼女を忘れません」とコメントした。

本馬の馬名は南アフリカの公用語の一つであるコーサ語で「少女はどこにいますか?」という意味である。

血統

Manshood Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Indian Skimmer Storm Bird Northern Dancer Nearctic
Natalma
South Ocean New Providence
Shining Sun
Nobiliare Vaguely Noble ヴィエナ
Noble Lassie
Gray Mirage Bold Bidder
Home by Dark
Carnet de Danse Dance in Time Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Allegro Chop Chop Flares
Sceptical
Orchestra Menetrier
Abondance
Yorktown Charlottown Charlottesville Prince Chevalier
Noorani
Meld Alycidon
Daily Double
Pin Tray Pinza Chanteur
Pasqua
Ash Tray Brantome
Asheratt

父マンシュードは故障のため不出走に終わったが、血統的には大種牡馬ミスタープロスペクターとGⅠ競走5勝の名牝インディアンスキマーとの間に産まれた超良血馬である。3歳時からジンバブエで種牡馬入りしていたが、ジンバブエの経済混乱のため、本馬より少し遅れて南アフリカに移動し、現在も南アフリカのゲーリープレーヤースタッドで種牡馬生活を送っている。

母カーネットデダンスは現役時代に英国で走り13戦3勝を挙げている。カーネットデダンスの曾祖母アッシュトレイはサラマンドル賞勝ち馬アシャーラットの娘で、アッシュトレイの半妹の孫には名牝イヴァンジカ【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】がおり、イヴァンジカの玄孫である日本で走ったハイアーゲーム【青葉賞(GⅡ)・鳴尾記念(GⅢ)】は本馬の遠縁に当たる。→牝系:F12号族①

母父ダンスインタイムはノーザンダンサーの直子で、現役時代は加国で走り29戦7勝、プリンスオブウェールズS・ブリーダーズS・フライアーロックSに勝利している。加国で種牡馬入りして、後に英国に移動している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、当初ストームキャットと交配される予定だったが、急遽予定が変更されてサドラーズウェルズと交配されることになり、愛国クールモアスタッドに送られた。2度目の交配でサドラーズウェルズの子を受胎した本馬は、タタソールズノーベンバーセールに出品され、85万ポンド(当時の為替レートで約1億7120万円)で米国人のジェームズ・デラフック氏とバリー・ウェイズボード氏の両名により購入された。その後しばらくは英国ハイクレアスタッドで繁殖生活を送ったが、現在は米国デナリスタッドで暮らしている。本馬はサドラーズウェルズの他にピヴォタルジャイアンツコーズウェイメダグリアドーロなどと交配されて子を産んでいるが、今のところ活躍馬は出ていない。

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