モンタヴァル

和名:モンタヴァル

英名:Montaval

1953年生

鹿毛

父:ノーズマン

母:バリナッシュ

母父:ナスルーラ

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの優勝馬として史上初めて日本に種牡馬として輸入されて活躍馬を出したが惜しくも早世する

競走成績:2~4歳時に仏英米で走り通算成績17戦5勝2着3回3着1回

誕生からデビュー前まで

米国ペンシルヴァニア州出身の実業家ラルフ・ビーバー・ストラスバーガー氏により生産・所有された仏国産馬である。主として新聞紙業界で活躍したストラスバーガー氏は出身地ペンシルヴァニア州に牧場を開設して馬産も行っていた。彼はフランスが好きであり、当該牧場の名前も仏国の地名にちなんでノルマンディースタッドと命名した。その後に仏国ドーヴィル近郊にもモンソー牧場を所有して、生産馬の多くを仏国で走らせて活躍させ、フランスギャロから「フランスの偉大なる友人」と評されるまでになった。本馬は仏国ジョルジュ・ブリッジランド調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳時にデビューしたが、同年は5戦して1勝に終わり、特に目立つ競走成績ではなかった。3歳時も3連敗スタートだったが、その中にはダリュー賞(T2100m)でアンビアクスの2着(ちなみに3着は後の英セントレジャー・カドラン賞勝ち馬カンブラマー)に入ったものも含まれており、少しずつ競走馬としての可能性を見せ始めていた。

その後に本馬は仏ダービーではなく、英ダービー(T12F)に参戦。英2000ギニー馬ジルドレ、前走オカール賞で他馬の進路妨害により不運な負け方をしていた素質馬ラヴァンダン、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたインデュナ、クレイヴンS・ニューマーケットSを勝っていたパイレートキング、チェスターヴァーズを勝ってきたアーティキュレートなどが対戦相手となった。仏国で1勝しかしていない本馬の評価は当然低く、単勝オッズ41倍の16番人気というかなりの人気薄だった。27頭が参戦したレースは土砂降りの雨の中で行われたが、エプソム競馬場にはエリザベス王太后(現英国女王エリザベスⅡ世の母で、前英国王ジョージⅥ世の妻。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSにその名を残す)も含めて25万人の観衆が詰め掛けていた。主戦であるフレディ・パーマー騎手が騎乗した本馬は後方からレースを進めて、そのままの体勢でタッテナムコーナーを回った。そして直線に入ると一気に追い込んできた。残り100ヤード地点ではまだ5番手だったが、ここからさらに末脚を伸ばして他馬を次々に追い抜いた。しかし中団から抜け出した単勝オッズ8倍の1番人気馬ラヴァンダンだけに首差届かず2着に敗れた(本馬から2馬身差の3着に後の愛ダービー2着馬ロイスターが入った)。なお、ラヴァンダンも本馬と同じく仏国調教馬であり、仏国調教馬のワンツーだった。前年の英ダービーも仏国調教馬のフィルドレークが勝っており、相次ぐ仏国調教馬の英ダービー優勝は英国競馬関係者に衝撃を与え、「我が国の競馬は現在、どん底の状態にある」と嘆かせた。

仏国に戻った本馬は、英ダービーから1か月後のパリ大賞(T3000m)に出走したが、エスペランス賞を勝ってきたヴァテルの着外に敗れた。しかし夏場にはゴントービロン賞(T2000m)を勝ち、ドーヴィル大賞(T2600m)ではトールチーフの2着と好走した。

競走生活(4歳時)

翌4歳時は、ドラール賞(T2000m)など2連勝した後に再び渡英。まずはエクリプスS(T10F)に出走して、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきた3歳馬アークティックエクスプローラー、前年の英ダービーで惨敗した後にセントジェームズパレスSを勝ちエクリプスSで2着していたパイレートキングに続く3着と好走。

引き続いてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)に出走した。前評判ではこの年の英2000ギニー・英ダービーを勝っていたクレペロが断然だった。しかしレース直前に激しい雨が降り、馬場状態はかなり悪化した。クレペロ陣営は、重度の脚部不安を抱えるクレペロをこの馬場で走らせるのは危険と判断して、レース直前に回避を決定。そのために対戦相手は、リュパン賞を勝ってきた仏グランクリテリウム2着馬アルマブソー、前年の仏ダービー2着馬サンラファエル、前年のドラール賞勝ち馬トリボードなど11頭となった。クレペロの回避により出走馬のうち英国調教馬は3頭のみとなっており、英国古馬最高峰の競走なのに仏国調教馬が幅を利かせていた。もっとも、その中でも本馬に対する注目度は低く、単勝オッズ21倍の低評価だった。しかしレースではゴール前でパーマー騎手騎乗の本馬とアルマブソーが大激戦を展開した末に、本馬が短頭差で勝利を収めた。アルマブソーから2馬身差の3着にトリボード、さらに4馬身差の4着にサンラファエルが入り、上位4頭は全て仏国調教馬となった。本馬の単勝オッズ21倍は、1951年に創設されて2015年で65回目を迎えたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS史上における最高単勝配当記録となっている。

その後は秋まで休養し、11月には米国に遠征してワシントンDC国際S(T12F)に出走した。しかし結果はマハンの着外に終わり、そのまま現役を引退した。

血統

Norseman Umidwar Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Uganda Bridaine Gorgos
Bitter Orange
Hush St. Serf
Silent Lady
Tara Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Jean Gow Neil Gow Marco
Chelandry
Jane Shore Cupbearer
Santa Casa
Ballynash Nasrullah Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Ballywellbroke Ballyferis Apron Son-in-Law
Aprille
Gilford Corcyra
Glenina
The Beggar Le Souvenir Le Sancy
Sylphine
Avonbeg Queen's Birthday
Avoca

父ノーズマンは現役成績29戦9勝。ロベールパパン賞・ノアイユ賞・プランスドランジュ賞・サブロン賞を勝ち、仏2000ギニーと凱旋門賞では3着だった。種牡馬としては本馬が産まれる年まで仏国で供用され、後に米国に移動した。仏国では活躍馬を出したが、米国では目立った活躍は示せなかった。ノーズマンの父ウミッドウォーはブランドフォード産駒で、現役成績10戦4勝。英チャンピオンS・ジョッキークラブSを勝っている。

母バリナッシュは英国産馬で、現役成績は10戦2勝。3歳時にストラスバーガー氏により2千ポンドで購入されて繁殖入りしていた。母としては本馬の半弟ムルヌ(父ヴューマノワール)【シェーヌ賞・ヤコウレフ賞】、半弟ムーティエ(父シカンブル)【オカール賞】などを産んだ。また、本馬の半妹パンポン(父チャモセア)の曾孫にはエルトラインフォ【パリ大障害・モーリスジロワ賞・ドートンヌ大賞】が、本馬の半妹プティトサグネ(父ノルディスト)の孫にはポーニーズ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)】、玄孫にはパントレセレブル【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)】がいる。

バリナッシュの半姉ノアズアーク(父ネアルコ)の玄孫にはジョニーディー【ワシントンDC国際S(米GⅠ)】とトロピカロ【マルセルブサック賞(仏GⅠ)】、牝系子孫にはアージェントリクエスト【サンタアニタH(米GⅠ)】がいる。また、バリナッシュの従兄弟にはキミング【英2000ギニー】もいる。→牝系:F9号族③

母父ナスルーラは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ストラスバーガー氏から本馬を購入したロード・ハリントン卿が愛国に所有する牧場で種牡馬入りした。しかし8歳時の1961年に再度転売されて来日し、翌年から日本で種牡馬供用された。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬が日本で種牡馬入りしたのは史上初の事だった(本馬より1歳年上のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬ヴィミーも後に日本に輸入されているが、1964年の事である)。

日本における初年度産駒はあまり活躍しなかったが、2年目産駒のメジロボサツが朝日杯三歳Sを、ニホンピローエースが阪神三歳Sを勝ち、本馬は1965年に全日本三歳首位種牡馬に輝いた。しかし本馬はこの1965年に12歳の若さで他界しており、日本で残した産駒は僅か5世代だった。翌1966年にはニホンピローエースが皐月賞を勝ち、同年にはやはり2年目産駒のナスノコトブキが菊花賞を、3年目産駒のモンタサンが朝日杯三歳Sを勝つ活躍を示し、この年から日本に来た半弟ムーティエの種牡馬人気の上昇にも貢献した。

なお、本馬は非常に気性が激しい馬で、身食い癖(馬服を噛んだり、自分を噛んだりする癖)があったという。現役時代のムラがある競走成績も、その気性の激しさが影響したと思われる。なお、本馬の半弟ムーティエも非常に気性が激しい馬で、本馬共々気性難兄弟として知られていた。

また、本馬の血を引く産駒は不幸になると言われた。本馬自身が早世した事に加えて、ナスノコトブキがレース中の故障が原因で敗血症を起こして狂死した事、モンタサンが厩務員ストライキで春二冠を落とし、飼料に付着した農薬を食べて菊花賞を回避した事などが原因である。大の競馬ファンでもあった詩人の寺山修司氏は、「モンタヴァル一家の血の呪いについて」というエッセイを残したほどだった。実際に本馬を母父に持つテスコガビーが夭折したり、メジロボサツの曾孫であるメジロドーベルが特殊な血液型の影響で母から乳を貰えなかったりした事実があり、これはモンタヴァルの呪いだという競馬ファンもいるようである。しかしながらメジロボサツは高齢を保って大往生し、ニホンピローエースも普通に競走生活を送って普通に晩年を過ごし、メジロドーベルも現役時代に4年連続牝馬チャンピオンになるなど、不幸とは言えない馬も多く、呪いなどというのは3×4の奇跡の血量やニックスといった机上の血統論以上に科学的根拠に欠けている与太話に過ぎない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1963

ナスノコトブキ

菊花賞・NHK杯・朝日チャレンジC

1963

ニホンピローエース

皐月賞・阪神三歳S・阪急盃

1963

メジロボサツ

朝日杯三歳S・オークストライアル四歳牝馬特別・函館記念

1964

ニホンピローホマレ

京都記念

1964

モンタサン

朝日杯三歳S・セントライト記念・京王盃スプリングH

1964

ヨシミジュニアー

金盃(大井)・大井記念(大井)

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