セイントリー

和名:セイントリー

英名:Saintly

1992年生

栗毛

父:スカイチェイス

母:オールグレース

母父:サートリストラム

好敵手オクタゴナルへの雪辱は果たしたがジャパンCに出走できなかった父の無念は晴らせなかった豪州年度代表馬

競走成績:2~4歳時に豪で走り通算成績23戦10勝2着8回3着3回

誕生からデビュー前まで

初年度で豪州競馬の殿堂入りを果たした名伯楽ジェームズ・バーソロミュー・“バート”・カミングス調教師が自身で生産・所有・調教した豪州産馬である。カミングス師は動物や干草のアレルギーがあるにも関わらず、1950年に豪州の歴史的名馬コミックコートでメルボルンCを制覇した経験もある父親ジム・カミングズ調教師の影響で調教師を志した。1953年に25歳で開業し、1965年にはライトフィンガースで初めてメルボルンCを制覇。その後もガリリー、レッドハンディド、シンクビッグ(2回)、ゴールドアンドブラック、ハイペルノ、キングストンルール、レッツイロープ、本馬、ローガンジョシュ、そして2008年のヴュードと、メルボルンCで史上最多の12勝を挙げ、“The Cups King(ザ・カップ・キング)”の異名で呼ばれるようになった。メルボルンC以外にも、コーフィールドCを7回、ゴールデンスリッパーSを4回、コックスプレートを5回、VRCクラウンオークスを9回、ニューマーケットHを8回勝つなど、GⅠ競走勝ちは優に200を超えている。

本馬はカミングス師の単独所有ではなく、マレーシアの不動産開発業者ダット・タン・チン・ナム氏との共同所有だった。マレーシア屈指の富豪と言われるナム氏は、カミングス師とは長年の親友であり、カミングス師が管理する馬の多くを折半所有していた。

競走生活(2・3歳時)

2歳シーズンの1995年3月にカンタベリー競馬場で行われたヨーサH(T1200m)でデビューした。しかし単勝オッズ21倍の人気薄であり、結果も後方のまま見せ場なく、勝ったリロードから9馬身差6着と惨敗した。

翌4月にランドウィック競馬場で出走したパリーオークデンH(T1200m)でも単勝オッズ13倍の人気薄だったが、今度は鋭い追い込みを決めて、2着シルヴァーシェイクに3馬身3/4差で初勝利を挙げた。

しかし翌5月にローズヒル競馬場で出走した芝1500mの2歳ハンデ競走では先行して伸びを欠き、勝ったルネッサンスプリンスから4馬身半差の3着に敗退。翌6月にローズヒル競馬場で出走したヒュンダイH(T1300m)では、後方のまま、勝ったクイックフリックから7馬身差の4着に敗れ、2歳時は4戦1勝の成績に終わった。

3歳になると徐々に素質が開花。9月にニューカッスル競馬場で出走した芝1200mのハンデ競走では、2着ブルーヴァレーに1馬身1/4差で勝利した。それから2週間後にウォーウィックファーム競馬場で出走した芝1200mの3歳ハンデ競走では追い込み届かず、勝ったウェーバーツリーから1馬身1/4差の2着に敗れた。しかしさらに2週間後にランドウィック競馬場で出走した芝1400mの3歳ハンデ競走では追い込みを決めて、2着キドラットに2馬身3/4差をつけて快勝した。

その後は11月にフレミントン競馬場で行われるリステッド競走カーバインクラブS(T1600m)に向かった。ここでは主戦となるダレン・ビードマン騎手と初コンビを組み、12頭立ての9番手追走から見事な差し切りを決めて、2着ブラッケンベリーに2馬身半差で勝利した。さらにサンダウンパーク競馬場に赴き、サンダウンギニー(GⅡ・T1600m)に出走したが、ここでは追い込み届かず、勝ったピープオンザスライから半馬身差の2着と惜敗した。

年が変わると勢いは増し、2月にローズヒル競馬場で出走したエクスプレスウェイS(GⅡ・T1200m)では、2着ジャグラーをゴール前で差し切って半馬身差で勝利した。2週間後にウォーウィックファーム競馬場で出走したアポロS(GⅡ・T1400m)では好位を追走したが、ここではジャグラーの1馬身1/4差2着に敗れた。しかしジャグラーは後にチッピングノートンS・ドゥーンベンC・ジョージメインS・コーフィールドSとGⅠ競走を4勝する強豪馬であるから、それと互角に戦った本馬もGⅠ競走級の実力を身につけていた事になる。

そしてそれは一気に距離が延びた次走オーストラリアンC(GⅠ・T2000m)ですぐに証明された。16頭立ての6番手追走から抜け出して、2着となった独国からの移籍馬ヴィアッリや、ピープオンザスライ相手に2馬身半差で快勝してみせたのである。

これでGⅠ競走勝ち馬となった本馬だが、前年のコックスプレートを古馬相手に勝ったオクタゴナルという同期の強力なライバルが立ちはだかってきた。前走から12日後に出走したローズヒルギニー(GⅠ・T2000m)では、前年のスプリングチャンピオンS・ヴィクトリアダービーの勝ち馬ナッシンライカデーンには先着したものの、カンタベリーギニーを勝ってきたオクタゴナルに頭差届かず2着に惜敗。さらにメルセデスクラシック(GⅠ・T2400m)も、オクタゴナル、サウスオーストラリアンダービーの勝ち馬カウントチャイヴァスの2頭に届かず、勝ったオクタゴナルから2馬身1/4差の3着に終わった。AJCダービー(GⅠ・T2400m)では、前2走よりも前目に位置取ってオクタゴナルを早めに追撃するも、またもオクタゴナルの頭差2着に敗れ、ライバルの4週連続GⅠ競走勝利及び史上4頭目のシドニー秋季三冠制覇を許してしまった。それでもこのAJCダービーでは、ナッシンライカデーンや、後にエプソムH・ヤルンバSとGⅠ競走を2勝するフィランテといった強豪馬勢に先着している。3歳時は11戦5勝2着5回着外無しという安定した成績を残した。

競走生活(4歳時)

4歳時は8月にウォーウィックファーム競馬場で行われたウォーウィックS(GⅡ・T1400m)から始動して、フィランテの3馬身差2着。翌月にランドウィック競馬場で出走した次走のチェルムスフォードS(GⅡ・T1600m)では、フィランテの1馬身3/4差2着だった(3着はナッシンライカデーン)。自身の誕生日にローズヒル競馬場で出走したヒルS(GⅡ・T1900m)では、中団から抜け出して2着ナッシンライカデーンに1馬身3/4差で勝利を収め、短距離戦から始動して距離を伸ばしていくという、いかにも豪州競馬らしい方法で連敗を脱出した。

しかし10月にランドウィック競馬場で出走したクレイヴンプレート(GⅢ・T2000m)では、珍しく2番手追走の積極策を採るも、ナッシンライカデーン、牝馬フーラフライト、アドベンチュラスなどとの大接戦の末に、アドベンチュラスの鼻差2着に敗退した。僅か2日後に出走したザメトロポリタン(GⅠ・T2600m)では、後方待機策に戻したが、フーラフライトとナッシンライカデーンの2頭との大接戦の末に、フーラフライトの首差3着に敗れた。

それから19日後に出走したコックスプレート(GⅠ・T2040m)では、ジョージメインS・コーフィールドSを勝ってきたジャグラー、エプソムHを勝ってきたフィランテ、ニューマーケットHなどの勝ち馬で次走のマッキノンSを勝つオールアワーマブ、WATCダービーの勝ち馬クライングゲーム、アドベンチュラスなどに加えて、宿敵オクタゴナルと4度目の対戦となった。オクタゴナルはこのシーズン不調が続いていたが、前々走のアンダーウッドSを制して健在ぶりを示していた。

レースはアドベンチュラスが先頭を引っ張り、本馬は8頭立ての6番手、オクタゴナルは最後方を追走した。やがてペースが上がり、フィランテ、オールアワーマブ、ジャグラーの3頭が叩き合いながら抜け出した。しかし大外に持ち出して4番手で直線を向いた本馬が前の3頭をゴール寸前で際どくかわし、2着フィランテに頭差で優勝した。勝ちタイム2分05秒73はコースレコードだった。オクタゴナルは追い込み不発で5着に終わっており、本馬は4度目の対戦でようやくオクタゴナルに勝利した。

ライバルへの雪辱を果たした本馬は続いてメルボルンC(GⅠ・T3200m)に出走した。前年のメルボルンCやコーフィールドC・クイーンエリザベスSを勝っていたドリーマス、ナッシンライカデーン、カウントチャイヴァス、新国のGⅠ競走オークランドCの勝ち馬セナトール、クイーンズランドオークス・コーフィールドCを勝ってきたアークティックセント、前年のAJCオークス馬サークルズオブゴールドなどに加えて、欧州からも、前走凱旋門賞でエリシオの3着してきた愛セントレジャー・ハードウィックSの勝ち馬オスカーシンドラー、この年のグッドウッドCを勝っていたグレイショット、前年の伊ジョッキークラブ大賞を勝っていたコートオブオナーなどが出走してきて、さすが豪州最大の競走に相応しい好メンバーが揃っていた。56kgのオスカーシンドラーが単勝オッズ5倍の1番人気、58kgのトップハンデだったドリーマスが単勝オッズ7.5倍の2番人気、55kgのナッシンライカデーンが単勝オッズ8倍の3番人気、55.5kgの本馬が単勝オッズ9倍の4番人気となった。

22頭立ての多頭数だけに、今までのような後方待機策は危険であるとビードマン騎手が判断したのか、今回は5番手辺りの好位につける作戦を採った。そして残り300m地点で外側からナッシンライカデーンをかわして先頭に立つと、そのまま押し切って、2着カウントチャイヴァスに2馬身1/4差をつけて完勝した。コックスプレートとメルボルンCを同一年に制したのは、1929年のナイトマーチ、1930年のファーラップ、1954年のライジングファストに次いで42年ぶり史上4頭目の快挙だった。

本馬は続いてジャパンCに参戦するべく勇躍来日した。本馬の父スカイチェイスも現役時代にジャパンC出走のため来日して富士Sで2着するも本番は感冒で出走取り消しとなっており、本馬の来日は父の雪辱戦という意味合いもあった。この年のジャパンCには凱旋門賞馬エリシオも参戦しており、欧州と豪州の最強馬同士の激突という事で世界的に注目された。ところが、実はこの年から豪州と日本を結ぶ直行便の航路が無くなっており、本馬は来日するために30時間をかける必要があった。この長旅の疲労が出たのか、レース当日朝に熱発。何の因果か父と同様にジャパンC出走取り消しの憂き目にあった。なお、本馬が出走できなかったジャパンCはシングスピールが優勝している。この件をきっかけに豪州のトップクラスの馬達がジャパンC参戦を敬遠するようになり、これがジャパンCの国際的価値没落の要因だとする意見の人もいるようである。

本国に戻った本馬は翌年2月にコーフィールド競馬場で行われたCFオーアS(GⅠ・1400m)に出走。6番手追走から強烈な追い込みを決めて2着カットアップラフに1馬身1/4差で楽勝した。

カミングス師は、本馬はまだ競走馬としてのピークに達していないと宣言したが、この後に故障のため長期休養入りした。4歳時の成績は8戦4勝で、1996/97シーズンの豪年度代表馬に選出された。

カミングス師は本馬の復帰に向けて様々な努力を試みたが、それが身を結ぶことはなく、CFオーアSから1年半後の1998年7月に正式に現役引退が表明された。馬名は「聖者のような」という意味であり、陣営はそれにちなんで本馬を「天国から来た馬」と呼んでいた。カミングス師がフレミントン競馬場に構えている厩舎は本馬にちなんでセイントリーロッジと呼ばれている。

血統

Sky Chase Star Way Star Appeal Appiani Herbager
Angela Rucellai
Sterna Neckar
Stammesart
New Way Klairon Clarion
Kalmia
New Move Umberto
New Moon
Vice Reine Amalgam Damascus Sword Dancer
Kerala
Charming Alibi Honeys Alibi
Adorada
Kind Regards Le Filou Vatellor
Fileuse
Waft Whistling Wind
Illustrious
All Grace Sir Tristram Sir Ivor Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Attica Mr. Trouble
Athenia
Isolt Round Table Princequillo
Knight's Daughter
All My Eye My Babu
All Moonshine
Ziegfield Lass Showdown インファチュエイション Nearco
Allure
Zanzara Fairey Fulmar
Sunright
Salote Mariner Acropolis
Kyak
Dark Queen Coronation Boy
Solar Eclipse

父スカイチェイスは新国産馬で、現役成績は24戦8勝。豪州で長きに渡って活躍し、豪シャンペンS(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)・ムーニーバレーS(豪GⅡ)・グローミングS(豪GⅡ)・チェルムスフォードS(豪GⅡ)・アップアンドカミングS(豪GⅢ)・プレミアS(豪GⅢ)を勝ち、AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・オーストラリアンギニーズ(豪GⅠ)・カンタベリーギニーズ(豪GⅠ)などで2着している。1988年のジャパンC(ペイザバトラーがタマモクロスとオグリキャップを破って勝利している)に出走するために来日し、前哨戦の富士Sで2着したが、息子と同様に本番では疾患で出走取り消しとなっている。種牡馬としては新国ウェストバリースタッドで供用され、2004年に20歳で他界している。

スカイチェイスの父スターウェイは凱旋門賞を最低人気で制した独国の名馬スターアピールの息子で、ハイペリオンの半妹ニュームーンの曾孫に当たる。現役時代は英国で走り19戦1勝。勝ったのはチェシャムSのみであるが、英2000ギニー(英GⅠ)で4着、サセックスS(英GⅠ)で3着、ロイヤルロッジS(英GⅡ)で2着など、一線級に混じっても健闘できるほどの実力は有していた。引退後は新国ウインザーパークスタッドで種牡馬供用された。18頭のGⅠ競走勝ち馬を出し、1990/91シーズンの新首位種牡馬、1984/85シーズンの新2歳首位種牡馬の他、新種牡馬ランキング2位に2回、豪種牡馬ランキング2位に2回(アーニングインデックス順位を含めると3回)入る成功を収め、2008年に31歳で大往生している。本馬と何度も戦ったフィランテもスターウェイ産駒である。

母オールグレースは不出走馬。オールグレースの半妹エンジェルインディスガイス(父スカイチェイス)の子にはゴッズオウン【コーフィールドギニー(豪GⅠ)】がいる。オールグレースの曾祖母ダーククイーンは優れた繁殖牝馬であり、子にはタージロッシ【コックスプレート・ヴィクトリアダービー・アスコットヴェイルS・ジョージアダムスS】、孫にはダークエクリプス【ゴールデンスリッパー(豪GⅠ)】、玄孫にはトリビューツ【クラウンオークス(豪GⅠ)】、プリザーブ【VRCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)】、デンマン【ゴールデンローズS(豪GⅠ)】などがいる。母系を延々と遡ると、ハンプトンハーミットサンインローなどと同じであり、本馬の父方の曽祖父スターアピールや、名種牡馬シーキングザゴールド、北海道営競馬の星コスモバルクも同じ牝系に属する。→牝系:F5号族②

母父サートリストラムは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は豪州メルボルンにある引退功労馬繋養施設リビングレジェンドで余生を過ごし始めた。2007年にカミングス師が所有するニューサウスウェールズ州プリンスズファームに移動している。

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