ダイアトム

和名:ダイアトム

英名:Diatome

1962年生

黒鹿

父:シカンブル

母:ディクタウェイ

母父:ハニーウェイ

仏国競馬史上最強世代に産まれてしまった不運がつきまとうもワシントンDC国際Sを勝ち日本で種牡馬として活躍する

競走成績:2~4歳時に仏米で走り通算成績12戦6勝2着5回3着1回

誕生からデビュー前まで

仏国経済界の大物にして凱旋門賞馬エクスビュリなどの所有者でもあった銀行家ガイ・エドワール・アルフォンス・ポール・ド・ロートシルト男爵により、彼が仏国ノルマンディーに所有するモートリー牧場において生産・所有した馬で、仏国ジェフリー・ワトソン調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半まで)

2歳10月にルトランブレー競馬場で行われたトレパ賞(T1800m)でデビューして勝利し、2歳時の出走はこの1戦のみだった。3歳時は、ロートシルト男爵がまだ勝ったことが無かった仏ダービーを目指して、4月にロンシャン競馬場で行われたノアイユ賞(T2200m)から始動した。主戦となるJ・ドフォルジュ騎手を鞍上に、2着シャンプレーヴェに2馬身半差をつける完勝で、仏ダービー馬の候補に名乗りを上げた。次走のリュパン賞(T2100m)では、クリテリウムドメゾンラフィット・グレフュール賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のシーバード、仏2000ギニーの勝ち馬でロベールパパン賞3着のカンブルモンとの対戦となった。しかし結果は直線で本馬を抜き去って勝ったシーバードから6馬身差をつけられて2着に完敗。3着カンブルモンを半馬身抑えるのが精一杯だった。

この後にシーバードは英ダービーに向かったため仏ダービー(T2400m)では不在であり、ロートシルト男爵にとっては仏ダービー初制覇のチャンスのはずだった。ところが今度は名馬マッチレルコの弟という良血馬であるオカール賞の勝ち馬リライアンスが本馬の前に立ち塞がった。結果は先行して押し切ったリライアンスが勝利を収め、本馬は追い上げ及ばず3/4馬身差の2着、クリテリウムドサンクルーの勝ち馬でモルニ賞・オカール賞2着のカルヴァンが本馬からさらに2馬身差の3着だった。ロートシルト男爵は2007年に98歳で死去するまでに仏国における大競走はほぼ全て制覇したが、遂に仏ダービーだけは勝てずじまいだった。

次走のパリ大賞(T3000m)では、3着馬フィアネンには6馬身差をつけたものの、勝ったリライアンスにはまたしても届かずに1馬身差の2着に終わった。

競走生活(3歳後半)

夏場は休養し、秋は凱旋門賞を目標として9月のプランスドランジュ賞(T2000m)から始動した。そして、フォワ賞の勝ち馬でセントジェームズパレスS2着のエイサーを2馬身半差の2着に、ドラール賞の勝ち馬でベルリン大賞2着のコルフィニオをさらに半馬身差の3着に破って完勝。

そして勇躍凱旋門賞(T2400m)に向かった。この年の凱旋門賞は、英ダービー・サンクルー大賞を勝って既に世紀の名馬との評価を得ていたシーバードと、ロワイヤルオーク賞も勝って5戦無敗で臨んできたリライアンスの初対戦の場だった。他にも、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの勝ち馬で英ダービー・英セントレジャー2着のメドウコート、プリークネスS・カウディンS・アーリントンクラシックS・アメリカンダービーの勝ち馬でベルモントS2着・ケンタッキーダービー3着のトムロルフ、前年のワシントンDC国際Sでケルソの3着していたソ連三冠馬アニリン、ガネー賞・グレフュール賞・オカール賞・ボイアール賞の勝ち馬フリーライド、仏オークス馬ブラブラ、前走ロワイヤルオーク賞でリライアンスに3/4馬身差の2着まで迫ったグレートヴォルティジュールSの勝ち馬ラガッツォ、モーリスドニュイユ賞の勝ち馬エメラルド、ミラノ大賞2着・伊ダービー3着のマルコヴィスコンティ、バーデン大賞・プランタン大賞の勝ち馬ドミドゥイユ、仏ダービー3着後にヴィシー大賞を勝ちロワイヤルオーク賞で3着してきたカルヴァン、ダフニ賞・シャンティ賞・フォワ賞の勝ち馬でリュパン賞・ガネー賞3着のシジュベール、コロネーションC・ジョッキークラブC・サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着のオンシデュウム、コンセイユミュニシパル賞・ボワ賞の勝ち馬でロワイヤルオーク賞2着のティミーラッド、ハードウィックS・ジョンポーターSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・デューハーストS・コロネーションC2着のソデリニなど世界中から有力馬が集結しており、凱旋門賞史上最高のメンバーが揃ったと言われていた。

シーバードが単勝オッズ2.2倍の1番人気、リライアンスが単勝オッズ5.5倍の2番人気、本馬と同馬主のフリーライドのカップリングが単勝オッズ8.5倍の3番人気となった。スタートが切られるとマルコヴィスコンティが先頭に立ち、シーバードやリライアンスはいずれも馬群の中団、本馬はそのさらに後方につけた。フォルスストレートでアニリンが先頭に立ち、シーバード、リライアンス、本馬も上がっていった。そして直線に入ってきたが、ここからシーバードがリライアンスを置き去りにして独走態勢を築いた。本馬はリライアンスを追撃したが、それにも離されていった。最後はシーバードが2着リライアンスに6馬身差をつけて圧勝し、本馬はリライアンスからさらに5馬身差の3着。4着まで追い上げてきた同馬主のフリーライドを短首差抑えるのが精一杯だった。上位2頭、特にシーバードとは決定的な差をつけられてしまった。

シーバードもリライアンスもこの凱旋門賞を最後に引退してしまった(正確にはリライアンスは4歳時も現役を続けたが故障のため1度もレースに出なかった)ため、本馬が両馬に雪辱する機会は失われた。そのため、現役を続けて活躍する事によってのみ両馬との差を縮めるしかなくなった本馬は、米国に遠征してワシントンDC国際S(T12F)に参戦した。対戦相手は、シャンペンS・ジャージーダービー・アメリカンダービー・マンハッタンH・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯の勝ち馬でケルソの6年連続を阻止してこの年の米年度代表馬に選ばれることになるローマンブラザー、この年のサンタアニタH・マンノウォーS・サンフェルナンドSやサンフェリペS・サンタアニタダービーの勝ち馬で前年のケンタッキーダービーではノーザンダンサーの2着だったヒルライズ、この年のベルモントS・ジャージーダービー・トラヴァーズSの勝ち馬ヘイルトゥオール、この年のサンフアンカピストラーノ招待H・加国際CCSの勝ち馬で同年の加年度代表馬及び後年の加国顕彰馬に選ばれる事になるジョージロイヤル、カンバーランドロッジS・シャンティ賞を勝っていた英国調教馬スーパーサム、凱旋門賞では8着だったカルヴァンの6頭だった。

ローマンブラザーが単勝オッズ2.4倍の1番人気、ヒルライズが単勝オッズ5倍の2番人気、本馬とカルヴァンが並んで単勝オッズ6倍の3番人気となった。レースではローマンブラザーが先行して直線を押し切ろうとするところに、後方からカルヴァンが襲い掛かっていった。一方の本馬は馬群に包まれていたが、残り1ハロン地点でようやく抜け出すと、瞬く間に前の2頭との差を縮めて差し切り、2着カルヴァンに鼻差、3着ローマンブラザーにはさらに1馬身1/4差をつけて勝利。これでようやく大競走を制する事が出来た。3歳時の成績は7戦3勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続行し、まずは3月にサンクルー競馬場で行われたボイアール賞(T2000m)から始動した。そして前年の凱旋門賞では着外に終わっていたシジュベールを半馬身差の2着に、コンデ賞の勝ち馬でクリテリウムドサンクルー3着のアテンポをさらに3馬身差の3着に破って勝利した。翌月のガネー賞(T2000m)でも、シジュベールを3/4馬身差の2着に、フォレ賞・ムーランドロンシャン賞・メシドール賞の勝ち馬レッドスリッパーをさらに1馬身差の3着に抑えて勝利した。しかし6月のドラール賞(T2500m)では61kgの斤量が堪えたのか、5kgのハンデを与えた同世代の牡馬タジュベナの3/4馬身差2着に敗れてしまい、シーバードとリライアンス以外の馬に初めて先着を許した(60kgのシジュベールが本馬から短頭差の3着だった)。翌月のサンクルー大賞(T2500m)では、クリテリウムドサンクルーを勝っていた3歳馬シーホークに2馬身差をつけられて2着に敗退した(この年のリュパン賞を勝っていたベヒストウンが本馬から半馬身差の3着だった)。ただし、斤量は本馬の61kgに対して、シーホークは54kgだった。

その後は凱旋門賞に向かう予定だったが、調教中に故障してしまったため、4歳時4戦2勝の成績で競走馬引退となった。この年に3戦連続で下したシジュベールが同年の凱旋門賞で勝ったボンモーから半馬身差の2着に入っており、本馬が無事に出走していれば勝ったかもしれない。なお、この年のワシントンDC国際Sは、サンクルー大賞で本馬に先着されたベヒストウンが勝利した。

本馬の競走能力は並の凱旋門賞馬や仏ダービー馬より高かったと思われ、産まれた年が違えば仏国の大レースを総なめにしていた可能性はある。何にせよ、仏国競馬史上最強世代に産まれたのが本馬の不運であった。

血統

Sicambre Prince Bio Prince Rose Rose Prince Prince Palatine
Eglantine
Indolence Gay Crusader
Barrier
Biologie Bacteriophage Tetratema
Pharmacie
Eponge Cadum
Sea Moss
Sif Rialto Rabelais St. Simon
Satirical
La Grelee Helicon
Grignouse
Suavita Alcantara Perth
Toison d'or
Shocking Rabelais
Saperlipopette
Dictaway Honeyway Fairway Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Honey Buzzard Papyrus Tracery
Miss Matty
Lady Peregrine White Eagle
Lisma
Nymphe Dicte ダイオライト Diophon Grand Parade
Donnetta
Needle Rock Rock Sand
Needlepoint
Nanaia Kircubbin Captivation
Avon Hack
Lanette Sans Souci
Reine Mab

シカンブルは当馬の項を参照。

母ディクタウェイは現役成績10戦4勝、仏1000ギニー・グロシェーヌ賞の勝ち馬。本馬の半姉ディッキー(父トロピック)の子にはディキシー【マルレ賞(仏GⅢ)】が、ディクタウェイの半姉ラダムブランシュ(父ビリビ)の子には、ドラゴンブランク【仏グランクリテリウム】、アルバノックス【シェーヌ賞】、孫にはホワイトラベル【パリ大賞・ジャンプラ賞】、曾孫にはカーホワイト【イスパーン賞(仏GⅠ)】が、ディクタウェイの半姉オンファール(父ブラントーム)の子には、マレラ【クリテリウムドサンクルー・クレオパトル賞・ポモーヌ賞】、セラドン【ケルゴルレイ賞2回・バルブヴィル賞・ジャンプラ賞】が、ディクタウェイの半姉ディクタチュール(父トラステヴェレ)の子には、ディクタドレーク【サンクルー大賞・コロネーションカップ・プランタン大賞】がいる。遠縁にはイヴァンジカ【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】もおり、1970年代頃までは仏国の名門牝系だったが、最近では仏国における活躍馬はめっきり減り、この牝系から出た最近の活躍馬は、ジンバブエの女傑イピトンベ【ドバイデューティーフリー(首GⅠ)・フィリーズギニー(南GⅠ)・ダーバンジュライ(南GⅠ)】、日本で走ったオンワードノーブル【フラワーC(GⅢ)】、ハイアーゲーム【青葉賞(GⅡ)・鳴尾記念(GⅢ)】といった辺りである。→牝系:F12号族①

母父ハニーウェイはフェアウェイ産駒で、現役成績30戦16勝。英チャンピオンS・ジュライC・コーク&オラリーS・キングジョージS・ヴィクトリアCを勝ち、ナンソープS・ジュライC2で2着がある。短距離から10ハロンまでこなした活躍馬だった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のモートリー牧場で種牡馬入りした。欧州でも1972年に英愛種牡馬ランキングで6位になるなど一定の種牡馬成績を残したが、1975年に日本に輸出され、同年から大塚牧場で供用された。これは、同じシカンブル産駒のムーティエやファラモンドが日本で種牡馬として活躍していた影響や、母ディクタウェイの母父が日本で成功したダイオライトだった影響もあると思われる。交配数には比較的恵まれ、初年度は64頭、2年目は57頭、3年目は65頭、4年目は66頭、5年目は70頭、6年目は59頭、7年目は64頭、8年目は55頭、9年目は53頭、10年目は39頭、11年目の1985年は45頭の繁殖牝馬を集めた。この1985年の10月に23歳で他界した。11歳で他界したシーバードや14歳で他界したリライアンスよりも寿命の点では上回った。他界した翌年の1986年にはクシロキングが天皇賞春を勝利している。全日本種牡馬ランキングは1984年の9位が最高で、1980年には17位、1982年には15位、1983年には20位に入っている。どちらかと言えば条件戦でこつこつと賞金を稼ぐ産駒を多く出すタイプの種牡馬だったようで、クシロキングが活躍した1986年の全日本種牡馬ランキングは34位止まりだった。

シカンブルの直系種牡馬の例に漏れず、クシロキングも種牡馬としての人気は出なかったため、本馬の直系は途絶えている。母の父としては優駿牝馬の勝ち馬エイシンサニーを出した。他には、ナスルエルアラブペニカンプ、ブラックミナルーシュのGⅠ競走勝ち馬3兄弟の祖母カルヴィニア(本馬の競走馬時代の好敵手だったカルヴァンの半妹に当たる)の父となっている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1969

Hair Do

リス賞(仏GⅢ)

1969

Jakomima

ムシドラS(英GⅢ)

1969

Steel Pulse

愛ダービー(愛GⅠ)・クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)

1970

Margouillat

オカール賞(仏GⅡ)・ドラール賞(仏GⅡ)・コンデ賞(仏GⅢ)

1971

Blue Diamond

リス賞(仏GⅢ)

1974

King of Macedon

モーリスドギース賞(仏GⅡ)・モートリー賞(仏GⅢ)2回・セーネワーズ賞(仏GⅢ)2回・サンジョルジュ賞(仏GⅢ)

1976

パレードリッチ

いぬ鷲賞(金沢)

1976

ファーストアモン

京成杯・新潟大賞典

1977

コマサツキ

オークストライアル四歳牝馬特別

1979

ヤスナガ

荒尾ダービー(荒尾)

1980

ヒカルブリッツェン

スプリンターズ賞(高崎)2回

1981

セブンアトム

はまゆう特別(紀三井寺)

1982

カネコメスワロー

北海優駿(岩見沢)

1982

クシロキング

天皇賞春(GⅠ)・中山記念(GⅡ)・中山金杯(GⅢ)

1983

ヒロノトレジャ

ジュニアクラウン(笠松)

1984

マルイシホマレ

青山記念 (新潟)

1985

ショウハイホープ

戸塚記念(川崎)

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