カリズマティック

和名:カリズマティック

英名:Charismatic

1996年生

栗毛

父:サマースコール

母:バリベイブ

母父:ドローン

最下級馬から瞬く間に米国三冠競走の主役に昇り詰めエクリプス賞年度代表馬にも輝いたドリームホース

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績17戦5勝2着2回3着4回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州パリッシュヒルファームにおいて、同牧場の所有者ベン博士及びトム・ローチ氏、並びに父サマースコールが供用されていたケンタッキー州レーンズエンドファームの牧場主ウィリアム・スタンプス・ファリッシュⅣ世氏により共同生産され、ティンバーカントリーセレナズソングシルバーチャームなどの所有者として知られるロバート・ボブ・ルイス氏と妻のビバリー夫人の所有馬となり、この夫妻の専属調教師だった米国の名伯楽ダレル・ウェイン・ルーカス師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、デヴィッド・フローレス騎手を鞍上にデビュー。しかし単勝オッズ13.2倍で6頭立ての最低人気だった。レースでは馬群の中団を追走したが、四角から後退していき、勝った単勝オッズ9.1倍の4番人気馬オーレイファンタズマから13馬身1/4差の6着最下位に終わった。

翌月に出走したデルマー競馬場ダート6ハロンの未勝利戦では、コーリー・ナカタニ騎手とコンビを組み、単勝オッズ3倍で8頭立ての1番人気に支持された。ブリンカーを装着して臨んだ本馬は前走とは異なり逃げを打ち、直線入り口まで先頭を維持したが、直線で差されて、単勝オッズ15.8倍の6番人気という低評価を覆して勝ったプライズドデーモンの1馬身半差3着に敗れた。

翌8月に出走したデルマー競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦では、クリス・マッキャロン騎手とコンビを組み、単勝オッズ1.7倍で4頭立ての1番人気に支持された。3番手を追走した本馬だったが、直線に入ると伸びを欠き、勝った単勝オッズ15.8倍の最低人気馬アウトインフロントから5馬身差の4着最下位に終わった。

4戦目は10月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8ハロンの未勝利戦となった。本馬の鞍上は早くも4人目の騎手となるラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手だった。単勝オッズ3.1倍で7頭立ての2番人気に推された本馬は、スタートから後続を3~4馬身ほど引き離して逃げた。しかし直線入り口で単勝オッズ8.2倍の4番人気馬クラウニングストームにかわされると一気に引き離されてしまい、ゴール前で単勝オッズ2.4倍の1番人気馬ノーザンアベニューに首差差されて、勝ったクラウニングストームから10馬身1/4差の3着に敗れた。

同月に出走したサンタアニタパーク競馬場ダート8ハロンの未勝利戦では、マッキャロン騎手が騎乗して、単勝オッズ4.4倍で9頭立ての3番人気となった。ここでもスタートから先頭に立ったが、三角では既に手応えが無くなり、勝った単勝オッズ15.4倍の5番人気馬レキシントンビーチ(本馬が3着だった2戦目の未勝利戦で5着だった)から25馬身3/4差も離された9着最下位と惨敗した。

この大敗でさすがに所有者のルイス夫妻も見切りを付けたのか、次走は翌11月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの未勝利クレーミング競走(譲渡金額は62500ドル)となってしまった。ピンカイ・ジュニア騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ2.3倍で6頭立ての1番人気に支持された。しばらく装着していたブリンカーを外して臨んだレースでは、馬群の中団追走から四角で位置取りを上げて直線入り口で先頭に立ち、そのまま2着ワンダリングに5馬身差をつけて圧勝。デビューから5か月後にようやく未勝利を脱出した。ワンダリングは翌年に加国のGⅡ競走ブリティッシュコロンビアダービーを勝つ馬であり、このレースは結果的にはクレーミング競走としては高レベルだったわけだが、ここで本馬やワンダリングを購入したいと申し出る人はいなかった。

次走は12月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの一般競走となった。ここでは前走の未勝利戦を4馬身半差で完勝してきたブライトヴェイラー(後に阪神カップHを2連覇)が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、これも未勝利戦を勝ち上がってきたばかりのアウトスタンディングヒーローが単勝オッズ6.9倍の2番人気だった。前走に続いてピンカイ・ジュニア騎手が騎乗した本馬は、単勝オッズ24.1倍で8頭立ての6番人気だった。ここでは最後方待機策を選択し、直線ではそれなりに末脚を伸ばして、勝ったブライトヴェイラーから4馬身半差、2着アウトスタンディングヒーローから半馬身差の3着に入った。しかし結局2歳時の成績は7戦1勝に終わった。

競走生活(3歳初期)

3歳時は1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走から始動。前走の一般競走で2着だったブリリアントリー、アウトスタンディングヒーロー、前走の一般競走で4着だったミスターブロードブレイドなどに人気が集中し、今回もピンカイ・ジュニア騎手が騎乗した本馬は、単勝オッズ18.9倍で10頭立て6番人気の評価だった。馬群の中団後方を進んだ本馬だったが、直線で少し順位を上げただけで、勝ち馬ミスターブロードブレイドから4馬身差の5着に敗れた。

その2週間後には前走と同コースで行われるサンタカタリナS(GⅡ・D8.5F)に出走した。出走馬は本馬の他に、カリフォルニアブリーダーズチャンピオンSを勝ってきたジェネラルチャレンジ、ノーフォークSの勝ち馬バックトラウト、ミスターブロードブレイド、前走2着のブリリアントリーの4頭だった。単勝オッズ1.8倍の1番人気だったジェネラルチャレンジを筆頭に、他の4頭全てが単勝一桁台だったのに対して、ピンカイ・ジュニア騎手鞍上の本馬は単勝オッズ31.1倍の最低人気だった。そしてレースではスタートからゴールまで最後方のままであり、勝ったジェネラルチャレンジから13馬身半差、4着ミスターブロードブレイドからも6馬身差をつけられた5着最下位に敗れた。

この不甲斐ない内容にルイス夫妻は再び本馬に見切りを付けたようで、次走は2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンのクレーミング競走(譲渡金額は62500ドル)となった。3度目のコンビとなるマッキャロン騎乗の本馬は、単勝オッズ3.7倍で9頭立ての3番人気だった。序盤は後方2番手につけると、直線に入って追い込み、1位入線した単勝オッズ9.9倍の5番人気馬ワットセイユーから首差の2位に入線した。しかしワットセイユーが直線で他馬の進路を妨害した咎で最下位に降着となったため、本馬が繰り上がって勝利馬となった。今回も本馬を購入したいと申し出る人はいなかった。

それから8日後にはサンタアニタパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走に、ピンカイ・ジュニア騎手鞍上で出走。単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されたのは未勝利戦を6馬身半差で勝ち上がってきたアプレモントで、単勝オッズ2.4倍の2番人気にはラフィアンHを勝った名牝シェアードインタレストの息子フォレストリー(この年にキングズビショップS・ドワイヤーSに勝利する)が推された。一方の本馬は単勝オッズ18.2倍で5頭立ての最低人気だった。今回も後方待機策を採り、一時は他馬勢から4~5馬身も離された最後方となった。しかし直線に入るとなかなかの末脚を見せて、逃げて勝ったアプレモントには5馬身及ばなかったものの、3着フォレストリーに2馬身先着する2着に入った。

次走は翌3月にベイメドウズ競馬場で行われたエルカミノリアルダービー(GⅢ・D8.5F)となった。未勝利戦を勝ってきたばかりのクリコット(単勝オッズ2.3倍)と、近4走で2勝2着2回のノーカルブレッド(単勝オッズ2.4倍)の2頭に人気が集中し、ロナルド・ウォーレン・ジュニア騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ11.6倍で7頭立て5番人気だった。今回も後方2番手につけて直線で追い込む競馬を披露。直線半ばでノーカルブレッドをかわして2番手に上がったが、先行して抜け出していたクリコットには頭差届かず2着に惜敗した。それでも、かつて未勝利戦でうろうろしていた時期に比べれば雲泥の差だった。

そして翌4月のサンタアニタダービー(GⅠ・D9F)に向かったのだが、さすがに米国西海岸の有力3歳馬が一堂に会するレースだけあって、対戦相手の層の厚さは今までとは桁違いであり、サンフェリペSを勝ってきたハリウッドフューチュリティ・サンラファエルS2着馬プライムティンバー、サンラファエルSを勝ってきたデザートヒーロー、サンタカタリナS勝利後に出走したルイジアナダービーでは5着に終わっていたジェネラルチャレンジ、サンタイネスS勝ち馬オネストレディー(古馬になってサンタモニカH・ディスタフBCH・アグリームHに勝利)、サンラファエルS3着馬キャプサイズド、サンフェリペS3着馬ハイワイヤーアクトなどが出走していた。プライムティンバーが単勝オッズ3.4倍の1番人気、デザートヒーローが単勝オッズ3.5倍の2番人気、ジェネラルチャレンジが単勝オッズ3.8倍の3番人気で、ピンカイ・ジュニア騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ45.3倍で8頭立ての7番人気という低評価だった。レースでは後方3番手につけて直線で追い込む構えを見せたが、上位人気3頭を捕らえることは出来ずに、勝ったジェネラルチャレンジから8馬身1/4差の4着に敗退した。同世代トップクラスの馬達とは明らかに差がある内容であり、この時点ではルイス夫妻を含む殆どの人が、1か月後の米国三冠路線で本馬が大活躍するなどとは思いもしなかったことだろう。それどころか三冠競走に出走する本馬の姿さえ脳裏に無かったはずである。

しかし唯一人、本馬の良化を感じていたルーカス師は、本馬をケンタッキーダービーに向かわせる事を宣言し、本馬をケンタッキー州に輸送すると、サンタアニタダービーから15日後のレキシントンS(GⅡ・D8.5F)に出走させた。このレースには、スペクタキュラービッドSの勝ち馬でハッチソンS・スウェイルS2着のテキサスグリッター、カウディンSの勝ち馬サクセスフルアピール、ラッシュアウェイSを勝ってきたヤンキーヴィクター(古馬になってメトロポリタンHに勝利)、サンフェリペS4着馬ファインダーズゴールド、ゴールデンゲートダービー・ゴールデンステートマイルSを連勝してきたエピックオナー、ホーリーブルSの勝ち馬グリッツンハードトーストなど、内容次第ではケンタッキーダービーに向かおうと目論む馬達が集結しており、混戦模様となっていた。テキサスグリッターが単勝オッズ4.5倍の1番人気、サクセスフルアピールが単勝オッズ5倍の2番人気、ヤンキーヴィクターが単勝オッズ6倍の3番人気となっていた。名手ジェリー・ベイリー騎手が騎乗した本馬だったが、単勝オッズ13.1倍で12頭立て7番人気の評価だった。しかし馬群の中団好位追走からじわじわと位置取りを上げると、逃げるヤンキーヴィクターを直線で鮮やかに差し切り、最後は2馬身半差をつけて快勝。勝ちタイム1分41秒06はレースレコードだった。

ケンタッキーダービー

それから13日後、ケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)のスターティングゲート内に本馬の姿はあった。本馬以外の出走馬は、サンタアニタダービーから直行してきたジェネラルチャレンジ、デルマーデビュータントS・オークリーフS・ハリウッドスターレットS・ラスヴァージネスS・サンタアニタオークス・ファンタジーSを勝ちBCジュヴェナイルフィリーズで2着だった目下4連勝中の牝馬エクセレントミーティング、ギャラリーファーニチャードットコムSを快勝してきたスティーヴンガットイーヴン、サンタアニタダービーで2着だったプライムティンバー、ブルーグラスSを勝ってきたメニフィー、BCジュヴェナイル・ファウンテンオブユースS・フロリダダービー・ブルーグラスSとGⅠ競走で4回入着していたブリーダーズフューチュリティの勝ち馬キャットシーフ、ファウンテンオブユースS・フロリダダービーの勝ち馬ヴィカー、デルマーフューチュリティ・ベストパルSの勝ち馬ワールドリーマナー、ウッドメモリアルSを勝ってきたアドニス、サンタアニタダービーで3着だったデザートヒーロー、ダヴォナデイルS・ボニーミスSの勝ち馬で後にエイコーンSを勝つスリーリング、フラミンゴSを勝ってきたファーストアメリカン、前年のBCジュヴェナイルを制してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたアンサーライヴリー、ルイジアナダービーの勝ち馬キンバーライトパイプ、ギャラリーファーニチャードットコムS2着馬ケイワンキング(古馬になってオークローンHに勝利)、ベルモントフューチュリティSの勝ち馬でシャンペンS2着のレモンドロップキッド、リズンスターSの勝ち馬エクトンパーク、未勝利の身で果敢に挑んできたルイジアナダービー4着馬ヴァルホルの18頭で、全19頭による戦いとなった。

史上初の同競走3連覇を目指すボブ・バファート調教師が送り込んできた、1929年のクライトファンデューセン以来70年ぶりの騙馬優勝を目指すジェネラルチャレンジと、エクセレントミーティングの2頭がカップリングで単勝オッズ5.8倍の1番人気に支持され、スティーヴンガットイーヴンが単勝オッズ6.1倍の2番人気、プライムティンバーが単勝オッズ7.3倍の3番人気、メニフィーが単勝オッズ8倍の4番人気、キャットシーフが単勝オッズ8.4倍の5番人気、ヴィカーが単勝オッズ9.2倍の6番人気だった。キンバーライトパイプ、ケイワンキング、レモンドロップキッド、エクトンパーク、ヴァルホルの5頭がカップリングされて単勝オッズ12.6倍の7番人気となり、ワールドリーマナーが単勝オッズ15.5倍の8番人気、アドニスが単勝オッズ19.7倍の9番人気、デザートヒーローが単勝オッズ20.7倍の10番人気、スリーリングが単勝オッズ26.6倍の11番人気と続き、前走の快勝だけではファンの信頼を勝ち取るには程遠かったらしい本馬は単勝オッズ32.3倍の12番人気だった。

過去に本馬に騎乗経験がある騎手達は全てここで他馬に騎乗したり都合が付かなかったりしたため、本馬の鞍上には初騎乗となるクリス・アントレー騎手の姿があった。1984年、18歳の時に469勝を挙げて北米最多勝騎手に輝き、1987年には64日間連続勝利、1989年には一日9勝という新記録を達成し、1991年にはストライクザゴールドでケンタッキーダービーを制するなどの活躍を見せていたアントレー騎手だったが、20歳代からは麻薬依存症やアルコール依存症のため入退院を繰り返すという一面も持ち合わせていた。また、減量にも苦しんでいたため、この前年に騎手を辞めるつもりでいた。しかしアントレー騎手のハングリー精神は本馬に適していると考えたルーカス師の勧めにより、本馬に騎乗することになったのである。

チャーチルダウンズ競馬場には、ケンタッキーダービー史上2番目に多い15万1051人の大観衆が詰め掛けていた。スタートが切られると、この年4戦全敗で単勝オッズ38倍の最低人気まで落ちていたアンサーライヴリーが先頭に立ち、それを他馬が一団となって追いかける展開となった。本馬は馬群の中団好位を追走した。そのうちアンサーライヴリーは後退し、ヴァルホルとキャットシーフが代わって前方に進出。本馬も外側から徐々に位置取りを上げていき、三角入り口では8番手、四角では5番手だった。そして3番手で直線を向くと、内側で粘るキャットシーフを直線半ばでかわして先頭に立った。ゴール前ではメニフィーが猛追してきたが、首差凌いで優勝。

本馬の単勝オッズ32.3倍は、1913年の優勝馬ドネレイルの92.45倍、1940年の優勝馬ギャラハディオンの36.2倍に次ぐ、ケンタッキーダービー史上3番目の大穴だった(ただし本当に同競走史上最大の大穴だったのは1971年の勝ち馬キャノネロである。詳細は当馬の項を参照)。メニフィーから3/4馬身差の3着にはキャットシーフが粘り、エクセレントミーティングは5着、サンタカタリナSやサンタアニタダービーで本馬を歯牙にもかけなかったジェネラルチャレンジは11着に終わった。レース直後のルイス夫妻は、喜んでいるのか驚いているのか分からないような表情であった。

プリークネスS

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、前走2着のメニフィー、同3着のキャットシーフ、同5着のエクセレントミーティング、同6着のキンバーライトパイプ、同7着のワールドリーマナー、同14着のスティーヴンガットイーヴン、同15着のヴァルホル、同17着のアドニス、同18着のヴィカーに加えて、ダービートライアルSの勝ち馬ペイシャンスゲーム、ゴーサムSの勝ち馬バッジ、アーカンソーダービー2着馬トリッドサンドのケンタッキーダービー不参戦馬3頭が出走してきて、本馬を含めて合計13頭による戦いとなった。

本馬とアントレー騎手のコンビに対するファンの評価は半信半疑だったようで、単勝オッズ9.4倍の5番人気だった。単勝オッズ3倍の1番人気に支持されたのはメニフィーで、キャットシーフが単勝オッズ6.2倍の2番人気、ワールドリーマナーが単勝オッズ6.3倍の3番人気、エクセレントミーティングが単勝オッズ7.6倍の4番人気と、上位人気勢は前走で本馬が負かした馬ばかりだった。

レースはキャットシーフ、ヴィカー、キンバーライトパイプの3頭が後続を引き離して先頭争いを演じ、メニフィーは馬群の中団後方、本馬さらにその後方につけた。三角まで前3頭の逃げが続いたが、ここで本馬が外側からまくって前3頭に襲いかかり、直線入り口で先頭に立った。そして遅れて追い上げてきた2着メニフィーに1馬身半差をつけて完勝した。

ベルモントS

1978年のアファームド以来21年ぶり史上12頭目の米国三冠馬に王手を掛けて迎えた次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では、ベルモントパーク競馬場の入場者記録となる8万5818人の大観衆が詰め掛けた。そして本馬は単勝オッズ2.6倍で堂々の1番人気に支持された。対戦相手は、1978年のアリダー以来21年ぶり史上2頭目の米国三冠競走全て2着という屈辱だけは避けたい単勝オッズ4.5倍の2番人気メニフィー、バファート師がエクセレントミーティングに替えて送り込んできた、BCジュヴェナイルフィリーズ・ケンタッキーオークス・アッシュランドS・ソレントS・アルキビアデスS・ブラックアイドスーザンS勝ちなど12戦11勝の成績を挙げていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬シルヴァービュレットデイ、前走4着のスティーヴンガットイーヴン、同5着のペイシャンスゲーム、同6着のアドニス、ピーターパンSを勝ってきたベストオブラック、ケンタッキーダービー9着後にプリークネスSを回避して出走したピーターパンSで3着だったレモンドロップキッド、イリノイダービーを勝ってきたヴィジョンアンドヴァース、タンパベイダービーの勝ち馬パインアフ、未勝利戦を5馬身半差で勝っていたテレテイブル、サラトガスペシャルSの勝ち馬プライムディレクティヴの11頭だった。

レースで本馬は過去2戦とは異なり、シルヴァービュレットデイと共に先頭を引っ張る積極策を採った。四角で前のシルヴァービュレットデイをかわして先頭で直線を向いたが、すぐにレモンドロップキッドとヴィジョンアンドヴァースの2頭にかわされた。その後も粘り続けて後続馬は寄せ付けなかったが、前2頭には追いつけずにレモンドロップキッドの1馬身半差3着に敗れ、米国三冠馬誕生の夢は絶たれた(皮肉にもレモンドロップキッドは本馬の生産者ファリッシュⅣ世氏の父ファリッシュⅢ世氏の生産馬だった)。

本馬に騎乗していたアントレー騎手はゴール直後に異常を感じて下馬した(実際には彼が最初に異常を感じたのは残り1ハロン地点だった事が後に明らかにされている。確かに映像でも直線半ばで彼が本馬の脚を気にする様子が見受けられる。異常を感じたにも関わらず走らせ続けた事に関して疑問の声も出たようだが、少しでも勝利の可能性があるならそれを放棄したくないという、騎手としては当然の考えに基づくものだったようであり、ルイス夫妻やルーカス師は彼を賞賛こそしても非難は一切していない)。異常が発生していたのは本馬の左前脚であり、アントレー騎手は左前脚に体重がかからないように、痛がる本馬をなだめながら左前脚を支え続けていた。やがて馬運車がやって来て、本馬を乗せてひとまず厩舎へと連れ帰った。

すぐに厩舎からベルモントパーク競馬場の隣にある動物病院に移送された本馬は検査を受け、左前脚の管骨と種子骨を骨折していることが判明した。翌日、獣医師スティーブン・セルウェイ博士により、4本のボルトを患部に埋め込む21時間半にも及ぶ大手術が行われた。手術は無事に成功し、本馬は一命を取り留めた。レース直後に本馬の脚を支え続けたアントレー騎手の咄嗟の対応が、本馬の命を救う要因になったと言われている。

引退

しかしさすがに現役続行は不可能であり、このまま3歳時10戦4勝の成績で引退となった。それでも、62500ドルのクレーミング競走で2度も買い手がつかなかった本馬の獲得賞金総額は203万8064ドルに達していた。また、本馬と三冠競走で戦った相手であるキャットシーフ、レモンドロップキッド、メニフィーらが本馬の引退以降も活躍したことで、本馬の評価も上がり、この年のエクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬には本馬が選出された。また、アントレー騎手が本馬の左前脚を支え続けた光景は全米に中継されて注目を集め、全米サラブレッド競馬協会選定による“Moment of the year”を受賞した。

また、本馬とアントレー騎手の逸話は映像化され、2011年に放映された(もっとも、これらは長年の米国三冠馬不在や、競走馬に対する薬物乱用などに起因する競馬人気の低下を懸念した全米サラブレッド競馬協会によるお膳立てだったという冷めた意見もある)。それでも、クレーミング競走に出走するような最下級馬から大出世を遂げた本馬の物語は、競馬の持つ魅力の1つを存分に体現したものだったのは間違いなく、ベルモントパーク競馬場に史上最多の観衆が詰め掛けたのも、本馬に心を惹かれたファンが多かった事を証明している。

なお、本馬が急激に力を付けた要因は、なかなか体重が絞れない本馬に対して、ルーカス師がハード調教を開始し、レース間隔も短くしたためであると言われている。叩き良化型の上がり馬は数多くいるが、これだけの短期間にこれほど強くなった馬もそうはいないだろう。

なお、本馬の相棒だったアントレー騎手は、翌2000年12月に薬物の過剰な服用により自宅で昏倒して転倒し、頭部外傷のため34歳の若さで死去している。妻のナタリー夫人が娘を産む直前の悲劇だったという。

血統

Summer Squall Storm Bird Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
South Ocean New Providence Bull Page
Fair Colleen
Shining Sun Chop Chop
Solar Display
Weekend Surprise Secretariat Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
Lassie Dear Buckpasser Tom Fool
Busanda
Gay Missile Sir Gaylord
Missy Baba
Bali Babe Drone Sir Gaylord Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
Cap and Bells Tom Fool Menow
Gaga
Ghazni Mahmoud
Sun Miss
Polynesian Charm What a Pleasure Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Grey Flight Mahmoud
Planetoid
Grass Shack Polynesian Unbreakable
Black Polly
Good Example Pilate
Parade Girl

サマースコールは当馬の項を参照。

母バリベイブは現役成績2戦未勝利だが、本馬の半兄トスオブザコイン(父マジェステリアル)【マーヴィンルロイH(米GⅡ)】、半弟ミレニアムウインド(父クリプトクリアランス)【ブルーグラスS(米GⅠ)・サンタカタリナS(米GⅡ)】も産んで、名繁殖牝馬としての地位を確立している。バリベイブの母ポリネシアンチャームの半姉ウェルスタックドの曾孫にはクラウディーズナイト【加国際S(加GⅠ)】が、ポリネシアンチャームの半姉グラスルーツの曾孫にはナイツバロネス【愛オークス(愛GⅠ)】が、ポリネシアンチャームの半姉シャクニーの孫には名種牡馬デピュティミニスター【ローレルフューチュリティ(米GⅠ)・ヤングアメリカS(米GⅠ)】が、ポリネシアンチャームの半姉クローバーレーン【アーリントンワシントンラッシーS】の曾孫にはコレクトザキャッシュ【クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)】、玄孫にはステイトリーヴィクター 【ブルーグラスS(米GⅠ)】、牝系子孫にはミュージカルロマンス【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)・プリンセスルーニーH(米GⅠ)】、リゴレッタ【オークリーフS(米GⅠ)】が、ポリネシアンチャームの半姉カムアショアの曾孫にはドワイルドキャット【フランクJドフランシス記念ダッシュS(米GⅠ)】がいる。→牝系:F10号族①

母父ドローンはプリンセスルーニーの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生産者であるファリッシュⅣ世氏が所有する米国ケンタッキー州レーンズエンドファームで種牡馬入りした。その後2002年に日本中央競馬界に購入されて来日し、2003年からは日本軽種馬協会静内種馬場や胆振種馬場、七戸種馬場などで種牡馬生活を送っている。初年度は98頭、2年目は79頭と多くの繁殖牝馬を集めたが、3年目の2005年は18頭に減少した。この2005年に米国に残してきた産駒の1頭サンキングが米国3歳路線の有力馬として活躍したため、翌2006年の交配数は少し回復して31頭となった。しかし5年目は14頭、6年目は12頭、7年目の2009年は7頭まで交配数が減少した。

この2009年に代表産駒ワンダーアキュートが重賞を2勝したため、8年目は16頭に微増。9年目の交配数は11頭だったが、ワンダーアキュートが引き続き活躍したため、10年目は26頭、ワンダーアキュートがJBCクラシックを勝った翌年の11年目は31頭と少し上昇傾向にあったが、12年目の2014年は17頭と再び減少に転じた。ワンダーアキュートは2015年もGⅠ競走を勝つなど活躍しているが、交配される繁殖牝馬の質量ともに恵まれていない状況には変わりが無く、ワンダーアキュートに続く大物産駒が登場しないと現状の打破は無理だろう。現時点における全日本種牡馬ランキングの最高位は2009年の44位で、中央競馬種牡馬ランキングの最高位も2009年の42位、地方競馬種牡馬ランキングの最高位は2013年の28位である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2001

Gouldings Green

阪神CH(米GⅢ)・シーグラムCS(加GⅢ)2回・ターフウェイパークフォールCSS(米GⅢ)

2001

ストームセイコー

新潟ジャンプS(JGⅢ)

2002

Sun King

ペンシルヴァニアダービー(米GⅡ)・コモンウェルスBCS(米GⅡ)・タンパベイダービー(米GⅢ)・レナードリチャーズS(米GⅢ)

2004

スーパーサプライズ

荒炎賞(KJ3)

2004

ブルータブー

北海優駿(H1)・王冠賞(H2)

2005

イコールパートナー

東京ハイジャンプ(JGⅡ)

2006

ワンダーアキュート

JBCクラシック(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)・東海S(GⅡ)・日本テレビ盃(GⅡ)・シリウスS(GⅢ)・武蔵野S(GⅢ)

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