トリスタン

和名:トリスタン

英名:Tristan

1878年生

栗毛

父:ハーミット

母:スリフト

母父:ストックウェル

セントサイモンには敵わなかったがアスコット金杯・ジュライCなど数々の大競走を制し19世紀末英国競馬における最強馬の一頭としてその名を残す

競走成績:2~6歳時に英仏で走り通算成績51戦27勝2着11回3着5回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

スコットランドの保守党所属の政治家だった第4代ロスリン伯爵ロバート・セント・クレア・アースキン卿によりイーストンスタッドで生産された。1歳時のニューマーケットセールにおいて、仏国の馬主C・J・ルフェーヴル氏に購入され、トマス・ジェニングス調教師(かつて英国三冠馬グラディアトゥールを管理したトマス・ジェニングス師とは別人。トマス・ジェニングス・ジュニアと記載している資料があるので、息子である可能性がある)に預けられた。

体高16ハンドと当時としては立派な体格の持ち主だったが、温厚だった父ハーミットと異なり、極めて気性が激しい馬だったという。この気性難の理由について、ジェニングス師は本馬がセリに出される前に虐待を受けていた事を挙げているが、真相は不明である。主戦はジョージ・フォーダム騎手が務め、他にもフレッド・アーチャー騎手やフレデリック・ウェブ騎手も何度か騎乗しているが、フォーダム騎手以外の騎手が乗ると非常に嫌がったという。本馬を担当した厩務員の少年はいつも本馬を恐れて震えていたという。また、調教中に同厩のグラタンという馬に襲い掛かり、グラタンに乗っていた騎手が落馬したところを踏みつけようとした(騎手は怪我を負いながらも逃げ出した)という逸話まである。

競走生活(2歳時)

2歳のかなり早い時期に競走馬デビューし、初戦はリンカーン競馬場で行われたリンカーンCというレースで、2着という結果だった。続いて4月にエプソム競馬場でウエストミンスターSに出走して初勝利を挙げた。次走のハイドパークプレートでは、牝馬アンジェリナの2着。5月にヨーク競馬場で出走したブリーダーズプレート(T5F)では、アンジェリナを破って勝ち、ハイドパークプレートの借りを返した。同月末にエプソム競馬場で出走したスタンリーSでは後の英グランドナショナル勝ち馬ヴォラプチュアリーなどを破って勝利した。しかし翌6月にアスコット競馬場で出走したニューS(T5F)では、ウッドコートSを勝ってきたアンジェリナには先着したものの、サーチャールズの2着に敗退(3着とする資料もあるが、複数の基礎資料で2着となっている)。同月にニューマーケット競馬場で出走したチェスターフィールドS(T5F)では、米国産馬イロコイの着外に敗れた。このチェスターフィールドSは異常に堅い馬場で行われたらしく、それが原因か脚部不安を発症したため、2歳時は以後全休となり、2歳時の成績は7戦3勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳初戦は英2000ギニー(T8F17Y)となったが、ペレグリンの着外に終わった(イロコイが2着だった)。2週間後にニューマーケット競馬場で出走したペインS(T10F・現ニューマーケットS)では、イロコイの3着。英ダービー(T12F29Y)では2番手でタッテナムコーナーを回る積極策を採ったが、ゴール前で失速して、イロコイ、ペレグリン、ミドルパークプレート2着馬タウンムーアなどに差されて、米国産馬として史上初めて英国クラシック競走を制覇したイロコイの7着に敗れた。

その後は仏国に移動してパリ大賞(T3000m)に参戦。このレースでは、フォーダム騎手がシティ&サバーバンHで2着してきた米国産馬フォックスホールに騎乗したため、本馬にはアーチャー騎手が騎乗した。結果はフォックスホールが勝利を収め、本馬は頭差2着に敗れた。本馬の所有者は仏国の人だったにも関わらず、仏国の群集は英国産の本馬が負ける事を願っていたようで、レース後は「ロンシャン競馬場史上最も騒々しい」祝賀ムードとなり、両馬の騎手は警察に護られながら引き揚げたという。本馬はその後ドーヴィル賞(ドーヴィル大賞とは別のレース)に出走して勝ち、英国に戻った。

7月にはニューマーケット競馬場でホースヒースS(T6F)に出走して、単勝オッズ1.4倍の1番人気に応えて馬なりで勝利。グッドウッド競馬場で出走したシングルトンSも勝利した。8月には再度仏国に向かい、今度は本物の(?)ドーヴィル大賞(T2400m)に出走。しかし結果はラクープの勝ち馬カスティヨン、ドラール賞の勝ち馬アルフォンシーヌの2頭に敗れて3着だった。英国に戻って出走したグレートヨークシャーS(T14F)では、クイーンズスタンドS(現キングズスタンドS)の勝ち馬イシュマエル、クレイヴンSの勝ち馬カメロードとの3頭立てとなったが、イシュマエルが勝ち、本馬は3着最下位に終わった。9月にはドンカスター競馬場に向かい、クイーンズプレートを勝利。次走のドンカスターC(T18F)では、前年の英2000ギニー馬でアスコット金杯2着のペトロネルの2着に入り、愛ダービー・グッドウッドCを勝っていた牝馬マダムデュバリーには先着した。なお、本馬はイロコイが勝った英セントレジャーには出走していない。

10月にはニューマーケット競馬場でグレートチャレンジSに出走したが、2歳牝馬ネリー(翌年に英1000ギニー・英オークスでいずれも3着している)、エプソム金杯(現コロネーションC)・グレートフォールSを勝っていた3歳牡馬スコーベルの2頭に敗れて、ネリーの3着に敗退。セレクトS(T8F)では、フォックスホールの3/4馬身差2着。ケンブリッジシャーH(T9F)ではゴール前で不利を受けて、勝ったフォックスホールから半馬身差、2着となったこの年の英オークス2着・英セントレジャー3着のルーシーグリッターズから首差の3着に敗れた。前年の英ダービーを筆頭にリッチモンドS・ロウス記念S2回・セントジェームズパレスS・シティ&サバーバンH・エプソム金杯を勝っていたベンドアは5着であり、それには先着した。しかし斤量ではベンドアが134ポンド、フォックスホールが126ポンドだったのに対して、本馬は111ポンドと恵まれており、この時期の本馬の実力はその程度だった。

競走生活(4歳時)

4歳になった本馬は、不完全燃焼に終わった前年と比べると見違えるほどパワーアップしていた。まずは4月にニューマーケット競馬場で行われたクイーンズプレートから始動して勝利。5月にチェスター競馬場で出走したヒズマジェスティーズプレートも勝利。同月末にエプソム競馬場で出走したエプソムS(T12F10Y)では、124ポンドのトップハンデを背負いながらも、この年のドンカスターC・ロウス記念S・アスコットSを勝つリトリートを1馬身半差の2着に破って勝利した。単勝オッズ1.33倍の1番人気に支持されたエプソム金杯(T12F:現コロネーションC)では129ポンドのトップハンデを背負いながらも、27ポンドのハンデを与えた牝馬イサベルを首差の2着に抑えて勝利した。6月にアスコット競馬場で出走したゴールドヴァーズ(T16F)では、ハードウィックS・アスコットダービー・シザレウィッチH・グレートメトロポリタンH・ジョッキークラブCを勝ちアスコット金杯でアイソノミーの2着という実績もあった一昨年の同競走の勝ち馬チッペンデールという強敵の姿があった。しかし単勝オッズ1.33倍の1番人気に支持された本馬が、2着チッペンデールに6馬身差をつけて圧勝した。さらにニューバイエニアルS(T8F)も勝利。引き続き出走したハードウィックS(T12F)では、単勝オッズ1.62倍の1番人気に応えて、ロイヤルハントCを勝ってきた3歳牡馬スウィートブレッドを1馬身差の2着に、ロウス記念S・リンカンシャーHを勝っていたプーレをさらに2馬身差の3着に破って勝利した。7月にはジュライC(T6F)に出走して、単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された。本馬に課せられた斤量は139ポンドで、他馬とは12ポンド以上の斤量差があったが、ネリーなどを一蹴して勝利した。この距離不問の8連勝は日本のタケシバオーを想起させるものがある(ダートも走ったタケシバオーと異なり本馬は芝しか走っていないが)。

次走のグッドウッドC(T20F)では、前年の英セントレジャーでイロコイの2着していたジオロジスト、特に実績が無いフライデーとの3頭立てとなった。当然のように本馬は単勝オッズ1.25倍という圧倒的1番人気に支持された。しかし大逃げを打ったフライデーが本馬より13ポンド軽い斤量を利してそのまま逃げ切ってしまい、フォーダム騎手の仕掛けが僅かに遅れた本馬は2着に敗れた。それでも翌8月には再度仏国に向かい、前年勝てなかったドーヴィル大賞(T2400m)に出走。仏オークスを勝ってきたマドモワゼルドセンリスが立ち向かってきたが、本馬が2着アイスバーグに1馬身半差で勝利を収め、前年3着の借りを返した。

10月には英チャンピオンS(T10F73Y)に出走して、前年の英1000ギニー・英オークス・ヨークシャーオークス・ナッソーSを勝っていた4歳牝馬テバイス、英セントレジャー・ヨークシャーオークス・デューハーストプレート・リッチモンドS・グレートフォールSを勝っていた3歳牝馬ダッチオーブンという2頭の強豪牝馬と対決した。結果はアーチャー騎手が騎乗した本馬と、フォーダム騎手が騎乗したテバイスが1着同着。決勝戦が行われたが、テバイスはそれに参加しなかったため、本馬が単走で走って公式な勝ち馬となった(ただし賞金は本馬陣営とテバイス陣営が半分ずつ貰った。そのためにテバイスも勝ち馬として認める資料もある)。引き続いてニューマーケット競馬場で出走したグレートチャレンジSでは、後にジュライCを勝つ2歳牡馬エナジーの2着。さらに出走したケンブリッジシャーH(T9F)では130ポンドのトップハンデが響いたようで、斤量88ポンドの4歳牝馬ハックネスの7着に敗れた。ジョッキークラブS(T18F)では、チッペンデール、シティアラブ、前年のジョッキークラブCとこの年のシザレウィッチHを勝っていた牝馬コリーロイとのゴール前4頭大接戦で僅かに遅れて、勝ったシティアラブから短頭差の2着。3連敗を喫してシーズンを終えたが、4歳時の本馬は14戦10勝の好成績を残し、英国最強馬の1頭としての地位を確立した。

競走生活(5歳時)

5歳時は前年同様に4月のクイーンズプレートから始動して勝利。次走のウエストミンスターCではレース前に焦れ込んで、レイルウェイS・愛ナショナルS・ベレスフォードSを勝っていた愛国産馬バーカルディンの2着に敗れた。エプソム金杯(T12F10Y)では、前年に英2000ギニー・英ダービーを制した同父の名牝ショットオーヴァーとの対戦となった。しかし単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された本馬が、2着シティアラブに2馬身差(3馬身差とする資料もある)、3着となった前年のリヴァプールスプリングC・マンチェスターCの勝ち馬バレンシュタインにはさらに首差をつけて勝利を収め、ショットオーヴァーは4着最下位に敗れた。

6月には前年に不参加だったアスコット金杯(T20F)に参戦して、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された。レースでは中盤で早くも先頭に立つと、そのままゴールまで先頭を維持し続け、ダッチオーブンを3馬身差の2着に、バレンシュタインを3着に破って快勝した。

次走のハードウィックS(T12F)では、英ダービー勝利後にセントジェームズパレスS・プリンスオブウェールズS・英セントレジャー・ニューマケットダービーを勝っていたイロコイと世代最強の座を賭けた争いとなった。本馬もイロコイも他馬勢より12ポンド重い138ポンドのトップハンデを課せられた。それでもレースは本馬とイロコイの一騎打ちとなったが、四角先頭から押し切った本馬が2着イロコイに1馬身半差で勝利した。勝ちタイム2分37秒0は斤量を考慮すると当時としては驚異的なものであり、完全に英国最強馬としての地位を決定付けた。

その後にニューマーケット競馬場でジュライC(T6F)など2戦したが、いずれも気の悪さを見せて、ジュライCはクレルヴォーの2着に、もう1戦も敗れた。その後は渡仏してドーヴィル大賞(T2400m)に3度目の出走。68.5kg(約151ポンド)というとんでもない斤量が課せられたが、前年の同競走で3着だったマドモワゼルドセンリス達を撃破して勝利を収め、同競走史上初の2連覇を達成した。

10月の英チャンピオンS(T10F73Y)では、ダッチオーブンに加えて、英セントレジャー・サセックスS・グレートヨークシャーS・グレートフォールSを勝ってきた3歳牡馬オシアンも参戦してきた。しかし本馬が2頭の英セントレジャー馬を子ども扱いして、同競走初の2連覇を達成した。次走のグレートチャレンジSで、ミドルパークプレートを勝ちデューハーストプレートで2着していた2歳牝馬ビジーボディ(翌年に英1000ギニー・英オークスを勝っている)の3着に敗れたところで5歳シーズンを終えた。この年の本馬の獲得賞金総額は5歳馬レコードの7628ポンドに達し、父ハーミットの4年連続英首位種牡馬獲得は勿論、所有者ルフェーヴル氏の英首位馬主獲得にも大きく貢献した。

競走生活(6歳時)

翌6歳時も現役を続行した本馬だが、ここで本馬の前に1頭の馬が出現する。その馬の名前はセントサイモン。両馬の初対戦となった距離12ハロンの試走では6馬身差をつけられて敗れた。しかしこのレースで本馬はセントサイモンに23ポンドのハンデを与えており、2頭の実力差を決定付けるまでには至らなかった。しかしアスコット金杯(T20F)では驚異の走りを見せたセントサイモンに20馬身差をつけられて2着に敗れ、英国最強馬の地位から陥落してしまった。それに前後して出走したゴールドヴァーズ(T16F)では、この年の英ダービー馬セントガティエン、ジョッキークラブC・シザレウィッチH・チェスターフィールドC・エボアHなどの勝ち馬コリーロイの2頭に屈して3着(コリーロイが3着で本馬が2着とする資料もある)に敗れた。しかしハードウィックS(T12F)では、英ダービーでセントガティエンと同着優勝したハーヴェスターを3着に破って勝利した。

8月には4度目のドーヴィル大賞(T2400m)に出走。前年と同じ68.5kgを課せられたが、さすがの仏国競馬ファンも本馬の実力は認めざるを得なかったようで、単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された。今回はスタート前に焦れ込む仕草が見られたが、それでも仏グランクリテリウム・サラマンドル賞の勝ち馬フラディアボロを短頭差の2着に抑えて勝ち、3連覇を達成した。同競走を2連覇した馬は後に、1888・89年のルサンシー、1964・65年のセーラー、1966・67年のリオネル、2006・07年のアイリッシュウェルズの4頭が出たが、3連覇した馬は史上本馬唯1頭である。

その後は英チャンピオンS(T10F73Y)に出走。スタート前に大暴れして発走を15分遅らせたが、ルツェルンと1着同着(プリンスオブウェールズS・シティ&サバーバンHの勝ち馬で、英2000ギニー・英ダービーで共にショットオーヴァーの2着だったクイックライムが3着だった)。今回は決勝戦が行われたという形跡はなく、3連覇を達成した(うち2回が同着というのも珍しい記録である)。同競走を2連覇した馬は後に、1897・98年のヴェラスケス、1910・11年のレンベルグ、1920・21年のオルフェウス、1928・29年のフェアウェイ、1935・36年のウィッチウッドアボット、1940・41年のヒッピアス、1951・52年のディナミテ、1971・72年のブリガディアジェラード、1986・87年のトリプティク、1998・99年のアルボラーダ、2009・10年のトゥワイスオーヴァーの11頭が出たが、3連覇した馬は史上本馬唯1頭である。このレースを最後に競走馬を引退した。

後世においては「セントサイモンに歯が立たなかった馬」というイメージが強い本馬だが、(セントサイモンを別にすれば)紛れも無く当時の英国最強馬であり、「栄誉に包まれている」「当世における最高の馬の1頭」と賞賛されながらの引退であった。

血統

Hermit Newminster Touchstone Camel Whalebone
Selim Mare
Banter Master Henry
Boadicea
Beeswing Doctor Syntax Paynator
Beningbrough Mare
Ardrossan Mare Ardrossan
Lady Eliza 
Seclusion Tadmor Ion Cain
Margaret
Palmyra Sultan
Hester
Miss Sellon Cowl Bay Middleton
Crucifix
Belle Dame Belshazzar
Ellen
Thrift Stockwell The Baron Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Echidna Economist
Miss Pratt
Pocahontas Glencoe Sultan
Trampoline
Marpessa Muley
Clare
Braxey Moss Trooper Liverpool Tramp
Whisker Mare
Bassinoire Emilius
Surprise
Queen Mary Gladiator Partisan
Pauline
Plenipotentiary Mare  Plenipotentiary
Myrrha

ハーミットは当馬の項を参照。

母スリフトの競走成績は不明。その産駒には本馬の半弟パースベアラー(父スコッティシュチーフ)【ジムクラックS】、半弟トムリ(父インスレイア)【ダリュー賞】、半弟アヴォワァ(父ジュット)【ギシュ賞】などがいる。スリフトの母ブラクシーは根幹繁殖牝馬クイーンメアリーの娘であり、多くの名馬を牝系子孫から送り出している。それらの説明はクイーンメアリーの項に譲るとして、本項ではスリフトの牝系子孫に関してのみ触れておく。

スリフトの牝系子孫も大いに発展している。本馬の半姉ローズデール(父タインデール)の牝系子孫は主にオセアニアで大繁栄している。主だったところだけ書き出すと、ポセイドン【メルボルンC・AJCダービー・コーフィールドC2回・ヴィクトリアダービー・マッキノンS・ローソンS・AJCプレート】、ウインドバッグ【メルボルンC・AJCプレート2回】、イヴニングピール【メルボルンC・クイーンズランドオークス・クラウンオークス・AJCオークス】、シルヴァーシャープ【AJCダービー・クイーンズランドダービー・ヴィクトリアダービー】、クーリエベイ【テレグラフH(新GⅠ)2回・ワイカトドラフトスプリント(新GⅠ)2回】、ホーリックス【ジャパンC(日GⅠ)・TVニュージーランドS(新GⅠ)2回・DBドラフトクラシック(新GⅠ)2回・マッキノンS(豪GⅠ)】、ニコネロ【フルーツアンドヴェジS(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)2回・キングストンタウンクラシック(豪GⅠ)・オーストラリアンC(豪GⅠ)】、モンゴリアンカーン【新ダービー(新GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・コーフィールドC(豪GⅠ)】、日本で走ったニューフォード【菊花賞・天皇賞秋】といったところだろうか。

本馬の全姉ラルリジューズの孫にはマクドナルド【独ダービー】がいる。また、本馬の半妹レディパラマウント(父タクサファライト)の牝系子孫からは、ジョージスミス【ケンタッキーダービー】、ロイヤルセレナーデ【ナンソープS2回・アメリカンH・ハリウッド金杯】、アグレッサー【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS】、ハーダディ【仏チャンピオンハードル2回・ドートンヌ大賞】、グレートコントラクター【ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・ブルックリンH(米GⅠ)】、リファレンスポイント【英ダービー(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)】、ルックスライクトラブル【チェルトナム金杯(英GⅠ)・ロイヤル&サンアライアンスチェイス(英GⅠ)】、ゴールデンバレエ【ラスヴァージネスS(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)】、マウントネルソン【クリテリウム国際(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、ドロッセルマイヤー【ベルモントS(米GⅠ)・BCクラシック(米GⅠ)】、日本で走ったハクショウ【東京優駿・朝日杯三歳S】などが出ている。→牝系:F10号族①

母父ストックウェルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はルフェーヴル氏が仏国で所有する牧場で種牡馬入りしたが、1891年に他界した名種牡馬アイソノミーの代わりになる種牡馬を求めていたモントローズ侯爵夫人ことキャロライン・アグネス・ベレスフォード女史(後に本馬の代表産駒カンタベリーピルグリムの生産者となる)により購入されて英国に戻り、セフトンスタッドで種牡馬生活を続けた。しかしその3年後にはオーストリア・ハンガリー帝国に輸出されてしまった。そして19歳の時、小屋の中で癇癪を起こした本馬は自ら壁に頭を打ちつけて負傷し、そのまま他界した。

本馬の種牡馬成績は、同時代にガロピンとセントサイモン親子がいた影響もあり、競走馬時代ほどの結果は出せなかったけれども、それでも一定の成功は収めている。種牡馬としての本馬の最高の功績はカンタベリーピルグリム(チョーサースウィンフォードの母)を出した事であり、現代サラブレッド全ての血統表を遡ると必ずどこかに名前が出てくるという点ではセントサイモンと同じである。サラブレッドの気性の激しさの原点はセントサイモンだけでなく本馬にもあるのかも知れない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1886

Achille

ノアイユ賞・プランスドランジュ賞

1887

La Negligente

プティクヴェール賞

1887

Le Nord

デューハーストS・フォレ賞・モールコームS

1888

Haute Saone

ナッソーS・英シャンペンS

1890

Le Nicham

仏2000ギニー・英チャンピオンS

1891

Champosoult

ロンポワン賞

1891

Fresca

ドゥザン賞

1891

La Nievre

モールコームS

1891

Styx

ジムクラックS

1893

Canterbury Pilgrim

英オークス・パークヒルS・ジョッキークラブC

1895

Le Guide

ノアイユ賞

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