ボルジア

和名:ボルジア

英名:Borgia

1994年生

黒鹿

父:アカテナンゴ

母:ブリタアニア

母父:タリム

牝馬ながら独ダービー・バーデン大賞を制し競走生活後半は屈腱炎と戦いながら走り続けて引退レースの香港ヴァーズを制した20世紀後半の独国最強牝馬

競走成績:2~5歳時に独仏米首英日中で走り通算成績22戦6勝2着7回3着2回

各国における牝馬のダービー制覇状況

伝統ある英国のザ・ダービー・ステークスや、それに倣って創設された世界各国のダービー、又はそれに相当する競走(以下、「各国ダービー」と言う)は、多くの国においてその国の競馬関係者達の憧れの的となっている。そして各国ダービーを勝つのは殆どの場合、牡馬(国によっては騙馬を含む)である。牝馬の参戦を制限している各国ダービーはあまり無い(皆無というわけではない)が、やはり牡馬と牝馬では競走能力に差がある事が多い上に、各国ダービーには大抵それに前後して牝馬が目標とする大競走が存在しており、牝馬が各国ダービーに参戦する事自体が少ないのが一般的である。

英ダービーでは1916年のフィフィネラ、仏ダービーことジョケクラブ賞では1917年のブルメリ、伊ダービーでは1936年のアルキダミアが最後の牝馬の勝利馬である。愛ダービーでは1990年のサルサビルと1994年のバランシーンの2頭の牝馬が勝っているが、20世紀以降ではこの2頭のみである。

約130年の歴史を誇る米国のケンタッキーダービーでは、1915年のリグレット、1980年のジェニュインリスク、1988年のウイニングカラーズの3頭のみである。

加国のダービーに相当するクイーンズプレートは何故か牝馬の勝利が目立っており、2014年の155回競走を勝ったレクシールーが3年ぶり史上35頭目の牝馬優勝であるから、このレースは例外と言える。

豪州にはダービーと名のつく競走が多くあり、その中で最も格が高いと思われるAJCダービーでは比較的牝馬の勝利が見受けられ、直近では2011年にシャムロッカーが勝っているが、それでも1989年のリサーチ以来22年ぶりであり、150年以上の歴史の中で牝馬の勝利はこの2頭を含めて9頭であるから多いとは言えない。

ニュージーランドダービーは1973年に北島と南島の両ダービーを統合して誕生したため、それ以降の記録に絞ると、5頭の牝馬が勝っている。特に2012・13年にはサイレントアチーヴァー、ハビビと牝馬が2連覇しており、各国ダービーの中ではクイーンズプレートと並んで近年最も牝馬の活躍が目立つ結果となっている。

香港ダービーでは、2003年のエレガントファッションが直近で、その前は1976年のコルヴェットであるから、やはり多いとは言えない。

アルゼンチンのダービーに相当するナシオナル大賞では、50年余りの歴史の中で牝馬の勝利は1975年のカラバナと1998年のポトリザリスの2頭であるから、やはり多いとは言えない。ブラジルのダービーに相当する1883年創設のクルゼイロドスル大賞は、1955年までは牝馬の勝利が珍しくなく、数年に1回は牝馬が勝っていたが、その後は数が減少し、1956年以降の60年弱では3頭で、直近は2001年のコレという馬である。

2000年に創設されたUAEダービーは歴史が浅い事もあり、牝馬の勝利は2011年のクワーラーのみである。

南アフリカはダービーの価値がギニーより低いために除くと、ここまでで出ていない主要な各国ダービーは、日本ダービーこと東京優駿と、独ダービーである。

1932年創設の東京優駿はご存知のとおり2007年にウオッカが勝ち、1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに次ぐ史上3頭目の牝馬優勝を果たしたが、第二次世界大戦終戦後ではウオッカのみであるから、やはり滅多にある事ではない。

独ダービーの歴史は東京優駿より60年以上長く、その創設は1869年(日本で言えば明治2年)で、140年以上の歴史がある。独オークスとは開催時期が比較的離れている影響もあるのか、牝馬の勝利は10回と比較的多いほうだが、1955年にルスティゲが勝ってから長らく牝馬の勝利は無く、それ以降では1997年の勝ち馬ボルジアのみである。

前置きが長くなりすぎたが、筆者はここでようやく本項の主人公ボルジアに辿り着いた。ウオッカは東京優駿だけでなく天皇賞秋やジャパンCなど合計でGⅠ競走を7勝している。対する本馬ボルジアはGⅠ競走こそ2勝のみであり、数ではウオッカに劣るが、独国のジャパンCに相当するバーデン大賞を勝っている。また、国外では4戦して3着以内が無かったウオッカに対し、本馬は香港ヴァーズ勝利、BCターフ2着、凱旋門賞3着という成績を残しているから、その総合成績では本馬とウオッカはほぼ互角であると筆者は思っている。ウオッカは好敵手ダイワスカーレットと並んで日本競馬史上最高クラスの名牝である(ちなみに筆者は2頭とも大好きで、2頭が勝ったレースは録画して何度も見て悦に浸っている。お気に入りは、ウオッカが勝った東京優駿と、ダイワスカーレットが勝った有馬記念)が、本馬もまた「独国競馬史上最も成功を収めた牝馬」と評されている存在である。

本馬はエルコンドルパサーやスペシャルウィークと対戦経験があり、1度もこの2頭に勝てていないから、日本における評価は今ひとつだが、それらは全て屈腱炎発症後のレースであり、もし全ての能力を出し切れる状態の本馬がエルコンドルパサーやスペシャルウィークと対峙したら、もしかしたら違う結果になっていたかもしれない。

誕生からデビュー前まで

本馬を生産・所有したのは独国の共同馬主団体ゲスツットアメルランドである。ゲスツットアメルランドの代表者ディートリッヒ・フォン・ベティカー氏は弁護士が本職であり、出版業界にも進出して成功した人物である。彼は乗馬やヨットを嗜む(趣味の領域を超えており、世界一周ヨットレースに参加したこともある)一方で競馬にも興味を抱き、1986年に44歳で馬主となった。そして早くも1988年にはルイージで独ダービーを制覇。その独ダービーでルイージの2着だった独オークス馬アルテツァイトに目をつけて購入し、ついでに独オークスでアルテツァイトの2着だったブリタニアにも目をつけて購入した。ブリタニアは後に独セントレジャーを勝つなど活躍した。そしてそのブリタニアが本馬の母となったのである。ゲスツットアメルランドは後に独国内のみならず仏国や愛国でも馬産・馬主活動を実施することになり、後の凱旋門賞馬ハリケーンランもゲスツットアメルランドの生産・所有馬(後にクールモアグループにトレードされている)であるが、ゲスツットアメルランドが独国外に進出する契機となったのは本馬の活躍である。本馬が活躍する前は独国内に活動の場がほぼ限定されており、本馬が最初に預けられたのも独国のブルーノ・シュッツ調教師だった。

競走生活(3歳前半まで)

2歳8月にドルトムント競馬場で行われたマルクト賞(T1400m)で、主戦となるA・シュタルケ騎手を鞍上にデビューして、牡馬トッテナムの半馬身差2着。10月にケルン競馬場で出走したグルンクレネン(T1400m)では牡馬ターフマスターの3馬身3/4差3着に敗れ、2歳時は2戦未勝利に終わった。

3歳時は3月にドルトムント競馬場で行われたイースター祭賞(T2040m)から始動した。過去2戦と異なり牝馬限定戦であり、単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて、重馬場の中を走り、2着ラトレイに2馬身差で勝ち上がった。

5月にミュルハイム競馬場で出たミュルハイマー姉妹都市賞(T2100m)もやはり牝馬限定戦であり、やはり単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて、重馬場の中を走り、2着ニコルに2馬身差で勝利した。

そのままミュルハイム競馬場に留まって出走した独オークストライアル(T2200m)では単勝オッズ3.4倍の2番人気だったが、今回も重馬場の中を走り、同じアカテナンゴ産駒であるパンテールを2馬身差の2着に下して快勝し、一気に独オークスの有力候補となった。

そして迎えた本番の独オークス(独GⅡ・T2200m)は得意の重馬場となり、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された本馬の独壇場になるはずだった。レースでは先行して3番手で直線に入り、残り400m地点で先頭に立った。ところがここで後方から加国出身の独1000ギニー馬ケベルが襲い掛かってきた。残り200m地点でかわされた本馬は、3着馬エニグマには5馬身差をつけたものの、ケベルの1馬身半差2着に敗れてしまった。

次走は4週間後の独ダービー(独GⅠ・T2400m)となった。現在は2週続けて行われている優駿牝馬と東京優駿の2競走と異なり、独オークスと独ダービーは両方出走するのに支障が無い程度の間隔が空いているわけだが、それでも牝馬がやたらと出走してくるレースではなく、この年における牝馬の参戦は本馬のみで、ケベルは既に秋に備えて休養入りしていた。ウニオンレネンを圧勝してきた同厩馬カイタノが単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、リステッド競走ラーデベルガーピルスナー大賞を6馬身差で圧勝してきたフェラーリが単勝オッズ5倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ8.3倍で20頭立ての3番人気だった。

カイタノの主戦でもあったシュタルケ騎手はカイタノに騎乗したため、ベティカー氏は前年に初の仏国平地首位騎手に輝いたばかりのオリビエ・ペリエ騎手に本馬の騎乗を依頼した。独オークスとは異なり良馬場の中でスタートが切られると、ペリエ騎手は本馬を馬群の中団につけた。本馬の少し前を1番人気のカイタノが走っており、それをマークするような形だった。そして直線を向くと、先頭にいた単勝オッズ41倍の14番人気馬ハッピーチェンジにカイタノが並びかけようとしたが、ハッピーチェンジは意外としぶとく、カイタノはハッピーチェンジを結局最後まで抜けなかった。その代わりに好位から伸びてきたのは単勝オッズ27倍の9番人気馬バルーンと本馬の2頭だった。残り200m地点で2頭揃ってハッピーチェンジをかわすと最後は大接戦となった。しかしゴール前で一伸びした本馬が2着バルーンに首差、3着ハッピーチェンジにはさらに2馬身半差、4着カイタノにはさらに1馬身3/4差をつけて勝ち、1955年のルスティゲ以来42年ぶりの牝馬による独ダービー制覇を成し遂げた。

競走生活(3歳後半)

次走は翌8月にホッペガルテン競馬場で行われた3歳馬限定競走オイロパ選手権(独GⅡ・T2400m)となった。カイタノの姿は無かったが、バルーン、ハッピーチェンジの独ダービー上位馬に加えて、後にGⅠ競走を4勝する伊ダービー2着馬ウンガロ、ミュラーブロート大賞でカイタノを2着に破って勝っていたアジャノ(厳密には1位入線のカイタノが降着になったための繰り上がり)も出走しており、対戦相手のレベルは独ダービーとあまり差が無かった。今回はシュタルケ騎手が騎乗した本馬は馬群の中団後方を追走。6頭立ての5番手で直線に入ると残り500m地点からスパートを開始。逃げていたハッピーチェンジなどを次々にかわし、残すところは中団から抜け出していたバルーンのみとなった。そして残り200m地点でいったんバルーンをかわして先頭に立ったのだが、ここで力尽きたのか右側によれて失速し、バルーンに差し返されて半馬身差の2着に敗れた。

その後は9月のバーデン大賞(独GⅠ・T2400m)に向かった。このバーデン大賞は独国において今も昔も最も権威がある国際競走であり、先にも書いたとおり日本におけるジャパンCに相当する。当然国内外の有力古馬牡馬が参戦してくるレースで、この年もアラルポカルを勝ってきたカイタノ、伊ダービー・アラルポカル・ドイツ賞・エリントン賞2回・香港国際ヴァーズ・チェスターヴァーズ・アールオブセフトンSを勝ちサンクルー大賞・ガネー賞・ミラノ大賞2回・アラルポカルで2着していた英国調教馬ルソー、ピルサドスキーを2着に破ったハードウィックSやブランドフォードSの勝ち馬プレダッピオ、ウンガロなどが出走してきて、本馬は単勝オッズ4.9倍の3番人気に留まった。

シュタルケ騎手がカイタノに騎乗したために、ベティカー氏はこの年にブレイクして初の英国平地首位騎手に輝く事になるキーレン・ファロン騎手に本馬の騎乗を依頼した。この年に絶好調だったファロン騎手はここでも完璧な騎乗を見せた。道中は馬群の中団後方につけ、残り800m地点から内側を突いて進出を開始。5番手で直線を向くと今度は外側に持ち出してスパートを開始。残り200m地点で先頭に立つと、2着ルソーに1馬身半差をつけて完勝。1958年のダシュカ以来39年ぶりの牝馬によるバーデン大賞優勝を果たして2個目のGⅠ競走タイトルを獲得した。同世代の牡馬最強だったカイタノは5着、ウンガロは6着に沈んでおり、これで本馬は牡馬を含む独国最強馬の座に君臨する事になった。

そうなると次の目標は独国外となるのは必然であった。仏国に向かい、凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に挑戦した。対戦相手のレベルはバーデン大賞とは比較にならないほどであり、仏ダービー・パリ大賞・グレフュール賞の勝ち馬パントレセレブル、前年の凱旋門賞を筆頭にリュパン賞・サンクルー大賞2回・ガネー賞・ノアイユ賞・ニエル賞を勝っていたエリシオ、前年のBCターフ・バーデン大賞・ブリガディアジェラードS・ロイヤルホイップSとこの年のエクリプスS・愛チャンピオンSを勝っていた前年2着馬ピルサドスキー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・コロネーションC・ドーヴィル大賞・リス賞・フォワ賞の勝ち馬スウェイン、愛セントレジャー2回・ハードウィックS・オーモンドSの勝ち馬オスカーシンドラー、ヴェルメイユ賞・ヨークシャーオークスの勝ち馬マイエマ、ヴェルメイユ賞・ヴァントー賞の勝ち馬クイーンモード、愛オークス・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬エバディーラ、イタリア大賞・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬ポジドナス、前走で本馬から2馬身差の3着だったプレダッピオ、独オークスで本馬を破ったケベルなど、当時の欧州を代表する実力馬勢が大挙して参戦していた。さすがに本馬の評価は上がらず、単勝オッズ17.2倍で18頭立て8番人気止まりだった。

もはやシュタルケ騎手を本馬に乗せる気がなかったらしいベティカー氏は引き続きファロン騎手に本馬の騎乗を依頼した(パントレセレブルやエリシオの主戦でもあったペリエ騎手には依頼できなかったらしい)。レースはペリエ騎手に振られたエリシオが先頭を飛ばして超ハイペースとなり、馬群の最後方に陣取っていた本馬には有利な展開となった。直線に入った時点でも本馬の位置取りは最後方のままだったが、ここから一気に追い込んできた。レースは馬群の中団から抜け出したペリエ騎手騎乗の1番人気馬パントレセレブルが、やはり馬群の中団から差した2着ピルサドスキーに5馬身差をつけて圧勝したが、本馬はゴール直前でオスカーシンドラー、プレダッピオ、エリシオ、スウェイン達を際どくかわし、ピルサドスキーから2馬身半差の3着に突っ込んできた。このレースは超高速馬場で行われ、パントレセレブルの勝ちタイム2分24秒6は驚異的なコースレコードだった。出走馬のレベルの高さも相まって、非常に価値が高い3着だったと言える。

その後は米国に遠征して、ハリウッドパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に参戦した。対戦相手は凱旋門賞とはがらりと変わっており、この年に両競走に出走した馬は本馬のみだった。加国三冠競走最終戦ブリーダーズSと加国際S・エルコーンS・スカイクラシックH・キングエドワードBCHの勝ち馬チーフベアハート、ギョームドルナノ賞・ニエル賞の勝ち馬ラジプート、セクレタリアトS・ETマンハッタンS・アーリントンミリオン・ソードダンサー招待H・パンアメリカンH・ブーゲンヴィリアH・ハイアリアターフCHの勝ち馬でソードダンサー招待H・アーリントンミリオン・ターフクラシック招待S2着のアワッド、前走ターフクラシック招待Sを勝ってきたマンノショーS2着馬ヴァルズプリンス、コンセイユドパリ賞を勝ってきた仏グランクリテリム2着馬マジョリアン、レッドスミスH・WLマックナイトH・ボーリンググリーンH・パンアメリカンH・エドモンブラン賞・ラクープの勝ち馬でマンノウォーS・マンハッタンH2回・ターフクラシック招待S2着のフラッグダウン、マンハッタンH・ディキシーS・ロングフェローHの勝ち馬オプススマイル、愛オークス・タタソールズ金杯・プリティポリーS2回の勝ち馬ダンスデザインなどが対戦相手だったが、凱旋門賞よりは手薄なメンバー構成だった。この年に6戦して3着以下が無かったチーフベアハートが単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持され、ファロン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ5.4倍の2番人気、ラジプートが単勝オッズ7.7倍の3番人気、アワッドが単勝オッズ8.3倍の4番人気、ヴァルズプリンスが単勝オッズ8.8倍の5番人気となった。

スタートが切られると、翌年のBCターフを勝つほどの実力馬ながらもこの時点では無名の最低人気馬だったバックスボーイが先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団後方の内側に陣取った。向こう正面で徐々に前との差を詰めにかかり、三角では馬群の中に突っ込んだのだが、前がなかなか開かなかった。その隙に本馬より少し後方にいたチーフベアハートが外側を通って上がっていった。チーフベアハートが4番手、本馬が5番手で直線を向くと、チーフベアハートは外側から、本馬は内側から末脚を伸ばした。本馬は窮屈な場所に入ったが、それでも先に抜け出したフラッグダウンと逃げたバックスボーイの2頭をかわして一瞬だけ先頭に立った。しかしここで外側のチーフベアハートに差し返されてしまい、3/4馬身差の2着に惜敗した。もう少しスムーズなレースが出来ていればと惜しまれる内容だった。

3歳時の成績は9戦5勝着外無しで、文句無しにこの年の独年度代表馬・独最優秀3歳牝馬に選ばれた。この頃に本馬を管理していたシュッツ師が死去したため、本馬やカイタノは息子のアンドレアス・シュッツ調教師に受け継がれた。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月のドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)から始動した。前年の凱旋門賞で7着だったスウェイン、前年のバーデン大賞で本馬の2着に敗れた後に香港国際ヴァーズを勝ちオイロパ賞・伊ジョッキークラブ大賞で2着していたルソー、前年の凱旋門賞で5着だったプレダッピオといった既対戦組に加えて、前年のケンタッキーダービー・プリークネスSを筆頭にデルマーフューチュリティ・サンフェルナンドBCS・ストラブS・サンヴィンセントSを勝ちベルモントS・サンタアニタダービー・マリブSで2着していたシルバーチャーム、プランスドランジュ賞・エクスビュリ賞の勝ち馬で仏2000ギニー・英チャンピオンS2着のルウソヴァージュ、サンタアニタHを勝ってきたマレク、日本から参戦してきた東京大賞典・浦和記念・ウインターS・名古屋大賞典・シーサイドS・白山大賞典の勝ち馬キョウトシチーなどが対戦相手となった。しかしファロン騎手鞍上の本馬は終始馬群の後方のままで、勝ったシルバーチャームから28馬身差の8着と大敗。短頭差の2着だったスウェイン、7着ルソーにも先着を許し、先着できた相手は本馬から11馬身差の9着最下位だったプレダッピオのみだった。

敗因はダート適性が無かったためと思われるが、もしかしたらそれだけでは無かったかもしれない。何故なら、このレース直後に本馬は屈腱炎である事が判明したからである。レース前から既に状態が悪かったのか、ダート競走を走ったから発症したのかは定かではない(一般的には後者と言われている)が、今までは安定感があった本馬の走りはここから影を潜め、苦難の日々が始まることになる。

屈腱炎の療養のために長期休養に入った本馬は、この休養中にシュッツ厩舎から仏国アンドレ・ファーブル厩舎に転厩した(馬主はゲスツットアメルランドのままで変更無し)。かつて独ダービーで本馬に騎乗したペリエ騎手は当時ファーブル厩舎の主戦騎手でもあり、彼は本馬の主戦も務める事になった。

復帰戦はドバイワールドCから7か月後の10月にサンクルー競馬場で行われたフロール賞(仏GⅢ・T2100m)だった。本馬が単勝オッズ3.2倍の1番人気に支持され、英オークス・ヴェルメイユ賞2着・サンクルー大賞3着のガゼルロワイヤル(前年の凱旋門賞では13着に終わっていた)が単勝オッズ3.4倍の2番人気となった。不良馬場で行われたレースでは2番手を進み、直線ではそれなりの粘りを見せたが、リステッド競走を2連勝してきた単勝オッズ9.5倍の5番人気馬モンテック(後に優駿牝馬の勝ち馬サンテミリオンの母となる)に差されて1馬身差の2着に敗退。結局4歳時は2戦未勝利に終わった。

競走生活(5歳時)

5歳時も屈腱炎と戦いながら現役を続行した。まずは3月のエクスビュリ賞(仏GⅢ・T2000m)に出走した。前年のモーリスドギース賞でシーキングザパールの2着だった香港国際ボウルの勝ち馬ジムアンドトニック、オカール賞の勝ち馬サヤーシャン、セントサイモンSの勝ち馬ダークムーンダンサーなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ3.1倍の1番人気に支持され、ジムアンドトニックが単勝オッズ3.5倍の2番人気、サヤーシャンが単勝オッズ5.1倍の3番人気となった。今回も不良馬場で行われたレースでは馬群の好位を進んで抜け出そうとしたが、4番手から先に抜け出した単勝オッズ10.4倍の4番人気馬バーボラに届かずに、1馬身半差の2着に敗れた。

次走のジョッキークラブS(英GⅡ・T12F)では、英セントレジャー・コロネーションC・伊ジョッキークラブ大賞・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬で英ダービー・愛セントレジャー2着のシルヴァーペイトリアーク、一昨年の凱旋門賞9着後にジョンポーターS・ハードウィックSを勝ち伊ジョッキークラブ大賞で2着していたポジドナス、ヘンリーⅡ世S2回・パークS・サガロS・ロンズデールSを勝ち愛セントレジャー2着・メルボルンC3着など長距離路線で活躍中だったパーシャンパンチ、ゴードンSの勝ち馬ラバー、プリンセスロイヤルSの勝ち馬シルヴァーラプソディーなどが出走してきた。本馬とシルヴァーペイトリアークが並んで単勝オッズ5.5倍の1番人気に支持され、ラバーが単勝オッズ7.5倍の3番人気、シルヴァーラプソディーが単勝オッズ9倍の4番人気となった。本馬は道中で最後方を追走し、残り3ハロン地点で仕掛けて残り1ハロン地点で先頭に立った。しかしここから失速して2馬身半差の4着に敗退。シルヴァーラプソディーとの激しい叩き合いを制して勝ったのはシルヴァーペイトリアークだった。

次走のコロネーションC(英GⅠ・T12F10Y)では、シルヴァーペイトリアークに加えて、加国際S・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着のロイヤルアンセム、仏ダービー・愛ダービー・フォルス賞の勝ち馬で前走ガネー賞2着の前年のカルティエ賞年度代表馬ドリームウェル、仏2000ギニー・エクリプスS・マンノウォーS・タタソールズ金杯・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬でクリテリウムドサンクルー・ジャックルマロワ賞・タタソールズ金杯2着のデイラミ、プリンセスオブウェールズS・ドバイシーマクラシックの勝ち馬フルーツオブラヴ、伊ダービー・オイロパ選手権・伊共和国大統領賞・ヴィンテージSの勝ち馬セントラルパークが出走してきた。過去2戦の結果から本馬がこのメンバー内で戦うのは厳しいと判断され、単勝オッズ17倍で7頭立ての最低人気まで評価が落ちた。レースでは馬群の好位を進んだが、直線の追い比べで後れを取り、勝ったデイラミから3馬身半差の5着に敗れた(シルヴァーペイトリアークは4着だった)。

次走はサンクルー大賞(仏GⅠ・T2400m)となった。前走3着のドリームウェルに加えて、前年の凱旋門賞・ニエル賞の勝ち馬サガミックス、バーデン大賞・独2000ギニー・ミューラーブロート大賞・ゲルリング賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞3着のタイガーヒル、そして日本から遠征してきて前走イスパーン賞で2着してきたNHKマイルC・ジャパンC・ニュージーランドトロフィー四歳S・共同通信杯四歳Sの勝ち馬エルコンドルパサーなどが対戦相手だった。ペリエ騎手がサガミックスに騎乗したためにファロン騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ39倍で10頭立ての最低人気。レースでも最後方追走から直線で伸びず、勝ったエルコンドルパサーから6馬身1/4差の5着に敗退した。

その後はフォワ賞(仏GⅡ・T2400m)に向かい、ファロン騎手と共に再度エルコンドルパサーと対戦した。出走馬はこの2頭の他に、イスパーン賞でエルコンドルパサーを破ったリュパン賞・グレフュール賞の勝ち馬で仏ダービー2着・パリ大賞・ガネー賞3着のクロコルージュしかおらず、僅か3頭立てのレースだった。エルコンドルパサーが単勝オッズ1.3倍の1番人気、クロコルージュが単勝オッズ2.7倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ5.9倍の最低人気だった。レースはエルコンドルパサー、本馬、クロコルージュの順番で行列のように走った。残り400m地点で本馬がエルコンドルパサーを抜いて先頭に立ったが、残り300m地点で再び並ばれて差し返されてしまい、エルコンドルパサーの首差2着だった。

次走は2度目の出走となる凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)だった。これは言わずと知れたモンジューとエルコンドルパサーの一騎打ちとなったレースであり、その詳細についてここで述べることはしない。本馬鞍上のペリエ騎手にとっては、エリシオ、パントレセレブル、サガミックスに続く同競走4連覇が懸かっていたのだが、いずれも1番人気に推されていた過去3頭と異なり、本馬は単勝オッズ15.2倍の6番人気だった。それでもタイガーヒル、前年の同競走2着馬レッジェーラ、後のカルティエ賞年度代表馬ファンタスティックライト等より上位人気であり、むしろ評価されたほうである。鞍上のペリエ騎手効果と、レースが本馬にとっては得意な不良馬場(本馬は重・不良馬場では過去に着外となった事が無かった)で行われた事が少し影響したようである。しかしレースでは馬群の後方のままで、勝ったモンジューから14馬身半差の7着に敗退。前走で首差の接戦を演じたエルコンドルパサーからも14馬身離されており、いくらデイラミやファンタスティックライトには先着したと言っても、好走したとは言い難かった。

その後は2度目の米国遠征を決行し、ガルフストリームパーク競馬場で行われたブリーダーズカップに挑戦。2年前はBCターフに出走したのだが、この年は新設された牝馬限定競走BCフィリー&メアターフ(米GⅠ・T11F)に出走した。フラワーボウル招待H・シープスヘッドベイH・ニューヨークHの勝ち馬ソアリングソフトリー、ガーデンシティBCH・クイーンエリザベスⅡ世CCSを連勝してきたパーフェクトスティング(翌年のBCフィリー&メアターフ勝ち馬)、前走イエローリボンSを勝ってきたラモナH3着馬スパニッシュファーン、伊オークス・EPテイラーS・ロイヤルホイップS・リディアテシオ賞の勝ち馬ゾマラダー(ドバウィの母)、前走イエローリボンSで2着してきたカフェラッテ、前走フラワーボウル招待Hで2着してきたロングアイランドH・ラプレヴォヤンテH・オーキッドHの勝ち馬コレッタ、ジェニーワイリーS・ボールストンスパBCHの勝ち馬プレザントテンパー、ヘンプステッドHの勝ち馬で前走フラワーボウル招待H3着のモスフラワー、前走EPテイラーSを勝ってきたオペラ賞の勝ち馬で仏オークス3着のインサイト、ミセスリヴィアS・ブラックヘレンH・加ナッソーS・カナディアンHの勝ち馬アンギラ、フロール賞の勝ち馬ルーヴ、マッチメイカーSの勝ち馬ナタリートゥー、アラバマS3着馬ガンドリアといった面々が初代女王の座を目指して参戦してきた。ソアリングソフトリーが単勝オッズ4.6倍の1番人気、パーフェクトスティングとスパニッシュファーンが並んで単勝オッズ5倍の2番人気、ファロン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ7.8倍の4番人気となった。レースでは馬群の後方2番手を進み、三角から四角にかけて馬群の中に突っ込むと、直線入り口で14頭立ての9番手から追い上げてきた。ゴール前では一番強かった頃に発揮していた末脚の一端を垣間見せたものの、好位から抜け出して3/4馬身差で勝利したソアリングソフトリーを筆頭とする前方馬群には届かず、ソアリングソフトリーから1馬身差の5着に敗れた。

続いて来日した本馬は、ペリエ騎手と共にジャパンC(日GⅠ・T2400m)に参戦した。このジャパンCはスペシャルウィークがモンジューを4着に破って日本馬の意地を見せたレースであり、これまた言わずと知れたものであるから、その内容を詳しくここで述べることはしない。単勝オッズ16倍の6番人気(海外馬の中ではモンジュー、タイガーヒルに次ぐ3番目の評価)だった本馬は、例によって馬群の中団後方を追走し、直線入り口で14頭立ての11番手から追い込む構えを見せた。しかし本馬の少し前を走っていたスペシャルウィークやモンジューの末脚のほうが上であり、勝ったスペシャルウィークから7馬身1/4差の8着に敗れた。

その後は香港に向かい、引退レースの香港ヴァーズ(香GⅡ・T2400m)に、ペリエ騎手と共に出走した。マッキノンSとメルボルンCを連勝して現役豪州最強馬の称号を手にしていたローガンジョシュ、香港国際ヴァーズ・香港チャンピオンズ&チャターC2回・香港金杯2回を勝って出走した前走のジャパンCでスペシャルウィークの2着に粘って世間をあっと言わせた地元香港の雄インディジェナス、ジョッキークラブSで本馬を破った後にジェフリーフリアSを勝ち伊ジョッキークラブ大賞で2着してきたシルヴァーペイトリアーク、グレートヴォルティジュールSの勝ち馬シーウェーブ、前年の愛ダービーでドリームウェルの3着だったデザートフォックス、ポモーヌ賞の勝ち馬ビンボラ、やはりこれが引退レースだったセントライト記念・アメリカジョッキークラブC・日経賞・目黒記念の勝ち馬ローゼンカバリーなどが本馬最後の対戦相手となった。ローガンジョシュが単勝オッズ3.3倍の1番人気、インディジェナスが単勝オッズ4.1倍の2番人気、シルヴァーペイトリアークが単勝オッズ4.7倍の3番人気と続く一方で、本馬は単勝オッズ24.9倍で11頭立て8番人気の低評価だった。

スタートが切られるとインディジェナスがまずは先頭に立ち、本馬は馬群の中団につけた。スタートして400mほど走ったところでシーウェーブが掛かり気味に先頭を奪い、その態勢のままでレースは進行した。6番手で直線に入ってきた本馬に対してペリエ騎手が残り400m地点で合図を送ると、本馬のかつての末脚が蘇った。シーウェーブやインディジェナスを一気にかわし、残り200m地点で先頭に踊り出た。そこへ最後方からの追い込みに賭けた単勝オッズ50倍の10番人気馬ビンボラが襲い掛かってきた。ゴール前でやや脚が鈍った本馬とビンボラの差はどんどん縮まったが、本馬が頭差だけ堪えて先頭でゴールインし、バーデン大賞以来実に2年3か月ぶりの勝利を挙げ、見事に引退レースの花道を飾った。5歳時の成績は9戦1勝だった。

獲得賞金総額は303万8904ドイツマルクで、これは後にデインドリームに更新されるまで独国産牝馬記録だった。

血統

Acatenango Surumu Literat Birkhahn Alchimist
Bramouse
Lis Masetto
Liebeslied
Surama Reliance Tantieme
Relance
Suncourt Hyperion
Inquisition
Aggravate Aggressor Combat Big Game
Commotion
Phaetonia Nearco
Phaetusa
Raven Locks Mr. Jinks Tetratema
False Piety
Gentlemen's Relish He
Bonne Bouche
Britannia Tarim Tudor Melody Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Matelda Dante
Fairly Hot
Tamerella Tamerlane Persian Gulf
Eastern Empress
Ella Retford Turkhan
Prada
Bonna Salvo Right Royal Owen Tudor
Bastia
Manera Macherio
Maenza
Birgit Altrek Antonio Canale
Altea
Borinage Val Drake
Benares

アカテナンゴは当馬の項を参照。

母ブリタニアは現役成績18戦5勝。独セントレジャー(独GⅡ)・ドイツ牝馬賞(独GⅢ)・オーリアンダーレネン(独GⅢ)を勝ち、独オークス(独GⅡ)では2着の成績を残し、1988年の独最優秀3歳牝馬に選ばれている。ブリタニアがベティカー氏の所有馬となった経緯は先に書いたとおりである。ブリタニアは繁殖牝馬としても優秀な成績を残し、本馬の半弟ボリアル(父ジャワゴールド)【独ダービー(独GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】も産み、独最優秀繁殖牝馬にも選ばれている。本馬の全妹ブーゲンビリアの子にはバーマゴールド【伊セントレジャー(伊GⅢ)】、ブリタニアの半弟にはブエノス(父アスプロス)【ヘルティー大賞(独GⅡ)】がおり、いかにも独国の牝系らしいスタミナ豊富な血筋である。

もっとも母系は第二次世界大戦中に仏国から独国に輸入(と言うよりもおそらく強奪)されたもので、仏ダービー・仏グランクリテリウム・リュパン賞などを勝った本邦輸入種牡馬ハードツービート、英1000ギニー馬ミセスマカディーとその孫である朝日杯三歳S・安田記念の勝ち馬アドマイヤコジーンなどは本馬の遠縁に当たるし、1944年の英セントレジャー馬で1952年の英愛首位種牡馬となったテヘラン(名馬タルヤーの父)、ケンタッキーダービー馬フーリッシュプレジャー、マンノウォーS・ロスマンズ国際S・ソードダンサーHを各2回勝利した米国芝路線の強豪馬マジェスティーズプリンスなども同じ牝系である。本馬の牝系は代々“B”で始まる名前が付けられており(本馬の子や孫も例外ではない)、Bラインとでも呼びたくなるような状況である。→牝系:F14号族②

母父タリムは1972年の独ダービー優勝馬で、独2000ギニー・オイロパ賞・ウニオンレネンでは2着だった。タリムの父はテューダーメロディで、その父はテューダーミンストレルである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は独国にあるゲスツットアメルランド名義の牧場で繁殖入りした。サドラーズウェルズ、パントレセレブル、グリーンデザートダンシリシャマルダルオアシスドリームシーザスターズなどと交配されたが、当初の繁殖成績は不振で、繁殖牝馬としては失敗と評された。2012年3月にロペデベガとの間の牝駒を出産した後、疝痛の急性発作を起こして18歳で他界した。

しかし翌2013年になって、3番子の牝駒ボーンワイルド(父サドラーズウェルズ)が産んだバルチックバロネスがクレオパトル賞(仏GⅢ)に勝利して、孫世代からグループ競走勝ち馬が出た。さらに翌2014年には、母子制覇を狙った前年の独ダービーで16着に沈んでいた9番子の牡駒バミューダリーフ(父オアシスドリーム)がアルマスドC(独GⅢ)に勝利して、子世代からもグループ競走勝ち馬が出た。さらにその2か月後にはバルチックバロネスがヴェルメイユ賞(仏GⅠ)において前年の覇者トレヴ相手に勝利を収め、本馬はGⅠ競走勝ち馬の祖母となった。

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