レルコ

和名:レルコ

英名:Relko

1960年生

鹿毛

父:タネルコ

母:リランス

母父:レリック

英ダービーでドーピング疑惑に揺れたが、英仏両国で数多くの大レースを制した1960年代仏国を代表する強豪馬

競走成績:2~4歳時に仏英で走り通算成績14戦9勝2着3回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

仏国のホテル王フランソワ・デュプレ氏により、仏国ノルマンディー地方のドゥイリー牧場において生産された。体高は16.1ハンドに達し、力強く、引き締まった、完璧にバランスが取れた馬体の持ち主だったという。ドゥイリー牧場の名義で競走馬となり、本馬の2歳年上の半兄マッチも管理したフランソワ・マテ調教師に預けられ、2歳時に競走馬デビュー。

競走生活(3歳初期まで)

デビュー戦となったルトロンブレ競馬場施行のグラディアトゥール賞(T1100m)で白星スタートを切り、次走となったメゾンラフィット競馬場施行のアイサード賞も勝利を収めた。しかし大本命に推されたクリテリウムドメゾンラフィット(T1400m)は、後の仏1000ギニー3着馬ネプテューンズドールの首差2着に敗退。次走の仏グランクリテリウム(T1600m)では、サラマンドル賞の勝ち馬で後に英1000ギニー・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞・英チャンピオンSを勝つ名牝フラダンサー、ロベールパパン賞の勝ち馬でサラマンドル賞2着のクイクイ、後にフォレ賞・ジャンプラ賞・モーリスドギース賞を勝利するスパイウェルの3頭に敗れて、勝ったフラダンサーから5馬身差の4着に終わった。11月にサンクルー競馬場で出走したトーマブリョン賞(T1500m)も牝馬チェサの2着に敗れてしまい、2歳時の成績は5戦2勝となった。

3歳時は4月の仏2000ギニー(T1600m)から始動した。そしてフォンテーヌブロー賞の勝ち馬で後にこの年のイスパーン賞を勝つマンダリーを2馬身半差の2着に破って勝利を収めた。翌月にはロンシャン競馬場でギシュ賞(T1950m)に出走して勝利。このギシュ賞は仏ダービーの重要な前哨戦だったのだが、陣営は本馬を仏ダービーではなく英ダービーに出走させるために渡英させた。この時期、デュプレ氏は病気療養中だったため、彼の代わりにデュプレ夫人がエプソム競馬場に向かった。

英ダービー制覇とその後の騒動

そして迎えた英ダービー(T12F)だが、英2000ギニー馬オンリーフォアライフなど、前哨戦の勝ち馬ながら本番に登録が無いために不在の馬が少なからずいた。それでも、リングフィールドダービートライアルSを3馬身差で快勝してきたドゥプレーション、グリーナムSの勝ち馬でチェスターヴァーズ2着のファイティングシップ、英2000ギニー3着馬コーポラ、ソラリオSの勝ち馬でミドルパークS・コヴェントリーS2着のハッピーオーメン、ダンテSの勝ち馬マーチャントヴェンチャラー、ディーS2着馬ラグーザ、ブルーリバンドトライアルS3着馬アイアンペグなど25頭の馬が対戦相手となった。その中で本馬が単勝オッズ6倍の1番人気に支持された。レースは前日の霧雨こそ上がっていたが、英ダービー史上最も寒いと言われたほどの底冷えがする気温の中で行われ、馬場状態もあまり良くなかった。スタートでフライングがあり、除外馬が出たために、正規のスタートは15分遅れた。当時21歳だった天才イヴ・サンマルタン騎手が手綱を取った本馬は、序盤は先行馬勢を見るように進み、3~5番手で直線を向いた。そして先頭を行く単勝オッズ101倍の最低人気馬ターコガンを残り3ハロン地点でかわすとそのままゴールまで独走し、2着となった単勝オッズ19倍の9番人気馬マーチャントヴェンチャラーに6馬身差、3着となった単勝オッズ26倍の10番人気馬ラグーザにはさらに3馬身差、4着に粘ったターコガンにはさらに首差をつけて圧勝。

馬場状態が悪かったため、重馬場の巧拙なども勝敗を分ける要因にはなったとは言え、文句の付けようも無い圧勝劇だった・・・はずだった。ところが、レース後に実施された薬物検査において、本馬は引っ掛かってしまったのである。レース3週間後に公表された情報では、唾液からは反応が出なかったが、尿検査で陽性を示したとの事であった。そのため、本馬の英ダービー優勝は確定せず、今後の詳細な検査待ちという状態となってしまった。こうした事態に対して、仏国競馬関係者が猛反発(元々、英仏両国はあまり仲が良くないのは周知の事実である)し、事態は両国のジョッキークラブを巻き込む大問題になってしまった。そして両国のマスコミも過熱気味に報道したため、大きな騒動となった。

競走生活(3歳後半)

渦中の本馬はその後、愛ダービーに参戦し、単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。しかし直前まで何の問題も無かったはずの本馬の歩様がスタート寸前に突如乱れ、跛行を発症してしまうアクシデントが発生。サンマルタン騎手と観客席にいたマテ師が電話で協議した結果、結局出走取り消しとなり、サンマルタン騎手はヘルメットを地面に叩き付けて悔しがった。本馬不在のレースは英ダービー3着以降に急上昇して歴史的名馬となるラグーザが優勝している。

その後、本馬は地元の仏国に戻り、9月のラクープドメゾンラフィット(T2000m)に出走。しかし英オークス・ヴェルメイユ賞・ペネロープ賞・ポモーヌ賞を勝ち前年の凱旋門賞とこの年のジャックルマロワ賞で2着していた1歳年上の名牝モナドに敗れて2着に終わった。その後はロワイヤルオーク賞(T3000m)に出走した。この段階に至っても例のドーピング問題にはまだ結論が出されていなかった。このレースでは本馬不在の仏ダービーとパリ大賞を制したサンクタスとの世代最強馬を賭けた対決となった。しかし結果は呆気なく、本馬が2着ドブールに3馬身差をつけて完勝。3着にはギシュ賞で本馬の3着に入っていた仏ダービー2着馬ニルコスが入り、サンクタスは着外に終わった。これで本馬は、おそらく仏国でも英国でもそういう言い方はされなかっただろうが、仏2000ギニー・英ダービー・ロワイヤルオーク賞の仏英を股にかけた変則三冠を達成した。

このロワイヤルオーク賞から18日後、ようやく英ダービーのドーピング問題に結論が出された。再度の検査で陰性だったこと等により、違反の事実は見出せなかったとして、英ジョッキークラブは本馬の英ダービー優勝を正式に確定したのである。5月末の英ダービーから4か月以上経過して、ようやく濡れ衣を晴らした格好になった本馬は、続いて凱旋門賞(T2400m)に出走。ガネー賞・コロネーションC・サンクルー大賞・ダリュー賞・フォワ賞・ボイアール賞の勝ち馬で前年のサンクルー大賞2着・仏ダービー3着のエクスビュリ、ジャンプラ賞・コートノルマンディ賞・アルクール賞の勝ち馬でエクリプスS3着のタン、コンデ賞・グレフュール賞・オカール賞・シャンティ賞の勝ち馬ルメニル、ガネー賞・伊ジョッキークラブ大賞・シェーヌ賞・フォワ賞の勝ち馬でカドラン賞・アスコット金杯2着・仏グランクリテリウム・凱旋門賞3着のミスティ、プランスドランジュ賞を勝ってきた前年の凱旋門賞優勝馬ソルティコフ、プランタン大賞の勝ち馬ブランブルー、ノネット賞の勝ち馬で仏オークス3着のロイヤルガール、モーリスドニュイユ賞の勝ち馬トゥルヌヴァン、ドブール、ニルコス、サンクタスなどが対戦相手となった。本馬は1番人気の支持を受けたが、スタート前の焦れ込みが激しく、勝った2番人気馬エクスビュリから4馬身差の6着に敗退。5着だったサンクタスにも先着を許した。シーズン最後の出走を勝利で飾れなかった本馬だが、3歳時6戦4勝の成績を残した本馬に対して英タイムフォーム社は136ポンドという高いレーティングを与え、英ダービーの勝ち方を正当に評価した形となった。

競走生活(4歳時)

4歳時はまず地元仏国でガネー賞(T2000m)に出走した。そして前年のラクープドメゾンラフィットで本馬を破ったモナドを3馬身差の2着に、この年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝つリス賞の勝ち馬ナスラムをさらに首差の3着に破って勝利した。6月には再度渡英してコロネーションC(T12F)に出走。単勝オッズ1.67倍という断然の1番人気に応えて、前年のエクリプスSとこの年のグラッドネスSを勝っていたカルキスを首差の2着に、ジョンポーターS・プランタン大賞の勝ち馬ロイヤルアベニューをさらに4馬身差の3着に破って勝利を収めた。

翌月には地元仏国でサンクルー大賞(T2500m)に出走して、前年の凱旋門賞で着外に終わった後にミラノ大賞で2着していたトゥルヌヴァンを2馬身半差の2着に、ナスラムをさらに2馬身差の3着に破って勝利した。

その後はそのナスラムが勝利したキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSには向かわず、凱旋門賞2連覇を目指して夏場は休養。しかし凱旋門賞に向けた調教が再開された9月に球節を故障してしまい、4歳時3戦3勝の成績で競走馬を引退した。

ところで、本馬の競走成績に関しては各方面で13戦9勝となっている。その原因は3歳時に2着に敗れたラクープドメゾンラフィットをカウントしていないからであるが、複数の基礎資料には「1963年のラクープドメゾンラフィットではモナドが勝ちレルコが2着だった」となっているため、本項ではそれを信用する事にした。

血統

Tanerko Tantieme Deux-Pour-Cent Deiri Aethelstan
Desra
Dix Pour Cent Feridoon
La Chansonnerie
Terka Indus Alcantara
Himalaya
La Furka Blandford
Brenta
La Divine Fair Copy Fairway Phalaris
Scapa Flow
Composure Buchan
Serenissima
La Diva Blue Skies Blandford
Blue Pill
La Traviata Alcantara
Tregaron
Relance Relic War Relic Man o'War Fair Play
Mahubah
Friar's Carse Friar Rock
Problem
Bridal Colors Black Toney Peter Pan
Belgravia
Vaila Fariman
Padilla
Polaire Le Volcan Tourbillon Ksar
Durban
Eroica Banstar
Macedonienne
Stella Polaris Papyrus Tracery
Miss Matty
Crepuscule Galloper Light
Terra Dombra

父タネルコはタンティエーム産駒で、現役成績17戦10勝。リュパン賞・ガネー賞2回・サンクルー大賞2回・ノアイユ賞・プランスドランジュ賞2回・アルクール賞を勝ち、1956年の凱旋門賞でリボーの3着に入ったかなりの実力馬だった。

母リランスは現役成績11戦6勝、カマルゴ賞の勝ち馬。繁殖牝馬としての成績は素晴らしく、本馬の半兄マッチ(父タンティエーム)【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ワシントンDC国際S・サンクルー大賞・ロワイヤルオーク賞・ノアイユ賞・ボイアール賞】、半弟リライアンス(父タンティエーム)【仏ダービー・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞・オカール賞】と、本馬も含めてチャンピオン級の馬を3頭も産んでいる。他にも、本邦輸入種牡馬であるレベルコは本馬の全弟である。本馬の全妹マリスカの子にはムダヒム【クリーブハードル(英GⅠ)・愛グランドナショナル(愛GA)】、本馬の半妹ロジカ(父タンティエーム)の子にはゴルディコ【ルイジアナダウンズH(米GⅢ)】がいる。リランスの全弟には本邦輸入種牡馬ポリック【アランベール賞・ダフニ賞・サンジョルジュ賞】、半弟には1959年の凱旋門賞でセントクレスピンと1位同位入線ながら進路妨害で2着に降着となったミッドナイトサン(父サニーボーイ)【リュパン賞】、エスキモー(父フィルドレイク)【モーリスドニュイユ賞】がいる。リランスの母ポレールはフロール賞・ロワイヤリュー賞の勝ち馬で、その半弟にはノーザンライト【パリ大賞】がいる。また、ポレールの5代母は英国クラシック競走4勝の歴史的名牝セプターである。→牝系:F16号族②

母父レリックは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、英国ラビングトンスタッドで種牡馬入りした。種牡馬としての成績は並と言ったところで、英愛種牡馬ランキングでは1977年の4位が最高と、その競走成績と比するとやや物足りない結果に終わった。1982年に22歳で他界し、遺体は英国バークシャーのモルトハウススタッドに埋葬された。後継種牡馬はコートケイノがワシントンDC国際S・ガネー賞を制したアーギュメントを出した程度で、直系は繁栄しなかった。繁殖牝馬の父としては第1回BCマイルを勝ったロイヤルヒロインを出している。また、直子ブルトンが名種牡馬リナミックスの母父となったため、血の影響力自体は健在である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1966

Mia Pola

ロシェット賞

1966

Selko

バリモスS

1967

Breton

サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・フォンテーヌブロー賞

1967

Larko

ダフニ賞

1967

Master Guy

ジャンプラ賞

1967

Whitefoot

ムシドラS

1968

Mariel

プリティポリーS(愛GⅡ)

1968

Tratteggio

アンリデラマール賞(仏GⅡ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)

1969

Coral Beach

チェシャーオークス(英GⅢ)

1969

Tierceron

イタリア大賞(伊GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・伊セントレジャー(伊GⅢ)

1970

Freefoot

ジョンポーターS(英GⅡ)

1970

Relay Race

ハードウィックS(英GⅡ)・ジョッキークラブS(英GⅢ)

1970

Reload

パークヒルS(英GⅡ)

1971

Polynesienne

アーリントンメイトロンH(米GⅡ)

1972

Irish Star

ゲルゼンキルヒェン市大賞(独GⅢ)

1973

Coltinger

エリントン賞(伊GⅢ)

1973

Ranimer

サンチャリオットS(英GⅡ)

1973

Relkino

ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)・ロッキンジS(英GⅡ)

1974

Limone

クレイヴンS(英GⅢ)

1974

Olwyn

愛オークス(愛GⅠ)

1975

Pragmatic

ヨークシャーC(英GⅡ)

1975

Relfo

リブルスデールS(英GⅡ)

1977

Deauville

伊共和国大統領賞(伊GⅠ)

1978

Karkour

カドラン賞(仏GⅠ)・ヴィシー大賞(仏GⅢ)

1980

Give Thanks

愛オークス(愛GⅠ)・ムシドラS(英GⅢ)・ランカシャーオークス(英GⅢ)

1980

John French

ゴードンS(英GⅢ)

1982

Lanfranco

ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)・キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)

TOP