ウェルアームド

和名:ウェルアームド

英名:Well Armed

2003年生

鹿毛

父:ティズナウ

母:ウェルドレスド

母父:ノートブック

英国時代は活躍できなかったが、致命的な故障から復活して米国に転厩した後に能力が開花しドバイワールドCを史上最大の14馬身差で圧勝する

競走成績:2~6歳時に英首米で走り通算成績24戦7勝2着4回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ウインスターファームの生産・所有馬である。ウインスターファームは旧名をプレストンウッドファームと言い、その時代にはBCマイル2勝のダホスやベルモントS勝ち馬ヴィクトリーギャロップなどを所有していた。また、クリスエスディストーテッドユーモアといった名種牡馬も繋養していた牧場だった。2000年に通信会社社長のケニー・トラウト氏とビル・キャスナー氏の両名により購入されてウインスターファームと改名されていた。

本馬は明らかにダート向きの米国血統の持ち主だったのだが、何故かウインスターファームは英国でデビューさせる事にして、英国クライヴ・ブリテン調教師に預けた。

競走生活(2歳時)

2歳7月にニューマーケット競馬場で行われたスーパーレイティヴS(英GⅢ・T7F)で、ブレット・ドイル騎手を鞍上にデビューした。デビュー戦がいきなりグループ競走となった理由は資料に記載が無く不明であり、陣営が期待していたかどうかも定かではない。しかし少なくとも周囲の評価は低く、単勝オッズ67倍で11頭立ての11番人気。レースでもスタートで出遅れて後方からの競馬となり、中盤で早くも失速して、勝ち馬から27馬身差の10着と惨敗。勝ったのは名種牡馬デインヒルと英オークス馬イマジンの間に産まれた良血馬ホレーショネルソンだった。

その16日後にはソールスベリー競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスに出走した。レースの格が下がった分だけ本馬の評価は上昇したが、単勝オッズ26倍で11頭立ての6番人気であり、やはり期待されていなかった。前走と同じくドイル騎手が手綱を取った本馬は馬群の中団追走のまま、ストラザムの4馬身1/4差5着と今ひとつの結果だった。

それから13日後にはニューマーケット競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスに出走した。鞍上は当時売り出し中のライアン・ムーア騎手だったが、単勝オッズ21倍で14頭立て9番人気の低評価。今回は先行策を採ったものの、残り1ハロン地点で大きく失速して、フライトキャプテンの7馬身差8着に敗れた。

さらに13日後にはチェスター競馬場芝7ハロン122ヤードの未勝利ステークスに出走。ここではウィリー・カーソン騎手が手綱を取ったが、単勝オッズ26倍で5頭立て5番人気とまったく評価されていなかった。しかもスタートで大きく出遅れてしまい、後方のまま見せ場無く、プライヴェートビジネスの7馬身差4着に敗れた。

それから15日後にはリングフィールド競馬場で2歳馬限定ハンデ競走ナーサリーH(T7F)に出走した。本馬程度の実績でも斤量は出走馬中2番目に重い132ポンドであり、ハンデキャッパーは本馬の能力を評価していたようだが、ブックメーカーの評価は低く、単勝オッズ15倍で14頭立て8番人気だった。リチャード・ヒューズ騎手が騎乗する本馬は、133ポンドのトップハンデながら単勝オッズ4.5倍の1番人気に推されていたインアフラッシュをマークするように好位を追走。残り1ハロン地点でインアフラッシュに並びかけて叩き合いに持ち込んだが、短頭差で競り負けて2着に終わった。

ここまで2週間程度ずつの間隔で走ってきた本馬にはようやく1か月の休養が与えられ、次走は10月にソールスベリー競馬場で行われたオータムS(英GⅢ・T8F)となった。このレースには後に凱旋門賞やキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなどGⅠ競走を6勝するディラントーマスの姿もあった。しかしディラントーマスが単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持されたのとは対象的に、フィリップ・ロビンソン騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ151倍で12頭立ての12番人気。レースは後方から追い込んだ単勝オッズ21倍の伏兵ブリッツクリーグが、先行したディラントーマスを首差捕らえて勝利したが、本馬も先行してよく粘り、ディラントーマスから1馬身半差の4着と健闘した。

それから14日後にはニューベリー競馬場でホーリスヒルS(英GⅢ・T7F)に出走。引き続きロビンソン騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ17倍で13頭立ての9番人気と、少し評価を上げていた。しかし好走したと言える前走とはまるで異なるレース内容で、最初から最後まで後方のまま何の見せ場も無く、ハリケーンキャットの13馬身半差11着と大敗した。

その後は一間隔を空けて、11月下旬にリングフィールド競馬場で行われたオールウェザー10ハロンの未勝利ステークスに出走した。リングフィールド競馬場は英国で初めてオールウェザーを導入した競馬場だった。キャリア1戦で2着1回のブルマーケットという馬が単勝オッズ3倍の1番人気、初出走のスノコルミーボーイという馬が単勝オッズ4倍の2番人気で、ヒューズ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ5倍で13頭立ての3番人気だった。レースでは先行して残り1ハロン地点で悠々と抜け出し、2着ブルマーケットに1馬身1/4差をつけて快勝。デビュー8戦目にしてようやく未勝利を脱出し、2歳戦を終えた。

競走生活(3・4歳時)

芝とダートの中間とも言えるオールウェザーで初勝利を挙げたのが影響したかどうかは不明だが、3歳時はダートコースを求めてドバイに遠征。1月にナドアルシバ競馬場で行われたシャドウウェルファームトロフィー(D1400m)に出走した。英国ブックメーカーのオッズでは単勝12倍で16頭立て8番人気の評価だった。ムーア騎手が手綱を取る本馬は直線に入ってすぐに先頭に立つと、残り300m地点から後続を引き離し、2着テスティモニーに3馬身半差をつけて完勝した。

そしてそのままUAE2000ギニー(首GⅢ・D1600m)へと駒を進めた。このレースには亜国のGⅠ競走ポージャデポトリジョス大賞を勝っていた5戦無敗のゴールドフォーセールも出走していたのだが、引き続きムーア騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ3.5倍で15頭立ての1番人気と、デビューから初めて本命馬となった。しかし肝心のレースでは中団追走から直線で全く伸びず、勝ったゴールドフォーセールから16馬身差の9着と惨敗してしまった。

続いてUAEダービー(首GⅡ・D1800m)に出走したが、前走の内容に加えて、対戦相手のレベルが上がった事からすっかり評価を落としてしまい、単勝オッズ34倍で13頭立ての7番人気となった。主な対戦相手は、ゴールドフォーセール、チリのGⅠ競走タンテオデポトリジョス賞勝ちなど9戦7勝のシンパティコブリボン、地元ドバイのゴドルフィンが送り出してきた2戦2勝のディスクリートキャット、ウルグアイ三冠馬にして後のBCクラシック・ドバイワールドC勝ち馬インヴァソール、日本から参戦したヒヤシンスS勝ち馬フラムドパシオンなどだった。今回も騎乗したムーア騎手は本馬を後方に陣取らせて直線の末脚に賭けたが、全くの追い込み不発に終わり、勝ったディスクリートキャットから26馬身差の11着と惨敗した。

それからしばらくして膝の剥離骨折を発症したため米国に戻って骨片摘出手術を受けた。手術自体は成功したものの、それから数日後に今度は骨盤(股関節)を骨折してしまった。膝の剥離骨折とは訳が違い、競走生命どころか本馬自身の生命にとっても致命的な故障だった。

しかしウインスターファームの共同所有者だったキャスナー氏は本馬を安楽死させる事に抵抗を感じた。キャスナー氏は2002年10月12日にインドネシアのバリ島で発生した爆弾テロ(外国人観光客を含む202名が犠牲となった)で愛娘のカリ嬢を失っていた。本馬が産まれた2003年4月4日はカリ嬢が24歳の誕生日を迎えるはずだった日であり、キャスナー氏にとって本馬は思い入れがある馬だったのである。

キャスナー氏は手を尽くして本馬の救命に奔走し、それが功を奏して本馬は一命を取り留めた。キャスナー氏は本馬をそのまま米国に留まらせる事にして、ブリテン厩舎から米国カリフォルニア州を本拠地とするイーオイン・G・ハーティー厩舎に転厩させた。また、本馬が暴れて再び故障する危険性を小さくするために去勢手術も施させ、本馬は騙馬となった。

本馬を管理する事になったハーティー師は1969年の英グランドナショナルをハイランドウェディングで制したエディ・ハーティー騎手の息子として愛国ダブリンで生を受け、既にドバイのシェイク・モハメド殿下から米国における担当調教師の1人として指名されていた期待の調教師だった。

本馬が競走馬として復帰したのは前走UAEダービーから1年半以上が経過した後の事であり、4歳10月にサンタアニタパーク競馬場で行われたオールウェザー6.5ハロンの一般競走が復帰初戦となった。当時のカリフォルニア州は州競馬委員会の命令により全ての競馬場でダートコースがオールウェザーへと転換されており、初勝利をオールウェザーで挙げた本馬の移籍先がカリフォルニア州となった理由の1つとなっていたと推察される。主戦として今後の本馬の全レースに騎乗する事になるアーロン・グライダー騎手騎乗の本馬は単勝オッズ21.9倍で9頭立ての7番人気と、殆ど評価されていなかった。しかも去勢効果はまだ十分に出ていなかったらしく、スタートで出遅れて後方からの競馬となってしまい、徐々に位置取りを上げて5番手で直線に入るも、前との差は殆ど詰められず、単勝オッズ2.1倍の1番人気に応えて勝ったシルヴァーステトスンマンから3馬身半差の4着に敗れた。

次走は11月にハリウッドパーク競馬場で行われたオールウェザー9ハロンの一般競走となった。サンフェリペS2着馬で後のサンフェルナンドS勝ち馬エアコマンダーが単勝オッズ2.4倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ3.7倍の2番人気となった。今回はスタートで出遅れなかった本馬は、そのまま初めての逃げ戦法に出た。エアコマンダーが1馬身ほど後方の2番手を追いかけてきたが、四角に入るとエアコマンダーより先に仕掛けて一気に後続との差を広げた。そしてそのまま直線を独走し、2着ロケットレッグスに4馬身1/4差をつけて圧勝した。勝ちタイム1分47秒88はコースレコードだった。

競走生活(5歳時)

4歳時はこの2戦のみで終え、5歳時は1月のサンパスカルH(米GⅡ・AW8.5F)から始動した。ネイティヴダイヴァーHを勝ってきたヒートシーカー、サンアントニオH・マーヴィンルロイH勝ち馬モレンガオ、スワップスBCS・ストラブS勝ち馬アーソンスカッドといった有力馬が参戦してきたが、本馬が単勝オッズ3.8倍の1番人気に支持された。スタートが切られるとやはり本馬は逃げ戦法を選択。前走は後続を引き付けながらの逃げだったが、今回は後続に2~3馬身ほどの差をつける単騎逃げを打った。そのまま先頭で直線に入ってきたが、ここで単勝オッズ14.3倍の最低人気馬ザッパに並びかけられ、ゴール前で競り負けて1馬身差の2着に敗れた。

続いて翌月のサンアントニオH(米GⅡ・AW9F)に出走。対戦相手はザッパ、前走で本馬から3/4馬身差3着だったヒートシーカー、それに前年のBCクラシックでカーリンの3着と健闘していたサンフェルナンドS勝ち馬オーサムジェム、パシフィッククラシックS・ホーソーン金杯Hの勝ち馬ステューデントカウンシル、イリノイダービー勝ち馬スウィートノーザンセイントなどであり、前走よりレベルはワンランク上がっていた。オーサムジェムが単勝オッズ3.3倍の1番人気に支持される一方で、本馬は単勝オッズ15.1倍で9頭立ての6番人気であり、ザッパ(単勝オッズ5.6倍の3番人気)やヒートシーカー(単勝オッズ6.3倍の4番人気)より評価が低かった。

スタートが切られると本馬が即座に先頭に立ち、2番手のスウィートノーザンセイントやザッパに1~2馬身ほどの差をつけて逃げ続けた。三角手前からスパートして後続との差を広げにかかり、直線入り口では4馬身ほどの差をつけた。しかしさすがに徐々に脚色が衰え、道中は好位を追走していたヒートシーカーがどんどん差を縮めてきた。それでも最後まで耐え切り、2着ヒートシーカーに頭差、3着オーサムジェムにさらに1馬身半差をつけて勝利した。

次走はサンタアニタHという選択肢もあったが、陣営はドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)を選択(本馬不在のサンタアニタHはヒートシーカーが勝利した)。本馬は2年ぶりにドバイの地を踏むことになった。

対戦相手の筆頭格は前年のプリークネスS・ジョッキークラブ金杯・BCクラシックなどを制してエクリプス賞年度代表馬に選ばれたカーリンであり、他にも、マクトゥームチャレンジR3を勝ってきたジャジル、前年のUAE2000ギニー・UAEダービーを勝っていたアジアティックボーイ、ウッドワードS・クラークHの勝ち馬で、前年のドバイワールドCで2着していたプレミアムタップ、クラークH・スキップアウェイHの勝ち馬エーピーアロー、マクトゥームチャレンジR1・マクトゥームチャレンジR3で2着してきたブラジル出身馬グロリアデカンペオン、マクトゥームチャレンジR2の勝ち馬ラッキーファインド、ブリーダーズフューチュリティ・ロバートBルイスS勝ち馬グレートハンター、川崎記念・JBCクラシック・ジャパンCダート・東京大賞典・フェブラリーSなどを勝っていた日本調教馬ヴァーミリアンなどが参戦してきた。カーリンが単勝オッズ1.36倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ67倍で12頭立ての9番人気という低評価だった。

スタートが切られると本馬はやはり即座に先頭に立ち、アジアティックボーイやカーリンを引き連れて逃げ続けた。そのままの体勢で直線に入ってきたのだが、残り400m地点でカーリンが外側から本馬を抜き去り、そのまま差を広げていった。本馬はアジアティックボーイと叩き合いながらカーリンを追撃したのだが、その差は一向に縮まらなかった。結局アジアティックボーイにも首差競り負けた本馬は、勝ったカーリンから8馬身差をつけられた3着に敗れた。

帰国した本馬には3か月間の休養が与えられ、7月のサンディエゴH(米GⅡ・AW8.5F)で復帰した。コモンウェルスS・アクアクHを連勝してきたリベリオン、スワップスBCS・サンカルロスH2回・ポトレログランデBCH・マーヴィンルロイH2回とGⅡ競走6勝馬でトリプルベンド招待H2着のサーフキャットの2頭が強敵だったが、117ポンドの本馬が単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、119ポンドのリベリオンが単勝オッズ3.8倍の2番人気、120ポンドのサーフキャットが単勝オッズ5倍の3番人気となった。スタートが切られると例によって本馬が先頭に立ち、後続馬の圧力を受けながらも逃げ続けた。四角で加速して先頭で直線に入った本馬に迫ってきたのは、3~4番手の好位を追走していたサーフキャットだった。しかし本馬の脚色には余裕があり、サーフキャットに影を踏ませることは無く、1馬身1/4差をつけて勝利した。

次走は5週間後のパシフィッククラシックS(米GⅠ・AW10F)となった。サンタアニタH・ハリウッド金杯で2着してきたサンシャインミリオンズクラシックの勝ち馬ゴービトウィーン、サンアントニオHでは本馬の5着に敗れたが、その後にピムリコスペシャルHでGⅠ競走2勝目を挙げていたステューデントカウンシル、オーサムジェム、ハリウッド金杯を勝ってきたマストトラック、サンアントニオHで7着だったザッパ、サーフキャットなどが対戦相手となった。ゴービトウィーンが単勝オッズ3.8倍の1番人気、2連覇を狙うステューデントカウンシルが単勝オッズ4.8倍の2番人気、オーサムジェムが単勝オッズ5.1倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ8.9倍の4番人気に留まった。スタートが切られると単勝オッズ44.5倍の最低人気馬バルコラが先頭に立ち、サーフキャットが2番手、ハナを奪えなかった本馬は3番手の好位につけた。三角で本馬が前2頭をかわして先頭に立ち、そのまま直線へと入ってきた。しかし道中は後方を走っていたゴービトウィーンがゴール前で襲い掛かってきて、首差かわされた本馬は2着に惜敗した。

次走は9月のグッドウッドS(米GⅠ・AW9F)となった。サンタアニタダービー・スワップスBCS・グッドウッドS・オークローンHの勝ち馬ティアゴ、前走のアーリントンミリオンを勝ってきたスピリットワン、スワップスBCS2着馬アルバータスマキシマス、前走で本馬から2馬身1/4差の3着だったマストトラック、同4着だったザッパ、同6着だったサーフキャットなどが対戦相手となった。今回は本馬が単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、ティアゴが単勝オッズ5.8倍の2番人気、スピリットワンが単勝オッズ5.9倍の3番人気と続いた。

スタートが切られると単勝オッズ45.1倍の最低人気馬インフォームドとマストトラックの2頭が先頭に立ち、今回もハナを奪えなかった本馬は3~4番手の好位につけた。そのまま3番手で直線に入ると、すぐに前2頭をかわして先頭に立ち、押し切りを図った。後方からは直線入り口でも最後方だったティアゴが猛然と追い上げてきたが、本馬がその追撃を1馬身差で封じて勝ち、GⅠ競走初勝利を挙げた。

その後はサンタアニタパーク競馬場で施行された米国競馬の祭典ブリーダーズカップに参戦。出走したのはBCクラシックではなく、創設2年目のためグレード格付けがされていなかったBCダートマイル(AW8F)だった(オールウェザーで実施されたにも関わらず名称はダートマイルである)。主な対戦相手は、ワシントンパークH・パットオブライエンHの勝ち馬ルイスマイケル、前走3着のアルバータスマキシマス、同4着のサーフキャット、同8着のマストトラック、サンディエゴHで5着だったリベリオン、ルイジアナダービーなどの勝ち馬でBCジュヴェナイル2着のパイロなどだった。本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、ルイスマイケルが単勝オッズ6.7倍の2番人気、アルバータスマキシマスが単勝オッズ7.3倍の3番人気、パイロが単勝オッズ12.1倍の4番人気となった。しかしマイル戦は本馬にとって距離が少々不足していたようである。スタート直後の激しい先陣争いに完全に後れを取ってしまい、道中は6番手を走る羽目になった。そして最後まで何の見せ場も作れないまま、勝ったアルバータスマキシマスから10馬身差の9着と大敗してしまった。

これがこの年最後のレースとなったが、それでも5歳時はグレード競走3勝を挙げるなど飛躍の年となり、この年の成績は7戦3勝だった。

競走生活(6歳時)

6歳時は前年と同じくサンパスカルH(米GⅡ・AW8.5F)から始動した。トロピカルパークダービー勝ち馬でブルーグラスS・ハリウッドダービーで2着のカウボーイキャル、前年のウッドワードSで最低人気ながらカーリンの2着と健闘したパストザポイント、前年のサンディエゴH・パシフィッククラシックS・グッドウッドSの3戦で本馬と戦ったがサンディエゴHの3着が最高だったモスタコリーモート、サンタアニタH2着馬マグナムなどが対戦相手となった。121ポンドの本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気、117ポンドのカウボーイキャルが単勝オッズ3.8倍の2番人気となった。スタートが切られるとカウボーイキャルが先頭に立ち、最近は好位に控える競馬が増えていた本馬は今回も4番手の好位につけた。そして四角で仕掛けていったんはカウボーイキャルの直後まで迫ったのだが、ここから伸びを欠き、インフォームドとマグナムという軽量の人気薄馬2頭に差されて、カウボーイキャルの2馬身差4着に敗れた。

次走のサンアントニオH(米GⅡ・AW9F)では、グッドウッドS2着後に出走したBCクラシックでレイヴンズパスの3着と好走したティアゴ、ノーザンダンサーターフS・ハリウッドターフカップS・サンマルコスSなどを勝っていたシャンゼリゼの2頭が強敵だった。119ポンドのティアゴが単勝オッズ3.1倍の1番人気、同じく119ポンドの本馬が単勝オッズ3.2倍の2番人気、120ポンドのシャンゼリゼが単勝オッズ4.2倍の3番人気となった。スタートが切られると本馬がすぐに先頭に立ち、久々の逃げ戦法に出た。道中では後続馬に最大5馬身ほどの差を付ける大逃げを打ったが、最初の2ハロン通過は25秒26であり、ペースはかなり遅かった。これなら貰ったのも同然のはずだったが、単独2番手を走っていた単勝オッズ17.9倍の伏兵マグナム(前走サンパスカルHでは本馬に先着する3着だった)が直線で本馬に襲い掛かってきた。そして並ばれると、5ポンドのハンデ差が響いたのか本馬は踏ん張りきれず、マグナムの1馬身差2着に敗れた。

近走不振の本馬だったが、それでも三度ドバイに渡り、ドバイワールドC(首GⅠ・D2000m)に挑戦した。対戦相手は、前哨戦のマクトゥームチャレンジR3を快勝してきた前年の2着馬アジアティックボーイ、年明け初戦のドンHを勝ってきたアルバータスマキシマス、フェブラリーSで2着してきた日本調教馬カジノドライヴ、前哨戦のマクトゥームチャレンジR1・マクトゥームチャレンジR2を連勝してきたマイインディ、地元ドバイのGⅢ競走バージナハールなど3連勝中のスナーフィ、前年のドバイワールドCでは8着に終わっていたグロリアデカンペオン、マクトゥームチャレンジR2・マクトゥームチャレンジR3と連続2着してきたハッピーボーイなど13頭だった。アジアティックボーイが単勝オッズ3倍の1番人気、アルバータスマキシマスが単勝オッズ4.5倍の2番人気、カジノドライヴが単勝オッズ5倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ11倍でマイインディと並ぶ4番人気だった。

スタートが切られると、何が何でも逃げる覚悟を決めていたらしいグライダー騎手騎乗の本馬が即座に先頭に立ち、そのままマイインディなどを引き連れて逃げ続けた。カジノドライヴやアルバータスマキシマスは馬群の中団につけ、アジアティックボーイはスタートで出遅れて後方からの競馬となっていた。本馬と後続集団との差は1馬身程度であり、単騎逃げではなかったが、本馬は終始落ち着いて走っていた。そのままの体勢で直線に入ると、三角から少しずつ加速していた本馬がぐんぐん後続との差を広げていった。直線入り口では2馬身ほどの差だったが、残り400m地点では5馬身ほど、残り200m地点では10馬身ほどの差をつけた。あまりにも差が開いたために後続馬は映像に全く映らなくなりその様子はさっぱり分からない状態だったが、中団につけていたグロリアデカンペオンが2番手に上がっていた。しかし全く別次元のレースをした本馬が2着グロリアデカンペオンに14馬身差という同競走史上最大着差(それまでの最大は前年にカーリンが記録した7馬身3/4差)をつけて大圧勝。騸馬として史上初めてのドバイワールドC覇者となった。ゴールの瞬間にグライダー騎手は本馬の頭を軽く撫でてその走りを労った。

なお、長年ドバイワールドCが行われていたナドアルシバ競馬場はこのレースを最後に閉鎖されたため、本馬はナドアルシバ競馬場で勝利した最後の馬となった。この年は出走馬のレベルがそれほど高くなかった事は否めない(ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングが本馬に与えた評価はたったの124ポンド。前年の勝ち馬カーリンは130ポンドだった)が、それでも2着グロリアデカンペオンは次走のシンガポール航空国際Cを勝ち、さらに翌年のドバイワールドCをも制覇する事になるのだから、このドバイワールドCにおける本馬の強さが神懸っていた事は間違いない。

帰国した本馬には前年と同じく休養が与えられ、前年と同じくサンディエゴH(米GⅡ・D8.5F)で復帰した。BCダートマイルで5着だったマストトラック、マグナム、サンパスカルHで本馬に先着する2着だった後にカリフォルニアンSを勝っていたインフォームドといった既対戦馬が主な相手だった。ドバイワールドCの圧倒的な走りを評価された本馬が他馬勢より7~10ポンド重い123ポンドのトップハンデながらも単勝オッズ1.7倍の圧倒的1番人気に支持された。しかしレースはマストトラックにハナを奪われ、3番手を走る苦しい展開。そして三角から四角にかけて徐々に後退していき、好位から抜け出して勝ったインフォームドから11馬身半差の8着最下位に沈んだ。

レース後に左前脚の剥離骨折が判明して手術を受けたため、その後はレースに出る事はなく、6歳時は4戦1勝で終えた。

休養はかなり長引き、調教に復帰したのは1年以上経過した後の事だった。ところが8歳1月の調教中に故障が再発したため、結局サンディエゴHの後は1度もレースに出る事なく、8歳2月に現役引退が発表された。

獲得賞金総額は517万9803ドルで、騙馬としてはジョンヘンリー(659万7947ドル)、ラヴァマン(526万8706ドル)に次ぐ米国調教馬史上第3位となった。現在は、ワイズダン(755万2920ドル)とゲームオンデュード(649万8893ドル)の2頭に抜かれて第5位となっている。

血統

Tiznow Cee's Tizzy Relaunch In Reality Intentionally
My Dear Girl
Foggy Note The Axe
Silver Song
ティズリー Lyphard Northern Dancer
Goofed
Tizna Trevieres
Noris
Cee's Song Seattle Song Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Incantation Prince Blessed
Magic Spell
Lonely Dancer ナイスダンサー Northern Dancer
Nice Princess
Sleep Lonely Pia Star
Sulenan
Well Dressed Notebook Well Decorated Raja Baba Bold Ruler
Missy Baba
Paris Breeze Majestic Prince
Tudor Jet
Mobcap Tom Rolfe Ribot
Pocahontas
Cap and Bells Tom Fool
Ghazni
Trithenia Gold Meridian Seattle Slew Bold Reasoning
My Charmer
Queen Louie Crimson Satan
Reagent
Tri Argo Tri Jet Jester
Haze
Hail Proudly Francis S.
Spanglet

ティズナウは当馬の項を参照。

母ウェルドレスドは現役成績8戦3勝、リステッド競走アメリカンホーリーSを勝っている。本馬の半弟にはウィッティ(父ディストーテッドユーモア)【レイルバードS(米GⅢ)】がいる。ウェルドレスドの母トリテニアは現役成績9戦未勝利と振るわなかったが、トリテニアの1歳年上の全姉ティーケイ【マーサワシントンH(米GⅢ)】の子には2年連続で中央競馬年度代表馬に選ばれたシンボリクリスエス【天皇賞秋(GⅠ)2回・有馬記念(GⅠ)2回・青葉賞(GⅡ)・神戸新聞杯(GⅡ)】がいる。つまり本馬はシンボリクリスエスの従姉妹の子という事になる。もっとも、本馬やシンボリクリスエスは別格であり、それほど多くの活躍馬が出ている優秀な牝系ではない。→牝系:F8号族③

母父ノートブックは、ケンタッキージョッキークラブS(米GⅡ)・ベストターンS(米GⅢ)勝ちなど現役成績21戦8勝。種牡馬としては、デラウェアタウンシップ【フォアゴーH(米GⅠ)・フランクJドフランシス記念ダッシュS(米GⅠ)】、スポークンファー【マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、スリーリング【エイコーンS(米GⅠ)】、ブックレット【ファウンテンオブユースS(米GⅠ)】などを出して活躍した。ノートブックの父ウェルデコレイテッドはアーリントンワシントンフューテュリティ(米GⅠ)の勝ち馬で、その父はボールドルーラーの後継種牡馬の1頭ラジャババである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、現在もキャスナー氏がテキサス州に所有する牧場で余生を送っている。。

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