ネレイーデ

和名:ネレイーデ

英名:Nereide

1933年生

鹿毛

父:ラランド

母:ネレディグビオ

母父:グランドパレード

独ダービーを驚異的なレコードタイムで勝ち、後の凱旋門賞2勝馬コリーダにも土を付けた独国の伝説的な無敗の名牝

競走成績:2・3歳時に独で走り通算成績10戦10勝

日本における戦前・戦中の伝説的名牝と言えば、何と言ってもクリフジである。東京優駿・優駿牝馬・菊花賞(京都農商省賞典四歳呼馬)など11戦全勝の成績を誇り、現在でも日本競馬史上最強牝馬又は日本競馬史上最強馬と言われることがある。日本以外の国にもクリフジに類する伝説的名牝は存在するが、独国においては本馬、ネレイーデがそれに相当するだろう。やはりクラシック競走で3勝を挙げ、生涯無敗の戦績を誇った。後続馬につけた着差ではクリフジに劣るが、時代が違いすぎて今日の馬と単純に比較するのが躊躇われるクリフジと異なり、本馬の場合は走破タイムも今日の馬と比べて遜色ない。また、他国の最強馬との対決でも勝利しているから、内容的にはクリフジとどちらが上とは断言できないだろう。

誕生からデビュー前まで

独国の名門牧場エルレンホフ牧場の生産・所有馬で、エルレンホフ牧場の専属調教師アードリアン・フォン・ボルケ師に預けられ、主戦はエルンスト・グラブシュ騎手が務めた。それほど見栄えがする馬ではなく、痩せてひょろりとした馬だったという。しかしいざレースに出ると素晴らしいスピードと闘争心を発揮した。

競走生活(2歳時)

2歳6月にホッペガルテン競馬場で行われたシュトゥッテンフェルスフスレネン(T1000m)でデビュー。このレースでは競走生活を通じて最も高い単勝オッズ3.7倍という評価だった。スタートから先頭に立つと、2着キシロホンに5馬身差をつける完勝でデビュー戦を飾った。

翌月に同コースで出走したリステッド競走格のジールシュトルプフレネン(T1000m)では、独国の歴史的名馬オレアンダーと独1000ギニー馬アウスナーメの間に生まれた良血牝馬アレクサンドラや、同世代の有力牡馬ヴァーンフリートとの対戦となった。しかし単勝オッズ2.5倍の評価を受けた本馬が、ここでもスタートから先手を奪っってそのまま逃げ切り、2着アレクサンドラに6馬身差をつけて圧勝した。勝ちタイム59秒6は、独国競馬2歳戦史上初めて1分を切る好タイムだった。

翌8月にはバーデンバーデン競馬場で、今日で言うとGⅢ競走に相当するツークンフツレネン(T1200m)に出走。ここでは単勝オッズ1.2倍という断然の1番人気に支持されると、2着アレクサンドラに3馬身半差をつけて楽勝した。

9月にはホッペガルテン競馬場に戻り、リステッド競走格のオッペンハイムレネン(T1200m)に出走。ヴァーンフリートやペリアンダーといった牡馬勢が対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1倍(元返しなのか、小数点下二桁を四捨五入した結果1倍になっているのかは不明)という究極の1番人気に支持された。そして大方の予想どおり、2着ヴァーンフリートに8馬身差をつけて圧勝した。

2歳最後のレースは10月にホッペガルテン競馬場で行われたラティボルレネン(T1400m)だった。ここでは単勝オッズ1.1倍の1番人気だった。レースではヴァーンフリートが翌年にバーデン大賞や独セントレジャーなどを勝つほどの実力を発揮して本馬に食い下がってきたが、それでも3/4馬身差で勝利した。2歳時の成績は5戦全勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳時は、5月にホッペガルテン競馬場で行われた独1000ギニー(T1600m:正式名称はキサスゾニーレネン)から始動した。ここでもアレクサンドラとの対戦となったが、当然のように本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。スタートから逃げを打った本馬だが、ゴール前で伸びを欠き、2着ウンフェアザークトの追撃を首差で凌ぐという辛勝だった(アレクサンドラはさらに1馬身1/4差の3着だった)。

翌月には同じくホッペガルテン競馬場で行われた独オークス(T2000m:正式名称はディアナ賞)に出走。ここでは、アレクサンドラ、ウンフェアザークト、アーベントシュティムンクなどが本馬に挑んできた。前走で苦戦を強いられたのと距離が伸びたのが影響したようで、本馬の単勝オッズは2.2倍と少し高くなっていた。しかし本馬が2着アレクサンドラに1馬身1/4差をつけて逃げ切り勝利した。

その後は独ダービーが行われるハンブルグ競馬場に移動して、前哨戦のステークス競走ニッケルアイントラヒトレネン(T1800m)に出走した。ここでは独2000ギニー(ヘンケルレネン)を勝ってきたヴァルツァーケーニヒを抑えて単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持された。しかしレースではライヒスフュルストという馬にゴール前で迫られ、なんとか頭差で凌ぐという辛勝だった(ヴァルツァーケーニヒはさらに3馬身差の3着だった)。

陣営はもともと、本馬にはニッケルアイントラヒトレネンだけ出走させて、独ダービーにはウニオンレネン2着馬イドメネウスのみを出走させる予定だったらしいが、結局は本馬も独ダービー(T2400m)に出走させる事になった。対戦相手は、意地でも本馬を負かしたいアレクサンドラ、ウニオンレネンを2馬身半差で快勝してきたペリアンダーなどだった。スタートが切られると、正規のスタート前にフライングを起こして一走りしてしまったペリアンダーが掛かって暴走気味に逃げ、単勝オッズ3.3倍で出走した本馬はそれから5~6馬身ほど離れた2番手を追走。直線に入ってもペリアンダーが意外と粘ったが、本馬が悠々とそれをかわして先頭に立ち、最後は馬なりのまま走り、2着アレクサンドラに4馬身差、3着ペリアンダーにはさらに2馬身差をつけて完勝した。この時の勝ちタイム2分28秒8は、2年前にアタナシウスが樹立した従来の記録2分32秒0を一気に3秒2も縮める驚異的なレースレコードだった。このレコードは、37年後の1973年にアテナゴラスが同タイムを計時したが更新する事は出来ず、1993年に後のジャパンC馬ランドが2分26秒8を計時するまで、なんと57年間も保持されたという素晴らしいものだった。本馬より速いタイムで独ダービーを勝った馬は2015年現在ランドを含めて4頭しかおらず、21世紀になっても、2分28秒8より速い勝ちタイムで独ダービーが決着する事は稀である。

翌7月にはミュンヘンに移動して、ナチスが発祥の地であるミュンヘンに創設した国際競走ダスブラウネバンドフォンドイッチェランド(T2400m)なるレースに出走。ここには前走ベルリン大賞で古馬相手に2着してきたヴァーンフリート、そのベルリン大賞で2連覇を飾った前年の独2000ギニー・独ダービーの勝ち馬シュトゥルムフォーゲルに加えて、モルニ賞・マルセイユ大賞・エドヴィル賞・ハードウィックS・仏共和国大統領賞(現サンクルー大賞)などを勝ち、仏グランクリテリウム・コンセイユミュニシパル賞で2着、凱旋門賞で3着していた4歳牝馬コリーダも隣国仏国から参戦してきて、独仏最強牝馬対決となった。スタートが切られると本馬陣営が用意したペースメーカー役のグラウコスが先頭に立った。単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されていた本馬は2番手につけ、コリーダは中団後方につけた。やがて本馬が先頭に立つと、後方からコリーダも上がってきて、直線ではこの2頭の一騎打ちとなったが、本馬が叩き合いを1馬身差で制して勝利した(コリーダから1馬身半差の3着にヴァーンフリートが入った)。コリーダも全力を出し切ったようで、コリーダに騎乗していたチャールズ・エリオット騎手は「ネレイーデに勝てる牝馬は欧州内には存在しないでしょう」と脱帽した。

本馬はこのレースを最後に、3歳時5戦全勝の成績を残して、生涯無敗のまま競走馬を引退。敗れたコリーダが後に凱旋門賞2連覇を果たしたことにより、本馬は凱旋門賞2勝馬を破った無敗の名牝として独国競馬史上の伝説となっており、本馬を超える存在は19世紀のキンチェムだけであると言われている。独国競馬史上において、2歳戦で大活躍した牝馬は複数存在するが、その大半は3歳時以降に失速してしまっている。しかし本馬は3歳になってもさらなる活躍を示しており、2・3歳時のいずれも大活躍した独国競馬史上唯一の牝馬であるとも評されている。本馬を管理したボルケ師は、ティチノ(独ダービー・ベルリン大賞3連覇・バーデン大賞などに勝利)やオルシニ(独2000ギニー・独ダービーなどに勝利)など7頭の独ダービー馬を手掛けた人物だが、調教師を引退する際に彼は「私の調教師人生における最高の馬はネレイーデだった」と語った。

血統

Laland Fels Hannibal Trachenberg Flibustier
Dirt Cheap
Zama Hermit
Sonsie Queen
Festa St. Simon Galopin
St. Angela
L'Abbesse de Jouarre Trappist
Festive
Ladyland Kendal Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Windermere Macaroni
Miss Agnes
Glare Ayrshire Hampton
Atalanta
Footlight Cremorne
Paraffin
Nella da Gubbio Grand Parade Orby Orme Ormonde
Angelica
Rhoda B. Hanover
Margerine
Grand Geraldine Desmond St. Simon
L'Abbesse de Jouarre
Grand Marnier Friar's Balsam
Galopin Mare
Nera di Bicci Tracery Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Topiary Orme
Plaisanterie
Catnip Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Sibola The Sailor Prince
Saluda

父ラランドは独セントレジャーの勝ち馬。なお、本馬が誕生する前年に、本馬の母ネレディグビオはラランドだけでなく、独ダービー・独セントレジャー馬グラフアイソラニとも交配されており、どちらが本当の父親なのか確定できない状態が続いていたが、血液検査などから、現在は父ラランドで落ち着いているようである。ラランドの直系を遡ると、独2000ギニー・独ダービー・ベルリン大賞の勝ち馬フェルス、独セントレジャー・ベルリン大賞の勝ち馬ハンニバル、独2000ギニー・独ダービーの勝ち馬トラヒェンベルク、ウニオンレネンの勝ち馬フリビュスティエ、英ダービー馬キシュベルや英国クラシック競走3.5勝馬フォーモサの父となったバッカニアへと繋がる。

母ネレディグビオは不出走馬だが、伊国の天才馬産家フェデリコ・テシオ氏の生産馬である。ネレディグビオの母ネラディビッチは、大種牡馬ネアルコの母ノガラの半姉であるから、ネレディグビオはネアルコの従姉妹ということになる。ネレディグビオの半姉にはネロッシア(父ハリーオブヒアフォード)【伊オークス】、半妹にはナノッシア(父ミケランジェロ)【伊1000ギニー】もいるから、牝系としては優れている。

エルレンホフ牧場の当時の牧場主モリッツ・オッペンハイマー氏はテシオ氏の馬産能力を評価し、彼からネレディグビオなど複数の繁殖牝馬を購入したが、ユダヤ人だった彼は本馬が産まれて間もなく、発足直後のゲシュタポに逮捕されて消息不明となった。ネレディグビオを祖とする牝系はその頭文字を取って「Nライン」と呼ばれており、主に独国を中心に繁栄した。本馬の半妹ナノン(父グラフアイソラニ)の孫には独国の名種牡馬となったネカール【独2000ギニー・独ダービー】、ナクソス【独1000ギニー・独オークス】、曾孫にはナジャール【イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、玄孫世代以降には、ネボス【ベルリン大賞(独GⅠ)2回・オイロパ賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、ノヴェレ【独オークス(独GⅠ)】、ナゴヤ【伊オークス(伊GⅠ)】、ナイトペティコート【独オークス(独GⅠ)】、アイランドサンズ【英2000ギニー(英GⅠ)】、ネクストデザート【独ダービー(独GⅠ)】、ネクストジーナ【独オークス(独GⅠ)】、ナイトマジック【伊オークス(伊GⅠ)】、ノヴェリスト【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、ニンフィア【ベルリン大賞(独GⅠ)】、ヌタン【独ダービー(独GⅠ)】などがいる。→牝系:F4号族⑤

母父グランドパレードは1919年の英ダービー馬で、英ダービー・愛ダービーを勝ったオービーの直子。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はエルレンホフ牧場で繁殖入りした。本馬の交配相手には当時の独国における最高の種牡馬のみが選ばれた。5歳時に産んだ牡駒ヌヴォラリ(父オレアンダー)が初子で、3歳時のみ走り、ハンザ賞・フュルステンベルクレネンを勝ち、ウニオンレネンで2着、独ダービーで3着の成績を残した。ヌヴォラリは独国で種牡馬として活躍し、前述の独ダービー馬オルシニの母父ともなっている。8歳時には2番子の牡駒ノルトリヒト(父オレアンダー)を産んだ。ノルトリヒトは独ダービー・墺ダービーに勝ち、母子2代で独ダービー馬になるという快挙を成し遂げた。しかしノルトリヒトは表向きエルレンホフ牧場の所有馬だったが、実はアドルフ・ヒトラーの所有だったと噂されており、ナチスが発行した切手の絵柄に採用されるなど、第二次世界大戦における戦意高揚に利用された一面もあったようである。1945年に独国が敗戦すると、ノルトリヒトは米国軍に接収されて米国に送られ、1968年にルイジアナ州の片田舎で27年の生涯を閉じている。10歳時には、独国軍がコリーダの所有者でもある仏国のマルセル・ブサック氏から強奪してきた名馬ファリスとの間に、3番子の牝駒ネレーファを産んだ。しかしこの出産が非常な難産であり、本馬はネレーファを産んだ4月22日に他界してしまった。やはり米国軍に接収されて米国に送られたネレーファは不出走のまま繁殖入りしたが、産駒は牡馬や騙馬ばかりであり、牝馬が産まれなかったため、本馬の卓越した競走能力を牝系として後世に伝える事は出来なかった。もっとも、ヌヴォラリの孫である前述オルシニの血を引く馬は残っている(例えば名馬スーパークリークの父となったノーアテンションの祖母の父はオルシニである。ちなみにノーアテンションの4代母は本馬の半妹ナノンである)から、本馬の血を引く馬がまったくいないわけではない。

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