ジェベル

和名:ジェベル

英名:Djebel

1937年生

鹿毛

父:トウルビヨン

母:ロイカ

母父:ゲイクルセイダー

父トウルビヨンの最高傑作にして最良後継種牡馬となった英2000ギニー・凱旋門賞優勝馬

競走成績:2~5歳時に仏英で走り通算成績22戦15勝2着5回3着2回

サラブレッド三大始祖の1頭バイアリータークからヘロドを経由する系統を現代に蘇らせた最大の功労馬トウルビヨンの最強産駒にして最良後継種牡馬。

誕生からデビュー前まで

名馬トウルビヨンを育てた仏国の天才馬産家マルセル・ブサック氏は、1936年12月に英国ニューマーケットで行われた繁殖牝馬セールに、トウルビヨンの子を身篭っていた自身の生産・所有馬である当時10歳のロイカという牝馬を出品した。ところが、当時の英国には悪名高いジャージー規則(血統表を遡ると、英国血統書に載っていない、いわゆる不詳血統が入っている馬は、英国内におけるサラブレッドとしての登録を認めないという規則。当時の競馬後進国とされていた米国産馬を締め出すために設けられた。トウルビヨンも不詳血統の血を受け継いでいた)が存在したため、英国の馬産家達から無視されて買い手は付かなかった。そのためブサック氏は仕方なくロイカを自身の牧場に戻した。そして翌年にロイカが産み落としたのが本馬である。筋骨隆々の素晴らしい馬体を駆使して流れるようなフォームで走る馬だったという。仏国アルバート・スワン調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳時にシャンティ競馬場で行われたレースでデビューして、後の英ダービー3着馬ライトハウスの1馬身半差2着となった。次走はロンシャン競馬場で行われたシャトゥ賞(T1000m)となり、ここでは2着フランに3馬身差で勝利を収めた。しかし6月にシャンティ競馬場で出たオマール賞(T1600m)では、ライトハウスの1馬身差2着に敗れた(フランが3着だった)。次走のモルニ賞(T1200m)では、ライトハウス(4着)や後のペネロープ賞の勝ち馬ラフュテには先着したものの、過去に2回戦って2回とも破っていたフランに足元を掬われて、3/4馬身差の2着に敗れた。

その後は渡英して、ミドルパークS(T6F)に出走した。ウッドコートS・ニューS・ジムクラックSの勝ち馬タンミューや、後の英1000ギニー・英オークス馬ゴディバなど19頭が対戦相手となったが、それらを蹴散らして、2着タンミューに2馬身差をつけて勝利した。2歳時の成績は5戦2勝だったが、ミドルパークSの勝利が評価されて、仏国の2歳馬フリーハンデではトップにランクされた。

競走生活(3歳時)

翌年は、仏国で第二次世界大戦の影響が日々大きくなっており、仏国クラシック競走が施行されるのかが不透明だった(実際に仏国の春クラシック競走は中止された)ことから、仏国で3月のラグランジュ賞を叩いて英国クラシック競走に向かうプランが採られた。

まず予定どおりにラグランジュ賞(T2000m)を楽勝。そして出走した英2000ギニー(T8F)では、単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。そしてその期待通りに、ゴール前では鞍上のC・エリオット騎手が追うのを止めるほどの強さを見せ、2着となったナショナルブリーダーズプロデュースSの勝ち馬スターダスト(豪州の大種牡馬スターキングダムの父)に2馬身差、3着タンミューにはさらに頭差をつける完勝を収めた。本馬の強い勝ち方は、ジャージー規則が廃止される一因となるほどだった(ジャージー規則を廃止して英国にもトウルビヨンの血を導入しなければ、今後も仏国調教馬に英国の大競走を次々勝たれる事が予想されたため)。また、ブサック氏にとっても初めての英国クラシック競走制覇となった。

英ダービーでも当然1番人気に推されるはずだった本馬だが、ちょうど英国に第二次世界大戦の戦火が波及。本馬は戦火を避けるために英ダービー出走を取り消し、ほうほうの体で仏国に逃げ帰ることになってしまった。しかしまさにこの時期に独国軍が仏国に侵攻してきた。ブサック氏の牧場にいたファリスなど多くの馬が独国軍に接収されて独国内に連行される事態が起きていたため、本馬は下手に仏国に戻ることも出来ず、英国内でしばらく缶詰め状態となった。なんとか仏国に帰りついたのは4か月後の10月だった。

ちょうど春に開催できなかった仏2000ギニーや仏1000ギニーの合同代替競走として、オートイユ競馬場でエセー賞(T1600m)が行われたため、本馬はこれに出走。そしてパリ大賞を勝っていたマールパスを1馬身差の2着に破って勝利した。続いて仏ダービーの代替競走としてオートイユ競馬場で行われたシャンティ賞(T2600m)にも出走したが、さすがに疲労が出たのか、クィッコの2馬身差3着に終わった。3歳時の成績は4戦3勝だった。

競走生活(4歳時)

その後は半年間の休養を経て、4歳4月に復帰。まずは復帰初戦のボイアール賞(T2000m)を勝利。5月のエドヴィル賞(T2000m)では、クィッコに借りを返して勝利。6月のアルクール賞(T2400m)も勝利した。しかしシーズン後半は不調で、サンクルー大賞(T2500m)では、ジャンプラ賞やカドラン賞を勝ってきたマールパスの1馬身差2着に敗退。次走のシャンティ賞(T2400m)でも、マールパスの1馬身半差2着に敗れた。

凱旋門賞(T2400m)では、モーリスドニュイユ賞・ドーヴィル大賞を勝っていた同厩馬ジョックとのカップリングで1番人気に支持されたが、グレフュール賞・オカール賞・リュパン賞・仏ダービー・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞を無敗で制したルパシャと、ノアイユ賞・リス賞の勝ち馬ネペンスの2頭の3歳馬に屈して、勝ったルパシャから2馬身差の3着に敗れた。4歳時の成績は6戦3勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時はシャルル・ヘンリ・センブラ厩舎に転厩して現役を続行した。この年から導入されたスパルタ調教が功を奏した本馬は一段と強くなり、前年から主戦を務めるようになっていたJ・ドワイヤベール騎手と共に競馬場に姿を現した。

まずは3月のボイアール賞(T2000m)に出走して勝利。翌月のサブロン賞(T2000m・現ガネー賞)も勝利した。さらに同月のアルクール賞(T2400m)も勝利。6月のエドヴィル賞(T2000m)も勝利して4連勝。7月に出走したサンクルー大賞(T2500m)では、前年の凱旋門賞で屈したルパシャが逃げ切りを図るところを頭差捕まえて、2分38秒96のコースレコードで勝利を収め、ルパシャに初めての土をつけた。

次走のシャンティ賞(T2400m)も勝って6連勝とした本馬は、引退レースとして凱旋門賞(T2400m)を選んだ。ルパシャを筆頭に、仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬ヴィジランス、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたティフィナール、リュパン賞の勝ち馬で仏ダービー2着のトルネイド、オカール賞の勝ち馬で仏ダービー3着のハーンザハンター、コンデ賞の勝ち馬マシノールなどが対戦相手となった。ルパシャとマシノールのカップリングが1番人気で、本馬と同厩馬ティフィナールのカップリングが2番人気となった。レースではルパシャが直線でいったん先頭に立ったが、ここで脚を痛めたために後退。そこへ後方から来た本馬がルパシャをかわして悠々と先頭に立ち、2着トルネイドに2馬身差をつけて完勝。この年7戦無敗の完璧な成績で仏最優秀古馬牡馬に選出され、引退レースに花を添えた。

2400m以上の距離でも活躍しているが、その本領はむしろマイル~2000m戦でこそ発揮されたと評されている。馬名はアラビア語で「(北アフリカの)山地」という意味である。

血統

Tourbillon Ksar Bruleur Chouberski Gardefeu
Campanule
Basse Terre Omnium
Bijou
Kizil Kourgan Omnium Upas
Bluette
Kasbah Vigilant
Katia
Durban Durbar Rabelais St. Simon
Satirical
Armenia Meddler
Urania
Banshee Irish Lad Candlemas
Arrowgrass
Frizette Hamburg
Ondulee
Loika Gay Crusader Bayardo Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Galicia Galopin
Isoletta
Gay Laura Beppo Marco
Pitti
Galeottia Galopin
Agave
Coeur a Coeur Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Ballantrae Ayrshire Hampton
Atalanta
Abeyance Touchet
Minnie Hauk

トウルビヨンは当馬の項を参照。

母ロイカの競走馬としての経歴は詳しく分からないが、勝ち星は挙げているようである。繁殖牝馬としては7頭の勝ち上がり馬を産んでおり、本馬以外にも半弟ヒエロクルズ(父アブジェ)【イスパーン賞2回・エドヴィル賞】が活躍している。また、本馬の全弟ジャスクは南アフリカで種牡馬として活躍した。本馬の全妹ノッカの牝系子孫が後世に伸びており、グレンズメロディー【メアズチャンピオンハードル(愛GⅠ)・デビッドニコルソンメアズハードル(英GⅠ)】、日本で走ったトーセンブライト【サラブレッドチャレンジC(GⅢ)・黒船賞(GⅢ)・兵庫ゴールドトロフィー(GⅢ)2回】などが出ている。

ロイカの母コイアコイアの半姉メディアントの孫にはリトルチーフ【トラヴァーズS・ブルックリンH】、牝系子孫にはムーアスタイル【ジュライC(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)2回】などが、コイアコイアの半姉ブランコワールの孫にはエクワポイズ【メトロポリタンH2回・ホイットニーS・サバーバンH・ピムリコフューチュリティ・アーリントンH・ホーソーン金杯H】、曾孫にはシービスケット【ピムリコスペシャル・サンタアニタH・サンフアンカピストラーノ招待H・ブルックリンH・ハリウッド金杯】、玄孫世代以降には、インテンショナリー【ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・ウィザーズS・ジェロームH】、モムズコマンド【エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)】などがいる。また、コイアコイアの半姉グロリアナの娘で日本に繁殖牝馬として輸入されたセヴァインの牝系子孫から、スイープトウショウ【秋華賞(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)】が出ている。→牝系:F5号族③

母父ゲイクルセイダーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ブサック氏の所有するフレネー・ル・ビュファール牧場で種牡馬入りした。そして種牡馬としても大活躍し、初年度産駒がデビューした1946年に仏2歳首位種牡馬になると、1949・56年には仏首位種牡馬に輝いた。産駒のステークスウイナーは36頭で、ステークス勝利数は53だった。1958年7月にフレネー・ル・ビュファール牧場において21歳で他界した。

本馬の産駒は仏国だけでなく英国・豪州・新国・亜国・伯国・日本と世界各国で少なくとも35頭が種牡馬入りして活躍した。しかしお膝元の仏国においては、ブサック氏が本馬や父トウルビヨンの強すぎる近親交配にこだわりすぎた影響があったのか、衰退してしまった。日本においては、後継種牡馬マイバブーの直系から日本競馬史上に名を残す大種牡馬パーソロンが出て、七冠馬シンボリルドルフやメジロマックイーンなどの登場により本馬の直系は一時期大いに繁栄することになったが、それも現在では風前の灯である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1944

Arbar

アスコット金杯・カドラン賞・ジャンプラ賞

1944

Clarion

仏グランクリテリウム・クインシー賞・ロンポワン賞

1944

Djama

エクリプス賞・クロエ賞・モートリー賞

1944

Djelal

リュパン賞・ジャックルマロワ賞・ロシェット賞・リス賞・ダフニ賞・ダイアデムS

1944

Djerba

チェヴァリーパークS

1944

Le Lavandou

アランベール賞

1944

Montenica

仏オークス

1945

Damnos

アランベール賞・クインシー賞・モートリー賞・プティクヴェール賞

1945

Djebe

モーリスドギース賞・ジョンシェール賞・モートリー賞

1945

Djebelilla

ポルトマイヨ賞

1945

Djeddah

エクリプスS・英チャンピオンS・クリテリウムドメゾンラフィット・エドヴィル賞

1945

My Babu

英2000ギニー・ニューS・英シャンペンS・クレイヴンS・サセックスS

1946

Coronation

凱旋門賞・仏1000ギニー・ロベールパパン賞・クイーンメアリーS

1946

Gismonda

エクリプス賞

1946

Marveil

ジャンプラ賞2回

1947

Bunker

ロンポワン賞

1947

Cardanil

アランベール賞

1947

Divinalh

プリンセスロイヤルS

1947

Emperor

ロベールパパン賞・デューハーストS

1947

Galcador

英ダービー・ダフニ賞

1948

Djebellica

愛オークス

1948

Djelfa

仏1000ギニー・アランベール賞

1949

Arbele

イスパーン賞・ジャックルマロワ賞・ペネロープ賞

1949

Argur

エクリプスS・クイーンアンS

1949

Esquilla

リブルスデールS

1949

Hilltop

ホワイトローズS

1950

Pharel

ロベールパパン賞

1951

Cordova

ロベールパパン賞・モルニ賞・ユジェーヌアダム賞・プランスドランジュ賞

1951

Entente Cordiale

ドンカスターC・ジョンポーターS

1952

Hugh Lupus

愛2000ギニー・英チャンピオンS・レイルウェイS・ハードウィックS

1953

Apollonia

モルニ賞・仏グランクリテリウム・仏1000ギニー・仏オークス・グロット賞

1953

Atlas

ドンカスターC・ディーS

1953

Floriados

オカール賞

1953

Janiari

クリテリウムドメゾンラフィット・ヴェルメイユ賞・ペネロープ賞

1957

Dalama

ラクープドメゾンラフィット

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