ビウィッチ

和名:ビウィッチ

英名:Bewitch

1945年生

鹿毛

父:ブルリー

母:ポティーン

母父:ウィルデアー

2歳時から大活躍しながら古馬になっても走り続け同期同厩の米国三冠馬サイテーションと名勝負を展開して北米賞金女王にも輝いた名牝

競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績55戦20勝2着10回3着10回

誕生からデビュー前まで

米国の名門カルメットファームの生産・所有馬だった。本馬と同世代のカルメットファーム産馬には本馬と同じブルリー産駒のサイテーションコールタウンがいて、3頭全てが後に米国競馬の殿堂入りを果たしており、単独の種牡馬の産駒としては米国競馬史上最強世代とも言われている。カルメットファームの専属調教師ベン・ジョーンズ師に委ねられた。

競走生活(2歳時)

2歳4月にキーンランド競馬場で行われたダート4ハロンの未勝利戦でデビュー。主戦となるダグ・ドッゾン騎手を鞍上に、2着ブルーヘレンに6馬身差をつけて逃げ切り圧勝した。1週間後に出た同コースの一般競走では、スタートで出遅れた上に直線で不利を受けたが、それでも2着となった牡馬サーカスクラウンに首差で勝利した。さらに13日後に出走したデビュータントS(D5F)は、5ポンドのハンデを与えた2着ペルトに8馬身差をつけて圧勝した。その後は一間隔を空けてからアーリントンパーク競馬場に向かい、6月のハイドパークS(D5.5F)に出走。牡馬相手の競走だったが、2着ロウジャックに8馬身差をつけて圧勝した。1週間後に出走したポリアンナS(D5.5F)は牝馬限定競走であり、2着カンディコンフォートに5馬身差をつけて、1分04秒0のコースレコードで完勝した。それからちょうど1か月後に出走したアーリントンラッシーS(D6F)も2着ボスウェルレディに2馬身3/4差で制圧。翌8月にワシントンパーク競馬場で出走したプリンセスパットS(D6F)も、2着ボスウェルレディに3馬身差で勝利した。

それから1週間後に出たワシントンパークフューチュリティ(D6F)では、同厩のサイテーションとの対戦となった。しかし直線でドッゾン騎手が抑える余裕ぶりを見せた本馬が、2着サイテーションに1馬身差をつけて勝利した(なお、3着馬フリーアメリカもカルメットファームの所有馬だった)。サイテーションが2歳時に敗れたのはこのレースのみである。なお、このレースに関しては、本馬に黒星をつけさせたくなかったベン・ジョーンズ師が、本馬に勝たせるようにサイテーションの騎手に指示をしていたという意見が根強く、当時から議論の的となっているが、確たる証拠があるわけではない。ゴール前は馬なりだったにも関わらず本馬の勝ちタイム1分10秒4はレースレコードだった事を考慮すると、仮にベン・ジョーンズ師の指示が事実だとしても、本馬の強さを貶めるものではないだろう。

その後はベルモントパーク競馬場に向かい、メイトロンS(D6F)に出走。ここでもトップゴールして9連勝を達成したかと思われたが、4位入線だったゴーストランという馬に対する進路妨害をしたと判定され、失格となってしまった。これに関しては10着最下位降着とする資料もあるが、降着であれば4着になるはずであり、最下位になったという事は降着ではなく失格である。本馬の失格により繰り上がって勝利馬となったのは、スピナウェイS2着馬インヘリタンスだった。この責任が問われたドッゾン騎手は本馬の主戦を降ろされてしまい、以降の本馬にはしばらく色々な騎手が入れ代わり立ち代わり乗るようになる。

2歳時最後の出走となった次走のベルモントフューチュリティS(D6.5F)では、サイテーションと2度目の対戦となったが、ここではサイテーション、ホープフルS・グランドユニオンホテルS2着のワーリングフォックスの2頭に屈して、勝ったサイテーションから3馬身1/4差、2着ワーリングフォックスから首差の3着に敗れた。さらにこのレース後に脚首の故障が判明して休養入りとなった。しかし2歳時は10戦8勝の好成績で、この年の米最優秀2歳牝馬に選出された。2歳シーズン終了前に、ベン・ジョーンズ師から息子のジミー・ジョーンズ師に本馬の管理が受け継がれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にキーンランド競馬場で行われたアッシュランドS(D6F)から始動して、2着シリージィップに鼻差で辛勝した。しかしその直後に脚に骨膜炎が出たために、同世代の牝馬として唯一出走登録していたケンタッキーダービーは回避して休養入りした。

6月にアーリントンパーク競馬場で行われたプリンセスドリーンS(D6F)で復帰したが、ここではホーソーンジュヴェナイルHの勝ち馬ミスマミー、アッシュランドSで2着に破ったシリージィップなど4頭に屈して、勝ったミスマミーから2馬身3/4差の5着に敗れた。しかし古馬相手となった翌7月のモデスティS(D6F)では、2着となった4歳馬トレヴィトに1馬身1/4差で勝利。さらに11日後に出走したクレオパトラH(D8F)も、翌月のテストSを勝つ同世代馬アラブルーを4馬身差の2着に下して勝利した。しかしさらに7日後に出走したディックウェレズS(D8F)では、復帰後1か月足らずで4戦という過密日程も災いしたのか、この年のアーリントンクラシックSの勝ち馬パパレッドバード、ブリーダーズフューチュリティの勝ち馬でケンタッキージョッキークラブS・ルイジアナダービー・アーリントンクラシックS2着のシャイガイの2頭の牡馬に屈して、勝ったパパレッドバードから2馬身1/4差の3着に敗退。

少し間隔を空けて出た8月のアートフルH(D7F)では2着ブルーヘレンに2馬身差で勝利したが、その後に脚部不安が再発して休養入りとなり、3歳時は6戦4勝の成績に留まった。

競走生活(4歳時)

4歳時は、前年に米国三冠馬に輝いた僚馬サイテーションが脚の故障のために全休する中、その代わりに走りまくった。まずは3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走で復帰したが、ブリーダーズフューチュリティ2着馬カララマーブルの半馬身差3着と惜敗。翌月に出たキーンランド競馬場ダート6.5ハロンのハンデ競走も、プラムパーの首差3着と惜敗した。しかし次走のインオーギュラルH(D6F)は、2着となったアーカンソーダービー2着馬エンフォーサーに4馬身半差をつけて圧勝した。その後は一間隔を空けてアーリントンパーク競馬場に向かい、6月のダート6ハロンの一般競走に出走したが、カララマーブルの6馬身差2着に敗れた。なお、このレースで本馬に初めて騎乗したスティーヴ・ブルックス騎手が、この後の本馬の主戦として、多くのレースに乗ることになる。

同月に出た同コースの一般競走では、2歳時のデビュータントSで本馬の3着に敗れていたロリオットの半馬身差2着に敗退。連覇を狙ったモデスティS(D6F)では、プリンセスドリーンSを勝ってきた1歳年下の同馬主同厩馬トゥーリーとの対戦となった。しかし勝ったのはノーストリングスで、トゥーリーは半馬身差の2着、本馬はさらに3馬身差の5着と完敗した。引き続き出走したダート7ハロンのハンデ競走では、ローマンキャンドルの半馬身差2着。アーリントンメイトロンS(D8F)では、前年のデモワゼルSを勝っていた3歳馬リザ(トムフールの父メノウの全妹)の3馬身半差2着に敗退。敗戦続きでアーリントンパーク競馬場を後にした。しかし同じイリノイ州のワシントンパーク競馬場に移動すると少し調子を持ち直した。ミスティアイルH(D7F)では、前月のモデスティSで本馬に先着する3着だったダンディリーを半馬身差の2着に抑えて勝利。次走のビヴァリーH(D8F)では2着ストールに首差の勝利ながら、走破タイム1分34秒4はダート1マイルにおける牝馬の世界レコードタイムだった。

しかしこの激走と休み無く走ってきた反動が出たのか、ニューヨーク州に戻って出走したベルデイムH(D9F)では、レディーズH・デラウェアオークス・エンパイアシティH・ブッシャーHを制して前年の米最優秀3歳牝馬に選ばれていたミスリクエストの2馬身3/4差4着に敗退(正確には5位入線だが、2位入線だったCCAオークス・サバーバンHの勝ち馬で前年の同競走2着のハーモニカが降着となったために繰り上がって4着)。次走のレディーズH(D12F)でも、スカイラヴィルS・セリマS・サンタスサナSの勝ち馬でエイコーンS2着のギャフェリー、ミスリクエスト、モンマスオークス・アラバマSの勝ち馬アディルの鼻差・首差の接戦に加わることが出来ずに、勝ったギャフェリーから1馬身3/4差の4着に敗れた。しかし4歳最後の出走となったガーデンステート競馬場のヴァインランドH(D8.5F)は、ワールズプレイグランドSの勝ち馬でプライオレスS・ピムリコオークス2着のイマコミンを3/4馬身差の2着に、リザを3着に抑えて勝利を収めた。4歳時の成績は13戦4勝ながらも、この年の米最優秀ハンデ牝馬のタイトルを獲得した。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続けたが、成績は下降線を辿っていった。1月にフロリダ州トロピカルパーク競馬場で出走したダート6ハロンの一般競走では、ファイティングファンの1馬身差3着。翌2月に出走したハイアリアパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走では、ファイティングファンを抑えて1位入線するも、進路妨害を取られて2着に降着と、ツキにも見放されていた。続くコロンビアナH(D7F)も、レースレコードで走破したファイティングファンの鼻差2着に敗れた。しかし3月に出走したブラックヘレンH(D9F)では、1分48秒0のレースレコードを計時して、前年の同競走の勝ち馬ローマンキャンドルを7馬身差の2着に切り捨てる圧勝を飾り、鬱憤を晴らした。しかし次走のガルフストリームパーク競馬場ダート9ハロンのハンデ競走で亜国産の牡馬ウィンフォードの首差3着した後、脚部不安が再発して半年間休養となった。

9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走で復帰するが、一昨年のガゼルHを勝っていたスイートドリームの4馬身3/4差4着に敗退。次走のベルモントパーク競馬場ダート8.5ハロンのハンデ競走では、2着ナイトゲームに1馬身差で勝利した。しかし連覇を狙ったヴァインランドH(D8.5F)では、単勝オッズ50倍の伏兵アルマームードノーザンダンサーヘイローの祖母)、リザの2頭に後れを取り、勝ったアルマームードから2馬身半差の3着に敗れた。

そこで陣営は今までの主戦場だった米国東海岸から西海岸に本馬を移動させた。この年から復帰したサイテーションが既に西海岸を主戦場としていた影響もあったと思われる。西海岸初戦のプレミエールH(D7F)では、デルマーフューチュリティの勝ち馬スターフィドル、デルマーフューチュリティ・カリフォルニアブリーダーズチャンピオンS・サンフェリペS・サンタアニタダービー・ケントS・シェリダンHなどを勝っていたユアホストとの大激戦に屈して、勝ったスターフィドルから僅か首差の3着に敗退。ハリウッドパーク競馬場ダート8ハロンのハンデ競走も、ワーラウェイSの勝ち馬クランデロの1馬身1/4差3着に破れた。5歳最終戦のヴァニティH(D9F)では、CCAオークス・プライオレスS・ガゼルH・ベルデイムH・レディーズHなどを勝ちまくっていたこの年の米最優秀3歳牝馬ネクストムーヴ、ケンタッキーオークス・ピムリコオークス・CCAオークスを勝っていた同馬主同厩の前年の米最優秀3歳牝馬ウィストフルという2頭の強豪牝馬との対戦となった。結果はネクストムーヴが勝利を収め、本馬は2馬身1/4差の2着、ウィストフルはさらに1馬身差の3着に終わった。5歳時の本馬はこれが最後のレースで、この年は11戦して僅か2勝という成績しか残せなかった。

本来ならもうこのへんで引退して繁殖入りするのが筋のはずだが、本馬は翌6歳時も現役を続けた。それは、前年に死去したカルメットファームの代表ウィリアム・ライト氏が生前に、本馬を賞金女王にしたいと語っていた(サイテーションは史上初の100万ドルホースにしたいと願っていた)事が理由だった。

競走生活(6歳時)

6歳時も本馬は西海岸に居残り、1月のサンタマルガリータH(D9F)から始動した。このレースには、ウィストフルに加えて、ナショナルスタリオンS・コリーンS・メイトロンS・セリマS・デモワゼルS・ローレンスリアライゼーションSを勝ちガゼルH・アーリントンクラシックS・トラヴァーズSでも2着していた一昨年の米最優秀2歳牝馬ベッドオローゼズが出走してきた。結果はサンタスサナSなどを勝っていたスペシャルタッチが勝利を収め、本馬は1馬身差の2着だったが、3着ベッドオローゼズや6着ウィストフルには先着したし、賞金も稼いだ。次走は米国西海岸最大の牡馬混合戦サンタアニタH(D10F)となった。まだ現役を続けていたサイテーションやコールタウンは不参戦だったためにチャンスかと思われたが、結果はベイメドウズH・サンタカタリナH・サンパスカルHを勝っていたムーンラッシュがネクストムーヴを首差2着に抑えて勝利を収め、本馬はムーンラッシュから11馬身差をつけられた6着に終わった。

その後はベイメドウズ競馬場に向かい、前走から2週間後のセントパトリックスデイH(D8.5F)に出走。ここでは、ウィルソンS・サンカルロスH・サンディエゴHを勝っていたマンヤンクの鼻差2着と好走した。しかし続くサンフランシスコカントリーH(D8.5F)では、ワシントンバースデイHを勝ってきたビーフリートの3馬身差7着に敗れた。ベイメドウズ競馬場ダート8ハロンのハンデ競走でも、後に日本に種牡馬として輸入されるサンタアニタダービー2着馬スターディワンの1馬身差3着と、牡馬相手に苦しい戦いが続いた。5月のハリウッドパーク競馬場ダート7ハロンのハンデ競走では、サンフアンカピストラーノ招待Hを勝ってきたビーフリートを1馬身3/4差の2着に破って久しぶりの勝利を挙げた。次走のアーゴノートH(D8.5F)では、サイテーションと3年7か月ぶりの対戦となった。しかしレースはビーフリートが勝利を収め、サイテーションは3馬身差の2着、スターディワンが3着で、本馬はサイテーションから3/4馬身差の4着と今ひとつだった。次走のイングルウッドH(D8.5F)でも、スターディワン、サンアントニオHの勝ち馬でアメリカンダービー2着のオールブルー、ビーフリートの3頭に後れを取り、スターディワンの4着に敗退。

しかし7月のアメリカンH(D9F)では本馬と同じく不調続きだったサイテーションが勝って13か月ぶりのステークス競走勝ちを収め、本馬もサイテーションの半馬身差の2着に入り(3着はスターディワンだった)、久しぶりに陣営に喜びをもたらした。アメリカンHからたった3日後という過密日程で出走したヴァニティH(D8.5F)では、2着となったハリウッドラッシーSの勝ち馬フリートリングスに3/4馬身差で勝ち、前年3月のブラックヘレンH以来、16か月ぶりのステークス競走勝ちを収めた。それから1週間後に出走したハリウッド金杯(D10F)では、サイテーションと5度目の対戦となった。結果はサイテーションが優勝し、本馬も4馬身離されながらも2着を確保した(3着はビーフリートだった)。ハリウッド金杯が高額賞金競走だったため、サイテーションはこの勝利で世界史上初の100万ドルホースとなり、本馬もこの2着で北米賞金女王となった(最終的な獲得賞金は46万2605ドル)。

サイテーションはこのレースで引退したが、本馬はまだ現役を続けた。しかしサンセットH(D13F)では、勝ったアルダーマンから10馬身差の7着と惨敗。西海岸を離れてワシントンパーク競馬場に移動して出走したクラングH(D7F)も、アーリントンメイトロンHを2連覇していたリザの11馬身差8着と惨敗した。次走のビヴァリーH(D8F)では、メイトロンSの失格により主戦を降ろされていた2歳時の相棒ドッゾン騎手と実に4年ぶりのコンビを組んだ。しかしそれでも本馬の輝きは戻らず、サンタマルガリータH6着後にベンアリH・クラークH・ワーラウェイHを勝っていたウィストフルの5馬身半差5着と完敗した。そしてワシントンパークH(D8F)では、ワーラウェイHの勝ち馬クランデロ、ピムリコフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティ・エヴァーグレイズS・フラミンゴS・エクワポイズSを勝っていた一昨年の米最優秀2歳牡馬オイルキャピトルなどに全く歯が立たず、勝ったクランデロから15馬身差をつけられた16着に敗退。このレースを最後に、6歳時15戦2勝の成績で競走馬引退となった(この年の15戦中12戦が牡馬混合戦だった)。

個人的には、この最後の4戦は全く余計であり、本馬もサイテーションと同じくハリウッド金杯で引退させるべきだったと考える。さらに結果論になるのを承知で言えば、本馬のピークは2歳時であり、賞金女王にしたいがために無理に走らせ続けたのは馬主のエゴであろう。3歳暮れの故障後は満足な成績を残せなかったサイテーションに関しても同様の意見があり、米国シカゴの著名なアナウンサーであるフィル・ジョージフ氏の著書“Citation:In A Class by Himself(別格の競走馬サイテーション)”には、カルメットファームの代表ライト氏のエゴイズムにより、本来であればセクレタリアトを上回るほど偉大な名馬として認められるべきだったサイテーションの功績が貶められたのだと記載されている。筆者がジョージフ氏の著書を見たのは、2012年に本馬の項を一通り書き終えた後であり、考えることはみんな同じなのねと感じたものだった。もっとも、本馬の場合はサイテーションと異なり、古馬になってからの頑張りがあったからこそ、その名前が後世に残っている一面があるのも事実ではある。1955年に米国調教師協会がデラウェアパーク競馬場において実施した、米国競馬史上最も偉大な牝馬はどの馬かを決める調教師間の投票において、本馬は第9位にランクインした(1位はギャロレット)。

血統

Bull Lea Bull Dog Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Plucky Liege Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St. Simon
Comic Song
Rose Leaves Ballot Voter Friar's Balsam
Mavourneen
Cerito Lowland Chief
Merry Dance
Colonial Trenton Musket
Frailty
Thankful Blossom Paradox
The Apple
Potheen Wildair Broomstick Ben Brush Bramble
Roseville
Elf Galliard
Sylvabelle
Verdure Peter Pan Commando
Cinderella
Pastorella Springfield
Griselda
Rosie Ogrady Hamburg Hanover Hindoo
Bourbon Belle
Lady Reel Fellowcraft
Mannie Gray
Cherokee Rose Peter Pan Commando
Cinderella
Royal Rose Royal Hampton
Belle Rose

ブルリーは当馬の項を参照。

母ポティーンは米国で走り9戦1勝の競走成績であり、カルメットファームの代表ライト氏により僅か500ドルで購入された馬だった。しかし繁殖牝馬としてはかなり優秀で、本馬の半姉スィーン(父シックル)【アーリントンラッシーS】、半兄ポットラック(父チャンスプレイ)【アーリントンクラシックS・ジョッキークラブ金杯・ピムリコフューチュリティ・ローレンスリアライゼーションS・ベンアリH2回・2着ケンタッキーダービー】などを産んだ。本馬が2歳時の1947年には、ケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれている。また、本馬の半妹ホイデン(父ブレニム)の牝系子孫からは、アイランドファッション【アラバマS(米GⅠ)・ラブレアS(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)】などが出ている。

ポティーンの母ロジーオグラディは2歳時にファッションS・クローバーSを勝ち、デモワゼルS・サラトガスペシャルSで2着、ベルモントフューチュリティSでも3着して、1917年の米最優秀2歳牝馬に選ばれている。ポティーンの半姉ウェノ(父ウィスクブルーム)の孫には、マンノウォーの直系を後世に繋いだインテント【サンフアンカピストラーノH2回・サンタアニタマチュリティS】、牝系子孫にはクイックミスチーフ【ラフィアンH(米GⅠ)・ジョンAモリスH(米GⅠ)】などがいる。ポティーンの半姉であるエリン(父トランスミュート)【ガゼルH】の子にはボールドアイリッシュマン【ピムリコフューチュリティ】がいる他、エリンの牝系子孫からは、ハイヴォルテージ【CCAオークス・エイコーンS・メイトロンS・セリマS・ブラックアイドスーザンS・ヴァインランドH】、ボールドコマンダー(ケンタッキーダービー馬ダストコマンダーの父)、本邦輸入種牡馬ステューペンダス(東京優駿勝ち馬ラッキールーラの父)【アーリントンH・ホイットニーH】、名種牡馬アイスカペイドラフィアン【スピナウェイS(米GⅠ)・ソロリティS(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、マジェスティックライト【スワップスS(米GⅠ)・モンマス招待H(米GⅠ)・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)】、グリーンフォレスト【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、エピトム【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)】、コロナドズクエスト【ハスケル招待H(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、フサイチペガサス【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、シェアードアカウント【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)】、サジェスティヴボーイ【ラウル&ラウルEチェバリエル大賞(亜GⅠ)・エストレージャス大賞ジュヴェナイル(亜GⅠ)・ドスミルギネアス大賞(亜GⅠ)・亜ジョッキークラブ大賞(亜GⅠ)・フランクEキルローマイルS(米GⅠ)】、オーブ【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)】、ニューイヤーズデイ【BCジュヴェナイル(米GⅠ)】、レヴェランス【ナンソープS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、日本で走ったドリームジャーニー【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、オルフェーヴル【皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)2回・宝塚記念(GⅠ)】と活躍馬が続出している。→牝系:F8号族③

母父ウィルデアーはアルサブの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はカルメットファームで繁殖入りしたが、受胎率がかなり悪く、僅か2頭の産駒しか出せないまま1959年に14歳で他界した。この2頭の子も競走年齢に達する前に若くして他界したため、残念ながら本馬の血を引く馬は存在しない。1977年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第89位。

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