ブラックステアマウンテン

和名:ブラックステアマウンテン

英名:Blackstairmountain

2005年生

鹿毛

父:インペリアルバレエ

母:シックスヒルズ

母父:サブレヒル

英愛の障害競走ナショナルハント所属の競走馬として史上初めて中山グランドジャンプを制覇する

競走成績:4~8歳時に愛英日で走り通算成績30戦11勝2着8回3着1回(うち障害21戦6勝2着6回3着1回)

誕生からデビュー前まで

J・M・マリンズ夫人により生産・所有された愛国産馬である。管理調教師は、かつて欧州障害競走史上最高の名牝ドーンランを手掛けた愛国屈指の名伯楽パディ・ムリンズ師の息子ウィリー・マリンズ師だった。生産者のJ・M・マリンズ夫人は名前からして、パディ・ムリンズ師の妻モーリーン・マリンズ夫人か、ウィリー・マリンズ師の妻ジャッキー・マリンズ夫人のいずれかか、はたまたその両方かと思われるが、筆者の力量不足で正確なところまでは掴めなかった。馬名は愛国にある標高735mのブラックステア山にちなんでいる。

競走生活(08/09シーズン)

英愛の障害競走ナショナルハントには、将来的に障害競走に向かう馬達が距離や重い斤量などに慣れるための平地競走が存在しており、本馬のデビューもそれだった。4歳1月にレパーズタウン競馬場で行われた距離16ハロンの平地競走で、当面の主戦を務めるマリンズ師の息子パトリック・マリンズ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ7.5倍で15頭立て4番人気の評価だった。レースではスタートから先頭に立ったものの、直線に入る前に後続馬に追いつかれて3番手に落ち、直線ではさらに順位を落として、勝った単勝オッズ15倍の7番人気馬トルネードシャイから26馬身差の6着と惨敗した。

次走は翌2月にサーレス競馬場で行われた距離16ハロンの平地競走だった。ここでは単勝オッズ2.75倍で9頭立て1番人気の支持を受けた。今回は逃げずに5番手の好位を追走する作戦を採り、2番手で直線に入ると残り1ハロン半地点で先頭に立った。そしてこの1ハロン半だけで後続馬を10数馬身も引き離し、2着に上がってきた単勝オッズ26倍の最低人気馬ホロレディースに18馬身差をつけて大圧勝した。

次走は翌3月にレパーズタウン競馬場で行われた距離16ハロンの平地競走だった。ここではトップハンデの166ポンドを課せられた影響もあってか、単勝オッズ5倍で15頭立て3番人気の評価だった。レースでは先行して残り1ハロン地点でいったんは先頭に立ったが、3ポンドのハンデを与えた単勝オッズ2倍の1番人気馬ユニヴァーサルトゥルースに差されて、1馬身半差の2着に敗れた。

次走は4月にリムリック競馬場で行われた距離16ハロンの平地競走だった。ここでは斤量160ポンドのユニヴァーサルトゥルースが単勝オッズ2.25倍の1番人気で、163ポンドのトップハンデを課された本馬は単勝オッズ7倍で17頭立ての4番人気だった。レースでは先行するも直線で大失速して、勝ったユニヴァーサルトゥルースから30馬身差の12着と惨敗した。

次走は6月にティぺラリー競馬場で行われた距離14ハロンの平地競走だった。ここでは単勝オッズ2.625倍で15頭立ての1番人気に支持された。レースでは先行して3番手で直線に入ると、残り2ハロン地点で先頭に立ち、その後は延々と後続馬を引き離し続けて、2着となった単勝オッズ13倍の5番人気馬キャントコールイットに16馬身差をつけて圧勝した。

ナショナルハントは秋から翌年の春にかけてが1つのシーズンであり、夏場の開催は基本的に無いのだが、本馬はナショナルハントの主催では無い通常の平地競走に出走を続けた。次走は前走から2週間後にレパーズタウン競馬場で行われた芝14ハロンの未勝利戦となった。ナショナルハントの平地競走を勝っていても、通常の平地競走では未勝利馬として扱われるのがこの一事で理解できる。また、本馬が今回出走した未勝利戦は、ナショナルハントの主催ではないと言っても、趣旨はナショナルハントの平地競走とあまり変わらないらしく、斤量は障害競走のそれと同程度に設定されており、本馬の斤量は154ポンドと、普通の平地ハンデ競走ではあり得ないものだった。トップハンデにも関わらず単勝オッズ4倍で15頭立ての1番人気の評価を受けた。今回は後方待機策を選択し、残り3ハロン地点からのラストスパートに賭けるという走りだった。2番手から抜け出した単勝オッズ15倍の6番人気馬ドライブタイムには1馬身1/4差で届かず2着だったが、ドライブタイムより斤量が7ポンド重かったし、おそらく勝ち負けは二の次で色々な作戦を試すのが目的だったと思われるから、まずは好結果と言えた。

ところで、ここまでの本馬の所有者はJ・M・マリンズ夫人だったが、次走から本馬の所有者はS・リッチ夫人に変わっている。管理調教師に変更はない事から、おそらくマリンズ家族とリッチ夫妻は知人か何かの間柄だと思われるが、その辺の経緯はよく分からなかった。

次走は7月にゴールウェー競馬場で行われた芝12ハロンの未勝利戦だった。ここでは166ポンドのトップハンデだったが、単勝オッズ2.25倍で16頭立ての1番人気に支持された。今回は中団待機策を試み、6番手を進んだ。そして2番手で直線に入ると、残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着となった単勝オッズ3倍の2番人気馬ミスシャパラルに4馬身差をつけて勝利した。2008/09シーズン(便宜上最後の2戦もこれに含める)はこれが最後の出走で、このシーズンの成績は7戦3勝だった。

競走生活(09/10シーズン)

翌09/10シーズンから障害競走に参入。ナショナルハントは、距離が短めで障害の難易度も低いため飛越力よりも平地の脚が要求されるハードル分野と、距離が長めで障害の難易度が高いため正確な飛越力と持久力が要求されるスティープルチェイス分野に大別される。最終的にはチェイスに向かう馬でも最初は障害に慣れる目的でハードルから始める馬が多く、本馬も当初はハードル分野に向かった。なお、障害競走に出走する本馬にはパトリック・マリンズ騎手が騎乗する事は無くなり、ルビー・ウォルシュ騎手とポール・タウンエンド騎手の2人が騎乗する事が多くなる。

まずは1月にパンチェスタウン競馬場で行われた距離16ハロンの障害未勝利戦に出走。ウォルシュ騎手を鞍上に、単勝オッズ3倍で17頭立て2番人気の評価を受けた。レースでは先行して4番手で直線に入ると、最終第9障害飛越と同時に先頭に立ち、2着となった単勝オッズ8倍の3番人気馬リサイタルパブリックに5馬身差をつけて勝利した。

次走は3月の英国障害競走の祭典チェルトナムフェスティバルの一環シュプリームノービスハードル(英GⅠ・17F)となった。ここでは単勝オッズ13倍で18頭立ての4番人気だった。ウォルシュ騎手が手綱を取る本馬は先行したものの、レース終盤に失速。同じく4番人気だった勝ち馬メノラーから14馬身差の10着と大敗した。

次走は4月にフェアリーハウス競馬場で行われたラスバリー&グレンビュースタッズノービスハードル(愛GⅡ・16F)となった。モスコーフライヤーノービスハードル・レッドミルズトライアルハードルとGⅡ競走を2連勝してきたラスカラッドが単勝オッズ2.1倍の1番人気で、ウォルシュ騎手鞍上の本馬は単勝オッズ3.75倍の2番人気だった。レースは逃げたラスカラッドと2~3番手を先行した本馬の一騎打ちとなった。最終障害飛越時には本馬がいったん前に出ていたのだが、最後に差し返され、3/4馬身差の2着に敗れた。

次走は4月にパンチェスタウン競馬場で行われたヘラルドチャンピオンノービスハードル(愛GⅠ・16F)となった。GⅡ競走トップノービスハードルを勝ってきたジェネラルミラーが単勝オッズ3倍の1番人気、タウンエンド騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ6倍の2番人気、シュプリームノービスハードルで5着だったフラットアウトという馬が単勝オッズ7倍の3番人気となった。レースは本馬が相変わらずの先行策、ジェネラルミラーは中団待機策を採った。3番手で直線に入ってきた本馬は最終障害飛越と同時に先頭に立ち、追い上げてきたフラットアウトを2馬身半差の2着に抑えて勝利した。

09/10シーズンはこれが最後のレースで、このシーズンの成績は4戦2勝だった。本馬がこのシーズンに出走したレースは全て、前シーズンまでに障害の同ジャンルで勝ち星を挙げていない馬が出走する、いわば初心者専用競走だった(ノービスとは初心者という意味)。しかし今後は既に障害で実績を挙げている馬達と戦わなければならなくなった。

競走生活(10/11シーズン)

10/11シーズンは、11月にダウンロイヤル競馬場で行われたWKDコアハードル(愛GⅡ・16F)から始動した。対戦相手は、ラスバリー&グレンビュースタッズノービスハードルで本馬を2着に破った後にGⅢ競走スペシャリスツハードルを勝っていたラスカラッドなど5頭だった。ラスカラッドが単勝オッズ2.25倍の1番人気で、ウォルシュ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ5倍の3番人気だった。レースは単勝オッズ51倍の最低人気馬マグナムフォースが逃げて、他馬は挙ってそれを追いかける展開となった。しかし本馬は遅れがちであり、道中で最後尾まで転落。落馬競走中止となったマグナムフォースだけにしか先着することが出来ず、勝った単勝オッズ11倍の4番人気馬ギムリーズロックから31馬身差の5着と惨敗した。

次走は年明け1月にパンチェスタウン競馬場で行われたDRマイレオコナー記念ハードル(20F)となった。対戦相手のレベルは低く、タウンエンド騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。レースでは3番手を追走して最後から2番目の障害で先頭に立った。ところが最終障害で飛越に失敗。落馬は免れたが大きく失速し、ゴール直前で単勝オッズ2.875倍の2番人気馬リックにかわされて、短頭差の2着に敗れた。

次走は3月のチェルトナムフェスティバルの一環ヴィンセントオブライエンカウンティハードル(英GⅢ・17F)となった。有力馬は同じチェルトナムフェスティバルの他の大競走に向かうため、対戦相手のレベルは低かったのだが、タウンエンド騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ17倍で26頭立ての9番人気止まりだった。今回は試みに後方待機策を選択して、直線の末脚に賭けた。しかし今ひとつ伸びきれず、本馬よりさらに後方から追い込んで勝った単勝オッズ11倍の4番人気馬ファイナルアプローチから4馬身差の7着までだった。

次走は4月にフェアリーハウス競馬場で行われたストロベリーハードル(愛GⅡ・20F)となった。前走のGⅡ競走ボインハードルを勝ってきたヴォレーラヴェデットが単勝オッズ2.375倍の1番人気で、ウォルシュ騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ5倍の2番人気となった。レースは上位人気2頭が揃って後方待機策を選択。そしてほぼ同時にスパートして、抜きつ抜かれつの一騎打ちとなった。しかし競り勝ったのは7ポンド斤量が軽いヴォレーラヴェデットで、本馬は斤量差が影響したのか最後に力尽きて1馬身半差の2着に敗れた。

次走は5月にパンチェスタウン競馬場で行われたラボバンクチャンピオンハードル(愛GⅠ・16F)となった。このレースには、ロイヤルボンドノービスハードル・フューチャーチャンピオンノービスハードル・ヘラルドチャンピオンノービスハードル・ラボバンクチャンピオンハードル・ハットンズグレイスハードル・APPフェスティバルハードル・愛チャンピオンハードル・英チャンピオンハードルとGⅠ競走で8勝を挙げ、しかも目下GⅠ競走5戦連続出走5連勝中というハリケーンフライという絶対的な大本命がいた。ハリケーンフライが単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持される一方で、今回はパトリック・マリンズ騎手の弟エメット・マリンズ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ29倍で6頭立ての5番人気だった。そしてレースではスタートからゴールまでずっと最後方のままで、勝ったハリケーンフライから43馬身差の6着最下位と壊滅的大敗を喫した。

10/11シーズンはこれが最後のレースで、このシーズンの成績は5戦未勝利と、ノービスでは通用してもその上のランクでは通用しない事が明確になってしまった。

競走生活(11/12シーズン)

そのためか、翌11/12シーズンはスティープルチェイス分野に転向した。ハードルではノービスではなくなっても、チェイスでは再びノービスから出発できるからである。

まずは12月にクロンメル競馬場で行われたビギナーズチェイス(17F)に出走した。ハードルのノービス競走ではあるが曲がりなりにもGⅠ競走の勝ち馬だけあって、ここでは単勝オッズ1.53倍で15頭立ての1番人気に支持された。そしてウォルシュ騎手を鞍上に先行して4番手で直線に入ると、最後から2番目の障害で少し飛越に失敗しながらも、最終障害で先頭に立ち、2着となった単勝オッズ101倍の最低人気馬マーブルハウスに3馬身差をつけて勝利した。

次走は同月末にレパーズタウン競馬場で行われたレーシングポストノービスチェイス(愛GⅠ・17F)となった。このレースには前走のGⅠ競走ドリンモアノービスチェイスを31馬身差で勝ってきたボグウォリアーという強敵が出走しており、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されていた。タウンエンド騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ5.5倍で9頭立ての2番人気だった。レースはボグウォリアーが先行して、本馬は後方からの競馬となった。快調に飛ばしていたボグウォリアーだったが、第4障害で飛越に失敗して落馬競走中止。大本命がレース序盤で消えた事でいきなり混戦模様となった。その後は単勝オッズ6倍の3番人気馬ノーツデラツールが先頭を引っ張ったが、最終障害手前で2番手まで順位を上げていた本馬が、最終障害飛越と同時に先頭を奪い、2着ノーツデラツールに2馬身1/4差をつけて勝利を収めた。

次走は翌月1月にレパーズタウン競馬場で行われたアークルノービスチェイス(愛GⅠ・17F)となった。ここではフレメンスターという馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持されており、ウォルシュ騎手が騎乗する本馬とノーツデラツールが並んで単勝オッズ3.5倍の2番人気となった。レースはノーツデラツールやフレメンスターが先行して、本馬は後方からという、前走と似たような展開となった。しかし前走と異なり本馬はいつまで経っても後方のままだった。レースはフレメンスターが2着ノーツデラツールに19馬身差をつけて大圧勝し、本馬は前走で破ったノーツデラツールからさらに10馬身差の5着と大敗した。

次走はチェルトナムフェスティバルのアークルチャレンジトロフィー(英GⅠ・16F)となった。対戦相手は、ウィリアムヒルノービスチェイス・ベットフェアスーパーサタデーチェイスとGⅡ競走を2連勝してきたスプリンターサクレ、GⅠ競走シュプリームノービスハードル・ヘンリーⅧ世ノービスチェイス・GⅡ競走ウインターバンパー・インディペンデント紙ノービスチェイスの勝ち馬アルフェロフ、GⅡ競走チェルトナムコレクションシャープノービスハードルの勝ち馬キューカード、本馬が10着と大敗したシュプリームノービスハードルを勝った後にGⅡ競走スタンジェームス国際ハードル・GⅢ競走グレートウッドハードルを勝っていたメノラーなどだった。スプリンターサクレが単勝オッズ1.73倍の1番人気、アルフェロフが単勝オッズ4倍の2番人気となる一方で、タウンエンド騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ21倍で6頭立て5番人気だった。そして結果はやはり後方のまま何の見せ場も無く、勝ったスプリンターサクレから36馬身差の5着と完敗。スプリンターサクレは近代短距離チェイス界における最強馬として君臨する事になる馬であり、相手は確かに強かったが、それでもノービス競走でこの着差では、先が思いやられる状態だった。

次走は翌4月にパンチェスタウン競馬場で行われたパンチェスタウンノービスチェイス(愛GⅠ・16F)だった。対戦相手は、GⅠ競走フューチャーチャンピオンノービスハードル・ネプチューンインヴェストメントマネージメントノービスハードル・GⅢ競走ライクアバタフライノービスチェイス・ヨーロピアンブリーダーズファンドノービスチェイスの勝ち馬ファーストルーテナント、アークルチャレンジトロフィー3着後にGⅠ競走ベットフレッドマニフェストノービスチェイスを勝ってきたメノラー、本馬が勝利した前年のレーシングポストノービスチェイスで4着だったGⅢ競走バックハウスノービスチェイスの勝ち馬ラッキーウィリアムなどだった。前走に比べると対戦相手のレベルは一枚落ちであり、ウォルシュ騎手が騎乗する本馬は7頭立ての5番人気ながらも単勝オッズは9倍だった。レースは単勝オッズ3.25倍の1番人気馬ファーストルーテナントを筆頭に有力馬勢は先行したが、本馬は相変わらずの後方待機策だった。そして4番手で直線に入ると、ここから末脚を伸ばし、最終障害飛越時点では2番手まで上げてきた。しかし先に抜け出した単勝オッズ5倍の3番人気馬ラッキーウィリアムに届かず、1馬身半差の2着に敗れた。

11/12シーズンはこれがひとまず最後のレースで、このシーズンの成績は5戦2勝だった。

競走生活(12/13シーズン)

翌12/13シーズンからはノービス競走よりレベルが格段に高い競走に出ることが予想された。それは本馬にとって厳しいと判断したマリンズ師は、10年来胸の内に温めていたある計画を実行に移すことにした。それは、管理馬を日本の中山グランドジャンプに参戦させる事だった。中山グランドジャンプの優勝賞金は世界の障害競走の中でも屈指の高額であり、マリンズ師は以前から中山グランドジャンプには注目していた。そして本馬の能力はちょうど中山グランドジャンプに向いていると判断したそうである。

2012年の中山グランドジャンプは既に終わっていたため、翌年に向けた準備が行われることになった。まずは7月にベルーズタウン競馬場で行われたミーズファームマシナリーレース(T10F)なる平地競走に出走。距離は短いが、これもまた障害競走馬が出走するレースだったようで、本馬の斤量設定は156ポンドと障害競走並みだった。このレースは平地競走のため、本馬には久々にパトリック・マリンズ騎手が騎乗した。そして単勝オッズ1.44倍の1番人気に応えて、4番手追走から残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着となった単勝オッズ5倍の2番人気馬アシヤに10馬身差をつけて勝利した。

次走は8月にゴールウェー競馬場で行われたゴールウェイプレートチェイス(22.5F)だった。ここではウォルシュ騎手を鞍上に、単勝オッズ6倍で20頭立ての2番人気となった。しかしレースでは馬群の中団を進むも、最終障害飛越時点でまだ4番手。ここから1つだけ順位を上げたが、勝った単勝オッズ17倍の10番人気馬ボブリンゴから17馬身差をつけられた3着に終わった。

次走は同月にベルーズタウン競馬場で行われたヒルタウンレース(T10F)となった。ここではパトリック・マリンズ騎手を鞍上に、単勝オッズ1.14倍の1番人気に支持された。レースでは中団を進むと3番手で直線に入り、ゴール前125ヤード地点で先頭に立って、2着となった単勝オッズ13倍の4番人気馬パラマッタに1馬身3/4差で勝利した。本馬はパラマッタより13ポンド斤量が重かったから、内容的には完勝だった。

次走は10月にティぺラリー競馬場で行われたフレンズオブティぺラリーハードル(愛GⅡ・16F)となった。このレースでは、GⅢ競走グライムスハードルなど4連勝中のレベルフィッツが単勝オッズ1.67倍の1番人気で、GⅠ競走仏チャンピオンハードル2回・モルジアナハードル・GⅡ競走ラバルカ賞・GⅢ競走ヴィンセントオブライエンカウンティハードルの勝ち馬サウザンドスターズが単勝オッズ4.5倍の2番人気、ウォルシュ騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ8倍の3番人気、GⅠ競走シュプリームノービスハードル・ライアンエアーノービスチェイス・GⅢ競走ポプラスクウェアチェイス・グライムスハードルの勝ち馬キャプテンシービーが単勝オッズ10倍の4番人気となった。レースではやはり後方からの競馬を選択し、4番手で直線に入ってきた。しかしここから順位を上げることが出来ず、勝ったキャプテンシービーから20馬身差の4着に終わった。

次走は11月にコーク競馬場で行われたフォローアスオンフェイスブックハードル(16F)となった。タウンエンド騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ2.2倍で7頭立ての1番人気の支持を受けた。今回は後方待機策を捨てて、3番手を追走した。そして直線に入ると、2番手から先に抜け出していた単勝オッズ2.25倍の2番人気馬ステイングアーティクルとの一騎打ちとなった。しかし斤量は本馬が7ポンド軽かったにも関わらず競り負けて、1馬身差の2着だった(3着馬アイソンザプライズは本馬から18馬身後方だった)。

次走は年明け1月にコーク競馬場で行われたマッカーシーインシュランスグループハードル(16F)となった。ここでもタウンエンド騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された。このレースでは2番手を追走して、最終障害飛越と同時に先頭に立って押し切るという内容で、2着となった単勝オッズ5倍の2番人気馬アルノーに3/4馬身差で勝利した。

次走は3月にレパーズタウン競馬場で行われたボールズブリッジハードル(18F)となった。今回はウォルシュ騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。しかし今回はスタートから大逃げを打った単勝オッズ11倍の4番人気馬フォスターズクロスの術中に完全にはめられ、12馬身差をつけられて2着に敗れた。

こうして下級障害競走を主に地道な12/13シーズンを送ってきた本馬は、すぐにウォルシュ騎手と共に来日して、前走から20日後のオープン特別ペガサスジャンプS(3300m)に出走した。対戦相手は、平地競走で行き詰ったために障害に転向して前走牛若丸ジャンプSで3着してきたスマートステージ、障害転向後11戦目で前走のオープン特別を勝ってきたサンレイデューク、障害転向後4戦して1勝のリキアイクロフネ、東京ジャンプS3着馬トウシンボルトなどだった。実績的には一応はGⅠ競走2勝馬である本馬が最上位とも言えたが、詳しい人はそのGⅠ競走がいずれもレベルが低いノービス競走である事を理解しており、本馬は単勝オッズ5.3倍の3番人気止まり。スマートステージが単勝オッズ4.1倍の1番人気、サンレイデュークが同じ単勝オッズ4.1倍で僅差の2番人気、リキアイクロフネが単勝オッズ7.1倍の4番人気、トウシンボルトが単勝オッズ8.4倍の5番人気だった。レースは単勝オッズ10.5倍の6番人気馬オヤシオが先頭を引っ張ったが、本馬は最後方に置かれていた。直線入り口でもまだ後方だった本馬は、結局何の見せ場も無く、勝ったリキアイクロフネから21馬身3/4差の9着と惨敗した。欧州の障害競走にはあまり無い坂の上り下りに苦労したようである。

中山グランドジャンプ

それでも本番の中山グランドジャンプ(日JGⅠ・4250m)には参戦した。対戦相手は、リキアイクロフネ、阪神スプリングジャンプの勝ち馬で前年の中山グランドジャンプと中山大障害2着のバアゼルリバー、前走阪神スプリングジャンプを勝ってきた新潟ジャンプSの勝ち馬シゲルジュウヤク、中山新春ジャンプSの勝ち馬ハクサン、前年の東京ハイジャンプ・阪神ジャンプS2着のナリタシャトル、東京ハイジャンプ2着馬ワシャモノタリン、春麗ジャンプSの勝ち馬セイエイ、一昨年の中山グランドジャンプの勝ち馬マイネルネオス、3年まえの中山グランドジャンプの勝ち馬メルシーモンサンなどだった。

バアゼルリバーが単勝オッズ2.4倍の1番人気で、以下、単勝オッズ4.6倍のリキアイクロフネ、単勝オッズ6倍のシゲルジュウヤク、単勝オッズ6.5倍のハクサン、単勝オッズ16.2倍のナリタシャトル、単勝オッズ20.8倍のワシャモノタリン、単勝オッズ23.9倍のセイエイと続き、本馬は前走の内容から勝ち目は薄いと判断され、単勝オッズ26.4倍の8番人気だった。

スタートが切られるとシゲルジュウヤクが先頭に立ち、セイエイ、ハクサン、ナリタシャトル、ワシャモノタリンなども先行。リキアイクロフネは後方からレースを進めた。一方の本馬は先行集団を見るように好位につけていた。前走では坂の上り下りに苦労したらしい本馬だが、たった1戦で慣れたのか、今回は普通に走っていた。大竹柵障害より前に2頭が競走を中止したが、有力馬は順調に大竹柵障害を飛越していった。大生垣障害で落馬した馬もおらず、その直後辺りから本馬が徐々に前との差を詰めにかかった。やがてハクサンがシゲルジュウヤクをかわして先頭に立ったが、シゲルジュウヤクも加速してハクサンに並びかけて2頭が先頭となった。この段階で本馬は既に前2頭から3馬身ほど後方の3~4番手まで上がってきていた。そして最終コーナーで2番手に上がると、最終直線途中にある最終障害を飛越するのと同時に先頭に立った。シゲルジュウヤクも食らいついてきて2頭の叩き合いとなり、さらに後方からはリキアイクロフネも追い込んできた。最後は本馬が先頭でゴールを駆け抜け、2着リキアイクロフネに半馬身差、3着シゲルジュウヤクにはさらに1馬身1/4差をつけて優勝した。

中山グランドジャンプを勝った海外馬は、2002年のセントスティーヴン、2005~07年に3連覇したカラジに次いで史上3頭目だったが、他2頭はオセアニアからの遠征馬であり、障害競走の本場であるナショナルハントから参戦してきた馬が勝ったのは初めての例だった。

本馬にしてみれば、地元では最大166ポンド(約75.5kg)を背負って走っていたのが、中山グランドジャンプでは63kgの斤量だったわけだから、その意味では楽なものだったと思われる。しかし本馬はノービス競走では通用してもその先のレベルには程遠く、欧州障害界においてはトップクラスの馬だったとはとても言えない。やはり日本の障害と欧州の障害のレベルには相当な差があるようで、今後も欧州の障害競走馬が中山グランドジャンプに出走してきた場合には注意が必要だろう。ただし坂の上り下りに適応できるかどうかという点は走ってみないと分からないので、人気を集めた場合では無く人気薄だった場合が狙い目だろう。

中山グランドジャンプを勝った本馬は地元愛国に戻っていったが、その後は1回もレースに出ることなく競走馬を引退した。12/13シーズンの成績は(便宜上平地競走も含めて)9戦4勝だった。その後の消息は調べても良く分からないが、乗馬、狩猟馬、厩舎のコンパニオンアニマルなどのいずれかに転身していると思われる。

血統

Imperial Ballet Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Amaranda Bold Lad Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Barn Pride Democratic
Fair Alycia
Favoletta ボールドリック Round Table
Two Cities
Violetta Pinza
Urshalim
Sixhills Sabrehill Diesis Sharpen Up エタン
Rocchetta
Doubly Sure Reliance
Soft Angels
Gypsy Talk Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Mazaca Pappa Fourway
Natasha
Moidart Electric Blakeney Hethersett
Windmill Girl
Christiana Double Jump
Mount Rosa
Marypark Charlottown Charlottesville
Meld
Margaret Ann Persian Gulf
Alassio

父インペリアルバレエはサドラーズウェルズ産駒の愛国産馬。競走馬としては7戦4勝、ロイヤルハントCを勝っている。種牡馬としては障害だけでなく平地でも活躍馬を出しており、例えば日本のアグネスワールドがアベイドロンシャン賞を勝った時の2着馬で、その2年後の同競走を勝ったインペリアルビューティもインペリアルバレエの産駒である。

母シックスヒルズは仏国産馬で、現役成績7戦1勝。シックスヒルズの母モイダートの半姉リネフラの孫にはインヴァーマーク【カドラン賞(仏GⅠ)】がいる。モイダートの曾祖母アラッシオは、名牝ムムタズマハルの曾孫で、大種牡馬ナスルーラの姪、ロイヤルチャージャーの半妹である。→牝系:F9号族③

母父サブレヒルはダイイシス産駒の米国産馬で、競走馬としては3戦1勝だが、英国際S(英GⅠ)でエズードの2着という実績があり、凡庸な競走馬では無かった。英国で種牡馬入りしたが、ダイイシスの後継としては物足りなかった。

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