ボウルオブフラワーズ

和名:ボウルオブフラワーズ

英名:Bowl Of Flowers

1958年生

栗毛

父:セイラー

母:フラワーボウル

母父:アリバイ

名繁殖牝馬フラワーボウルの初子として米最優秀2歳牝馬・米最優秀3歳牝馬・米国顕彰馬に選ばれる

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績16戦10勝2着3回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ヴァージニア州ブルックミードステーブルにおいて、同牧場の所有者イサベル・クレーヴズ・ダッジ・スローン女史により生産された。ブルックミードステーブル名義で競走馬となり、母フラワーボウルを手掛けたプレストン・モリス・バーチ調教師(ギャロレットの生産者としても知られる)の息子で、父の後を継いでブルックミードステーブルの専属調教師となっていたジョン・エリオット・バーチ調教師に預けられた。同馬主同厩には2歳年上の名馬ソードダンサーがいた。

体高は15.3ハンドとそれほど大柄ではなかったが、首が長くて背は短く、バランスが取れた魅力的な馬体の持ち主だった。気性も穏やかだったが、膝に不安を抱えているのが唯一の欠点だった。

競走生活(2歳時)

2歳時に競走馬デビューすると、6月にベルモントパーク競馬場で出走したナショナルスタリオンS(D5.5F)で、1分04秒2のコースレコードを計時して、後のスカイラヴィルS・リバティーベルHの勝ち馬シュエットを2着に破って勝利した。10月にアケダクト競馬場で出走したフリゼットS(D8F)では、セリマS・スピナウェイSを勝っていたグッドムーヴとの対戦となったが、本馬が1分35秒6のレースレコードを計時して勝利を収め、グッドムーヴは3着に終わった。

さらにガーデンステート競馬場で出走した高額賞金競走ガーデニアS(D8.5F)も勝利。2歳時のステークス競走出走は3回のみだったがその全てに勝利を収め、この年は8戦6勝2着2回の成績を残し、米最優秀2歳牝馬に選出された。2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)においては120ポンドの評価で、同世代の牝馬2位のローズバウアー(プリンセスパットS・メイトロンSの勝ち馬)より4ポンド高いトップにランクされた。

競走生活(3歳時)

3歳時は一般競走に5戦連続で出走して全て勝利した後、ニューヨーク牝馬三冠競走に参戦した。まずはエイコーンS(D8F)に出走して、ジャスミンSの勝ち馬ブラックダーターを2着に、後のブラックヘレンH・ベッドオローゼズH・デラウェアHの勝ち馬セヴンサーティを3着に破って勝利。続いてマザーグースS(D9F)に出走したが、ブラックアイドスーザンSの勝ち馬ファンラヴィングとの大接戦の末に、写真判定で頭差2着に敗れた。しかしCCAオークス(D10F)では、ファンラヴィングを5馬身差の2着に下して圧勝した。もしマザーグースSを勝っていれば史上初のニューヨーク牝馬三冠馬になっていたのだが、僅差で逃してしまった(初めて達成したのはこの7年後のダークミラージュ)。

その後はアラバマS(D10F)に出走したが、3ポンドのハンデを与えたマルグリットS・プライオレスSの勝ち馬プリモネッタ、後のレディーズHの勝ち馬マイティフェアの2頭に後れを取り、プリモネッタの3着に敗れた。その後に出走したスピンスターS(D9F)では、翌年の同競走とモリーピッチャーH・リグレットH・フォールズシティHを勝って米最優秀ハンデ牝馬に選ばれるプリモネッタ、マルグリットS・ブラックアイドスーザンS・スワニーリヴァーH・ニューキャッスルH・リグレットH・デラウェアH・ベルデイムSを勝っていたこの年の米最優秀ハンデ牝馬エアマンズガイドという強敵2頭との対戦となった。しかしバーチ師が「彼女は今日負けることは無いでしょう」と言い切るほど渾身の仕上げで臨んできた本馬が、プリモネッタを2着に、エアマンズガイドを4着に破って勝利した。

その後は牡馬相手のローマーH(D9.5F)に出走。本馬の斤量は121ポンドで、これより重い斤量を背負った牡馬はベルモントS・ブルーグラスSの勝ち馬シャーラックと、ゴーサムS・ジャージーダービーの勝ち馬でサラトガスペシャルS・ガーデンステートS2着のアンビオポイズのみであった。レースでは最後1ハロン地点で外側に振られる不利もあり、勝ったシャーラック、2着となったウィザーズS・ドワイヤーHの勝ち馬ヒッティングアウェーから鼻差、鼻差の3着に敗れたが、牡馬と同等の斤量を背負っていた事を考えれば内容のある敗戦ではあった。3歳時の成績は8戦4勝2着1回3着3回で、この年の米最優秀3歳牝馬に選ばれた。

翌4歳時も現役を続行する予定だったが、フロリダ州ハイアリアパーク競馬場における調教中に左前脚の種子骨を骨折。生命には別状無かったが、そのまま復帰できずに引退となった。

16戦して4着以下無しという安定感が持ち味の実力派牝馬だった。バーチ師は、自分が手掛けた牝馬の中では本馬が最も優れており、牡馬を含めても自身が手掛けた中で五本の指に入る存在であると高く評価した。

血統

Sailor Eight Thirty Pilate Friar Rock Rock Sand
Fairy Gold
Herodias The Tetrarch
Honora
Dinner Time High Time Ultimus
Noonday
Seaplane Man o'War
Bathing Girl
Flota Jack High John P. Grier Whisk Broom
Wonder
Priscilla Star Shoot
Yankee Sister
Armada Man o'War Fair Play
Mahubah
Crepuscule Meddler
Strike-a-Light
Flower Bowl Alibhai Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Teresina Tracery Rock Sand
Topiary
Blue Tit Wildfowler
Petit Bleu
Flower Bed Beau Pere Son-in-Law Dark Ronald
Mother in Law
Cinna Polymelus
Baroness La Fleche
Boudoir Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Kampala Clarissimus
La Soupe

父セイラーはエイトサーティ産駒で、現役成績は21戦12勝。ピムリコスペシャル・ローマーH・トボガンH・フォールハイウェイトH・ガルフストリームパークH・ジョンBキャンベル記念Hを勝った実力馬だが、同世代にナシュアスワップスがいたため主役にはなれなかった。それでもダービーダンファームで種牡馬として活躍し、本馬や1964年の米最優秀短距離馬アホイなど多くの活躍馬を出した。

母フラワーボウルは現役成績32戦7勝、デラウェアH・レディーズHの勝ち馬。繁殖牝馬としては初子である本馬の他に、本馬の半弟で共に種牡馬として大きな成功を収めたグロースターク(父リボー)【アーチワードS・バハマS】、ヒズマジェスティ(父リボー)【エヴァーグレイズS】の兄弟も産んでいる。その繁殖牝馬としての実績の偉大さから、その名を冠したGⅠ競走フラワーボウル招待Sがベルモントパーク競馬場で施行されているほどである。

フラワーボウルの全妹フローラルパークの牝系子孫からは、グルーピードール【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)2回・ヴァイネリーマディソンS(米GⅠ)・ヒューマナディスタフH(米GⅠ)】が、フラワーボウルの半妹マルチフローラ(父ビューマックス)の子にはギャラントブルーム【メイトロンS・モンマスオークス・デラウェアオークス・ガゼルH・マッチメイカーS・スピンスターS・サンタマリアH・サンタマルガリータ招待H】がいる。

フラワーボウルの母フラワーベッドはユアホスト【デルマーフューチュリティ・サンフェリペS・サンタアニタダービー】の半姉であり、牝系からはティーヴィーコマーシャル【アーリントンワシントンフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティS・サンディエゴH】、マジェスティックプリンス【ケンタッキーダービー・プリークネスS・サンタアニタダービー】、セクレト【英ダービー(英GⅠ)】、イスタブラク【愛チャンピオンハードル(愛GⅠ)4回・英チャンピオンハードル(英GⅠ)3回・エイントリーハードル(英GⅠ)・ハットンズグレイスハードル(愛GⅠ)2回・ロイヤルボンドノービスハードル(愛GⅠ)・ロイヤルサンアライアンスノービスハードル(英GⅠ)・スタンリークッカーチャンピオンノービスハードル(愛GⅠ)・パンチェスタウンチャンピオンハードル(愛GⅠ)】、リアルクワイエット【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】、日本で走ったダイワメジャー【皐月賞(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)2回・安田記念(GⅠ)】、ダイワスカーレット【桜花賞(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、ヴァーミリアン【川崎記念(GⅠ)2回・JBCクラシック(GⅠ)3回・ジャパンCダート(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)】など多くの活躍馬が出ている。→牝系:F4号族①

母父アリバイはユアホストの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、スローン女史の死によってブルックミードステーブルが同じヴァージニア州ホイットニーストーンファームに購入されたため、同地で繁殖入りした。不受胎や死産がやや多かったものの、母としては少なくとも7頭の産駒を産んだ。4番子の牡駒ビッグバーン(父ネヴァーベンド)は現役成績3戦未勝利ながらも血統が買われてフロリダ州で種牡馬入りして、GⅠ競走モンマスオークスの勝ち馬バーンズリターンなどを出して一定の成功を収めた。5番子の牡駒ウィスキーロード(父ニジンスキー)も現役成績は4戦1勝と振るわなかったが、血統が評価されて豪州で種牡馬入りし、豪州顕彰馬ストロベリーロードなどを出して成功した。6番子の牡駒スプルースボーケイ(父ビッグスプルース)は本馬の直子として最も競走馬として活躍した馬で、ホーソーン金杯H(米GⅡ)を勝つなど26戦6勝の成績を挙げたが、兄達と違って種牡馬としては不成功に終わった。本馬の牝系子孫は現在も残っているが、活躍馬は全くと言ってよいほど出ていない。1979年に繁殖牝馬を引退したが、その後の消息は不明で没年も分かっていない。2004年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

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