ミエスク

和名:ミエスク

英名:Miesque

1984年生

鹿毛

父:ヌレイエフ

母:パサドブル

母父:プルーヴアウト

英仏の1000ギニー連覇・BCマイル2連覇など欧米のマイル路線を美しく華麗に舞った20世紀を代表する名マイラーは繁殖牝馬としても一級品

競走成績:2~4歳時に仏英米で走り通算成績16戦12勝2着3回3着1回

強豪揃いの1980年代後半の欧米マイル路線で圧倒的な強さを見せた名マイラーにして、繁殖牝馬としても超一流の成績を残した名牝中の名牝であり、その名は日本でもよく知られている。

誕生からデビュー前まで

本馬を米国ケンタッキー州オークツリーファームにおいて生産したのは、スタブロス・スピロス・ニアルコス氏という人物である。ニアルコス氏は1909年にギリシアのアテネで生を受けた。米国に帰化していた彼の両親はニューヨーク州バッファローでデパートを経営していたが、ニアルコス氏が生まれる3か月前にギリシアに戻っていた。アテネ大学で法律を学んだニアルコス氏は、両親が経営するデパートで働き始めると、もっと大きな船舶を所有する事でより大きな利益を上げられると感じ始め、親戚を説得して複数の大型船舶を入手して海運業に進出した。ニアルコス氏は第二次世界大戦で海軍に入隊して復員した後、彼の叔父が所有していた貿易船に目をつけた。叔父が所有していた貿易船は大戦で破壊されたために損害保険金が出る事になっていた。彼は叔父を説得して、保険金を活用して国際運送会社ニアルコス社を設立し、主にオイルタンカーによる石油運搬に力を注いだ。1956年に勃発した第二次中東戦争でスエズ運河が封鎖されると、ニアルコス社が所有していた大型オイルタンカーの需要が急激に伸び、そして彼は大富豪となった。

そして1970年代初め頃から競馬界にも進出し、仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏が所有していたフレネー・ル・ビュファール牧場や、米国ケンタッキー州にあったオークツリーファームを購入して、馬産団体フラックスマンホールディングスの名義で馬産・馬主業を開始した。彼が最初に所有した大物は、1978年に130万ドルで購入したヌレイエフである。ヌレイエフは英2000ギニー1位入線失格という不運があって大競走を勝てずに終わったが、フレネー・ル・ビュファール牧場で種牡馬入りしたヌレイエフの素質を関係者が評価したため、ニアルコス氏はヌレイエフの種牡馬シンジケートを組んで米国ウォルマックワーナートンファームに送り出した。そのヌレイエフが米国における種牡馬生活2年目に送り出したのが本馬である。

米国から仏国に送られてきた本馬は、フラックスマンホールディングスの名義で、フランソワ・ブータン調教師に預けられた。本馬の気性面に関しては、ブータン師の手を一度も煩わせた事が無い優等生的な気質の持ち主だったという話と、神経質でしばしば機嫌が悪くなったためにブータン師は忍耐力を試されていたという話の、まったく相反する2つの説が存在する。前者はブータン師の話で、後者は本馬の主戦を務めたフレデリック・ヘッド元騎手(現調教師)の話である。ヘッド師はブータン師が気性の悪い本馬を辛抱強く育てるのを目の当たりにして、競走馬の育て方を学んだとまで語っている。しかし競馬場に姿を見せた本馬は常に凛としており、筆者が見た範囲内においては気性が悪そうな素振りは見せなかった。どちらの説が正しいのかは筆者には判断できない。

競走生活(2歳時)

2歳8月にドーヴィル競馬場で行われたリジー賞(T1200m)で、ヘッド騎手を鞍上にデビューし、2着プロフレアに2馬身差で順当に勝利した。その8日後にはモルニ賞(仏GⅠ・T1200m)に出走した。しかしこのレースは本馬にとって苦手な重馬場で行われたためか、カブール賞を勝ってきたサクラレイコ(日本で「サクラ」の冠名で多くの活躍馬を所有したさくらコマースの全演植氏の持ち馬で、日本でもその存在は話題になっていた)とシャイプリンセス(BCマイルの勝ち馬オープニングヴァースの2歳年上の半姉)の2頭に後れを取り、勝ったサクラレイコから1馬身差、2着シャイプリンセスから鼻差の3着に敗れた。本馬が3着以下に敗れたのはこれが最初で最後である。

次走のサラマンドル賞(仏GⅠ・T1400m)では、サクラレイコに加えて、カルヴァドス賞を勝ってきた同馬主同厩のワキリリック(仏ダービー馬エルナンドの母)と顔を合わせた。今回も馬場状態は悪かったが、今度は本馬が2着サクラレイコに1馬身半差をつけて勝利を収め、ワキリリックはサクラレイコからさらに3馬身差の3着だった。

続いてマルセルブサック賞(仏GⅠ・T1600m)に出走。このレースではサクラレイコに加えて、本馬の好敵手の1頭となる英国調教馬ミリグラムの姿もあった。レースではミリグラムが直線で先頭に立って押し切ろうとしたが、後方から来た本馬がゴール前で差し切り、2着ミリグラムに半馬身差、3着サクラレイコにはさらに首差で勝利した。2歳時の成績は4戦3勝で、仏最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳前半)

3歳時は4月のインプルーデンス賞(T1400m)から始動した。1947年に英1000ギニー・仏1000ギニー・英オークスを制覇したインプルーデンスを記念して創設されたこのレースはリステッド競走(現在はGⅢ競走になっている)だが、仏1000ギニーや英1000ギニーを目指そうかという仏国の有力3歳牝馬がシーズン初戦に選択することが多い競走であり、この年も本馬に加えて、クリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬グレシアニュルンが出走してきた。しかも馬場状態は不良だったのだが、本馬が2着グレシアニュルンに2馬身半差をつけて完勝した。

インプルーデンス賞を勝った本馬は渡英して、前走から27日後の英1000ギニー(英GⅠ・T8F)に参戦した。ロウザーS2着馬インターヴァル(後のモーリスドギース賞の勝ち馬)、ミリグラムなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持され、インターヴァルが単勝オッズ7倍の2番人気、ミリグラムが単勝オッズ8倍の3番人気となった。レースではミリグラムとインターヴァルが馬群の中団好位につけ、本馬はインターヴァルのさらに後方に待機した。残り2ハロン地点でミリグラムが仕掛けて先頭に立ち、さらにその外側からインターヴァルが追い上げてきて、この2頭による叩き合いが始まった。しかしさらに外側から本馬が素晴らしい脚で伸びてくると、叩き合う前の2頭を並ぶ間もなく差し切った。最後は2着ミリグラムに1馬身半差、3着インターヴァルにはさらに頭差をつけて完勝した。

英1000ギニーを勝った本馬は帰国して、まるで40年前のインプルーデンスの足跡を辿るように、前走から17日後の仏1000ギニー(仏GⅠ・T1600m)に出走した。このレースでは、グロット賞を勝ってきたサクラレイコや、ロベールパパン賞2着馬リバティーンなどが待ち構えていた。さらには本馬にとっては苦手な重馬場で行われたのたが、それを感じさせない走りを見せた本馬が、2着サクラレイコに2馬身半差、3着リバティーンにはさらに3馬身差をつけて勝利。インプルーデンス以来40年ぶり史上2頭目となる英1000ギニーと仏1000ギニーのダブル制覇を成し遂げた。

インプルーデンスはその後に英オークスに向かったわけだが、本馬は仏オークス(仏GⅠ・T2100m)のほうに向かった。このレースにおける強敵は、サンタラリ賞・ムシドラSなど4連勝中のインディアンスキマーだった。馬場はまたしても重馬場だったが、本馬も重馬場を何度も克服しているし、インディアンスキマーも前走サンタラリ賞で重馬場を乗り越えて勝っていたから、好勝負が期待された。しかし後に牡馬相手に愛チャンピオンS・英チャンピオンS・イスパーン賞などを勝つインディアンスキマーのほうが、この距離では分があったようである。レースは2番手を先行して残り400m地点で先頭に立ったインディアンスキマーが直線独走で完勝し、馬群の中団につけていた本馬は、直線で外側から来たマスムーダの追撃を3/4馬身抑えるのが精一杯で、インディアンスキマーから4馬身差の2着に敗れてしまった。

競走生活(3歳後半)

その後は短い休養を経て、真夏のジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)に出走した。このレース最大の強敵は、英2000ギニー・愛2000ギニー・英シャンペンS・ヴィンテージSを勝っていた同世代の牡馬ドントフォーゲットミーであり、他にもアスタルテ賞を勝ってきたナッシュミール、ハンガーフォードS・キヴトンパークSの勝ち馬でサセックスS・ロッキンジS3着のハディアなどの姿もあった。しかし本馬が2着ナッシュミールに3馬身差、3着ハディアにはさらに2馬身半差をつけて快勝し、ドントフォーゲットミーは本馬から6馬身差の4着に終わった。

次走のムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)にはドントフォーゲットミーは不在だったが、インプルーデンス賞2着後にサンタラリ賞でインディアンスキマーの3着していたグレシアニュルンに加えて、仏2000ギニー・サセックスS・フォンテーヌブロー賞を勝ちジャンプラ賞・セントジェームズパレスSで2着していた同父同世代の牡馬ソヴィエトスターが参戦してきて、同世代最強マイラー決定戦となった。しかし本馬がソヴィエトスターやグレシアニュルンを蹴散らして、2着ソヴィエトスターに2馬身半差、3着グレシアニュルンにはさらに1馬身差をつけて完勝した。

その後は再び渡英して、この年にGⅠ競走に昇格したクイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ・T8F)に出走した。ソヴィエトスターやドントフォーゲットミーは不在だったが、前年の愛1000ギニー・サセックスS・ムーランドロンシャン賞・コロネーションS・ネルグウィンSを勝ちチャイルドSを2連覇していた現役欧州古馬最強マイラーの同父馬ソニックレディ、英1000ギニー2着後に愛1000ギニーで2着してコロネーションSとクリスタルマイルを勝ってきたミリグラムが出走してきて、欧州最強マイラー決定戦となった。主戦のヘッド騎手が騎乗停止処分を受けていたために、スティーブ・コーゼン騎手に乗り代わっていた本馬が単勝オッズ1.36倍という圧倒的な1番人気に支持され、ソニックレディとミリグラムが並んで単勝オッズ6倍の2番人気となった。

5頭立てで行われたレースは、最低人気馬ヴァーダントボーイが後続を最大で10馬身以上は引き離す大逃げを打ち、やはり人気薄のホモサピエンが大きく離れた2番手、ミリグラムが3番手、本馬が4番手、スタートで出遅れたソニックレディが最後方からレースを進めた。三角に入る前にミリグラムが仕掛けて2番手に上がると、本馬もそれを追って3番手に上がった。そのままの態勢で直線に入ると、残り2ハロン地点でミリグラムがヴァーダントボーイをかわして先頭に立ち、さらに外側から本馬、大外からソニックレディもやって来た。しかし英1000ギニーでは一瞬にして逆転したミリグラムと本馬の差は、今回はなかなか縮まらず、それどころか残り1ハロン地点から差が開き始めた。本馬は3着ソニックレディには5馬身差をつけたものの、勝ったミリグラムからは2馬身半差をつけられて2着に敗れてしまった。

本馬がマイル戦で敗戦したのはこれが初めてだった。このレースは普通の良馬場で行われており、本馬の敗因は不明である。騎手の乗り代わりが何らかの影響を及ぼしたのかもしれないが、ミリグラムも主戦のウォルター・スウィンバーン騎手がソニックレディに騎乗したためにパット・エデリー騎手に乗り代わっていたから、それを言い訳には出来ない。シーズン終了後に英タイムフォーム社が本馬とミリグラムの比較について「2頭とも他の馬より遥かに優れており、2頭の優劣を論じるのは愚かなことです」と評価している事を考えると、このレースではミリグラムが強かったというのが一番妥当な理由だろう。

次走は、それから8週間後に米国ハリウッドパーク競馬場で行われたBCマイル(米GⅠ・T8F)となった。このレースは本馬にとって絶好の堅良馬場となった。対戦相手は、ミリグラム、ソニックレディ、イスパーン賞・エドモンブラン賞の勝ち馬で仏2000ギニー・ジャンプラ賞・フォレ賞2着のハイエストオナーといった欧州からの遠征組と、ハリウッドフューチュリティ・サンタアニタダービー・スワップスS・バルボアSの勝ち馬テンパレートシル、イングルウッドH・ベイメドウズダービーの勝ち馬ルベルヴェデーレ、ヒルプリンスS・ポーカーS・カーネルFWケスターHの勝ち馬でハリウッドダービー2着のダブルフェイント、デルマーダービーの勝ち馬デピュティガヴァナー、エディリードH・デルマー招待H2着のサンテラマック、ベイメドウズHを勝ってきたショウダンサー、ラモナH・ヒルズボローHの勝ち馬ショートスリーヴス、ヴォランテHの勝ち馬でハリウッドダービー2着・ユナイテッドネーションズH3着のエアディスプレイ、スターズ&ストライプスH・クリフハンガーH・スウォーンズサンSの勝ち馬エクスプローシヴダーリング、ニッカボッカーHの勝ち馬でセクレタリアトS・マンハッタンH3着ダルースといった地元米国組だった。前年のBCマイルで7着に終わった雪辱を期するソニックレディが単勝オッズ3.9倍の1番人気、本馬が単勝オッズ4.6倍の2番人気、ダブルフェイントが単勝オッズ5.9倍の3番人気、テンパレートシルとルベルヴェデーレのカップリングが単勝オッズ6.5倍の4番人気で、ミルリーフ産駒という点において堅良馬場が逆に不適だと考えられたミリグラムは単勝オッズ8.3倍の5番人気に留まった。

スタートが切られると単勝オッズ32倍の9番人気馬ショウダンサーが内側から先頭を伺い、テンパレートシル、デピュティガヴァナーなども先行。本馬は内側好位につけ、その後方にソニックレディがつけた。しばらくはショウダンサーがテンパレートシル以下を引き連れて先頭を走り続け、本馬は3~4番手でじっくりと機を伺っていた。そして三角に入ると、内埒沿いに先頭を走っていたショウダンサーが僅かに外側に振られた隙間を突いて、内側からショウダンサーに並びかけた。そして並んで直線に入ってきたこの2頭がしばらくは叩き合っていたが、残り1ハロン地点でヘッド騎手が本馬に鞭を使うと瞬く間に2頭の差が開き、本馬の独り旅となった。本馬をマークするように走っていたソニックレディにはショウダンサーを捕らえるほどの勢いも無く、序盤から後方に置かれたミリグラムは直線で影も形も見えなかった。ゴール前では馬なりで走った本馬が、2着に粘ったショウダンサーに3馬身半差、3着ソニックレディにはさらに半馬身差をつけて、1分32秒8のコースレコードを計時して完勝した。13着に惨敗したミリグラムはこのレースを最後に引退しており、対戦成績は本馬の3勝1敗となった。

3歳時の成績は8戦6勝2着2回で、この年のエクリプス賞最優秀芝牝馬、英最優秀3歳牝馬及び最優秀マイラー、仏最優秀マイラーなどのタイトルを獲得した。

競走生活(4歳時)

翌4歳時も現役を続行した。まずは5月のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)に出走した。ガネー賞を勝ってきた英チャンピオンS3着馬セントアンドリュース、ロジャーズ金杯を勝ってきたデューハーストS2着馬シェイディハイツの2頭が強敵だった。本馬にとっては微妙に距離が長い上に、苦手な重馬場となったのだが、それでも2着セントアンドリュースに短頭差で勝利した。

次走のジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)では、ムーランドロンシャン賞で本馬の2着に敗れた後にフォレ賞・トラストハウスフォルテマイル・ジュライCに勝ちクイーンアンSで2着するなど活躍していたソヴィエトスターに加えて、アスタルテ賞を勝ってきたガビナ(後のフォレ賞の勝ち馬)、そしてサセックスS・リッチモンドS・シャンペンSを勝っていた3歳最強マイラーのウォーニングも参戦してきた。本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持され、ウォーニングが単勝オッズ2倍の2番人気となった。スタートが切られると、ソヴィエトスター陣営が用意したペースメーカー役のインティミデートが先頭に立ち、他馬勢はそれを見るように追走した。レースはスローペースで進行し、最後の瞬発力勝負となった。馬群から抜け出してきたのはウォーニングであり、残り200m地点で一気に先頭に立った。ところが次の瞬間、本馬が瞬く間にウォーニングを抜き去り、最後は1馬身差をつけて同競走初の2連覇を達成した。ウォーニングに騎乗していたのは、前年のクイーンエリザベスⅡ世Sでミリグラムに騎乗して本馬を破ったエデリー騎手だったのだが、彼は「抜け出して先頭に立った時には負ける気がしませんでした。ところが次の瞬間、ミエスクに並ぶ間もなく抜かれてしまいました。信じられません」と脱帽した。

次走はムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)となった。ウォーニングは不在だったが、前走で4着に敗れた雪辱を期するソヴィエトスター、前走で本馬から3馬身差の3着だったガビナ、この年の仏2000ギニーの勝ち馬で翌年に米国に移籍してエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれる本馬と同厩(馬主は異なる)のブラッシングジョン、フレッドダーリンSなどの勝ち馬ブルーブックなどが出走しており、相手にとって不足は無かった。今回はアンチマターとザンタックという2頭のペースメーカーが先頭を引っ張ったため、前走のようなスローペースにはならなかった。有力馬勢は馬群の中団以降に固まっており、ソヴィエトスター、本馬、ブラッシングジョン、ガビナの順で走ってきた。直線に入ると真っ先に仕掛けたのはブラッシングジョンであり、残り400m地点で先頭を奪取。しかしここからソヴィエトスターが伸びてきて先頭が代わった。さらに本馬もやってきてソヴィエトスターに並びかけ、最後はこの2頭の叩き合いとなった。しかしここではソヴィエトスターが競り勝ち、頭差の2着に敗れた本馬はマイル戦で2度目の敗北を喫した(3着ガビナは5馬身後方だった)。このレースは重馬場で行われており、それで本馬の瞬発力が殺がれて、ソヴィエトスターを抜くことが出来なかったのだと言われている。ソヴィエトスターと本馬の対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の2勝1敗だった。

ムーランドロンシャン賞からちょうど2か月後、本馬の姿は米国ケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場にあった。2連覇を目指してBCマイル(米GⅠ・T8F)に参戦するためだった。対戦相手は、前走クイーンエリザベスⅡ世Sでソヴィエトスター以下を蹴散らして5馬身差で圧勝してきたウォーニング、本馬に続く2年連続の英1000ギニー・仏1000ギニーのダブル制覇を達成していたチェヴァリーパークS・アランベール賞の勝ち馬でコロネーションS3着のラヴィネラ、この年のアーリントンミリオンS・シュマンドフェルデュノール賞・メシドール賞の勝ち馬ミルネイティヴ、ムーランドロンシャン賞で4着だったブラッシングジョンといった欧州調教馬勢と、前年のベルモントSを筆頭にアーリントンワシントンフューチュリティ・ローレルフューチュリティ・ハスケル招待H・サプリングS・ファウンテンオブユースS・ピムリコスペシャルHを勝ちケンタッキーダービー・プリークネスS・フィリップHアイズリンH2着・シャンペンS・サバーバンH・ユナイテッドネーションズH3着のベットトゥワイス、カリフォルニアダービー・ロングエイカーズマイルH・マイアミBCHの勝ち馬でマーヴィンルロイH2着・エディリードH3着のシンプリーマジェスティック、アーケイディアH・カーネルFWケスターHを勝ってきたモハメドアブドゥ、サラナクS・ラトガーズH・フォアランナーS・ギャラントマンSの勝ち馬ポーセン、前走のキーンランドBCSを勝ってきたニッコロポロ、ジョンヘンリーH・アメリカンH・バーナードバルークHとGⅠ競走で2着が3回あったイングルウッドH・プレミエールH・バドワイザーBCHの勝ち馬ステインレン、チョイスHの勝ち馬マスタークリストファーといった米国調教馬勢だった。クイーンエリザベスⅡ世Sの勝ち方が評価されたウォーニングが単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持され、本馬とブラッシングジョンのカップリングが単勝オッズ3倍の2番人気、ベットトゥワイスが単勝オッズ7.7倍の3番人気、ミルネイティヴが単勝オッズ8.5倍の4番人気、シンプリーマジェスティックが単勝オッズ18.2倍の5番人気となった。

前年のBCマイルは非常に乾燥した馬場状態だったが、今回は涼しくて湿気が多い気候が続いていたため馬場は少し湿っていた。スタートが切られると、単勝オッズ100.5倍の最低人気馬マスタークリストファーが一気に加速して先頭に立ち、シンプリーマジェスティック、モハメドアブドゥ、ニッコロポロ、ステインレンなども先行した。本馬やブラッシングジョン、ラヴィネラは馬群の中団につけ、ウォーニングやベットトゥワイスは後方から競馬を進めた。マスタークリストファーは2番手のシンプリーマジェスティックを2~3馬身ほど引き離して逃げ、馬群はかなり縦長になる展開となった。三角に入っても、ウォーニング、ベットトゥワイス、ブラッシングジョン、ラヴィネラ、ミルネイティヴといった有力馬勢は位置取りを上げられず、後方でもがいていた。しかし有力馬の中で本馬のみは手応えが良く、三角で一気に前との差を縮めていった。逃げたマスタークリストファーは三角途中で後退していったが、先行したシンプリーマジェスティック、ニッコロポロ、ステインレン、モハメドアブドゥといった面々は概ね脚色が良く、固まって四角に入ってきた。しかしこの時点で既に彼等の外側には本馬の姿があった。直線に入るとシンプリーマジェスティックとニッコロポロの2頭が叩き合いながら抜け出したが、残り1ハロン地点で本馬が豪快に前の2頭を抜き去っていった。最後は、ゴール前で2番手に上がったステインレンに4馬身差をつけて完勝し、ブリーダーズカップ史上初めてとなる同一競走2連覇を達成した。

2着に入ったステインレンは今回単勝オッズ38.4倍の10番人気だったが、翌年のBCマイルやアーリントンミリオンなどを勝利してエクリプス賞最優秀芝牡馬に選ばれるほどの馬だった。ラヴィネラ(7着)、ベットトゥワイス(8着)、ミルネイティヴ(9着)、ブラッシングジョン(10着)、ウォーニング(11着)といった本馬以外の有力馬は悉く惨敗し、ひたすら本馬の強さだけが際立つ結果となった。

このレースを最後に4歳時4戦3勝の成績で競走馬を引退。2年連続のエクリプス賞最優秀芝牝馬・仏最優秀マイラー、及び仏最優秀古馬牝馬のタイトルを獲得した。

競走馬としての評価と特徴

本馬の主戦を務めたヘッド騎手は後に調教師として、本馬を上回るBCマイル3連覇の名牝ゴルディコヴァを手掛けた。しかしヘッド師は本馬の訃報(ゴルディコヴァがBCマイル3連覇を果たした2か月後)に接した際に、25年の歳月の間に競馬の内容が変化したので2頭の比較は困難と前置きした上で、おそらく2頭は同一レベルにあると思いますと述べている。

国際クラシフィケーションや英タイムフォーム社のレーティングといった数字上の評価により、本馬とゴルディコヴァの両馬が最も高評価を得た4歳時で比較してみると、ゴルディコヴァは前者が130ポンドで後者が133ポンド、本馬は前者が131ポンド(元々は132ポンドだったが2013年に修正されている)で後者が133ポンドであるから、ヘッド師の発言どおり、本馬とゴルディコヴァはほぼ互角の評価を得ているわけである。

しかし本馬に与えられた上記の数値は、ジルザルマークオブエスティームといった20世紀終盤における欧州最強牡馬マイラー勢と比べると、やや抑え気味である。牡馬より斤量が軽い牝馬であるから仕方が無い一面はあるだろうが、国際クラシフィケーションで132ポンド(修正後)、英タイムフォーム社のレーティングで136ポンドの評価を受けたウォーニングより低いというのは、如何なものだろうか。ウォーニングの評価は5馬身差で圧勝したクイーンエリザベスⅡ世S(本馬は出走していないがソヴィエトスターが出走して4着に敗れている)に基づくものであり、レーティングの算出方法からすると妥当ではある。しかし3歳馬に対するレーティングと古馬に対するレーティングを同列に論ずることは出来ない事を承知した上で、あえて書かせてもらえば、(ウォーニングには申し訳ないが)ウォーニングより本馬のほうが断然強かったと筆者は思っている。ジャックルマロワ賞では本馬のほうがウォーニングより斤量は1.5kg重かったし、BCマイルでは同斤量だった。本馬の主戦だったヘッド騎手は本馬の訃報に接した際に「彼女は2歳時も3歳時も4歳時も非凡な才能を示しました」と語っているが、全くそのとおりで、3歳時しかまともに走っていないウォーニングやジルザルやマークオブエスティーム(この3頭の共通点はクイーンエリザベスⅡ世Sを完勝して高評価を得たが、BCマイルでは惨敗している点である。国際クラシフィケーションや英タイムフォーム社は、一般的な感覚と異なり、BCマイルよりクイーンエリザベスⅡ世Sの方を重視しているようである)よりも本馬のほうが最強マイラーと呼ぶに相応しい存在であろう。

筆者の中では、本馬と世界史上最強マイラーの座を争う資格がある馬は、牝馬ではゴルディコヴァ、牡馬ではブリガディアジェラードフランケルワイズダンくらいだろうか。1度目のBCマイルでは、三角で加速しながら内埒沿いの経済コースを走り抜けている。この様子を見た筆者は「何て脚捌きが軽やかな馬だろうか」という感想を抱いた。しかし2度目のBCマイルにおいて直線を突き抜けていった時は、軽やかさではなく力強さを感じた。欧州・米国・日本・その他の地域を比較すると、同じ芝競走でも芝の長さやコーナーの角度に大きな差があり、どこの地域でも順応できる馬というのはなかなかいない。しかし本馬であれば、世界中どこの競馬場でも適応できるだろう。日本にもノースフライトやウオッカといったマイル戦では抜群の切れ味を誇る牝馬がいたが、本馬なら日本の競馬場でこの2頭と瞬発力勝負を演じても互角以上に戦えそうである。

1999年には米国競馬の殿堂入りを果たした。米国競馬名誉の殿堂博物館のウェブサイトにおいては、殿堂入りした馬の中で最も国際的な経歴の持ち主であると紹介されている(個人的にはそれはダリアだと思うが)。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第82位。

血統

Nureyev Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Special Forli Aristophanes Hyperion
Commotion
Trevisa Advocate
Veneta
Thong Nantallah Nasrullah
Shimmer
Rough Shod Gold Bridge
Dalmary
Pasadoble Prove Out Graustark Ribot Tenerani
Romanella
Flower Bowl Alibhai
Flower Bed
Equal Venture Bold Venture St. Germans
Possible
Igual Equipoise
Incandescent
Santa Quilla Sanctus Fine Top Fine Art
Toupie
Sanelta Tourment
Satanella
Neriad Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Sea-Change Count Fleet
Now What

ヌレイエフは当馬の項を参照。

母パサドーブルは、クリスタルグリッターズなどを生産したドン・マニング夫妻により生産された米国産馬である。競走馬としては仏国で走り10戦4勝、カロンヌ賞・リアンクール賞に勝っている。パサドーブルの直子で競走馬として活躍したのは本馬のみだが、本馬の半妹ワンライフ(父レミグラン)の子には日本で走ったキュンティア【2着阪神三歳牝馬S(GⅠ)】、孫にはキュンティアの子であるオディール【ファンタジーS(GⅢ)】、曾孫にはルカヤン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・ハリウッドターフカップS(米GⅡ)】が、本馬の全妹マッサラートの孫にはサイレントオナー【チェリーヒントンS(英GⅡ)】、シルクウッド【リブルスデールS(英GⅡ)】が、本馬の全妹ヨジャの子にはシックスパーフェクションズ【BCマイル(米GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・カルヴァドス賞(仏GⅢ)】、シックスパーフェクションズの子にはプラネットファイヴ【グロシェーヌ賞(仏GⅡ)】がいる。

パサドーブルの母サンタキラも優れた繁殖牝馬であり、パサドーブルの半兄シルヴァーシュプリーム(父アルハタブ)【ブルックリンH(米GⅠ)・マサチューセッツH(米GⅢ)】を産んだほかに、パサドーブルの半妹サンテラ(父コースタル)の曾孫に日本で走ったミラクルレジェンド【エンプレス杯(GⅡ)・クイーン賞(GⅢ)・マリーンC(GⅢ)・レパードS・JBCレディスクラシック2回・レディスプレリュード2回】とローマンレジェンド【東京大賞典(GⅠ)・エルムS(GⅢ)2回・みやこS(GⅢ)】の姉弟が、パサドーブルの半妹ホーリートービン(父ジェイオートービン)の孫に香港の名馬グッドババ【香港マイル(香GⅠ)3回・香港スチュワーズC2回・クイーンズシルヴァージュビリーC】がいる。サンタキラの半妹にはコンテスドロワール【サンタラリ賞(仏GⅠ)】がいる。

サンタキラの祖母シーチェンジは、1950年の米最優秀3歳牝馬と1952年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれた名牝ネクストムーヴ【CCAオークス・ガゼルH・ベルデイム2回・レディーズH・ヴァニティH】の半妹で、シーチェンジの母は1939年の米最優秀2歳牝馬に選ばれたナウワット【アーリントンラッシーS・デモワゼルS】。ナウワットの母ザッツザットの全兄には米国顕彰馬サラゼン【メトロポリタンH2回・カーターH】がいる。→牝系:F20号族②

母父プルーヴアウトはグロースターク直子で、現役成績は39戦9勝。ウッドワードS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・グレイラグH(米GⅡ)を勝っている。特に米国三冠馬セクレタリアトを一敗地にまみれさせたウッドワードSは名高い。しかし種牡馬としては9頭のステークスウイナーを出すに留まり、GⅠ競走勝ち馬はゼロと、ほぼ完全な失敗に終わった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はニアルコス氏の所有のまま、米国ケンタッキー州レーンズエンドファームのオークツリー分場で繁殖入りした。本馬の繁殖成績は競走成績に匹敵するほど素晴らしいものとなった。

6歳時には初子となる牡駒キングマンボ(父ミスタープロスペクター)を産んだ。キングマンボは競走馬として仏2000ギニー(仏GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)勝ちなど13戦5勝の成績を残しただけでなく、種牡馬としても、エルコンドルパサー、キングカメハメハ、レモンドロップキッドキングズベストアルカセットルシアンリズムディヴァインプロポーションズヘンリーザナヴィゲーターなど数々の名馬を送り出し、世界有数の大種牡馬となった(詳細は当馬の項を参照)。

7歳時には2番子の牝駒イーストオブザムーン(父プライヴェートアカウント)を産んだ。イーストオブザムーンは仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)勝ちなど8戦4勝の成績を残した(詳細は当馬の項を参照)。

初子と2番子がいずれもGⅠ競走3勝馬となったわけであるから、この段階で本馬の繁殖牝馬としての名声は不動のものとなった。結局この2頭の後にはGⅠ競走を勝つ子は出なかったのだが、それでも特筆性がある子が多い。

8歳時には3番子の牡駒ミエスクズサン(父ミスタープロスペクター)を産んだ。ミエスクズサンは6戦1勝だったが、唯一の勝ち星はリゾランジ賞(仏GⅢ)で、フォレ賞(仏GⅠ)・モーリスドギース賞(仏GⅠ)で各2着しており、その実力はGⅠ競走級だった。種牡馬入りしたミエスクズサンは、全兄キングマンボほどではないにしても活躍し、ジャックルマロワ賞などGⅠ競走3勝のウィッパーやBCマイルの勝ち馬ミエスクズアプルーヴァルなどを出した。

9歳時には4番子の牝駒ムーンイズアップ(父ウッドマン)を産んだ。ムーンイズアップは5戦1勝の成績を残して繁殖入りした。ムーンイズアップはニアルコスファミリーによって社台グループに預託されて日本で繁殖生活を送っていた時期があった。後に豪州に移動して、南アフリカのGⅠ競走セクウィニSに勝利したアマーニを産んでいる。また、ムーンイズアップが日本でサンデーサイレンスとの間に産んだサンイズアップの息子である日本産馬カラコンティは、2013年のジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)に加えて、2014年の仏2000ギニー(仏GⅠ)、そしてBCマイル(米GⅠ)をも勝つ活躍を見せた。カラコンティのBCマイル制覇は史上初の日本産馬によるブリーダーズカップ制覇でもあった。また同競走で2着に敗れたアノディンはゴルディコヴァの全弟であり、本馬の曾孫がゴルディコヴァの全弟を破るという面白い結果となった。

10歳時には5番子の牝駒モネヴァシア(父ミスタープロスペクター)を産んだ。モネヴァシアは2戦未勝利に終わったが、これまた繁殖入りして成功。ランプルスティルトスキン【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)】を産み、さらにランプルスティルトスキンは母としてタペストリー【ヨークシャーオークス(英GⅠ)】を産んでいる。モネヴァシアの孫には日本で走っているリアルスティール【共同通信杯(GⅢ)】もいる。

12歳時には6番子の牡駒ミシックトライブ(父ミスタープロスペクター)を産んだ。ミシックトライブは1戦未勝利に終わったが、キングマンボの全弟という血統は魅力的であり、日本のアロースタッドで種牡馬入りした。しかし活躍馬を出せないまま2008年に種牡馬廃用となっている。

13歳時には7番子の牝駒ミア(父ミスタープロスペクター)を産んだ。ミアは不出走のまま繁殖入りした。今のところ活躍馬は出ていない。

14歳時には8番子の牝駒インヴェンティングパラダイス(父ミスタープロスペクター)を産んだ。インヴェンティングパラダイスは9戦1勝の成績で繁殖入りした。今のところ活躍馬は出ていない。

15歳時には9番子の牡駒キタルファ(父ミスタープロスペクター)を産んだ。キタルファは不出走のままジンバブエで種牡馬入りした。ジンバブエ国内ではトップクラスの種牡馬成績を残したため、後にケンタッキー州に栄転となったが、2012年に癌のため他界している。米国ではこれといった活躍馬を出していない。

今まではミスタープロスペクターと交配される事が多かった本馬だが、キタルファを産んだ1999年はエーピーインディと交配された。なお、ミスタープロスペクターは同年6月にこの世を去っている。翌16歳時には10番子の牡駒ミンガン(父エーピーインディ)を産んだ。ミンガンはメルドS(愛GⅢ)勝ちなど8戦3勝の成績を残し、現在はケンタッキー州で種牡馬入りしている。

17歳時には11番子の牝駒エンジェルスネスト(父ストームキャット)を産んだ。エンジェルスネストは不出走のまま繁殖入りした。今のところ活躍馬は出ていない。

18歳時には12番子の牝駒セカンドハピネス(父ストームキャット)を産んだ。セカンドハピネスは1戦未勝利で引退し、すぐに日本で繁殖入りした。今のところ活躍馬は出ていない。

20歳時には13番子の牝駒アマ(父ストームキャット)を産んだ。アマは2戦未勝利の成績で繁殖入りした。今のところ活躍馬は出ていない。

21歳時には14番子の牡駒ジャドポット(父エーピーインディ)を産んだ。ジャドポットは不出走のまま南アフリカで種牡馬入りした。ジャドポットは南アフリカで複数のGⅠ競走勝ち馬を出しており、今後が期待できそうである。

このジャドポットが本馬の最後の子となり、その後はレーンズエンドファームのオークツリー分場で余生を送った。2011年1月に老衰のため27歳で安楽死の措置が執られた。

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