パーシャンガルフ

和名:パーシャンガルフ

英名:Persian Gulf

1940年生

鹿毛

父:バーラム

母:ダブルライフ

母父:バチェラーズダブル

3歳時は未勝利の身で出走した英ダービー・英セントレジャーいずれも4着だったが4歳時にコロネーションCなど4勝を挙げて歴史的名馬との評価を得る

競走成績:3・4歳時に英で走り通算成績9戦4勝2着2回

誕生からデビュー前まで

本馬の半兄プリシピテイションの生産者兼所有者でもあったレディ・ジーア・ワーナー女史により生産・所有された英国産馬で、プリシピテイションも手掛けた英国セシル・ボイド・ロッチフォート調教師に預けられた。ロッチフォート師は2歳時の本馬を「私が手掛けた馬の中では最高の馬であり、間違いなく偉大な競走馬になるでしょう。しかし彼が偉大になるのは今年ではありません」と評した。そんな次第で2歳戦を走ることは無く、デビューは3歳になってからだった。

競走生活(3歳時)

デビュー戦はニューマーケット競馬場で行われた芝10ハロンの未勝利ステークスだったが、5着に敗退。そして未勝利の身で出走したデビュー2戦目は、英ダービーだった。なお、本馬が競走生活を送っていた時期は第二次世界大戦の最中だったため、通常英ダービーが施行されるエプソム競馬場は閉鎖されており、本馬が出走したのはニューマーケット競馬場で行われた代替競走ニューダービー(T12F)だった。対戦相手は、デューハーストSの勝ち馬ユミッドダッド、コヴェントリーSの勝ち馬でミドルパークS2着のナスルーラ、デューハーストS・コヴェントリーSでいずれも2着だったストレートディールなど22頭だった。スタートが切られると本馬は果敢に逃げを打ち、レース中盤まで馬群を先導した。最終的には力尽き、ストレートディールの4着に敗れたが、同世代トップクラスの馬22頭のうち19頭に先着したわけだから、今後の飛躍が期待できる結果ではあった。

次走は8月にニューマーケット競馬場で行われた芝12ハロンの未勝利ステークスだった。しかし結果は鼻差2着であり、未勝利を脱出することは出来なかった。その後は9月にニューマーケット競馬場で行われた英セントレジャーの代替競走ニューセントレジャー(T14F150Y)に向かった。対戦相手は、ストレートディール、ニューダービーで3着だったナスルーラ、英1000ギニー馬ヘリングボーン、ミドルパークSの勝ち馬で英1000ギニー・英オークス(ニューオークス)2着のリボンなどだった。今回の本馬は好位につけて様子を見て、直線に入ってから仕掛けていったんは先頭に立ったが、ゴール前で失速して、ヘリングボーンの4着に敗れた。3歳時は結局4戦未勝利だった。

競走生活(4歳時)

本馬が4歳になった1944年は第二次世界大戦がより激しさを増した年であり、英国内における競馬開催は一層縮小された。そのために古馬になっても走る馬は少数派であり、本馬が出走するレースにも対戦相手がろくに集まらず、単走となる場合が多かった。シーズン初戦はニューマーケット競馬場で出たエイプリルS(T10F)となり、ここでようやく初勝利を挙げた。次走のリントンS(T11F)も勝利した。

この後にニューマーケット競馬場で出走したフェンディットンS(T16F24Y)では、最初の5ハロンを58秒22、7ハロンは1分21秒51、1マイルを1分33秒15で通過し、最終的には3分07秒6というタイムで走破して勝利したという。この16ハロン24ヤードは約3240.6mに相当するのだが、これより約40m距離が短い日本の天皇賞春における2015年現在の最速タイムが、ディープインパクトが2006年に計時した3分13秒4である事を考慮すると、いくらなんでも速すぎる。計測が誤っていたか、距離が実際と違っていたかのいずれかであると思われるが、ザ・デイリー・ニュース紙に掲載されている記事であり、まったくの作り話というわけではなさそうである。

それはさておき、ろくな対戦相手が現れずに能力を十分に証明できていなかった本馬の前にようやく実力馬が出現したのは、夏に差し掛かった時期のソーニーS(T14F)だった。その実力馬とは、前年のニューダービー2着馬ユミッドダッドだった。ここでは、4ポンドのハンデを与えたユミッドダッドと後続馬を10馬身も引き離す大激戦を演じた末に、首差2着に敗れた。

次走は、ノルマンディー上陸作戦が決行された6月6日と同日にニューマーケット競馬場で行われたコロネーションC(T12F)だった。ユミッドダッドも出走していたが、本馬が単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持された。ロバート・A・“ボビー”・ジョーンズ騎手が騎乗する本馬は、スタートから先頭に立って馬群を牽引。同コースで施行された前年のニューダービーでは粘り切れなかったが、ここでは最後まで脚色が衰えることは無く、2着ハイチャンセラーに3/4馬身差、ユミッドダッドにはさらに2馬身1/4差をつけて勝利した。

これでようやく能力に相応しいタイトルを手にした本馬は、同月末のアスコット金杯を目標として調整されていたが、レース直前に左前脚の大砲骨を骨折してしまい、そのまま4歳時5戦4勝の成績で競走馬を引退した。本馬不在のアスコット金杯(やはりニューマーケット競馬場で施行された)は、ユミッドダッドが勝利を収めた。

本馬は結局コロネーションC以外の大競走を制することは無く、字面上の競走成績からすると歴史的名馬とは言い難い。しかし例のフェンディットンSにおける異常な好タイムがそのまま信用されたためかどうかは定かではないが、20世紀英国競馬史上においても有数の名馬と評価されている。

血統

Bahram Blandford Swynford John o'Gaunt Isinglass
La Fleche
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Blanche White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess
Friar's Daughter Friar Marcus Cicero Cyllene
Gas
Prim Nun Persimmon
Nunsuch
Garron Lass Roseland William the Third
Electric Rose
Concertina St. Simon
Comic Song
Double Life Bachelor's Double Tredennis Kendal Bend Or
Windermere
St. Marguerite Hermit
Devotion
Lady Bawn Le Noir Isonomy
Knavery
Milady Kisber HUN
Alone
Saint Joan Willbrook Grebe Bend Or
Greeba
Nora Gough Royal Emperor
Countess Gough
Flo Desmond Desmond St. Simon
L'Abbesse de Jouarre
Flighty Flo Flying Hackle
Timothy Mare

バーラムは当馬の項を参照。

母ダブルライフは、ワーナー女史の代理人としてセリに参加したロッチフォート師により1歳時に600ギニーで購入された。かなり優れた競走馬であり、ドゥークオブヨークH・ケンブリッジシャーHなど4勝(資料によっては6勝)を挙げている。ケンブリッジシャーHでは他馬より10ポンド重いハンデ差を克服して勝利している(同レース史上最大級のハンデ差勝利だったという)。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の半兄プリシピテイション(父ハリーオン)【アスコット金杯・ジョッキークラブS・キングエドワードⅦ世S】、半兄カサノヴァ(父ハイペリオン)【デューハーストS】などを産んだ。また、本馬の2歳年上の全姉ダブルトンの孫には英国牝馬三冠馬メルド【英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・コロネーションS】、メルドの子にはシャーロットタウン【英ダービー・コロネーションC】が、本馬の1歳年下の半妹フェアリー(父フェアウェイ)の子にはジュディケイト【愛セントレジャー】がおり、ダブルライフはワーナー女史の馬産における基礎繁殖牝馬となった。

ダブルトンの牝系子孫は現在も残っており、カラグロウ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、ラモンティ【ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・香港C(香GⅠ)】、オリンピックデュエル【パドックS(南GⅠ)2回・SAフィリーズギニー(南GⅠ)・ケープフィリーズギニー(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)・SAチャンピオンズC(南GⅠ)】、アレイル【エイントリーハードル(英GⅠ)3回・ディセンバーフェスティバルハードル(愛GⅠ)】など世界各国で活躍馬が出ている。ダブルライフの9代母は、英1000ギニー・英2000ギニー・英オークスを勝った名牝クルシフィックスである。→牝系:F2号族②

母父バチェラーズダブルはプリシピテイションの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、第二次世界大戦が終結した1945年から英国で種牡馬生活を開始した。英愛首位種牡馬になる事は無かったが、英愛種牡馬ランキングトップ12に入る事8回と、種牡馬としてはかなりの成功を収めた。1964年に24歳で他界した。

本馬の直系子孫は、後継種牡馬の1頭として活躍したタメルランを経由して後世に受け継がれた。タメルランの直子ジンギスカーンは、歴史上唯一の独国三冠馬ケーニヒスシュトゥールを輩出。そしてケーニヒスシュトゥールは独国繋養種牡馬として史上初の世界的名種牡馬となったモンズーンを出し、21世紀まで本馬の直系が残る原動力となった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1947

Abadan

愛フェニックスS・コーク&オラリーS・ダイアデムS

1948

Queen of Sheba

愛1000ギニー・チェシャーオークス・ロイヤルハントC

1949

Khor-Mousa

ロイヤルロッジS

1949

Zabara

英1000ギニー・チェヴァリーパークS・コロネーションS

1950

Olga

ハンガーフォードS

1951

Zarathustra

愛ダービー・愛セントレジャー・アスコット金杯・グッドウッドC

1952

Double Luck

フロール賞

1952

Tamerlane

セントジェームズパレスS・ニューS・ジュライS

1953

Clarification

ホーリスヒルS

1953

Flying Trapeze

ネッティーH

1953

Rustam

英シャンペンS

1954

Agreement

ドンカスターC2回

1954

Star Magic

コーンウォリスS

1954

Wake Up!

プリンセスオブウェールズS

1955

Crystal Bay

ホワイトローズS

1955

Persian Road

エボアH

1955

Restoration

キングエドワードⅦ世S

1956

Parthia

英ダービー・ホワイトローズS・リングフィールドダービートライアルS・ディーS・ジョッキークラブC

1957

Green Opal

チャイルドS・プリンセスロイヤルS

1958

Persian Lancer

シザレウィッチH

1959

Persian Wonder

ディーS

1960

Ashavan

ケルゴルレイ賞

1960

Beau Persan

ダリュー賞

1960

Red Flame

ミネルヴ賞

1962

Gulf Pearl

チェスターヴァーズ

1963

Persian War

英チャンピオンハードル3回

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