ブルームスティック

和名:ブルームスティック

英名:Broomstick

1901年生

鹿毛

父:ベンブラッシュ

母:エルフ

母父:ガリアード

国内外を問わずに長年に渡り活躍馬を出し20世紀初頭における米国競馬のトップ種牡馬の1頭として君臨したトラヴァーズSの勝ち馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績39戦14勝2着11回3着5回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州マックグラシアナスタッドにおいて、同牧場の所有者ミルトン・ヤング大佐により生産された。米ブラッドホース社の記事中で「ポニーよりは大きい程度」と形容されるほど馬格が小さかったが、その一方で精神面の強さが大きく評価されていた。

1歳時に同じ牧場の1歳馬10頭セットのうちの1頭として、米ジョッキークラブの会員及びチャーチルダウンズ競馬場の主要株主でもあったペンシルヴァニア州ピッツバーグの炭鉱王サミュエル・S・ブラウン大尉に購入された(10頭の合計価格は1万7100ドル又は1万7千ドルだった)。ブラウン大尉は所有馬のトルバドールでサバーバンHを勝ち、名牝ミスウッドフォードとのマッチレースにも勝利していた。

競走生活(2・3歳時)

ピーター・ウィマー調教師に預けられた本馬は2歳5月にモリスパーク競馬場で行われたジュヴェナイルS(D5F)でデビュー。1番人気に支持されていたプレシャスストーンという馬を短頭差で破って勝利した。それから3週間後に出走したエクスペクテーションS(D5F)では、「他馬を嘲笑うかのような容易さで」勝利を収めた。さらにグレートアメリカンS(D5F)では、後にシャンペンSを勝つスタルワートを2着に破って勝利した。しかしデビューからあまりにも簡単に3連勝した事が逆に仇となり、この後は小柄な本馬にとって厳しい斤量が課せられるようになった。

6月のグレートトライアルS(D6F)では129ポンドを課せられてしまい、7ポンドのハンデを与えたプルススの1馬身差2着に敗れて初黒星。スプリングS(D6F)でも128ポンドが課せられ、16ポンドのハンデを与えたギャラントの2着に敗れた。他にもサラトガスペシャルS(D5.5F)でアリストクラシーの2着、フラットブッシュS(D7F)では後にアメリカンダービーを勝つハイボールの2着に敗れるなど、2歳戦では勝利を上乗せすることが出来ず、結局2歳時の成績は9戦3勝2着4回となった。

3歳時は管理調教師がボブ・タッカー師に交代となった。まずは5月にモリスパーク競馬場で行われたハンデ競走から始動して勝利。その後に出走したブライトンH(D10F)では、サラトガスペシャルS・ブルックリンHなどを勝っていた4歳馬アイリッシュラッド、フラットブッシュSで本馬を破ったハイボールといった強敵との顔合わせとなった。レースは本馬とアイリッシュラッドの激しい一騎打ちとなったが、アイリッシュラッドがゴール直前で故障(致命傷ではなくその後も活躍している)したために本馬が勝利を収めた。勝ちタイムの2分02秒8はそれまでの記録2分02秒4を更新する当時の全米レコードだった。この全米レコードが破られるのはこれから9年後のサバーバンHで、本馬の息子ウィスクブルームが139ポンドという酷量を背負いながら2分フラットで走破して父のタイムを2秒4も更新した(ただし斤量からすると常識外のタイムであるため当時から議論の的となっている)。

さらにトラヴァーズS(D10F)に出走。現在は定量戦であるトラヴァーズSだがその当時はそうではなく、本馬には129ポンドという厳しい斤量が課せられた。しかし13ポンドのハンデを与えたボバディルを2着に、18ポンドのハンデを与えたオーディターを3着に破って勝利した。

シーズン後半にはフライングH(D6F)に出て、同世代の有力牝馬レディアメリアを2着に破って勝利。セカンドスペシャルS(D12F)では同世代の名牝ベルデイムの2着だった。この年は他にもマーチャント&シチズンズH(D9F)で牝馬モリーブラントの2着するなどして、3歳時の成績は15戦6勝2着4回3着3回だった。

競走生活(4歳時)

4歳になった本馬の前には、1歳年下のサイソンビーという強豪馬が立ち塞がった。サイソンビーは2歳時のベルモントフューチュリティSこそ米国競馬史上に名を残す名牝アートフルに屈して3着に敗れていたが、それ以外はサラトガスペシャルS・メトロポリタンH・タイダルSなど一度も負ける事無く本馬に挑戦状を叩きつけてきた。2頭の初顔合わせは7月のコモンウェルスH(D10F)となった。しかしここではサイソンビーが2着プロパーに4馬身差をつけて快勝し、本馬は着外に敗れてしまった。

2度目の顔合わせは8月のグレートリパブリックS(D10F)だった。サイソンビーはコモンウェルスH勝利後にローレンスリアライゼーションSなど3連勝してここに臨んできていた。しかしサイソンビーはスタートで100ヤードも出遅れるという致命的な失敗を犯し、さすがに今度は本馬が勝つと思われた。ところがゴール直前で猛然と追い込んできたサイソンビーが2着オワソーに3馬身差をつけて勝利を収め、本馬は3着に敗れた。

3度目の顔合わせは9月のセンチュリーS(D12F)だった。しかしここでもサイソンビーが勝ち、本馬はメイトロンSやジェロームHを勝っていた3年前の米最優秀2歳牝馬及び2年前の米最優秀3歳牝馬ユージニアバーチを何とか3着に抑えたが、勝ったサイソンビーから2馬身差をつけられて2着に敗れた。

それから1週間後には、アニュアルチャンピオンS(D18F)でサイソンビーと4度目にして最後の対決となった。しかし結果はサイソンビーが2着オワソーに4馬身差をつけて楽勝し、本馬は3着に敗退。結局サイソンビーとは4度戦って1度も勝てなかった。

4歳時の本馬はサイソンビーと戦った4戦以外にも11戦を消化しており、シープズヘッドベイ競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走で133ポンドを背負いながら勝利を収め、また、シープズヘッドベイ競馬場ダート8ハロンの一般競走では、同世代のローレンスリアライゼーションS勝ち馬オートウェルズなどを破って勝利するなど5勝を挙げたが、この年の勝ち星の中にステークス競走は無かった。4歳時の成績は15戦5勝2着3回3着2回で、重い斤量を課される事が多かったとは言え、過去2年に比べると競走能力が減退していたと評されている。本馬は4歳限りで競走馬を引退した。

血統

Ben Brush Bramble Bonnie Scotland Iago Don John
Scandal
Queen Mary Gladiator
Plenipotentiary Mare 
Ivy Leaf Australian West Australian
Emilia
Bay Flower Lexington
Bay Leaf
Roseville Reform Leamington Faugh-a-Ballagh
Pantaloon Mare
Stolen Kisses Knight of Kars
Defamation
Albia Alarm Eclipse
Maud
Elastic Kentucky
Blue Ribbon
Elf Galliard Galopin Vedette Voltigeur
Mrs. Ridgway
Flying Duchess The Flying Dutchman
Merope
Mavis Macaroni Sweetmeat
Jocose
Merlette The Baron
Cuckoo
Sylvabelle Bend Or Doncaster Stockwell
Marigold
Rouge Rose Thormanby
Ellen Horne
St. Editha Kingley Vale Nutbourne
Bannerdale 
Lady Alice Chanticleer
Agnes

ベンブラッシュは当馬の項を参照。

母エルフは英国産馬で米国に輸入され、本馬の宿敵サイソンビーの所有者だったジェームズ・ロバート・キーン氏の所有馬となった。しかしキーン氏は不出走のまま繁殖入りしたエルフにベンブラッシュを交配させた後に、エルフは不妊症ではないかという疑いを抱き始めた(その理由は資料に記載が無く不明)。結局エルフはそのまま250ドルという安値で売りに出され、ヤング大佐に購入されてマックグラシアナスタッドで繁殖生活を続けた。エルフは不妊症でもなんでもなく、マックグラシアナスタッドに来た時点ではちゃんとベンブラッシュの子を受胎しており、その翌年に初子となる本馬を産んでいる。

エルフの産駒には本馬の半弟ブルームハンドル【モンゴメリーC】もいる。エルフの半妹フライングスコードロン(父サラバンド)の牝系子孫には、日本で走ったマイネルレコルト【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】などがいる。また、エルフの半妹シルヴァン(父ディスガイズ)の牝系子孫には、ハーモニカ【CCAオークス・サバーバンH】、ターンバックジアラーム【マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅠ)・ヘンプステッドH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドS(米GⅠ)】、ハートレイク【安田記念(日GⅠ)】、日本で走ったダンツシアトル【宝塚記念(GⅠ)】などがいる。

エルフの母シルヴァベルの半兄には、英ダービーをハーヴェスターとの同着で勝利したセントガティエン【英ダービー・アスコット金杯・ジョッキークラブC3回】がいる。→牝系:F16号族③

母父ガリアードはガロピン直子の英2000ギニー馬だが、種牡馬としてはあまり成功できなかった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はブラウン大尉がケンタッキー州レキシントンに所有していたセニョリータスタッドファーム(現ケンタッキーホースパーク)で1906年から種牡馬となった。この年のうちにブラウン大尉は死去(前年の1905年暮れに死去したとする資料もある)したが、本馬はその後もブラウン大尉の後を継いだ息子W・ハリー・ブラウン氏(父と違って競馬には興味が無く、いずれは牧場も所有馬も手放すつもりでいた)のはからいにより、しばらく同牧場に留め置かれた。

2年後の1908年11月にブラウン氏が牧場と所有馬を全て売却したため、本馬はハリー・ペイン・ホイットニー氏により7250ドルで購入された。ホイットニー氏は本馬の初年度産駒であるウィスクブルームも購入していたのだが、ウィスクブルームの購入と管理を担当したアンドリュー・ジャック・ジョイナー調教師は本馬を一目見て非常に気に入っており、ジョイナー師の強い薦めによりホイットニー氏は本馬の購入を決断したと伝えられている。ニュージャージー州ホイットニーファームに移り住んだ本馬は、後にホイットニー氏がケンタッキー州で購入した新しいホイットニーファーム(現ゲインズウェイファーム)に移動している。

本馬のところに集まった繁殖牝馬の数は少なかったために産駒数も伸びず、産駒数は毎年平均11頭程度だった。しかしどうやら繁殖牝馬を厳選していたのがその理由だったらしく、本馬の産駒は量的には少なくても質的には非常に高かった。生涯で280頭の産駒を出したが、そのうち約75%に当たる200頭強が勝ち上がり、うち69頭がステークスウイナーとなる成功を収めた(ステークスウイナー率は24.6%)。1913年から1915年まで3年連続で北米首位種牡馬となるなど、1911年から1927年まで18年連続で北米種牡馬ランキングのトップテン入りしている。

本馬は単なる米国内限定種牡馬ではなく、海外に輸出された産駒もいた。代表産駒の1頭ウィスクブルームも現役当初は英国で走っている(ただし英国ではあまり芽は出なかった)し、やはり英国で走ったスウィーパーは英2000ギニーを優勝している。本馬は前年に死去したホイットニー氏の後を追うように1931年に30歳で他界したが、この年にも種牡馬として活動しており、生涯現役だった。遺体はホイットニーファームの墓地内に埋葬されていた息子ウィスクブルーム(この3年前の1928年に21歳で他界していた)の隣に埋葬された。後に娘のリグレットや孫のエクワポイズも同墓地内に埋葬されている。没後の1932年と33年には北米母父首位種牡馬にも輝いた。1956年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1907

Whisk Broom

メトロポリタンH・ブルックリンH・サバーバンH・トライアルS

1908

Meridian

ケンタッキーダービー・エクセルシオールH

1909

Buckhorn

ブルックリンH・クラークH

1909

Sweeper

英2000ギニー・リッチモンドS

1911

Holiday

プリークネスS

1912

Regret

ケンタッキーダービー・サラトガスペシャルS・サンフォードS・ホープフルS・ガゼルH

1913

Thunderer

ベルモントフューチュリティS

1914

Cudgel

ブルックリンH・ディキシーH

1917

Wildair

メトロポリタンH

1918

Broomspun

プリークネスS

1918

Nancy Lee

ケンタッキーオークス・デモワゼルS

1919

Rocket

トボガンH

1921

Pepp

マンハッタンH

1923

Navigator

スチュワーズC

1924

Bostonian

プリークネスS

1924

Saxon

ウッドメモリアルS

1925

Brooms

ホープフルS

1926

Beacon Hill

トラヴァーズS

1927

Flimsy

ピムリコオークス

1928

Halcyon

クイーンズカウンティH2回・ジャマイカH

TOP