ソラリオ

和名:ソラリオ

英名:Solario

1922年生

鹿毛

父:ゲインズボロー

母:サンウォーシップ

母父:サンドリッジ

当初はピカルーンやマンナの引き立て役だったが3歳秋に英セントレジャーを制して一気に頂点に君臨した名長距離馬は種牡馬としても優秀な成績を収める

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績12戦6勝2着1回3着2回

誕生からデビュー前まで

英国保守党所属の政治家で、愛国の事業家・地主でもあった第4代ダンレイヴン伯爵ウィンダム・トーマス・ウィンダム・クイン卿により生産された愛国産馬である。同じく英国保守党所属の政治家だった初代准男爵ジョン・ラザフォード卿により1歳時に3500ギニーで購入されて、英国レジナルド・デイ調教師に預けられた。脚が長くて背中が短く、いかにも長距離馬という体型をしていたとされる。

競走生活(3歳前半まで)

2歳6月にアスコット競馬場で行われたチェシャムS(T7F)でデビューしたが、プアースキャッツの3着に敗退。ニューマーケット競馬場に場所を移して出走したエクセターS(T7F)で初勝利を挙げた。さらにミドルパークS(T6F)に出走した。ここではいずれも本馬の好敵手となるインペリアルプロデュースSの勝ち馬ピカルーン、リッチモンドSの勝ち馬でインペリアルプロデュースS2着のマンナとの対戦となった。今回はピカルーンが勝利を収め、本馬は追い上げ及ばずに1馬身半差の2着、マンナはさらに首差の3着だった。2歳時の成績は3戦1勝だった。

3歳時は英国クラシック路線の王道として、前哨戦を叩いて英2000ギニー・英ダービーへと向かう計画を組んだ。まずは4月にニューマーケット競馬場で行われたクレイヴンS(T8F)に出走した。しかし、ピカルーン、後にニューマーケットS・ニューマーケットセントレジャー・ロイヤルハントCを勝ちセントジェームズパレスSで2着するクロスボウの2頭に後れを取り、勝ったピカルーンから3馬身半差の3着に敗れた。

次走の英2000ギニー(T8F)では、屈腱炎を発症してしまったピカルーンは不在だった。しかし、これが3歳初戦だったマンナ、セントビーキャン、オージャーの3頭に屈して、勝ったマンナから6馬身以上の差をつけられた4着に終わった。

次走の英ダービー(T12F)では、マンナが2着となったデューハーストSの勝ち馬で後の愛ダービー馬シオニストに8馬身差をつける圧倒的な強さを披露し、仏ダービー3着馬ザサーダーにも後れを取った本馬は、勝ったマンナから10馬身以上後方の4着に終わった。

競走生活(3歳後半)

次走のアスコットダービー(T12F)でもマンナとの対戦となったが、ここでは本馬が2着となった後のリヴァプールサマーCの勝ち馬スパルスに1馬身半差をつけて勝ち、マンナはさらに半馬身差の3着だった。翌7月に出走したプリンセスオブウェールズS(T12F)では、ノーザンバーランドプレートの勝ち馬で英シャンペンSでは快速牝馬ムムタズマハルの2着という実績もあった4歳牡馬オブリテレイトを1馬身半差の2着に、コロネーションC・クレイヴンS・ライムキルンS・ロウザーS・リヴァプールセントレジャーの勝ち馬で前年の英ダービー2着・エクリプスS3着の4歳牡馬セントジャーマンズを3着に破って勝利した。

そして秋の英セントレジャー(T14F132Y)に直行して、ここでマンナと5度目、表向きは屈腱炎から回復してきたとされていたピカルーンと3度目の対戦となった。1918年のゲインズボロー以来7年ぶり史上14頭目の英国三冠馬を目指すマンナと本馬が並んで単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持され、ピカルーンは単勝オッズ8倍の3番人気だった。雨が降りしきっていたために視界不良の中で行われたレースでは、逃げると思われていた後のアスコット金杯・ノーザンバーランドプレートの勝ち馬フォックスローが出遅れてしまい、マンナが先頭に押し出された。ピカルーンがそれを追って先行し、ジョー・チルズ騎手が手綱を取る本馬は好敵手2頭を見るようにその後方につけた。本馬は残り6ハロン地点で早くも仕掛けて、直線に入ると一気に馬群を突き抜けて先頭に躍り出た。後は馬なりのまま悠々とゴールまで走り抜け、2着となったセントジェームズパレスSの勝ち馬でエクリプスS2着のザンボを3馬身差の2着に、3着となったチェスターフィールドCの勝ち馬ウォーデンオブザマーチス(翌年にチェスターフィールドCの2連覇を果たしただけでなくシティ&サバーバンH・ロウス記念S・英チャンピオンSにも勝利)にはさらに3馬身差をつけて完勝。ピカルーンは4着で、マンナは10着に惨敗した。

本馬の3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は6戦3勝だった。なお、この年から所有する機関車に競走馬の名前を付ける事を始めたロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道は、早速本馬の名前を機関車に名付けた。この機関車「ソラリオ」は1959年12月まで34年間に渡って走り続けた。

競走生活(4歳時)

英セントレジャーを最後に引退したマンナや、英セントレジャー敗退後に英チャンピオンSを勝つも脚の状態が極度に悪化して命を落としたピカルーンとは異なり、本馬は4歳時も現役を続行した。まずは5月にニューマーケット競馬場で行われたジョッキークラブS(T14F)から始動した。英セントレジャーでは見せ場が無かったフォックスロー、後にナッソーS・リブルスデールS・ハードウィックSを勝ち英チャンピオンSでフェアウェイの首差2着するフォリエーション、後にこの年のエクリプスSで2着するコメディキングなどを抑えて単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。そしてその期待に応えて、フォックスローを首差の2着に抑えてトップゴールした。ところが道中で他馬の進路を妨害したと裁定が下り、着外に降着となってしまった。

次走のコロネーションC(T12F)でも1番人気に支持されたが、単勝オッズは前走より上昇して3倍だった。しかし前年の英セントレジャーで2着だったザンボを今度は15馬身差の2着に、プリンスオブウェールズSを勝っていたウォーミンスターを3着に破って圧勝し、実力の違いをまざまざと見せつけた。

続いてアスコット金杯(T20F)に出走した。一昨年の凱旋門賞・ロワイヤルオーク賞と前年のカドラン賞を勝っていた仏国調教馬プリオリ、ニューベリーサマーCを4馬身差で勝ってきたケンブリッジシャーH2着馬ポンズアシノラムなどが強敵だった。しかし単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された本馬が、2着プリオリに3馬身差、3着ポンズアシノラムにはさらに4馬身差をつけて圧勝。このレースを最後に、4歳時3戦2勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Gainsborough Bayardo Bay Ronald Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Black Duchess Galliard
Black Corrie
Galicia Galopin Vedette
Flying Duchess
Isoletta Isonomy
Lady Muncaster
Rosedrop St. Frusquin St. Simon Galopin
St. Angela
Isabel Plebeian
Parma
Rosaline Trenton Musket
Frailty
Rosalys Bend Or
Rosa May
Sun Worship Sundridge Amphion Rosebery Speculum
Ladylike
Suicide Hermit
Ratcatcher's Doughter
Sierra Springfield St. Albans
Viridis
Sanda Wenlock
Sandal
Doctrine Ayrshire Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Atalanta Galopin
Feronia
Axiom Peter Hermit
Lady Masham
Electric Light Sterling
Beachy Head

ゲインズボローは当馬の項を参照。

母サンウォーシップは競走馬としての経歴は不明。本馬の半姉ヴォールーズ(父ヴォルタ)の子にバラヒサーラ【デューハーストS】、日本に種牡馬として輸入されてトキノミノルの父となったセフト【グリーナムS】、玄孫世代以降に、パッパフォーウェイ【キングズスタンドS・ジュライC】、バルト【パリ大賞・アスコット金杯】、パークトップ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・コロネーションC】、トランポリノ【凱旋門賞(仏GⅠ)】、リリックファンタジー【ナンソープS(英GⅠ)】、ロイヤルアプローズ【ミドルパークS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、日本で走ったマンオブパーサー【ダービーグランプリ(GⅠ)】などが、本馬の全妹イメージリーの子に愛国三冠馬ミュージアム【愛2000ギニー・愛ダービー・愛セントレジャー】、フィデアス【愛2000ギニー・愛ダービー】、玄孫世代以降に、シャーダリ【マッチメイカー国際S(英GⅠ)】、デュネット【仏オークス(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、フレンチグローリー【加国際S(加GⅠ)】などがいる。

サンウォーシップの母ドクトリンはコロネーションSの勝ち馬。ドクトリンの母アクシオムの半妹ノートランプスの孫にはオセアニアの歴史的名馬グローミング【AJCダービー・新2000ギニー・新ダービー・マッキノンS】がいる。→牝系:F26号族

母父サンドリッジは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ラザフォード卿所有のまま英国ニューマーケットで種牡馬入りした。初年度の種付け料は500ギニーという当時としては高い金額に設定された。本馬に対しては、7万5千ポンド、果ては10万ポンドで売ってほしいという申し出があったが、ラザフォード卿はそれを拒否したという。しかし本馬が10歳時の1932年2月にラザフォード卿が77歳で死去すると、本馬はセリに掛けられた。ここで米国の馬産家グループが本馬を大枚はたいて購入するという噂が流れたため、本馬が米国に流出する事を恐れた英国の馬産家達は、4万7千ギニーという当時史上最高額の種牡馬シンジケートを組んで本馬を購入。英国に留まる事になった本馬はテラスハウススタッドに移動した。本馬の種牡馬成績は優良で、1937年には英愛首位種牡馬に輝いた。1945年に23歳で他界し、遺体はニューマーケットのタタソーズル公園に埋葬された。繁殖牝馬の父としての活躍も目立ち、ヒンドスタンロイヤルチャージャーインディアナなどが本馬の牝駒を母に持つ。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1928

Orpen

ハードウィックS・ヨークシャーC

1928

Rackety Lassie

ヨークシャーオークス

1928

Rose En Soleil

ゴードンS・リブルスデールS

1928

Sunny Devon

コロネーションS

1929

Andrea

セントジェームズパレスS

1929

Dastur

愛ダービー・サセックスS・コロネーションC・英チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S

1930

Solar Boy

リッチモンドS

1930

Solfatara

ナッソーS

1930

Tai-Yang

ジョッキークラブS

1932

Caretta

クイーンメアリーS

1933

Raeburn

愛ダービー

1933

Silversol

愛オークス・ヨークシャーオークス・ヨークシャーC

1933

Traffic Light

コロネーションS・パークヒルS

1934

Exhibitionnist

英1000ギニー・英オークス

1934

Maranta

ハードウィックS

1934

Mid-Day Sun

英ダービー・リングフィールドダービートライアルS・ハードウィックS

1934

Solace

トーマブリョン賞・フロール賞

1934

Solfo

ジョッキークラブS・キングエドワードⅦ世S

1935

Foroughi

キングエドワードⅦ世S

1935

Solar Flower

コロネーションS

1935

Stafaralla

チェヴァリーパークS

1936

Sadri

ダーバンジュライ

1937

Sabla

伊グランクリテリウム

1939

Shahpoor

ジョッキークラブC

1940

Straight Deal

英ダービー

1942

Esquire

ケンブリッジシャーH

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