アバーナント

和名:アバーナント

英名:Abernant

1946年生

芦毛

父:オーエンテューダー

母:ラスタムマハール

母父:ラスタムパシャ

ジュライCやナンソープSを2連覇し、現役時代を知る誰もが口を揃えて英国競馬史上最強の短距離馬だったと語った芦毛の快速馬

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績17戦14勝2着3回

現在においても英国競馬史上最強の短距離馬との呼び声が高い歴史的名馬。

誕生からデビュー前まで

オーエンテューダーの生産・所有者でもあったキャサリン・マクドナルド・ブキャナン女史により生産された英国産馬で、彼女の夫レジナルド・マクドナルド・ブキャナン氏の名義で競走馬となった。幼少期の評価は低く、「小さなネズミ」と言われたほどだった。しかし調教師を引退したばかりのフレッド・ダーリン元調教師は本馬の素質を見抜き、自分が現役時代に懇意にしていた人々に本馬を薦めて回った。その結果、本馬の管理調教師は後に英国クラシック5競走を含む英国の主要競走を全て制する名伯楽ノエル・マーレス師、主戦騎手は英国の歴史的名手ゴードン・リチャーズ騎手が務めることとなった。

競走生活(2歳時)

2歳4月にリングフィールド競馬場で行われたスプリングS(T5F)でデビューしたが、スタートで出遅れて頭差2着に敗退した。しかし2戦目のベッドフォードS(T5F)は2着フロリダムーンに4馬身差で勝利。3戦目のチェシャムS(T5F)も2着エルバルクに5馬身差で楽勝した。

4戦目のナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)では、後に改名して豪州の大種牡馬スターキングダムとなる3戦無敗のスターキングとの対戦となった。レースは2番人気のスターキングが先手を奪い、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された本馬がそれを追う展開となった。最後は追い上げた本馬と逃げ粘ったスターキングが殆ど並んでゴールインした。結果は本馬が短頭差で勝利したが、2頭はそれぞれ馬場の内外で大きく離れた位置を走っていたために肉眼で勝敗を判断するのは困難だった上に、この時点において英国競馬には写真判定がまだ導入されていなかったため、この結果には新聞紙上でも疑問が呈されたという。

続く英シャンペンS(T6F)では、単勝オッズ1.4倍の1番人気に応えて、ジュライS勝ち馬ニンバスを6馬身差の2着に下して圧勝。次走のミドルパークS(T6F)では、単勝オッズ1.14倍という圧倒的な1番人気に応えて、2着ターグイに5馬身差で圧勝。この年に6戦5勝の成績を残した本馬は、英タイムフォーム社のレーティングではスターキングより2ポンド高い133ポンドの評価を受けてトップにランキングされた。なお、この年にマーレス師は初の英国平地首位調教師になっている(この年を含めて9回獲得)。

競走生活(3歳時)

3歳時は、初戦のソマーセットS(T7F)を2馬身差で勝利。そして次走は英2000ギニー(T8F)となった。本馬が単勝オッズ1.56倍という断然の1番人気に支持され、スターキングが単勝オッズ4.5倍の2番人気となった。スタートが切られると本馬は果敢に先頭に立ったが、ゴール前で脚色が鈍ったところを単勝オッズ11倍の伏兵ニンバスに差し込まれ、殆ど同時にゴールインした。英2000ギニー史上最少着差と言われた大接戦は、この年から導入された写真判定に持ち込まれ、結果は本馬の短頭差2着敗退だった(3着馬バーンズパークには4馬身差をつけていた)。このレースは本馬が出走した生涯唯一のマイル以上のレースであり、以後は英ダービーには目もくれず短距離戦線に的を絞った。

まずはキングズスタンドS(T5F)に出走。前年のナンソープS勝ち馬ケアレスノラ(テンポイントの父コントライトの曾祖母)との対戦となったが、単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された本馬が2着クルドサックに4馬身差をつけて圧勝した。次走のジュライC(T6F)では、英2000ギニーで10着に終わっていたスターキングとの再戦となった。結果は単勝オッズ1.18倍の1番人気に支持された本馬が2着コンバインドオペレーションズに3馬身差をつけて勝利し、スターキングは本馬から11馬身差の3着最下位に終わった。キングジョージⅤ世S(T5F)では、キングズスタンドSで本馬の3着だったロバートバーカーを2馬身差の2着に退けて勝利。続いてナンソープS(T5F)に向かった。レースでは珍しく他馬に先頭を譲ったが、残り1ハロンだけで他馬をちぎり捨て、2着ブリティッシュライオンに5馬身差をつけて勝利した。この年6戦5勝の成績を残した本馬に対して、英タイムフォーム社は138ポンドの高評価を与えた。これはアスコット金杯・グッドウッドC・ドンカスターCなどを勝利した4歳馬アリシドンと並んでこの年トップの数値だった。

競走生活(4歳時)

4歳時はラボックスプリントS(T5F)から始動。2着ロバートバーカーに2馬身差をつけて勝ち、鞍上のリチャーズ騎手に前人未到の通算4000勝目をプレゼントした。次走のキングズスタンドS(T5F)では、23ポンドのハンデを与えた3歳馬タングルに半馬身敗れて2着だった。しかし次走のジュライC(T6F)では単勝オッズ1.62倍の1番人気に応えて、2着ボブチェリーに4馬身差で圧勝。キングジョージⅤ世S(T5F)も2着マスターガンナーに5馬身差をつけて余裕の勝利を収めた。そしてナンソープS(T5F)も2着フェアセラーに2馬身差で勝利した本馬は、マーレス師の「もう勝つべきレースは何も残っていない」という言葉と共に、4歳時5戦4勝の成績で現役生活を終えた。

競走馬としての評価と特徴

本馬が引退した後、英国の競馬関係者はこぞって「英国競馬史上最良の短距離馬だった」と本馬を讃えた。英タイムフォーム社はこの年の本馬に対して前年を上回る142ポンドの評価を与えた。この数値は当時テューダーミンストレルの144ポンドに次ぐものであり、現在においてもリボーウインディシティと並ぶ史上5位タイのものである(本馬より上位の数値を獲得しているのは、フランケルシーバードブリガディアジェラード、テューダーミンストレルのみ)。

本馬が出るレースでは本馬のあまりの強さに恐れをなした他馬陣営が回避することが多く、本馬の出走レースのうち過半数の9戦が3頭立ての少頭数だった。本馬は圧倒的な加速力の持ち主で、レースが始まるや否や先頭に立ち、そのまま後続を寄せ付けずに押し切る戦法が主体だった。本馬より2歳年上のテューダーミンストレルの主戦も務めたリチャーズ騎手は本馬を「私が乗った中では一番速い馬だった」と評している。

こうした短距離の逃げ馬は激しい気性の持ち主である事が多いが、本馬は例外的に気性が穏やかな馬だった。鞍上の指示には常に従順であり、焦れ込んでスタミナを浪費する事はなかった。また、本馬は子ども好きな馬としても知られていた。マーレス師の娘ジュリー嬢は5歳の時に馬房に入り込んで本馬の背中に攀じ登った事があったが、本馬は大人しく背中で遊ばせてくれたという。また、リチャーズ騎手はレース出走前の本馬が、ビー玉遊びをしている子ども達のグループと一緒に戯れているのを目撃したと語っている。

血統

Owen Tudor Hyperion Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Selene Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Serenissima Minoru
Gondolette
Mary Tudor Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Anna Bolena Teddy Ajax
Rondeau
Queen Elizabeth Wargrave 
New Guinea
Rustom Mahal Rustom Pasha Son-in-Law Dark Ronald Bay Ronald
Darkie
Mother in Law Matchmaker
Be Cannie
Cos Flying Orb Orby
Stella
Renaissance St. Serf
Rinovata
Mumtaz Mahal The Tetrarch Roi Herode Le Samaritain
Roxelane
Vahren Bona Vista
Castania
Lady Josephine Sundridge Amphion
Sierra
Americus Girl Americus
Palotta

オーエンテューダーは当馬の項を参照。ハイペリオン直子の英ダービー馬という長距離向きの背景を有する馬であるが産駒はかなりスピード色が強く、本馬の他にも英国競馬史上最強マイラーの呼び声高いテューダーミンストレルを出した。

母ラスタムマハルは、調教で騎乗したリチャーズ騎手をして、過去に乗った牝馬の中で最も速いと言わしめたほどの素質馬だったが、故障により不出走に終わった。母としては本馬の半姉ファイルドレジメント(父ネアルコ)【ロウス記念S】、本馬の半弟で、後に新国で種牡馬として活躍したクルディスタン(父テヘラン)【サンダウンパークウォーレンH】も産んでいる。ラスタムマハルの牝系子孫は世界的には発展しておらず、唯一活躍馬が出ていると言えるのが日本である。ファイルドレジメントの牝系子孫に、ラガーチャンピオン【セントライト記念(GⅡ)】、コウエイロマン【小倉三歳S(GⅢ)】、コウエイソフィア【トゥインクルレディー賞(南関東GⅡ)】、コウエイトライ【小倉サマージャンプ(JGⅢ)2回・阪神ジャンプS(JGⅢ)4回・東京オータムジャンプ(JGⅢ)・新潟ジャンプS(JGⅢ)】、コウエイノホシ【大井記念(SⅡ)】など、玄人好みの馬が多く出ている。

ラスタムマハルの母は名牝ムムタズマハルであり、近親からはマームードナスルーラロイヤルチャージャーなどが出ている世界的名牝系であるが、近親の活躍馬をここに書くと相当な量になるので、その辺はムムタズマハルの項を参照してもらいたい。ちなみに本馬は灰色の馬体に斑点模様を有する芦毛馬だったが、この毛色は紛れも無くムムタズマハルの父である「驚異の斑点」ことザテトラークに由来するもの(父オーエンテューダーも母父ラスタムパシャも黒鹿毛馬)であり、本馬の快速の源泉もザテトラークである可能性が高いだろう。→牝系:F9号族③

母父ラスタムパシャはサンインローの直子で現役時通算14戦4勝、エクリプスS・英チャンピオンSの勝ち馬。引退後は仏国で種牡馬となって活躍したが、11歳時に亜国へ輸出され、11年連続で亜国の種牡馬ランキング10位以内(2位が最高)に入る成功を収め、南米でサンインローの系統を広めるのに貢献した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国エジャートンスタッドで種牡馬入りして、一定の成功を収めた。産駒はやはり短距離を得意とする馬が多かった。1970年に24歳で他界し、遺体はエジャートンスタッドに埋葬された。

種牡馬としては決して悪くない成績だったが、活躍馬に牝馬が多かった影響もあり、直系は現在途絶えてしまっている。しかし母父としては、輸入種牡馬としてニホンピロウイナーの父となったミドルパークS勝ち馬スティールハートを筆頭に、クイーンエリザベスⅡ世S勝ち馬デリングドゥー、英1000ギニー勝ち馬ハンブルデューティ、ミラノ大賞勝ち馬テレノ、ジャージーダービー勝ち馬アルハタブ、それに日本で走ったエリモシルバーとケイスパーコのCBC賞勝ち馬兄妹などを輩出している。祖母の父としても皐月賞馬アズマハンター(アバーメイドの孫)、宝塚記念馬パーシャンボーイ、オークス馬ケイキロク(ケイスパーコの子)、皐月賞馬ナリタタイシンの母タイシンリリイなどを送り出し、日本における影響力も少なからぬものがある。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1954

Even Star

愛1000ギニー

1954

Thin Ice

サンフォードS

1955

Abelia

クイーンメアリーS・ジュライS・モールコームS・コーンウォリスS

1955

Liberal Lady

ロウザーS

1955

Tudor Monarch

スチュワーズC

1955

Welsh Abbot

チャレンジS

1955

Welsh Rake

クイーンアンS

1958

Favorita

ジュライS・コーンウォリスS

1959

Abermaid

英1000ギニー・ニューS

1959

Cassarate

キングズスタンドS

1960

Anatol

ゲルゼンキルヒェン市大賞

1960

My Goodness Me

チェヴァリーパークS

1961

Acer

フォワ賞

1964

Farhana

アベイドロンシャン賞・アランベール賞・グロシェーヌ賞

1965

Abbie West

ネルグウィンS

1965

Ileana

英1000ギニー・トライアルチャイルドS

1966

Zarco

ニッカボッカーH

1967

Caprera

チャイルドS

1967

Obelisk

ネルグウィンS

1969

Abwah

デュークオブヨークS(英GⅢ)

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