和名:オーソーシャープ |
英名:Oh So Sharp |
1982年生 |
牝 |
栗毛 |
父:クリス |
母:オーソーフェア |
母父:グロースターク |
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30年ぶり史上9頭目にして現時点における最後の英国牝馬三冠馬に輝いた1980年代の欧州を代表する才色兼備の名牝 |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績9戦7勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
史上9頭目にして2015年時点における最後の英国牝馬三冠馬。ドバイのシェイク・モハメド殿下により愛国ダルハムホールスタッドにおいて生産・所有され、英国ヘンリー・セシル調教師に預けられた。
競走生活(2歳時)
2歳8月にノッティンガム競走場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスで、ポール・エデリー騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ1.5倍(単勝オッズ3倍とする資料もあるが記載誤りであろう)で21頭立ての1番人気に支持された。レースではエデリー騎手がまともに追う必要も無く、楽々と1馬身半差で勝ち上がった。
次走は翌月にサンダウンパーク競馬場で行われたソラリオS(GⅢ・T7F)となった。ここでは負傷休養明けのレスター・ピゴット騎手とコンビを組み、単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。そしてレースでも残り1ハロン地点で悠々と先頭に立ち、2着ヤングラナウェイに2馬身差で勝利した(後のイタリア大賞・伊ジョッキークラブ大賞勝ち馬セントヒラリオンがさらに2馬身半差の3着だった)。2着になったヤングラナウェイが2週間後の英シャンペンSを勝利したため、本馬の評価はさらに上昇した。
次走のフィリーズマイル(GⅢ・T8F)でもピゴット騎手とコンビを組んだ。ここではカルヴァドス賞勝ち馬ヘレンストリート(後の愛オークス馬。母としては種牡馬として活躍しているドバイワールドC勝ち馬ストリートクライを産んでいる)が対戦相手となったが、ヘレンストリートより4ポンド斤量が軽かった本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。そして道中は2番手を進み、直線に入って先頭に立つと、2着ヘレンストリートに1馬身半差で勝利を収めた。
2歳時の成績は3戦全勝だった。国際クラシフィケーションでは117ポンドの評価で、同世代の2歳牝馬トップだったマルセルブサック賞勝ち馬トリプティクより5ポンド下であった。
競走生活(3歳前半)
3歳時は4月のネルグウィンS(GⅢ・T7F)から始動した。このレースから本馬の鞍上は一貫してスティーブ・コーゼン騎手が務める事になった。ここでもヘレンストリートと顔を合わせたが、今回は同斤量だったにも関わらず、本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された。そして2着となったプレステージS勝ち馬ベラコロラに1馬身半差をつけて快勝した(ヘレンストリートは3着だった)。
2週間後の英1000ギニー(GⅠ・T8F)ではトリプティクとの初対戦となったが、本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。レースは非常に乾燥した堅良馬場で行われた。本馬は珍しく先行せずに中団好位からレースを進め、残り2ハロン地点でスパートした。先頭で叩き合いを演じていたロウザーS・プリンセスマーガレットSの勝ち馬アルバハスリとベラコロラの2頭までは残り100ヤード地点でまだ2馬身差があり、これは敗色濃厚と思われた。しかしここから一気に差を縮めて前の2頭を捕らえたところでゴールインした。写真判定の結果、本馬が2着アルバハスリ(後に愛1000ギニー・コロネーションSを勝っている。母としても英2000ギニー馬ハーフドを産んでいる)に短頭差、3着ベラコロラ(後にオペラ賞を勝っている)にもさらに短頭差で勝利を収めた。勝ちタイム1分36秒85は、1950年にカマレーが計時した1分37秒0のレースレコードを35年ぶりに更新する見事なものだった。また、モハメド殿下にとってはこれが記念すべき英国クラシック競走初制覇となった(奇しくも2着アルバハスリの所有者はモハメド殿下の兄シェイク・ハムダン殿下だった)。
次走は英オークス(GⅠ・T12F)となった。英1000ギニーでは7着と凡走したが愛2000ギニーで牡馬を撃破してきたトリプティクとの2強対決と目されたが、本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。このレースは前走とは打って変わって重馬場で行われた。逃げ馬を見る形で先行した本馬は、タッテナムコーナーを回ると観客席に近い大外に持ち出した。これは少しでも馬場状態が良いところを走ろうというコーゼン騎手の作戦だった。この作戦が完璧に当たり、先に抜け出したトリプティクを残り2ハロン地点でかわすと、そのまま一気に引き離し、最後はトリプティクを6馬身差の2着に下して圧勝した。セシル師とコーゼン騎手は3日前の英ダービーもスリップアンカーで制しており、2人揃って英ダービーと英オークスのダブル制覇となった。英タイムフォーム社は、本馬の英オークスの勝ち方は史上4番目に見事なものだったと評した(上位はプティトエトワール、ノーブレス、ダンファームリンの3頭)。
競走生活(3歳後半)
次走は古馬牡馬相手のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(GⅠ・T12F)となった。コロネーションCの勝ち馬でデューハーストS・愛ダービー・エクリプスS2着のレインボークエスト、豪州でローズヒルギニー・AJCダービー・クイーンズランドダービー・コックスプレートなどを勝った後に国外に飛び出してバーデン大賞や前走のサンクルー大賞を勝っていたストロベリーロード、愛ダービー・愛ナショナルSの勝ち馬で英ダービー・デューハーストS2着のロウソサイエティ、英ダービーでスリップアンカーの11着と惨敗した後にプリンセスオブウェールズSを勝ってきたペトスキ、2か月前の東京優駿を勝った後に欧州遠征に旅立ち、これが初戦だったシリウスシンボリといった強豪馬が対戦相手となったが、本馬が3歳牝馬ながら単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。レースではレインボークエストと並んで2番手で直線を向き、残り1ハロン地点手前で先頭に立ったが、ゴール寸前で外側から来た単勝オッズ13倍の伏兵ペトスキにかわされて首差2着に惜敗した(本馬から3/4馬身差の3着がレインボークエスト、さらに1馬身半差の4着がロウソサイエティで、ストロベリーロードは6着、シリウスシンボリは8着だった)。
次走のベンソン&ヘッジズ金杯(GⅠ・T10F85Y)では、英オークス2着後に出走した愛ダービーで5着だったトリプティク、前年の英セントレジャー馬コマンチラン、前年の英チャンピオンS勝ち馬でジャックルマロワ賞2着のパレスミュージックなどが対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。しかしレースではピゴット騎手が手綱を取るコマンチランがスローペースの逃げに持ち込み、そのまま先頭でゴールイン。本馬は猛追したが3/4馬身届かず2着に敗れた(本馬から4馬身差の3着がトリプティクだった)。
その後は英国牝馬三冠を目指して英セントレジャー(GⅠ・T14F127Y)に参戦し、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。出走馬は本馬を含めて6頭いたが、その中で最も強敵と思われたのは、ウィリアムヒルフューチュリティS・キングエドワードⅦ世Sを勝っていた同厩馬ランフランコだった。レースでは逃げるランフランコを見るように先行し、直線に入るとランフランコをかわして先頭に立った。しかしなかなかランフランコを引き離す事が出来ず、叩き合いに持ち込まれた。ようやくランフランコを競り落としたところに、後にジョッキークラブSを2連覇するファルダンテが追い込んできた。しかし何とか凌ぎきって2着ファルダンテに3/4馬身差、3着ランフランコにさらに頭差で勝利を収め、1955年のメルド以来30年ぶり史上9頭目の英国牝馬三冠馬になった。
本馬以降に英1000ギニーと英オークスを両方勝った馬は、1986年のミッドウェイレディ、1990年のサルサビル、2002年のカッツィアの3頭いるが、いずれも英セントレジャーには不参戦であり、本項の最初に書いたとおり、2015年現在では本馬が最後の英国牝馬三冠馬となっている。また、1978年にアファームドで米国三冠を達成していたコーゼン騎手は、米英双方で三冠を達成した史上唯一の騎手となった。
なお、ゴール前で本馬が一瞬右によれたため、ファルダンテの進路が妨害されたのではないかという件で審議が行われたが、着順に変更は無かった。セシル師はレース後に、本馬の状態は1週間前をピークに下降線に入っており、本調子では無かったためにゴール前でよれたのだろうと語った。陣営の中には本馬を翌年も現役を続行させようかという意見もあったらしいが、結局は英セントレジャーを最後に競走馬を引退する事になった。3歳時の成績は6戦4勝だった。
競走馬としての特徴と評価
本馬は出走した9戦全てで1番人気に支持され、単勝オッズが3倍を超えた事は一度も無かった。英タイムフォーム社は本馬を「大柄で長身の馬体の持ち主で、大跳びながら軽快なストライドで走る」と評した。日本の作家である木村幸治氏は著書「駿馬、走りやまず」の中で「シリウスシンボリが出走したレース(キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS)で、シリウスシンボリが小さく見えるほど筋骨隆々の牝馬を見ました。その馬はオーソーシャープという名前でした」という旨を記載している。
このように書くと本馬は単なる筋肉娘だったように思われるかもしれないが、「彫刻のような」可愛らしい顔立ちをしており、性格も温和で優しかったという。人間であれば才色兼備・文武両道・人格高潔という完璧少女だったことになる。コーゼン騎手は本馬を「疑いなく私が騎乗した最高の牝馬でした」と評した。
血統
Kris | Sharpen Up | エタン | Native Dancer | Polynesian |
Geisha | ||||
Mixed Marriage | Tudor Minstrel | |||
Persian Maid | ||||
Rocchetta | Rockefella | Hyperion | ||
Rockfel | ||||
Chambiges | Majano | |||
Chanterelle | ||||
Doubly Sure | Reliance | Tantieme | Deux-Pour-Cent | |
Terka | ||||
Relance | Relic | |||
Polaire | ||||
Soft Angels | Crepello | Donatello | ||
Crepuscule | ||||
Sweet Angel | Honeyway | |||
No Angel | ||||
Oh So Fair | Graustark | Ribot | Tenerani | Bellini |
Tofanella | ||||
Romanella | El Greco | |||
Barbara Burrini | ||||
Flower Bowl | Alibhai | Hyperion | ||
Teresina | ||||
Flower Bed | Beau Pere | |||
Boudoir | ||||
Chandelle | Swaps | Khaled | Hyperion | |
Eclair | ||||
Iron Reward | Beau Pere | |||
Iron Maiden | ||||
Malindi | Nearco | Pharos | ||
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal |
父クリスは当馬の項を参照。本馬は父の初年度産駒で、父の種牡馬としての成功の第一歩となった馬である。
母オーソーフェアは、ケンタッキーダービー馬シャトーゲイや英ダービー馬ロベルトなどの生産・所有者として知られるジョン・W・ガルブレイス氏により生産・所有された米国産馬で、現役時代は愛英で走り3戦1勝。モハメド殿下が1981年10月にダルハムホールスタッドを購入したのと同時にモハメド殿下の所有馬となっており、この際に既に本馬を受胎していた。オーソーフェアは優れた繁殖牝馬であり、本馬の半姉ルサルカ(父ハビタット)【コロネーションS(英GⅡ)・ナッソーS(英GⅡ)2回・チェリーヒントンS(英GⅢ)】も産んでいる。ルサルカの子にはリストナ【サンチャリオットS(英GⅡ)】、曾孫にはコリアーヒル【愛セントレジャー(愛GⅠ)・加国際S(加GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)】、アミーラット【英1000ギニー(英GⅠ)】がいる。また、本馬の半姉オーソーホット(父ハビタット)の曾孫にはヒバーイェブ【フィリーズマイル(英GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】がいるし、本馬の半姉ロワ(父グレートネフュー)の孫にはブライボン【メトロポリタンH(米GⅠ)】がいる。
オーソーフェアの全妹シャンデレールの孫にはリヴァーベイ【ハリウッドターフカップS(米GⅠ)・チャールズウィッティンガムH(米GⅠ)】、曾孫には2002年のエクリプス賞最優秀古馬レフトバンク【ヴォスバーグS(米GⅠ)・シガーマイルH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)】、牝系子孫にはルシファーズストーン【ガーデンシティBCH(米GⅠ)】がいる。オーソーフェアの母シャンデルの半兄には1968・69年の仏首位種牡馬となったプリンスタジがいる。シャンデルやプリンスタジの母マリンディは大種牡馬ナスルーラの7歳年下の全妹。マリンディの母ムムタズビガムは言わすと知れた世界的名牝系の祖ムムタズマハルの娘であり、本馬の牝系は名門中の名門と呼べるものである。→牝系:F9号族③
母父グロースタークは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷の愛国ダルハムホールスタッドで繁殖入りした。1987年に一度米国に移動したが3年後に愛国に戻ってきた。本馬は繁殖牝馬としてもなかなか優秀で、2番子の牝駒シャイマ(父シャリーフダンサー)【ロングアイランドH(米GⅡ)】、3番子の牝駒ローズフィンチ(父ブラッシンググルーム)【サンタラリ賞(仏GⅠ)】と2頭のステークス競走勝ち馬を産んだ。また、9番子の牡駒サヴォワルヴィーヴル(父サドラーズウェルズ)は現役成績3戦1勝、ジェフリーフリアS(英GⅡ)で2着した程度だったが、血統が評価されて豪州タスマニア島で種牡馬入りし、彼の地の活躍馬を何頭も出している。他にも、初子の牡駒ベンアリスキー(父ダンビース)と、10番子の牡駒サセックス(父デインヒル)の2頭がインドで種牡馬入りしている。サセックスを産んだ2001年の春頃に本馬は蹄葉炎を発症してしまい、その後に症状が悪化したために同年10月に19歳で安楽死の措置が執られ、ダルハムホールスタッドに埋葬された。
本馬の牝系子孫からは、シャイマの子であるシャントゥ【英セントレジャー(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・プリンセスオブウェールズ(英GⅡ)】が出ている。また、日本に繁殖牝馬として輸入された子孫も何頭かいる。本馬の5番子である牝駒フェリッツァ(父ソヴィエトスター)の孫ユアカラーもそのうちの1頭で、母としてスマートバベル【東京プリンセス賞(S1)】を産んでいる。