ポリッシュネイビー

和名:ポリッシュネイビー

英名:Polish Navy

1984年生

鹿毛

父:ダンチヒ

母:ナヴサップ

母父:タタン

米国三冠競走は不参加だったがウッドワードSなど米国GⅠ競走で3勝を挙げ、種牡馬としてケンタッキーダービー馬も輩出した本邦輸入種牡馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績12戦7勝2着1回3着3回

誕生からデビュー前まで

本馬の伯父に当たるバックパサーを筆頭に数々の名馬を送り出した名馬産家オグデン・フィップス氏によりケンタッキー州において生産・所有され、クロード・“シャグ”・マゴーヒーⅢ世調教師に預けられた。マゴーヒーⅢ世師は、若い頃にフランク・イーウェル・ホワイトリー・ジュニア調教師(ダマスカスラフィアンフォアゴーを管理した)の元で見習い調教師として働き、後に加国競馬の殿堂入りを果たす名牝ノーザネット(ストームバードの全姉)を一時的に任されて1978年のアップルブロッサムHを勝ち、1985年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬ヴァンランディンガムでサバーバンH・ジョッキークラブ金杯・ワシントンDC国際Sに勝つなどの成績を挙げた後、同じ1985年に34歳でフィップス氏の専属調教師に抜擢されたばかりだった。後にフィップス氏の元でイージーゴアなど数多くの名馬を手掛けることになるマゴーヒーⅢ世師にとって、本馬は同世代の名牝パーソナルエンスンと並んでフィップス氏の元で手掛けた最初の大物競走馬となった。主戦はパーソナルエンスンと同じくランディ・ロメロ騎手が務めた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューして勝利。8月のベルモントパーク競馬場ダート6.5ハロンの一般競走も勝利した。さらにカウディンS(GⅠ・D7F)に駒を進めた。レースは不良馬場で行われたが、サンフォードSの勝ち馬でホープフルS2着のパーサヴィアド、サラトガスペシャルS2着・アーリントンワシントンフューチュリティ3着のジャジングアラウンド、サラトガスペシャルS3着馬ジャワゴールドなどを蹴散らし、2着ジャワゴールドに1馬身差で勝利した。

さらにシャンペンS(GⅠ・D8F)に出走。ジャワゴールドに加えて、アーリントンワシントンフューチュリティ・ローレルフューチュリティ・サプリングSなど5戦無敗のベットトゥワイス、ベルモントフューチュリティSで2着してきたデーモンズビーゴーン、ゴーンウエストといった強敵揃いのレースとなったが、デーモンズビーゴーンを鼻差の2着、ベットトゥワイスを1馬身3/4差の3着、ジャワゴールドをさらに1馬身1/4差の4着、ゴーンウエストをさらに4馬身差の5着に退けて勝利した。

そして4戦無敗で米国西海岸のサンタアニタパーク競馬場に向かい、BCジュヴェナイル(GⅠ・D8.5F)に参戦した。例年であれば1番人気に支持されて当然の実績を誇っていた本馬だったが、この年は、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラトガスペシャルS・トレモントSの勝ち馬ガルチ、そのガルチをノーフォークSで2着に破ってきた良血馬カポウティ、デルマーフューチュリティの勝ち馬クオリファイ、デーモンズビーゴーン、ベットトゥワイス、ブリーダーズフューチュリティ2着馬アリシーバ、ローレルフューチュリティ2着馬プレッジカードなど、後世に“One of the strongest Breeders’ Cup Juvenile fields of all time(BCジュヴェナイル史上最強のメンバー構成)”と評されるほどのタレント揃いであり、本馬は単勝オッズ6.2倍の4番人気の評価だった。カポウティが単勝オッズ3.4倍の1番人気、ガルチが単勝オッズ3.6倍の2番人気、デーモンズビーゴーンが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ベットトゥワイスが単勝オッズ10.4倍の5番人気となっていた。レースでは馬群のちょうど中間を追走したものの、最後まで伸びが無く、勝ったカポウティから11馬身1/4差の7着に敗れてしまい、前走で下したベットトゥワイス(4着)やデーモンズビーゴーン(6着)にも先着される結果となってしまった。2歳時の成績は5戦4勝で、エクリプス賞最優秀2歳牡馬の座はカポウティに譲ることになった。

悪い事は続くもので、BCジュヴェナイルの直後になって膝の亀裂骨折が判明(おそらくレース中には発症していたと思われる)して、骨片の摘出手術が行われ、ケンタッキーダービーを始めとする米国三冠競走は全休となってしまった。

競走生活(3歳時)

復帰戦は、ケンタッキーダービー・プリークネスSを制して米国三冠馬を狙ったアリシーバがベットトゥワイスの4着に敗れ去ったベルモントS当日に同じベルモントパーク競馬場で行われたリヴァリッジS(D7F)となった。しかしカウディンSで4着に破っていたジャジングアラウンドに8馬身差をつけられて2着(ベイショアS・ウィザーズS2着馬ハイブライトと同着)に終わった。その後は6月末にベルモントパーク競馬場で出走したダート7ハロンの一般競走を勝利。

そのまま短距離路線を進むかと思われたが、次走は7月のドワイヤーS(GⅠ・D9F)となった。このレースでは、本馬が休んでいる間に頭角を現してゴーサムS・ウィザーズSを勝っていたゴーンウエストと2度目の対戦となった。しかしここでは前走ベルモントSで6着に敗れていた鬱憤を晴らすかのような快走を見せたゴーンウエストが2着プレッジカード(BCジュヴェナイルでは本馬より下の10着だった)に12馬身半差をつけて圧勝を収め、本馬はプレッジカードから半馬身差の3着に敗れた。

しかし次走のジムダンディS(GⅡ・D9F)では、フロリダダービー・エヴァーグレーズSの勝ち馬でベルモントS・フラミンゴS2着・プリークネスS3着のクリプトクリアランスやプレッジカード達を破って勝利を収めた。

続けてトラヴァーズS(GⅠ・D10F)に参戦。ベルモントS4着後にハスケル招待Hで2着してきたアリシーバを筆頭に、ベルモントSに続いてハスケル招待Hも勝ってきたベットトゥワイス、前年のBCジュヴェナイル5着後にウッドメモリアル招待S・メトロポリタンH・ベイショアSを勝ちホイットニーH2着・ベルモントS3着の成績を挙げていたガルチ、シャンペンS4着後にレムセンSを勝ち前走ホイットニーHも勝ってきたジャワゴールド、前走3着のクリプトクリアランスなどが出走してきて、同世代の中心的な馬達が顔を連ねるハイレベルな1戦となった。しかしレースは生憎の不良馬場であり、実力だけでなく重馬場適性が問われる状況となった。結果は不良馬場のカウディンSで本馬の1馬身差2着だったジャワゴールドが直線で大外から差し切って勝ち、2馬身差の2着に不良馬場のエヴァーグレイズSを勝っていたクリプトクリアランス、さらに6馬身3/4差の3着に本馬が入り、不良馬場では実績が無かったガルチ、ベットトゥワイス、アリシーバは本馬から大きく離された4~6着に敗れ去った。

次走はウッドワードS(GⅠ・D9F)となった。ジャワゴールドやアリシーバの姿こそ無かったが、クリプトクリアランス、ガルチ、ベットトゥワイス、そしてゴーンウエストといった同世代の有力馬勢が参戦してきた上に、一昨年のベルモントSを筆頭にアメリカンダービー・ジェロームH・スーパーダービー・ジョッキークラブ金杯・ドンH・パターソンH・WLマックナイト招待Hを勝っていたクレームフレーシュなどの古馬勢も参戦してきて、本馬が出走してきたレースの中では最もレベルが高い1戦となった。しかし本馬が2着ガルチに3/4馬身差、3着クレームフレーシュにはさらに首差をつけて勝ち、同世代馬の中ではトップクラスの実力を有する事を改めて示した。

次走のマールボロC招待H(GⅠ・D10F)では、ジャワゴールド、ガルチ、チャールズHストラブS・アリバイH・サンガブリエルHの勝ち馬ノスタルジアズスターなどが対戦相手だった。結果はジャワゴールドが2着ノスタルジアズスターに2馬身1/4差をつけて完勝し、本馬はノスタルジアズスターからさらに首差の3着に敗れた。このレースを最後に、3歳時7戦3勝の成績で競走馬引退となった。

本馬と同世代同馬主同厩には本項の最初で触れた13戦無敗の名牝パーソナルエンスン(主戦も同じロメロ騎手)がおり、本馬はその優れた競走成績にも関わらず、パーソナルエンスンのせいで影が薄くなってしまったのだと米ブラッドホース誌により評されている。

馬名を直訳すると「ポーランドの海軍」の意味で、父ダンチヒの名前が「ポーランドの軍港」である事に由来すると思われる。

血統

Danzig Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Pas de Nom Admiral's Voyage Crafty Admiral Fighting Fox
Admiral's Lady
Olympia Lou Olympia
Louisiana Lou
Petitioner Petition Fair Trial
Art Paper
Steady Aim Felstead
Quick Arrow
Navsup Tatan The Yuvaraj Fairway Phalaris
Scapa Flow
Epona Portlaw
Jury
Valkyrie Donatello Blenheim
Delleana
Walkure Caerleon
Brunhild
Busanda War Admiral Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
Businesslike Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
La Troienne Teddy
Helene de Troie

ダンチヒは当馬の項を参照。

母ナヴサップは競走馬としては11戦未勝利で、2着が1回、3着が4回ある程度だった。しかしその血統背景は素晴らしく、ナヴサップの母ブサンダはアラバマS・デラウェアH・サバーバンH・トップフライトH・ダイアナHを勝った名牝で、ナヴサップの半兄にはビューロクラシー(父ポリネシアン)【ドワイヤーH】、ビューパーズ(父ダブルジェイ)【ベルモントフューチュリティS】、そして米国競馬史上に燦然とその名を残す名馬バックパサー(父トムフール)【サプリングS・ホープフルS・アーリントンワシントンフューチュリティー・シャンペンS・エヴァーグレイズS・フラミンゴS・アーリントンクラシックS・ブルックリンH・アメリカンダービー・トラヴァーズS・ウッドワードS・ローレンスリアライゼーションS・ジョッキークラブ金杯・マリブS・サンフェルナンドS・メトロポリタンH・サバーバンH】がいる。ブサンダの祖母は米国の誇る根幹繁殖牝馬ラトロワンヌであり、本馬やナヴサップの近親には数え切れないほどの活躍馬がいるのだが、ナヴサップ自身の牝系子孫は殆ど発展していないため、近親の詳細はラトロワンヌやバックパサーの項を参照してもらうこととする。→牝系:F1号族②

母父タタンは両親ともに英国産馬でありながら誕生したのは南米の亜国だった。競走馬としては、ポージャデポトリロス・ジョッキークラブ大賞・ナシオナル大賞の亜国三冠競走を全て制し、さらには南米最大の競走であるカルロスペレグリーニ大賞や、ラウル&ラウルEチェバリエル大賞・モンテビデオ大賞・ブラジル大賞なども勝利して、通算19戦15勝の成績を残した名馬だった(タタンがカルロスペレグリーニ大賞を勝利したのは4歳時なので、亜国三冠馬“Triple Corona”ではあっても、亜国四冠馬“Cuadruple Corona”には含まれていない)。

競走馬を引退したタタンは亜国で種牡馬入りし、亜国種牡馬ランキング上位の常連となった。1965/66シーズンには最高2位に入っているが、この1965年にフィップス氏によって米国に輸入された。この輸入年にいきなりブサンダやサムシングロイヤル(後にセクレタリアトの母となる)の交配相手に指名されているところをみると、フィップス氏の期待は相当なものだったようである。この翌年にブサンダとの間に産まれたのがナヴサップで、サムシングロイヤルとの間に産まれたのが後に日本に輸入されるロイヤルタタンである。タタンは米国でも一定の種牡馬成績を残したが、フィップス氏の期待に応えるだけの成績を残したとは少し言い難いものがある。

タタンの父ザユヴァラジはフェアウェイ産駒の英国産馬で、現役成績は16戦9勝。ヘアウッドHを勝ち、エアー金杯で2着、ジュライCで3着した中堅競走馬だった。競走馬引退後は亜国に種牡馬として輸入され、1956/57及び1962/63シーズンと2度の亜首位種牡馬になるなどかなりの成功を収めた。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りした。1992年の繁殖シーズン終了後に早田牧場に購入されて日本に輸入された。ありがちな事だが、本馬が米国を去った直後に残された産駒が活躍。初年度産駒のガジがセクレタリアトSを、2年目産駒のシーヒーローがシャンペンSを勝利して共にGⅠ競走勝ち馬となった。さらに翌1993年のケンタッキーダービーをシーヒーローが勝利したり、持ち込み馬のエクセレンスロビンが新潟三歳Sを勝つ活躍を見せたりしたため、日本では俄然注目種牡馬となった。

初年度の1993年は61頭、2年目は70頭、3年目は62頭、4年目の1996年は67頭の繁殖牝馬を集めた。この1996年にデビューした日本における初年度産駒からは、三歳重賞を2勝したゴッドスピードが登場。5年目は70頭、6年目の1998年は55頭の繁殖牝馬を集めた。しかし出世頭のゴッドスピードが四歳時に全く振るわなかった上に、それ以外にこれといった活躍馬が出なかったため、1998年の繁殖シーズン終了後に米国に再輸出されていった。障害競走に転向したゴッドスピードが中山大障害を勝つ前年の事であった。

米国に戻ってきた本馬はケンタッキー州ワフェアファームやリッチランドヒルズファームで種牡馬生活を続けたが、もはや活躍馬を輩出することはできず、2009年に種牡馬を引退。同年には米国の功労馬保護団体オールドフレンズが所有するケンタッキー州のサラブレッド引退馬牧場に移動した。産駒のステークスウイナーは結局17頭だった。産駒の傾向は、やはり早熟の短距離馬が多かったのだが、ゴッドスピードが晩年に障害入りして大活躍するなど、単なる早熟快速血統に留まらない一面も示していた。

本馬は種牡馬入りして間もなく片目を失明してしまったと、オールドフレンズのウェブサイトには記載されている。父のダンチヒも白内障で片目を失明しており、その理由は牧場の木柵に顔をこすりつけた際に防腐剤が目に入ったためだとされているのだが、もしかしたら遺伝性のものなのかも知れない。晩年の本馬は股関節を患っており、その手術を受けたが、術後の経過が思わしくなく、2011年1月に27歳で安楽死の措置が執られた。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1989

Ghazi

セクレタリアトS(米GⅠ)

1990

Sea Hero

ケンタッキーダービー(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)

1991

Dyhim

ドクトルブッシュ記念(独GⅢ)

1991

Pollock's Luck

アスコットH(米GⅢ)

1991

エクセレンスロビン

新潟三歳S(GⅢ)

1994

ゴッドスピード

中山大障害(JGⅠ)・阪神障害S春・京都大障害春・小倉三歳S(GⅢ)・府中三歳S(GⅢ)

1995

トシザミカ

スパーキングレディーC(GⅢ)・サマーチャンピオン(GⅢ)

1996

パープルモンク

名港盃(SPⅡ)・オータムスプリントC(金沢)

1998

キングウイザード

ニューイヤーC(佐賀)

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