アルサブ

和名:アルサブ

英名:Alsab

1939年生

鹿毛

父:グッドグッズ

母:ウインズチャント

母父:ウィルデアー

僅か700ドルの安値で取引されながらも2歳夏から急激に頭角を現し、プリークネスSや米国三冠馬ワーラウェイとのマッチレースに勝利する

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績51戦25勝2着11回3着5回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州においてトム・ピアット氏により生産された。両親共に無名馬という三流血統だった上に、成長しても体高15.3ハンドにしかならなかったという小柄な馬であり、1歳時のサラトガセールにおいて僅か700ドルという値段で取引された。本馬を購入した人物は、シカゴの弁護士アルバート・サバス氏で、自身の名前(Albert Sabath)を略して「アルサブ」という名前をつけた。サバス夫人の名義で競走馬となり、オーガスト・“サージェ”・シェンク調教師の調教を受けた。

競走生活(2歳前半)

2歳2月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート3ハロンの未勝利戦でデビューした。しかし勝ったスコットランドライトから15馬身差をつけられて、14頭立ての最下位に終わった。翌月にはケンタッキー州に移動して、ターフウェイパーク競馬場で行われたダート4ハロンの未勝利戦に出走。ここではパトリオットの1馬身半差3着だった。そしてその翌週に同コースで出走した未勝利戦を2着スコッチブロスに1馬身差で勝利した。さらにそれから11日後には前走と同コースで行われた一般競走に出走したが、ここでは2馬身差の4着に敗れた。しかしそれから10日後に出たキーンランド競馬場ダート4ハロンの一般競走では、後のベルモントフューチュリティS勝ち馬サムチャンスを2馬身差の2着に退けて勝利した。

そして翌5月にチャーチルダウンズ競馬場で行われたバッシュフォードマナーS(D5F)でステークス競走に初挑戦したが、ブラックレイダーの2馬身3/4差4着に敗退。それから6日後にはチャーチルダウンズ競馬場ダート4.5ハロンの一般競走に出て、バッシュフォードマナーSで2着だったオマソンの鼻差2着。その僅か2日後に出たバッシュフォードマナーSと同コースの一般競走では、2着アロホートに2馬身半差で勝利した。

その後はイリノイ州リンカーンフィールズ競馬場に向かい、ダート5ハロンの一般競走に出走して、ヴァルディナアルファの半馬身差2着に入った。その10日後には同コースで行われたジョリエットS(D5F)に出走。後にドワイヤーSを勝ちケンタッキーダービーで本馬と戦うことになるヴァルディナオーファンと顔を合わせたが、本馬が2着カーウィンに5馬身差をつけて圧勝し、ステークス競走初勝利を挙げた。

その後は一間隔を空けて、前走から約4週間後の6月下旬にアーリントンパーク競馬場で行われたプリマーS(D5.5F)に出走。ここでは主戦となるR・ヴェッダー騎手と初コンビを組み、ジョリエットSで3着だったヴァルディナオーファンを7馬身差の2着に破って圧勝した。その後はマサチューセッツ州サフォークダウンズ競馬場に向かい、マイルズスタンディッシュS(D5.5F)に出たが、ここではコースレコードタイで走ったエターナルブルの半馬身差2着に敗れた。しかし2週間後のメイフラワーS(D5.5F)では、2着シルスジミーに2馬身1/4差をつけて勝ち、3着だったエターナルブルに借りを返した。

競走生活(2歳後半)

ここから本馬の快進撃が始まり、アーリントンパーク競馬場に戻って出走したハイドパークS(D6F)では、2着スウィープスウィンガーに5馬身差をつけて圧勝。ワシントンパークジュヴェナイルS(D5.5F)では、2着ヴァルディナオーファンに3/4馬身差で勝利。ワシントンパークフューチュリティS(D6F)でも、2着コントラディクションに3/4馬身差で勝利。プレイリーステートS(D6F)では、後のケンタッキーオークス馬ミスドッグウッド(ミスタープロスペクターの曾祖母)を3馬身1/4差の2着に破って完勝し、ワシントンパーク競馬場夏季2歳ステークス競走を3連勝した。

破竹の快進撃を続ける本馬だったが、この段階においては米国競馬の中心地であるニューヨーク州におけるレースには出走した事が無く、ニューヨーク州の競馬関係者やファンからは「中西部における一瞬の輝き」と酷評されていた。この頃に2歳馬最強と目されていたのはトレモントSなどを勝っていたリクエスティドという馬だった。本馬とリクエスティドはいずれもニューヨーク州における2歳戦の最高峰競走ベルモントフューチュリティSに出走登録が無かったため、ベルモントパーク競馬場の代表者で、3年前にウォーアドミラルシービスケットのマッチレースを成功させたアルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世氏は、本馬とリクエスティドのマッチレースを企画した。本馬はプレイリーステートSから1週間後にメリーランド州ハヴァードグレイス競馬場で行われたイースタンショアH(D6F)に出走して、コルキスと同着で勝利を収め、そしてベルモントフューチュリティSの4日前に同じベルモントパーク競馬場ダート6.5ハロンで行われたリクエスティドとのマッチレースに向かった。スタートからリクエステッドが先行したが、本馬が最後は一気に追い抜いて3馬身半差で圧勝。勝ちタイムの1分16秒0はコースレコードを21年ぶりに更新しただけでなく、2歳馬世界レコードでもあった。

それから11日後に出走したシャンペンS(D8F)では早速リクエステッドとの再戦となったが、今度はリクエステッドを7馬身差の2着に破って圧勝。勝ちタイム1分35秒4はやはり2歳馬世界レコードであり、この年に米国内で行われた(3歳馬・古馬が出走するレースも含む)マイル戦において最も速いタイムだった。さらにスポルディングロウジェンキンズS(D8.5F)では、2着コルキスに4馬身1/4差をつけて完勝。ウォルデンS(D8.5F)も2着ブレスミーに首差ながら1分44秒6のレースレコードタイで勝利を収め、これで10連勝を達成した。

この年22戦して15勝という米国競馬における2歳牡馬最多勝利記録をマークし、米最優秀2歳牡馬に選出された。また、米年度代表馬の有力候補にも挙がったが、この年の米国三冠馬ワーラウェイに96票対91票の5票差で敗れて逃した。米国ジョッキークラブが発表した2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)では、2歳時6戦全勝だった2歳年上のバイムレックと同じ130ポンドが与えられた。

競走生活(3歳前半)

3歳時は当然のように米国三冠競走を目指す事になるが、血統やレースぶりからスピード馬と判断されていた本馬のスタミナ能力が、過酷な三冠競走を乗り切るに足るものかどうかについては、議論の対象になったようである。しかしマンノウォー以来の名馬として本馬を高く評価する者もいた。3歳時は2月にハイアリアパーク競馬場で行われたバハマズH(D7F)から始動したが、128ポンドの斤量が影響したのか、鞍上がヴェッダー騎手から別の騎手に乗り代わったのが影響したのか、アメリカンウルフの5馬身1/4差7着(6着とする資料もある)と完敗。次走のハイアリアパーク競馬場ダート8ハロンの一般競走でも、ブライトウィリーの6馬身1/4差4着に敗退。再度ヴェッダー騎手を鞍上に迎えたフラミンゴS(D9F)では、リクエスティドに雪辱を許して8馬身差の3着に敗れてしまい、ヴェッダー騎手は本馬の主戦を降りる事になった。

古馬との対戦となった3月のワイドナーH(D10F)では、109ポンドの軽量を活かすことが出来ずに、4歳馬ザライマーの1馬身半差5着に敗退。一間隔を空けて4月に出走したチェサピークトライアルS(D6F)も、コルキスの半馬身差2着に敗退。共に米国三冠競走を戦う事になるバジル・ジェームズ騎手とコンビを組んで出たチェサピークS(D8.5F)では、3着リクエスティドには先着したが、コルキスの1馬身差2着に敗れた。次走のダービートライアルS(D8F)では、サンアゲインとの首差の接戦を制して勝利したヴァルディナオーファンから3馬身3/4差をつけられて3着に敗れ、これで7連敗となってしまった。

それでもケンタッキーダービー(D10F)には出走。前走フェニックスHでワーラウェイを2着に破ったデヴィルダイヴァーと、ブルーグラスS勝ち馬シャットアウトというグリーンツリーファームが送り込んだ2頭のカップリングが1番人気に支持されており、本馬はウッドメモリアルSを勝ってきたリクエスティドと並ぶ2番人気に推された。レースでは後方待機策を採り、直線では先に抜け出したシャットアウトを追撃したが、届かずに2馬身1/4差の2着に終わった。

次走は翌週のプリークネスS(D9.5F)となった。レース直前に本馬に高額のお金を賭けた上に「今日、アルサブは負けない」という言葉が書かれたビラをばらまいた謎の人物がいた。そしてその言葉を信じた多くの人々が急遽本馬に賭けたため、最終的にはシャットアウト、前走6着のデヴィルダイヴァー、同14着のリクエスティドなどを抑えて1番人気に支持された。そして今回は後方からの追い込みが見事に決まり、2着同着だったリクエスティドとサンアゲインに1馬身差をつけて優勝した。

それから2週間後にはウィザーズS(D8F)に出走して、2着ロッキンヴァーに2馬身半差で快勝。そしてさらに2週間後にはベルモントS(D12F)に1番人気で出走したが、レース中に脚を負傷した影響もあり、追い込み及ばずシャットアウトの2馬身差2着に敗れた。その後2か月間は脚にギプスを装着して治療を受けた。

競走生活(3歳後半)

前走から2か月後の8月上旬にワシントンパーク競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走で復帰したが、ディフェンスの3馬身半差4着に敗退。このレースを最後に、米国三冠競走で本馬の主戦を務めたジェームズ騎手も本馬の鞍上から去る事になった。その翌週に出走したワシントンパーク競馬場ダート7ハロンのハンデ競走では、4歳馬セールストークを半馬身差の2着に抑えて勝利。次走のディックウェルズH(D8F)ではジョージ・ウルフ騎手と新コンビを組み、後のジェロームH勝ち馬キングスアベイを半馬身差の2着に退けて勝利した。さらにアメリカンダービー(D10F)では泥だらけの不良馬場の中を快走し、2着ウィズリガーズに3馬身半差で完勝した。次走のワシントンパークH(D10F)では、5歳以降になって本格化した6歳牡馬マリッジの2馬身差2着だった。

それから5日後のナラガンセットスペシャルHで前年の米国三冠馬ワーラウェイと対決する予定だったが、本馬は直前になって回避。結局このレースはワーラウェイが勝利した。ナラガンセットスペシャルHからさらに1週間後の9月19日、本馬は米国最小の州であるロードアイランド州ナラガンセットパーク競馬場で行われたダート9.5ハロンのレースに出走した。このレースは本馬とワーラウェイの2万5千ドルを賭けたマッチレースとして企画されたものだった。ワーラウェイの主戦でもあったウルフ騎手がワーラウェイを選択したため、本馬にはC・ビアマン騎手が騎乗した。名門カルメットファームの生産・所有馬として米国三冠を達成したエリートのワーラウェイと、700ドルで取引されステークス競走初勝利まで10戦を要した本馬という対照的な2頭の対戦は、米国競馬史上に残る名勝負となった。大方の予想どおりにスタートから本馬が先手を取り、道中では3馬身差をつけた。しかし最終コーナーで外側から仕掛けて差を縮めたワーラウェイが、さらに残り1ハロンで猛然と追撃し、2頭が殆ど並んで1分56秒4のタイムでゴールインした。写真判定の結果、本馬が鼻差で勝利を手にした。

本馬は休む間もなくそれから10日後のローレンスリアライゼーションS(D13F)に向かい、CCAオークス・ピムリコオークス・テストS・アラバマS・ガゼルH・ベルデイムHを勝っていた同世代最強牝馬ヴェイグランシーと対戦した。11ポンドのハンデを貰ったヴェイグランシーだったが本馬には敵わず、本馬が2着ヴェイグランシーに3馬身半差をつけて勝利した。それから僅か4日後にはジョッキークラブ金杯(D16F)に出走。ここでは、ワーラウェイ、前走マンハッタンHでワーラウェイを2着に破っていたボーリングブロークとの対戦となった。結果はワーラウェイが勝ち、本馬は3/4馬身差の2着に敗れた。それから1週間後のニューヨークH(D18F)では、三度ワーラウェイと顔を合わせた。ここではワーラウェイを引き離して先頭を走り続けた本馬が、2着オーバッシュの追撃を頭差凌いで勝ち、ワーラウェイは1馬身1/4差の3着だった。本馬とワーラウェイの対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の2勝1敗だった。僅か3戦ではあったが、これらの名勝負は第二次世界大戦が暗い影を落とす米国の競馬ファンを沸かせた。

次走のギャラントフォックスH(D13F)では、過去に本馬を破った経験があるシャットアウト、マリッジとの対戦となった。しかし前年の同競走で2着していたCCAオークス2着馬ダークディスカヴァリーが勝利を収め、本馬は1馬身差の2着、マリッジは3着、シャットアウトは4着に敗れた。次走のウエストチェスターH(D9.5F)では、リバーランドの首差3着に敗れた。しかしシーズン最終戦となったベルモントパーク競馬場ダート10ハロンのハンデ競走は、2着ボイジーに3/4馬身差で勝利。

この年の成績を23戦9勝とし、シャットアウトを抑えて米最優秀3歳牡馬に選出された。ただし、米年度代表馬の座は本馬との3度の対戦全てで本馬より重い斤量を背負っていたワーラウェイが通算でも22戦12勝着外なしの好成績を挙げていたため、76票対45票の次点に終わり、2年連続で逃すこととなった。

競走生活(4・5歳時)

4歳時は故障のため出遅れて、シーズン初戦は8月にナラガンセットパーク競馬場で行われたポウタケットH(D6F)となった。このレースで牝馬チェリーデールの2馬身3/4差3着に敗れると、次走のキングフィリップH(D8.5F)でもサムチャンスの7馬身半差4着に敗れ、調整のために短期休養入りした。しかしそれでも調子は戻らず、復帰初戦となったピムリコ競馬場ダート6ハロンの一般競走では、クワイエンエスの15馬身差8着に惨敗。次走のピムリコ競馬場ダート8.5ハロンの一般競走は2着アブラシオンに3馬身差で勝ったものの、ブライアン&オハラ記念H(D9.5F)では、テストS・レディーズH・アラバマSなどに勝利してこの年の米最優秀3歳牝馬に選ばれるステファニタの首差2着に敗れ、4歳時は5戦1勝の成績に終わった。

5歳時も現役を続けたが、この年は5月にベルモントパーク競馬場で出走したダート6ハロンのハンデ競走で4着に敗れた1戦のみに終わり、そのまま現役引退となった。

本馬はスタート直後の加速はそれほどでもなかったが、いったんスピードに乗れば後は楽々と走って勝つレースぶりだったという。

血統

Good Goods Neddie Colin Commando Domino
Emma C.
Pastorella Springfield
Griselda
Black Flag Light Brigade Picton
Bridge of Sighs
Misplay Fair Play
Miss Hanover
Brocatelle Radium Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Taia Donovan
Eira
Pietra Pietermaritzburg St. Simon
Sea Air
Briar-Root Springfield
Eglentyne
Winds Chant Wildair Broomstick Ben Brush Bramble
Roseville
Elf Galliard
Sylvabelle
Verdure Peter Pan Commando
Cinderella
Pastorella Springfield
Griselda
Eulogy Fair Play Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
St. Eudora St. Simon Galopin
St. Angela
Dorothea Sterling
Cherry Duchess

父グッドグッズは米で走り53戦10勝、主な勝ち鞍はハヴァードグレイスH・ロシャンボーH・シャンプレインH・ガヴァナーズHという中級競走馬。遡るとイースタンショアH・ジョンソンS勝ちなど14戦5勝のネディーを経て、コリンコマンドドミノへと繋がる米国の土着血統。グッドグッズは種牡馬としてピアット氏所有の牧場で繋養されていた。本馬は父の初年度産駒であり、本馬の活躍でグッドグッズも注目されたはずだが、本馬以外にこれといった活躍馬を出す事は出来ず、ドミノの直系らしい一子相伝の種牡馬だった。

母ウィンズチャントは現役成績8戦未勝利、2着が1回だけという三流競走馬。ピアット氏により僅か90ドルで購入されて繁殖入りしていた。ウィンズチャントの祖母セントユードラの半妹の子にランドグラフ【独ダービー・独2000ギニー・ベルリン大賞】が、セントユードラの母ドロシアの全兄にエナジー【ジュライC】、全弟にエンスージアスト【英2000ギニー】がおり、それほど悪い牝系というわけではない。ウィンズチャントの従姉妹メイビイソウは日本に繁殖牝馬として輸入されており、天皇賞春を勝ったヒカルポーラや、天皇賞秋と有馬記念を勝ったカブトシローの牝系先祖となっている。→牝系:F27号族

母父ウィルデアーはブルームスティックの子で、現役成績は31戦9勝。同時代の名馬マンノウォーやエクスターミネーターサーバートンなどと戦いながらメトロポリタンH・マラソンH・エンパイアシティダービー・テンブロックH・チェサピークH・デラウェアHなどを制した実力馬。母父として本馬の他にもビウィッチなどを出した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はフロリダ州のボニーヒースファームで種牡馬入りした。繋養地が米国馬産の中心地ケンタッキー州では無かったこともあり、種牡馬としてそれほど成功はしなかった。しかし牡駒アルマゲドンからバトルジョインド、アクアクへとサイアーラインが伸び、貴重なドミノ系を後世に伝える事に成功した。また、代表産駒の1頭である牝駒マートルチャームの牝系子孫からは米国三冠馬シアトルスルーが出現している。本馬は1963年に24歳で他界し、遺体はボニーヒースファームに埋葬された。1976年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第65位。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1946

Myrtle Charm

スピナウェイS・メイトロンS・モデスティH

1949

Armageddon

シャンペンS・ウィザーズS・ピーターパンS

1950

Sabette

アラバマS・ダイアナH・ギャロレットH

1953

Toby B.

ブルーグラスS

1956

Al Davelle

アーカンソーダービー

1957

Toby's Brother

ブリーダーズフューチュリティS

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