キジルクールガン

和名:キジルクールガン

英名:Kizil Kourgan

1899年生

栗毛

父:オムニウム

母:カスバ

母父:ヴィジラント

パリ大賞で同世代の英国クラシック競走4勝馬セプターを破って勝ち、母としても凱旋門賞2連覇の名馬クサールを産んだ20世紀初頭仏国の名牝

競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績5戦4勝(確認できた範囲のみ)

誕生からデビュー前まで

仏国ノルマンディーにあるサン・ペア・デュモン牧場において、同牧場の所有者エヴレモン・ド・サンタラリ氏(サンタラリ賞のレース名に名を残す)により生産・所有された。サンタラリ氏は仏国の人ではなく英国の人で、若い頃に馬産に興味を抱き、仏国の牧場を購入していた。本馬は牝馬でありながら筋肉質の優れた馬体の持ち主で、顔に長い流星があった。

競走生活

2歳時にデビューしてすぐに能力を発揮。3歳時は仏1000ギニー(T1600m)から始動して楽勝。続いてリュパン賞(T2100m)に出走すると、牡馬を蹴散らして勝利を収め、1887年のテーネブルーズ以来15年ぶり史上9頭目の同競走牝馬制覇を達成した。さらに仏オークス(T2100m)に出走すると、エクリプス賞の勝ち馬ラローレライ以下を蹴散らして楽勝。これらの勝ち方から、仏国内では本馬の熱狂的なファンが増える結果となった。

本馬は続いてパリ大賞(T3000m)に参戦。このレースは牡馬混合戦であり、仏2000ギニー・仏ダービー・フォンテーヌブロー賞・ギシュ賞の勝ち馬レッツ、グレフュール賞・オカール賞の勝ち馬で後にアスコット金杯・ドーヴィル大賞・プランスドランジュ賞・グラディアトゥール賞を勝ち2連覇を狙ったアスコット金杯でジンファンデルの2着する事になるマキシマムといった同世代の強豪牡馬勢も出走していたのだが、本馬にとって最大の敵は牡馬ではなかった。このレースには本馬と同世代で英国競馬史上有数の名牝とされる後の英国クラシック4勝馬セプターがドーバー海峡を越えて参戦しており、英仏両国の3歳牝馬の頂上決戦となったのである。英国の人はセプターの勝利を微塵も疑わず、仏国の人は本馬が勝つと自信満々だった。

レースではセプター鞍上のハーバート・ランドール騎手に対して壮絶なブーイングが巻き起こり、ランドール騎手はそれで集中力を削がれたのか、道中コースロスをする場面が見られたという。一方で主戦のW・プラット騎手が手綱を取る本馬はいつもどおりの走りを見せた。それでもセプターは直線鋭く追い込んできたが、本馬には届かず着外に終わり、英仏最強3歳牝馬の頂上決戦は本馬の勝利となった。レッツとマキシマムの2頭が同着で2着に入った。セプターにとっては不利な条件が多かった(詳細はセプターの項を参照)が、それでも本馬の勝利は仏国競馬ファンの喝采を浴び、本馬は仏国競馬史上屈指の名牝として語り継がれる事になった。

本馬はその後に出走したロワイヤルオーク賞を勝利して、仏国クラシック競走3勝馬となったと“Thoroughbred Heritage”に記載されているのだが、この1902年のロワイヤルオーク賞の勝ち馬はフェールという牡馬で、分割競走になった形跡もないし、3着以内に本馬の名前も無いから、これはおそらく“Thoroughbred Heritage”の勘違いか何かである。3歳最後のレースでは疲労が溜まっていたのか予想外の敗戦を喫し、ここで競走馬引退となった。

血統

Omnium Upas Dollar The Flying Dutchman Bay Middleton
Barbelle
Payment Slane
Receipt
Rosemary Skirmisher Voltigeur
Gardham Mare
Vertumna Stockwell
Garland
Bluette Wellingtonia Chattanooga Orlando
Ayacanora
Araucaria Ambrose
Pocahontas
Blue Serge Hermit Newminster
Seclusion
Blue Sleeves Beadsman
Mrs. Quickly
Kasbah Vigilant Vermouth The Nabob The Nob
Hester
Vermeille The Baron
Fair Helen
Virgule Saunterer Birdcatcher
Ennui
Violet Melbourne
Snowdrop
Katia Guy Dayrell Wild Dayrell Ion
Ellen Middleton
Reginella King Tom
Flax
Keapsake Gladiateur Monarque
Miss Gladiator
Humming Bird Birdcatcher
Indiana

父オムニウムは1歳時にサンタラリ氏がドーヴィルで購入した馬で、現役時代はフォレ賞・仏ダービー・カドラン賞・コンセイユドパリ賞2回を制しており、種牡馬としても1902年の仏首位種牡馬となっている。オムニウムの父ユーパスも仏ダービーの優勝馬。ユーパスの父ドラールは仏国産馬ながら英国のグッドウッドCを勝っている。ドラールの父はザフライングダッチマンであり、ヘロド系に属する。

母カスバは仏オークスを勝ち、仏1000ギニーで2着した活躍馬で、サンタラリ氏が3万フランという大金を払って購入した。カスバの5代母が大繁殖牝馬ポカホンタスであった事もサンタラリ氏が購入する決め手になったという。なお、カスバの祖母の父は種牡馬としては大失敗に終わったとされる19世紀最強馬グラディアトゥールであり、グラディアトゥールの血の影響力は後世に皆無ではない事になる。

本馬の全妹キジルソウの子にはキングズクロス【ドラール賞】、孫にはカンタール【凱旋門賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・イスパーン賞】、牝系子孫にはハイクロイ【ジョンダーカン記念パンチェスタウンチェイス(愛GⅠ)・パディパワーダイアルAベットチェイス(愛GⅠ)・メリングチェイス(英GⅠ)】が、本馬の半妹キジルクーム(父ドロネー)の牝系子孫にはフォルルース【ロベールパパン賞】がいる他、フォヴェロス【ホースチェスナットS(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)・SAクイーンズプレート(南GⅠ)】など南アフリカの活躍馬が複数出ている。

カスバの4代母インディアナはポカホンタスの4番子で、“Emperor of Stallions(種牡馬の皇帝)”ストックウェルの1歳年上の半姉に当たる。しかしインディアナからカスバの間には活躍馬は皆無であり、いかにポカホンタスの牝系といっても優秀な牝系だったとは言い難い。→牝系:F3号族①

母父ヴィジラントは仏グランクリテリウム・リュパン賞の勝ち馬。直系を遡ると、パリ大賞でブレアアソールやフィーユドレールなどを破って勝利したヴェルムト、チェスターフィールドCの勝ち馬ザネイバブ、アスコット金杯2着馬ザノブ、アスコット金杯の勝ち馬グローカス、パルチザン、ウォルトンに行きつくヘロド系である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はサンタラリ氏の元で繁殖牝馬になったが、死産や不受胎が多く、順調な繁殖生活とは言い難かった。

それでも6歳時に産んだ牡駒ケニルワース(父チャイルドウィック)はグレフュール賞・レインボー賞を勝ち、仏ダービーで3着する活躍を示した。後にケニルワースは豪州で種牡馬入りして成功している。

15歳時には牝駒カオチョウ(父チョウベルスキー)を産んだ。カオチョウは競走馬としては活躍しなかったが、母として英1000ギニー馬カンディを産み、さらに子孫からはアッサガイ【ユナイテッドネーションズH・マンノウォーS】、オラストン【リディアテシオ賞(伊GⅠ)】、デネル【ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、カルティエ賞最優秀長距離馬2回のパーシャンパンチ、アクラーム【ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】などが出て牝系を伸ばした。

カオチョウの1歳年下の全妹キリンも競走馬としては活躍しなかったが、母としてベルギー三冠馬でイスパーン賞も制した牝馬キティを産んでいる。

19歳時に本馬は、自身の直系先祖ドラールの直系5代目に当たり、しかも本馬の父オニアムを母父に持つヘロド系の種牡馬ブリュルール(パリ大賞・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬)との間に牡駒を産んだ。この牡駒はクサールと命名されたが、動きが緩慢であり、サンタラリ氏はあまり期待していなかったようである。しかしセリに出されたクサールはエドモン・ブラン氏に気に入られて購入された。すぐにブラン氏が死去したため、クサールはブラン未亡人名義で走り、サラマンドル賞・仏ダービー・ロワイヤルオーク賞・凱旋門賞2回・カドラン賞と仏国の大レースを次々と制覇し、本馬の産駒最高の活躍馬となった。競走馬を引退したクサールはブラン未亡人の元で種牡馬入りし、1931年の仏首位種牡馬になった。クサールの代表産駒であるトウルビヨンの大活躍により、本馬の繁殖牝馬としての実績は確立されたと言える。なお、本馬の没年は不明である。

TOP