アータックス

和名:アータックス

英名:Artax

1995年生

黒鹿

父:マーケトリー

母:レイジングアパラチー

母父:アパラチー

レース中に乱入した観客に殴られそうになるなど紆余曲折を経ながらも最後にはBCスプリントを制して米国短距離界の頂点に立つ

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績25戦7勝2着9回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ヴァイナリー&カロンデレトファームの生産馬で、後に動物虐待の罪で逮捕されるアーニー・パラガロ氏が創設したパラネック・ステーブルの所有馬として、米国ランディ・ブラッドショー調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳10月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦で、主戦となるクリス・マッキャロン騎手を鞍上にデビューした。ここでは4番人気ながらも単勝オッズは5倍であり、それなりの支持を受けていた。レースでは馬群の中団を追走し、直線で追い上げてきたが、先行して抜け出した単勝オッズ3.3倍の1番人気馬クラシックキャット(後にレキシントンS・オハイオダービー・サンバーナーディノHを勝っている)と、本馬より後方の位置取りからまくって上がっていった単勝オッズ55.1倍の最低人気馬クリプトデシンの2頭に追いつけず、勝ったクラシックキャットから7馬身半差をつけられて3着に敗れた。

それから3週間後に出走したハリウッドパーク競馬場ダート8.5ハロンの未勝利戦では、単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持された。今回は3番手の好位を走り、レース中盤で早くも先頭に立つと、そのまま2着アベイラビリティに9馬身差で圧勝した。

次走のハリウッドフューチュリティ(GⅠ・D8.5F)では、前走ケンタッキージョッキークラブSで3着だったリアルクワイエットとの対戦となった。リアルクワイエットが単勝オッズ2.5倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ4.4倍の2番人気となった。レースはリアルクワイエットが好位を先行して、本馬はリアルクワイエットを常にマークするように追走した。そして四角で仕掛けて先頭に立ったリアルクワイエットを直線で追いかけたが届かず、1馬身差の2着に敗れた。2歳時の成績は3戦1勝だった。

競走生活(3歳時)

3歳時は1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走から始動。単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された。今回はスタートから先頭争いを展開し、そのまま逃げ込みを図った。しかし後方から来た単勝オッズ5.4倍の2番人気馬フューチャリスティックに直線で差されてしまい、半馬身差の2着に敗れた(3着馬は10馬身後方)。

次走のサンタカタリナS(GⅢ・D8.5F)では、デルマーフューチュリティ・ノーフォークS勝ち馬スーヴェニアコピーが単勝オッズ2.9倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ3.1倍の2番人気だった。スタートから本馬が先頭に立ち、その直後をスーヴェニアコピーが追いかけてくるという展開となった。2頭の争いは直線入り口まで続いたが、本馬が二の脚を使ってスーヴェニアコピーを引き離し、最後は5馬身半差をつけて圧勝した。

続くサンフェリペS(GⅡ・D8.5F)では、リアルクワイエットと2度目の対戦となった。しかし前走ゴールデンゲートダービーで最下位に終わっていたリアルクワイエットは単勝オッズ5.1倍の3番人気と評価を大きく落としており、本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。今回もスタートから本馬が逃げを打ち、それをリアルクワイエットが追いかける展開となった。そして2頭の争いは直線に入った後も続いたが、本馬が頭差で勝利した。

次走のサンタアニタダービー(GⅠ・D9F)では、3戦無敗のインディアンチャーリー、リアルクワイエット、サンラファエルSを勝ってきたオーヴィルンウィルバースなども出走してきた。過去3戦全て圧勝だったインディアンチャーリーが単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ3.6倍の2番人気だった。レースは不良馬場で行われたが、それが影響したのか本馬は先手を取ることが出来ず、3番手からの競馬となった。直線でもあまり伸びず、逃げて失速したオーヴィルンウィルバースには6馬身差をつけたものの、2番手から抜け出したインディアンチャーリーと差してきたリアルクワイエットからは大きく離され、勝ったインディアンチャーリーから9馬身1/4差の3着に敗退した。

それでもケンタッキー州に遠征してケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)に出走。インディアンチャーリー、前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬にして年度代表馬にまで選ばれていたフェイヴァリットトリック、フロリダダービー馬ケープタウン、ブルーグラスS勝ち馬ハロリーハンター、リアルクワイエット、アーカンソーダービーを勝ってきたヴィクトリーギャロップなどが対戦相手となった。前走の内容から本馬の評価は下がっており、単勝オッズ12.5倍で6番人気だった。このレースでマッキャロン騎手は距離を意識したのか、後方からの競馬を選択した。しかしそれでも距離をもたせることは出来ず、馬群からどんどんと引き離されてしまい、勝ち馬から39馬身差も離された13着に沈んでしまった。栄冠を手にしたのはリアルクワイエットだった。

その後は半年間の休養を取り、11月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート7.5ハロンのオプショナルクレーミング競走で復帰した(本馬は売却の対象外)。ケンタッキーダービー惨敗、休み明けなどの良からぬ条件が揃っていたが、それでも実績的には他馬より一枚上手であり、当然のように単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。ところがレース中盤で意表をつくように後方から上がってきて先頭を奪った単勝オッズ4.1倍の2番人気馬シーオブシークレッツ(サンヴィンセントS勝ち馬)にそのまま引き離され、8馬身半差をつけられて2着に敗れた。

次走のマリブS(GⅠ・D7F)では、ジムビームSなどの勝ち馬イベントオブザイヤー、シーオブシークレッツ、イリノイダービー勝ち馬ヤーロウブラエ、ベストパルSやパットオブライエンHの勝ち馬オールドトッパーなどが対戦相手となった。単勝オッズ5倍の4番人気だった本馬は、ここではスタートから直線入り口まで先頭を死守。そしてそのまま逃げ込みを図ったが、本馬をマークするように2番手を走っていた単勝オッズ14.6倍の伏兵ランマンランに差されて1馬身半差の2着に敗れた(イベントオブザイヤーやシーオブシークレッツの追撃は僅差で凌いだ)。しかし斤量はランマンランより本馬のほうが4ポンド重く、内容的には悪くなかったため、短距離馬としての適性を垣間見せる結果ともなった。3歳時は7戦2勝の成績だった。

競走生活(4歳前半)

年が明けて4歳になっても休み無く、まずは1月のサンフェルナンドBCS(GⅡ・D8.5F)に出走した。単勝オッズ2.2倍のイベントオブザイヤーに次ぐ2番人気(単勝オッズ5.2倍)に推されたが、逃げて四角で馬群に飲み込まれ、ディキシードットコムの16馬身差7着に大敗してしまった。この敗戦を最後にマッキャロン騎手は本馬の鞍上を去ることになった。

翌月のチャールズHストラブS(GⅡ・D9F)では、イベントオブザイヤー、英国からやってきたセントジェームズパレスS勝ち馬ドクターフォングなどとの対戦となった。この2頭に次ぐ3番人気(単勝オッズ7.3倍)となったが、前走と同様に逃げて四角で馬群に飲み込まれ、イベントオブザイヤーの21馬身差7着最下位に惨敗した。

翌月に出走したサンタアニタパーク競馬場ダート8ハロンのオプショナルクレーミング競走では、この年のウッドワードSやジョッキークラブ金杯を勝つことになる強豪リヴァーキーンとの顔合わせとなった(本馬は売却の対象外。リヴァーキーンは10万ドルの売却対象だったが買い手は付かなかった)。しかし結果は逃げた単勝オッズ3倍の2番人気馬クリンスマンがそのまま逃げ切ってしまい、単勝オッズ2.5倍の1番人気だったリヴァーキーンは3着、単勝オッズ4.7倍の3番人気だった本馬は2番手から伸びずに、クリンスマンから6馬身半差の5着最下位に敗北した。

大敗続きの現状を脱却するため、パラガロ氏はここで本馬をブラッドショー厩舎からルイス・アルバートラニ厩舎に転厩させ、本馬は米国東海岸を主戦場とすることになった。そして同月にアケダクト競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走に出走。ここでは単勝オッズ1.75倍の1番人気に支持された。スタートから先頭を飛ばしたが、直線で単勝オッズ23.7倍の伏兵アイアンウィルに捕まって鼻差2着に敗れた。それでも過去3戦に比べるとはるかに内容は良く、以降は完全に短距離路線に的を絞ることになった。

翌月のボールドルーラーH(GⅢ・D6F)では、ジョージ・シャヴェス騎手と初めてコンビを組んだ。このレースでは前年の勝ち馬で、フランクJドフランシス記念ダッシュSも勝っていたケリーキップが123ポンドのトップハンデながら単勝オッズ1.45倍という断然の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ5倍の3番人気だった。レースではケリーキップがトップハンデをものともせずに完璧な逃げ切り勝ちを収め、2番手追走の本馬は2馬身半差の2着に入るのがやっとだった。しかもケリーキップとの斤量差は8ポンドあり、まだ一線級との実力差は歴然としていた。

そのために翌月のカーターH(GⅠ・D7F)では、単勝オッズ6.1倍で、9頭立ての4番人気止まりだった。単勝オッズ2.9倍の1番人気に推されていたのは前年のフォアゴーH・ヴォスバーグSを勝っていたアファームドサクセスで、コモンウェルスBCSを勝ってきたグッドアンドタフが単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。前走に続いてシャヴェス騎手が手綱を取った本馬は、トップハンデのアファームドサクセスより5ポンド軽い114ポンドの軽量を利してスタートから積極的に先頭争いに参戦。そしてそのまま直線を向くと後続を突き放し、2着アファームドサクセスに3馬身半差をつけて快勝し、GⅠ競走初勝利を挙げた。

そして勝ちタイムの1分20秒04は、1968年に稀代の快速馬ドクターファーガーが引退レースのヴォスバーグHで樹立した1分20秒2を31年間ぶりに更新する全米レコードとなった。

この勝利で全米中に名を知らしめた本馬だが、13日後に出走したメリーランドBCH(GⅢ・D6F)で、ある事件に巻き込まれた事でさらに有名になってしまった。このレース中にリー・チャン・ファーレルという23歳の男がコース内に乱入し、馬群の2番手を走っていた本馬の前に立ち塞がり、本馬や鞍上のシャヴェス騎手を殴ろうとしたのである。シャヴェス騎手が瞬間的に本馬に回避行動を取らせたため攻撃は空振りだったが、その際に本馬は他馬とぶつかって脚首を負傷してしまい、勝ったイェスイッツトゥルーから8馬身半差の5着に敗れた。このレースで本馬は単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されていたが、本馬に賭けられていたお金が返金されるという事態に発展した。

事件を起こしたファーレルはすぐに警備員に取り押さえられて警察へと連行されていった。この前代未聞の事件はテレビニュースで取り上げられ、一部始終が映像で流されたため、当日ピムリコ競馬場に詰め掛けていた数万人の大観衆(カリズマティックが勝ったプリークネスSと同日のレースだった)以外の人々もその衝撃的な瞬間を目にする事となった。逮捕されたファーレルは後に裁判を受けたが、生国である韓国で4歳時に実父に遺棄されて孤児院に入り、その後米国の夫婦に養子として引き取られたが精神を病んで自殺願望を抱き、当日も酒に酔っていたという事情が斟酌され、3年間の執行猶予と5年間の保護観察という温情判決となった。返金に応じる羽目になったり、再発防止のために競馬場の警備強化をせざるを得なくなったりで踏んだり蹴ったりだったメリーランド州ジョッキークラブだが、寛大にもファーレルの更生を希望する旨のコメントを発表している。

競走生活(4歳後半)

一方の本馬はこの事件が尾を引いたのか、事件から3週間後に出走した翌6月のトゥルーノースH(GⅡ・D6F)では単勝オッズ2倍の1番人気に応えられず、中団待機策から追い込んで届かずに、カシャトレヤの3/4馬身差2着に敗退(ただし斤量はカシャトレヤより本馬のほうが9ポンド重かった)。

単勝オッズ1.95倍のアファームドサクセスに次ぐ2番人気(単勝オッズ3.45倍)に推された翌月のトムフールH(GⅡ・D7F)では、好位から伸びずにクラフティフレンドの5馬身3/4差3着に完敗した。

同月末のフィラデルフィアBCH(GⅢ・D6F)では単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されたが、逃げた単勝オッズ11.3倍の伏兵ローディドガンを捕らえきれずに1馬身1/4差の2着に敗退。

翌8月のアフィナメナンH(GⅡ・D6F)では、単勝オッズ1.75倍のイェスイッツトゥルー、単勝オッズ5.7倍のグッドアンドタフに次ぐ3番人気(単勝オッズ8倍)に評価を落とした。ここでは久々に逃げ戦法を採り、直線入り口まで粘ったが、単勝オッズ11.4倍の伏兵インティダブにかわされて1馬身半差の2着に敗れた。

9月のフォアゴーH(GⅡ・D7F)では、アファームドサクセス、ベルエアH・トムフールHの勝ち馬クラフティフレンド、前年のキングズビショップS勝ち馬シークレットファーム、シガーマイルH・メトロポリタンHの勝ち馬サーベア、インティダブ、グッドアンドタフなどの実力馬が顔を連ねており、本馬は単勝オッズ9.5倍の6番人気まで評価を落とした。そしてレースでも後方3番手からの追い込みが不発に終わり、クラフティフレンドの5馬身1/4差5着と完敗した。

同月のヴォスバーグS(GⅠ・D7F)では、対戦相手の層はフォアゴーHよりも薄く、単勝オッズ1.85倍の1番人気に推されていたクラフティフレンド以外にはこれといった馬はいなかった。それでも定量戦のため前走フォアゴーHより8ポンドも重い125ポンドを課せられた本馬は単勝オッズ5.3倍の3番人気止まりだった。しかしトゥルーノースH以来のコンビ復活となったシャヴェス騎手を鞍上にスタートから快調に先頭を飛ばし、そのまま2着ストーミンフィーヴァーに3馬身半差をつけて楽勝した(クラフティフレンドは本馬から8馬身半差の5着に敗れた)。

翌10月にはフォレストヒルズH(GⅡ・D6F)に出走。120ポンドのトップハンデながら、ハッチソンS勝ち馬ベットミーベスト、ストーミンフィーヴァー、インティダブ、グッドアンドタフなどを抑えて単勝オッズ2.85倍の1番人気に支持された。前走に続いて手綱を取ったシャヴェス騎手は本馬の能力を手の内に入れていたようで、スタートから順調に先頭を走らせた。そして四角で後続を引き離し、直線でもしっかりと伸びて、2着グッドアンドタフに6馬身半差をつけて1分7秒66のコースレコードで圧勝した。

引き続き、ガルフストリームパーク競馬場で行われたBCスプリント(GⅠ・D6F)に参戦。キングズビショップSを勝ってきたフォレストリー、ジュライC・ナンソープSの勝ち馬でこの年のカルティエ賞最優秀短距離馬に選ばれるストラヴィンスキー、前年の3着馬で翌年の勝ち馬コナゴールド、翌年のドバイゴールデンシャヒーン勝ち馬ビッグジャグ、エインシェントタイトルBCHを勝ってきたレキシコン、アファームドサクセス、ファウンテンオブユースS・フロリダダービー勝ち馬でジェロームH2着のヴィカー、グッドアンドタフなどが対戦相手となった。

ここでもシャヴェス騎手とコンビを組んだ本馬は、フォレストリーと並んで単勝オッズ4.7倍の1番人気に支持された。スタートが切られると伏兵のエンジョイザモーメントが先頭に立ち、本馬はそれを見る形で2番手を追走した。そしてレース半ばでエンジョイザモーメントをかわして先頭に立ち、そのまま直線を向いた。内側からコナゴールドが本馬をかわす勢いで迫ってきたが、先頭を譲ることなく直線を駆け抜け、最後はコナゴールドを半馬身差で振り切り、1分07秒89という、ミスタープロスペクターが保持していたコースレコード1分07秒8に迫る好タイムで快勝した。

4歳時の成績は15戦4勝だったが、国際クラシフィケーションでは130という高評価(米国調教馬では1位。全体ではデイラミモンジュー、エルコンドルパサー、ロイヤルアンセムに次ぐ5位)を受け、この年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選出された。

このレースの後にいったん引退が表明され、ニューヨーク州のクレルモンファームで種牡馬入りしたが、1年目の繁殖シーズン終了後に現役復帰しBCスプリント連覇を目指した。しかし調教中の軽い怪我のため現役復帰は断念して正式に引退となった。

馬名は独国の児童文学作家ミヒャエル・エンデの作品「はてしない物語」の前半の主人公アトレーユの愛馬アルタクスに由来する。

血統

Marquetry Conquistador Cielo Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
K. D. Princess Bold Commander Bold Ruler
High Voltage
タミーズターン Turn-to
Tammy Twist
Regent's Walk Vice Regent Northern Dancer Nearctic
Natalma
Victoria Regina Menetrier
Victoriana
Lover's Walk Never Bend Nasrullah
Lalun
Honey Lake Spy Song
Miss Grillo
Raging Apalachee Apalachee Round Table Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Knight's Daughter Sir Cosmo
Feola
Moccasin Nantallah Nasrullah
Shimmer
Rough Shod Gold Bridge
Dalmary
Fagers Charisma Dr. Fager Rough'n Tumble Free for All
Roused
Aspidistra Better Self
Tilly Rose
Charisma Magic Power Ruler Bold Ruler
Polylady
Magic Night Star Kingdom
Betrothal

父マーケトリーはコンキスタドールシエロ産駒。現役成績は36戦10勝で、ハリウッド金杯(米GⅠ)・エディリードH(米GⅠ)・メドウランズCH(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅡ)・マーヴィンルロイH(米GⅡ)・ベルエアH(米GⅡ)を勝っている。本馬の他にはスクワートルスクワートを出した。

母レイジングアパラチーは不出走馬。本馬以外にこれといった産駒はいないが、本馬の半妹バーモントガール(父ミシエロ)は日本に競走馬として輸入され、繁殖入り後に2歳オープン特別を2勝したエイシンヴァイデンを産んでいる。レイジングアパラチーの半姉ファーガーズチャーム(父シャム)の孫にはトゥーシャルマン【デルマーオークス(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】がいる。→牝系:F14号族②

母父アパラチーは、米国の歴史的名馬ラウンドテーブルと、2歳にして米年度代表馬に選ばれたモカシンの間に産まれた良血馬。競走馬としては欧州で走り、2歳時にオブザーヴァー金杯(英GⅠ)など3戦全勝の成績を残し、英タイムフォーム社のレーティングにおいて2歳馬としては異例の137ポンドという高評価を獲得した。3歳時はグラッドネスS(愛GⅢ)を勝ち、単勝オッズ1.44倍という同競走史上有数となる断然の1番人気で英2000ギニー(英GⅠ)を迎えたが、ノノアルコの3着に敗退し、そのまま5戦4勝の成績で引退した。本馬の祖母の父は、本馬に全米レコードを更新されたドクターファーガーである。

競走馬引退後

正式に競走馬を引退した本馬はケンタッキー州のテイラーメイドファームに移動して種牡馬生活を再開した。後にオクラホマ州のダイヤモンドGランチ牧場に移動した。2010年にはブラジルに輸出され、サンタテレザ牧場で供用された。2012年1月に疝痛に伴う合併症のため、ブラジルの病院で他界した。種牡馬としてはあまり成功したとは言い難い。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2001

Friendly Michelle

プライオレスS(米GⅠ)・ラトロワンヌS(米GⅢ)

2003

Diabolical

アルフレッドGヴァンダービルトH(米GⅡ)・メリーランドBCスプリントH(米GⅢ)

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