クリスタルグリッターズ

和名:クリスタルグリッターズ

英名:Crystal Glitters

1980年生

鹿毛

父:ブラッシンググルーム

母:テイルズトゥテル

母父:ドゥーナットキング

イスパーン賞を2連覇した実力馬は日本で個性豊かな活躍馬を多く出して成功を収める

競走成績:2~4歳時に仏愛英米で走り通算成績17戦5勝2着1回3着2回

誕生からデビュー前まで

ドン・マニング夫妻により生産された米国産馬で、マームード・フストク氏の所有馬となり、仏国ミトリ・サリバ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にドーヴィル競馬場で行われたタンカルヴィユ賞(T1200m)で、主戦となるアルフレッド・ジベール騎手を鞍上にデビューし、後の好敵手レミグランを短首差の2着に破って初勝利を挙げた。翌月のサラマンドル賞(仏GⅠ・T1400m)では、1着同着となったモルニ賞の勝ち馬でロベールパパン賞2着のディープルーツと、カルヴァドス賞・カブール賞の勝ち馬マキシモヴァから3馬身差の3着だった。

10月のエクリプス賞(仏GⅢ・T1300m)では、後の伊2000ギニー馬ドルマリスを半馬身差の2着に抑えて勝利した。10月末のクリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ・T1400m)では、ロシェット賞を勝ち仏グランクリテリムで2着してきたレミグランとドルマリスの2頭に屈して、勝ったレミグランから2馬身差の3着に敗退。2歳時の成績は4戦2勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にロンシャン競馬場で行われた仏2000ギニーの前哨戦フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ・T1600m)から始動。ここでは仏グランクリテリムの勝ち馬サンシリアンとの対戦となったが、キャッスルガードという馬が勝利を収め、サンシリアンは2馬身半差の2着、本馬はさらに4馬身3/4差の4着に敗れた。

本番の仏2000ギニー(仏GⅠ・T1600m)では立て直したが、勝ったレミグランから1馬身差の2着に敗れた。その後は愛国に遠征して愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)に参戦するが、グリーナムSの勝ち馬ワッスルや英2000ギニー馬ロモンドなどに屈して、勝ったワッスルから4馬身1/4差の4着に敗退。

その後は仏国に戻ってイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)に出走した。このレースには仏2000ギニー勝利後にリュパン賞を勝ち仏ダービーでもカーリアンの2着していたレミグランも出走してきて、しかも初の古馬相手のレースと、本馬にとってはかなり厳しい条件のレースとなった。しかし結果はテン乗りのイヴ・サンマルタン騎手を鞍上に迎えた本馬が2着ダーレーに3馬身差をつけて完勝を収め、レミグランはダーレーから頭差の3着に敗れた。

GⅠ競走タイトルを手にした本馬は続いてジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)に出走したが、勝った3歳牝馬ルースエンシャンティから7馬身3/4差の7着と完敗。続けて出走したムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)でも、ルースエンシャンティの12馬身差7着に終わった。ちなみにこの両レースともレミグランが2着しており、本馬とレミグランの対戦成績は本馬の2勝4敗となった(レミグランは3歳限りで競走馬を引退)。その後は英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に挑むも、牝馬コモラントウッドの16着と大敗し、3歳時は7戦してイスパーン賞の1勝のみとなった。

競走生活(4歳時)

4歳時はアンドレ・ファーブル厩舎に転厩した。まずは3月にサンクルー競馬場で行われたエドモンブラン賞(仏GⅢ・T1600m)から始動して、2着アンティに1馬身差で勝利した。しかし次走のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)では、前年のリュパン賞でレミグランの半馬身差2着していたプランスドランジュ賞の勝ち馬ラヴリーダンサーの5馬身3/4差4着に敗退。次走のドラール賞(仏GⅡ・T1950m)でも、独ダービー・ベルリン大賞・ベルリン大賞・独2000ギニーなどを勝っていた独国の名馬オロフィノ(8着)には先着したものの、勝ったムールタザムから5馬身3/4差の5着と今ひとつの結果だった。

しかし次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、ジベール騎手を鞍上に、エクスビュリ賞を勝って臨んできたミルバレを首差の2着に抑えて勝利を収め、1956年のフリック以来28年ぶり史上8頭目となる同競走の2連覇を飾った。

英国遠征して挑んだエクリプスS(英GⅠ・T10F)では、愛2000ギニー・ベレスフォードS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬で仏ダービー2着のサドラーズウェルズ、英オークス・英チャンピオンS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・コロネーションC・サンチャリオットSなどの勝ち馬タイムチャーター、プリンスオブウェールズSを勝ってきたモルコンといった強豪馬達に少し届かず、勝ったサドラーズウェルズから2馬身差の4着に終わった。

その後は米国に遠征してアーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)に挑んだ。対戦相手は、サンルイレイS2回・サンフアンカピストラーノH・ハリウッド招待H3回・オークツリー招待H3回・サンタアニタH2回・ジョッキークラブ金杯・ハリウッドターフC・サンセットHとGⅠ競走14勝を挙げていた3年前の覇者ジョンヘンリー、ハリウッドダービー・オペラ賞・ビヴァリーヒルズHなどを勝っていたロイヤルヒロイン、一昨年のケンタッキーダービー馬ガトデルソルなどだった。しかし9歳にして2度目の全盛期を迎えていたジョンヘンリーが勝利を収め、本馬は10着に大敗してしまった。これが現役最後のレースとなり、4歳時は6戦2勝の成績だったが、仏最優秀古馬に選出された。

血統

Blushing Groom Red God Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Spring Run Menow Pharamond
Alcibiades
Boola Brook Bull Dog
Brookdale
Runaway Bride Wild Risk Rialto Rabelais
La Grelee
Wild Violet Blandford
Wood Violet
Aimee Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Emali Umidwar
Eclair
Tales to Tell Donut King Determine Alibhai Hyperion
Teresina
Koubis Mahmoud
Brown Biscuit
Strayed Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Misleading Sweep
Rigamarole
Fleeting Doll Fleet Nasrullah Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Happy Go Fleet Count Fleet
Draeh
Chinese Doll Silver Horde Bull Dog
Silver Beauty
Chinese Sis High Strung
Cantersine

ブラッシンググルームは当馬の項を参照。

母テイルズトゥテルは米国で走り、カリフォルニアオークス・サンクスギビングデイH・マリアンS・フリートダイヴァーSに勝つなど29戦6勝の成績を残した活躍馬。テイルズトゥテル自身の繁殖成績は本馬を産んだ以外に特筆できるものはないが、テイルズトゥテルの半妹シェイクアレッグ(父レイズアネイティヴ)の子にはダンザトアー【ベレスフォードS(愛GⅡ)】、孫にはダナラニ【フライトS(豪GⅠ)】、玄孫にはザズー【ローマ賞(伊GⅠ)】がいる。同じくテイルズトゥテルの半妹トゥルーネイティヴ(父レイズアネイティヴ)の孫にはアメリク【サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)】、曾孫には日本で走ったカフェオリンポス【ジャパンダートダービー(GⅠ)】が、同じくテイルズトゥテルの半妹エインシャントジュエル(父ヘイルトゥリーズン)の子にはターシャリーゾーン【ローレンスリアライゼーションS(米GⅡ)】がいる。牝系は相当遡らないと活躍馬が出てこず、テイルズトゥテルの10代母になってようやく、1860年代の仏国を代表する名牝ラトゥーケ【仏ダービー・仏オークス・ロワイヤルオーク賞・バーデン大賞】の名前が見つかる。→牝系:F2号族②

母父ドゥーナットキングはシャンペンS勝ちなど米で53戦9勝の成績を残した。ドゥーナットキングの父ディターミンはユアホストの父アリバイ産駒で、現役成績44戦18勝、ケンタッキーダービー・サンガブリエルS・サンフェリペS・サンタアニタダービー・ベイメドウズダービー・ゴールデンゲートH・マリブS・サンタアニタマチュリティS・イングルウッドHなどを勝った一流馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はまずは仏国で種牡馬入りした。3年後の1988年に日本中央競馬界に購入されて来日し、翌1989年から日本軽種馬協会静内種馬場で供用された。この段階では既に仏国でグループ競走の勝ち馬を出していた事もあってか種牡馬人気はまずまずであり、初年度は50頭、2年目は66頭、3年目は65頭、4年目の1992年も65頭の繁殖牝馬を集めた。この1992年に海外に残してきた産駒の1頭ディアドクターがアーリントンミリオンを勝ちジャパンCでもトウカイテイオーの3着に入る活躍を見せた。そのために5年目の1993年は66頭の繁殖牝馬を集めた。

この1993年から日本で輩出した産駒からも活躍馬が出始めたために種牡馬人気は下がらず、6年目は70頭、7年目は76頭、8年目は71頭、9年目は56頭、10年目の1998年は60頭の繁殖牝馬を集めた。この1998年はマチカネフクキタルが菊花賞を勝った翌年で、アブクマポーロが地方競馬で最も猛威を振るった年だった。そのために順調にいけばさらなる交配数の増加が見込まれたはずだが、この時期から本馬は病気がちとなった上に受精率が低下してきたため、交配数は抑えられるようになった。11年目は46頭と交配して受胎したのが10頭、12年目の2000年は13頭と交配したが1頭も受胎しなかった。そのために翌年からは事実上種牡馬引退状態となり、2002年12月に22歳で他界した。

仏国種牡馬ランキングでは1991年の7位が最高だった。全日本種牡馬ランキングでは1997年の7位が最高で、翌1998年にも8位に入っている。この1998年には地方競馬の首位種牡馬も獲得している。

産駒のタイプは様々で、短距離馬、長距離馬、芝馬、ダート馬、早熟馬、晩成馬など多岐に渡ったが、優れた末脚を武器とする中距離馬が多かった。ただし揉まれ弱い産駒が多く、ややムラな一面があった。一度勢いに乗ると強いが、いったん衰えるとなかなか復活しない傾向もあった(マチカネフクキタルはその典型例だった)。母父としてはカルストンライトオを出した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1986

Good Example

レゼルヴォワ賞(仏GⅢ)

1986

Lights Out

ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)

1987

Bleu de France

サンロマン賞(仏GⅢ)

1987

Dear Doctor

アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)2回・ゲルゼンキルヒェン市大賞(独GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)

1988

Glity

ギョームドルナノ賞(仏GⅡ)

1988

Northern Crystal

パース賞(仏GⅢ)

1990

アルファキュート

サファイアS(GⅢ)・中山牝馬S(GⅢ)

1991

テイエムジャンボ

京都記念(GⅡ)・京都金杯(GⅢ)

1992

アブクマポーロ

川崎記念(GⅠ)2回・帝王賞(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・東海ウインターS(GⅡ)・ダイオライト記念(GⅡ)2回・かしわ記念(GⅢ)・NTV盃(GⅢ)・グランドチャンピオン2000(南関GⅠ)2回・マイルグランプリ(南関GⅠ)・大井記念(南関GⅡ)・サンタアニタトロフィー(南関GⅢ)

1994

マチカネフクキタル

菊花賞(GⅠ)・神戸新聞杯(GⅡ)・京都新聞杯(GⅡ)

1995

サンキューホーラー

東海桜花賞(SPⅠ)・名古屋記念(SPⅠ)・新春盃(SPⅡ)・マイル争覇(SPⅡ)

1995

ランニングメイト

青藍賞(水沢)

1997

キングリファール

しらさぎ賞(南関GⅢ)・アフター5スター賞(南関GⅢ)・テレビ埼玉杯(南関GⅢ)

1997

ダイコーフクキタル

ヤングチャレンジC(門別)

1998

クリスタルオージャ

サラブレッド3歳牝馬賞(新潟)

1999

サダムクリスタル

岐阜金賞(SPⅠ)・ジュニアクラウン(SPⅡ)

2000

ハードクリスタル

東海S(GⅡ)・ブリーダーズゴールドC(GⅡ)

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