ホワイトマズル

和名:ホワイトマズル

英名:White Muzzle

1990年生

鹿毛

父:ダンシングブレーヴ

母:フェアオブザファーズ

母父:エラマナムー

伊ダービーを驚異的レコードタイムで制し、英国や仏国の最高峰競走でも好走を続けたダンシングブレーヴの後継種牡馬

競走成績:2~4歳時に英伊仏日加米で走り通算成績17戦6勝2着3回3着2回

誕生からデビュー前まで

愛国の馬産家で本馬の母フェアオブザファーズの所有者でもあったアンソニー・ロジャーズ氏とソニア夫人が所有するエアリースタッドにおいて生産された英国産馬である。1980年代欧州最強馬ダンシングブレーヴを父に、ロジャーズ夫妻にちなんで命名されたロジャーズ金杯(現タタソールズ金杯)の勝ち馬フェアオブザファーズを母に持つ良血馬であったが、1歳になった本馬がセリに出された1991年は、前年にデビューしたダンシングブレーヴの産駒成績が甚だ悪かったため、早くもダンシングブレーヴには失敗種牡馬としての烙印が押されていた時期(この年にダンシングブレーヴは日本に旅立っていった)であり、それは本馬の評価にも悪影響を及ぼした。グリーンデザートを父に持つ2歳年上の半姉エルファスラーは1歳時に14万5千ギニーの値がついたのに、本馬についた値は4万ギニーに過ぎなかった。

本馬を購入したのは伊国の名物実業家ルチアーノ・ガウチ氏だった。ガウチ氏はトニービンの競走馬時代の実質的馬主で、日本人サッカー選手の中田英寿氏が海外移籍を果たした際に所有していたACペルージャに迎え入れた人物としても有名だった。トニービンが稼いだ賞金でACペルージャを入手し、さらなる金蔓を求めて英国の競馬界にも進出していたガウチ氏が本馬を預けたのは、英国のピーター・チャップルハイアム調教師だった。

競走生活(3歳初期まで)

2歳9月にニューベリー競馬場で行われたヘインズハンソン&クラークS(T8F)で、チャップルハイアム厩舎の主戦だったジョン・リード騎手を鞍上にデビューした。ブルックリンHなどの勝ち馬ナスティアンドボールドや、サラナクSなどの勝ち馬トールドの半弟という良血だったペンブロークが単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ6倍の2番人気となった。スタートが切られると、単勝オッズ7.5倍の3番人気馬ジインフォーマーが逃げを打ち、ペンブロークが先行、本馬は中団につけた。しかし本馬はゴール前の一伸びが足りず、ペンブロークとジインフォーマーの2頭を捕らえることが出来ず、勝ったペンブロークから1馬身1/4差の3着に終わった。

翌月にはニューマーケット競馬場芝7ハロンの未勝利ステークスに出走した。本馬の母方の祖父エラマナムー産駒のブラックドラゴンが単勝オッズ3.75倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ4倍の2番人気となった。前走では少し抑え気味に走った本馬だが、今回はブラックドラゴンと共に積極的に前方に向かった。ブラックドラゴンはやがて後退していったが、本馬も伸びを欠き、先行した単勝オッズ6.5倍の4番人気馬ガブール(マンハッタンカフェの従兄弟で、後のサンダウンマイル・クリテリオンSの勝ち馬)と、後方から差してきた単勝オッズ13倍の5番人気馬バラシア(後のカルティエ賞年度代表馬)の2頭に敗れて、勝ったバラシアから2馬身1/4差の3着に終わった。結局2歳時は2戦して未勝利だった。

3歳時は4月から始動。しばらくは英国のローカル競馬場で裏街道を進むことになる。まずはポンテクラフト競馬場で行われた芝10ハロンの未勝利ステークスに出走。対戦相手のレベルが低かったために、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の中団を進み、残り2ハロン地点でスパートを開始。残り1ハロン地点で先頭に立つと、先行して2着となった単勝オッズ6.5倍の2番人気馬ブルーグロットに5馬身差をつけて圧勝した。

次走はそれから15日後にビバレー競馬場で行われたリッチモンド条件S(T12F)だった。地元英国以外では殆ど知られていないようなマイナー競馬場のレースだけに、やはり出走馬のレベルは低く、本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持された。レースぶりも前走とほぼ同様で、馬群の中団を進むと直線に入った時点でスパートを開始。残り1ハロン地点で先頭に立つと、先行して2着となった単勝オッズ15倍の最低人気馬ソウルエンペラーに6馬身差をつけて圧勝した。

次走はこれまた馴染みが無いキャタリック競馬場で行われたヨークシャーテレビジョン条件S(T10F)だった。しかし対戦相手は過去2戦より少し骨があった。名馬クリスダイイシスの従兄弟でサドラーズウェルズを父に持つセイントキーン、英1000ギニー・仏オークス勝ち馬ハイクレアの甥で大繁殖牝馬ハイトオブハッション(ナシュワンの母)の従兄弟に当たるスプリングトゥアクションという血統的期待が大きい馬が2頭出てきたのである。もっとも2頭とも血統は良くても競走実績には乏しく、このレースだけリード騎手でなくスティーブン・デイヴィース騎手が騎乗した本馬が単勝オッズ1.83倍の1番人気、セイントキーンが単勝オッズ3.75倍の2番人気、スプリングトゥアクションが単勝オッズ8倍の3番人気となった。レースはスプリングトゥアクションが逃げて、本馬とセイントキーンが好位でそれを追いかける展開となった。最後はこの3頭の勝負になったが、実力ではやはり本馬が最上位だったようで、残り1ハロン地点で突き抜けて、2着スプリングトゥアクションに1馬身半差、3着セイントキーンにもさらに1馬身半差をつけて勝利した。

競走生活(3歳中期と後期)

その後はガウチ氏の本国である伊国に移動して、5月末の伊ダービー(伊GⅠ・T2400m)に出走した。欧州全体から見れば伊ダービーは裏街道であり、おそらく英愛仏のGⅡ~GⅢ競走と同レベルくらいなのだが、さすがに所有者ガウチ氏の地元伊国における3歳最強馬決定戦だけあってチャップルハイアム師は渾身の仕上げを施していたらしいし、鞍上のリード騎手も強い勝ち方を見せるつもり満々だったようである(もっとも肝心のガウチ氏はACペルージャの試合観戦を優先したために競馬場には不在だった)。単勝オッズ5.8倍で出走した本馬は、スタートからそれほど抑えずに先行策を選択。そのまま先行集団でレースを進めると、残り500m地点で先頭に立ち、後はそのまま独走するだけだった。最後は2着ニードルガン(前走の条件ステークスでコマンダーインチーフの首差2着、次走のセントジェームズパレスSでキングマンボの1馬身半差2着となる)に5馬身差をつけて圧勝した。勝ちタイム2分24秒5は、1990年にフマユーンが計時した従来のレースレコード2分27秒0を一気に2秒5も縮める素晴らしいものであり、2008年に伊ダービーの距離が200m短縮されるまで結局更新されることは無かった(史上2位は1995年のルソーと1999年のムカリフの2頭が計時した2分25秒7)。

英国に戻ってきた本馬は、6月にアスコット競馬場で行われたチャーチル条件S(T12F)に出走した。対戦相手は僅か2頭で、そのうちの1頭ライトウィンは伊グランクリテリウム2着馬だったが、前走の伊ダービーでは本馬の6馬身半差5着に敗れ去っていた。そのために本馬が単勝オッズ1.25倍という圧倒的な1番人気に支持され、ライトウィンが単勝オッズ7倍の2番人気となった。このレースには逃げ馬がいなかったため、本馬が押し出されて先頭に立ち、スローペースで逃げを打った。残り2ハロン半地点で仕掛けたが、慣れない逃げを打ったためか今ひとつ伸びが無く、本馬を徹底的にマークしていたライトウィンに並びかけられた。一時は危なかったが、しかし残り半ハロン地点でライトウィンを差し返して首差で勝利した。

内容的にはいまいちだった(もっともライトウィンはこの年にイタリア大賞を勝ってGⅠ競走勝ち馬となっており、弱い相手ではなかった)が、それでも5連勝とした本馬はここでようやく表舞台に飛び出し、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に出走した。英ダービー・愛ダービーの勝ち馬で本馬と同じダンシングブレーヴ産駒でもある5戦無敗のコマンダーインチーフ、英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークス・英セントレジャー・サンクルー大賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞でも2着してカルティエ賞年度代表馬に選ばれていたユーザーフレンドリー、コロネーションC・エクリプスS・タタソールズ金杯・ブリガディアジェラードS・カンバーランドロッジSを勝ちエクリプスS・ガネー賞で2着していたオペラハウス、仏グランクリテリウム・ダンテSなど5連勝して英ダービーでは1番人気に支持されるもレース中のトラブルで惨敗していたテンビー、メルフィンク銀行賞・ミラノ大賞・独2000ギニー・バーデン経済大賞・オイロパ選手権を勝ちバーデン大賞・オイロパ賞で2着していた独国の名馬プラティニ、米国でWLマックナイトH・ローレンスアーマーHを勝った後に欧州に移籍してアスコット金杯2回・ジェフリーフリアS・カンバーランドロッジS・ヘンリーⅡ世S・ミラノ金杯2回を勝ち伊ジョッキークラブ大賞・カドラン賞で2着していた前年のカルティエ賞最優秀長距離馬ドラムタップス、一昨年のエクリプスS・ダンテSの勝ち馬で愛チャンピオンS・コロネーションC2着のエンヴァイロンメントフレンド、ハードウィックS・セプテンバーSの勝ち馬で後に豪州に移籍してメルボルンCなどGⅠ競走を4勝するジューン、プリンセスオブウェールズSを勝ってきたデザートチームの計9頭が対戦相手となった。

同父のコマンダーインチーフが単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持される一方で、本馬は単勝オッズ10倍の5番人気と水を空けられていた。ユーザーフレンドリーが単勝オッズ3.75倍の2番人気、オペラハウスとテンビーが並んで単勝オッズ9倍の3番人気となっていた。スタートが切られるとユーザーフレンドリーが先頭を引っ張り、コマンダーインチーフとオペラハウスが先行、本馬は馬群の中団につけた。そして6番手で直線に入ると残り2ハロン地点でスパートを開始。先頭争いを演じるオペラハウスとコマンダーインチーフの競り合いに参加して三つ巴の勝負となった。最後はオペラハウスが突き抜けて1馬身半差で勝利したが、本馬は3着コマンダーインチーフに短頭差、4着ユーザーフレンドリーには10馬身先着する2着に入り、その実力をアピールした。

なお、このレース後に日本の社台グループ代表者である吉田照哉氏が本馬を購入したとする日本の資料があるが誤りである。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSのレース前には既に取引が成立しており、このレースで本馬鞍上のリード騎手は社台の勝負服として御馴染みの黄色と黒の縦縞服を身につけているし、英レーシングポスト紙の基礎資料においてもこのレースにおける本馬の所有者は既に吉田氏となっている。吉田氏の心中を他人である筆者が推し量ることは出来ないが、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの前に既に本馬に目を止めていた理由は、伊ダービーの勝ち方が余程衝撃的だったのか、既に日本で種牡馬入りしていたダンシングブレーヴの産駒に対する将来性を見据えたのか、はたまたその両方であろう。いずれは凱旋門賞やジャパンCに出てから日本で種牡馬入りさせる青写真は既に出来上がっていたと思われる。

しかし次走は8月の英国際S(英GⅠ・T10F85Y)であり、あまり凱旋門賞の前哨戦としては相応しくない距離だった。チャップルハイアム師は、本馬にとっては12ハロンより10ハロンのほうが良いと、この時点では思っていた模様である。対戦相手は、前走のリステッド競走アーリントン国際Sで後続に4馬身差をつけて1位入線しながら進路妨害で失格となっていたサブレヒル、前走6着のエンヴァイロンメントフレンド、同8着のテンビー、ユジェーヌアダム賞を勝ってきたリヴェレイション、ブリガディアジェラードSの勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞2着のレッドビショップ、英ダービー3着馬ブルーストラベラー、伊グランクリテリウム・伊2000ギニー・ヴィットリオディカプア賞・マーチャントマイルの勝ち馬でローマ賞2着のアルヒジャズ、アールオブセフトンSの勝ち馬で愛2000ギニー2着・セントジェームズパレスS3着のエズードなどだった。素質は評価されていたがグループ競走初出走のサブレヒルが単勝オッズ2.75倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3倍の2番人気、テンビーが単勝オッズ8.5倍の3番人気、リヴェレイションが単勝オッズ10倍の4番人気であり、対戦相手のレベルは前走より低かった。

しかしこの距離は本馬にとっては短かったようである。スタートから先行して残り4ハロン地点では早くも先頭に立ったものの、残り2ハロン地点から失速。勝った単勝オッズ29倍の8番人気馬エズードから10馬身も離された5着に完敗してしまった。これ以降、本馬は全て12ハロン前後の距離のレースを走る事になり、10ハロン前後の距離で走る事は無くなった。

次走が凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS勝利後に出走した愛チャンピオンSで2着だったオペラハウス、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS4着後に出走したヨークシャーオークスで3着だったユーザーフレンドリー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS10着後に出走したバーデン大賞で2着だったプラティニ、エズードといった既対戦組の他に、リュパン賞・仏ダービー・ニエル賞の勝ち馬で愛ダービー2着のエルナンド、サンタラリ賞・英オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬イントレピディティ、レーシングポストトロフィー・チェスターヴァーズの勝ち馬でリュパン賞・英セントレジャー2着のアーミジャー、愛オークス・マルレ賞・ペネロープ賞・クレオパトル賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のウィームズバイト、仏オークス・コンデ賞・ノネット賞の勝ち馬シェマカ、伊2000ギニー・ローマ賞・エミリオトゥラティ賞2回・リボー賞などを勝ちヴィットリオディカプア賞・イスパーン賞・エクリプスSで2着していたミシル、英セントレジャー・グレートヴォルティジュールS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬ボブズリターン、ヨークシャーオークス・フォワ賞を連勝してきたオンリーロワイヤル、ガネー賞・モーリスドニュイユ賞・エドヴィル賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞3着のヴェールタマンド、エクスビュリ賞・ゴントービロン賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のアーバンシーなどが出走していた。

エルナンドが単勝オッズ4.7倍の1番人気、オペラハウスとイントレピディティのカップリングが単勝オッズ4.9倍の2番人気、アーミジャーとウィームズバイトのカップリングが単勝オッズ5倍と続く一方で、本馬は単勝オッズ55倍で23頭立ての15番人気まで評価を落としていた。不良馬場の中で行われたレースでは、大外枠発走から最後方を追走し、徐々に位置取りを上げて直線入り口では7番手。そこから大外を一気に追い込み、ゴール前ではインコースを強襲してきたアーバンシーとの横一線の勝負となった。しかし結果は惜しくも首差2着で、大金星を逃してしまった。

その後は来日して、ジャパンC(日GⅠ・T2400m)に参戦した。アーバンシー、凱旋門賞7着後に伊ジョッキークラブ大賞を勝ってきたミシル、前走13着のプラティニの凱旋門賞対戦組3頭に加えて、米国からはBCターフ・サンルイレイS・サンフアンカピストラーノH・エディリードH・オークツリー招待H・サンルイオビスポS・フォルス賞を勝っていたコタシャーン、アーリントンミリオン・マンノウォーS・サンマルコスH・マンハッタンH・シーザーズ国際H・チョイスH・ケルソH・サンガブリエルHを勝っていたスターオブコジーン、デルマー招待Hでコタシャーンに黒星をつけていたルアズーが、オセアニアからは前年のジャパンC2着馬でもあるローズヒルギニー・AJCダービー・コーフィールドSの勝ち馬ナチュラリズム、新ダービー・新国際S・コックスプレートの勝ち馬ザファントムチャンスが、地元日本からは東京優駿・弥生賞・京都新聞杯の勝ち馬ウイニングチケット、セントライト記念の勝ち馬で前年の有馬記念2着のレガシーワールド、菊花賞・天皇賞春・日経賞の勝ち馬で東京優駿2着のライスシャワー、宝塚記念・有馬記念・阪神大賞典・札幌記念・新潟大賞典の勝ち馬で天皇賞春3着のメジロパーマーなどが参戦してきた。コタシャーンが単勝オッズ5.2倍の1番人気、本馬が単勝オッズ6.4倍の2番人気、スターオブコジーンが単勝オッズ8倍の3番人気、ウイニングチケットが単勝オッズ9.1倍の4番人気、ナチュラリズムが単勝オッズ11.2倍の5番人気と続く一方で、凱旋門賞で本馬を破ったアーバンシーは単勝オッズ15.2倍の10番人気だった。

レースはメジロパーマーが先頭を引っ張り、リード騎手騎乗の本馬は馬群の中団やや後方につけた。しかし直線に入っても全く伸びが無く、本馬より後方にいたコタシャーン、スターオブコジーン、ミシル、ナイスネイチャ、ナチュラリズムといった面々にどんどん抜かれていった。レースは2番手追走から粘ったレガシーワールドがコタシャーンの追い込みを抑えて勝利し、本馬はレガシーワールドから7馬身3/4差の13着に沈んでしまった。このレースで好走すればそのまま日本で種牡馬入りの可能性もあったらしいが、惨敗した事もあって現役続行となった。3歳時の成績は9戦5勝だった。

競走生活(4歳中期まで)

4歳時は6月のコロネーションC(英GⅠ・T12F10Y)から始動した。ジャパンCで本馬に一応先着する8着だったアーバンシー、前年の凱旋門賞で本馬から1馬身1/4差の4着と好走してカルティエ賞最優秀3歳牝馬に選ばれたイントレピディティ、前年の英オークスと愛オークスで2着だったロイヤルバレリーナ、オイロパ賞・ターフクラシック招待S・グレフュール賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬でサンクルー大賞2着・リュパン賞・コロネーションC3着のアップルツリー、仏グランクリテリウムでテンビーの2着だったブラッシュランブラー、前年の凱旋門賞で本馬から2馬身1/4差の5着だったオンリーロワイヤル、アラルポカル・オイロパ賞・ゲルリング賞を勝ち独ダービーで2着していた現役独国最強馬モンズーン、タタソールズ金杯・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬パーフェクトインポスター、前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでは6着だったエンヴァイロンメントフレンドなどが対戦相手となった。

このレースがシーズン初戦だったのは本馬とエンヴァイロンメントフレンドの2頭だけだったのだが、前年のコロネーションC2着馬にも関わらず単勝オッズ41倍の人気薄だったエンヴァイロンメントフレンドと異なり、本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気に推された。イントレピディティが単勝オッズ3.5倍の1番人気、アーバンシーとロイヤルバレリーナが並んで単勝オッズ9倍の3番人気となっていた。しかしレースでは馬群の中団を進んだものの、直線における追い比べで後れを取り、勝った単勝オッズ13倍の6番人気馬アップルツリーから3馬身3/4差の5着に敗退。エンヴァイロンメントフレンド(2着)やアーバンシー(4着)にも先着されてしまった。

さて、ここで話が変わるが、この時期の日本競馬界は当時25歳の武豊騎手が毎年のように中央競馬最多勝利騎手を獲得(天皇賞秋でメジロマックイーンに騎乗して降着になりスランプに陥った1991年を除く)しており、本馬の所有者吉田氏が所属していた社台グループも所有馬に武豊騎手を多く乗せるようになっていた。武豊騎手は1989年にイナリワンで天皇賞春と宝塚記念を勝った後に、イナリワンの所有者だった保手浜忠弘氏から彼が米国に所有する馬に騎乗する機会を与えてもらったのをきっかけに頻繁に米国遠征に出かけるようにもなっていた。吉田氏は本馬と武豊騎手のコンビでキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSと凱旋門賞と狙いにいく旨を表明しており、前年のジャパンCでは全く振るわなかった本馬の名前は、改めて日本競馬界に知れ渡る事になった。

そして武豊騎手と初コンビを組んで迎えたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、英ダービー・ダンテSの勝ち馬でエクリプスS3着のエルハーブ、コロネーションCの勝利後に出走したサンクルー大賞も勝ってきたアップルツリー、前年の凱旋門賞で6着・前走のエクリプスSで2着だったボブズリターン、英ダービーと愛ダービーで連続2着だったレーシングポストトロフィー・クレイヴンSの勝ち馬キングズシアター、距離が合わなかった前年の凱旋門賞では17着だったがその後に英チャンピオンSで2着して前走エクリプスSでは完勝を収めてきたエズード、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたフォイヤー、ブリカディアジェラードSの勝ち馬シェトイアント、ミラノ大賞・ジャンドショードネイ賞・エドヴィル賞の勝ち馬で伊ジョッキークラブ大賞2着のプティループ、コロネーションC2着後に出走したエクリプスSでは4着だったエンヴァイロンメントフレンド、プリンセスオブウェールズSを勝ってきたワゴンマスターなどが対戦相手となった。エルハーブが単勝オッズ4.5倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5.5倍の2番人気、アップルツリーが単勝オッズ6倍の3番人気、ボブズリターンが単勝オッズ8.5倍の4番人気となった。

スタートが切られると、武豊騎手は本馬を速やかに馬群の最後方につけた。レースはスタートした瞬間に鞍上のウォルター・スウィンバーン騎手が落馬したために空馬となったエズードが先頭を爆走し、馬群が一団となりやすい同競走としては縦長の展開となった。三角に入る手前で武豊騎手が仕掛けて、内側を突いて徐々に位置取りを上げて来た。そして8番手ながらも既に先頭を射程圏内に捉えた状態で直線に入ってきた。ところがここで事件が起こった。道中でいったん外埒沿いに去っていたエズードが再び馬群のほうに寄ってきて、馬群に体当たりを仕掛けてくるような形になったのである。本馬の外側にいた馬達は軒並み圧迫されて内側に寄ったり騎手が立ち上がったりと大混乱に陥り、本馬も内埒沿いまで押し込まれてしまった。馬群の前方に出たエズードはその後もふらふらと他馬の前を走り続け、いったんは馬群を抜け出そうとした本馬の進路は狭くなった。その狭くなった進路に先に入ったキングズシアターがそのまま抜け出して勝ち、キングズシアターからワンテンポ遅れて抜け出した本馬は1馬身1/4差の2着に敗れた。

これは空馬がレースに多大な影響を与えた代表例として海外でもよく知られているもので、エズードが落馬せずに普通にレースが進行していたらどのような結果になっていたかは分からない。本馬の着順についても、上だったかもしれないし、逆に下になったかもしれない。しかしやはり大きな不利を受けながらも勝利したキングズシアターとの比較で見ると、一瞬だけ出来た隙間に咄嗟に愛馬を突っ込ませたキングズシアター鞍上マイケル・キネーン騎手の勝負に対する執念と技術(一歩間違えれば本馬に対する進路妨害を取られていた)が、武豊騎手のそれを上回ったように見受けられた。もっとも状況が状況だけに、この敗戦のために欧州における武豊騎手の評価が下がるような事は無かったようである。

次走はドーヴィル大賞(仏GⅡ・T2500m)となった。このときの鞍上は、いったん米国遠征に出かけていた武豊騎手ではなくリード騎手だった。ポモーヌ賞2回・エヴリ大賞・ミネルヴ賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞3着のブライトムーン、4年前に初勝利を英セントレジャーで挙げた後にミラノ大賞・ロスマンズ国際S・ドーヴィル大賞2回を勝ちメルクフィンク銀行賞・アラルポカル・愛セントレジャー・ミラノ大賞2着・凱旋門賞3着などの成績を挙げて英愛調教馬の歴代賞金王にも君臨するスナージ、ロワイヤルオーク賞・ケルゴルレイ賞・ベルトゥー賞の勝ち馬レイントラップなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持され、ブライトムーンが単勝オッズ3.3倍の2番人気、スナージが単勝オッズ8.5倍の3番人気、レイントラップが単勝オッズ12.1倍の4番人気となった。当初はやはり馬群の中団につけていたが、残り800m地点で仕掛けて一気に先頭に立ち、そのまま2着ブライトムーンに2馬身半差をつけて快勝した。

凱旋門賞(4歳時)とその後の騒動

そして迎えた凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、前月のムーランドロンシャン賞において吉田氏の所有馬スキーパラダイスに騎乗して海外国際GⅠ競走初勝利を果たしていた武豊騎手と再びコンビを組んだ。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS勝利後に出走した英国際Sでは3着だったキングズシアター、ユジェーヌアダム賞・ニエル賞など3連勝中のカーネギー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS4着後に出走したフォワ賞で3着だったアップルツリー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの汚名を英国際Sの勝利で少し漱いできたエズード、ブライトムーン、コロネーションC7着後にヨークシャーオークスの2連覇を果たしてきたオンリーロワイヤル、前年の凱旋門賞では1番人気に応えられずに16着に沈んでいたエルナンド、コロネーションCでは1番人気に応えられずに11着最下位に沈むも前走フォワ賞で2着して少し立て直してきたイントレピディティ、ジャンプラ賞・パリ大賞・ギシュ賞・プランスドランジュ賞など10連勝中の無敗馬ミルコム、仏ダービー・リュパン賞・コンデ賞の勝ち馬でパリ大賞3着のセルティックアームズ、チェスターヴァーズ・ゴードンSの勝ち馬で前走の英セントレジャー2着のブロードウェイフライヤー、ヴェルメイユ賞・マルセルブサック賞の勝ち馬シエラマドレ、独ダービー・バーデン大賞2回・ハンザ賞の勝ち馬ランドなどが対戦相手となった。キングズシアター、カーネギー、イントレピディティなどドバイのシェイク・モハメド殿下の関係馬4頭がカップリングされて単勝オッズ4倍の1番人気、本馬が単勝オッズ4.5倍の2番人気、ミルコムが単勝オッズ5.9倍の3番人気、オンリーロワイヤルが単勝オッズ7.5倍の4番人気、エルナンドが単勝オッズ7.7倍の5番人気となった。1番人気が4頭カップリングだけに、単独としては本馬が最も人気を集めたと言える(これも後の騒動を大きくする理由の1つとなった)。

スタートが切られると単勝オッズ15倍の7番人気馬ブロードウェイフライヤーが先頭に立ち、スタート直後の行き脚があまり良くなかった本馬はそのまま馬群の後方2~3番手につけた。馬群が密集していたために武豊騎手はフォルスストレートで本馬を外側に持ち出し、20頭立ての18番手で直線に入ってきた。そして大外一気の末脚を繰り出したのだが、いかに直線が長いロンシャン競馬場であっても、凱旋門賞は直線殿一気の追い込みで勝てるほど甘いレースではなかった(それをやってのけたのは本馬の父ダンシングブレーヴくらいだろうか。同競走を最後方から追い込んで勝った馬は他にもいるが、直線入り口では既に前との差を縮めていた場合が殆どである。前年の本馬も当初は最後方を走っているが直線入り口では既に7番手だった)。レースは馬群の好位から抜け出したカーネギーが勝ち、エルナンド、アップルツリー、エズード、ブライトムーンが僅差の2~5着で、本馬はカーネギーから僅か2馬身差の6着に敗れた。

このレース後に起こった騒動については日本でもかなり有名だが、やや曲解されている部分が大きいようなので、ここで海外の資料(←ここ大事)を基に振り返っておく。まず大前提として、チャップルハイアム師はレース前に武豊騎手に対して「おそらくブロードウェイフライヤーが先頭に立つだろうから、それを追って先行してほしい」と指示をしていた(レース6日後に出たスポーティングポスト紙にその旨が明記されている)。

しかしレース内容は上記のとおりだった。その模様を観戦していたチャップルハイアム師はレース後に双眼鏡を投げ捨てて激昂した。その時のチャップルハイアム師の具体的な発言内容については海外の資料で発見できなかった(武豊騎手の大悪口を言ったという事自体は海外の資料にも載っている)のでこれだけは日本の資料に基づくものだが「あんな騎手は日本だけで乗っていればいい。次は絶対にリード騎手を乗せる」と言ったという(実際に本馬の残り2戦はリード騎手が乗っている)。

チャップルハイアム師が武豊騎手を手酷く非難した事実は英国や仏国のマスコミでも報じられ、武豊騎手は各方面から散々に叩かれた。しかし当のチャップルハイアム師はレース直後こそ激昂したものの後には冷静になり、武豊騎手批判をするのは止めた。2006年9月27日付けの英国ガーディアン紙の記事には「私の発言をマスコミが大げさに伝えたものです。武豊騎手は当時も今も私の良い友人ですし、彼が素晴らしい騎手である事は疑いの余地がありません」というチャップルハイアム師のコメントが載っている。

しかしいったん広まった武豊騎手バッシングは収まらなかったようで、その同じガーディアン紙の記事には「チャップルハイアム師は納得したかも知れませんが、英国のブックメーカーは納得しませんでした。タイムフォーム紙は『ゴルフの全英オープンにおけるウイニングパットで2回失敗して優勝を逃したようなもので、ゴール前で追い込んで僅かに届かずに負けるというのは、誰の目から見ても騎手の責任です』と主張しました」と書かれている。他者批判はあまりせずに真剣に書かれた競馬の記事が載っている海外の競馬サイト大手“Thoroughbredinternet”においても「武豊騎手は彼の故郷では大成功を収めた騎手でしたが、それは国際的に立証されたものではありませんでした。ホワイトマズルに彼を乗せたのは愚策だったと証明されました。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSではエズードの妨害という不運がありましたが、凱旋門賞は大失敗でした。ホワイトマズルが直線で繰り出した豪脚は、このレースに出ていた馬の中ではホワイトマズルが1番強いと多くの人に思わせるものでした。それなのに絶望的な位置取りで直線に入ってきて2馬身届かず6着というのでは(批判されても仕方がありません)。」と酷評されている。このレースは日本や英国のインターネット掲示板において未だに武豊騎手バッシングの格好の材料になっている。

前述したとおり凱旋門賞で直線殿一気が決まることなど殆ど無い事を良く知っている筆者の意見としては、たとえレース後の行き脚が悪かったとしても、そのまま後方につけた武豊騎手の騎乗は凱旋門賞を勝てるものではなかったとは思う。しかしそのまま無理に進出したら余計に結果が悪くなっていたかもしれない(事実、次走の加国際Sや次々走のBCターフではまさにそのとおりの結末となっている)から、良い騎乗とは言い難いけれども、それほど酷い騎乗だったとも思わない。

競走生活(4歳後期)

それはさておき、最大目標だったキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSと凱旋門賞を両方落としてしまった本馬は、ブリーダーズカップを目標として北米大陸に遠征。まずは加国でロスマンズ国際S(加GⅠ・T12F)に出走した。前述のとおり、鞍上はリード騎手に戻っていた。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS5着にアーリントンミリオンに参戦して4着していたプティループ、ナタルマS・カナディアンBCS・ニジャナSの勝ち馬で前走フラワーボウル招待S2着の現役加国最強3歳牝馬アリワウ(後にこの年のソヴリン賞年度代表馬に選ばれ、さらに後には加国競馬の殿堂入りも果たす)、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで12頭立ての11着(エズードが競走中止なので実質最下位)後にローズオブランカスターSを勝っていたアージェントリクエスト(後にサンタアニタHに勝利)、ドーヴィル大賞で本馬から6馬身差の4着だったレイントラップなどが主な対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.15倍の1番人気に支持され、プティループが単勝オッズ3.75倍の2番人気、アリワウが単勝オッズ7.6倍の3番人気、アージェントリクエストが単勝オッズ8.1倍の4番人気と続いていた。

今回も本馬はスタートがあまり良くなく、馬群の中団後方を追走した。向こう正面ではいったん先頭のアージェントリクエストの外側直後まで位置取りを上げて来たのだが、直線に入る前に失速。本馬より後方の位置取りで我慢して直線の末脚に賭けて勝利した単勝オッズ19.35倍の6番人気馬レイントラップから14馬身1/4差をつけられた8着最下位に惨敗してしまった。

それでも、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)には出走した。主な対戦相手は、アーリントンミリオン・ハリウッドダービー・ETマンハッタンH・ワシントンDC国際S・米国競馬名誉の殿堂博物館S・カナディアンターフH・ETターフクラシックH・ETディキシーH・アップルトンHを勝っていた日本の西山牧場所有の現役米国最強芝馬パラダイスクリーク、アメリカンダービー・セクレタリアトSの勝ち馬でターフクラシック招待2着のヴォードヴィル、凱旋門賞2着から直行してきたエルナンド、同7着から直行してきたオンリーロワイヤル、同11着から直行してきたセルティックアームズ、同13着から直行してきたイントレピディティ、レイントラップ、愛オークス・リブルスデールSの勝ち馬ボラス、英1000ギニー・EPテイラーS・英チャンピオンS・ビヴァリーDS・オペラ賞・アスタルテ賞・ミュゲ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬ハトゥーフ、前走ターフクラシック招待Sを勝ってきたグレフュール賞の勝ち馬ティッカネン、一昨年のBCターフを筆頭にソードダンサー招待H・ハリウッドターフC・パンアメリカンH2回・ラウンドテーブルHを勝っていたフレイズ、フラワーボウル招待Hの勝ち馬ダリアズドリーマーなどだった。パラダイスクリークが単勝オッズ1.8倍の1番人気、ヴォードヴィルが単勝オッズ8.2倍の2番人気、エルナンドが単勝オッズ8.3倍の3番人気と続く一方で、ロスマンズ国際Sの前段階では凱旋門賞の敗戦は馬の能力のためではなく騎手の責任だと思っていた米国の競馬ファンも、前走の内容から本馬自体に見切りをつけてしまったようで、本馬は単勝オッズ25.1倍で14頭立ての8番人気まで評価を落としてしまった。

今回もスタートが悪かった本馬は当初10番手を追走していたが、向こう正面で1番人気のパラダイスクリークが上がって先頭に立つと、内側を通って6番手まで位置取りを押し上げた。しかし直線に入ると全く伸びずに、8馬身差の8着と完敗。レースは本馬よりさらに後方で我慢して仕掛けも遅らせていたティッカネンとハトゥーフの2頭が直線でパラダイスクリークを差し切ってティッカネンが勝つという結末となり、結果論ではあるが、もう少し仕掛けを遅らせたほうがまだ上位に行けたような雰囲気だった。これを最後に、4歳時6戦1勝の成績で現役を引退した。

馬名の“Muzzle”は鼻から口にかけての部分のこと。目立つ流星を持っていた本馬はその部分が白いことから“White Muzzle”と命名されたと思われる。

血統

ダンシングブレーヴ Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Goofed Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Barra Formor
La Favorite
Navajo Princess Drone Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Cap and Bells Tom Fool
Ghazni
Olmec Pago Pago Matrice
Pompilia
Chocolate Beau Beau Max
Otra
Fair of the Furze Ela-Mana-Mou ピットカーン Petingo Petition
Alcazar
Border Bounty バウンティアス
B Flat
Rose Bertin ハイハット Hyperion
Madonna
Wide Awake Major Portion
Wake Island
Autocratic Tyrant Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Anadem My Babu
Anne of Essex
Flight Table Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Fleet Flight Count Fleet
Lea Lark

ダンシングブレーヴは当馬の項を参照。本馬は当初の種牡馬成績が不振だったために日本に輸出された父の3年目産駒で、同世代のコマンダーインチーフなどと共に、父を欧州に輸出した英国の競馬関係者を悔しがらせた立役者である。

母フェアオブザファーズは現役成績13戦4勝。ロジャーズ金杯(愛GⅡ)に勝ち、プリティポリーS(愛GⅢ)で2着、プリンスオブウェールズS(英GⅡ)で3着しており、初年度産駒がデビューする前は絶大な期待を背負っていたダンシングブレーヴの交配相手としては十分な競走成績を有していた。本馬の半弟にフェアクエスチョン(父レインボークエスト)【独セントレジャー(独GⅡ)】がいる他、本馬の半姉エルファスラー(父グリーンデザート)の子にアルムタワケル【ドバイワールドC(首GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)】が、本馬の半妹ペンザ(父ソヴィエトスター)の子にパジェノ【コンスルバイエフレネン(独GⅢ)】がいる。フェアオブザファーズの半妹デラグラシア(父トランポリノ)の子にはグラザレーマ【シェーヌ賞(仏GⅢ)・ジョンシェール賞(仏GⅢ)】、半妹マジェスティックロール(父シアトリカル)の子にはエグロン【フィユドレール賞(仏GⅢ)】、孫にはジェルマンス【サンタラリ賞(仏GⅠ)】がいる。近親にはアールトーマス【ヴォスバーグS】、クレヴァートレヴァー【アーリントンクラシックS(米GⅠ)】、フラメンコウェーヴ【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)】、スターボロー【ジャンプラ賞(仏GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】、アリストートル【レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】、バリンガリー【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・加国際S(加GⅠ)】、セントニコラスアビー【BCターフ(米GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)3回・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】、シークレットサークル【BCスプリント(米GⅠ)・ドバイゴールデンシャヒーン(首GⅠ)】、チャーミングソート【ミドルパークS(英GⅠ)】などがおり、近年も栄えている牝系である。牝系を遡ると、19世紀英国の名繁殖牝馬リリーアグネス(無敗の英国三冠馬オーモンドの母)の全妹リジーアグネスに行きつく。→牝系:F16号族②

母父エラマナムーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は来日して社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。初年度は101頭の繁殖牝馬を集めており、1年早く日本で種牡馬入りしていた同父のコマンダーインチーフと同じく、病気のため交配数が制限されていた父ダンシングブレーヴの代替種牡馬としての需要が大きかったようである。しかし1996年、2年目の繁殖シーズン中に陰部に細菌が感染してしまい受精率が大きく下がってしまった。前年は101頭と交配して産駒数が74頭だから単純計算で受精率は73%だったが、この年は88頭と交配して産駒数は僅か8頭であり、受精率は9%だった。翌1997年は改善して、74頭と交配して産駒数が41頭、受精率は55%となった(この年以降もほぼ同様の受精率)。一般的には、受精率が低くて産駒の実績も未知数である種牡馬が人気を保つのは難しいはずなのだが、この1997年に父ダンシングブレーヴの娘キョウエイマーチが桜花賞を勝った効果もあったのか、本馬の種牡馬人気は下がらなかった。4年目は89頭、5年目は92頭の繁殖牝馬を集めた。

本馬の初年度産駒がデビューしたのは種牡馬生活4年目の1998年である。その中からマイシーズンなどが活躍して、本馬の種牡馬としての名声をある程度高めた。また、1999年に父ダンシングブレーヴが他界したために、本馬やコマンダーインチーフに懸かる期待は一層大きくなった。そんなわけで、種牡馬生活6年目の2000年も74頭、2001年も89頭と、受精率が低い割には人気を保ち続けた。この2001年に初年度産駒のビハインドザマスクが競走馬としての全盛期を迎えた他、プリンシパルリバーが全日本2歳優駿を勝ったため、本馬の種牡馬人気は沸騰。8年目の2002年には過去最高の166頭の牝馬が集まった。この年にスマイルトゥモローが優駿牝馬を勝ったため、本馬の種牡馬人気は不動のものとなった。9年目は122頭、10年目は何かトラブルがあったのか61頭の交配数だったが、イングランディーレが天皇賞春を勝った翌年である11年目の2005年には自己最高となる176頭と交配。12年目は128頭、13年目は158頭、14年目は152頭、15年目は142頭、16年目は102頭、17年目の2011年には109頭と交配。この2011年に社台グループを離れて、日高のレックススタッドに移動。それでも種牡馬人気は衰えず、2012年は130頭と交配した。2013年の交配数は80頭、24歳になった2014年の交配数は62頭で、最近は下落傾向にあるようだが、年齢が年齢だけに止むを得ないだろう。

全日本種牡馬ランキングは2002年の16位が最高でベストテン入りは1度もないが、ベスト30入りは11回あり、毎年のように確実に産駒が一定以上の賞金を稼いでいる。産駒は切れ味鋭い短距離馬やスタミナ豊富な長距離馬までバラエティに富む。ダートの活躍馬も少なくなく、2002年に地方競馬の種牡馬ランキングで8位に入るなどしているが、どちらかと言えば芝向き種牡馬のようである。気性面の問題なのか、逃げや追い込みといった極端な戦法を採る馬が目立つ。

同父のコマンダーインチーフやキングヘイローとともに欧州の至宝ダンシングブレーヴの血が残るかどうかの鍵をにぎる存在であるが、後継種牡馬には今のところ恵まれていない。イングランディーレは韓国に、シャドウゲイトは愛国に放出されており(いずれも種牡馬になれただけましか)、日本で種牡馬入りしたGⅠ競走勝ち馬はアサクサキングスのみである。近走の成績からしてそろそろ引退が近そうなニホンピロアワーズはおそらく日本では種牡馬入りできないだろう。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1996

エドノマッケンオー

ばん阿賞(北関GⅢ)

1996

ケイオーミステリー

スプリングC(SPⅡ)

1996

トップゼアル

中島記念(KG1)

1996

ビハインドザマスク

スワンS(GⅡ)・セントウルS(GⅢ)・京都牝馬S(GⅢ)

1996

マイシーズン

グランシャリオC(GⅢ)

1998

オンユアマーク

九州大賞(KG1)2回・東京記念(南関GⅡ)・はがくれ大賞(佐賀)

1998

トーセンダンディ

オールカマー(GⅡ)

1998

フレアリングマズル

マイルグランプリ(南関GⅠ)・東京シティ盃(南関GⅢ)・フロンティアスプリント盃(南関GⅢ)

1999

イングランディーレ

天皇賞春(GⅠ)・日経賞(GⅡ)・ブリーダーズゴールドC(GⅡ)・ダイヤモンドS(GⅢ)・白山大賞典(GⅢ)

1999

スマイルトゥモロー

優駿牝馬(GⅠ)・フラワーC(GⅢ)

1999

トヤママズル

フローラルC(H3)

1999

プリンシパルリバー

全日本2歳優駿(GⅡ)・羽田盃(南関GⅠ)

2000

サクセスマズル

太平記特別(北関GⅢ)・もみじ特別(北関GⅢ)

2000

ダンシングチーフ

フローラルC(H3)

2001

カーディナルローズ

兵庫クイーンC(園田)

2002

シャドウゲイト

シンガポール航空国際C(星GⅠ)・中山金杯(GⅢ)・中京記念(GⅢ)

2002

テイエムマンボ

荒炎賞(KG3)

2002

マズルブラスト

東京記念(南関GⅡ)・大井記念(SⅡ)2回・金盃(SⅡ)・報知オールスターC(SⅢ)

2003

アストリッド

しらさぎ賞(SⅢ)

2003

シンゲン

オールカマー(GⅡ)・新潟大賞典(GⅢ)・エプソムC(GⅢ)

2004

アサクサキングス

菊花賞(GⅠ)・京都記念(GⅡ)・阪神大賞典(GⅡ)・きさらぎ賞(GⅢ)

2004

シンボリバッハ

サマーC(SPⅢ)

2004

ホールドマイラヴ

園田チャレンジC(園田)2回

2004

メリッサ

北九州記念(GⅢ)

2005

シルポート

マイラーズC(GⅡ)2回・京都金杯(GⅢ)

2006

アンダーゴールド

ひまわり賞(盛岡)

2007

ダイヤアストライア

花吹雪賞(KJ3)

2007

ニホンピロアワーズ

ジャパンCダート(GⅠ)・名古屋グランプリ(GⅡ)・東海S(GⅡ)・ダイオライト記念(GⅡ)・名古屋大賞典(GⅢ)・白山大賞典(GⅢ)・平安S(GⅢ)

2008

エーティーランボー

池田湖賞(S2)・韓国岳賞(S2)・サイネリア賞(S2)

2010

ザラストロ

新潟2歳S(GⅢ)

2010

ダイリングローバル

九州ダービー栄城賞(S1)・筑紫野賞(S2)

2012

オーミアリス

小倉2歳S(GⅢ)

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