和名:サーアイヴァー |
英名:Sir Ivor |
1965年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:サーゲイロード |
母:アッティカ |
母父:ミスタートラブル |
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英2000ギニー・英ダービー・ワシントンDC国際Sを勝つなど欧米を股にかけて活躍し、名手レスター・ピゴット騎手をして生涯最高の名馬と言わしめる |
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競走成績:2・3歳時に愛仏英米で走り通算成績13戦8勝2着3回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州ミルリッジファームにおいてアリス・ヘッドリー・ベル夫人により生産された。1歳時のキーンランドセールにおいて、米国の事業家で愛国駐在の米国大使でもあったレイモンド・G・ゲスト氏により4万2千ドルで購入され、愛国ヴィンセント・オブライエン調教師に預けられた。ゲスト氏は自身の祖父である初代ウィンボーン男爵アイヴァー・ゲスト卿にちなんで本馬を命名した。背は高いが体がひょろ長く、馬産家の立場からすればあまり均整が取れていない馬体だったと評されている。成長も遅かったため、オブライエン師はゲスト氏に対して、辛抱強く待つように忠告したという。
競走生活(2歳時)
2歳6月にカラー競馬場で行われたタイロスS(T7F)で、リアム・ウォード騎手を鞍上にデビューしたが、ここでは後の愛2000ギニー馬ミスティゴの6着に敗れた。同じくカラー競馬場で出走した次走のプロベイショナーS(T7F)では、前走で敗れた相手であるミスティゴを首差2着に退けて初勝利を挙げた。秋に出走した3戦目の愛ナショナルS(T7F)では、2着キャンディケインに3馬身差をつけて快勝。
続いて出走した仏グランクリテリウム(T1600m)では、名手レスター・ピゴット騎手と初コンビを組んだ。そして後方一気の強烈な末脚を繰り出し、2着となったクリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬ポーラベラ(仏国の伝説的名牝ベラパオラの娘で、後に仏1000ギニー・ムーランドロンシャン賞を勝っている)を3馬身差の2着に、後のフォンテーヌブロー賞・ユジェーヌアダム賞の勝ち馬で仏ダービー2着のティミーマイボーイをさらに2馬身半差の3着に、後の名種牡馬リュティエを着外に切り捨てて勝利した。この勝ち方を見たゲスト氏は、すぐに本馬の英ダービー制覇に500ポンドを賭けたという(この時点において本馬の英ダービー前売りオッズは101倍だった)。
2歳時は4戦3勝の成績で、英タイムフォーム社のレーティングでは、ミドルパークSなど3戦無敗の2歳馬ペティンゴより1ポンド低いだけの134ポンドの評価を得て、第2位にランクされた。
競走生活(3歳初期)
米国産まれの本馬は、寒い愛国ではなく温暖な土地で冬場を過ごしたほうが良いと考えたオブライエン師の判断により、本馬は伊国のピサに輸送されて、そこで越冬した。ところがそれが影響したのかどうかは定かではないが、本馬の脚に腫れ物が出来てしまった。脚は一時期まるで風船のように膨れ上がってしまったというが、幸いにも3歳春までには完治した。
3歳時は4月のアスコット2000ギニートライアルS(T7F)から始動した。ここではホーリスヒルSの勝ち馬で後の愛2000ギニー2着馬ダルリーとの一騎打ちとなった。ピゴット騎手が必死になって本馬を追った結果、なんとかダルリーを半馬身差の2着に抑えて勝利した。後にパレスハウスS・コーク&オラリーS・モーリスドギース賞・チャレンジSを勝つ3着馬マウンテンコールにはさらに6馬身差をつけていたが、陣営にとってはあまり満足できる内容ではなかったようで、いったん地元の愛国に戻って再調整が施された。
そして英2000ギニーの10日前に再度渡英してニューマーケット競馬場に到着した。愛国における調教の動きは芳しくなかったが、ニューマーケット競馬場到着後に行われた同厩の他馬2頭との併せ調教では、乗っていたピゴット騎手をして自身が生涯で経験した最高の調教だったと述懐するほどの凄まじい加速力を発揮してみせた。この調教光景を目にした評論家のジュリアン・ウイルソン氏は「サーアイヴァーは競走馬の完璧な見本です」と評した。
そして迎えた英2000ギニー(T8F)では、ミドルパークSやクレイヴンSなど4戦全勝のペティンゴとの対戦となった。どちらも主戦はピゴット騎手だったが、彼は3歳シーズンが始まる前から本馬への騎乗を決断していた。前評判はクレイヴンSを4馬身差で圧勝してきたペティンゴのほうが本馬より高く、ペティンゴでなく本馬を選択したピゴット騎手の相馬眼を疑問視する人も少なくなかったという。しかしピゴット騎手の判断や事前調教の動きの良さが影響を及ぼしたのか、本馬が単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持され、ペティンゴは単勝オッズ3.25倍の2番人気となった(資料によってはペティンゴが1番人気だったとなっている)。
スタートが切られると、後にジュライC・ナンソープS・キングジョージSなどを勝って名短距離馬として鳴らすソーブレスドが先頭を引っ張り、ペティンゴなどがそれを追走。一方の本馬は大胆にも残り3ハロン地点まで最後方に陣取った。残り2ハロン地点でペティンゴが先頭に立ったときには、これで勝負あったと見えたが、そこへ後方から末脚を炸裂させた本馬がインコースを弾丸のように突き抜け、最後は2着ペティンゴに1馬身半差で勝利を収めた。ペティンゴからさらに2馬身半差の3着は、後にサセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S・ハンガーフォードS2回・グッドウッドマイルを勝つ名メイラーのジミーレピンだった。この勝利により、ピゴット騎手は単に優れた騎手というだけでなく、馬を見る目が非常に確かであるという評価も得た。
競走生活(3歳中期)
次走の英ダービー(T12F)では、ソラリオS・ロイヤルロッジS・チェスターヴァーズなど4戦無敗のリマンド(後に日本に種牡馬として輸入されて活躍)、チェスターヴァーズ2着馬コンノート(後にエクリプスS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールS・プリンスオブウェールズ2回などに勝利する)、リングフィールドダービートライアルSとディーSを勝ってきたローリエット、ホワイトローズSの勝ち馬でリングフィールドダービートライアルS2着のトーピッド(後にジョッキークラブS・ジョンポーターSを勝ちロワイヤルオーク賞・アスコット金杯で2着している)、ブルーリバンドダービートライアルSを勝ってきたソサエティ、後のゴードンS・プリンセスオブウェールズの勝ち馬でコロネーションC2着のマウントアトスなどが対戦相手となった。本馬には血統面やその切れ味から来る距離不安が囁かれていたが、それでも第二次世界大戦後における英ダービー最高評価となる単勝オッズ1.8倍という断然の1番人気に支持された。
レースではやはり後方待機策を採り、タッテナムコーナーで7番手まで押し上げると、直線一気の末脚を繰り出した。先にコンノートが抜け出して後続に5馬身ほどの差をつけて逃げ込みを図っていたが、残り半ハロン地点で外側から来た本馬が並ぶ間もなくコンノートを差し切り、最後は1馬身半差をつけて優勝した。このレースの直線で本馬が見せた加速力を、グラスゴー・ヘラルド紙は「痺れるような急上昇」と評している。このレースは第二次世界大戦後における最も刺激的な英ダービーだったと言われた。
続いて出走したのは地元の愛ダービー(T12F)だった。当然のように断然人気を集めた本馬だが、このレースでピゴット騎手はリベロという馬に騎乗したため、本馬にはデビュー当初の3戦で乗っていたウォード騎手が騎乗した。リベロはピゴット騎手と共に前年の愛ダービー・英セントレジャーを制したリボッコの全弟ではあったが、この当時は5戦1勝という成績に過ぎず、単勝オッズ17.67倍の低評価だった。ピゴット騎手がリベロを選択した理由は、本馬よりリベロのほうが上だと思っていたわけではなく、おそらくリベロの馬主チャールズ・W・エンゲルハード氏と、リベロに乗る旨の先約をかわしていたからだと思われる。レースでは本馬は直線で伸びきれずまさかの2着敗退。ピゴット騎手鞍上のリベロが2馬身差で優勝という結果となった。この敗戦は20世紀における最大の番狂わせの1つとまで呼ばれた。本馬の状態の良さを知っていたピゴット騎手は、仕掛けが早かったのが敗因ではないかと感じたというが、実際のところ正確な敗因は不明である。
鞍上がピゴット騎手に戻った次走のエクリプスS(T10F)では、前年の英2000ギニー・英ダービーとこの年のコロネーションS・コロネーションC・プリンスオブウェールズSを勝っていたロイヤルパレスとの対戦となった。前走の敗戦にも関わらず本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、ロイヤルパレスは単勝オッズ3.25倍の2番人気だった。レースでは、ガネー賞の勝ち馬でロベールパパン賞・サラマンドル賞・英2000ギニー・英チャンピオンS2着のタージデュワンが早め先頭に立って押し切ろうとするところに、ロイヤルパレスと本馬が襲い掛かって三つ巴の戦いとなった。しかし勝ったのはロイヤルパレスで、タージデュワンが短頭差の2着、本馬はさらに3/4馬身差の3着に敗れた。オブライエン師とピゴット騎手は口を揃えて、この敗因を堅すぎる馬場状態に求めた(確かに、ロイヤルパレスの勝ちタイム2分07秒5は、当時としては速い部類ではあった)。
競走生活(3歳後期)
秋は英セントレジャーを距離不安で回避し、凱旋門賞を目指して渡仏した。しかし凱旋門賞の前週に出走したアンリデラマール賞(T2400m)では、4kgのハンデを与えたプリンスサオの半馬身差2着に敗戦。本番の凱旋門賞(T2400m)では、本馬が不在だった英セントレジャーを鞍上ピゴット騎手で勝ってきたリベロ、オブザーヴァー金杯・ギシュ賞・リス賞・シャンティ賞を勝っていたヴェイグリーノーブル、仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬ロゼリエール、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬ダウデヴィ、英オークス馬ララギュヌ、独ダービー・独セントレジャー・アラルポカル2回・ベルリン大賞・バーデン大賞の勝ち馬ルチアノ、前年のロワイヤルオーク賞勝ち馬でアスコット金杯2着のサモス、仏グランクリテリウム敗戦後にリュパン賞・ジャックルマロワ賞・ノアイユ賞を制していたリュティエ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでロイヤルパレスの半馬身差2着していたフェリシオ、ダリュー賞・プランスドランジュ賞・アルクール賞の勝ち馬カーマーゼン、ドーヴィル大賞を勝ってきたソワイユ、オイロパ賞を勝ってきた独ダービー2着馬アリヨン、フォワ賞・プランスドランジュ賞を連勝してきた前年のパリ大賞2着馬ペトローヌなどが対戦相手となった。英仏のクラシック登録が無かったために凱旋門賞一本に目標を絞ってきたヴェイグリーノーブルが1番人気に支持され、ペトローネとフェリシオのカップリングが2番人気、ロゼリエールが3番人気で、ピゴット騎手騎乗の本馬は4番人気止まりだった。今回の本馬は後方待機策ではなく、ヴェイグリーノーブルをマークするように先行集団につけた。そして直線に入ると先に抜け出したヴェイグリーノーブルを追撃したが、その差を縮めることは出来ず、3馬身差をつけられて2着に完敗してしまった。それでも3着カーマーゼンには4馬身差をつけており、当時の欧州を代表する強豪馬勢の大半に先着したこともあって、ゲスト氏自身はヴェイグリーノーブルが強すぎただけで、本馬自身は最も良いレースをしたと感じたという。
次走の英チャンピオンS(T10F)では、エクリプスSで屈したタージデュワン、ジャンプラ賞の勝ち馬ロクリス、愛ナショナルSで本馬の2着だったバリモスSの勝ち馬キャンディケインなどを抑えて、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。そして2着ロクリスに2馬身半差をつけて完勝した。
その後に大西洋を渡って生国の米国に戻った本馬は、ワシントンDC国際S(T12F)に出走した。英ダービー馬が米国のレースに出たのは、1923年にケンタッキーダービー・ベルモントSの勝ち馬ゼヴとのマッチレースに出走したパパイラス以来45年ぶり史上2頭目だった。対戦相手は、前年のワシントンDC国際Sを筆頭にタイダルH・バーナードバルークH・サンセットHなどを勝っていたフォートマーシー、前走マンノウォーSでフォートマーシーを2着に破って勝ってきたツァーアレクサンダー、凱旋門賞で3着だったカーマーゼン、同5着だったララギュヌ、同着外だったペトローネ、亜国の大競走5月25日大賞の勝ち馬アジンコート、そして日本から参戦してきた怪物タケシバオーの計7頭だった。
長距離遠征に加えて、当日の大雨により川のようになった不良馬場、先行馬有利の平坦小回りコースと、本馬にとってはあらゆる悪条件が重なっていた。米国の報道機関は、本馬がいつも後方待機策を採ることから、「ピゴット騎手は仕掛けが遅すぎる」と批判的に報道した。人気は本馬、フォートマーシー、ツァーアレクサンダーの3頭が集め、本馬は単勝オッズ2.65倍の評価だった。
スタートが切られると、タケシバオーがカーマーゼンなどを引き連れて果敢に先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団後方のインコースを追走。四角で位置取りを上げて3番手で直線を向くと、前方で先頭争いを演じるフォートマーシーとツァーアレクサンダーの2頭をゴール直前で一気にかわし、2着ツァーアレクサンダーに3/4馬身差、3着フォートマーシーにはさらに鼻差をつけて優勝した(タケシバオーは8着最下位だった)。この走りは「電撃的な直線の追い込み」「ダイナマイトの爆発を想起させる」と評された。
このレース後に、ピゴット騎手は「彼は私がかつて乗った最良の馬です」と語った。前述のパパイラスはゼヴとのマッチレースに敗れているから、本馬は英ダービー馬として史上初めて米国のレースに勝った馬となった。このレースを最後に3歳時9戦5勝の成績で競走馬を引退した。この年の英年度代表馬に選出された他に、翌1969年には本馬を主人公としたドキュメンタリー映画“The Year of Sir Ivor(サーアイヴァーの年)”が製作されたり、加国オンタリオ州ニューマーケットにある路地が本馬にちなんで「サーアイヴァー・コート」と命名されたりした。
競走馬としての特徴と評価
本馬は後方からレースを進める典型的な追い込み馬であり、いったん鞍上が仕掛けると、まるでトルネードのような爆発的な末脚を繰り出して、前にいる馬達を飲み込んだ。本馬の走り方は、獲物を捕らえる前に長時間じっとしているチーターのようだとも言われた。
ピゴット騎手は本馬の現役最後のレースとなったワシントンDC国際Sの直後にも、本馬を騎乗した中では最良の馬と評したが、その見解は彼がニジンスキー、ダリア、ザミンストレル、アレッジド、シャーガーなど数々の名馬に騎乗した後になっても変わる事はなかった。彼は生まれつきの能力では本馬よりニジンスキーの方が上位としながらも、その個性においては、ニジンスキーは本馬には及ばないと考えており、その優れたスピード能力のみならず、安定した気性や賢さなど競走馬としての総合力において本馬を最上位に位置付けている。
本馬とニジンスキーの両馬を手掛けたオブライエン師は、あえて言うならタフネスさという点で勝っているニジンスキーが上位だったとしているが、いずれがより優れた馬なのかを判断するのは難しいとしている。
本馬が英ダービーで一蹴したコンノートが、1970年のエクリプスSにおいて1969年のワシントンDC国際S勝ち馬カラバスに7馬身差をつけて圧勝していることや、凱旋門賞で本馬と戦ったヴェイグリーノーブルが欧州競馬史上有数の名馬という評価を得ていること、ペティンゴやロイヤルパレスといった歴史に名を残す強豪とも戦っていることなどから、対戦相手の強さという点では本馬のほうがニジンスキーより上だとする見解もある。
現実的には一度も対戦が無いトップクラスの馬同士の優劣をつけるのは無理であり、本馬とニジンスキーのいずれが強かったかを判断する事は出来ないと筆者は思うのだが、少なくとも本馬がニジンスキーと比較されるほどの大物であったことは間違いない事なのである。
血統
Sir Gaylord | Turn-to | Royal Charger | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Sun Princess | Solario | |||
Mumtaz Begum | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | Craig an Eran | ||
Plucky Liege | ||||
Lavendula | Pharos | |||
Sweet Lavender | ||||
Somethingroyal | Princequillo | Prince Rose | Rose Prince | |
Indolence | ||||
Cosquilla | Papyrus | |||
Quick Thought | ||||
Imperatrice | Caruso | Polymelian | ||
Sweet Music | ||||
Cinquepace | Brown Bud | |||
Assignation | ||||
Attica | Mr. Trouble | Mahmoud | Blenheim | Blandford |
Malva | ||||
Mah Mahal | Gainsborough | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Motto | Sir Gallahad | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Maxima | Sir Martin | |||
Minima | ||||
Athenia | Pharamond | Phalaris | Polymelus | |
Bromus | ||||
Selene | Chaucer | |||
Serenissima | ||||
Salaminia | Man o'War | Fair Play | ||
Mahubah | ||||
Alcibiades | Supremus | |||
Regal Roman |
父サーゲイロードは当馬の項を参照。
母アッティカは米国で走り34戦5勝。本馬以外にこれといった産駒を産んではいないが、本馬の半妹レディアッティカの娘サワーオレンジが繁殖牝馬として日本に輸入されて活躍した。サワーオレンジの子にはシャダイアイバー【優駿牝馬】、ダイナオレンジ【新潟記念(GⅢ)】、孫にはセンターライジング【オークストライアル四歳牝馬特別(GⅡ)】、曾孫には1999年の中央競馬最優秀短距離馬エアジハード【安田記念(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)】、ペインテドブラック【ステイヤーズS(GⅡ)・青葉賞(GⅢ)】などがいる。また、レディアッティカの娘でサワーオレンジの半妹に当たるティーアットファイブの子にはマガティー【フォアゴーH(米GⅡ)】、パッチーグラウンドフォグ【サンフランシスコマイルH(米GⅢ)】が、サワーオレンジの半妹ルッカーの孫にはロードパーカー【グランクリテリウム賞(智GⅠ)】がいる。また、本馬の半妹で日本に繁殖牝馬として輸入されたボウモント(父ボールドルーラー)の牝系子孫からは、2002年の中央競馬最優秀障害競走馬ギルデッドエージ【中山大障害(JGⅠ)】などが出ている。また、本馬の全弟ロードリージは4戦1勝ながら血統が評価されて日本で種牡馬入りし、阪神三歳Sや神戸新聞杯などを制したバンブトンコートなどを出した。
アッティカの母アシニアはレディーズHの勝ち馬。アシニアの母サラミニアはアラバマS・レディーズHの勝ち馬で、サラミニアの半兄には名馬トムフールの父となったメノウ【ベルモントフューチュリティS・ウィザーズS】、半妹にはライス【デモワゼルS・アーリントンメイトロンH2回】がいる。→牝系:F8号族②
母父ミスタートラブルはマームード直子で、ブルーグラスS勝ちなど41戦4勝だった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても成功し、94頭のステークスウイナーを出した。牝馬の活躍馬が多いのが特徴である。繁殖牝馬の父としても優秀で145頭のステークスウイナーを出し、1983年の英愛母父首位種牡馬にもなった。1995年に30歳という高齢で他界した。活躍馬が牝馬に偏っている種牡馬は、後継種牡馬に恵まれない事が多いが、本馬の場合は、直子のサートリストラムが豪州で種牡馬として記録的大成功を収め、その血脈を世界に広げる事に成功している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1970 |
Cavo Doro |
バリモスS(愛GⅢ)・ロイヤルホイップS(愛GⅢ) |
1970 |
Istiea |
ランカシャーオークス(英GⅢ) |
1970 |
Passiova |
クレオパトル賞(仏GⅢ) |
1970 |
Reine de Naples |
ヴァントー賞(仏GⅢ) |
1971 |
Honoured Guest |
ダンテS(英GⅢ) |
1971 |
Lady Rebecca |
ヴァントー賞(仏GⅢ) |
1971 |
Northern Princess |
リブルスデールS(英GⅡ) |
1971 |
Sir Penfro |
ガリニュールS(愛GⅡ)・デスモンドS(愛GⅢ) |
1971 |
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1972 |
Fascinating Girl |
サンタマルガリータ招待H(米GⅠ) |
1972 |
Ivanjica |
凱旋門賞(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ノネット賞(仏GⅢ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)2回 |
1972 |
Land Girl |
ガゼルH(米GⅡ)・デモワゼルS(米GⅢ) |
1972 |
Miss Toshiba |
ヴァニティH(米GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅡ)・ウィルシャーH(米GⅢ) |
1972 |
Realty |
グロシェーヌ賞(仏GⅢ)・セーネワーズ賞(仏GⅢ)・プティクヴェール賞(仏GⅢ) |
1973 |
Ivory Wand |
テストS(米GⅢ) |
1973 |
Malinowski |
クレイヴンS(英GⅢ) |
1973 |
Optimistic Gal |
メイトロンS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅡ)・アディロンダックS(米GⅢ)・アルキビアデスS(米GⅢ)・アッシュランドS(米GⅢ) |
1973 |
Rose of Stanbul |
クロエ賞(仏GⅢ) |
1973 |
Sir Wimborne |
ロイヤルロッジS(英GⅡ)・愛ナショナルS(愛GⅡ) |
1974 |
Cloonlara |
愛フェニックスS(愛GⅡ) |
1974 |
Ercolano |
リス賞(仏GⅢ) |
1974 |
Golden Reserve |
タイダルH(米GⅡ) |
1974 |
Lady Capulet |
愛1000ギニー(愛GⅠ) |
1974 |
Sweet Alliance |
ケンタッキーオークス(米GⅡ)・ジャージーベルH(米GⅢ) |
1975 |
Equanimity |
ファンタジーS(米GⅠ) |
1975 |
Turkish Treasure |
チェリーヒントンS(英GⅢ) |
1976 |
Godetia |
愛1000ギニー(愛GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅡ) |
1977 |
Calandra |
プリティポリーS(愛GⅡ) |
1977 |
Monroe |
バリーオーガンS(愛GⅢ) |
1977 |
Super Asset |
ホーリスヒルS(英GⅢ) |
1978 |
Drama |
グリーンランズS(愛GⅢ) |
1978 |
Gielgud |
英シャンペンS(英GⅡ) |
1979 |
Bates Motel |
サンタアニタH(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅠ)・フィリップHアイズリンH(米GⅠ)・サンディエゴH(米GⅢ) |
1979 |
Dreaming Away |
ハルヴェスター大賞(独GⅢ) |
1980 |
Air Distingue |
オマール賞(仏GⅢ) |
1982 |
St. Hilarion |
イタリア大賞(伊GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ) |
1983 |
Ivor's Image |
伊オークス(伊GⅠ)・ドルメロ賞(伊GⅡ)・EPテイラーS(加GⅡ)・イエルバブエナH(米GⅢ) |
1984 |
Lady Annabelle |
ベッツィーロスH(米GⅢ) |
1984 |
Something True |
エヴリ大賞(仏GⅡ) |
1985 |
Petalia |
ダリアH(米GⅡ) |
1988 |
Sir Bordeaux |
ブリーダーズフューチュリティS(米GⅡ) |
1992 |
Valor Lady |
ボールストンスパBCH(米GⅢ) |