ウォルトン

和名:ウォルトン

英名:Walton

1799年生

鹿毛

父:サーピーターティーズル

母:アレトゥーサ

母父:ダンガノン

ヘロド直系の血の氾濫の中において大種牡馬である父サーピーターティーズルの後継として2度の英首位種牡馬に輝く

競走成績:3~6歳時に英で走り通算成績26戦17勝2着6回3着1回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国でヘッドワーズ・ウィリアムソン卿により生産・所有された。頭は賢く、身体は頑丈だったが、脚は短くてずんぐりしている馬だったという。

競走生活(3・4歳時)

2歳時にレースに出たという記録は無い。3歳時はまず4月にニューマーケット競馬場で行われた100ギニースウィープSに出走した。しかし結果は後に英セントレジャーで2着する同父馬パイピィリンの着外だった。なお、本馬はこの段階では正式な名前が付けられていなかったという。翌5月にはニューマーケット競馬場で50ポンドサブスクリプション競走に出走したが、ウィスキー産駒の無名馬の着外に敗れた。翌6月にはエプソム競馬場で距離2マイルのヒート競走に出走して、ドッテレルやウィルクスなど4頭の馬と対戦した。1戦目では3着だったが、2戦目・3戦目を連勝して勝利馬となった。3歳時はこの後にレースに出たという記録が無く、この年の成績は3戦1勝だった。

4歳時はまずニューマーケット競馬場で行われたオートランドSに出走した。このレースには、1歳年上の英ダービー・英オークスの勝ち馬エレノアも参戦しており、本馬は単勝オッズ4.5倍ながらも伏兵扱いだった。しかし結果は本馬が軽量を活かして、2着ダクスバリーや3着エレノア以下に勝利を収めた。同月には同じくニューマーケット競馬場で距離2マイルの50ソヴリン競走に出走して、リグナムバイタという馬を破って勝利を収めた。8月にはヨークシャー競馬場に移動して、距離3マイルのスウィープSに出走。ここでは単勝オッズ2倍以下の1番人気に支持された。しかし結果はストックトンという馬と1着同着。その後の決勝戦で敗れたために本馬はこのレースでは2着という扱いとなった。10月にはニューマーケット競馬場で行われたキングズプレート(T32F)に出走して、オーランド(同名の英ダービー馬とは別馬)、アレグランティといった馬達を破って勝利した。4歳時の成績は4戦3勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時はニューマーケット競馬場で行われた現在も続く伝統競走クレイヴンS(T8F)から始動した。ここでは3着エレノアなど7頭の馬には先着したが、7歳牝馬アニシードに敗れて2着だった。同月にニューマーケット競馬場で出走したキングズプレート(T32F)では、ダクスバリーやスラップバンドといった馬達を破って勝利した。この時期にはニューマーケット競馬場でリトルジョーイという馬との200ギニーマッチレースに出走して勝利を収めている。5月にギルフォード競馬場で出走したヒート競走キングズプレート(T32F)では、エンチャントレス、ルンボとの対戦となった。第1戦は本馬が1番人気に応えて勝ったが、第2戦はエンチャントレスが勝ち本馬は2着だった。第3戦では本馬よりエンチャントレスのほうが人気を集めたが、本馬が勝利を収めて、このキングズプレートの勝者となった。

7月にソールズベリー競馬場で出走したキングズプレート(T32F)では、唯一の対戦相手であるリトルチャンスを破って勝利した。8月にはウィンチェスター競馬場でキングズプレート(T32F)に出走して、ミスターフログレイ産駒の無名馬を破って勝利した。その同日には10ギニースウィープSに出走したが、対戦相手がいなかったために単走で勝利した。9月にウォーリック競馬場で出走したヒート競走キングズプレート(T32F)では、ジョンブル産駒の無名の牝馬を2戦連続で撃破して勝利した。9月にはリッチフィールド競馬場でキングズプレート(T24F)に出走。アシュトン(同名の英セントレジャー馬とは別馬)、オーランドなど他馬3頭を破って勝利した。10月にニューマーケット競馬場で出走したキングズプレートでは、牝馬パラソル、サーハリーディムズデールの2頭に屈して、パラソルの3着に敗れて連勝はストップ。この年の出走はこれが最後となった。5歳時の成績は10戦8勝だった。なお、本馬はこの年にウィリアムソン卿からジョン・シェリー卿に売却されたようであるが、表向きはウィリアムソン卿の名義で走り続けたようである。

競走生活(6歳時)

6歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われた1歳年上の名牝ペネローペとのマッチレースから始動した。ペネローペは後にホエールボーンウィスカーの母となる馬であり、競走馬としてもかなりの実力馬だったが、本馬が1ポンドだけ軽い斤量にも助けられて勝利を収めた。引き続きニューマーケット競馬場で50ポンドサブスクリプション競走に出走して、パイピィリンを2着に、パラソルを3着に破って勝利。その2日後に出走したキングズプレートでは単走で勝利した。5月に出走したジョッキークラブプレート(T32F)では、パラソルの2着に敗れてしまった。その後は7月にブライトン競馬場で行われたサマーセットS(T32F)に出走。同世代の英セントレジャー馬オーヴィルなどを抑えて単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持された本馬は、見事にトップゴールを果たした。ところが本馬だけでなく、2位入線馬ホートンラスと3位入線馬エンタープライズもコースを間違えて走っていた事が判明したため、出走4頭中唯一正しいコースを走って4位最下位入線だったオーヴィルが勝ち馬となった。本馬は2着扱いとなったらしいが、普通に考えれば失格であり、その辺の結論はよく分からない。8月にはルイス競馬場でカウンティプレート(T20F)に出走して、ブローという馬を破って勝利した。その翌日にはレディーズプレート(T32F)に出走。今度こそ1番人気に応えて、この年の英ダービー馬カーディナルボーフォートを2着に破って勝利した。この直後には距離4マイルのサブスクリプション競走に出走したが、これはオーヴィルに敗れている。6歳時の成績は8戦5勝だった。

7歳時は1度もレースに出なかった。4月に1回だけ200ギニースウィープSに出走登録されていたようだが、罰金を支払って回避した。この年から種牡馬活動を開始したとする資料もあるが、翌1807年生まれの産駒が見当たらないので、実際のところは不明である。8歳時に1回だけレースに出走。それは春のクレイヴンS(T8F)で、後に名種牡馬となる3歳年下のセリムの2着に敗退したが、9頭の他馬に先着している。これを最後に完全に競走生活に終止符を打ち、この年から種牡馬活動に専念するようになった(翌1808年生まれの産駒は複数いる)。

血統

Sir Peter Teazle Highflyer Herod Tartar Croft's Partner
Meliora
Cypron Blaze
Salome
Rachel Blank Godolphin Arabian
Amorett
Regulus Mare Regulus
Soreheels Mare
Papillon Snap Snip Flying Childers
Sister to Soreheels
Sister to Slipby Fox
Gipsy
Miss Cleveland Regulus Godolphin Arabian
Grey Robinson
Midge Son of Bay Bolton
Dam of Miss Belsea
Arethusa Dungannon Eclipse Marske Squirt
Hutton's Blacklegs Mare
Spilletta Regulus
Mother Western
Aspasia Herod Tartar
Cypron
Doris Blank
Helen
Prophet Mare Prophet  Regulus Godolphin Arabian
Grey Robinson
Jenny Spinner  Croft's Partner
?
Virago Snap Snip
Sister to Slipby
Regulus Mare Regulus
Crab Mare

サーピーターティーズルは当馬の項を参照。

母アレトゥーサは後の英国王ジョージⅣ世が皇太子時代に生産した馬で、繁殖牝馬としては本馬の全弟ウィリアムソンズディットー【英ダービー】、半弟パン(父セントジョージ)【英ダービー・チェヴァリーS】、半弟リュッツェン(父ファイヤーロック)【アスコット金杯】と活躍馬を続出させたが、牝系は伸ばせなかった。アレトゥーサの半姉ボルドーメア(父ボルドー)の子にはヴァイカウント【ドンカスターC】、孫にはグスターヴァス【英ダービー】がいる。アレトゥーサの母プロフェットメアの半弟にはソールトラム【英ダービー】、半妹にはアネット【英オークス】が、プロフェットメアの半妹アンヴィルメアの孫には1837・38・39・43・48年と5度の北米首位種牡馬になったリヴァイアサンがおり、当時としてはかなり優れた牝系であったが、20世紀初頭には途絶えてしまった様子である。→牝系:F7号族②

母父ダンガノンはエクリプス産駒で、現役成績29戦26勝2着3回。英ダービーでソールトラムの2着、ドンカスター金杯でフェノメノンの2着だったが、他のレースではこの2頭を破った事もある。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、シェリー卿が所有するニューマーケットの牧場で種牡馬入りした。初年度の種付け料は10ギニーに設定された。本馬が種牡馬入りして間もなく、長年栄華を誇ってきた曽祖父ヘロド、祖父ハイフライヤー、父サーピーターティーズルの直系は血の氾濫によって衰退し始め、エクリプス直系のワクシーやオーヴィル、マッチェム直系のソーサラー、ハイフライヤーを経由しないヘロド直系のセリムとルーベンス兄弟といった新鋭の種牡馬が幅を利かせ始めていた。しかし本馬はその逆境の中でも初年度産駒から英ダービー馬ファントムなどの活躍馬を出し、1816・18年の英首位種牡馬を獲得した。種付け料は最終的には20ギニーまで上昇した。本馬はずっとニューマーケットで種牡馬生活を送ったわけではなく、サフォーク州ストウマーケットのジッピングホールスタッド、ノースヨークシャー州ボローブリッジのグランサムアームズスタッドなどでも供用されたようである。1825年12月に26歳で他界した。

後世に与えた影響

後継種牡馬としてはファントムが1820・24年の英首位種牡馬を獲得し、ヘロドから5代連続して英首位種牡馬という快挙を達成したが、ファントムの直系は衰退し、19世紀後半には途絶えた。他に本馬の直系を後世まで残したのは現役時代に本馬と対戦経験があるパラソルとの間に産まれたパルチザンで、ヴェニスン、グラディエイター、グローカスの3頭の後継種牡馬を出した。ヴェニスンは1846・47年の英首位種牡馬になり、後継としてキングストン、アラームを出したが、いずれの直系も20世紀に入った頃にはほぼ途絶えた。グラディエイターは後継としてスウィートミート、フィッツグラディアトゥールを出した。スウィートミートはマカロニやパルメザンを出し、フィッツグラディアトゥールは仏国でサイアーラインを伸ばし、いずれの直系も20世紀初頭までは残っていたが、現在は完全に途絶えている。グローカスの直系は独国と仏国で生き長らえ、20世紀初頭までは残っていたが、これも現在は完全に途絶えている。こうして本馬の直系は21世紀には伝わらなかったが、以上に挙げた馬の中には母系に入って影響力を有する馬も数多く、本馬の血が後世に与えた影響は大きい。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1808

Phantom

英ダービー

1813

Nectar

英2000ギニー

1817

Caroline

英オークス・ジュライS

1817

St. Patrick

英セントレジャー

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