パールキャップ

和名:パールキャップ

英名:Pearl Cap

1928年生

鹿毛

父:ルカプサン

母:パールメイデン

母父:ファレロン

牝馬として史上初めて凱旋門賞を制するなど仏国の大競走を勝ちまくり仏国競馬史上最高の名牝の1頭という評価を得ただけでなく母としても英ダービー馬を産む

競走成績:2・3歳時に仏白で走り通算成績13戦11勝2着2回

牝馬として史上初めて凱旋門賞を勝っただけでなく、それ以外の競走実績や繁殖成績も一級品であり、現役当時から今日に至るまで仏国競馬史上における最高の名牝の1頭と言われ続けている。

誕生からデビュー前まで

20世紀初頭の仏国の名馬産家の1人であるエドワード・エズモンド氏により、彼が所有する仏国モルトフォンテーヌ牧場において生産された。エズモンド氏の一族(おそらく娘と思われる)であるダイアナ・エズモンド女史の名義で競走馬登録され、仏国に厩舎を構えていた英国出身のフランク・カーター調教師に預けられた。カーター師は英国出身と言っても祖父は仏国で調教師をしており、その後を継ぐような形で仏国において開業していて、既に本馬より4歳年上のモンタリスマンで凱旋門賞や仏ダービーなどを勝っていた。

仏国の競馬当局フランス・ギャロによると、本馬の体つきは華奢で、耳は垂れており、あまり見栄えが良い馬ではなかったようである。

競走生活(2歳時)

2歳の夏ごろにデビューしてヘロド賞など2連勝し、デビュー3戦目のロベールパパン賞(T1200m)ではG・ガーナー騎手を鞍上に牡馬勢を蹴散らし、2着馬スアヴィタ(シカンブルの祖母)と共に牝馬によるワンツーフィニッシュを決めた。次走のモルニ賞(T1200m)でも、2着馬タンティーヌを従えて再び牝馬によるワンツーフィニッシュ。

次走はロンシャン競馬場で行われたロシェット賞(T1100m)となった。このロシェット賞、前年1929年までは牡馬限定戦と牝馬限定戦の2本立てだったのだが、この年から牝馬限定戦のほうは廃止されて牡馬と牝馬の混合戦に一本化されていた。そのため今回も牡馬との対戦となったが、既に牡馬相手のロベールパパン賞やモルニ賞を勝っていた本馬には関係なく、ここでも勝利を収めた。

引き続き出走したのは仏国最大の2歳戦である仏グランクリテリウム(T1600m)だった。しかしここではクリテリウムドメゾンラフィットを勝って臨んできた牡馬インダスに屈して2着に終わり、初黒星を喫した(このレースには仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏の最高傑作となるトウルビヨンも参戦していたが6着に終わっている)。それでも2歳時6戦5勝の好成績で、この年の仏最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は仏1000ギニー(T1600m)から始動。このレースには英国の名馬産家である第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿が送り込んできたディスガイズという馬も参戦していた。ディスガイズは英オークス馬カンタベリーピルグリムの孫であり、チョーサースウィンフォードの姪に当たるという、スタンリー卿期待の血統の持ち主だった。しかし主戦となるチャールズ・アンリ・サンブラ騎手を鞍上に迎えた本馬がディスガイズを2着に破って勝利を収めた。なお、これと前後して行われた仏2000ギニーでは、前年の仏グランクリテリウムで本馬を破ったインダスが勝利を収めている。

一方の本馬はそのまま仏オークス(T2100m)へと駒を進めた。後にポモーヌ賞・ドーヴィル大賞・アスタルテ賞を勝つコンフィデンスや、後にドーヴィル大賞・アスタルテ賞を勝つツェエリーナといった実力馬が挑んできたが、今回はチャーリー・エリオット騎手とコンビを組んだ本馬が勝利を収めた。

本馬には夏休みはあまり与えられず、8月のジャックルマロワ賞(T1600m)に出走。この当時のジャックルマロワ賞は3歳馬限定戦であり、出走資格のない古馬勢の姿は無かった。結果は本馬が2着となった牡馬プルチェリームス以下に勝利を収めた。引き続きドーヴィル競馬場で出走したミネルヴ賞(T2000m)では、名馬産家アガ・カーンⅢ世殿下が送り込んできたフィルドサル(無敗の英国三冠馬バーラムの半姉。サクラチヨノオーやサクラホクトオーの4代母に当たる)が挑んできたが、本馬が返り討ちにして勝利を収めた。さらにはベルギーに遠征して、同国の国際競走オステンド国際大賞(T2200m)に参戦。このレースは本馬の父ルカプサンが7年前に勝利しており、父娘制覇が懸かっていた。しかしここで本馬の前に立ち塞がったのは、ベルギー競馬史上最強馬と言われる同世代の牡馬プリンスローズだった。同じく仏国から遠征してきた4歳牡馬アンフォルタ(ビエナル賞・アルクール賞の勝ち馬で、後にアルクール賞の2連覇を飾りサブロン賞(現ガネー賞)も勝っている)は3着に抑えたが、プリンスローズの2着に敗れてしまい、父娘制覇は成らなかった。

仏国に戻ってきた本馬はヴェルメイユ賞(T2400m)に参戦。このレースには仏オークスで本馬の2着に敗れた後にポモーヌ賞を勝っていたコンフィデンスだけでなく、ブルレットという強敵も出走してきた。ブルレットは仏国産馬で管理調教師は本馬と同じカーター師だった(馬主は異なる)が、地元仏国でペネロープ賞を勝った後に仏オークスではなく英オークスに出走して、英1000ギニー馬フォーコースを2着に破って勝利していた。ヴェルメイユ賞とほぼ同距離の英オークスを勝っていた(さらに書けば古馬になってカドラン賞・ジョッキークラブC・グッドウッドCを勝っている。グッドウッドCでは名長距離馬ブラウンジャックを4馬身差の2着に破って完勝している)ブルレットのほうが距離適性面では優勢だったはずなのだが、本馬がブルレットを2着に破って勝利を収め、仏1000ギニー・仏オークスと合わせた仏国牝馬三冠(ただしこの表現は海外の資料にも滅多に出てこない)を達成した。これにより、同世代の牝馬の中では本馬が最強という事がほぼ確定した。

凱旋門賞

距離2400mをクリアした本馬の次走は凱旋門賞(T2400m)となった。対戦相手は、2歳時は目立たなかったが3歳になって本格化して、本馬に黒星を付けたインダスを破ったグレフュール賞を皮切りにオカール賞・仏ダービー・リュパン賞を勝ち仏共和国大統領賞・ロイヤルオーク賞で2着していたトウルビヨンを筆頭に、今度は自身がベルギーから遠征してきたプリンスローズ、それにブルレット、アンフォルタといった既対戦組の他に、パリ大賞でバルネヴェルの2着に入り3着トウルビヨンに先着していたタクソディウム、仏ダービーでトウルビヨンの2着していたブリュルーダー、イスパーン賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬で前年の仏ダービー・エクリプスS2着のラヴレースなど合計9頭だった。

1番人気はエリオット騎手が騎乗するトウルビヨンで、サンブラ騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ4.2倍の2番人気だった。しかしレースでは直線で伸びを欠くトウルビヨンを尻目に、先行したプリンスローズをかわすと、2着に突っ込んできたアンフォルタに1馬身半差、3着プリンスローズにはさらに1馬身差をつけて勝利を収め、凱旋門賞12回目にして初の牝馬制覇を達成した。6着に終わったトウルビヨンとの対戦成績は本馬の2戦2勝であり、同世代馬の中では牡馬を含めても本馬が最強であることがここで確定した。本馬はこの勝利を手土産に3歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Le Capucin Nimbus Elf Upas Dollar
Rosemary
Analogy Adventurer
Mandragora
Nephte Flying Fox Orme
Vampire
Fanny Isonomy
Frivola
Carmen Sidus St. Simon Galopin
St. Angela
Star of Fortune Hermit
Stella
La Figlia Saraband Muncaster
Highland Fling
Vivandiere Hampton
Lady Kars
Pearl Maiden Phaleron Gallinule Isonomy Sterling
Isola Bella
Moorhen Hermit
Skirmisher Mare
Mrs. Butterwick St. Simon Galopin
St. Angela
Miss Middlewick Scottish Chief
Violet
Seashell Orme Ormonde Bend Or
Lily Agnes
Angelica Galopin
St. Angela
Rydal Fell Ladas Hampton
Illuminata
Rydal Bend Or
Windermere

父ルカプサンは仏国産馬で、仏ダービー・オステンド国際大賞・ダリュー賞・マレショー賞(現モーリスドニュイユ賞)・ボイアール賞(現エクスビュリ賞)を勝ち、カドラン賞・仏共和国大統領賞(現サンクルー大賞)で2着したスタミナ自慢の馬だった。遡ると、カドラン賞・サブロン賞(現ガネー賞)・グレフュール賞・ラクープドメゾンラフィット・コンセイユミュニシパル賞・ボイアール賞・ビエナル賞を勝ったニンバス、アスコット金杯・グラディアトゥール賞2回・ラクープ2回・リューテス賞を勝ったエルフ、仏ダービー・オカール賞・グラディアトゥール賞を勝ったユーパス、アンペルール大賞(後のリュパン賞)・グッドウッドCを勝ったドラールを経て、ザフライングダッチマンに行き着く仏国土着のスタミナ血統。

母パールメイデンの競走馬としての経歴は不明。繁殖牝馬としてはかなり優秀で、本馬の半妹ビパール(父ビリビ)【仏1000ギニー・トーマブリョン賞・ペネロープ賞】、半弟パールウィード(父ホットウィード)【仏ダービー】と、活躍馬を次々と産んだ。

本馬の半姉ムキ(父テトラメータ)の曾孫にはモルヴェド【凱旋門賞・伊ジョッキークラブ大賞】が、ビパールの孫にはビウィッチド【ローマ賞・カドラン賞】、牝系子孫にはクレアマリーン【ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】、ベリト【ジアナ大賞(ガヴェア)(伯GⅠ)・マルシアノデアギアルモレイラ大賞(伯GⅠ)・南米サラブレッド奨励機構大賞(伯GⅠ)】などが、本馬の半妹パールドロップ(父ホットウィード)の孫にはトウルマン【仏2000ギニー・ロワイヤルオーク賞】、牝系子孫にはヴェスタ【ケープフィリーズギニー(南GⅠ)・SAフィリーズギニー(南GⅠ)・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)】などが、本馬の半妹シルヴァーフォックス(父フォックスハンター)の曾孫にはオンシディウム【コロネーションC】、スリーピングパートナー【英オークス】、玄孫世代以降には、フレーミングロック【SAクイーンズプレート(南GⅠ)・ダーバンジュライ(南GⅠ)・ゴールドチャレンジ(南GⅠ)2回】、トリスカイ【豪シャンペンS(豪GⅠ)・AJCフライトS(豪GⅠ)・ オーストラリアンギニー(豪GⅠ)・AJCオークス(豪GⅠ)・クイーンズランドオークス(豪GⅠ)】、ディファイア【AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)】、日本で走ったニットウチドリ【桜花賞・ビクトリアC】、ブランディス【中山大障害(JGⅠ)・中山グランドジャンプ(JGⅠ)】などがいる。→牝系:F16号族③

母父ファレロンはジョッキークラブSの勝ち馬で、その父は名牝プリティポリーの父として知られるガリニュールである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はエズモンド氏の所有のまま生まれ故郷のモルトフォンテーヌ牧場で繁殖入りした。しかし繁殖入り後10年以上に渡ってこれといった活躍馬を産むことが出来ず、5歳時に産んだ初子の牝駒コラパール(父コロナック)が2勝を挙げたのが関の山だった。

そのために繁殖牝馬としては失敗だったとの烙印を押されかけていた矢先の1944年、16歳時にヴァトラーとの間に牡駒が産まれた。パールダイヴァーと名付けられたその子は母親である本馬と異なり成長すると体高16.2ハンドの大柄で力強い馬体の持ち主となった。1945年にエズモンド氏が死去したため他者の所有となったパールダイヴァーは仏国パーシー・カーター調教師の管理馬となった。そしてマッチェム賞を勝って臨んだ英ダービーでは単勝オッズ41倍の人気薄ながらも、英2000ギニー馬テューダーミンストレル、デューハーストSの勝ち馬で後に凱旋門賞・エクリプスS・英チャンピオンSなどを勝つミゴリ、後の愛ダービー・英セントレジャー馬サヤジラオといった歴史に名を残す強豪馬勢を蹴散らして勝利を収め、仏国調教馬としては1914年のダーバー以来33年ぶり史上4頭目の英ダービー制覇を見事に成し遂げた。破った相手の面子を見る限りではパールダイヴァーの実力はかなりのものだったと思われるのだが、人気薄の勝利だった事と、英ダービーを仏国調教馬に勝たれるという英国民にとっては屈辱的な事態を招いた事、英ダービー以降の成績が振るわなかった事などが影響したのか、競走馬としても種牡馬としても高い評価は得られず、英国で種牡馬生活を送った後に日本に種牡馬として輸出されて標準以上の成績を残した後に1971年に他界した。

パールダイヴァーの評価はともかくとして、英ダービー馬の母となった事で本馬は繁殖牝馬としても優秀だったという評価を得ることになった。本馬の没年は不明だが、最後の子である牝駒シードパール(父トゥルマン)が1950年生まれなので、少なくとも22歳までは生きていた事になる。

本馬の牝系子孫はなかなかの繁栄を示しており、コラパールの子孫からはイエラパ【仏グランクリテリウム】、ニニスキ【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ】、シャカ【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)】、ビズザナース【ミラノ大賞典(伊GⅠ)】などが、シードパールの子にはファインパール【仏オークス】、子孫にはリファリタ【仏オークス(仏GⅠ)】、ベルメッツ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)】、ドビュッシー【アーリントンミリオン(米GⅠ)】、日本で走ったレッドディザイア【秋華賞(GⅠ)】などがいる。

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