メルトン

和名:メルトン

英名:Melton

1882年生

鹿毛

父:マスターキルデア

母:ヴァイオレットメルローズ

母父:スコッティシュチーフ

ミドルパークプレートの勝ち馬として初めて英ダービーを勝ち英セントレジャーも勝った名馬は、種牡馬としては伊国で成功し後に英国に逆輸入されて活躍する

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績18戦11勝2着3回

誕生からデビュー前まで

第20代ヘイスティングス男爵ジョージ・マナーズ・アストリー卿の生産・所有馬。アストリー卿は20歳になる前に兄の死により男爵家を継いだ。クリケット、ヨット、狩りなど貴族のスポーツが好きだった彼は、間もなく競馬にも興味を抱くようになり、自身でも馬産を行うようになった。もっとも、それほど多くの活躍馬を生産したわけではなく、本馬が彼の生産馬の中で唯一の英国クラシック競走の勝ち馬である。

小柄な馬で幼少期はそれほど目立つ存在ではなかったようだが、マシュー・ドーソン調教師の元で調教が開始されるとすぐに力強い走りを披露して頭角を現した。主戦はフレッド・アーチャー騎手で、本馬のほぼ全てのレースに騎乗している。

競走生活(2歳時)

2歳6月にアスコット競馬場で行われたニューS(T5F)で競走馬デビューを果たした。このレースで1番人気に支持されていたのは、後に英シャンペンSを勝つ同厩馬ラングウェルだった。しかし結果は本馬が2着マッチガールに頭差で勝利を収め、ラングウェルは3着だった。ニューマーケット競馬場に場所を移して出た次走のジュライS(T6F)では、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。レースではゴール前で先頭に立って勝利目前だったが、バイエニアルSやハーストボーンSを勝っていたルミナリーにかわされて頭差の2着に敗れた。それでも本馬の評価が下がる事はなかった。

その後出走したミドルパークプレート(T6F)では129ポンドを課された影響があったのか、単勝オッズ11倍の評価に留まった。今回アーチャー騎手は本馬を意図的に抑えて、序盤は後方を走らせた。そして残り1ハロン地点で満を持してスパートすると、前にいる馬達に一気に襲い掛かっていった。そしてゴール前の激戦を制して、後に仏2000ギニーとリュパン賞を勝つ仏国調教馬グザントレイエを半馬身差の2着に、1番人気に支持されていた後にパラドックスと命名される無名馬と、ブリティッシュドミニオン2歳Sの勝ち馬で英シャンペンS2着の後のシティ&サバーバンHの勝ち馬ロイヤルハンプトンの2頭を同着の3着に抑えて勝利した。

デビュー4戦目のクリテリオンS(T7F)では、127ポンドのトップハンデを課されたが、単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された。レースでは馬なりのまま走り、ロウス記念Sの勝ち馬ゴールデンレイを1馬身半差の2着に破って勝利。2歳戦を4戦3勝の成績で終えた本馬は、翌年の英ダービーの有力候補の1頭として評価され、英ダービーの前売りオッズでは11倍がついた。

競走生活(3歳時)

3歳時は英2000ギニーには出走せず、英ダービーを目標として、5月にニューマーケット競馬場で行われたペインS(T10F)から始動。単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された本馬は、後の英オークス馬ロンリーなどを相手に「大いなる容易さ」で勝利を収めた。

そして本番の英ダービー(T12F29Y)に出走した。このレースは、単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持された本馬と、単勝オッズ5倍の2番人気だった英2000ギニー馬パラドックスとの一騎打ちムードであった。パラドックスはまだ名前が付けられていない状態で、ミドルパークプレートにおいて競走馬デビューして、1番人気に支持されながら本馬の3着同着に敗北していたが、馬主が変わって主戦がアーチャー騎手になると素質を開花させ、デューハーストプレートにも勝利していた。しかし本馬とパラドックスの対戦となった英ダービーでアーチャー騎手は本馬に騎乗する事になった。アーチャー騎手は、パラドックスが先頭に立つと気を緩める癖がある事を知っており、その知識を活かした戦術を用いる腹積もりだった。

スタートが切られると、ミドルパークプレートで本馬の3着同着だったロイヤルハンプトンが先頭に立ち、本馬は馬群の後方に陣取った。そのままの態勢で直線に入ってくると、ミドルパークプレートで本馬の2着後に仏2000ギニー・リュパン賞を勝ってきたグザントレイエが先頭のロイヤルハンプトンに並びかけた。しかしグザントレイエはロイヤルハンプトンより先に失速。ロイヤルハンプトンも残り2ハロン地点で失速し、代わりに先頭に立ったのはパラドックスだった。しかしそれを待っていたアーチャー騎手騎乗の本馬が後方から強襲。ゴール前できっちりとパラドックスを差し切って頭差で勝利した。1866年にミドルパークプレートが創設されて以降、同競走の勝ち馬が英ダービーを勝ったのは初めての事だった(本馬以降は、ドノヴァンアイシングラス、ラダス、ガルティモアレンベルグ、コールボーイ、バーラムダンテの8頭が両競走を勝っているが、ダンテを最後に70年間両競走を勝った馬は出ていない)。この英ダービーを生観戦した有名作家のオスカー・ワイルド氏は「このダービーはジョン・ミルトンの失楽園を思い起こさせるものでした」と述べた。これは、ミルトン(Milton)の失楽園(Paradise Lost)と、本馬の名前(Melton)及びパラドックス(Paradox)の名前をかけたものだと思われる。このレースの後にパラドックスは仏国に遠征してパリ大賞に出走すると、アーチャー騎手を鞍上に馬なりのまま勝利し、さらに後にはサセックスS・英チャンピオンS・フリーHも勝利してその実力を証明している。

一方の本馬は夏場を全休して、秋は英セントレジャー(T14F132Y)に直行。単勝オッズ1.42倍という断然の1番人気に支持された。並んで2番人気だったアイソバーと英オークス馬ロンリーは単勝オッズ11倍だったから、まさしく一本かぶりの人気だった。好スタートを切った本馬だったが、鞍上のアーチャー騎手が抑えたために道中は10頭立ての最後方を走ることになった。直線に入るところでロンリーが先頭に立ち、本馬もようやくスパートを開始した。そしてインコースの隙間を猛烈な勢いで走り抜け、直線半ばでは既に先頭に躍り出ていた。あとはゴールまでそのまま駆け抜けるだけで、2着アイソバーに6馬身差、3着ロンリーにもさらに6馬身差をつけて圧勝した。

その後はニューマーケット競馬場でグレートフォールS(T10F)に出走し、単勝オッズ1.04倍の1番人気に支持された。レースでは全く危なげないところはなく、7ポンドのハンデを与えた同厩の牡馬パールダイヴァーに1馬身半差をつけて勝利した。この後にアストリー卿は、英ダービーを同着ながらも勝利して、さらにアスコットゴールドヴァーズ・シザレウィッチH・フリーH・ジョッキークラブC2回・アスコット金杯・クイーンアレクサンドラSも制していた1歳年上の強豪馬セントガティエン陣営に対して、1000ポンドを賭けたマッチレースの申し込みを行ったが、セントガティエン陣営はケンブリッジシャーHに出走する事を優先したため、この年の両馬の対戦は実現せず、本馬は3歳時を4戦全勝の成績で終えた。

競走生活(4歳時)

4歳初めに本馬とセントガティエンのマッチレースが行われて本馬が勝利したという記録が残っているらしいが、公式なレースではなくプライベートなレースだったらしく、詳細は不明である。

公式な4歳時の初戦となったのは6月のハードウィックS(T12F)だった。当然のように本馬は1番人気に支持されたと思うかもしれないが、本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持されたのは、英2000ギニー・英ダービー・デューハーストプレート・セントジェームズパレスS・ポストS・クリテリオンSと6戦全勝の3歳馬オーモンドだった。これは現役最強3歳馬と現役最強古馬の対決であり、戦前から非常に期待度が高いレースだった。スタートが切られるとオーモンドが自身のペースメーカー役の馬を差し置いて先頭に立ち、本馬がそれを追いかける展開となった。しかし最終成績16戦無敗の英国三冠馬となり英国競馬史上最高の名馬と讃えられるオーモンドはさすがに手強く、最後まで追いつけなかった本馬は2馬身差の2着に敗れた。ただし斤量は本馬の136ポンドに対してオーモンドは120ポンドとその差は16ポンドもあり、この一戦をもって2頭のどちらが実力上位かを論ずる事は難しい。

その後はオーモンドを避けるようにしてレースに出走し、ニューカッスル金杯を単走で勝利。その後はいきなり短距離路線に参入して、ジュライC(T6F)に出走。今日の感覚からするとかなり奇異な出走だが、陣営には自信があったのだろう。レースでも単勝オッズ2.25倍の1番人気に応えて、2着ブライトンに3馬身差をつけて快勝した。ゴール前ではアーチャー騎手が目に見えて本馬を抑えており、まったくの楽勝だった。次走のレスターシャーC(T8F)でも130ポンドのトップハンデを課されたが、馬なりのまま3馬身差で勝利した。

それから5日後にはグッドウッド競馬場でスチュワーズC(T6F)に出走した。しかしここで本馬に課せられた斤量はなんと146ポンド。一方で、前年の英2000ギニーでパラドックスの頭差2着していたクラフトンの斤量は109ポンドで、その差は実に37ポンドもあった(資料によっては2頭の斤量差は35ポンドとなっている)。さすがの本馬もこれには堪らず、クラフトンだけでなく、斤量97ポンドの3歳牡馬ハウズザット、一昨年の英チャンピオンSをトリスタンと同着で勝っていた斤量118ポンドのルツェルンなどにも屈して、クラフトンの着外に敗れた。

その2日後には同じグッドウッド競馬場でチェスターフィールドC(T10F)に出走した。このレースには、アスコットバイエニアルS・ニューS・ハーストボーンS・ブリーダーズプロデュースS・ロウス記念Sを勝ちミドルパークプレートで3着していた1歳年下のサラバンドも出走していた。サラバンドは英2000ギニーではオーモンドの引き立て役となってしまっていたが、その英2000ギニーの前段階ではオーモンドに匹敵するかそれ以上の評価を受けていた素質馬だった。ところが本馬に課せられた斤量は今回も146ポンド。サラバンドは117ポンドであり、3歳馬と古馬の差を考慮しても斤量差が大きすぎた。レースは結局サラバンドが斤量93ポンドのハウズザットを1馬身半差の2着に抑えて勝利を収め、本馬は今回も着外に終わった。本馬が重い斤量を背負う事を承知で出した陣営のレース選択については批判の声もあったようである。

その後は本馬とオーモンド、それに本馬の2歳年上で英チャンピオンSやエクリプスSなどを勝ったベンディゴ、オーモンドの同期で生涯戦績23戦21勝だったザバードも招待するマッチレースが企画されたが実現はしなかった。その後はニューマーケット競馬場でオクトーバーHに出走したが、135ポンドを課されてしまい、50ポンドのハンデを与えた無名の牝馬(後にクリーパーと命名されている)の着外に敗退。引き続き出走したケンブリッジシャーH(T9F)でも133ポンドを課せられてしまい、28ポンドのハンデを与えた6歳牡馬ザセーラープリンス、15ポンドのハンデを与えた3歳牡馬セントミリン(アスコットダービーの勝ち馬で、英ダービーでオーモンドとザバードに続く3着、英セントレジャーでオーモンドの2着していた)、36ポンドのハンデを与えた3歳牡馬カールトン(後にチェスターC・マンチェスターC・ドンカスターC・ジョッキークラブCを勝っている)の3頭に屈して、ザセーラープリンスの4着に敗れた。

次走のジョッキークラブC(T18F)では、セントガティエンとの公式戦初対決となった。セントガティエンは前年や一昨年ほどの強さは無かったが、それでもロウス記念Sを勝ち、エクリプスSで3着するなど活躍していた。斤量はセントガティエンが127ポンド、本馬が124ポンドと設定された。ところが結果はまったく好勝負にならず、セントガティエンが本馬を8馬身差の2着に破って圧勝してしまった。このレース前に本馬に与えられた水の中にウイスキーが混じっており、本馬は酔っぱらって走ったのだという記録があるらしいが、詳細は不明である。セントガティエンはアスコット金杯勝ちもあり、距離適性では本馬よりもセントガティエンに分があったとは思われる。

その後リヴァプールオータムC(T12F)に出走した本馬の鞍上にはアーチャー騎手ではなくジャック・ワッツ騎手の姿があった。本馬には129ポンドが課せられたが、26ポンドのハンデを与えた前年の同競走の勝ち馬キルクリーンを2馬身差の2着に破って勝利。このレースを最後に、4歳時10戦4勝の成績で競走馬を引退した。馬名は英国ノーフォーク州にあるメルトンコンスタブル村の名前に由来する。

血統

Master Kildare Lord Ronald Stockwell The Baron Birdcatcher
Echidna
Pocahontas Glencoe
Marpessa
Edith Newminster Touchstone
Beeswing
Deidamia Pyrrhus the First
Wiasma
Silk Plum Pudding Sweetmeat Gladiator
Lollypop
Foinnualla Birdcatcher
Brandy Bet
Judy Go Dey of Algiers  Priam
Bustard Mare 
Cacique Palinurus
Young Blacklock Mare
Violet Melrose Scottish Chief Lord of the Isles Touchstone Camel
Banter
Fair Helen Pantaloon
Rebecca
Miss Ann The Little Known Muley
Lacerta
Bay Missy  Bay Middleton
Camilla
Violet Thormanby Windhound Pantaloon
Phryne
Alice Hawthorn Muley Moloch
Rebecca
Woodbine Stockwell The Baron
Pocahontas
Honeysuckle Touchstone
Beeswing

父マスターキルデアは愛国で繁殖入りしていた両親から誕生した愛国産馬で、2歳時に愛国で無敗の成績を誇り、後に英国に移動して英セントレジャーにも参戦したが牝馬ジャネットの3着に敗れた。その後アストリー卿により購入されてマット・ドーソン調教師の管理馬となり、アレクサンドラプレート・シティ&サバーバンHを勝利した。ドーソン師はマスターキルデアの素質を高く評価し、競走馬引退後も種牡馬として所有するようアストリー卿に進言し、この結果アストリー卿の元で種牡馬供用される事になった。当初はドーソン師以外に評価する人間がおらず、種牡馬人気は低く初年度産駒は僅か3頭だったが、その3頭の中から本馬が出た事で評価されて長年に渡り種牡馬生活を送る事が出来た。マスターキルデアの父ロードロナルドはストックウェル産駒で、ソールズベリーCの勝ち馬だが、それほど目立つ競走馬ではなかった。競走馬引退後は狩猟用の馬となって活躍し、その後狩猟用の馬産を主目的として愛国で種牡馬になったようである。

母ヴァイオレットメルローズもまたアストリー卿の所有馬で、現役時代は6勝を挙げている。

本馬の全妹エディサーの子にはハーストパーク【トボガンH】、孫にはドミナント【ホープフルS】、玄孫世代以降には亜国の名競走馬にして大種牡馬のプラクティカント【亜ジョッキークラブ大賞・ナシオナル大賞・カルロスペレグリーニ大賞・サンフアンカピストラーノ招待H】、ミスブリオ【アルトゥロリヨンペーニャ賞(智GⅠ)・ポージャデポトランカス賞(智GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)】、マリアカンデラ【エルダービー(智GⅠ)・ラスオークス(智GⅠ)・ナシオナルリカルドリヨン賞(智GⅠ)】、シークレットステータス【ケンタッキーオークス(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)】、日本で走ったカブラヤオー【皐月賞・東京優駿】、ミスカブラヤ【エリザベス女王杯】、ダイタクヘリオス【マイルCS(GⅠ)2回】などがいる。

本馬の全妹ブリジットの子にはサンタブリジダ【ヨークシャーオークス】、玄孫世代以降にはアルキビアデス【ケンタッキーオークス】、ブラウンベティ【英1000ギニー・チェヴァリーパークS】、ミッドデイサン【英ダービー】、メノウ【ベルモントフューチュリティS・ウィザーズS】、ヘリオポリス【プリンスオブウェールズS】、サンストリーム【英1000ギニー・英オークス】、シャノン【AJCサイアーズプロデュースS・エプソムH・ジョージメインS2回・ハリウッド金杯】、ファームポリシー【モンマスオークス・テストS・アラバマS・トップフライトH】、サーアイヴァー【英2000ギニー・英ダービー・ワシントンDC国際S・愛ナショナルS・仏グランクリテリウム・英チャンピオンS】、カップダンティーブ【フライトS・ライトニングS・ニューマーケットH・インビテーションS】、プラウドトゥルース【BCクラシック(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・フラミンゴS(米GⅠ)・ピーターパンS(米GⅠ)】、トゥワイスザヴァイス【デルマーオークス(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)・ミレイディH(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)】、フリーハウス【サンタアニタH(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)・パシフィッククラシックS(米GⅠ)】、ヴァージニー【エンリケポッソーロ大賞(伯GⅠ)・ガヴェアジアナ大賞(伯GⅠ)・マルシアノデアギアルモレイラ大賞(伯GⅠ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)】、イッツトリッキー【エイコーンS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)】、日本で走ったシャダイアイバー【優駿牝馬】、エアジハード【安田記念(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)】、ギルデッドエージ【中山大障害(JGⅠ)】などがいる。

ヴァイオレットメルローズの半姉レディローズベリー(父ロードクリフデン)の孫にはパース【仏2000ギニー・仏ダービー・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞・カドラン賞】がおり、さらに牝系子孫からは、プリオリ【凱旋門賞・ロワイヤルオーク賞・カドラン賞】、ヘリングボーン【英1000ギニー・英セントレジャー】、ササフラ【凱旋門賞・仏ダービー・ロワイヤルオーク賞】、キングスレイク【愛2000ギニー(愛GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)】、アサート【仏ダービー(仏GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)・ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)】、ラストタイクーン【BCマイル(米GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅠ)・スプリントCS(英GⅠ)】、ムーンマッドネス【英セントレジャー(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、シェリフズスター【コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、ケルティックスウィング【レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)】、日本で走ったメジロティターン【天皇賞秋】、メジロライアン【宝塚記念(GⅠ)】などがいる。

ヴァイオレットメルローズの全妹ミスミドルウィックの子にはグラフトン【ドンカスターC】、ミセスバターウィック【英オークス】、ヒズレヴェランス【セントジェームズパレスS】、牝系子孫にはサンブライアー【サラトガスペシャルS・ホープフルS・トラヴァーズS】、メジャーポーション【ミドルパークS・セントジェームズパレスS・サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S】、レトス【ミルギネアス大賞(亜GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)】、キッキングキング【チェルトナム金杯(英GⅠ)・キングジョージⅥ世チェイス(英GⅠ)2回・ジョンダーカン記念パンチェスタウンチェイス(愛GⅠ)・パンチェスタウン金杯(愛GⅠ)】、タイフーントレーシー【クールモアクラシック(豪GⅠ)・マイヤークラシック(豪GⅠ)・CFオーアS(豪GⅠ)2回・豪フューチュリティS(豪GⅠ)・クイーンオブザターフS(豪GⅠ)】、日本で走ったグランプリボス【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)・NHKマイルC(GⅠ)】などがいる。

ヴァイオレットメルローズの全妹ミューアニンの牝系子孫には、アンバロイド【ベルモントS・ウッドメモリアルS】、プライズド【BCターフ(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)】、ブレーヴインカ【英チャンピオンハードル(英GⅠ)・パンチェスタウンチャンピオンハードル(愛GⅠ)・ディセンバーフェスティバルハードル(愛GⅠ)2回・愛チャンピオンハードル(愛GⅠ)2回・ハットンズグレイスハードル(愛GⅠ)】などがいる。→牝系:F8号族②

母父スコッティシュチーフはコモンの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はニューマーケットにあったファルマスハウスで種牡馬入りし、1年後にハンプトンコートスタッドに移動した。その後本馬は優秀な種牡馬を欲していたイタリア政府により1万ポンドで購入され、8歳時から伊国ピサ近郊の牧場で種牡馬生活を続けた。英国供用時代の種牡馬成績は今ひとつだったが、伊国では数多くの活躍馬を輩出して大成功を収めた。この成功を聞きつけた英国人ジョン・マスカー氏は本馬を1万2千ポンドで購入し、本馬は14歳時に英国に戻ってウェスターハムヒルスタッドで種牡馬生活を継続した。本馬は英国クラシック競走の勝ち馬こそ出す事ができなかったが、英国に戻った後も安定した種牡馬成績を残し、1900年には英種牡馬ランキングで5位につけた。米国で走ったサイソンビーを筆頭に、本馬の産駒は仕上がり早い快速馬が多かったようである。ウェスターハムヒルスタッドでは本馬は非常に大切にされ、まるで宮殿のような馬房を与えられ、王様のような生活を過ごしたという。1910年11月に28歳で他界した。

本馬の代表産駒である米国の名馬サイソンビーは現役時代に夭折し、伊国に残してきた後継種牡馬も成功しなかったため、本馬の直系は伸びなかった。しかし繁殖牝馬の父としては英オークス馬アワーラッシーと英セントレジャー馬ユアマジェスティ姉弟など5頭の英国クラシック競走の勝ち馬を出して大きな成功を収めた。特にアワーラッシーはその牝系子孫からインプルーデンス、ミルリーフウォローブラッシンググルームゴールドリヴァーレディーズシークレットアレクサンダーゴールドランフィンシャルベオゴルディコヴァ、リュウフォーレル、ダイナコスモス、フジキセキ、キングカメハメハ、アグネスデジタル、ビリーヴ、ニホンピロアワーズなど多くの活躍馬を出し、本馬の血を後世に伝えている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1891

Indian Queen

ケンブリッジシャーH

1893

Goldoni

伊ダービー

1894

Hira

伊ダービー・ミラノ大賞

1896

Marcantonio

ミラノ大賞

1897

Lucie

ドゥザン賞

1898

Bay Melton

ニューS

1898

Princess Melton

モールコームS

1901

Henry the First

デューハーストS

1902

Sysonby

サラトガスペシャルS・メトロポリタンH・ローレンスリアライゼーションS

1907

Assouan

サラマンドル賞

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