ブラッシンググルーム

和名:ブラッシンググルーム

英名:Blushing Groom

1974年生

栗毛

父:レッドゴッド

母:ラナウェイブライド

母父:ワイルドリスク

仏国主要2歳競走完全制覇に加えて仏2000ギニーも勝った名馬は闘争心強化型の大種牡馬としても活躍する

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績10戦7勝2着1回3着2回

競走馬としても一流だったが、種牡馬としてさらなる大成功を収め、父レッドゴッドの血を一大血統として確立し、繁殖牝馬の父としても超一流の成績を挙げている大種牡馬。

誕生からデビュー前まで

米国の事業家ジョン・マクナミー・サリヴァン氏により生産された仏国産馬で、1歳時に英国ニューマーケットで行われたタタソールズセールに出品された。このセールにおいて、アガ・カーンⅣ世殿下により1万6500ギニー(当時の為替レートで約235万円)という安値で落札され、仏国フランソワ・マテ調教師に預けられた。成長しても体高は15.3ハンドほどだったというから、決して大きな馬では無かったが、非常にリズミカルで美しい動きで走る馬であり、将来を嘱望されるようになっていた。また、おそらく多くの日本の競馬ファンが抱いている印象とは異なり、とても穏やかで落ち着いた気性の持ち主だったという。主戦はアンリ・サマニ騎手が務めた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にシャンティ競馬場で行われたドルジュモン賞(T1100m)でデビューしたが、ここでは3着に敗れた。しかしエヴリ競馬場で出走した次走ロシュフォール賞を6馬身差で勝ち上がった。7月にはロベールパパン賞(仏GⅠ・T1100m)に出走。2着となった牝馬リヴァーデイン(後にサンドリンガム賞・チャイルドSを勝っている)に3/4馬身差、3着サニースプリングにはさらに8馬身差をつけて勝利した。さらに8月のモルニ賞(仏GⅠ・T1200m)に向かい、2着ウォーターボーイに3馬身差で完勝。次走は9月のサラマンドル賞(仏GⅠ・T1400m)となり、これも2着となった牝馬アセキュイットに2馬身差で快勝した。

2歳最後のレースは仏国最高の2歳競走である10月の仏グランクリテリウム(仏GⅠ・T1600m)。このレースでも本馬は2着アミュントールに4馬身差、3着となったリッチモンドS・英シャンペンSなど3戦無敗のジェイオートービン(後にスワップスSで米国三冠馬シアトルスルーに初黒星をつけたり、1978年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれたりしている)にはさらに頭差をつけて圧勝し、1970年のマイスワロー以来6年ぶり史上2頭目となる、ロベールパパン賞・モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウムの仏国主要2歳競走完全制覇を達成した(なお、史上3頭目は15年後の1991年に達成した本馬の息子アラジである)。なお、これをもって仏国2歳四冠馬とする日本の資料が存在するが、本馬及び上記4競走いずれの海外の資料にもそうした表現は見当たらない。ロベールパパン賞・モルニ賞・仏グランクリテリウムの3競走を総称して“French juvenile Triple Crown(仏国2歳三冠競走)”とする英国の資料はあるのだが、肝心の地元仏国の資料にはこれすらもない。

2歳時は6戦5勝の成績で、この年の仏最優秀2歳牡馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月のフォンテーヌブロー賞(仏GⅢ・T1600m)から始動して、前年に2歳にしてフォレ賞を勝っていたファーリーと対決した。結果は本馬が2着ウォーターボーイに2馬身半差をつけて勝利を収め、ファーリーはさらに2馬身半差の3着に終わった。

次走の仏2000ギニー(仏GⅠ・T1600m)は僅か6頭立てのレースとなったが、前走の雪辱に燃えるファーリー、ジェベル賞を勝ってきたヘイスティリプライといった強敵が出走していた。レースでは本馬が3番手、ファーリーが4番手を追走。直線に入るとすぐに本馬が最内を突いて抜け出し、そこへファーリーが外側から並びかけようとしてきた。しかし本馬鞍上のサマニ騎手が追い始めると、瞬く間にファーリーを突き放した。最後は2着ファーリーに3馬身差、3着ヘイスティリプライにはさらに5馬身差をつけて完勝した。なお、ファーリーは後にリュパン賞やムーランドロンシャン賞も勝つことになる相当な実力馬だった。

1960年に父のアリ・カーン王子が交通事故で死去したために、父が管理していた競馬事業を急遽受け継ぐまでは競馬に全く興味が無かったアガ・カーンⅣ世殿下は、当初は所有馬を仏国で走らせることが多く、英国のレースに所有馬を出すことは少なかった。しかし競馬事業を受け継いではや17年も経過したこの頃になると、アガ・カーンⅣ世殿下もさすがに英国伝統の大レースを制覇する野望を抱くようになっていた。というわけで、本馬の次走は仏ダービーではなく英ダービー(英GⅠ・T12F)となった。このレースには、大物の誉れ高かったデューハーストS・ラークスパーS・アスコット2000ギニートライアルSの勝ち馬ザミンストレルも出走していたが、ザミンストレルは英2000ギニー3着・愛2000ギニー2着と続けて取りこぼしていたため、本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、ザミンストレルは単勝オッズ6倍の2番人気となった。他の出走馬は、前哨戦のダンテSを5馬身差で圧勝してきたラッキーソブリン、英2000ギニー・ジムクラックSの勝ち馬でウィリアムヒルフューチュリティS2着・愛2000ギニー3着のネビオロ、愛2000ギニー・愛ナショナルSの勝ち馬パンパポール、チェスターヴァーズを5馬身差で圧勝してきたホットグローヴ、ロイヤルホイップSで後に凱旋門賞を2連覇する名馬アレッジドの2着していたヴァリンスキー、ディーSを勝ってきたロイヤルプルーム、ブルーリバンドトライアルSの勝ち馬ビーマイゲストなどだった。レースでは、ホットグローヴが先行して、本馬とザミンストレルが好位を追走した。直線に入ると、粘るホットグローヴにザミンストレルが襲い掛かり、さらに外側から本馬も先頭に迫る勢いでやって来た。しかし直線半ばで本馬はスタミナが切れて脱落。ホットグローヴとの壮絶な叩き合いを首差で制したザミンストレルから5馬身後方の3着でゴールインとなった。

仏国に戻った本馬は、夏場のジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)に出走したが、前年の英1000ギニーとこの年のモーリスドギース賞を勝っていたフライングウォーターの半馬身差2着に敗れた。フライングウォーターはこの2か月後の英チャンピオンSで牡馬勢を蹴散らして勝つ実力馬だった。

その後、欧州で馬伝染性子宮炎(この病気の詳細はザミンストレルの項に記載)という馬の感染症が流行した影響で欧州馬の渡米禁止措置が講じられることが決定した。既に英ダービーの前に総額600万ドルの巨額種牡馬シンジケートが組まれて米国で種牡馬入りすることが決まっていた本馬は渡米禁止措置の発動前に米国に渡る必要が生じたため、ジャックルマロワ賞を最後に3歳時4戦2勝の成績で引退した。

馬名は英語で「赤面する花婿」の意味で、母の名前が「逃げた花嫁」である事からの連想であると思われる。

血統

Red God Nasrullah Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Spring Run Menow Pharamond Phalaris
Selene
Alcibiades Supremus
Regal Roman
Boola Brook Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Brookdale Peter Pan
Sweepaway
Runaway Bride Wild Risk Rialto Rabelais St. Simon
Satirical
La Grelee Helicon
Grignouse
Wild Violet Blandford Swynford
Blanche
Wood Violet Ksar
Pervencheres
Aimee Tudor Minstrel Owen Tudor Hyperion
Mary Tudor
Sansonnet Sansovino
Lady Juror
Emali Umidwar Blandford
Uganda
Eclair Ethnarch
Black Ray

レッドゴッドは当馬の項を参照。

母ラナウェイブライドはアガ・カーンⅣ世殿下の生産馬だが、競走馬としては4戦未勝利に終わったために、当時まだ競馬事業に関しては素人に近かったアガ・カーンⅣ世殿下は、ラナウェイブライドを手放してしまった。そしてサリヴァン氏の所有馬となったラナウェイブライドの息子である本馬を、アガ・カーンⅣ世殿下が買い戻すような形になったのである。ラナウェイブライドは、本馬の全兄ベイラーン【シェーヌ賞(仏GⅢ)・セーネワーズ賞(仏GⅢ)】、半弟サイドチャペル(父ラジャババ)も産んでいる。

本馬より3歳年上のベイラーンは16戦5勝の成績を残して4歳で競走馬を引退した後の1975年11月に日本に輸入された。種牡馬入り初年度である1976年の繁殖シーズン時点では殆ど注目されていなかったが、この年の秋シーズンに全弟である本馬が仏国2歳戦で大活躍したために、一躍注目種牡馬となった。ところが翌1977年、繁殖シーズン前の2月に6歳で早世した。1世代36頭という数少ない産駒から、福島記念の勝ち馬ネオキーストン、金鯱賞の勝ち馬テルノホープなどが出て、このうちネオキーストンが後継種牡馬入りしたが活躍馬は出せなかった。ベイラーンに余命があれば、同時期に種牡馬入りしたノーザンテーストの好敵手になり得たかもという意見もある。本馬より8歳年下のサイドチャペルは現役成績3戦1勝だったが、既に半兄の本馬が種牡馬として成功を収めつつあったため、やはり日本に輸入された。しかし13歳で他界した事もあり、地方競馬の重賞勝ち馬を複数出した程度に終わっている。

この2頭以外に日本に縁があるラナウェイブライドの牝系子孫出身馬と言えば、何と言っても本馬の半妹アリカンス(父アレッジド)の孫であるアグネスデジタル【マイルCS(GⅠ)・マイルCS南部杯(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・香港C(香GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)・安田記念(GⅠ)・全日本三歳優駿(GⅡ)・名古屋優駿(GⅢ)・ユニコーンS(GⅢ)・日本テレビ盃(GⅢ)】が筆頭格だろう。他にも、本馬の半妹ボールドエスケープ(父ボールドフォーブス)の孫であるアイルトンシンボリ【ステイヤーズS(GⅢ)2回】や、アグネスデジタルの半弟であるジャリスコライト【京成杯(GⅢ)】が日本で走っている。他には、ボールドエスケープの子であるカナヴェラル【ウィリアムドナルドシェイファーH(米GⅢ)】や、アリカンスの子であるロイヤルキングダム【ロイヤルロッジS(英GⅡ)】などもラナウェイブライドの牝系子孫である。

ラナウェイブライドの母アイミーは世界的名牝系を構築していると言っても過言ではなく、ラナウェイブライドの半妹フレイミングハート(父シェシューン)【ミネルヴ賞】の子にはマルーン【ジャンプラ賞(仏GⅡ)・レゼルヴォワ賞・ダフニ賞(仏GⅢ)】、曾孫にはシャラヤ【ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、玄孫世代以降にはシャワンダ【愛オークス(愛GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、シャレータ【ヨークシャーオークス(英GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】などが、ラナウェイブライドの半妹ザンニラ(父ソヴリンパス)の子にはザバレラ【伊オークス(伊GⅠ)・リディアテシオ賞(伊GⅠ)】が、ラナウェイブライドの半妹カザーン(父シャルロットヴィル)の孫にはアルワウーシュ【伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・カールトンFバークH(米GⅠ)】、ハズバンド【加国際S(加GⅠ)】、曾孫にはレディイーライ【BCジュヴェナイルフィリーズターフ(米GⅠ)・ベルモントオークス(米GⅠ)】、日本で走ったユーセイシュタイン【京都ジャンプS(JGⅢ)】、玄孫には言わずと知れたキングカメハメハ【東京優駿(GⅠ)・NHKマイルC(GⅠ)】などが、ラナウェイブライドの半妹アファシーン(父シェシューン)の孫には、エアデリーン【サンタラリ賞(仏GⅠ)】、ザグルームイズレッド【シャンペンS(米GⅠ)】、ウェアオアウェン【クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、曾孫にはバジャーズドリフト【SAダービー(南GⅠ)・デイリーニューズ2000(南GⅠ)・SAクラシック(南GⅠ)】がいる。

アイミーの半姉ネマリアの曾孫には、日本のオールドファンには懐かしい「白い逃亡者」ホワイトフォンテン【日本経済賞2回・毎日王冠・アメリカジョッキークラブC】がいる。アイミーの母エマリの半兄にはカーレッド【ミドルパークS・セントジェームズパレスS】がいる。→牝系:F22号族①

母父ワイルドリスクは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退後した本馬は、好敵手ザミンストレルと一緒の船で米国に渡り、ケンタッキー州ゲインズウェイファームで種牡馬入りした。本馬はずっと米国で種牡馬生活を送ったのだが、産駒は主に欧州で活躍した。ナシュワンレインボークエスト、アラジ、スカイビューティなど数多くの優駿を含む92頭のステークスウイナー(グループ及びグレード競走勝ち馬は60頭)をこの世に送り出し、一世を風靡する大種牡馬となった。1989年には英愛首位種牡馬を獲得している。しかしこの1989年に睾丸癌で繁殖能力を失って種牡馬を引退。その後はゲインズウェイファームで余生を送っていたが、1992年5月に体調が悪化したために18歳で安楽死の措置が執られた。

自身は明らかにマイラーだったが、母父ワイルドリスクの影響なのか、自身と異なり長距離を苦にしない産駒も多い。あと、大人気を博した競走馬育成シミュレーションゲーム「ダービースタリオン」シリーズにおいて、本馬のインブリード効果が気性難(と底力上昇)だったために、本馬やその産駒も気性難であると思い込んでいる人が多いと思われる。しかし海外の資料には明確に「ブラッシンググルームは穏やかで落ち着いた性格で有名であり、その性格を子孫にも良く伝えました」と書かれているから、どうやら気性難という評価は改めなければならないようである。もっとも、スカイビューティのようにかなり気性に問題がある産駒もいたから、完全に間違いというわけではないようである。

後世に与えた影響

後継種牡馬としては、ナシュワン、レインボークエスト、ラーイマウントリヴァーモアらが成功している。また本馬は繁殖牝馬の父としても超一流の成績を残しており、1988・95年には英愛母父首位種牡馬に、1995年には北米母父首位種牡馬になっている(計算方法の違いで、この年の北米母父首位種牡馬はシアトルスルーとする場合が多い)。本馬の血が母系に入ると、特に底力・闘争心が驚異的に強化され、競り合いに絶対的な強さを発揮するようになり、「母父ブラッシンググルーム=闘争心あり」の方程式が成り立つほどだった。母父としては、カヤージラムタラオーサムアゲインストラヴィンスキーゴルディコヴァ、マヤノトップガン、テイエムオペラオー、ヤマニンゼファー、レディパステル、スターキングマンなどを輩出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1979

Blush With Pride

サンタスサナS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・アッシュランドS(米GⅡ)・ゴールデンハーヴェストH(米GⅢ)

1979

Coquelin

ヴィットリオディカプア賞(伊GⅡ)・リス賞(仏GⅢ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)

1979

Jalmood

伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)

1979

Rosananti

伊1000ギニー(伊GⅡ)

1979

Runaway Groom

トラヴァーズS(米GⅠ)・加プリンスオブウェールズS・加ブリーダーズS

1979

Too Chic

マスケットS(米GⅠ)

1980

Crystal Glitters

イスパーン賞(仏GⅠ)2回・エクリプス賞(仏GⅢ)・エドモンブラン賞(仏GⅢ)

1980

Nassipour

ロスマンズ国際S(加GⅠ)・ディキシーH(米GⅡ)・セネカH(米GⅢ)

1980

Verria

クロエ賞(仏GⅢ)

1981

Baroness Direct

ラスフローレスH(米GⅢ)

1981

Innamorato

ネイティヴダイヴァーH(米GⅢ)

1981

Morning Bob

トロピカルパークダービー(米GⅡ)・エクセルシオールH(米GⅡ)・ペンシルヴァニアダービー(米GⅢ)

1981

Mt. Livermore

カーターH(米GⅡ)・フォールハイウェイトH(米GⅡ)・ブージャムH(米GⅢ)

1981

Rainbow Quest

凱旋門賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)

1981

Spicy Story

ドンカスターC(英GⅢ)

1981

Westheimer

ニューオーリンズH(米GⅡ)・アークラテックスH(米GⅢ)

1982

Al Bahathri

愛1000ギニー(愛GⅠ)・ロウザーS(英GⅡ)・コロネーションS(英GⅡ)・チャイルドS(英GⅢ)

1982

Baillamont

ジャンプラ賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)

1982

Ifrad

アーリントンH(米GⅠ)・サンフランシスコマイルH(米GⅢ)・オールアメリカンH(米GⅢ)

1982

Local Suitor

ミルリーフS(英GⅡ)

1983

Dallas

ケンブリッジシャーH

1983

Icy Groom

ペンシルヴァニアガヴァナーズC(米GⅢ)

1983

Malakim

エドヴィル賞(仏GⅢ)

1983

Salt Dome

カウントフリートスプリントH(米GⅡ)

1984

Groom Dancer

リュパン賞(仏GⅠ)・コンデ賞(仏GⅢ)・ギシュ賞(仏GⅢ)・ダフニ賞(仏GⅢ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)

1984

Love the Groom

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・ゴードンS(英GⅢ)

1984

Luth Dancer

リス賞(仏GⅢ)・エドヴィル賞(仏GⅢ)

1984

Nashmeel

アスタルテ賞(仏GⅡ)

1985

Blushing John

仏2000ギニー(仏GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH・レイザーバックH(米GⅡ)・ワシントンパークH(米GⅡ)・サンロマン賞(仏GⅢ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)

1985

Digamist

愛フェニックスS(愛GⅠ)

1985

Kefaah

メッカブックメイカーズクラシック (英GⅢ)

1985

Rahy

ベルエアH(米GⅡ)

1986

Double Blush

グレイラグH(米GⅢ)

1986

Heart of Groom

フェデリコテシオ賞(伊GⅢ)

1986

Muhbubh

プリンセスマーガレットS(英GⅢ)

1986

Nashwan

英2000ギニー(英GⅠ)・英ダービー(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)

1986

Shy Tom

ボルティモアバドワイザーBCH(米GⅢ)・サルヴェイターマイルH(米GⅢ)・ガルフストリームパークBCターフS(米GⅢ)

1986

Snow Bride

英オークス(英GⅠ)・ムシドラS(英GⅢ)・プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1986

Two Timing

プリンスオブウェールズS(英GⅡ)

1987

Fire the Groom

ビヴァリーDS(米GⅠ)・ウィルシャーH(米GⅡ)・サンタアニタBCH(米GⅢ)

1988

Fancy Ribbons

ゴールデンロッドS(米GⅢ)

1988

Maxigroom

フォートマーシーH(米GⅢ)・オーシャンポートH(米GⅢ)

1988

Sillery

ジャンプラ賞(仏GⅠ)・ドラール賞(仏GⅡ)

1989

Arazi

BCジュヴェナイル(米GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・ロンポワン賞(仏GⅡ)・ボワ賞(仏GⅢ)

1989

Brier Creek

ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)

1989

Hazaam

スプリームS(英GⅢ)

1989

Rosefinch

サンタラリ賞(仏GⅠ)

1989

Wedding of the Sea

リゾランジ賞(仏GⅢ)

1989

You'd Be Surprised

トップフライトH(米GⅠ)・ジョンAモリスH(米GⅠ)・ニューヨークH(米GⅡ)・ギャロレットH(米GⅢ)

1990

Desert Team

プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)

1990

Gold Splash

マルセルブサック賞(仏GⅠ)・コロネーションS(英GⅠ)

1990

Sharman

ジョンシェール賞(仏GⅢ)

1990

Sky Beauty

エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅠ)・ヘンプステッドH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドS(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)・アディロンダックS(米GⅡ)・レアパフュームS(米GⅡ)・ヴェイグランシーH(米GⅢ)2回

1991

Blushing Flame

カラーC(愛GⅢ)

1991

Parme

アンドレバボワン賞(仏GⅢ)

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