トウルビヨン

和名:トウルビヨン

英名:Tourbillon

1928年生

鹿毛

父:クサール

母:ダーバン

母父:ダーバー

悪名高きジャージー規則を撤廃させヘロド直系のみならず全ての雑種血統が現在に伝わる最大の功労馬となった仏国の誇る名競走馬にして大種牡馬

競走成績:2・3歳時に仏独で走り通算成績12戦6勝2着3回3着1回

18世紀の大種牡馬ヘロドの直系は、18世紀後半から19世紀前半にかけて欧州競馬界を席巻したが、19世紀後半から衰退し、20世紀には滅亡寸前の危機にあった。そんなヘロド直系を復興させた最大の功労馬とされるのが本馬である。馬名は仏国語で「旋風」という意味であり、その名前のとおりにエクリプスの直系で埋め尽くされていた欧州競馬界に一大旋風を巻き起こした。

誕生からデビュー前まで

仏国競馬史上最高の馬産家マルセル・ブサック氏により仏国馬産の中心地ノルマンディーのジャルディ牧場において生産・所有された。ブサック氏に関してはフリゼットなどの項で既に何度か触れてきたが、ここで改めて彼の業績に関して述べておく。1889年に仏国シャトールー市で生を受けたブサック氏は、家業であった繊維業を継いで富豪となり、後に著名なファッションデザイナーであるクリスチャン・ディオール氏と組んで香水製造業にも携わり、新聞事業にも進出するなど、事業家として大きな成功を収めた。その一方でかなり若い頃から競馬にも興味を抱いていた。25歳時の1914年に小規模な馬産を開始したのが、彼の馬産人生の第一歩であった。彼が最初に生産した大物競走馬はサンブライアーであり、米国に輸出されて1917年の米最優秀2歳牡馬に選ばれる活躍を見せた(3歳以降は僚馬エクスターミネーターの引き立て役となってしまったが、種牡馬としては米国顕彰馬サンボウを出すなど成功している)。ブサック氏は1919年にフレスネルビュファール牧場を購入して馬産規模を拡大し、その後は次々と活躍馬を送り出した。本馬以外にもラトロワンヌコリーダファリスジェベルマーシャス、アルダン、カラカラ、ジェダー、アンビオリクス、コロネーション、ガルカドールなどの名馬・名種牡馬・名繁殖牝馬を誕生させ、仏首位馬主に14回、仏首位生産者に17回輝くなど、1930年代から1960年代にかけての仏国競馬界をリードし続けた。凱旋門賞の賞金を1949年に大幅に増額させて、欧州最強馬決定戦としての地位を確立させたのも彼の功績である。

本馬はそんな彼の馬産人生の方向性を決定付けた馬で、ブサック氏が世に送り出した最高傑作とも言われる。背は高くて優れた肩と力強い腰を有しており、体格だけ見れば長距離向きだった父系よりも、短距離向きだった母系の血が強く出ていたと言われている。四肢は比較的長かったが、膝から球節にかけての部分はかなり短かった。また、後脚は湾曲しており、脚部はあまり丈夫ではなかったようである。また、気性面ではしばしば「まさしく炎のような」と評されていた。

競走生活

ウィリアム・ホール調教師に預けられた本馬は、2歳7月にシャンティ競馬場で行われたヴィニュール賞(T1100m)でデビューして勝利した。しかしその6日後に出走した2戦目のオマール賞(T1200m)では、牝馬タラスコイアの半馬身差2着に負けてしまった。その後は隣国の独国に向かい、8月にバーデンバーデン競馬場で行われたツークンフツレネン(T1200m)に出走して、2着となった牝馬フィルムノーに半馬身差で勝利した。地元に戻ってきた本馬は10月の仏グランクリテリウム(T1600m)に向かったが、重馬場も災いしたのか、クリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬インダスの6着に敗れた。2歳時の成績は4戦2勝で、同世代トップクラスの評価を受けていたクリテリウムドサンクルー・コンデ賞の勝ち馬バルネヴェルや、ロベールパパン賞・モルニ賞・ロシェット賞の勝ち馬で仏グランクリテリウムでは2着だった牝馬パールキャップなどより遥かに下の評価であり、この時点では並の競走馬だった。

3歳4月に戦線に復帰すると、前年とは別馬のような本馬の快進撃が始まる。まず復帰初戦のグレフュール賞(T2100m)では、仏2000ギニーを勝ってきたインダスを3着に撃破して、2着コユソールに1馬身半差で勝利した。5月のオカール賞(T2400m)では、馬なりのまま走り、2着ブリュルーダーに3馬身差で勝利した。さらには同月末にリュパン賞(T2100m)に出走。ここにもインダスが出走していたが、本馬が2着ケークウォーク以下に完勝を収め、インダスは着外に終わった。そしてダリュー賞を勝ってきた前年の同世代トップのバルネヴェルを押しのけて1番人気に支持された仏ダービー(T2400m)でも、好位抜け出しの横綱相撲で2着ブリュルーダーに2馬身差をつけて快勝した(バルネヴェルはブリュルーダーから首差の3着だった)。それから2週間後にはパリ大賞(T3000m)に出走。しかし仕掛けが遅れた影響もあって、バルネヴェルとタクソディウムの2頭に後れを取り、勝ったバルネヴェルから半馬身差の3着に惜敗した。続く仏共和国大統領賞(T2500m)では、勝ったバルネヴェルに6馬身差をつけられた2着だった。

4連勝の後に2連敗したために休養が与えられた本馬は、秋はロワイヤルオーク賞(T3000m)から始動した。ここではブリュルーダー(3着)やバルネヴェル(4着)には先着したが、ケルゴルレイ賞を勝って臨んできたスタミナ自慢のデイリに首差敗れて2着だった。次走の凱旋門賞(T2400m)では、前年の仏グランクリテリウム2着後に仏1000ギニー・仏オークス・ミネルヴ賞・ジャックルマロワ賞・ヴェルメイユ賞を勝ってきたパールキャップとの、同世代の牡牝頂上決戦となった。他の対戦相手は、ベルギーの国際競走オステンド国際大賞でパールキャップを2着に破っていたベルギー最強馬プリンスローズ、英オークス・ペネロープ賞の勝ち馬ブルレット、イスパーン賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬で前年の仏ダービー・エクリプスS2着のラヴレース、アルクール賞の勝ち馬でオステンド国際大賞3着のアンフォルタ、パリ大賞で2着だったタクソディウム、ブリュルーダーなどだった。この中で本馬は1番人気に支持されたのだが、レース中に脚を故障してしまい、パールキャップの6着に敗れてしまった。3歳時の成績は8戦4勝だった。翌年も現役を続行したが、脚の故障が完治せず、結局4歳時はレースに出ることなく競走馬を引退した。

血統

Ksar Bruleur Chouberski Gardefeu Cambyse
Bougie
Campanule The Bard
Saint Lucia
Basse Terre Omnium Upas
Bluette
Bijou St. Gatien
Thora
Kizil Kourgan Omnium Upas Dollar
Rosemary
Bluette Wellingtonia
Blue Serge
Kasbah Vigilant Vermouth
Virgule
Katia Guy Dayrell
Keapsake
Durban Durbar Rabelais St. Simon Galopin
St. Angela
Satirical Satiety
Chaff
Armenia Meddler St. Gatien
Busybody
Urania Hanover
Wanda
Banshee Irish Lad Candlemas Hermit
Fusee
Arrowgrass Enquirer
Sparrowgrass
Frizette Hamburg Hanover
Lady Reel
Ondulee St. Simon
Ornis

クサールは当馬の項を参照。

母ダーバンは現役成績12戦4勝、仏グランクリテリウム・ヴェルメイユ賞を勝ち、フォレ賞で2着した名牝。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の半兄バンスター(父サンスター)【モルニ賞・ユジェーヌアダム賞】、全姉ディアデム【ペネロープ賞】も産んでいる。ディアデムの孫にはキャラベル【仏グランクリテリウム・仏1000ギニー・仏オークス・フォレ賞2回】、曾孫にはコルドヴァ【ロベールパパン賞・モルニ賞】、ジャニアリ【ヴェルメイユ賞】が、本馬の半妹マハトマ(父アステリュー)の子にはダオヴァ【サラマンドル賞】がいる。ダーバンの母バンシーは仏1000ギニーの勝ち馬で、その母は世界有数の名牝系の祖となったフリゼットである。

ダーバンの全妹エルディファン【アランベール賞・プティクヴェール賞】の孫にはプリアム【仏グランクリテリウム・ジャックルマロワ賞・イスパーン賞】、ジェダー【エクリプスS・英チャンピオンS】、ファラオ【フォレ賞】、曾孫にはコレジャダ【仏1000ギニー・愛オークス・チェヴァリーパークS】、玄孫には日本で種牡馬として大活躍したパーソロン【愛ナショナルS】、マーシャド【デューハーストS】や、コレジャダの子であるマシップ【ロワイヤルオーク賞・アスコット金杯】とアポロニア【仏1000ギニー・仏オークス・モルニ賞・仏グランクリテリウム】がいる。エルディファンの牝系子孫からは他にも、アカマス【仏ダービー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)】、アキーダ【凱旋門賞(仏GⅠ)】、ダルシャーン【仏ダービー(仏GⅠ)】、エバディーラ【愛オークス(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、ダリアプール【コロネーションC(英GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)】、シンダー【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)】、プランセスダンジュー【パリ大障害(仏GⅠ)2回・ラエジュスラン賞(仏GⅠ)】、リンガリ【ヴィットーリオディカープア賞(伊GⅠ)・バイエルンツフトレネン(独GⅠ)】、ダーレミ【プリティポリーS(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】、リワイルディング【ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)】、メアンドレ【パリ大賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・ベルリン大賞(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)】、ハンターズライト【ローマ賞(伊GⅠ)・マクトゥームチャレンジR3(首GⅠ)・ジェベルハッタ(首GⅠ)】、エスティメイト【アスコット金杯(英GⅠ)】、タグルーダ【英オークス(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)】などの活躍馬が出ている。

ダーバンの全妹シーバの牝系子孫にも、コートドール【仏2000ギニー】、テューダーミンストレルの後継種牡馬として活躍したシングシング、マルモラーダ【伊オークス(伊GⅠ)・リディアテシオ賞(伊GⅠ)】などがいる。

なお、ジェダーやアポロニアの父は本馬の息子ジェベルであるから、ブサック氏は本馬が登場した牝系に本馬の血をしばしば掛け合わせていた事が伺える(パーソロンの父方の曽祖父もジェベルだが、ここまで来ればそれほど血は濃くならない)。→牝系:F13号族①

母父ダーバーはラブレー産駒で、現役成績16戦5勝。仏国調教馬で、地元仏国ではノアイユ賞を勝った程度であまり芽が出なかったが、英国遠征して出走した英ダービーで単勝オッズ21倍の人気薄を覆して優勝した。地元に戻った後は仏ダービー・パリ大賞といずれもサルダナパルに敗れて引退した。種牡馬としては仏国・米国で供用されたが、ダーバン以外の活躍馬は出せなかった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ブサック氏が所有するフレスネルビュファール牧場で種牡馬入りした。種牡馬としては活躍馬を次々と出し、1940・42・45年と3度の仏首位種牡馬に輝く成功を収めた。また、仏母父首位種牡馬にも1949・52年の2度輝いている。当時本馬の属するヘロド直系は滅亡寸前の危機に陥っていたが、本馬と後継種牡馬ジェベルの活躍で息を吹き返した。そしてブサック氏も仏国における最大の馬産家としての名声を確立するに至った。しかしブサック氏が事業不振に陥って馬産家としても没落するのと平行して本馬の直系は再び衰退してしまった。日本では直系のパーソロンなどから繋がる血筋が21世紀まで残っているが、現在は風前の灯である。欧州ではアホヌーラからインディアンリッジドクターデヴィアスなどが出て辛うじて直系が維持されているが、これも先行き不安な状態である。

なお、ブサック氏が馬産家として没落した原因は、本馬を含む自身が所有した馬達の強すぎる近親交配に拘った影響で血の活力が低下したために活躍馬を出せなくなった事であると以前はよく言われていた。それも確かに一因ではあるだろうが、彼の牧場においてジェベル以降に名種牡馬が登場しなかった事のほうが大きいだろう(彼が後に米国から導入した種牡馬達は悉く失敗に終わっている)。

本馬の母父ダーバーや祖母の父アイリッシュラッドには、19世紀米国の歴史的大種牡馬レキシントンなど、英国血統書(ジェネラルスタッドブック)に載っていない米国由来の馬の血が入っている。本馬が競走馬として走っていた当時の英国には、そうした「身元不明の馬」が「純血のサラブレッド」を汚す事を避ける名目で、「ジャージー規則」が設けられていた。その内容の詳細な説明はブラックターキンの項に譲るが、大雑把に書くと、既刊の英国血統書に載っていない馬を僅かでも先祖に持つ馬は、新たに英国血統書に登録することを認めないという規則である。しかしこの規則が設けられた理由はサラブレッドの純血を守るためではなく、競馬発祥の地である名誉ある英国の競馬関係者にとって、競馬後進国である米国から持ち込まれた馬(20世紀初頭の英国には米国南北戦争や賭博禁止令の混乱で米国から渡ってきた馬が多かった)が英国で活躍することが我慢できなかったからである。この規則は、レキシントンを筆頭とする「不詳血統」を受け継ぐ馬であっても既に英国血統書に登録されていればそのままサラブレッドとして認められ、それらの馬を活用して誕生した英国産馬は普通に英国血統書に登録することができるという内容になっており、純血を守るためなどではなく米国産馬の排除が目的だったのは明白である。しかし英国血統書に登録できない馬であっても、「サラブレッド系種」として英国のレースに出走することは可能だった。そのため、本馬の代表産駒であるジェベルの英2000ギニー制覇や、そのジェベルの代表産駒であるマイバブーの英2000ギニー制覇など、仏国産馬による英国の大競走の優勝が続き、相対的に英国産馬の質の低下を招く事態が生じた。この結果、英国においても本馬の血を無視することはできなくなった。そして米国産馬ブラックターキンが1948年の英セントレジャーを制覇したのが最後の一押しとなり、翌1949年、創設以来物議を醸してきた「ジャージー規則」は遂に撤廃され、本馬を始めとする祖先に米国の不詳血統を持つ馬達も、英国でサラブレッドとして認められた。こうした経緯により、本馬はヘロド系のみならず、いわゆる「雑種血統」が現代に続く最大の功労馬となったのである。その本馬は、1954年7月に繋養先のジャルディ牧場で脳卒中を発症して倒れたために26歳で安楽死の措置が執られた。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1933

Capella

ミネルヴ賞

1934

Goya

ジムクラックS・セントジェームズパレスS・エドモンブラン賞・サブロン賞2回・ボイアール賞

1935

Argolide

マルレ賞・ミネルヴ賞

1935

Cillas

仏ダービー・グレフュール賞・ジャックルマロワ賞・エドヴィル賞

1935

Gaspillage

仏2000ギニー

1936

Adaris

ドーヴィル大賞

1937

Djebel

凱旋門賞・英2000ギニー・仏2000ギニー・ミドルパークS・サンクルー大賞・ボイアール賞2回・アルクール賞2回・エドヴィル賞2回・サブロン賞

1938

Mascotte

フィユドレール賞

1939

Esmeralda

仏1000ギニー・モルニ賞・フォレ賞・ロシェット賞・ペネロープ賞

1939

Tornado

リュパン賞・ダリュー賞・サブロン賞・ジャンプラ賞

1940

Micipsa

シェーヌ賞・ユジェーヌアダム賞・プランスドランジュ賞

1940

Theano

モーリスドギース賞

1941

Le Volcan

ロシェット賞・モーリスドギース賞

1942

Caracalla

凱旋門賞・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞・アスコット金杯

1942

Coaraze

仏ダービー・モルニ賞・ダフニ賞・ジャックルマロワ賞・イスパーン賞2回・サンクルー大賞・ヴィシー大賞

1943

Cuadrilla

クインシー賞

1943

Hassan

ドラール賞

1943

Tourmente

ロシェット賞・クリテリウムドメゾンラフィット

1944

Cadir

モルニ賞

1944

Timor

オカール賞

1944

Tourment

仏2000ギニー・ロワイヤルオーク賞

1944

Windorah

モーリスドギース賞

1945

Turmoil

カドラン賞・フォンテーヌブロー賞・ドーヴィル大賞

1946

Ambiorix

仏グランクリテリウム・グレフュール賞・リュパン賞

1947

Cagire

オーモンドS

1947

Fort Napoleon

クリテリウムドメゾンラフィット・トーマブリョン賞・イスパーン賞・ジャックルマロワ賞

1947

La Fontaine

アスタルテ賞

1949

Magnific

サンクルー大賞・エスペランス賞・モーリスドニュイユ賞

1951

Toundra

フロール賞

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