和名:デヴィルダイヴァー |
英名:Devil Diver |
1939年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:セントジャーマンズ |
母:ダブチック |
母父:ロイヤルミンストレル |
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前脚の蹄が欠損しているというハンデを抱えながらメトロポリタンH3連覇など数多くのステークス競走を勝利し、2年連続米最優秀ハンデ牡馬に選ばれる |
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競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績44戦22勝2着12回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
米国の名馬産家ホイットニー一族の一員ウィリアム・ペイン・ホイットニー氏の未亡人だった詩人ヘレン・ジュリア・ヘイ・ホイットニー夫人(名馬トゥエンティグランドの生産・所有者でもあった)により、ホイットニー一族が所有する米国ケンタッキー州グリーンツリースタッドにおいて生産された。同年に同牧場では、後に本馬と幾度か対戦することになるシャットアウトも誕生している。シャットアウト共々グリーンツリーステーブル名義で競走馬となり、サー・ジョン・M・ゲイヴァー調教師の管理馬となった。ゲイヴァー師は、トゥエンティグランドの管理調教師だったジェームズ・ゴードン・ロウ・ジュニア調教師(米国の伝説的名伯楽サー・ジェームズ・G・ロウ調教師の息子)の友人であり、彼の招きを受けてホイットニー一族の元で調教師として働くことになった人物で、後にグリーンツリーステーブルが送り出した最大の大物競走馬トムフールも手掛けることになる。
競走生活(2歳時)
2歳5月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5ハロンの一般競走でデビューしたが、マンノウォー産駒ソルジャーソングに敗れて1馬身半差の2着だった。2か月の調整期間を経た後にサラトガ競馬場に場所を移し、ダート5.5ハロンの未勝利戦に出走したが、サンディアルの3/4馬身差2着に敗れた。その6日後に同コースで出走した未勝利戦では、ニプシックルの頭差2着に敗退。その4日後に同コースで出走した未勝利戦を、2着ラミリーズに2馬身差で勝ち上がった。
初勝利の5日後にはサンフォードS(D6F)に出走して、2着ラミリーズに3/4馬身差で勝利した。続いて10日後のグランドユニオンホテルS(D6F)に出たが、同厩馬シャットアウト、リクエスティドの2頭に後れを取り、勝ったシャットアウトから4馬身半差の3着に敗れた。それから7日後に出走したホープフルS(D6.5F)では、シャットアウトを2馬身差の2着に、フラッシュSの勝ち馬アンフィシアターを3着に破って勝利した。その後は少しだけ間隔を空け、9月下旬にベルモントパーク競馬場で行われたフューチュリティトライアルS(D6F)に出走した。しかし結果はドッグパッチ(米国の大種牡馬ブルリーの全弟)の1馬身1/4差2着だった。その4日後に出走したベルモントフューチュリティS(D6.5F)では、ナショナルスタリオンSの勝ち馬サムチャンスの半馬身差2着に惜敗。翌10月にジャマイカ競馬場で出走したレムセンH(D6F)でも、本馬と6歳時まで戦い続けるアパッチの半馬身差2着。これで3戦連続2着となってしまった。
しかしレムセンHの7日後にキーンランド競馬場で出走したブリーダーズフューチュリティ(D6F)では、後のケンタッキーオークス馬ミスドッグウッド(ミスタープロスペクターの曾祖母)を1馬身差の2着に、ドッグパッチを3着に破って勝利した。次走ピムリコフューチュリティ(D8.5F)では、泥だらけの不良馬場の中を快走して勝ったコントラディクションに6馬身離されながらも2着を確保し、4着シャットアウトには先着した。2歳時は12戦4勝2着7回3着1回という、よく言えば安定した、悪く言えば勝ち味に遠い成績で終えた。
競走生活(3歳時)
もともと本馬は前脚の蹄が欠損しているというハンデを抱えていた。それが影響して3歳時は復帰が遅くなり、4月にキーンランド競馬場で行われたフェニックスH(D6F)がシーズン初戦となった。このレースは古馬混合戦であり、前年のジュヴェナイルS・アーリントンフューチュリティを勝っていたサンアゲインに加えて、サラトガスペシャルS・ホープフルS・ブリーダーズフューチュリティ・ウォルデンS・ドワイヤーS・サラナクH・トラヴァーズS・アメリカンダービー・ローレンスリアライゼーションSにも勝っていた前年の米国三冠馬ワーラウェイが出走してきた。しかしワーラウェイより15ポンド軽い113ポンドという軽ハンデを味方につけた本馬が2着ワーラウェイを頭差で退けて勝利した。
次走のケンタッキーダービー(D10F)では、ブルーグラスSを勝ってきたシャットアウト、2歳後半にメイフラワーS・ハイドパークS・ジュヴェナイルS・ワシントンパークフューチュリティS・プレイリーステートS・イースタンショアH・シャンペンS・スポルディングロウジェンキンズS・ウォルデンSなど10連勝したが3歳時はチェサピークS2着・フラミンゴS3着など7連敗中だった前年の米最優秀2歳牡馬アルサブ、本馬が3着だったシャンペンSで2着だったグレートアメリカンS・ユースフルS・イーストビューS・トレモントS・カウディンS・フラミンゴS・ウッドメモリアルSの勝ち馬リクエスティド、アーカンソーダービーの勝ち馬ウィズリガーズ、ダービートライアルSを勝ってきたヴァルディナオーファン、アパッチ、ドッグパッチ、バハマズH2着馬ファーストフィドルなどとの顔合わせとなった。エディ・アーキャロ騎手が手綱を取る本馬は、シャットアウトとのカップリングで単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持された。しかしシャットアウトが優勝したのとは対照的に、本馬は7馬身1/4差の6着に終わり、生涯初の着外を喫した。
次走のプリークネスS(D9.5F)では、前走ケンタッキーダービーで2着と復調の兆しを見せたアルサブが、レース直前にばらまかれた「今日、アルサブは負けない」という内容のビラの影響もあって単勝オッズ3.05倍の1番人気となり、本馬とシャットアウトのカップリングは2番人気となった。レースでは謎のビラをばらまいた人物の見立てどおりアルサブが直線追い込んで圧勝し、シャットアウトは5着、本馬はアルサブから13馬身差の8着に終わった。
2戦続けての不甲斐ない結果を受けて陣営は本馬のベルモントS回避を決定。その代わりに出走したベルモントパーク競馬場ダート7ハロンのハンデ競走では、ケンタッキーダービーで8着だったドッグパッチを頭差の2着に抑えて勝利し、その後は秋まで休養した。なお、本馬不在のベルモントSは、シャットアウトがアルサブを2着に破って勝っている。
9月に戦線に復帰すると、アケダクト競馬場ダート5.5ハロンのハンデ競走に出走。ここでは1分05秒0のコースレコードを計時して、2着ドッグパッチに半馬身差で勝利した。そしてジェロームH(D8F)に駒を進めたが、ピーターパンH3着馬キングスアベイ、サラナクHの勝ち馬でブルーグラスS2着のブレスミーとの大接戦に屈して、勝ったキングスアベイから首差、2着ブレスミーから鼻差の3着と惜敗した。さらに3日後に出走したベルモントパーク競馬場ダート8ハロンの一般競走は半馬身差でなんとか勝った。しかし翌月に出走したヴォスバーグH(D7F)では、前年のカーターHやサラナクH・スウィフトSなどを勝っていたパラサングの1馬身差2着に敗退。そしてコンチネンタルH(D8.5F)では、スカーズデールHなどを勝っていたボーイジー、この年のカーターHの勝ち馬ダブルラブ、パラサング達に歯が立たず、勝ったボーイジーから9馬身3/4差をつけられた10着と大敗。不調のまま3歳時を9戦4勝の成績で終えた。
競走生活(4歳時)
4歳4月にジャマイカ競馬場において実戦に復帰した。しかし初戦の分割競走ポーモノクH(D6F)では、前年のケンタッキーダービーで4着だったウィズリガーズ、ボーイジーなどに後れを取り、勝ったウィズリガーズから4馬身差の5着。7日後に同コースで出走したハンデ競走では、前年のコンチネンタルHで2着だったダブルラブに首差及ばず2着。さらに7日後に出走したエクセルシオールH(D8.5F)では、2着ミネーモーに5馬身差をつけて圧勝したウエストチェスターH・リグズHなどの勝ち馬リヴァーランドに11馬身差をつけられた5着に敗れ、3連敗スタートとなった。
しかし4戦目のトボガンH(D6F)では、初めてジョージ・ウルフ騎手とコンビを組み、2着ウィズリガーズに1馬身差をつけて勝利を収め、フェニックスH以来1年ぶりのステークス競走勝利を挙げた。そして次走メトロポリタンH(D8F)では、グレイラグH・ワシントンパークH・ニューオーリンズHを勝っていたマリッジを1馬身1/4差の2着に破って勝利した。次走のサバーバンH(D10F)では、ウッドメモリアルS・ジョッキークラブ金杯・ピムリコスペシャルS・サバーバンH・ギャラントフォックスHを勝っていた5歳馬マーケットワイズとの対戦となった。しかしレースは2位入線のマーケットワイズが降着になる荒れたものとなり、伏兵のドンビンゴが勝利を収め、本馬は5馬身半差の5着に敗れた。しかしカーターH(D7F)では、マリッジを頭差の2着に、ダブルラブを3着に、マーケットワイズを6着に破って勝利した。
次走のブルックリンH(D10F)では、前年のベルモントS勝利後にアーリントンクラシックS・トラヴァーズSも勝っていたシャットアウト、サンフアンカピストラーノ招待H2回・アメリカンダービー・ウエストチェスターH・サンパスカルH・サンアントニオH・アメリカンHを勝っていた6歳馬ミオランド、ピムリコオークス・CCAオークス・デラウェアオークス・ガゼルS・テストS・アラバマS・ベルデイムH・レディーズSなどを勝っていた前年の米最優秀3歳牝馬及び米最優秀ハンデ牝馬のヴェイグランシー、マーケットワイズ、ドンビンゴなどが対戦相手となった。しかし本馬が2着マーケットワイズに1馬身半差をつけて勝利を収め、シャットアウトは4着だった。その後はワシントンパーク競馬場に向かい、7月のスターズ&ストライプスH(D9F)に出走した。しかし生憎と馬場状態が不良になってしまい、アーリントンHの勝ち馬ラウンダーズ、後のサンタアニタHの勝ち馬サムズアップ、マリッジなどに屈して、勝ったラウンダーズから5馬身3/4差の5着に敗退。その後に長期休養に突入したため、4歳時の出走はここまでとなった。4歳時は前年と同じ9戦4勝という不安定な成績ながら、勝ったレースの格が評価されて、マーケットワイズと共に米最優秀ハンデ牡馬に選出された。
競走生活(5歳時)
5歳4月に復帰すると、この年は最初から重い斤量と戦いながら勝ち続けた。まずは前年に5着だったポーモノクH(D6F)に出走。前年より7ポンド重い130ポンドが課せられたが、2歳時から戦ってきたアパッチを1馬身半差の2着に破って勝利した。次走トボガンH(D6F)では、前年に勝ったときよりも18ポンド重い134ポンドを課せられたが、このレースから主戦に復帰したアーキャロ騎手を鞍上に、2着シグネイターに1馬身1/4差で勝利した。
メトロポリタンH(D8F)でも、前年より17ポンド重い134ポンドを背負いながら、25ポンドのハンデを与えた2着アルケストに1馬身半差で勝利を収め、1922年のマッドハター、1933年のエクワポイズ以来11年ぶり史上3頭目の同競走2連覇を達成した。その後は一間隔を空けて、7月末にベルモントパーク競馬場で行われたアメリカンレギオンH(D7F)に出走。ここでは136ポンドを課せられたが、2着となったサンフェリペSの勝ち馬ブルレイに2馬身半差をつけて勝利した。
次走のホイットニーS(D10F)では、本馬にとって裸同然の117ポンドでの出走となった。しかし前年のジョッキークラブ金杯を勝っていた後の大種牡馬プリンスキロ、前年の同競走に加えてマンハッタンHを3勝していた7歳馬ボーリングブロークといった強豪馬の前に苦戦を強いられ、2着プリンスキロに半馬身差をつけてなんとか勝利した。しかしそれから4日後に出走したサラトガH(D10F)では、過密日程と134ポンドの斤量のダブルパンチが効いて、アメリカンHの勝ち馬でハリウッド金杯2着のペーパーボーイ、ボーリングブロークなどに敗れて、勝ったペーパーボーイから7馬身差の6着に終わった。それでも翌週に出たウィルソンS(D8F)では斤量が117ポンドだったため、アメリカンHを勝ってきたブルレイを2馬身半差の2着に、この年のカーターHを勝っていたウェイトアビットを3着に破って楽勝した。しかし130ポンドを背負って出走したナラガンセットスペシャルS(D9.5F)では、ペーパーボーイの3馬身半差5着に敗戦。その1週間後に出走したマンハッタンH(D12F)は、124ポンドという穏当な斤量だったため、ニューヨークHの勝ち馬カリブーを1馬身1/4差の2着に、同競走4勝目を狙ったボーリングブロークを3着に破って勝利した。しかしこのマンハッタンHの翌日に、前年から病気だった本馬の生産者ヘレン・ホイットニー夫人が68歳で死去するという不幸があった。それでも本馬はグリーンツリーステーブル名義のまま走り続けた。
しかし3週連続のレース出走となったジョッキークラブ金杯(D16F)では、もはや16ハロンの長距離を先頭で走り抜く体力は残っておらず、ボーリングブロークとエッジメアHの勝ち馬ストラテジックの2頭に屈して、勝ったボーリングブロークから3馬身差の3着に敗退。さすがに陣営も哀れに思ったか、申し訳程度の間隔を空けて、3週間後のギャラントフォックスH(D13F)に向かわせた。ここでは123ポンドの斤量だったが、不良馬場でスタミナを削がれて、かつてベルモントフューチュリティSで本馬を2着に破って勝ったサムチャンスの10馬身差5着に沈んだ(本格化前のスタイミーが3着だった)。
その10日後に出走したピムリコスペシャルS(D9.5F)では、アーリントンラッシーS・ピムリコオークス・エイコーンS・CCAオークス・アーリントンクラシックSなどを勝っていた2歳年下の3歳牝馬トワイライトティアー、ポトマックH・ワシントンHを勝っていたメゴゴの2頭しか対戦相手がおらず、事実上は本馬とトワイライトティアーのマッチレースとなった。しかし結果はトワイライトティアーに6馬身ちぎられて2着だった。5歳時は12戦7勝の成績で、2年連続の米最優秀ハンデ牡馬こそ受賞したものの、米年度代表馬にはこの年に17戦14勝を挙げ、ピムリコスペシャルSで本馬を圧倒したトワイライトティアーが選出され、本馬は受賞を逃した。
競走生活(6歳時)
6歳時も本馬は現役を続行。まずはポーモノクH(D6F)で前年と同じ130ポンドを背負って1馬身1/4差で勝利。2着も前年と同じアパッチだった。次走は3連覇を懸かるトボガンH(D6F)となった。しかし不良馬場と134ポンドの斤量が堪えたのか、アパッチの2馬身半差2着に敗れた。
しかしメトロポリタンH(D8F)では斤量がやや軽い129ポンドだったこともあり、2着アレックスバースに4馬身差をつけて勝利を収め、3連覇を達成。メトロポリタンHを3連覇した馬は、後にも先にも本馬のみである。
続くサバーバンH(D10F)では、前走グレイラグHで60戦目にして念願のステークス競走初勝利を挙げていたスタイミーとの対戦となった。本馬には132ポンドが課せられ、119ポンドのスタイミーとは13ポンドの差があったが、スタイミーを2馬身差の2着に退けて勝利した。
そして1913年のウィスクブルーム以来32年ぶり史上2頭目となるニューヨークハンデキャップ三冠馬の栄誉を懸けて、ブルックリンH(D10F)に出走。ここでもスタイミーとの顔合わせとなった。斤量は本馬が前走と同じ132ポンドだったのに対し、スタイミーは前走より軽い116ポンドでの出走だった。この結果、本馬はスタイミーに1馬身1/4差をつけられて2着に敗退。ニューヨークハンデキャップ三冠は惜しくも達成できなかった。
そして翌月に脚部不安が悪化したために、6歳時5戦3勝の成績でそのまま競走馬を引退した。この年の米最優秀ハンデ牡馬には19戦9勝の成績を残したスタイミーが選ばれ、本馬の3年連続受賞は成らなかった。
血統
St. Germans | Swynford | John o'Gaunt | Isinglass | Isonomy |
Dead Lock | ||||
La Fleche | St. Simon | |||
Quiver | ||||
Canterbury Pilgrim | Tristan | Hermit | ||
Thrift | ||||
Pilgrimage | The Palmer | |||
Lady Audley | ||||
Hamoaze | Torpoint | Trenton | Musket | |
Frailty | ||||
Doncaster Beauty | Sheen | |||
Doncaster Belle | ||||
Maid of the Mist | Cyllene | Bona Vista | ||
Arcadia | ||||
Sceptre | Persimmon | |||
Ornament | ||||
Dabchick | Royal Minstrel | Tetratema | The Tetrarch | Roi Herode |
Vahren | ||||
Scotch Gift | Symington | |||
Maund | ||||
Harpsichord | Louvois | Isinglass | ||
St. Louvaine | ||||
Golden Harp | Llangibby | |||
Goldscleugh | ||||
Ruddy Duck | Touch Me Not | Celt | Commando | |
Maid of Erin | ||||
Dainty Dame | Handspring | |||
My Fair Kentucky | ||||
Briony | Dominant | Delhi | ||
Dominoes | ||||
Cardamine | Sir Archibald | |||
Alster Cress |
父セントジャーマンズはトゥエンティグランドの項を参照。
母ダブチックは現役成績6戦1勝で、アーリントンラッシーSで3着している。ダブチックの母ルディーダックの半妹ブライオニアの曾孫には、日本で走った1964年の啓衆社賞最優秀五歳以上牝馬及び最良短距離馬トースト【中山金杯・中山記念・アルゼンチンジョッキークラブC・毎日王冠】とフラワーウツド【日本短波賞・クイーンS・オールカマー・東京タイムズ杯牝馬特別2回】の姉妹が、トーストの子にはラッキールーラ【東京優駿・弥生賞】がいる他、ブライオニアの牝系子孫にはグリーシャンフライト【エイコーンS(米GⅠ)】、ブルズベイ【ホイットニーH(米GⅠ)】などもいる。ルディーダックの母ブリオニーの半姉レッドレッドローズの子にはローズクロス【ドワイヤーS】がいる。ブリオニーの曾祖母ハンブルグベルはベルモントフューチュリティSの勝ち馬で1903年の米最優秀2歳牝馬。ハンブルグベルの曾祖母ショットオーヴァーは英2000ギニーと英ダービーを制した19世紀英国の歴史的名牝である。→牝系:F13号族①
母父ロイヤルミンストレルはテトラテーマの直子で、エクリプスSでは前年の覇者フェアウェイを下して勝ち、他にもクレイヴンS・セントジェームズパレスS・ゴールデンジュビリーSを制し、英2000ギニーで2着した快速馬。種牡馬としての代表産駒は本馬とケンタッキーダービーで顔を合わせたファーストフィドル。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のグリーンツリースタッドで種牡馬入りした。輩出したステークスウイナーは18頭で、後継種牡馬もおらず、あまり成功することは出来なかった。1961年に左後脚骨折のためにグリーンツリースタッドにおいて22歳で他界した。1980年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第55位。
本馬の血を引く馬としては、母の父として出した米国顕彰馬ネイティヴダイヴァー、祖母の父として出した凱旋門賞馬サンサン、曾祖母の父として出したアーリントンミリオンSの勝ち馬メッキーとBCディスタフの勝ち馬ビューティフルプレジャーの兄妹などがいる。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1947 |
Call Over |
サルヴェイターマイルH・トレントンH |
1947 |
Lotowhite |
グレイラグH・エクセルシオールH |
1948 |
Ruddy |
プライオレスS・モンマスオークス |
1953 |
Beau Diable |
ロングアイランドH |